2013年7月30日火曜日

ヴァン・ゴッホ(ネタバレあり、追記あり)

7月29日はゴッホの命日、とは知らず、モーリス・ピアラが1991年に監督した「ヴァン・ゴッホ」を見てきた。
ゴッホの映画といえば、やはり有名なのはハリウッド映画「炎の人ゴッホ」で、私が見たのは中学生のときのテレビ放送だから、カットされて吹き替えだったが、それでもカーク・ダグラスのゴッホとアンソニー・クインのゴーギャンの確執に焦点を当てたドラマは見ごたえがあった。
そのあとは1990年のロバート・アルトマン監督の「ゴッホ」で、こちらはゴッホと弟のテオに焦点が当てられた映画。兄の絵のすばらしさを認めながら、画商として絵を売りに出せないテオの苦悩が印象的だったと記憶している(もう20年以上前なので、あやふやな記憶ですが)。
その翌年、フランスのモーリス・ピアラが監督したこの「ヴァン・ゴッホ」は今回、日本初公開となる作品。ピアラ没後10周年に合わせた企画で、日本公開された「愛の記念に」、「悪魔の陽の下に」、ビデオ発売の「ポリス」と合わせて10月に公開だそうです。
ピアラはもともと画家で、ゴッホが最も好きな画家だったということなので、アルトマンの映画とは無関係に進められ、実現された映画なのだと思うが、この映画はゴッホの最後の2ヶ月間、オーヴェルですごした日々に焦点が当てられている。
中心となるのはオーヴェルの医師ガシェの娘マルグリットとゴッホの恋なのだが、これがまったくの創作らしい。この映画のゴッホはやたらと女性にもてて、知り合いの娼婦が何人もいたり、下宿屋の娘にも思いを寄せられたりと、こんなにもてるゴッホは初めてだが、クライマックスはムーラン・ルージュのようなダンスホール(ロートレックのような人物も登場)でのゴッホと弟テオの乱痴気騒ぎ。テオは奥さんと乳飲み子がいるのに女遊びし放題なのだが、史実ではテオは兄の死後、梅毒で亡くなったのだそうだ。
その前にゴッホとテオが言い争うシーンで、ゴッホが、シューベルトは晩年、病気になると人がみな離れていき、孤独に死んだ、というが、シューベルトも女遊びが多かった人で、死因は梅毒だったそうだ。
また、ガシェ医師の妻は夫から梅毒を移されて死んだということがマルグリットの口から語られるシーンもある。
そういう、これまでゴッホの話にはあまり出てこなかったような女性との性的関係や性病といったものがこの映画のモチーフになっているのは驚きだった。
ゴッホを演じるジャック・デュトロンはアルトマンの映画でゴッホを演じたティム・ロスにどこか似た風貌で、ある種のストイックさを感じさせる。女性と関係を持ってもどこか肉欲的なものからは無縁な印象がある。
結局、ゴッホはマルグリットからは「自分の絵のことしか頭にない人」といわれ、ガシェからは「娘の倍の年齢のくせに」といわれ、弟テオはこの映画では俗人で、兄の絵を理解しているのかどうかわからない。
そして7月29日、ゴッホはどこかで銃で腹を撃ち(あるいは誰かに撃たれ?)、下宿屋に戻ってきて横たわっているところを下宿屋の主人たちに発見される。
ゴッホの死については自殺説と事故説があるようで、2011年になって、ゴッホと一緒にいた少年たちが誤って銃でゴッホを撃ってしまい、ゴッホは少年をかばうために黙っていたのだ、という説が現れたそうな。
この映画は1991年なので、その説より20年も前だが、ピアラはこの映画ではゴッホ事故死説をとっているように見える(ゴッホ自身が誤射したとか、そういうことだと思うが)。というのは、映画の最初の方で「首吊りの家というのは、首吊りと同じ発音の名前の人の家のことで、首吊りはなかった」というせりふがあり、そしてラストで、「首吊りの家を描いている」という画家に対し、喪服を着たマルグリットが「首吊りの家はない、首吊りもない」と言う。つまり、これは自殺がない、という意味で、ゴッホは自殺ではないと言っているのではないかと思うのだ。
その一方で、ゴッホが銃を自分に向けるシーンもある。
映画の前半、チュニジア帰りだという男(軍人のようだ)がゴッホに銃をいくつも見せ、ゴッホに銃を向けるシーンがある。このチュニジア帰りの男が誰なのか、私はわからなかったが、ゴッホが腹を撃たれて座り込んでいるシーンで、このチュニジア帰りの男が彼に寄り添っているのだ。
このチュニジア帰りの男は、ゴッホにとっての死神なのだろうか。
いろいろと考えるところの多い映画で、生と死あるいは性と死は表裏一体ということを考えると、ゴッホ兄弟の女性との乱痴気騒ぎをクライマックスにしたこの映画は性と死を表裏一体に描いているともいえる。あの元気そうなテオもこのとき、すでに梅毒に侵されていたわけだから。

