2012年9月30日日曜日

中秋の名月

台風の中、奇跡的に中秋の名月が見られました。
午後8時頃、なぜか雨があがって、空に晴れ間が出てきて、雲間から光り輝く満月が!
カメラを持っていましたが、暗くなってからの月はうちのデジカメでは白い丸にしか写らないので、撮りませんでしたが、たまたま開けた場所を歩いていたので、ちょっとしたお月見になりました。
これから空がまた晴れてきて、見られるかもしれません。

今日は読書会が中止になって、でもまだ空は晴れてるし、で、思い立って、3ヶ月ぶりにカメラを持って猫スポットへ。久々に猫と、彼岸花と、風景写真など撮ってきました。彼岸花は赤と白が並んで咲いているのを見つけました。猫の写真撮っているといろいろトラブルもあるので、私は花の写真撮ってるんですよ、風景を撮ってるんですよ、という感じで、ごまかしながら時々猫の写真も。やがて雨になり、コーヒーショップに避難していたら、一時、すごい土砂降りになりましたが、私が外へ出る頃は雨があがってきて、満月まで見えて、なかなかに幸運な日でした(目当ての猫には会えなかったけど)。
前に書いたように、うちのブラウザでは画像をアップできないので、写真は出せないのが残念。特に紅白の彼岸花は今日の2番目にいい写真でした(1番は某猫のドアップ。下の牙が片方抜けていた。年なのかな?)。

今日は台風

文字は投稿できるんですが、写真は無理なんです。

さて、今日、9月30日は中秋の名月にもかかわらず、台風接近中。
しかも、私は某所で読書会。そのあと二次会。開催できるのか?
予定だと、二次会終了の頃に台風直撃っぽいのですが、みなさん、早めに切り上げて帰るのかな? 私は地下鉄なので、たぶん大丈夫とは思いますが。
(追記 読書会は中止となりました。)

とりあえず、中秋の名月は1日前の29日に見ておきました。時々、薄雲がかかったりしてましたが、きれいでした。谷中の墓地じゃ、公園でススキを飾ってお月見の宴会していた人たちがいてびっくり。明日は無理だから今夜やっちぇえって感じですかね。

先週から新学期が始まって、試写は見られないわ、授業の準備が大変だわ、で、けっこうストレスたまり、あまり眠れない日々です。授業が今年度の後期だけ1コマ増えたのですが、この1コマがあまり私の得意なタイプじゃないので、今からストレスたまりっぱなしです。そして、後期にはサスペンス映画の授業てのがありまして(私が勝手に作ったんだが)、最初が「羊たちの沈黙」。で、20年以上ぶりに原作を読み返し、DVDも見て、ああ、これはやっぱり名作だ、と思いました。でも、何をしゃべればいいのか、まだ考え中。早く考えなければ。

2012年9月27日木曜日

「A Life of William Inge」書評

以前、まだ読みかけの段階でこのブログに紹介したウィリアム・インジの伝記の書評を、BookJapanに掲載していただきました。
http://bookjapan.jp/search/review/201209/20120927
(リンク切れのため、次のサイトでお読みください。http://sabrearchives.blogspot.jp/2015/02/bookjapana-life-of-william-inge.html

今日は「テルマエ・ロマエ」の最新刊を買ってきましたよ。
映画は「もうひとりのシェイクスピア」については絶対書きたいと思ってますのでそのうち。
フランス映画「愛について、ある土曜日の面会室」もなかなかよかったです。
今日はアニメ「ペルセポリス」の原作者・監督の新作「チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢」を見てきましたが、1950年代のイランが舞台だけれどせりふはフランス語(一部英語)で、ちと奇妙な感じがしました。原作者はイラン出身の女性漫画家です。全体としては前作「ペルセポリス」の方がずっとよかったです。

2012年9月19日水曜日

書評「最初の人間」(A・カミュ著)

1年半ぶりに書評サイトBookJpanに書評を書きました。
アルベール・カミュの遺作「最初の人間」です。
http://bookjapan.jp/search/review/201209/20120918
(リンク切れのため、次のサイトでお読みください。http://sabrearchives.blogspot.jp/2015/02/bookjapan_37.html

また、映画化された「最初の人間」については、ブログに覚書を書いています。
http://sabreclub4.blogspot.jp/2012/08/blog-post_30.html

2012年9月14日金曜日

石丸電気が消える日

13日の夜、秋葉原を通りがかったら、あれ、石丸電気がない!
あの赤い石丸電気の印がない!
以下はウィキペディアからの写真ですが、これが従来の秋葉原の石丸電気。上が1号館、下が本館。


それが、なんと、こうなってました!

