2011年12月31日土曜日

大晦日

今年もあと20時間余りかあ…。
 で、写真で振り返る極私的2011年。
 まずは1月。初めてUR賃貸に応募(はずれ)。ヌーヴェル赤羽台。おそらく二度と行くことはあるまいと思いつつ、写真を撮る。

 3月11日の大地震。都心の墓地もこのとおり。

 諸般の事情で、上野さくら祭りは中止。

 4月。デレク・プラントがアシスタント・コーチをつとめるミネソタ大学ダルース校のホッケー部が初の全米チャンピオンに。

 6月。念願の引越を果たす。屋上からスカイツリーの見えるマンション。

 あとは写真はないのですが、
 4月から某大学で映画の講義を始める。毎週2コマ分の講義の内容を作らないといけないので、とても大変だった。でも、とてもやりがいがあり、学生の反応もよかったので、一安心。来年はマンネリしないようにしなければ。
 今年は翻訳を1字もしなかった。これはめずらしい。出版翻訳の仕事はめったにないが、それでも、なんだかんだで、細かい翻訳の仕事があった。その細かい仕事がまったくなかった。
 3・11のあと、妙に吹っ切れたのが、翻訳の仕事へのこだわりだった。小説の翻訳がしたいといろいろがんばってみたが、現実はきびしく、それでも何とかならないかと、読書会に出てみたり、リーディングをさせてもらおうとしてみたりしていたが、3・11のあと、何か、未練が消えたような感じになった。
 もう1つ、吹っ切れたのはデレクへの未練。デレクが日本を去ってから、ネットでデレクを追いかけ、時々、ファンレターやグリーティングカードを送っていたが、もちろん、反応はなく、それが未練を加速させたのだが、5月に全米チャンピオンおめでとうのメールを送ったら、すぐに返事が来た。うれしかった。釧路を去る前のクレインズの祝勝パーティで、デレクとろくに話せないまま、彼が帰国してしまったので、未練が残り続けていたのだけれど、メールが来たら、何かそれで吹っ切れてしまった。とりあえず、クリスマスカードは送ったけどね。応援はしてますよ、デレク。いつか、セイバーズのコーチになってくだされ!
 そのセイバーズ、今季は全然だめだね。けが人多数もあるけど、リンディ・ラフHCがもう限界じゃないかと言われている。なにしろデレクが現役だったときからいるんだから。
 そしてアジアリーグはクレインズが…。しかし、アジアリーグにも震災の影響は大きく出ています。
 今年は新しく始まった映画の授業の準備で、映画があまり見られなかった。映画の授業をすると映画が見られないって、どうよ、と思いますが、けっこうそれが現実なのです。映画作りをしている人たちは映画があまり見られないといいますからね。映画評も、今年は古い映画の紹介記事が多かったです。その中で、「猿の惑星:創世記」など、じっくり書けた評論もありました。
 というわけで、まだ大晦日は20時間以上あります。行きつけのプールが休みに入っているので年末年始もやっている新木場のプールへ行こうかと思っていたら、なんと、コミケが大晦日までやっているのだと。うーむ、去年もコミケ帰りのお客さんを横目で見ながらだったような気がする。まあ、明日は明日、目が覚めてから考えよう。

2011年12月30日金曜日

冬の室温

鉄筋コンクリートのマンションに引越したら、隙間風すーすーの木造アパートより寒い…。
 確かに、その木造アパートは南向きで、冬は南の窓の上の方しか日があたらない(目の前に家があるから)とはいえ、上の方に日があたるだけで相当違ったな、と思います。今のところは鉄筋だけど古いマンションなので窓が多く、しかも北西向きなので、冬は日がほとんどあたりません。
 で、今の部屋の室温は、電気ストーブしか使ってないので、ただいま9度。これでも高い方だ。朝、目が覚めると、といっても私の場合、目が覚めるのはほとんど昼なのだが、それでも室温は5度か6度。お昼ごろには外は10度近くまで上がってるのに、この室温。窓を開けると少しあがって7度というのがなんともいえない。太陽がのぼったら窓開けた方が室温があがる。
 で、世間様の室温はいったい、と思って調べてみたら、20度でも寒いと書いてある。ぬわんだと! だいたい23度くらいがいいらしい。北海道だと外が寒いので25度以上じゃないとだめだとか。外の気温も影響するようだが、それはわかる。
 前に住んでいた隙間風すーすーの木造は、それでも狭かったので、電気ストーブで10度以上になってたと思う。今のマンションはとりあえず、ロフトがあったりして、広い。なので、9度。うーむ。
 その前の前に住んでいた木造のアパートは、なぜか、冬があったかかったです。木造のアパートとしては比較的新しかったので(でも築20年以上)、断熱効果があって、夏は外が涼しくなっても室温が下がらず、とにかく暑かった。しかし、冬は窓をあけたままでいても平気なくらい暖かかったです。今にして思うと、1階の大家さんの部屋で暖房をがんがん炊いていたのだな。そのあとの隙間風すーすーの古い木造は、下に誰も住んでいなかったので、寒かったです(でも、隙間風すーすーなので、夏の夜は比較的涼しかった)。
 私は昔から電気ストーブなので、とりあえずそれで体を暖めておけばいいという感じでやってきましたが、世間は室温20度でも寒いのか。部屋全体を暖めるからでしょうね。それで、乾燥するから加湿器使ったり、窓に結露したりするのでしょう。うちみたいに室温9度だったら湿度は低くならず(気温が低いと少ない水分でも湿度は高くなる)、加湿器なんか必要ないし、窓に結露もしません。
 前のアパートでいやだったのは近所にエアコンの室外機が10台以上あって、それが夏も冬もうるさくて、特に冬の夜に室外機が朝まで鳴りっぱなしだったのが一番いやでしたが、今のところは室外機の騒音はありません。近所に室外機はあるんだけど、うるさいのはない。特に夜中はない。エアコンで暖をとってるような人が住む地域と、別の暖房を使う家が多い地域の差かな、と思います。夜中もずっとエアコンの暖房つけっぱなしかあ、さぞかし朝はあったかいでしょうね。私は顔が寒くて目が覚めますよ。でも、部屋全体を暖める気は、今のところ、ありません。

