2013年11月29日金曜日

なにこれ

と思うようなのをツイッターで見つけた。
藤井孝典という人のツイッター。
https://twitter.com/fujitatakanori
「とある医学部生に向けて、「貧困と社会問題」についてゲスト講義をすることになった。そのため、依頼先の先生から、これまでの学習成果やレポートをいただく。このレポートがなかなかにひどい。人権侵害や排除論を無知なままに論じる。頭がいたい」
「社会福祉をテーマにした、とある医学部生のレポート「強いものが生き残り、弱いものが消えるのが進化である。生き残りたければ強くなればいい」と。この惜しげもなく披露される傲慢さに言葉を失う」

これに対し、本田由紀・東大教授は、こういう学生が増えている、とツイート。他にも教員などからの同様のツイートが複数あり。

増えてるのか、こういう学生が。

確かに私の授業でも学生の書く意見感想に、なにこれ、と思うようなひどいのがたまにある。というか、先日1枚あってあぜんとしたんだが、個人情報なのでここには書かない。

上のとある医学部生について言えば、
「適者生存」と「弱肉強食」の違いもわからないのが医学部に入るのか!
という驚きに尽きる。

ついでに、レイモンド・チャンドラーの有名な言葉を思い出した。
「強くなければ生きられない。やさしさがなければ生きている資格はない」

文学や映画で人間や社会を学ぶことを徹底的に軽視し、軽蔑してきたつけがここにある、と思うのは私だけか?

藤井さんにはめげずにがんばっていただきたい。というか、レポートのひどさに危機感を感じた先生が藤井さんに講義の依頼をしたのかもしれない。
「惜しげもなく披露される傲慢」と書いているが、未熟な者ほど傲慢であり、彼らは自分が裸の王様であることを知らない。

2013年11月27日水曜日

ジュディ・デンチ!

ジュディ・デンチ主演「あなたを抱きしめる日まで」を見てきました。
1950年代のアイルランド。未婚で子供を生んだ少女が修道院に預けられ、過酷な労働を強いられ、子供は3歳で養子に出され、それから半世紀、老婦人となった彼女が生き別れた息子を探すという実話の映画化。監督はスティーヴン・フリアーズ。
すごく面白かったです。
いや、面白かったなどと言ってはいけないような悲惨な話なんですが、とにかくジュディ・デンチがすばらしい。
前にも「スカイフォール」でデンチを取り上げましたが、こんな高齢になっても次々と映画で主演できる女優はめったにいない。彼女は若い頃は舞台中心で、映画で活躍するようになったのは80年代くらいからだと思いますが、年をとってますますスターになっていくという稀有な存在です。
彼女と同世代のマギー・スミスや、もう少し若いヘレン・ミレンも活躍していますが、デンチの存在感は格別です。なんというか、演技の幅が広い。悲劇も喜劇もできる。貴族の奥方から庶民のオバチャンまでできる。そして、なんといっても、明るい。
「あなたを抱きしめる日まで」は、デンチのコメディエンヌとしての才能が全開です。少女時代にわが子を奪われたという悲惨な体験をし、老いてから息子を探すもなかなか見つからず、ようやく見つかったと思ったら、と、悲劇的な展開なのに、映画はユーモアを失わず、涙のあとに笑いが来るといった展開。フリアーズの演出もいいのですが、やはりデンチの明るさ、コメディの才能が光ります。
老婦人の息子探しを手伝うジャーナリストのスティーヴ・クーガンとのコンビがまた絶妙で、クーガンは脚本と製作も兼ねていますが、デンチとのボケとツッコミが実にみごと。デンチはクーガンのことを「QUEEN VICTORIA 至上の恋」で共演したビリー・コノリーと比較しているけれど、まさにあのコンビに近い感じです。老いたヴィクトリア女王を演じた「至上の恋」はデンチの魅力全開の最初の作品と言っていいでしょう。
映画は性を抑圧したかつてのアイルランドのカトリック教会への批判を含んでいますが、デンチの演じる老婦人は人を恨むことなく、教会に対しても寛容。彼女が行けばかたくなな人々も心を開く、というのがわかる描写になっています。
探し当てた息子が果たしてどうなっていたのか。この辺は映画を見て確かめてください。

この日は「ドライヴ」の監督・主演による「オンリー・ゴッド」も見たのですが、「ドライヴ」がすっきりよくまとまった作品だったのに対し、こっちは思わせぶりな映像ばかりで、話の方はどうもすっきりしません。「ドライヴ」も映像が斬新で面白いけど、話は別に新しくないと思いましたが、こっちは話はもしかして新しいのかもしれないし、赤や黄色やゴールドの光の使い方とか映像も面白いし、赤い迷宮みたいなところはデイヴィッド・リンチかという感じでしたが、全体としてはなんだかなあな仕上がりです。「ドライヴ」の面白さは全然ない。「ドライヴ」の太陽に照らされただだっ広いアメリカの光景とは正反対の世界、タイが舞台で、タイトルやキャスト、スタッフもタイ語表記で出るという凝った趣向ですが、うーん、新手の「キル・ビル」だろか、てな感じ。ホドロフスキーに捧ぐと最後に出るけど、リンチやホドロフスキーになるにはまだまだ修業が足りないな、この監督、でした。