この映画にはもう1つ、奇妙なシーンがある。オーヴェルに行く前にゴッホが描いた絵で、「花咲くアーモンドの木の枝」というのがあるのだが、これがテオの家に飾られているシーンがある。
この絵の前にピアノがあり、男性がそのピアノでショパンを弾く。そのあと、この絵を見て、ゴッホに、「日本ふうの曲を」とかなんとか言って、ドビュッシーを弾くのだ。
この男はドビュッシーなのか?(ドビュッシーの有名な肖像画に似ている。)
家に帰って調べたら、確かにこの1890年、ドビュッシーは印象派の作曲家として活躍していた。ドビュッシーと印象派展という美術展をやっていたのは去年の夏のこと。しかし、ゴッホとドビュッシーが会っていたという話は聞かない。これもフィクションなのだろう。新しい音楽を作り出していたドビュッシーはゴッホの絵が将来高く評価されると見抜いたという創作なのでは?
ゴッホが死んだあと、ガシェや下宿屋の主人はゴッホの絵をテオに返すという。しかしテオは、兄があげたものだからもらっておいてくれ、という。ガシェも下宿屋の主人も、ゴッホの絵はいずれ値段がつくものだから、ただでもらってはいけないと思い、テオに返そうとしたのだろうか。少なくともガシェはゴッホの絵の価値を認めていたように描かれている。
しかし、ラスト、首吊りの家の絵を描いていた男はゴッホをまったく知らない。そのシーンで映画は唐突に終わる。
この映画では、画商で弟のテオはゴッホの絵の価値を理解していたのだろうか。勤め先の画商が印象派を認めないので、テオはゴッホの絵の価値を知りながら売ろうとしなかった、というのが一般的な説のようなのだが、この映画ではテオはあまりにも俗人で、絵の理解者なのかどうかは疑問が残る。また、ゴッホがテオの金で暮らしていることに苛立ちを感じ、自立したがっているようなシーンもある。
いろいろと考えるところの多い映画で、さすがはゴダールやアサイヤスが絶賛した映画だ。これまでなぜ公開されなかったのか不思議なくらいである。

追記
映画のはじめの方で、医師ガシェがホメオパシーという新しい療法について話すシーンがあり、彼は将来、この療法が認められる日が来る、ゴッホの絵が認められる日が来るように、と言う。
ホメオパシーはネットで検索すると、現在、いろいろと問題になっていて、この療法を信じて正しい治療を受けないなどの弊害が出ているという。
ピアラがなぜここでガシェにホメオパシーを賞賛させたのか、それも、ゴッホの絵が将来認められるということに引っ掛けて、というのが気になる。1991年当時、ホメオパシーがどう見られていたかを知らないとわからないのだが。あるいは、将来認められるか認められないかは賭けみたいなものだ、ということかもしれない。

2013年7月29日月曜日

新しい猫・携帯写真

最近は猫写真は携帯で夕方撮るだけになっていますが、先日、某所で新しい猫を見ました。
まずはまだ明るいうちに撮った常連猫の写真。

薄暗くなってきましたが、別エリアで初めて見る猫が。


おなかすいてそうだったので、エサをやりましたが、(目が光っているのは携帯のピント合わせの光で、フラッシュは使っていません)

そこに常連のこの猫が登場。威嚇するので上の猫がエサ食べられなくなり、やむなく、下の猫のそばでお相手してやり、その間に上の猫に食べさせました。

別の日。近所の神社。前にアップした輪が見えます。

そのあと、上野公園へ。前にアップしたデジカメのハスの写真より10日ほど前です。

デジカメでは水面を撮りませんでしたが、携帯では撮っていた。

不忍池。スカイツリーがうっすらと。

スカイツリーといえば、27日の隅田川花火大会、開始30分で雷雨になり、中止になったそうですね。私は隅田川花火大会のときはプールがすいているので、泳いでいました。
そのスポーツセンターへ行くとき、押上方面へ行く地下鉄がけっこう混んでいて、浴衣姿の人もいたので、みんな花火見に行くんだなあ、雨降らないといいけどね、と思ったものです。
というのも、27日は昼間から遠くでゴロゴロしていて、雨降りそうでしたが、夕方にはまた晴れ上がり、その後曇ってきたとはいえ、雨になりそうな感じではなかったのです。
私もプール帰りに土砂降りの雷雨とかいやなので、天気の神様も隅田川花火大会をつぶすようなことはしないよね、と思ってでかけたのでした。
7時頃、スポーツセンターに入ったときはまだ雷雨の前兆はなかったのですが、9時近くに外へ出たら、地面がぬれていた。もしかして花火大会中止?と思いつつ、地下鉄に乗ると、全然すいている。9時というのはちょうど花火客が帰る時刻で、電車は混雑しているのですが、花火客らしい人は皆無で、こりゃ中止になったな、と思ったら、やはりそうでした。
これまで順延と言うのはありましたが、中止は初めてだそうです。花火は3分の1くらいしか打ち上げなかったようだけど、残りはどうするのだろう。よそで使いまわしだろうか。
27日はホテルとスカイツリー込みで5万円とか10万円とかのツアーもあったようで、なかなか順延にはできない状況のようです。まあ、7時の段階では雷雨の気配はなかったものね。