2011年12月29日木曜日

年末の猫

久しぶりに明るいうちにカメラを持って散歩しました。
 いつもの場所でよくお出迎えしてくれる猫。

 これもよく会う猫。が、前は毛が真っ白だったのが、薄茶色になっている。

 この子もよく会う。相変わらず元気で走り回っている。

 この猫は時々かな。

 久しぶりに会えた猫。覚えていてくれたのだけど、ほかの猫たちが来たので、ご機嫌斜め?

2011年12月28日水曜日

いろいろ

2011年もあとわずか、しかし、ここに来て…
 実は、ブロガーでやってる他のブログに投稿できないことがわかりました。
 というのは、IE7に対応しなくなっているからとのこと。
 しかし、なんでこのブログは大丈夫かというと、毎日、統計にアクセスしているため、そこに直接アクセスすることで投稿もできているのです。
 だが、ここもいつ投稿できなくなるかわかりません。前にもブロガーに投稿できなくなって、前のさーべる倶楽部3にお断りを書いたことがありますが…。
 グーグルが推奨するクロームなんたらを使えばいいらしいんだけど、うーむ。それよりそろそろXPは卒業してウィンドウズ7のパソコンを買うか…。
 正直、あまり進化しないブログの方が便利です。最初に利用したライブドアも進化して対応できなくなってしまったのだよね。
 というわけで、ここが長期間更新されない場合は、タイトルの下の文章の中の「前のブログ」というところをクリックして、さーべる倶楽部3を見てください。

 2年前、日本から撤退したウェンディーズが再上陸したとかで、表参道の店には早朝から行列とか。2年前の大晦日、銀座の店に並んで食べたのを思い出しました。寒かったなあ。中はすいているのに、買うのに時間がかかるので、40分くらい並んだ記憶がある。表参道以外にもどんどん店を出してくだされ。
 年末ジャンボは買いませんでした。夏に、西銀座チャンスセンターの1番窓口でサマージャンボを買った話を書きましたが、なんと、3000円が当たりましたよ。300円も当たったので、しめて3300円。300円の得(たいしたことないが)。で、それに味をしめて年末も買う、なんてことはしません。逆に、3000円当たったから、しばらくは運がないと思って、やめました。実は宝くじは去年の年末ジャンボで初めて買って、サマージャンボは2回目だったのです。2回目で3000円当たったから、当分何も当たるまい、と思ってます。しかし、当たった宝くじは、10枚セットの一番上のものだったのです。一番上は袋を開けなくても番号が見えるのですが、買ったときは、やだな、この番号、と思ったのに、その番号が当たりでした。下2桁ですけどね。その西銀座チャンスセンターも、たまたま通りかかったら、ほとんど人がいなくて、じゃあ、有名な1番窓口で買ってみるか、と思って買ったので、そういう状況でなければ買わなかったかもしれません。そういう、何かピンと来るものがあったときに買うといいのでしょうね。