2013年11月24日日曜日

「小さいおうち」読了後の覚書

注意:この文章には「小さいおうち」の原作と映画についての重要なネタバレが含まれています。というより、ネタバレそのものですので、差し支えない方のみお読みください。

前の記事「ただ今読書中」を書いたあと、朝までかかって原作を最後まで読んでしまった。
そして、映画では削除された性愛に関する部分が非常に心に残った。
前の記事に書いたように、原作では平井時子は子連れで再婚し、夫・平井は性愛に無関心な男で、時子とは夫婦の関係がないように描かれているが、映画では平井夫婦は初婚で、息子・恭一は平井の子供になっている。そのため、原作では、時子は夫とは肉体関係がないので板倉と恋に落ちたというのがすんなりわかるが、映画では夫は不倫しているわけでもなく、ただ会社人間で妻とは趣味が違うとか、その程度の違いで、夫婦間の不満はあまり大きくは描かれていない。だから、映画では時子と板倉の恋は「マディソン郡の橋」のような感じがする、と前の記事で書いた。
実際、ラストの年老いた恭一のシーンは、イーストウッドの映画「マディソン郡の橋」を連想させるものがある。

そして、最後まで読んで印象に残ったのは、同性愛だった。
映画でも時子の友人・睦子が男のような人と描かれているが、映画の睦子はどちらかというと宝塚の男役のような感じで、宝塚の男役とレズビアンは違うと私は思う。
しかし、原作では睦子は明らかに時子に同性愛的な思いを寄せていて、女中タキに対し、吉屋信子の言葉を引用する。そこでは、第一の路は異性愛、第二の路は同性愛、そして第三の路は性愛に生きずに仕事に生きることだと書かれているらしい。そして睦子は、自分やタキは第三の路を行くのだという。
面白いと思った。時子の夫・平井も、ある意味、性愛に生きずに仕事に生きる人間だからだ。しかし、平井が同性愛であるという暗示は、小説の中にはまったくない。世の中には性愛そのものに向かない人間もいるので、平井はそういう人間なのだろう(性愛に向かない男女が結婚し、子供はできないが、夫婦円満、という例はある)。
一方、睦子とタキはどちらも時子に同性愛的な思いを抱いてしまう、という点では、同性愛を封印して仕事に生きる人々だといえる。
以上のような同性愛に関することは映画ではまったく描かれていない。
そして問題の重要なシーン。
出征することになった板倉に会いに行こうとする時子をタキは止める。時子と板倉が会っていること(すでに肉体関係もある)は人に知られていて、会いに行くのはまずい、とタキはいう(誰が知っているかは映画と原作で変えてある)。しかし、自宅で会うなら大丈夫だろうから、手紙を書いてくれれば板倉に届けます、とタキはいう。しかし、タキはその手紙を板倉に届けなかったことがあとになってわかる。そして、そのことでタキが長い間、苦しんでいたことも。
タキはなぜ手紙を届けなかったのか。理由は2つ考えられる(原作にも書いてある)。
1 戦時下に不倫などけしからんという、当時の風潮に影響されたから。
2 タキは時子に恋をしていたので、板倉と会わせたくなかった。2人が肉体関係を結ぶのがいやだった。
タキの手記を読んだ親戚の青年・健史はタキの死後、板倉が戦後、日本に帰り、漫画家イタクラショージとして成功し、死後に記念館が建てられたことを知る。そこで板倉の描いた紙芝居「小さいおうち」を見ると、そこには平井一家の住んだ赤い屋根の家に時子とタキのような2人の若い女性と小さな男の子がいて、2人の女性は姉妹か恋人同士のように描かれていた。中央に丸く描かれた小さいおうちの世界の外には、板倉が戦地で体験したらしい恐ろしいことが描かれている。
板倉は生涯独身だったが、結婚しなかった理由については、戦地での体験によって自分は結婚に値しないと思っていたからというのが通説になっていた。しかし、健史は板倉は時子が忘れられなかったからだと思った。
私がむしろ気になったのは、板倉はなぜ、時子とタキを恋人同士のように描いたかということだ。
板倉はタキが時子に恋していたのを知っていたのだろう。自分と時子とのつながりより、時子とタキのつながりの方が強いと感じていたに違いない。平井はいないに等しいというか、空気のような存在だった。そして、板倉には入る余地がないと、彼は感じたのだと思う。
このイタクラショージ作「小さいおうち」は、映画からは完全に削除されているが、平井と時子に夫婦の関係がなく、恭一が平井の息子ではなく、タキが時子に同性愛的な感情を抱いていたことをすべて削除した以上、この紙芝居も削除する必要があった。
だいじなものが抜け落ちてしまった、と感じる人は多いにちがいない。