2013年7月27日土曜日

「風立ちぬ」は見ていないけど(追記あり)

しばらく前からジブリの映画はまったく見なくなっていたのですが、今回の「風立ちぬ」もゼロ戦の設計者の話というので、なんだかピンと来なくて、見る気がなかったのですが(というより、今も見る気なし)、気になる映画評を見つけました。

2つ見たのですが、2番目に見たのから紹介します。ヤフーのレビュー欄です。
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id344584/rid72/p1/s2/c1/
お役立ち度のトップにある評ですが、久々に声をあげて笑ってしまったのが次の言葉。

ストーリーは夢のシーンが多過ぎ&長過ぎ。「またこれかよ!二郎、頼むからもう寝ないでくれ!」と思うほど長時間を割いている割に、二郎の声のせいなのか、その効果はなく、その他のシーンはお粗末でした。一生懸命作った飛行機が人を殺す道具になり、全滅したという悲惨な現実への二郎の思いはどうしたの?「でも一機も戻って来ませんでした。(棒読み)」で終わりかい。「ま、いっか」って感じ?

この前後も非常にわかりやすく、そうか、そういう映画だったのか、と思ったのですが、実はこれの前、つまり、最初に読んだブログの映画評が視点は興味深いけど混乱した内容で、それでもやもやしていたのを、上のレビューがすっきりとさせてくれました。

で、最初に読んだのはこの映画評です。
「「風立ちぬ」を見て驚いたこと」
http://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/fc082b472586d1994a96b6b975fdcece
個人のブログですが、言いたいことはわかるのですが、どこか恣意的というか、この人の持論へのこじつけのような印象もあり、でも、その一方で、真実を突いていると思える部分もあり、非常にもやもやしていたのですが、それが上のヤフー・レビューの評ですっきりしました。

このブログの記事「「風立ちぬ」を見て驚いたこと」は、一部の天才が多くの人の苦しみの上ですばらしいものを作っている、という主張ですが、この論の最大の誤りは、「天才の作り上げるすばらしいものはゼロ戦のような殺人兵器ばかりではない、むしろ、宮崎アニメをはじめとする人を喜ばせるものの方が多く、それを支える庶民は日々苦しんでいても、一部の天才の作るすばらしいもので癒されている」という事実をまったく無視していることです。
この論を読むと、宮崎駿は主人公二郎をかなり否定的に描いているようで、ということは、多くの庶民の苦しみの上ですばらしいことをしているはずの天才の成し遂げたことが殺人兵器で、しかも戦争的には失敗だったという皮肉じゃないかと思えるのですが、論者は宮崎が二郎を否定的に描く場面をいくつもあげながら、宮崎が二郎を否定しているという観点にはついに立つことができないのです。このあたりの混同というか、支離滅裂さが、この論の最大の欠陥です。

一方、ヤフー・レビューの評者はもっと率直に映画のおかしなところを見ています。二郎が結核の妻の前で平気でタバコを吸うなどの二郎の思いやりのなさを指摘しているところはブログの論者の二郎評と重なるのですが、ヤフー・レビューの論者には迷いはありません。ブログの論者が立ち位置がわからずによろよろしているところを、レビュー評者は単刀直入にスパッと切るのです。

「風立ちぬ」という映画を見に行くかどうかはわかりませんが、この2つのレビューはいろいろな意味で(映画についてよりは、文章の書き方や書き手の立ち位置について)参考になりました。

追記
次のブログの映画評が大変参考になりました。
http://movieandtv.blog85.fc2.com/blog-entry-428.html
作品に対して好意的な批評ですが、「風たちぬ」の主人公に対して批判的と思えるような描写が映画の中にある理由がこれでよくわかります。
この文章は宮崎駿の背景を詳しく説明しながら作品を論じていて、宮崎駿に寄り添う形になっているのですが、検索で出てきたさまざまな映画評の中には自分に引き付けて作品を論じているものが意外と目に付いたです。追記の前のところで2番目にあげた「「風立ちぬ」を見て驚いたこと」もそうですが、一方、ツイッターでは戦前は真の芸術が優遇されていてよかった式の戦前美化論をやってる人(有名人)がいたり、なんかもう、宮崎駿の極私的作品なのに見る人の極私的作品になってる論も多そう。
ネットの文章をいろいろ読んでもやっぱり見る気はあまり起きないのですけどね。