 27日はおそらく今年最後の試写になると思いますが、「オレンジと太陽」と「しあわせのパン」のハシゴをしてきました。
 「オレンジと太陽」はケン・ローチ監督の息子、ジム・ローチ監督の初監督作で、1970年代はじめまでイギリスで行われていた児童移民の実態を暴露する実話の映画化です。イギリスでは大英帝国の植民地にイギリス人の数を確保するために、17世紀頃から子供を強制的に移民させていたようなのですが、この映画で問題にされているのは、20世紀中ごろ、1950年代前後の時期のオーストラリアへの児童移民です。この時代はオーストラリアは白豪主義という、オーストラリアには白人しか移民させないという、オーストラリアを白人だけの国にしようする政策をとっていましたが、そのためにイギリスの児童移民を大勢受け入れていたようです。この児童移民はイギリス政府と教会関係の団体が組織的に行っていて、親がいても親には養子に出したとうそをついて、恵まれない子供を大量に移民させていたようです。そして、移民した子供を待っていたのは虐待と強制労働。幼い子供に、おまえたちは食べさせてもらっているのだから働け、と重労働をさせたり、性的虐待があったりと、これが20世紀後半の民主国家のできごとか、と思うほどひどいので、あぜん。さらにひどいのは、この問題の調査をする女性(実在の人物)に向かって、教会関係者が、スラムの貧しい子供を助けてやったのだ、とか、児童移民にかかわった人々を傷つけるな、とか、あんたら、何様、という態度。でも、こういう態度って、日本にもあると思わざるを得ないのもまたなんだか。
 映画そのものは監督の父親ケン・ローチほどの演出の冴えはないのですが、とにかく題材が題材なので、ひきつけられます。特に後半、人里離れた山奥の修道院のような場所で起こっていた虐待にはあぜんとしてしまいますが、こういう面は確かにキリスト教会の一面としてあるというのはほかの映画などでもわかるので…。このクライマックスの部分の、神父たちがヒロインにお茶を出すときのいやがらせがなんともまあ、せこいといえばせこいのだけど、このシーンはなかなかのものです。
 親がいないとか、そういうハンディキャップを背負った子供たちに、養ってやるんだからかわりに、という、子供の心に借りを作らせて利用する、というのは、本当に許せないです。

 もう1本、「しあわせのパン」は、北海道の洞爺湖を見下ろす丘にある実在のパン・カフェでロケされた映画で、最近はやりのフードコーディネートされた癒し系の映画ですが、荻上直子監督の映画などに比べてかなり落ちます。風景があまり美しくなく、料理もおいしそうに見えない。脚本もどこかで見たようなベタな内容で、感心しません。北海道の企業がたくさん協賛しているので、四つ葉バターとか出てくるのかな、と思いましたが、そういうベタな商品は出てきませんでしたね。

2011年12月25日日曜日

クリスマス・イヴに

「アラビアのロレンス」完全版DVDを見ている私っていったい???
 まあ、仕事で見てるんですけど。
 実は、私、「アラビアのロレンス」は高校時代にリバイバルで1回見ただけなんですよね。完全版は初めてです。
 やっぱり、高校時代とはだいぶ印象が違いました。有名なシーンはだいたい覚えていましたが、後半は今の方がずっと理解度が高い。ピーター・オトゥールの狂気の演技が前半からちらちら見えているのがすごかった。
 映画の後半、ロレンスがトルコの軍人に捕らえられて拷問されるシーンですが、高校時代、女子の間で話題になったのはあのシーンでした。ロレンスはなぜか女子に人気があって、私の友人にもロレンス・マニアがいて、よく知っていましたが、彼女によると、ロレンスはあそこでトルコの軍人にレイプされたのだと(実話)。完全版はその辺を補うシーンを加えているということですが(メイキングを見ると、このシーンには追加はないようです。「スパルタカス」と混同したようだ)、昔見たヴァージョンとの違いはもはや記憶の彼方でわかりません。
 「アラビアのロレンス」は、女性の映画の傑作をいくつも撮っているデイヴィッド・リーンにしてはめずらしく(?)、女性が背景にほんの少し登場するだけの、一見、男臭い映画なのですが、実際は、オトゥールのロレンスがなんとも女性的なところがあって、やおい好きの女子をはじめ、女子に人気のある映画なんですね。高校時代、クラスの女子の間でも人気でしたが、その一方で、生徒に嫌われていた数学教師がこの映画が好きで、授業中にこの映画の話をするもんだから、女子は複雑でありました。
 ロレンスはアラブでは全然英雄ではない、と言われますが、この映画も、ロレンスは作られた英雄だということを強調していて、決してアラブ側の見方と矛盾するわけではないと思います。ひところ、なぜか、リーンの映画が評論家のバッシングの対象になっていた時期があって、「インドへの道」なんか、当時の人気映画評論家で大学の研究者がひどい評論を雑誌に書いていて、私は怒り心頭だったことがありますが、その後、別の大学の先生が英米文学を映画で紹介みたいな本を書いて、そこでやっぱり、リーンの「インドへの道」を不当にけなしているので、またまた怒り心頭でした。「インドへの道」は、E・M・フォースター原作の映画化の中では最高傑作だと私は思っていますが、「眺めのいい部屋」などのジェームズ・アイヴォリーを支持する人たちがリーンをけなしている時期もあって、ほんと、怒り、怒り、でしたが、最近はリーンへのバッシングは見なくなりましたね。やっと世間もまともになったのね。逆にアイヴォリーへの風当たりが強いみたいですが(アイヴォリーもそれなりにいい監督)。

 話変わって、アジアリーグ。札幌で日本の4チームの集結戦が行われています。土曜日はクレインズとバックスが勝ちました。クレインズの試合はFMくしろがネットで中継してくれたのでよかった。やっぱりネットラジオはいい。臨場感があります。
 また、土曜日は1月の東伏見の日韓集結戦のチケットの前売りも始まりました。午後の早い時期にアクセスしたら、ビジター側のいい席はけっこう売れていた。チケットぴあはホーム側はベンチ裏が出てこないので、今回もビジター側のベンチ裏を買いましたが、今月の日韓集結が事実上、集結ではなかったので、1月の集結に期待してチケットを買う人が増えたのかもしれません。1月は通しで2試合見られるので、本来の集結の楽しみが期待できそうです。

2011年12月24日土曜日

復活

上野公園恒例の冬のイルミネーション、今年はやめてしまったのかと思ったら、クリスマス前に復活していました。


 いつもはさくら祭りまでこれをやっているのですが、今回はいつまでになることやら。さくら祭りは中止じゃないよね、来年は?