物語の主眼は、映画も原作も変わらない。それはラストの年老いた恭一のせりふにあらわれている。あの時代は誰もが不本意な選択を強いられた、不本意であるということに気づきさえしないで。
大本営とマスコミの報道に一喜一憂し、本当のことを知らなかった当時の人々、時代に流されるだけだった人々のリアルがタキの手記に描かれており、映画もそれを中心にしている。

映画と原作で大きく違うのは、タキが手紙を板倉に渡さなかった理由と、その後のタキの後悔の理由だろう。
原作では、タキが手紙を渡さず板倉と時子を会わせなかったのは、不本意ながら当時の風潮に従ったためであり、また、時子に同性愛的思いを抱いていたからだった。
映画では、そのシーンを見た瞬間に私が感じたのは、タキは平井一家が壊れるのを恐れたのだ、ということだった。この考えは原作を読んだ今も変わらない。
原作では時子は再婚で平井とは夫婦の関係がなく、恭一は前夫の子供である。だから、平井一家のつながりは濃くはない。平井は恭一をかわいがってくれるし、時子にとっては友達のような夫で、それなりの絆はあると思うが、別れて板倉と結婚するのはそれほどむずかしくないと思う。
恭一が平井の息子だと、それは違ってくる。離婚ということになれば、世間体がどうのという以上の厄介な問題が起こる。なにより、恭一がかわいそうだ。
平井一家を守りたい、恭一がかわいそう、これが映画のタキが手紙を届けなかった理由だろう。
タキにとって、平井一家は小さいおうちに住む理想の家族でなければならなかった。そのために、映画はこれにかかわる細部を原作とは変えている。1つは、平井夫婦が大空襲で死んだとき、防空壕で抱き合って死んでいた、と映画ではなっているが、原作では「抱き合って」という言葉はない。原作の夫婦は性愛とは違う絆で結ばれていたから、抱き合うはふさわしくない。しかし、映画では、夫婦は性愛で結ばれて子供をもうけたくらいの絆なのだから、抱き合って死ぬのがふさわしい。あるいは「抱き合って」は映画のタキが想像したのかもしれない。
そして、原作の恭一は成長するにつれてけっこう憎たらしい少年になっていくが、映画ではかわいいままである。原作なら、母が離婚しても恭一は全然かわいそうではない。
ラスト、原作の恭一は母親の不倫を察していた。母親の愛がすべて自分に向いていたわけではないことを感じ取っていた。しかし、映画の恭一はそういうことはいわない。それどころか、彼は、タキと板倉が一緒になると思っていたなどという。
原作では平井一家は一枚岩ではなく、どこか隙間のある関係で、それは時子が再婚だからというよりは、リアルな家族はだいたいそんなものなのだと思うが、映画は平井一家が一枚岩の家族であるという幻想を最後まで保とうとする。それはタキの幻想を守ることでもある。

タキはなぜ、手紙を渡さなかったことを後悔しているのか。
時子が板倉と会うことなく死んでしまったからだ。会わせてあげればよかったという思いであるのは原作も映画も同じだ。また、そうすることができなかった自分への悔しさ、不本意な選択をしてしまったことへの無念の思いも。
原作では、タキの時子への同性愛が2人を会わせなかった可能性を示唆していて、なおかつ、板倉がタキと時子の強い絆に気づいていたのでは、という点が加わる。
そして、健史が板倉の紙芝居に描かれた、2人の若い女性がまた嵐が来るのを予感しているような絵を見るとき、戦時中の時代がまた来るのではないかという不安がそれとなく表現される。「長生きしすぎた」と言ったタキの気持ちをがそこにかぶさる。
映画は同性愛の可能性を削除し、かわりに平井一家の安寧を願ったために時子を不幸にしたかもしれないという可能性を打ち出している。
また、映画が「長生きしすぎた」というタキの言葉を原作よりも強調していることも見逃せない。
長生きしすぎたためにまた日本が昔のようになるのを見るのではないか、というタキの無意識の思いが、原作よりも映画の方がはっきりと描かれていると思う。
最後の最後、「おばあちゃんが泣いていた本当の理由はなんだったのだろうか」というせりふが、原作の最後の部分を一言で切り取っているのはみごとだ。