2013年7月26日金曜日

あぶない、あぶない

JR東日本がスイカの利用者の履歴などを企業に売り渡していたそうです。
実は私はいまだにスイカもパスモも使っていません。
なぜか。
1 回数券の方が安い。
2 機械を信用してない(使った以上に引かれているのではないかと疑う)。
3 たしか、最初に買うときに500円入れて、その500円は使えないとかなんとか、そんなことが書いてあったので、500円損じゃん、と思った記憶がある(今はどうだか知りません)。
しかし、疑り深い私でも、さすがに履歴の売り渡しは想定外でした。氏名住所は売ってないとはいっても、性別年齢とか、どこで乗ってどこで降りたとか、個人情報じゃん。
まあ、買うとしたら、地下鉄利用者なので、パスモにしたとは思うが、パスモだってわからん。
だいぶ前だけど、電話によるセールスの勧誘があって、こっちの名前まで知ってるので、「どこで電話番号や名前を知ったのですか」ときいたら、相手が正直に「NTTからリストをもらった」と言ったのです。それで、どこのNTT?とかさらに追及したら、どこのNTTかまで言ってしまったのです(なんという正直な人)。すると、後ろの方から声がして、いきなり電話が切られました。
これはまあ、一部の悪い人が金儲けでやったことですが、会社全体が履歴売り渡して金儲けかよ、て感じですね。
スイカやパスモがなくて困るのは、普通の切符で通れる改札が少ないことです。しかも、両方使える改札で、目の前の人がスイカかパスモでピンポーンと鳴りやがるとほんと頭に来る。スイカとパスモは切符用の改札を通るな! と言いたくなります。また、回数券だと乗り越しをすることも多いのですが、清算機で前の人がチャージだと時間がかかってなあ(私がせっかちなせいもあるけど)。
地下鉄では切符の人はパスモなどに比べて差別されているとはあまり感じませんが、JRは切符の人を差別していると思うことがけっこうあります(JRの方が切符の改札を探さなければならない場合が多かったり、ひどいところは大勢向こうから人が来るときは切符の人はまったく改札を通れなくなるところもある)。そのわけは、履歴で金儲けできるからスイカ優遇だったのか???

ところで、月曜から水曜までの3日間、どこへ行っても冷房がきいていない、地下鉄で熱中症、映画を見ながら熱中症になりそうだ、と書きましたが、木曜はみごとに、どこへ行っても冷房が普通にきいていました。
これはやはり、参院選が終わって、3日間、設定温度28度で実験してみようと、どこかが指令を出したのではないかね??? しかし、東京は月曜からずっと湿度が高い状態。で、気温28度で湿度80パーセントは熱中症になる環境だそうです。もともと、設定温度28度は、熱中症になるかならないかのぎりぎりで、だから病院では患者さんの体調が悪くなるので、28度より低くしているそうです。

2013年7月24日水曜日

8万pv

本日、ブログのアクセス数が8万を越えました。
しかも、相変わらずマクドナルド事件の映画の記事へのアクセスがすごく、今日はまたものすごくたくさんあります。テレビか何かでこの映画が取り上げられたのだろうか?

さて、今週に入って、冷房のきいていない場所が急激に増えています。
特に月曜の夜の東京メトロの某線は冷房入ってないに近い状態で、なのに「弱冷房車は何号車」とかアナウンス。普通の車両でこの暑さじゃ、弱冷房車は暖房してるのかと思ってしまう。
とにかく湿度が高いので、汗がだらだら止まらず、このまま地下鉄の中で熱中症になって倒れるかと思いました。駅に着くと、よく冷えた駅の空気が入ってくるのが唯一の救いだったりして。
地下鉄だけじゃなく、どこに入っても冷房がきいていない、と感じる3日間でしたが、なんとなく、参院選終わったらいっせいに冷房の設定温度を上げたな、という感じがします。山本太郎が当選したからか?(脱原発派に対抗するには暑さで攻めるのが一番、とか?)
特に今日は外は最高気温が27度。なのに室内の設定温度は28度。窓開けて風通した方が絶対涼しい状態でしたが、近頃の建物は冷房を前提としているので、風を通すことをまるで考えていないのです。
なんで室内で28度だと暑いかというと、湿度が高いから汗が蒸発しないので、体温が上がりっぱなしなのです。水分補給とかいっても、汗が蒸発しないと熱中症。
逆に、気温35度の屋外で、湿度が低いと、日陰ならずっとすごしやすいです。
熱中症で倒れる人が室内が多いというのはそういうことじゃないのかな。
そういえば、去年は、今使っている電気は発電している電気の何十パーセントかという表示が駅などに出ていましたが、今年は出てませんね。原発なくても電気が足りてると思われたくないのでしょう。今年の夏は東京は40度とか予想したり、月曜からいっせいに冷房きかなくしたり、何か陰謀でもあるの? 冷房きいてないと思うと試写室も映画館も行く気がしません(映画見ながら熱中症はいやだ)。
ちなみに、1983年、1993年、2003年と、3の年は冷夏が続いていたそうですが、今年ははて?