えええ、石丸電気、つぶれちゃったの? と思いましたが、石丸電気を吸収合併した会社が石丸の名を完全に消すことになったらしい。
以下、記事。
http://akiba-pc.watch.impress.co.jp/hotline/20120908/etc_edion.html
「イシマル」ブランドが消える、15日からエディオンに統一へ
石丸電気のテーマソングも消滅…


だそうです(涙)。

秋葉原の石丸電気とのおつきあいは、思い出せば、もう35年は前になるでしょうか。
ラオックスとのおつきあいもあったのですが、たいていの家電は石丸電気でしたね、あのヨドバシアキバができるまでは!
そうです、あのヨドバシアキバができてから、秋葉原の人の流れが変わり、石丸側は同人誌を求めるオタクの街と化し、石丸電気はいつ行ってもすいているようになってしまいました。
それでも、クラシックの輸入CDは石丸が充実していたので、ここでよく買ってましたが、それもしだいに店頭でCDを買う人が減ったせいか、ソフト館とかレコードセンターとか消えていきましたね。
でも、うちにあるクラシックのCDの大半は石丸電気で買ったものです。
ヨドバシアキバは広くて品揃えがよくて便利なんですけどね、実は13日もブックオフからヨドバシをまわってきたんですが…。
「イシマル~イシマル~電気のことなら石丸電気、石丸電気は秋葉原、でっかいわあ」ていう歌ももう聞けないのか。
ヨドバシカメラのテーマソングも有名ですが、石丸みたいには歌えません。新宿と上野と横浜くらいだった頃からテレビで歌は聞いてたけど、まあるい緑の山手線、真ん中通るは中央線とかいったっけ。うーん、石丸の歌の方が名曲だ。
石丸電気でもDVDは安くて品揃えがいいので買ってましたけどね。次からはエディオンと言わないといけないのか。あーあ(ため息)。

2012年9月13日木曜日

新旧携帯で撮った写真

天気予報によると、この暑さ、秋分の日まで続きそうな気配ですね。太陽の高さは確実に低くなっているのが西側の窓の日のあたりぐあいでわかるのですが、気温は相変わらず33度とか真夏。

アジアリーグも先週末から開幕して、1週遅れの釧路も今週末に開幕ですが、今のところ観戦予定はありません。デジカメも7月初め以来まったく使っていないです(暑くて写真撮りに行く気になれない)。

というわけで、機種交換した新しい携帯のカメラで、思い立ったときに写真を撮っていますが、パソコンに移すのが面倒で、最近撮った写真はまだアップできず。
なので、前にアップした西洋美術館の常設展(写真撮影可)の写真の残りをアップ。

常設展は西洋美術館の本館ですが、ここで一番好きなスポットが実はここ!
2階も展示された絵がありますが、吹き抜けで1階の展示も同時に見られるのです。
1階も2階も私好みの絵がそろっていて、好きな場所です。

このとき常設展にあった絵から。常設展はいつも同じ絵があるわけではなくて、適度に入れ替えています。貸し出し中のものもあると思います。


さて、次は新旧携帯カメラの写真。猫写真は原則載せないと決めたのですが、場所がわからないからいいでしょう。
まず、こちらは古い携帯のカメラで、原寸大です。あまりよく撮れず、小さい。原寸大は記事内のこの写真よりさらに小さいです。

同じ猫くんですが、こちらは新しい携帯のカメラ。上の美術館の絵もそうですが、こちらは原寸大だと大きすぎるので、縦横それぞれ30パーセントにしてあります。
ブログの記事内の写真はさらに小さくなっているので、クリックすると大きくなります。

というわけで、クリックすると新旧携帯のカメラの違いが歴然と。
古い携帯はかなり旧式の機種でしたが、新しい携帯は安いデジカメ並みですね。ただ、ピント合わせがイマイチなのと、シャッターの反応が遅いので、猫のように動くものはむずかしい。上の猫はひっくりがえったまま静止しているという特技の持ち主です。