ほかに気づいたこととして、原作では女性編集者や美術館のキュレーターの若い女性が感じが悪い。芸術を扱う人と、芸術に描かれた人の間の埋められない溝を表現している。映画と違い、健史は美術館とは深くかかわらず、恭一の住所も来館者記帳で見つける。恭一もまた、一来館者として来ただけで、美術館とはかかわっていない。映画では美術館は恭一のことを知っているし、健史にも親切だし、第一、健史は恋人と一緒に行動している。山田洋次の方が、原作よりも、家族の絆や人と人とのつながりを信じ、理想化しているように思う。

というわけで、原作を読んでの覚書。「日の名残り」との比較はまた別の機会に。

2013年11月23日土曜日

ただ今読書中

先日、山田洋次監督の新作「小さいおうち」の試写を見せてもらい、非常に感銘したのだが、その後、原作の中島京子の小説「小さいおうち」についてネットで調べたら、映画とはだいぶ違う印象を受けたので、こりゃ原作読まなきゃ、というわけで、今日、図書館で借りてきた(映画公開は来年なので、まだ貸し出し中でない図書館が多いけど、そのうちどこも貸し出し中になるであろう)。
通常は、読了してからきちんと書くのだけど、なにか、これは途中経過を書いておきたい、と思ったので書く。

映画を見ていて、すごく引っかかったのは、時子の夫・平井は不倫しているんじゃなかろうか、ということ。社長からコンサートのチケットをもらい、夫婦で行くはずが、夫は会合があって行けないとなり、時子がイライラするシーンがある。こりゃ、夫は愛人がいて、それで時子は板倉と恋に落ちるのかなあ、と思ったら、そうじゃないみたいなのだ。
平井は典型的な会社人間で、会社のことしか頭にないという、日本の夫の代表者みたいだが、この当時、平井のような立場の人は愛人とか普通にいたのではないかと思っていたので、そうでなくて、平井夫婦は仲がいいのだとしたら、なんで板倉に、と思ったのである。夫を愛しながら板倉にひかれるとなると、それは「マディソン郡の橋」? まあ、確かに、戦争についての言及や、ラストの重さがなかったら、これは「マディソン郡の橋」だろう。

しかし、原作では、時子は最初の夫に死なれ、息子・恭一を連れて平井と再婚するのだった。語り手の女中・タキは最初の夫のときから女中をしていて、最初の夫は色男だったけど、平井は男の匂いがしないと書く。そして、平井夫妻が友達のような夫婦で、肉体関係がないことが示唆される。
なるほど、それなら板倉と恋に落ちるのは大いに納得。
そして、夫が留守のときに嵐が来て、板倉が泊り込む、というところまで読んで、はたと気がついたことがあった。
これって、日本版「日の名残り」じゃないだろうか。
果たして、著者はインタビューで、カズオ・イシグロのこの小説の影響を受けていることを認めていた。
「日の名残り」はイギリスの執事が過去を回想する話で、主人に仕えながらいろいろなことを見聞きしながら、常に傍観者としてものごとにコミットしない。そのコミットしない、できない主人公が、ジェームズ・アイヴォリーの映画の主人公にぴったりだなあと思っていたら、やがて、アイヴォリーが「日の名残り」を映画化。これはみごとな映画化だった。
「日の名残り」では、第二次大戦前夜の時代、語り手の執事が仕えた主人がナチスドイツに利用されてしまうエピソードが描かれている。「小さいおうち」の語り手、女中のタキは、現代から過去を振り返って手記を書いているのに、当時の能天気な日本人の感覚からあまり変わっていなくて、親戚の若者からきびしいことを言われる。このあたりも「日の名残り」の執事につながる感じ。

というわけで、「小さいおうち」の原作を読んだらすぐに映画と原作の比較を書く、というわけには、おそらくいかない。影響を与えたイシグロの「日の名残り」を読み返し、それをアイヴォリーがどう映画化したかを再確認してからでないと書けない、と思った(幸い、「日の名残り」の原作もDVDも手元にある)。
山田洋次がアイヴォリーとは全然違うタイプなのは明らかで、だから、映画からは「日の名残り」を連想することはできない。そこが一番気にかかる(というわけで、しばらくお待ちを)。

2013年11月20日水曜日

紅葉&ターナー展

ターナー展のチケットを買ってあったので、早く見に行かねば、と、上野公園へ。
東京都美術館の裏門の前の通り。裏門は閉まっていた。

表にまわろうとしたら、噴水広場のまわりの紅葉が目に入る。

みごとな赤と黄色。

国立博物館。

そして都美術館のターナー展へ。この写真は見終わって外に出てから撮ったものです。
ターナー展は平日の夕方、閉館90分前だというのになんだかものすごい混雑。しかも高齢者が多い。あとでわかったのだが、第3水曜はシルバーデーで65歳以上無料だったのだ。別の日にすればよかった。

