2011年5月26日木曜日

母親の罪と母殺し

 去年話題になった映画「告白」。映画館で見逃していたので、DVDを借りて見た。原作は未読。でも、内容はある程度、知っていたし、その内容そのものに嫌悪感を抱く人も多いことも知っていた。
 で、好きか嫌いかというと、私は好きだ。
 なんといっても、映像が完璧なまでにいい。その構図の美しさ、色彩設計のみごとさ。惚れ惚れする。クライマックスの時間が逆に流れるシーンが特にいい。
 内容は、主要人物の多くが病んでいて、マザコンの少年たちはまるでヒッチコックの「サイコ」の中学生版のようだし、ヒロインの女性教師の異常なまでの冷酷さ、少年たちの母親の罪深さ、等々、嫌悪感を感じる人が多いのもよくわかる。
 嫌いな人はしょうがない。無理して好きになる必要なし、見る必要さえなし。私はスプラッタホラーは苦手で見ないが、それと同じ。スプラッタホラーにも傑作はあるが、苦手なんで見ない、それと同じなので、嫌いな人は避けた方が精神衛生上よろしいと言っておきます。
 私がこの映画が好きなのは、マザコンとかファザコンとか、父親の問題、母親の問題、父殺しの神話といった、親と子の問題に興味があるからですね。
 実際、父殺しの映画はたくさんありますが、母殺しの映画はあまりない。「サイコ」は母殺しなのかな? とにかく、母殺しの映画の傑作として、この映画は非常に価値があります。
 父殺しの物語がたくさんある理由は、やはり、子は父を乗り越えないといけない、父は支配者だから、それを倒して成長するのが男だよ、あるいは人間だよ、みたいなモチーフがあって、「羊たちの沈黙」のような、女が父を乗り越える話さえあるわけです。
 しかし、普通は、母は父と違って、支配者ではない。強権発動の父と違い、やさしさと強さで子を守るのが母、という理想があって、そのため、母殺しは物語のテーマになりにくかったと言えます。
 なのに、こういう物語が出てきたということは、現代の日本では、母が子を支配する悪になっている面があるのでしょう。「告白」でも、中学生の少年のやる悪事の背景には母がいる。少年たちがゆがみ、病んだのはやっぱり母が悪い、ということになっている(だから、お母さん方はこの映画は許せないと思うのでしょう、そういうお母さんのブログをいくつか読みました)。
 ヒロインの女性教師も母です。幼い娘を持つ母であり、受け持ちのクラスの少年たちも彼女に母を求めていた。しかし、彼女は生徒に対しては母であろうとしません。松たか子の演技には母性がまったくない。生徒だけでなく、もしかして、幼い娘に対しても、いい母親じゃなかったのかもしれない。そのところ、映画ではあまり描かれていないのですが、ポシェットをほしがる娘を叱るシーンが妙に印象に残ってたりして、生徒に対して母親であることを拒絶する女性は、わが子に対しても母性的ではないのでは、と思ってしまいます。
 もちろん、世の中にはいろいろなタイプの母親がいるので、別に母性丸出しで子供にベタベタするのだけが母のあり方じゃない。一見クールでも愛のある母もいるわけですが、私はどうも、この女性教師は病んでいるとしか思えませんでした。それも、娘が殺される前から病んでいたんじゃないかと思うのです。
 原作は読んでないのですが、映画では少年たちと母の問題はきちんと描かれているけど、ヒロインが母としてどうだったのか、あるいは、ヒロイン自身が親とどうだったのか、みたいなことはわかりませんでした。ただ、訳あって結婚しなかった娘の父親がカリスマ教師で、なんだか立派な人みたいなのですが、いまひとつ、存在感に乏しい。
 映画では描かれていませんでしたが、ヒロインは化学の研究者をめざせたけど、貧しさゆえにそれをあきらめて理科の教師になったとかで、それだと少年Aの母親と似てきます。
 なんにしても、この映画は3人の母=2人の少年の母と女性教師の「母親の罪」の物語であり、「母殺し」の物語なのです。
 この物語に対して、母親たちが反発するというのは、ある意味、健全なことかもしれません。ここに描かれる「母殺し」は、やっぱり、男の「父殺し」の変形だよね、という感じもするからです。原作者は女性ですが、男性的な発想から来ている感じがします。そこに女性たちが反発するのはまっとうな反応のような気がするし、私が面白いと思う理由もそこ=男性的な発想にあるからじゃないかと思います。特に少年Aの母と女性教師は、どちらも理系の研究者をめざしたが挫折した経験あり、という点で、男性的な価値観の悪しき面を持った女性と言えるのではないかな。
 現実では、放射能汚染に関して、安全デマを撒き散らし、まるで戦前戦中のように一億玉砕、放射能みんなで浴びれば怖くない、汚染された野菜を食べよう、汚染された瓦礫を全国に、牛も何もかも全国に、これで日本は一致団結、和を乱すのが風評被害、みたいなことを、政府やマスコミや御用学者がこぞってやっているときに、それと戦えるのは本能で危険を察知する母親たちかな、と思うと、母親の罪と母殺しの面白い傑作は、これ1つで十分だという気がします。