2013年7月23日火曜日

上野公園のハス

10日ほど前に上野公園を通ったら、ハスのつぼみがいくつもあったので、そろそろ咲いているかな、と、写真を撮りに行きました。
まずは、近所で見つけた古い階段。段差がかなりあって降りるのがちょっと大変なのですが、途中に個人の住宅の入口があるので、日常生活に使われている階段のようです。

その階段の下にあったミニ雑木林。昔、この一帯が森だったときの名残りとして、一部を保存しているのだとか。でも、公園てわけではないし、手入れも行き届いてないような感じ。

上野公園到着。不忍池に浮かぶ遊歩道などができています。

相変わらずカモメが多い。


足こぎボートの鳥の上にカモメが。面白いので何枚も撮ったけれど、カモメにどうしてもピントが合わないのです。

こんなところに藤棚が。

不忍池の碑か何かの上に藤棚が。

そしてハスですが、全然咲いてませんでした。

私のカメラだとこういうリアルな絵しか撮れない。

真ん中の葉っぱにピントが合ってしまっている。



咲くのはこれからのようですね。

下のハスにピントを合わせたので、バックはほとんどぼけています。

2013年7月20日土曜日

私が愛した大統領

1939年、「英国王のスピーチ」のジョージ六世がドイツとの戦いでアメリカの協力を求めるため、ニューヨーク州のハイドパーク・オン・ハドソン(原題)のルーズベルト大統領の私邸を訪れた史実にもとづく映画。ルーズベルトはローズヴェルトの方が確かに読み方は近いが、ローズヴェルトと発音しても英語は通じないと思うぞ。原音に忠実に、なんていったって限界があるのだ。え、今はリンカーンも林間だって? まあよい。
フランクリン・デラノ・ルーズベルトといえば、大不況時代の30年代から第二次大戦までの時代にアメリカ大統領をつとめ、いまだにアメリカでは大人気の大統領、というのはなんとなく昔から知っていた。彼にはエリノアという奥さんがいて、小児麻痺で下半身不随の大統領を助けて政治的にも活躍した、というのも美談として語られている。
1960年には「ルーズベルト物語」という映画も作られていて、ラルフ・ベラミーのルーズベルトとグリア・ガースンのエリノアだった。これは中学生のときにテレビで見て、障害者の大統領と彼を支える夫人というイメージを植えつけられ、以後、そのイメージをずっと持っていたし、大学時代に見た「追憶」で語られるルーズベルト夫妻もこのイメージに沿ったものだったので、この「私が愛した大統領」を見るまで、この夫婦の真実はまったく知らなかったのだ。
ちなみに、プレスシートには大学の先生の記事が2つ載っていて、いろいろ参考になったのだが、1人がこの「ルーズベルト物語」を原題の「カンポベロの日の出」と表記している。でも、日本の題名がついて、日本公開している映画なのだから、やはり「ルーズベルト物語」の表記がほしい、というか、先生も配給関係者も日本公開のことを知らないのだろう(つか、テレビ放送というカット版でも見たことのある私の方が少数派なんでしょうね)。
障害者の大統領を支える賢夫人というのはまさにグリア・ガースンのイメージそのものだったが、「追憶」でも、1945年、第二次大戦終戦を前にしてルーズベルトが亡くなり、そんなときにWASPの男女がエリノア夫人を笑いものにするのを聞いて、バーブラ・ストライサンド演じるヒロインが怒ってしまう、というシーンが印象的だった。
しかし、この「私が愛した大統領」を見ると、ルーズベルトは不倫が多く、しかも同時に複数の愛人を持つハーレム状態で、それに嫌気がさしたエリノアはさっさと夫と別居、その後は政治的な同志のような存在になっていたらしい。車椅子生活のルーズベルトの私生活を支えていたのはもっぱら愛人たち、そして母親だったようだ。
この映画はルーズベルトのいとこで、その後愛人となり、大統領とジョージ六世の出会いの場にもいたデイジーという女性の視点で描かれている。
いろいろな意味で面白い映画で、出演者もビル・マーレイ、ローラ・リニー、オリヴィア・ウィリアムズなど実力者ぞろい。特にエリノアのウィリアムズは「ゴーストライター」で印象的だった女優だが、レズビアンの女性たちと同居する男っぽい女性を魅力的に演じている。他の女優の演じる女性たちがみな女性的なのとは対照的で、また、言動がエキセントリックで、ルーズベルトがそこを利用して、そういうところはたとえ自分の発案でも全部妻の考えたことにしているみたいなのも面白い。
また、「英国王のスピーチ」で有名になった吃音のジョージ六世とルーズベルトの出会いがまた面白く、吃音の英国王と小児麻痺で下半身不随になったアメリカ大統領という、障害を持つ2人の指導者が出会い、やがて共感していくあたりも感動的。
今だったら障害を隠す必要はない、ということになるのだろうが、ルーズベルト大統領は障害を徹底的に隠し、また、マスコミもそれに協力していたようだ(「追憶」でヒロインが大統領の障害のことを知っているのは史実に反しているのかもしれない)。ルーズベルトがジョージ六世に、国民に障害を絶対に知られたくないと力説するシーンは考えさせられるものがある。古い時代には、国の指導者が弱みを持つことは許されなかった。漁夫王伝説(ワーグナーの「パルジファル」のルーツ)のように、病や傷を持つ王は国を滅ぼすと思われていた。第二次大戦が始まったばかりの時期に、大統領が車椅子だったり、国王が吃音だったりすることは、それだけで国の弱さと認識されたに違いない時代なのだ。だからルーズベルトは隠しとおし、ジョージ六世は吃音を治そうとした。そういう時代の国の指導者の苦悩がこの2人の出会いのシーンにはよく表れている。
この映画の難点は、こういう非常に崇高な感じのするテーマと、ルーズベルトの愛人関係という非常にレベルの低い話が一緒になっているところだ。最初のテーマだけだったら非常に立派な映画になるだろうが、それではきれごとすぎる。が、愛人関係の方も指導者の障害を隠すのと同じくらい今では時代錯誤で、同時に複数の愛人を持ってハーレム状態、しかも愛人たちは大統領を共有という、古い時代の一夫多妻制をルーズベルト大統領のような理想化された人がやっているというのは人間的を通り越して、ちょっとあれだよね、な感じが否めない。
デイジーをはじめ、ルーズベルトを共有する女性たちはみな保守的な感じで、自立したエリノアとは対照的なのだが、このあたりのデイジーたち保守的な女性たちの描写も今の目で見ると苛立ちを感じる。一方、エリノアも理想化されておらず、彼女の言動もあまり好意的には描かれていない。
言い忘れたが、この映画はイギリス映画。監督は「ノッティングヒルの恋人」のロジャー・ミッシェル。確かにアメリカではルーズベルトをこういうふうには描けまい。大統領と英国王の出会いでも、大統領が王の父親のようになり、王が成長するという、どっちかというと英国王が主役的描写で、この部分とルーズベルトの愛人関係が分離している感があり、しかも英国王に比べて、アメリカ人たちはクールな目で見られている感じもする。
障害を持つ2人の指導者の出会いの部分は申し分ないと思うが、愛人関係の方はもう少し、これは古い時代の話なんだよ、今とは違うんだよ、というような雰囲気にした方がよかったような気がする。