閉館90分前に入ったのに、絵の数が多くて、ぎりぎりまで見ていました。
ターナーといえば透明水彩ですが、水彩画が美しい。あとは上のような「マスター・アンド・コマンダー」みたいなイギリス海軍の絵とか、イタリアの絵、そして、やはりターナーといえば英文学のロマン主義時代と重なる画家なので、ロマン主義の詩人やそのゆかりの地に関係する絵が興味深かったです。
油絵でもわりとあっさりしていて、光の表現がすばらしい。ターナーの絵は昔から好きなので、いろいろな美術展で少しずつ見ていましたが、これだけたくさん一度に見るのは初めて。ただ、とにかく混んでいて、ゆっくり見られなかったし、時間も足りなかった。
最後のグッズ売り場もすごい人でしたが、ポストカードとカレンダーを買いました。とにかく、展示場でもグッズ売り場でも常に人とぶつかっている感じでした。こんな混んでるの、あまり経験ない。

これは美術館の外にある大きな球形の鏡。

上の球の左側中央をズームしたもの。真ん中のエスカレーターを降りて美術館に入ります。

反対側から。鏡なので自分が写っている。

昨日はたまたま夜の銀座へ行き、ミキモトのクリスマスツリーを携帯で撮りましたが、携帯ではイマイチ。最近、銀座の周辺へ行くことがあっても銀座の真ん中へは行かなかったので、数寄屋橋交差点の角のビルがなくなっていたり、伊東屋の本館が建替え中だったのにびっくり。数寄屋橋交差点の角のビルはいろいろ思い出のある場所だったのに。伊東屋は狭くてエレベーターと階段しかなく、上の方の階に上がるにはエレベーターをかなり待たないとだめだったので、建替えはむしろ歓迎。クリスマスカードを買おうと思っていたのだけど、近くの別館をのぞくも、時間がなく、買うのはまた別の日にしました。

そんなわけで、上野でもクリスマスツリーないかなあ、と思い、毎年、大きなイルミネーションのクリスマスツリーになるイチョウの木へ。去年はこのあたりが工事中でイルミネーションは行なわれませんでしたが、今年も葉が茂っているから中止かな。たしかに葉や枝を落として、木に電線を巻きつけるので、かわいそうではあったのだ。右に西郷隆盛の銅像があります。

この木の向かいにあるグリーンパークというレストラン。

近くで青い光がチカチカしていたので、そっちへ行ってみると、飲食店の入ったビルの入口にツリーなどのイルミネーションが。

そして、スカイツリーも青でした。

2013年11月19日火曜日

ありふれた風景の中にも秋がある。紅葉と落ち葉。



銭湯の屋根。秋晴れ。

空き地に猫現る。


落ち葉は掃除をする人が大変。某墓地では交番のおまわりさんが落ち葉の掃除をしていた。

2013年11月18日月曜日

デレクはやっぱり喜んでいた!

パット・ラフォンテーヌとテッド・ノーランのセイバーズ参加について、「バッファロー・ニュース」は早速彼らと同じ時期をすごしたデレク・プラントに電話取材したようです。
http://www.buffalonews.com/sports/inside-the-nhl/inside-the-nhl-by-john-vogl-alumni-happy-to-see-sabres-moves-20131117
テッド・ノーランの時代に最もよい成績を残し、そして、プレイオフ・ファーストラウンドで絶体絶命の危機のときにOTゴールしたデレク。やっぱりデレクはラフォンテーヌとノーランのセイバーズ参加を喜んでいた!
デレクはセイバーズを忘れていなかったんだね。当然といえば当然だけど、なんとなく、日本にいたときにもデレクにセイバーズのことを聞くのがはばかられる感じがあって、デレクに声をかけるチャンスがあったときもセイバーズのことは聞かなかった。
でも、デレクが活躍した時代のラフォンテーヌとノーランについては、いっぱい思い出があったようだ。
ラフォンテーヌがロードではデレクのルームメイト(ルーミーともいう)だったとは!
デレクはクレインズにいたとき、試合が始まる前に必ず最初に氷上に出て、スティックでゴールをたたいたのだけど、セイバーズの掲示板でセイバーズ時代にもそうしていたのか、ラフォンテーヌがいたときも?と質問したら、セイバーズ時代もそうしていたという答えが返ってきた。ラフォンテーヌのルーミーだったから、許されていたのだな。

デレク・プラントの興奮した声を聞くと、まるでもう一度ロン・タグナットのグローブをかすめてゴールを決めたかのようだった。
「昔のチームが帰ってきた」とプラントは電話で言った、「すばらしい」
ファンと同じく、OBたちもセイバーズの低迷に心を痛めていたのだ。
「トップから始めて、適切な人材を置けば、また成功できる。パティ(ラフォンテーヌ)はバッファローとセイバーズのことを考えている。だから、私はセイバーズと彼のことを思って興奮するんだ。彼にはたくさんのアイデアがある。(中略)彼はセイバーズのために適切なことをしたいと思っていて、適切な人を雇う立場にある」

以上、デレクのところを抄訳してみました。ほかにも2人のOBに取材しています。
うーん、自分がセイバーズのコーチング・スタッフに呼ばれることを期待しているのかな、デレク。
でも、私は、いつか、彼がセイバーズのコーチの1人になることを期待しています。
がんばれ、デレク!