2011年12月23日金曜日

翻訳の感覚

女性のせりふをやたらと「だわ」とか「わよ」とか訳すのはへたな翻訳なのだそうです。
 あー、そーですか、私はへたな翻訳者なんですね、だから仕事がないんですね、わかりましたよ。
 と怒っている……なんてこたーありません。私くらいの年になると、そういうことには達観してるものです。
 1年くらい前、ある読書会で、20年以上前の翻訳ミステリーの読書会をしたとき、翻訳が「だわ」とか「わよ」とかが多いという批判が出ました。どうも、最近というか、最近じゃないのかもしれないけど、女性のせりふをこういうふうに強調した訳はだめな訳、というのが、文芸翻訳の世界では常識になっているみたいですね。
 しかし、文芸翻訳の王道を歩いたことがなく、ひたすらわが道を行く私は、そんな「常識」になんぞ負けたくはありません! なので、私は、この翻訳は、女性ばかり大勢登場する作品を、こうした色をつけることで、人物を個性豊にしている、また、この作品は演劇の手法で描かれているから、演劇的な強調はむしろ効果的である、と主張しました。幸い、私の主張に賛同してくれる人がいて、その場では、これはやはり名訳であるという結論になりました(私が押し切った感はあるが)。
 しかし、実際のところ、世間はやはり、現実の女性は「だわ」とか「わよ」とかあまり言わない、だから翻訳でもそういう表現は使うべきではない、という風潮のようです。実際、私がけんかしたある出版社では、私が男女の主人公が計8人も登場するロマンス小説を、1人1人違った口調で翻訳し、そのため、「だわ」や「わよ」はもちろん、俺とかぼくとかわたしとかあたしとか、1人1人を誇張した訳にしたのですが、その出版社は外部の編集者に全面リライトさせ、その結果、男は全員「俺」、女は全員「わたし」、口調も全部同じ、という、個性も何もない翻訳になっていました。当然、私はその翻訳の出版を拒否(別の人が新たに翻訳して出版)。以後、文芸翻訳の仕事は来ていません(もう9年前の話だ)。
 その頃、故・山岡洋一氏が、最近の翻訳は男も女も同じような口調でしゃべると、文芸翻訳を批判していましたが、たぶん、それは、私が反発した翻訳の常識のことを言っていたんだろうと、勝手に思っていました。
 その読書会では、私の言い方があまりにも強烈だったせいか、反論もなく、私の主張が一応、通ってしまったのですが、それでも、現在では、かつてのような、演劇的に人物を強調する訳し方が、今の読者には違和感を感じさせるということはわかりました。勝手にリライトして、8人の男女の区別をつかなくさせた出版社は、実は、今の読者にとってはいいことをしたのかもしれません。
 その後、私が文芸翻訳にアプローチすること自体をやめてしまい、翻訳そのものをあきらめてしまったのは、現在の読者の翻訳の感覚と、私の感覚が完全に異なってしまったと感じたからです。実際、私にとっては名訳である翻訳が、今の人には名訳ではないらしいと感じることが増えてきました。
 今年度は大学の講義で「グレート・ギャツビー」を扱ったので、久しぶりに野崎孝訳を再読しました。野崎孝は私の好きな翻訳者の1人で、「ライ麦畑でつかまえて」とか、本当に好きなのですが、現在では「ライ麦畑」の口語は古くなってしまっているというのは理解できます。また、「ギャツビー」の翻訳を今、読み返すと、意味不明な訳文があって、ここは改訳すべきだな、と思いますが、その一方で、この野崎節は最高だ、と思うところも多いのです。
 今、野崎節、と書きましたが、こういう、翻訳者の個性みたいなのが、現在の文芸翻訳ではあまり好まれないようです。それほどの個性のある翻訳者が今はいない、というのもあるし、日本語に対する感覚自体が変わったのだとも感じますが、まあ、こういうことを考えると、自分はやっぱり古い人間だな、やっぱり、古い人間が訳すと、今の人には古いんだろうな、と思わざるを得ないのです。まあ、私の好きなものは命をかけて守りますけどね。生きてるうちはね。未来のことはわかりません。