2012年9月11日火曜日

ダーシ写真集2010-12

諸般の事情でクレインズを退団したダーシは韓国のハイワンに移籍。そこで2シーズン、プレーしたあと、引退しました。ハイワンではセンターとして非常によい働きをしていたと思いますが、ハイワンではプレーオフに出られなかったのが残念だったようです。

2010・11シーズンは開幕前にけがをしてしまい、古巣クレインズと当たる日韓集結には出れず。2011年になってからのバックス、ブレイズ相手の日韓集結でようやくダーシを見られました。
2011年1月22日東伏見、対ブレイズ戦。


1月23日、対バックス戦。


2011年12月17日東伏見。ハイワン2年目での日韓集結戦。相手はブレイズとバックスでしたが、試合ごとに入れ替えなのが面倒で、土日のうち土曜日の方しか行きませんでした。

2012年1月28日東伏見。北海道チーム相手の日韓集結戦。この日の相手は古巣クレインズ。


1月29日、対王子戦。この日はダーシが大きく写っている写真は撮れていませんでした。

結局、この試合が最後に見たダーシの試合になりました。もう1年くらいやるかな、と期待はしていたのですが、ダーシは春には引退と決めていたようですね。私は2005年からだったけれど、もっとずっと前から見ていた人も多いことでしょう。お疲れ様、そして第二の人生に幸あれ。

ダーシ写真集2007-10

ダーシ写真集第2弾は、ダーシのクレインズ最後の3シーズンです。
全日本選手権とプレーオフから選びました(全部見てると大変なので)。

まずはアジアリーグ2007・08シーズンのプレーオフ・ファイナル第3戦。2008年3月19日釧路。
このファイナルは王子にスイープされてしまったのでした。(ジャージの色は上位チームが選べるので、下位のクレインズは釧路でも白です。)

翌年、2009年3月1日釧路。プレーオフ・セミファイナル第4戦からの2枚。韓国でハルラ相手に1勝1敗で釧路での3連戦。この第4戦は勝ちましたが、3戦と5戦は敗れて王手をかけられて韓国へ行くことに。(ここも同じく下位のクレインズは釧路でも白。)


ところが韓国で2連勝。がけっぷちで生き残ってファイナルは廃部が決まっていた西武と。
2009年3月13日東伏見。ベンチでのダーシ。

3月14日第2戦、練習中のダーシ。結果は1勝1敗となるもクレインズの強さが際立ち、釧路で3連勝して地元で優勝かと思われましたが…。

西武が土壇場で意地を見せて、東伏見に戻ってきてしまいます。
2009年3月22日。ファイナル第6戦。練習中のダーシ、カメラ目線です。

第6戦でクレインズが勝てば優勝だったのだが、西武に逆王手をかけられ、翌23日、第7戦。
そしてクレインズ、2度目のアジアリーグ優勝。応援団の前に集まった選手たちを、ダーシが記念撮影しています。

トロフィーを掲げるダーシ。

この直後に家族と記念撮影していました。

翌2009・10シーズン。2010年3月7日苫小牧。全日本選手権でクレインズ優勝。ダーシは一番後ろの列の左から3人目。八戸での優勝では最前列だったが、クレインズでの存在感が薄くなったことのあらわれだったのか?

このあと、アジアリーグのプレーオフでは、クレインズはハルラと死闘を繰り広げ、釧路でのすごい2試合の結果、ハルラが初優勝したのですが、この年、私はプレーオフは1試合も見ずに終わったので、クレインズのダーシを見たのはこれが最後となりました。