ヨドバシアキバで

日曜は久々にヨドバシアキバ店へ。
部屋にクリスマスツリーを飾りたい、それも、チカチカ光る電球つきで!
と思って行ってみたのですが、けっこう高いね、クリスマスツリー。
ある程度の大きさだと5000円くらい。電球別売りなので、いろんなふうにチカチカするのがいいな、と思うと7000円くらい行ってしまいそう。
うーん、やっぱりぜいたくかな、と思い、本命のお買い物、オフィス2010を買う。
うちのワードとエクセルは2002年のパソコンのものなので、そろそろ、というか、かなり限界であった。仕事先から来るワードとエクセルが開けないのは日常茶飯事。これでは産業翻訳はできない、というわけで(それだけではないが)、産業翻訳の仕事も失った。
しかし、ヨドバシの店員さんが流暢な中国語でお客さんに説明している現場を見て、さすがだなあと感心。
さて、11年ぶりにオフィスを新しくしようとしたわけだけど(まだインストールしてない)、もうひとつ、気になっているのがデジカメのバッテリー。8年前に買ったルミックスのデジカメのバッテリーが最近、全然もたなくなった。
この前も旧古河庭園でバラを撮っていたら、前日に充電したばかりなのに、すぐに容量が減ってしまった。
デジカメを買い換える余裕はないし、この8年前のルミックスは気に入っているので、バッテリーを新調しようと思う。
この8年前のデジカメ、けっこう気に入って使い続けている人がいるみたいだ。
今のデジカメだと2万円くらいのでもズームが20倍で、夜景を撮ってもぼけないらしいのに、この8年前のは12倍ズームでけっこうぼける。夜景や室内はぼけまくり。なので、買い替えどきなのだろうけど、ファインダーつきはやっぱり魅力。私はファインダーがないと写真が撮れない。
というわけで、バッテリーの在庫を調べたら、ヨドバシでも残少らしいので、早めに買わなければ(でも、高い。5000円以上する)。
そういえば、このデジカメを買ったのは2005年の11月でした。
11月に新横浜でアジアリーグの国内4チーム集結戦があり、そこで写真を撮りたくて買った(もちろん、デレクを撮りたかったのだ)。
集結戦の前日、試し撮りに出かけたのが、例の猫のいる墓地で、最初に撮ったのが猫だったのです。3枚くらい撮ったが、ぼけぼけで、大丈夫かいな、という感じだったが、新横浜ではそこそこいい写真が撮れた。
今年もこの週末は新横浜でクレンズ、バックス、ハイワン、ハルラの日韓集結戦が行なわれていたのだけど、神奈川方面で非常勤の仕事をするようになったら、休みの日に新横浜へ行くのがいやになってしまい、今回も見に行きませんでした。とりあえず、クレインズは2勝。うーん、やっぱりアウェーの方が好きですか?(厳密にはアウェーではないけど、釧路ではないということで)。
一方、セイバーズは、リーフスとの2連戦は連勝とはいかず、2戦目は負けてしまいました。バックアップのエンロスがあまりよくなかったらしい。
テッド・ノーランを選んだのはパット・ラフォンテーヌだそうで、オーナーから、ノーランで大丈夫かときかれ、「私を信じてくれ」とラフォンテーヌは言ったとか。うーん、かっこいい。
まあ、これからですね。でも、ビデオを見たり、いろいろ作戦的にやっていた前のHCたちに対して、ノーランは本能を重視するタイプらしく、選手たちもそこにひかれているようです。
確かに、考えすぎちゃっている人が多いよね、世の中(私のことだが)。

これがわがルミックス。すでに生産終了で、部品もないそうです。ブラックとシルバーがあったけど、私はシルバーを選んだので、まさにこの写真です(写真はパナソニックのサイトから)。