銭湯…

長い間、通っていた銭湯が、2ヶ月かけて全面リフォームして、新規開店しました。
 そこはかれこれ25年くらい前から通っていた銭湯で、古くてあちこち汚れが目立っていたり、シャワーが壊れていたりしていましたが、番台の女性がとても感じがよくて、好きな銭湯でした。
 4年前にシャワーのある部屋に引っ越したあとも、週に一度はお湯につかりたくて通い、今年6月にバスタブのある部屋に引っ越したときも、引越当日はその銭湯へ行きました。
 その後、夏なのでシャワーだけでいいや、という日が続き、10月になって、久々に大きな湯船につかろうと、その銭湯へ行ったら、なんと、リニューアル中で、休業。引っ越した部屋は当初、浴室に問題があったものの、その後、大家さんが風呂釜とバスタブを新しいものに替えてくれて、とても快適になったので、銭湯へ行く必要をあまり感じなくなりましたが、それでも銭湯の大きな湯船がなつかしいので、12月中旬に新規開店したらぜひ一度、行かなければ、と思っていました。
 そして、冬至の22日、銭湯はゆず湯。というわけで、リニューアルしたその銭湯へ行ってみたのですが……かなりがっかり。
 たしかにすごくきれいになってるんですけどね。でも、感じのよかった番台の女性はいなくて、入り口の受付に若い男性がいるだけ。券売機で券を買って、その男性に渡して、男女それぞれ、別々の入り口から入るのです(最近は、女性が番台にいると恥ずかしいと思う男性が多いので、受付式の銭湯が増えているようです)。下駄箱も一箇所しかなく、男女一緒。なんだかなあ。
 中はきれいなんですけど、前に比べてずいぶん狭く感じました。しかも、前に比べてお客さんが多い。きれいになったせいか、若い女性が増えてますな。前はおばさん、おばあさんばっかりだったよ。
 ゆず湯とはいっても、ゆずが入った袋が湯船に浮いているだけで、匂いも何もしないので、ゆず湯に入った気がしないのもがっかりでした。
 以前は、脱衣所に新聞が置いてあったり、ドリンクを売っていたりして、お風呂から出たあと、ドリンクを買って新聞を読んだりしたものですが、ドリンクも新聞も外に出ないとないみたいでした。脱衣所も狭くて、落ち着かない。くつろぎの場所ではなくなってしまったなあ。
 以前は銭湯というと、お年寄りのくつろぎの場所で、番台の女性とお客さんの交流があったりしたものですが、今度リニューアルしたのは本当に、ただ入って出るだけね。つまらん。結局、番台の女性と最後に会ったのは、6月に行ったときだったということになってしまいそうです。経営者もかわったのかもしれない。
 というわけで、この銭湯は多分、もう行かないだろうと思います。しかし、たまには銭湯に行かないと気がすまない性格なので、ほかをいろいろ開拓することにします。

訃報

水曜日に森田芳光監督が亡くなったというニュースを知り、あまりに急なことで、頭の中が真っ白になってしまった。毎年、順調に新作を撮っていて、来年春に公開の最新作の試写が始まっているという情報をもらったばかりだった。
 年齢はすでに61歳だったが(自分の年を考えれば、不思議ではない)、まだまだ進化の途中という感じがしていだけに、まるで映画がいきなり途中で終わってしまったような、そんな不完全燃焼な気持ちがぬぐえない。
 森田監督の映画については、ここ数年、映画雑誌で時々語らせてもらってきて、それもまだまだ続くと勝手に思っていたのだが、運命というものは本当に先が見えない。
 とりあえず、私の好きな森田芳光監督作ベスト5を(製作順)。
「の・ようなもの」
「ときめきに死す」
「それから」
「(ハル)」
「39 刑法第39条」
 最も名高い「家族ゲーム」が入っていないが、好きな映画と優れた映画はちと違うものなのですよ。でも、最高傑作なのは確か。
 森田監督の視線というのは、とにかくユニークで、普通の人とはあまりにも違いすぎて、理解されないことが多かったようだ。それでも、その違いすぎるユニークさを発揮した作家の映画を30年も撮り続けてこれたのは、熱心な支持者が少なくなかったからだろう。アートと娯楽映画の境目で、自分の個性を追求し続けることのできる人はめったにいない。外国で常に新作が話題になる監督でもなければ、大ヒットを飛ばし続ける監督でもなかったのに、それができていたというのは、ある意味、幸せだったといえるかもしれない。

 先月はケン・ラッセルが亡くなりました。こちらはすでに80代。日本ではすでに長い間、新作が公開されていませんでしたが、moviedatabase.comを見ると、テレビムービーやドキュメンタリーを最近まで撮り続けていたようです。
 で、私のケン・ラッセル、ベスト5はこれだな。やはり製作順。
「恋する女たち」(文句なし、ベストワン!)
「ボーイフレンド」
「リストマニア」
「バレンチノ」
「ゴシック」