2012年9月8日土曜日

ドビュッシー、音楽と美術

ブリジストン美術館で開催中の「ドビュッシー、音楽と美術」という展覧会に行ってきました。
公式サイトhttp://debussy.exhn.jp/

これで、以前紹介した夏の美術展4つ全部制覇したことになります。
ドビュッシー展はオルセー美術館、オランジュリー美術館、ブリジストン美術館共同企画と銘打っていますが、なんか、ブリジストン美術館のものが多いような気がしました。ここはかなーり昔に一度行ったきりなんですが、見覚えのある絵がけっこう…。
それ以外でもバーン=ジョーンズがあったり、ニジンスキーの写真があったり、カミーユ・クローデルの彫刻があったり、広重や北斎の浮世絵があったり、その他、ルノアール、ドガ、モネなどなど(モネはブリジストンがけっこう持っているのね。ここと西洋美術館合わせたらかなりの数のモネが日本に)。その他、ドビュッシーの楽譜などもいろいろ展示されていました。
4つの展覧会の中では一番すいていて、会場も1つの階だけで、展示室の移動の自由度も高く、4つの美術館の中では一番自由に動けるところです。青に統一された特別展の展示室も落ち着きがあり、そこにドビュッシーのピアノ曲が流れるという優雅な空間でありました。
というわけで、そこそこ見応えのある美術展ではあったのですが、なんというか、ドビュッシーに無理にこじつけていろいろ集めているようなところもあり、その辺の強引さがなんだかなあというか。また、フェルメールを売りにした上野の2つの展覧会に比べ、目玉がないというか、一応ルノアールが目玉になっているみたいだけど、全体に見入ってしまうような作品がなかったです(私にとっては)。彫刻なども壁際に置いてあるものが多く、ベルリン美術館展の彫刻の置き方、見せ方のすばらしさに比べ、不満が残ります。出品がとりやめになったり、8月中旬に出品が終了してしまったものもあるのね。
というわけで、ドビュッシー・ファンの私から見てもイマイチな展覧会でした。
しかし、ブリジストン美術館は絵葉書が安い。平常展の絵葉書はなんと50円です! ドビュッシー展の絵葉書はあまり数がなくて、買いたいのはバーン=ジョーンズのこの絵だけでしたが、1枚ではなんなので、ブリジストン美術館から出品されたモネを2種類買いました(どちらも初めて見た絵ではないので、なんだかなあ)。

バーン=ジョーンズ「王女サブラ」

ニジンスキーのバレエの絵が何枚もあって、これはよかった。でも絵葉書はなし。映画「ニジンスキー」で、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を踊るシーンの最後の場面でショッキングなことが、というシーンがありましたが、その牧神が最後にニンフのスカーフの上に横たわるシーンもありました。

帰りに山手線に乗ったら、上野からマウリッツハイス展の青い袋を持った人が何人か乗ってきました。バーン=ジョーンズ展以外はまだやっているのですね。バーン=ジョーンズはもう一度見たかったけど、期間が短すぎた。もっとゆっくり、ゆったりした会場でやってほしいです。まだやっているのではベルリンがもう一度見たいけど、もうすぐ終わりかな。ドビュッシー展だけは10月中旬までやっています。

2012年9月7日金曜日

ダーシ写真集2005-07

検索したら、今年の4月にダーシ三谷がウィニペグのテレビに出演し、そこで引退とキャリアについて語っている動画がありました。
http://www.youtube.com/watch?v=m2hLv2uvLUg

ということで、ダーシ写真集第1弾。
デレクがいた2005年秋から2007年春までです。
クリックすると大きくなります。

2005年12月18日釧路。クリスマスジャージ。

2006年1月7日苫小牧。

2006年3月5日札幌・真駒内。全日本選手権クレンズ初優勝の直後。デレクの背中のすぐ右側に。

2006年10月21日釧路。ヒーローインタビュー。

2006年11月18日日光。
 2007年1月7日釧路。ヒーローインタビュー。

2007年2月12日八戸。全日本選手権決勝。ここにいる選手はもう全員引退か?