2013年11月16日土曜日

新生セイバーズ、リーフスに快勝

GMとHCを解雇し、90年代に活躍したパット・ラフォンテーヌとテッド・ノーランを招いた新生セイバーズ、ホームで宿敵リーフスに快勝でございます。
ただ今、ネットラジオも聞けない状態なので、あとで結果と掲示板を見ただけですが、これが同じチームかと思うくらい変わったらしい。
リーフスは主力を3人ケガで欠いているとはいえ、セイバーズにはまったく悪いところがなかったくらいよかったとか。
セイバーズがラフォンテーヌとノーランへのトリビュート・ビデオを流しています。リック・ジャネレットの実況と、そして、実は、デレク・プラントがちらっと映っている(顔は映ってないが)。
http://video.sabres.nhl.com/videocenter/console?id=485951
現在のラフォンテーヌとノーランもいい顔をしていますね。16年も続いたリギアGMとラフHCの体制ですが、あの2人に比べ、ラフォンテーヌとノーランは勝負師の顔をしているなあ。
ラフは一時期、非常によくて、ジャック・アダムズ賞も受賞してますが、この2人はやはり、可もなく不可もない、あたりさわりなく乗り切るタイプだったのかな、と。
やっぱり勝負の世界には、リスクを背負って冒険しないといけないことが多いけれど、リギアとラフは無難なところで勝負していたのかもしれない。
リギアとラフの体制のときにずっとあったファンの不満、ラフが昨季、途中で解任されたときは記者会見もあり、選手とのお別れもあり、ファンもねぎらいの言葉をかけていたのに、今回のリギアの解任では記者会見も何もなく、ファンも話題にもせず、16年もGMしていたのにまるで存在しなかったかのような印象。ラフはとにかく、リギアはやめろコールが絶えず、やっとやめてくれた、という感じなのですが。
リギアはオーナーに振り回されたというか、2代目オーナーは詐欺師、3代目オーナーは金出さず、と、自由にできなかったのだけど、金を出す4代目になってもだめだめだったからね。
確かにチームを傷つけるようなことはしなかったけど、なんとか生き延びればいいみたいな消極的な行き方、すぐに言い訳をする(これはラフもだそうだが)というところがファンの不満を募らせていた。ノーランは言い訳をしない、ラトビアのナショナル・チームが「ロシアには勝てない」と言うと「そんなはずはない」と言う、セイバーズには「ホームでリーフスには負けない」と言う。そういう強い姿勢がファンが望んでいたものだったのだ。

言い訳をして生き残るというぬるま湯体質については、考えさせられるものがある。
大学の非常勤講師をしていると、学生が授業についての言い訳ばかりしてくることが多くて、いいかげんうんざりしているから。
日本の大学は、学生が言い訳することで単位がもらえる世界、みたいな認識ができてしまっている感じ。言い訳をすれば、何もしなくても単位がもらえる、みたいな。就職が決まったから単位を出してやってくれという圧力。就職や実習や部活やバイトがすべてに優先される体質(もちろんこれらも大事なのだが、両立よりも言い訳にするみたいなところ)。勉強をがんばった人が就職活動で損をする社会。おそらく彼らが就職していく先も、言い訳することで生き残る社会なのだろう。そういう社会に反発することさえない。
でも、セイバーズがぬるま湯の中でどんどんだめになっていったように、今のぬるま湯体質が日本の社会と大学をどんどんだめにしていくと思う。
私自身も、仕事が授業ばかりで欲求不満がたまってきたので、授業してれば自動的に毎月給料が入るぬるま湯体質を少しは変えなければ、と思っているのだが。