2011年5月22日日曜日

午前中に31度

 今日は午前中にすでに31度です。扇風機まわってます。雨が降るって本当だろうか?(午後1時半に降ってきました。)
 昨日撮ったのと同じバラの花。ここはみごとに美しい花が咲いていました。個人が植えてるバラはあまりきれいに咲いてないものが多いのですが、このお宅はよく手入れしているのでしょう。門の中の赤いバラもみごとでした(門の中はさすがに撮れない)。

初扇風機

 土曜日は午後に室温が32度に達したので、今年初めて扇風機をまわしました。外はそれほど暑くはなかったですが。
 そして、通り沿いにはバラが。




 ツツジもまだ咲いています。

 これはお墓の前が花壇になっている。

 猫たちはのんびり寝転がっていました。






 蚊がすごくて、写真を撮る間にめいっぱい刺されました。このとおり、草ぼうぼうだし。

 今日のスカイツリー。日暮里駅のそばから。しばらく前に最高点に達したので、もう変化はなし。

2011年5月19日木曜日

よく晴れた昼下がり

 猫スポットはゴールデンウィークあたりから蚊が出てきます。今日はよく刺された。いよいよそういう季節か。このあたり、除草剤を使わないので、雑草は伸び放題。
 まずは猫スポットへの道の途中のお寺の猫。