2013年7月19日金曜日

わからん

アベック低気圧はその後シングル低気圧に変わり、木曜日にはまた真夏日が来たのですが、なぜか、アベック低気圧へのアクセスが多い…。
しかし、江ノ島のある県へ木曜日も行ったのですが、暑い(江ノ島の県というのは神奈川県)。
神奈川県といえば、なんとなく海が近いというイメージがあるのですが、私が仕事で行く場所はどうも内陸のようで、暑いのです。
うーむ、これでも、私は一応、神奈川県生まれなのだが、生まれたのがわりと海の近くで、なおかつ、夏休みに入るとすぐに湘南の海へ家族で泳ぎに行っていたという、うーん、こういうこと書くと、なんとなく、おしゃれな感じになるのですが、私が子供だった頃の湘南の海っていうのは、ただの海水浴場で、全然おしゃれじゃなかったのです(葉山のあたりは違っていただろうが)。
んなわけで、なんでアベック低気圧にアクセスがあるのかわからん。
その後、うちは千葉県に引越し、今度は千葉県の海へ行くようになったのですが、千葉県の海は神奈川と違って、豪快で、水がきれいでしたね。
先日、江ノ島へ行ったときも、泳ぎたい欲求に負けた場合に備えて、水着を持っていったのですが、海があまりにも汚いというか、ゴミばかり浮かんでいて、ちょっと泳ぐ気にはなりませんでした。

2013年7月16日火曜日

アベック低気圧

昨日の午前中に風が北に変わり、湿度がどんどん下がって、最高気温35度のわりにはしのぎやすく、しかも夜はどんどん気温が下がっていって、ついに今日は最低気温が22度以下、そして、今のところ、最高気温は30度を下回っています。
久々、熱帯夜と真夏日から解放された1日となりそうです。
天気図を見ると、昨日は銚子沖に低気圧があり、そこに北から風が吹いているのがわかりましたが、今日の午後3時の天気図では、本州の東に低気圧が2つあって、アベック台風(死語でないと以前判明)のようなアベック低気圧が北東に向かって動いています。本州の南と北海道の北にはどちらも高気圧があり、どちらもほとんど停滞と書いてあります(南の方の高気圧がずっと停滞していて、猛暑なのに違いない)。
気象庁のHPの天気図は高気圧と低気圧の動きが書いてあるので、いろいろ予想して楽しんでいます。アメダス表形式は1時間ごとの各地の気温や湿度や風速などがわかるようになっていて、ここも毎日見るページです。
風は今日は南に変わっているので、また暑くなるのかもしれません。