同上。優勝後の集合写真。ダーシは最前列で寝そべって金メダルをくわえています(トロフィーのかげでよく見えないが)。

2007年3月2日釧路。プレーオフセミファイナルのヒーローインタビュー。

2007年3月24日東京・東伏見。アジアリーグ、クレインズ初優勝。

2007年3月26日東京。アジアリーグ・アワード授賞式。ベスト6に選ばれる。隣の伊藤雅俊、バックの映像の菊地もすでに引退。


2007年4月1日釧路。クレインズ優勝祝賀会。カメラを持つ手が左に大きく写ってしまいましたが、こういう構図もまたよい? ダーシの笑顔。

同上。抽選会の賞品のスティックを持っているところ。隣のデレク、ライアンもすでに引退。

写真を選ぶために古い写真を見ていたら、なつかしい顔ばかりで、なかなか選ぶのがはかどりませんでした。この頃のクレインズは華のある選手が多かったなあ。

2012年9月6日木曜日

ダーシ…

アイスホッケーマガジンが年鑑として復活し、そこにダーシ三谷の引退が書いてあったとのことです。
ハイワンのロースターに入っていなかったので、もしやとは思いましたが。
諸般の事情で最後の2シーズンはハイワンだったとはいえ、もしもクレインズに殿堂があったら殿堂入りは間違いなしの選手。そして、デレク・プラント加入で初めてクレインズの試合を見に行ったとき、一番印象に残ったのが背番号20のダーシでした。
アジアリーグの勝手になれないデレクが審判に抗議ばかりしているのを押しとどめたりと、デレクもダーシのおかげでアジアリーグで活躍できた面もあるのでは。
今、使用しているネット上のアルバムがないので、しばらくしたら、ここで思い出のダーシの写真集を載せます。
ありがとう、ダーシ。

声をかくす人(ネタバレ大あり)

このところ、映画をあまり見ていないので、見た映画についてはできる限り、覚書でも書いておきたいと思います。
先日見たのは、ロバート・レッドフォード監督の新作「声をかくす人」。
「愛を読むひと」以来、この手の「なんとかをする人」の邦題がミニシアター系に多いのですが、受けるのでしょうか。私にはワンパターンに見えるのだが。
それはともかく、映画はリンカーン暗殺事件で犯人グループの1人とみなされ、死刑判決を受けた女性メアリー・サラットの実話をもとにしています。
南部出身の彼女は夫を失い、下宿屋を営みながら娘と息子を育てたのですが、息子が犯人グループの一味となり、グループのメンバーがこの下宿屋にいた、ということで、母親も共犯と見られてしまう。しかも、事情を知る息子は逃亡して行方知れず。
無罪を主張する彼女の弁護士をいやいやながら引き受けたのは北軍の元大佐。事件にかかわるうちに、民間人である彼女を軍事法廷で裁くことや、最初から死刑ありきですべてが進んでいくことに疑問を持ち、正義と法を守るために戦うことになります。
南北戦争は終わったとはいえ、まだ南軍の残党がテロを起こしたりしていたので、事実上、戦争状態。そんな中で起こったリンカーン暗殺事件なので、容疑者は全員死刑にして決着をつけることでこの事件を過去のものにし、平和をもたらそうというのが上層部の考え。周囲の人々もメアリーを有罪と信じ、弁護を引き受けた元大佐は孤立。しかも、メアリーは逃亡中の息子を守るために無罪を立証するような証言を何もしない。裁判の過程でメアリーに同情し、死刑は避けるべきと考える人たちも出てくるが、全員死刑を最初から決めているのでだめ。
というふうに、戦争なんだから空気読め、みたいな雰囲気ですべてが決まっていってしまうのです。
脚本を書いたジェームズ・ソロモンは90年代から脚本にとりかかっていたのですが、最初は、そんな昔の話、と言われたけれど、9・11以後はそういう声はなくなった、とのこと。
まさに戦争だから空気読め、平時じゃないんだから法も正義も無視していい、という状況がアメリカの古い時代にもあったということが描かれているわけですが、正直、この状況は、大震災で原発事故が起こったんだから空気読め、放射能に関する決まりも勝手に変えてしまっていい、みたいな今の日本にも重なると思います。震災後の日本は戦時中のようだ、という声がありますが、何かあると空気読めとなるのは、実は日本だけじゃなかった。
映画はイデオロギーが前に出すぎていて、映画としてはふくらみが足りない気がしますが、元大佐がどんな場合でも法と正義を守るべきだと主張し、合衆国の憲法や法律ができるためにどれだけの血が流されたかを考えろと言うのは、ジム・キャリーの「マジェスティック」にも描かれたことで、アメリカ人はこういう主張が好きなのが救い。
実話なので結末はわかっているわけですが、母を助けるために自首しなかった息子がのちに逮捕され、裁判にかけられるが、このときは軍事法廷ではなく普通の裁判で、陪審員が北部人と南部人の半々であったことから結論が出ず、息子は釈放されてしまったということが最後に字幕で出ると、裁判に正義を求めること自体のむずかしさを感じてしまいます。
メアリー・サラットは、アメリカ合衆国によって初めて死刑判決を受け、処刑された女性だそうですが、彼女は完全に無罪ではないにしても、死刑になるほどの関与はしていなかった、普通の法廷なら死刑にはならなかったと言われています。