 墓地の塀のすぐ外で猫の集会。めいっぱいズームしてます。かなり離れたところからです。

 ミケ。

 このテリトリーにしばらく前から現れた猫。テリトリーの猫からはまだ敵対視されている。

 しかし、けっこう図々しくて…。


 こちらは別テリトリー。

 地震の影響か、墓地は3月からずっと工事中です。平日は明るいうちはうるさくて、猫も避難しているようだ。

2011年5月18日水曜日

一枚のハガキ

 以前、「佃島」という写真メインのエントリーをアップしたとき、試写室を間違えたために試写が見れず、近くの佃島へ写真を撮りにいった、と書きましたが、そのとき見逃した「一枚のハガキ」をようやく見ることができました。
 この映画は今年4月に99歳になった日本最年長の現役映画監督、新藤兼人の最新作にして、監督自ら最後の作品にすると言っているもの。第二次大戦中の監督の実体験にもとづく映画です。
 当時、監督は30代で徴兵され、同じ部隊の100人の仲間のうち、94人は戦死、監督を含む6人が生きて終戦を迎えたのですが、その94人が戦死した理由が、なんと、上官によるくじ引きだったのだと。くじで94人が戦地に送られたわけです。
 映画は、くじで戦地へ送られる男が妻から届いたハガキを、くじで戦地に行かずにすんだ男に託し、生き残れたら妻にこのハガキを届けて、自分の思いを伝えてほしい、と言うところから始まります。当時、軍隊にはきびしい検閲があり、妻を思う返事を書くことさえ許されなかったからです。
 戦地へ送られた男は死に、貧しい農家の嫁である妻は夫の老いた両親と取り残されます。年をとって働けない両親は嫁に、次男と結婚して自分たちの世話をしてほしいと頼み、帰る家もない嫁は承諾、義弟と結婚しますが、その義弟もまた徴兵され、戦死。両親も相次いで亡くなり、嫁は一人取り残され、やがて終戦。一方、運良く生き残った方の男は預かったハガキを見つける、というストーリー(ネタバレはこのくらいで)。
 大竹しのぶ扮する嫁の住む農家の前の庭で何度も繰り返される儀式が、まるで舞台劇のように撮影されています。赤紙が届けられ、長男が出征し、やがてからっぽの骨壷が帰ってくる。そして、今度は次男が出征し、やはりからっぽの骨壷が帰ってくる。どちらも左側から人々が来て、一列に並んで儀式をするという、ある種の様式を感じさせる映像です。
 そして、この農家の内部がなんともいえないリアリティで描かれています。畳がなく、板の上にむしろを敷いただけの家。その母屋も両親が寝泊りするので、嫁と夫は狭い納屋で寝ている。嫁がランプに火をつけるシーンがあるが、それは電気が来ていないのではなく、お金がなくて電気を止められているのだとわかる。最低限の生活さえ保証されていない貧しい人々が、働き手の息子を2人も戦争に奪われる。一方、コネで徴兵を免れた者もいたことがあとでわかります。
 本当に暗い話なのですが、暗くて落ち込んでしまう映画ではありません。ときおりユーモアをまじえることで暗くなりすぎるのを避けています。大竹しのぶの演技にもある種の明るさがあるし、最後は希望を持って終わります。最初の夫と嫁を演じる六平直政と大竹しのぶが殿山泰司と乙羽信子を連想させるのも面白い。
 それにしても、例の原発事故で、政府の情報隠しや世論操作がまるでチェルノブイリの旧ソ連みたいだと言われていますが、この映画に描かれた戦争中の日本の、お上が決めたことに黙って従うしかない不自由さ、真実の隠蔽、これでもかとばかりに弱者を襲う被害、といった場面を見ていると、これはかつての戦争の時代だけの話じゃないという気がしてきます。何かあると、本質的に日本はこうなるのだという感じがしてならないのです。

 話変わって。先日、ちょっとショックなことがありました。
 ある大学Aで、たまたま扱った英米文学の作品が、科学の探求はどこまでいいのか、というようなテーマを掲げていたので、それに関連して、クローンや原発などの科学の発達についてどう思うかというアンケートを書いてもらいました。
 実は、別の大学Bでも同じテーマを扱い、やはりアンケートを書いてもらっていたのですが、こちらの大学Bの学生は社会問題についてよく考えていて、有意義な回答が多かったのです。ところが、先日、大学Aで書いてもらったところ、大学Bではあり得ない回答がいくつもあったのに驚きました(もちろん、有意義な回答も多かったのですが)。
 いわく、「科学の探求で悪いことがあっても自業自得だから勝手にすればいい」「原発は必要だから別にいい」「何をやっても自由」
 はあ。こういうの、”投げ槍”っていうんでしょうか。
 「原発は必要だけど、安全にしなければいけない」というならわかりますが。
 このほか、「白紙」「科学のことはわかりません」というのも。
 もともとこの大学Aでの授業は、この授業を受けたくて受講している人は半分くらいで、残りの半分はほかに取るものがないから、という学生です。なので、私語が多く、受けたい学生から苦情が来るほどです。他の授業で抽選に落ち、2回目以降に登録してくる学生が3分の1くらいいて、聞く気のない学生の側にも抽選に落ちなければ、もっと違う授業があれば、こんな授業受けないのに、という思いがあるでしょう。大学にもいろいろ問題があって、学生だけを責められないことが多いです。
 それでも、もしも放射能汚染でガンになるとすれば、困るのは若い人のはずです。私みたいな年齢の者は、仮に放射能でガンになっても、寿命が来るのとどっちが先かという話です。人間は年をとれば体にガタが来て、ガンになりやすくなるし、年配者はガンになっても進行が遅い。
 しかし、若い人はガンになるとあっという間です。ガンとわかってから3ヶ月で死んでしまうこともあるとか。もともと、子供や若い人は年配者に比べ、ガンになる確率が低いのに、放射能のせいでガンになる子供や若い人が増え、その進行があっという間だとしたら…。
 政治家とか、学者とか、ジャーナリストとか、みんな、放射能より寿命が先みたいな年齢の人ばかりです。私もそういう年齢ですから、震災のあと、あまりあわてず、落ち着いていました。そして、放射能の影響が心配な若い人や子供のために、安心安全デマは許せない、と思っているのです。 
 話がずれましたが、”投げ槍”な回答をした学生は、単に興味がない授業だから”投げ槍”な回答でいいやと思って書いたのだと思いたいです。