2013年7月15日月曜日

夏、悲喜こもごも

数年ぶりに紫外線アレルギーが出てしまいました。前回と同じ腕のひじのすぐ下の内側。赤い発疹がいくつも出て、みっともないし、紫外線が当たると悪化するので、筒状包帯を着けるようにしています。この筒状包帯、サポーターみたいで、着けると身が引き締まる感じがするのですが、けがでもしたのかと聞いてくる人がいるのが難点。紫外線アレルギー自体があまり知られていないので、説明するのもけっこう大変です。
日曜日はまたまた雷雨があり、午後5時半には気温が25度に下がりましたが、その後、また上がってきてしまいました。それでも雷雨がないよりは涼しい。
エアコンのない生活での熱中症対策は、扇風機と水分補給。ミネラルウォーターや牛乳や野菜ジュースをたくさん冷蔵庫に入れておきます。扇風機も起きているときはリビング用、寝ているときは卓上の小型、そして、この2つが壊れたときに備えて、第3の扇風機を用意しています。
実は以前住んでいたアパートで、エアコンはすでに老朽化で壊れ、扇風機だけの生活になっていたとき、その扇風機が夜中に壊れ、エアコンの換気機能がまだ生きていたので、それで助かったという経験があるので、予備の扇風機は必ず保持するようにしています。もともと私は扇風機おたくで、扇風機が大好きな人間なのですけど。
その以前住んでいたアパートは、80年代半ばから20年以上住んでいました。80年代半ばではまだエアコンはセパレートは普及しておらず、独身者の住まいだと窓式が主流で、私もそのアパートでは窓式をつけていました。
その窓式が、80年代半ばで、なんと、128000円もしたのですよ(自腹です)。セパレートはもっと高かったです。
そのアパートに20年以上住んでいたのですが、その後、引越しするとき、賃貸アパートやマンションはエアコンがデフォルトでついていると知って、驚きました。
そのあと4年間住んだアパートにはエアコンがついていましたが、今のマンションはついていないというか、古いマンションで、しかもリフォームがしづらい壁式コンクリートなので、エアコンをつけるのがむずかしい構造なのです。
この壁式コンクリートというのは、古いマンションにはよくあるらしいのですが、これは地震に強く、防音性が高いそうで、私がここに決めた理由は主にこれでした。なので、その分、リフォームがむずかしく、エアコンがつけにくい、というのはしかたないと思い、保険の意味で、スポットエアコンを買ったのです(6万円くらい)。
しかし、このスポットエアコン、エアコンとしてはほとんど使えないことがわかりました。どっちかというと冷風機で、とりあえず冷風で体感温度を少し下げるという程度。部屋を閉め切ったりせずに扇風機と併用で使えば多少は暑さがやわらぐかな、という代物。
正直、失敗したな、とは思ったのですが、まあ、保険だからいいか、と。買ってからまだ2回しか使ってません(つか、使っても意味ないので、2回使ってみて、そのあと、全然使ってない)。
幸か不幸か、今、私は自宅でする仕事がないので、暑さに耐えられなければどこか涼しいところへ行けばいいのです。が、例の事故以来、冷房が全然きいていない場所が増えたので、今は涼しい場所とそうでない場所を覚えるのに非常に敏感になっています。

2013年7月12日金曜日

涼を感じる写真?

木曜日はものすごく暑かったですね。たぶん、行った場所が暑かった。火曜日に行った江ノ島と同じ県とは思えん。特に今年は気温が高いだけでなく、湿度がなぜか夜になると80パーセントくらいになるのできついです。今のマンションは6月に初の更新をして、3年目に入りましたが、古いマンションなのでエアコン設置がむずかしく、もともと夜はエアコン使わない主義なので、エアコンは入れてないのですが、この湿度の高さはこたえますね。
というわけで、せっかく海の写真撮ってきたんだから、少しは涼を感じる写真でもアップしようと思います。江ノ島の周辺は海のせいか、気温が少し低く感じました。
で、まずは江ノ島の海から。