 お二人のご冥福をお祈りします。

2011年12月21日水曜日

ロバート・レッドフォードと「追憶」

ここ3年間、大学の授業で「グレート・ギャツビー」を扱っていたので、ロバート・レッドフォード主演の「華麗なるギャツビー」を見る機会がかなりありました。
 この映画、脇役のカレン・ブラック、ブルース・ダーンなどはすばらしい名演技をしていて、ヒロインのミア・ファローもデイジーの軽薄なところがよく出ていて、悪くないのですが、主役のギャツビーを演じるレッドフォードだけが完璧な大根。全然演技してないみたいなのです。
 やっぱりレッドフォードは美男なだけの俳優だったのかな、と思ってしまうところなのですが、先日、「追憶」を、本当に、本当に久しぶりに見直しました。
 レッドフォード、うまいじゃないか!
 うーむ、やっぱりギャツビーは、演技に身が入ってなかったんですね。「追憶」の演技は、本当に、身が入った、みごとな演技です。
 「追憶」を見たのは、大学に入った年で、試写会に何度も応募して、試写会で2回見て、映画館でも2回見て、その後はレーザーディスクを持っていた時期もあり、何度も見ているので、かなりのシーンを記憶していました。冒頭、バーブラ・ストライサンドのボーイフレンド役でジェームズ・ウッズが出ていたりして、そういう面からも、何度も見た映画でした。
 で、今回、DVDで見直して、そのあと、監督のシドニー・ポラックや、脚本のアーサー・ローレンツや、ストライサンドなどが回想するドキュメンタリーの映像特典を見て、なるほどなあ、と思ったところがありました。
 実は、ポラックは重要なシーンを2つカットしてしまっていて、ストライサンドとローレンツは残念に思っているのだということ。1つは、ストライサンドのヒロインが、UCLAのキャンパスのそばを通りかかり、そこで、赤狩りで職を失う教師たちのために戦おう、という女子大生の姿を見て、若い頃の自分を思い出すシーン。赤狩りというと、ハリウッドの映画人が仕事を失ったことばかりが言われますが、教師など、他の職業でも仕事を失う人が多かったのだそうです。
 そして、もう1つは、冒頭のシーンでウッズが演じたボーイフレンドが、赤狩りで、自己保身のためにヒロインを密告し、そのために夫のレッドフォードがハリウッドでの仕事を失う危機となり、ヒロインは自分の信念を守り、なおかつ夫を守るために離婚する決心をしたというシーン。このシーンがないと、夫婦は夫の不倫のせいで離婚したようにしか見えない、とストライサンドは言っています。
 公開当時、夫婦が離婚したのは、不倫のせいではなく、妻の活動によって夫の立場が不利になるから、ということは、日本の映画雑誌にも書かれていました。だから、私は、離婚の原因は、妻の政治活動だと思っていました。つまり、公開当時、すでに、カットされた部分が言わんとしていたことはわかっていたわけです。
 ポラックは、政治的なシーンをカットしたら、観客に受けた、と言っています。カットしても、当時の観客には政治的な意味はわかったのでしょう。でも、今はどうだろうか、と思います。
 その一方で、政治的な部分を強調しすぎると、映画の魅力が損なわれる、というのも理解できます。どこかあいまいな方が魅力的になる場合も多いのです。
 それにしても、UCLAで、赤狩りの犠牲になる教師を救おうと叫ぶ女子大生のシーンはショックでした。かつて、ヒロインが大学で演説したときは、多くの学生が聞きに来ていたのに、この女子大生の意見を聞く人は誰もいない、ということに愕然とします。この時代のアメリカがいかに危機的であったかということを示すシーンなのかもしれません。

2011年12月18日日曜日

12月17日@東伏見(2)

今日はアリーナには行きませんでした。
 が、なんと、第1試合でラドンくん、2ゴールじゃありませんか。私の行かないときに限って、なぜ活躍する? 今季限りだろう、と書いたのが伝わったのか? まあ、それはありえないですが。
 今日の昼間は、釧路では崖っぷちのクレインズがなんとか勝ちました。よかったね。
 で、昨日の写真の続き。
 まず、第1試合の記念フェイスオフ。

 ダーシ。ちょっとカメラ目線かも?

 ハイワン勝利。3人の日本人選手たち。

 第2試合。ハルラの守護神オム・ヒョンスン。後ろにいるバックスの選手はボンクとソン・ドンファンですね。

 バックスの守護神、福藤豊。

 ラドンくん。やっぱり練習中はラドンくんばかり撮っていた。

 福藤のマスクの裏側の絵。

 中央の選手が存在感大のジャックマン。

 勝利のあと。ラドンくん、ど真ん中にいます。

 バックスの選手とハルラの選手が握手をしたあと。こちらは真ん中にジャックマンが。右端はラドンくんだけど、ピンボケしてしまっている。

 アウェー側にいたので、バックスとブレイズの選手はあまり撮れませんでした。

12月17日@東伏見(1)