2011年5月16日月曜日

ヨード・アレルギーにご用心

 放射能のせいでがぜん注目された安定ヨウ素剤。甲状腺のガンの原因になる放射性ヨウ素を防ぐため、原発事故などのときには安定ヨウ素剤を配布、ということが決まってるんですが、配られなかったというか、用意してなかったのか?
 そして、うがい薬のイソジンにもヨウ素が含まれているけれど、イソジンは消毒剤だから飲んじゃダメ、とも言われていました。
 ヨウ素は別名、ヨードとも言うのですが、これが人によってアレルギーを起こすそうです。危険なのは造影剤で、これを投与されて心肺停止まで行ってしまう人もいるらしい。そういうヨード・アレルギーの人はヨウ素剤を飲めるのだろうか。

 実は私、ある大学病院でヨードホルムガーゼを使われ、ある種の過敏症状が出ました。翌日、急遽、病院へ行って、ガーゼを取り除いてもらい、事なきを得ました。それから1週間後、再び治療後に同じ過敏症状が。今度はヨードを使うとは医者は言いませんでしたが、医者の様子が変だったこと、この前ヨードホルムガーゼを使ったときと同じような台詞を言ったこと(ヨードを使わなければいけない症状があるという演技?)から、またヨードを使われたのだと思いました。
 ネットで調べると、ヨードのアレルギーがある患者には絶対に使ってはいけないと、製薬会社のホームページには書いてあります。なのにまた使ったとは!
 もうその医師には診てもらいたくなかったので、わざと時間外の急患扱いで病院へ行きました。そのとき対応した医師から、患部は自然にふさがると言われ、自分でもそうだと思っていたので、以後、通院していません。何かあったら、別の病院へ行きます。
 私の受けた治療は大学病院でないとできないものだったので、紹介もなかったけれど、行って治療を受けたのですが、中心となる治療のあとは研修医の練習に使われたようで、それはまあ、大学病院だからしかたないと思っていたのですが、いつまでも練習に利用されている、しかも、下手な研修医のせいで毎回患部を傷つけられ、出血していたので、こりゃ、転院した方がいいかな、と思っていたのですが、その矢先のヨード事件。そういや、最初にヨードホルムガーゼを使ったとき、「実験してみる」とか言ってたよな。
 正直、担当医に対してはかなりの怒りを感じています。アレルギーのある人には絶対に使ってはいけないと製薬会社のサイトに書いてあるのに、また、こっそりと使ったこと。しかも、消毒剤のヨードを使う必要がまったくない状態であったのが明らかだからです。
 それはともかく、ネットで検索すると、ヨード・アレルギーを過小評価している医師や患者がけっこういるみたいなので、該当する人は気をつけた方がいいと思います。私の場合は口の中に入れられたので、口から大腸までの胃腸系に症状が出ました。

2011年5月14日土曜日

4年ぶりの交流

 しばらくログインできなかった上、最新記事が消えてしまったブロガー、やっと復旧しました。
 最新記事がデレクのチームUMDブルドッグス優勝の記事だったんで、あわてましたが、ブロガー、復旧してもこの記事は復旧してない(汗)。投稿を編集のところを見たら、下書きとして残っていましたが、これが最初にアップしたときの記事で、その後の訂正や追記がいっさいなし。幸い、キャッシュが残っていたので、それで復旧させることができました。
 しっかりしてよ、ブロガー…。