洞窟の中は涼しかったなあ。これはフラッシュを使わない写真。

フラッシュを使うとこのようになります。

富士山の地下とつながっている、という場所。手前に置いてあるのは、途中で渡されるろうそく。しかし、賽銭箱というか、なんか味気ない入れ物が写っている。

洞窟の途中の通路から下を撮る。

ふたたび岩浜へ。







少しは涼を感じていただけたでしょうか。下は船着場のあたりから望遠で撮ったスパ施設。

2013年7月10日水曜日

江ノ島1・岩屋洞窟復活20周年

例によって火曜日も朝からいい天気。ふと思いついて、20年ぶりに江ノ島へ行ってみよう、と決意。決意したのが正午くらいで、しかも東京駅で快速があるのに気づかず、しまった、と思ったときには快速は出て行く。というわけで、大船に着いたのは2時半。お昼食べてなかったのでドトールでミラノサンドを食べ、3時前のモノレールに。
モノレールの周辺は20年前とあまり変わっていないように思いましたが、モノレールがやたら揺れるので少し怖かった。あと、昔はもっと時間がかかったような気がしたけど、あっという間に着いてしまいました。
モノレールで江ノ島に行くと、もれなく江ノ電の踏切を通ります。

橋を渡って江ノ島へ行くときはいつも西浜の方を歩くのですが、途中に岩屋海岸へ行く船があります。20年前まで、私は毎年夏の終わりに江ノ島へ行っていました。一番の目的は岩屋海岸での磯遊びでしたが、途中を省略して船で行くのは反則のような気がして、これまで船には一度も乗らなかったのだけど、さすがに20年たって年もとり、「歩くと40分、船だと7分」の呼び声に負け、船に乗ることに。40分というのは表参道から行った場合で、私は裏参道を通っていたので、40分よりは早く着いていましたが、7分には負ける。つか、7分で400円は高い、と前は思っていたような気がする(世間のみなさんは楽なことにお金を払うのですね)。

出発。右手に桟橋が見えます。

私が行かなくなってからできた立派な展望台が見えます。

こちらは行かなくなる頃にできた入浴施設。船はかなり揺れるので、写真撮るのはけっこう大変。

展望台をズームで。

岩屋海岸に着きました。トンビが飛んでいる。

左にあるのが20年前に復活開業した岩屋洞窟への道です。実は、20年前に突如としてこれが出現、以前の岩浜の風景が変わってしまい、観光客もどっと増えたので、江ノ島へ行くのをやめたのでした。今年が岩屋洞窟復活20周年とはまったく知らずに来たのですが、何か、江ノ島の神が呼んだとか、そういうのがあったのだろうか。

東映映画のロゴのような波しぶきが撮りたくて、何度も写真を撮る。

立ち入り禁止区域だが、子供は平気で入っていく。まあ、この程度の柵ではねえ。

岩屋第1洞窟から第2洞窟への通路。20年前は洞窟は1つしかなく、ほとんど見るものもなかったのに、入場料500円だったので、詐欺だと思ったが、今は前よりは広くて500円。でも、見るものはあまりない(あとで入りました)。

広くなった洞窟を見てみたいけど、見ている間に岩場が海に沈んでしまったらどうしよう、と思っていましたが、あまりの暑さに涼をとろうと洞窟への階段を上がる。

中はひんやりとしています。

入ってすぐ、第1洞窟のところに池が。ここはフラッシュ使うとよく見えるかわりに雰囲気がなく、使わないと雰囲気あるかわりにぼけぼけと、むずかしい。これはフラッシュなしで雰囲気よく撮れました。

実は金魚がいる(フラッシュ使用)。

奥の江ノ島神社発祥の地。このほか石仏があちこちに置いてあります。

第2洞窟への通路の途中から。左の岩が人の横顔みたい。

第2洞窟はこの竜のフィギュアしかありません。この竜は20年前に復活開業したとき、やたらライトや煙を出していて、こんな子供だましで金とるのか!と怒ってしまったもの。今は手をたたくとライトが光るというおとなしいものに。

立ち入り禁止の場所の奥に鳥が。

この光っているところに上の鳥がいました。ズームにしないと鳥が写らない。

結局30分で外へ。中はひんやりとしていますが、ベンチが少ししかなく、カップルが占領しているので、居場所もないし、見るものも少ないので、これが限界。それでも人は少なくてよかった。

荒れているのではなく、波しぶきがあがるところを狙って何枚も撮って、ようやく少し撮れたのをアップしています。この日は海はおだやかでした。

20年目の江ノ島・岩屋海岸は、来てみて正解でした。確かに洞窟開業以前の風情はありませんが、夏休み以外の平日なら人も少なく、落ち着いて時がすごせます。
20年前には地域猫もなく、展望台は階段を歩いて登るシンプルなもので、植物園もシンプルな名前でしたが、今は猫の島とか、立派な展望台とか、カタカナ名前の植物園とか(昔入ったけど、どう変わったのかな)、スパ施設とか、なんか違ってしまったなあ、と思うけど、20年たっているので、そのくらいは変わるだろうというふうに受け入れることができます。
今回は船で直接岩屋に来て、そのあとは裏参道から帰ったので、展望台や植物園を近くで見ることはできませんでしたが、次は新しい展望台に登ってみたいです。