2013年11月15日金曜日

テッド・ノーランの帰還

ただ今NHLをぶっちぎりで最下位独走中のセイバーズ。さすがになんとかしなきゃってんで、ついにオーナーはGMとHCを解雇。かわりに90年代のセイバーズのスター、パット・ラフォンテーヌと、歴代のセイバーズHCの中で最も人気があったテッド・ノーランを起用。ラフォンテーヌはプレジデント・オブ・ホッケー・オペレーションズという肩書きで、GMではなく、次のGMを探すのだとか。そして、ノーランは、肩書きこそインテリム・コーチだが、事実上のHCのようで、97年にジャック・アダムズ(最優秀ヘッドコーチ賞)を受賞しながらハシェックとの確執からチームを去って以来のリターンとあいなりました。
ノーランは現在、ラトヴィアのナショナルチームのHCで、ソチ五輪でも指揮を執る予定だそうですが、とにかく彼はいまだにバッファローで、あるいはセイバーズ・ファンの間で、大人気なので、ノーランの帰還はおそらく、アリーナのスタンドから大拍手で迎えられるであろうと言われています。当時のオーナー夫人(初代オーナーの夫人。今のオーナーは4代目)もノーラン支持だったとか。
このノーランとハシェックの確執時代というのは、あのデレク・プラントがまさに目の前で見ていたもので、デレクは当時、ラフォンテーヌに次ぐセカンド・センターで活躍、ノーランに生かされた選手の1人と言われています。
このノーランとハシェックの確執の話は初期のさーべる倶楽部で何度も書いたし、あれから長い年月がたって、もう今さらなので、詳しく書きませんが、とにかく、GMのマックラーとHCのノーランの間でまず確執が起こり、そこにマックラー支持のハシェックが加わり、もうえらいぐちゃぐちゃの人間関係になっていたのです(選手もノーラン派かハシェック派かで分かれてたらしい)。
んでもって97年のプレーオフ、ファーストラウンド。ハシェックがケガしてセイバーズ絶体絶命の第7戦、デレクがOTゴールしてセイバーズが勝ち抜けたという劇的なことがあって、もう、デレクはこれだけで記憶に残る選手になっているのですが、その後、オフになって、まずマックラーがクビになり(ノーランのせいで去った)、かわりにGMになったダーシー・リギアがノーランに出した契約の内容が気に食わず、ノーランは去り、かわりにリンディ・ラフがHCに就任。以後、リギアとラフの体制が実に15年くらい続いていたのでした。
そして昨季途中でラフが解雇、かわりにロン・ロルストンがHC就任。しかし、今季、あまりのぶっちぎり最下位ぶりに、ついに長年GMしていたリギアと、そしてロルストンが解雇とあいなったのでした(テッポ・ヌンミネンはじめコーチ陣は続投)。
んなわけで、ノーランが去ったあと、ほとんどラフがやっていたようなものだったので、マックラーとノーランのかわりに入ったリギアとラフが退いて、またノーランが来たという、間に長い年月があるものの、なんだかよほど人材がいないみたいなセイバーズであります(選手はしょっちゅう替わるのに)。それに、ラフォンテーヌもノーランもセイバーズ・ファンに大人気の人たちなので、これは要するにファンの怒りを鎮めるためではないかという説が有力。これでも変わらなかったら、というか、あまり変わりそうな気はしないのだけど、どうでしょうね。
というわけで、デレク・プラントの時代のスター選手とHCが戻ってきたわけだけど、母校のホッケー部でコーチをしているデレクはこのニュースをどんなふうに見たのでしょうか(自分の仕事に忙しくてそんな暇ないか)。

2013年11月13日水曜日

HAGISOの銭湯展

文京区の図書館でおとめ湯展をしたグループが台東区・谷中のHAGISOで銭湯展をしているというのを知って、旧古河庭園のあとに行ってみました。
http://hagiso.jp/art/nov_sento/(11月17日まで)
この写真のポスターを見て知りました。写真は10月から休業中の鶴の湯の下駄箱。

駒込から山手線で日暮里に行き、夕焼けだんだんを下りてすぐ横に曲がってしばらく行くと、HAGISOが見えてきます。ここは古い木造アパートを改修して展示室やカフェのある建物になったのだそうです。

正面から。この前の通りはすごく狭くて、車が来ると人は端に寄らねばならないほど。しかも、車がしょっちゅう通る。建物の写真を撮るのは一瞬のチャンスという感じ。
入口に銭湯ののれんがありますが、風が強い。

廃業したおとめ湯を中心とする文京区の銭湯展ですが、台東区での開催ということで、台東区の銭湯マップも。下はおとめ湯の図が下がっているところ。

おとめ湯の文字のある湯桶。普通はおとめ湯のところにケロリンと書いてある。

今年春の段階で営業していた文京区の11の銭湯のパンフレット。販売もしています。
洗い場をイメージして、洗い場にある椅子が置いてあります。





水道の蛇口。

富士山の絵。湯船がないのが残念だった。

別室では、おとめ湯の取材映像が上映されている。

フルーツ牛乳など。

鶴の湯のパンフレットを買おうとしたら、在庫切れで見本しかなかったので、見本を売ってもらいました。パンフの中を読むと、女将さんが1人できりもりしていたらしい。だから休業せざるを得なかったのか。無料の文京区・台東区銭湯マップには、12月に一時的に再開するとも書いてありました。
左はおとめ湯の図(無料)。真ん中上はHAGISOの小冊子(無料)。

秋の旧古河庭園

秋バラの季節はすぎてしまったけれど、今年も行ってみました、北区の旧古河庭園。
まずは西ヶ原の駅を降りて外に出たら、スカイツリーが。

道路沿いの花壇のバラ。

旧古河庭園。紅葉がお出迎え。

しかし、バラはやはりほとんど終わっていた。

開いているのは悲惨なのが多く、なんとかきれいなのを見つけて撮る。

おかげさまで、人は少なく、定番のアングルもこのとおり無人。

晴れたり曇ったりの空。




日本庭園の方は紅葉がちらほら。奥に滝がある。


洋館の前。手前の花にピントを合わせる。

今度は奥のバラにピントを。

お弁当はファミマのおにぎり。ただ今、一個百円。

せめてつぼみは美しく、と思ったが、終わりが近いのでつぼみも少ない。



このあと、山手線で別の場所に移動するので、駒込駅へ向かう。途中に銭湯があった。
ここは坂道なのだが、道を水平に撮ってしまったので、建物が少し傾いて写っている。

HAGISOの銭湯展へつづく。