12月17日と18日は、東伏見のアリーナで日韓集結戦です。が、しかし、今年はなぜか、入れ替え制。チケット別に買って、第1試合終わったらいったん外に出て、また入って第2試合を見る。めんどくさい。でも、ラドンくんとダーシが見たい。とりあえず、第1試合フリーブレイズ対ハイワンの前売り自由席を買って、当日、第2試合バックス対ハルラの自由席を買うつもりで行ってまいりました。当日券は午後1時に売り出していたので、入る前に第2試合のチケットを買って入りました。
 で、結論。
 やっぱり入れ替え制はめんどくさい。
 通しじゃないと集結の特別なイベントという感じがしない。グッズ売り場とかもほとんどなく寂しい。外の屋台も寂しい。
 第1試合のブレイズは機械をいろいろ使って存分に演出していたが、第2試合のバックスは前もっての設営が許されず、そうした機械を使う演出ができなかった、というのもあんまりだ。
 そして、肝心の試合。
 第1試合はまったりすぎて緊張感も何もなく、寝てしまいたくなるような試合だった。前売りはチケット代500円、発券手数料105円で、合計605円だけど、その価値しかない試合だった。ハイワンの3人の外国人はすごくいい。
 第2試合は第1試合に比べたら緊張感はあったけど、なんか今ひとつ盛り上がらない感じがした。ハルラの守りは相当いい感じ。ラドンくんは存在感なく、ジャックマンがやたら目立っていた。アイスタイムもかなり多い感じだった。チケット代は当日券で自由席1300円だったけど、まあそのくらいの価値の試合だったと思う(第1試合の2倍以上は面白かった)。
 ハイワンのダーシは去年に比べて存在感が希薄だった。ダーシと、ハルラのラドンくんは今年限りかもしれないと思った。

 そんなわけで、土曜日にもらったもの。
 ソン・ドンファンの上半身ヌード写真が配られてました!!!

 第1試合はブレイズがレーザー光線やら何やらで派手に演出。

 マスコットがグッズを客席に投げ入れる。

 スポンサーの名前を書いた小型飛行船(風船)が場内を何度もまわっていました。


 機械の設営が許されなかったバックスは、子供たちを動員。

 ベンチにはシカッチの大きなぬいぐるみ。このほか、セルジオ越後のトークがインターバルにありましたが、アウェーのゴール裏では、音響が悪くて声がまったく聞き取れませんでした。

 ブレイズはアウェーのゴール裏に置いたスピーカーがものすごくうるさくて、バックスもこれ使うのかと思ったら、使わなかったので助かりました。そのかわり、ハルラ応援がうるさかったが。
 釧路ではクレインズ対イーグルスの試合があったのですが、どっちもぐだぐだだったとかいうことが某ブログに…。要するに、何ですか、日本の4チームは心はもう札幌に行っているってことなのでしょうか? そう思ってしまうくらい、東伏見もなんか盛り上がらない集結でした。

2011年12月17日土曜日

名残りの秋

もうとっくに冬ですが、金曜は夕方まではなんとなくぽかぽか。が、夕方から突如として冷たい風が吹き始め、夜には冬になっていました。
 もうほんとに少なくなってきた紅葉。

 黄色いイチョウと赤い楓のハーモニー。

 赤い実のなる枝にイチョウの葉が落ちている。

 椿。けっこう花びらが散っていました。

 そして猫。

2011年12月11日日曜日

皆既月食

帰り道、空を見上げたら、月が欠けていました。あれ、満月なのに、と思ったら、月食だった。
 ネットで調べたら、午後11時すぎから12時少し前まで皆既月食になるとのこと。
 うちはベランダがルーフバルコニーみたいな感じなので、ベランダに出て見上げれば、ほぼ真上に月があります。ずっとベランダにいるのも寒いので、時々、のぞきに出ては部屋に戻る、という繰り返し。そしていよいよ、皆既月食に突入。
 23時03分。皆既月食は05分からです。

 23時07分。地球の影に月が完全に入りました。が、まだ白い光が見えている。

 日付変わって0時07分。上の写真からちょうど1時間。すでに皆既月食は終わって、左下に白い光が見えています。

 正直、入る瞬間と終わる瞬間はよくわかりませんでした。気がついたら入っていた、終わっていた、という感じ。皆既月食の最中にお風呂に入ったので、途中は見てない。2枚目の写真のあとにちょいと屋上に出てみましたが、オリオン座がきれいでした。夜空の真ん中に赤い月、そのまわりには星々が、というのもなかなか幻想的。ものすごく明るい星が1つありましたが、木星か土星でしょう。

2011年12月6日火曜日

ニーチェの馬(ネタバレ大あり)