 さて、その間、私はデレクにお祝いのカードを送ろう、と思っていたのですが、時間もたってしまったし、カード送るより、大学のメアドあてにメール送ろう、と考え、早速実行。最後に会ってから4年もたっているし、きっと私のことなんか忘れてるだろうからと、自己紹介から始め、何度かグリーティングカードを送ったこと、東日本大震災でホッケーどころではなくなり、ブルドッグスの優勝は最近知ったこと、そして、私も釧路の人たちも無事です、と書いたところ、なんと、数時間後に返事が!!!
 短いメールでしたが、「カードは届いているよ、釧路の人たちが無事でよかった」と書いてありました。
 4年前の釧路での優勝祝賀会で、デレクに近寄れず、最後の最後にほんの少し、話ができただけで、それが最後になってしまったのですが、4年たって、やっと、ささやかな交流ができたような気がしました。
 デレクがアシスタントコーチをつとめるブルドッグスを優勝に導いたヘッドコーチには、ペンシルヴェニア州立大からHC就任のオファーが来たそうです。ペンシルヴェニア州はセイバーズの新オーナーのお膝元なので、元セイバーズのデレクとセットでセイバーズのHCに、なんていう期待があちらのファンのブログに出たりしてましたが、デレクもヘッドコーチもブルドッグスを離れていないようです。
 デレクについては、セイバーズが先だってのプレーオフ、ファーストラウンドで第7戦に臨んだとき、セイバーズが第7戦を勝ったのは97年のデレクのOTゴールのときだけ、ということでデレクが話題になりました(そして、セイバーズはまたも第7戦に勝てず敗退)。
 また、ルーキー、タイラー・エニスの活躍がデレクと比較されたりしていました。実は、セイバーズでは、デレクのあと、ルーキーとしてデレクを越える記録を出した選手はいないのです。あのヴァネクでさえも、ルーキーイヤーはデレクに及ばなかったのです(要するに、傑出したルーキーがいかにいないかだが)。
 ディフェンディング・チャンピオンとなったブルドッグスですが、これはデレクが現役だった頃の写真。Cマークをつけています。

2011年5月12日木曜日

Congratulations, Derek Plante!

 いかん、地震と新学期のせいで、すっかり忘れてました、デレク・プラントがアシスタント・コーチをつとめる母校、ミネソタ大学ダルース校の男子ホッケーチーム、ブルドッグスのその後。
 なんと、デレクのチーム、チーム史上初の全米チャンピオンに輝いてました!
 おめでとう! デレク! UMDブルドッグス!

 ここにハイライトビデオや写真のリンクがあります。
http://www.umdbulldogs.com/teams-mens-hockey.php?page=152
 で、写真、ちょこっと紹介。




 ハイライト見ましたが、相手はミシガン大学で、OTでの勝利だったのですね。ブレット・ハルやショーン・ポディーンなども輩出した長い歴史のあるUMDブルドッグスですが、初優勝だっとは。しかも、デレクがコーチに初参加のシーズンに。アジアリーグ優勝のときはしゃがんでトロフィーを持ち上げていたデレク、ここではしっかり、カップでもトロフィーでもないけど(?)、立って持ち上げています。
 優勝したのは4月9日のようで、本来なら、すぐにお祝いのカードを送っているべきだったのに、私としたことが…。これからゆっくり、お祝いの手紙を書いて送ろう。

追記 セイバーズのレギュラーシーズン最後のホームゲームで、元セイバーズが多数集まったとき、デレクはいませんでしたが、実はちょうどその頃にこの大学の優勝決定試合があったようです。

おまけ 1997年プレーオフ、デレクのOTゴールでセイバーズがファーストラウンド第7戦を制したシーンです。デレクがアップで映っている希少ビデオだ!
http://www.youtube.com/watch?v=2QekOFHFThc

2011年5月10日火曜日

夏の陽気

 初夏どころか夏の陽気になってきた関東です。あっちこっちで冷房使ってるけど、大丈夫なのか?
 さて、「初夏の陽気」の記事の写真は日曜日に撮ったものですが、翌月曜日もまた同じ場所で撮影。1日でバラもアヤメもどんどん花が開いています。



 このバラは猫スポットのバラ。


 ここは門が閉まっていて入れないのですが、地震で壊れたお墓がまだそのままに。その近くでツツジが咲いています。

 そして、猫たち。



2011年5月9日月曜日

初夏の陽気

 日曜日は初夏の陽気でした。近所の小さな公園の花。バラはまだつぼみが多く、これからのようです。




 猫スポットのツツジは満開。



 お昼寝中。


2011年5月6日金曜日

マーティ

 若い頃に見逃した名作って、意外に見逃し続けてしまうものですが、50年以上前のアカデミー賞受賞作「マーティ」も、私にとってはそんな1本。
 お金のかからない地味な小品ながら、作品賞や主演男優賞(アーネスト・ボーグナイン)を受賞したこの映画、存在はもちろん、中学生の頃から知ってました。日曜洋画劇場でテレビ放送されたときはまだ小学生だったので、見ていなくて、その後映画ファンになって存在を知るようになったものの、なぜか見るチャンスがなく、長い時間が経過。そういう映画はDVDがあるのを見ても、かえって手が出ないもので、長らく見ないままでしたが、ゴールデン・ウィークについに見ました。
 90分という短い映画なので、あっという間に見終えてしまいましたが、これがなんと、全然古くない。むしろ、今の日本の婚活状況にも意外とぴったりな映画なのでは、と思ってしまいました。
 主人公は34歳になってもまだ彼女いない歴続行中の34歳の太った男。弟や妹はみんな結婚したのに、と周囲から言われ続け、自分もあせってはいるのだけど、婚活してもふられて悲しい思いをするばかり。彼自身は高校時代は優秀だったのに、貧しさと戦争(第二次大戦)のために大学進学をあきらめ、今は肉屋の店員をしている。しかし、頭のよい彼には店主から店を買わないかという話が来ていて、この店が繁盛していることを知っているし、近所に次々できるスーパーに対抗する策も考えている。つまり、経営の才があるわけです。
 彼には独身の友人たちがいて、合コンならぬ男女が知り合うためのダンスパーティに彼を誘う。そこで、ふられて泣いている29歳のもてない女性と出会い、意気投合、交際を始めようとするが、そこに親戚の嫁姑問題が発生、主人公の心理にも影響が、という、まるで日本のような展開。日本での公開当時も、アメリカも日本と変わらないんだ、と、観客の共感を呼んだようです。
 日本と変わらない1つの理由は、主人公の家族がイタリア系で、しかも貧乏なので、親の家に子供夫婦が同居しているからなのですが、母親の家に住んでるくせに、嫁姑問題が発生すると、母親の方が家を出るというのはねえ(出ていくべきは息子夫婦の方でしょう)。
 主人公の男女の会話の中に、親が自分を頼っているからこれができない、とお互いに思っているが、本当は自分たちの方が親離れできないのだ、という台詞があるのですが、嫁姑問題では嫁の言い分にけっこう説得力があって、母親側の方が古いと感じるのも、現代でもリアルです。この辺の親離れ、子離れできない人たちの描写もけっこう今日的だったりして。
 主人公が連れてきた女性が大卒の高校教師だとわかって、大卒の女は、とかいって母親たちがケチつけるのは当時の女性の状況がよく出ている感じですが、早く結婚しろという親が、いざ恋人連れてくるとケチつけるっていうのはよくあるパターンかもしれません。
 それでも主人公は彼女に電話して、交際を本格化させようと思うのですが、そこにたちはだかるのは独身男たち。一番悪いのは実はこいつらで、合コンダンスパーティに来る独身男たちの大部分は(そして女たちも)まじめに婚活しているわけではないやつらだということがよくわかります(合コンも同じでしょ?)。主人公の2人のような、まじめに結婚相手を探している人は、こういうところではまず理想の人に会えない、というのもよくわかります。主人公2人はラッキーだったけど、まじめで善良な男女はこういう方面の情報に疎くて、まわりに振り回されてしまう、ということもわかります。まじめに婚活したい人は、この映画を見た方がいいのではないかな?

2011年5月5日木曜日

みどりの日

 5月4日はみどりの日で、六義園が入場無料でした。知らなかったけど、たまたま通りかかってラッキー。
 入口にツツジの地図が出ていましたが、震災で立ち入り禁止区域が。

 すっかり緑です。

 ツツジはまだ咲いていない木もあり、まだまだこれからのようです。

 花の上で蝶が羽ばたいているののですが、縮小したのでわかりづらい。

 ピンクのツツジ。

 池のカメが石の上に。

 震災に関係なく立ち入り禁止の橋。

 藤棚も花盛り。

 枝垂桜の木にとまる鳥。

 枝垂桜もすっかり葉桜に。今年は咲いているときに来なかった。