試写状をいただいたものの、果たして見に行けるかどうかビミョーだった、ハンガリーの巨匠、タル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」。ベルリン映画祭銀熊賞受賞作。この監督の映画は「倫敦から来た男」しか見ていなかったが、せりふが少なく、モノクロのすごい映像で見せる監督という印象で、たぶん、「ニーチェの馬」もそういう映画だろうと思った。
 もともと、試写状はあまり来ない方なのにもかかわらず、週に3日、平日に大学の非常勤に行くようになったから、試写に行けるのは週2日。しかも最近は試写の回数が極端に少なく、同じような曜日ばかりだったりするものだから、せっかくいただいた数少ない試写状をむだにしてしまうことが多く(すみません)、この「ニーチェの馬」もやっぱり無理かな、と思っていたが、なんとか見ることができた。(以下、ストーリーのネタバレ大あり
 哲学者ニーチェがトリノで激しく鞭打たれる馬を見て、ショックを受け、その後、精神を病んでしまったという実話から発想された物語で、疲れ果てて動けない馬を鞭打つ農夫のシーンから映画は始まる。農夫は娘と荒地の小屋に住んでいて、すり鉢の底のような小屋からは1本の木と上り道しか見えない。毎朝、娘は井戸へ水を汲みに行き、食事はゆでたじゃがいもだけ。それを農夫と娘が手で皮をむき、手でくだいて、手づかみで食べる。鍋と皿はあるのだし、いくら貧しくても木のスプーンくらい作れそうなものだから、手づかみなのは別の意味があるのだろう、きっと。湯気のあがるじゃがいもを、農夫は全部食べ、娘は残して捨てる。
 1日目、2日目、というふうに映画は進む。なんとなく、天地創造と同じ7日間の話ではないかと、私は思う。事前にプレスをあまり読まなかったのだが、上映時間と、1日分の描写の時間から見て(時計を見なくても、なんとなくわかる)、7日ではないかと思った。だからずっと、天地創造の7日間のことが頭にあった。
 馬が動かないので、農夫はよそへ行くことができない。かわりに、外から人がやってくる。彼は、町は滅びた、神も神々も死んだ、と言う。ならず者たちがやってきて、井戸の水を奪い、かわりに本を娘に与える。ならず者たちはどこかへ逃げていくようだ。本にはなにやら聖書を思わせるようなことが書いてある。
 小屋のまわりには終始、激しい風が吹いている。水汲み、薪割り、じゃがいもだけの食事、儀式のように父親に服を着せる娘。毎日が同じことの繰り返しのように進む。しかし、何かが変わっている。
 馬がエサを食べなくなる。そして、井戸の水が涸れる。農夫と娘は荷造りして、小屋を去ろうとするが、また戻ってくる。なぜ戻ってくるのか。たぶん、ここ以外の場所は滅びてしまったのだ、と私は思う。すり鉢の底のようなこの場所、激しい風が吹き、1本の木だけが生えているこの場所だけが、この世で人が生きている場所なのだ、と。
 井戸の水が涸れたあと、今度は風がやむ。そして、ランプの火が消える。油があるのに、ランプに火がつかない。やがて薪の火も消える。
 もはや、じゃがいもをゆでることもできなくなり、2人は食べられないじゃがいもを前にして向かい合う。この日は6日目。そして映画は終わる。

 以下、テーマに関するネタバレです。

 天地創造と同じく、7日間の物語だろう、と思ったのは正しかったと確信します。
 映画は6日目で終わりますが、7日目に何が起こるかははっきりしています。
 まず、井戸の水がなくなり、次に風がなくなり、そして火がなくなる。水、風、火とくれば、次は大地です。7日目になくなるのは大地なのです。
 水、風、火、大地は、欧米では4大元素(フォー・エレメンツ)といって、世界を形作る4つの要素とされています。これらが次々と消滅していくのは、天地創造の逆まわしなのです。世界が生み出されていくのとは逆に、世界が消滅していくのです。
 農夫と娘のきびしく単調な生活は、人間の営みそのものかもしれません。食べ物がじゃがいもしかない、それも1人に1個、というのは、貧しさではなく、別の意味のような気がします。貧しさというのは、貧しくない人と比べて初めて意識されるのですが、この映画の世界では、この2人の世界以外は滅びているのではないかと思うので、貧しいと言えるような比較がないわけです。彼らを訪ねてくる男やならず者たちも、彼らに比べ、裕福とは思えません。
 じゃがいもは、フランス語では大地のリンゴと言います(ポム・ド・テール)。彼らの食べるじゃがいもは、エデンの園の果実なのかもしれない、あるいは、それに関連した別の意味のものかもしれない、と、直感的にそう思います。小屋から見える1本の木も、エデンの園の果実の木を連想させます。いや、あれは、「ツリー・オブ・ライフ」、生命の木でしょう。
 モノクロの映像は淡々としていて、「倫敦から来た男」のときのような、すごいぞ、すごいぞ、という感じではないのですが、それがかえって、寓話的な深みを感じさせます。「倫敦~」はあまり好きではなかったけれど、この映画は好きです。
 なお、映画の原題は「トリノの馬」ですが、「ニーチェの馬」よりもこちらの方が正確でしょう。ニーチェが見た馬はニーチェのものではないわけで。ニーチェの哲学はよく知らないので、こちらはちょっとわかりません。

2011年12月3日土曜日

寒い…

先週末からダウンを着ているのですが、まだ11月だったので、周囲の視線が……という感じでしたが、木曜あたりからはダウンで当然になっています。
 寒いので猫たちはどうしてるかと見に行きました。これは近所の猫。

 わりとみんな元気そう。

 真っ赤な秋。いやもう12月か。

 ところどころに紅葉が。

 久々、木登り猫を撮る。

 まだ4時半くらいですが、かなり暗くなっています。