2014年10月30日木曜日

今日届いた本

http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%88%E6%98%A0%E7%94%BB%E9%81%BA%E7%94%A3-%E5%A4%96%E5%9B%BD%E6%98%A0%E7%94%BB%E7%94%B7%E5%84%AA%E3%83%BB%E5%A5%B3%E5%84%AA100/dp/4873768012/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1414677702&sr=1-1&keywords=%E6%98%A0%E7%94%BB%E9%81%BA%E7%94%A3


男女優5人ずつ投票しましたが、例によって、ほかの人があまり投票しない人ばかりになってしまったなあ。もともと好みがマイナーなのだけど。


しかし、こういう本、売れるのでしょうか?
読むところがあまりないような。

2014年10月23日木曜日

あれまっ

10月29日発売という「表紙でふりかえるキネマ旬報」。
http://www.amazon.co.jp/%E8%A1%A8%E7%B4%99%E3%81%A7%E3%81%B5%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%AD%E3%83%8D%E3%83%9E%E6%97%AC%E5%A0%B1/dp/4873767997/ref=zg_bs_500492_19
ちょっと、この表紙、ど真ん中にあるヒッチコックの似顔絵、かの有名な和田誠画伯の作品ですが、これ、たしか、私が初めて原稿料もらって書いた号の表紙だよね、と思って調べたら、やはりそうだった。
1984年5月下旬号。まだ在庫あるのか、と思ったら、古書店のサイトでした。
http://www.art-blue.jp/kj2/1984/
権利の関係で長らく公開もビデオ化もされていなかったヒッチコックの5作品、「ロープ」、「知りすぎていた男」、「裏窓」、「めまい」、「ハリーの災難」がリバイバルされたときの特集。
なお、読者としての投稿が載ったことは70年代に何度かあります。
私が初めてキネ旬を見たのは高校の図書館でしたが、そこでは古くなった雑誌は机に並べて希望者が勝手に持っていっていいことになっていて、「アレンジメント」のフェイ・ダナウェイが表紙の号をもらっていった記憶があります。たぶん、一番古い記憶のキネ旬の表紙がそれ。

2014年10月22日水曜日

要するに、ここは丼勘定の出版社、だよね?

時間泥棒の次は原稿料泥棒の話です。
芥川賞作家の柳美里氏が、「創」という出版社で連載などをしていたにもかかわらず、数年間分の原稿料が払われていない、ということをブログに書き、その後、インタビューにも応じています。
http://getnews.jp/archives/686281
この記事の下の方にブログ記事へのリンク、編集長の言い訳へのリンク、そして他の執筆者の反応などへのリンクが貼られていますが、
要するに、ここは丼勘定の出版社、だよね?
最初のうちは払っていたけれど、だんだん金額が減り、その後まったく払われなくなったとか、原稿料がいくらなのかの明細も出してないとか、別の執筆者は未払いはないとか、要するに、その場その場の気分で払ったり払わなかったりしてる、また、人によって払ったり払わなかったりしてるわけで、こういうところは私だったら最初からお断りです。ボランティアで書いて、っていうのは何度か書いたことあるけど、経理がきちんとしてないところはヤバイ。
出版社が赤字続きで払えない、という実情が背景にあるとしても、最初から丼勘定ってのはヤバイだろ。
ちなみに、私がかつて受けた原稿料未払いは、相手はどう見ても赤字などあるはずのない大手配給会社だった。そこはすでに解散しているので(倒産ではない、念のため)言ってもかまわないと思うが、最初に20万円ほどの翻訳をしたのに、2年以上、支払いがなかった。その20万円のあとの仕事はきちんと払ってくれていたのだが、何度催促しても最初の20万円を払ってもらえす、ついに私がキレて、お金は払ってもらえたが、そこで仕事はできなくなった。
噂によると、そこは相手によって払ったり払わなかったりするところらしかった。
まあ、確かに儲かる翻訳だったので、未払いに目をつむって仕事を続けた方が収入的にはよいから続けている人もいたのだろう。でも、私はお金にきちんとしないところは我慢できなかった。
私が映画評などを執筆していたところはどこも原稿料が安くて、出版社や雑誌の規模からしたらこのくらいの安さだろうな、ということは感じていたので、安くてもきちんとしている方が安心だった。最初は原稿料は400字1000円から1500円、翻訳だと400字500円とか、そんなくらいだった。その後、400字で3000円のところとかたまに来るようになったが、執筆で生活ができるほど稼いだことはない。翻訳書も年に何冊も出さないと生活は無理で、今は年に何冊も仕事を得ること自体が非常に困難。
柳美里は講演やテレビ出演をほとんどしていないというが、作家や評論家はタレントにならないと食えない時代だと思う。さもなきゃ中沢けいみたいに大学教授になるとか。さっき、20分もの予告編を我慢して「アメリカン・ハッスル」を見たんだけど、サバイバルは重要な芸術(アート? なら技術もあり?)みたいなことを言っていて、まったくそのとおりだと思った(映画はあんまりおもしろくなかったけど)。作家や評論家をやりながらしっかり大学教授に収まった人は多いが、そういう「人間力」が大事なんだよね。ただ、作家や評論家を教授に採用するというのは一時期の流行にすぎないので、今後はわからないと思う。


追記
「創」は編集長が1人で30年もやってる雑誌だったのか。どうりで丼なわけだ。
http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/25823/

時間泥棒

時間泥棒といえば、ミヒャエル・エンデの「モモ」。
が、それはともかく、レンタルDVDのスキップできない予告編て、時間泥棒じゃないのだろうか?
ツタヤで5枚1080円のレンタルで借りたディスク。
「19歳」は短いので時間泥棒の予告編が20分以上あるだろう、と思っていたら、スキップできないのは1本だけだった。
「ハンナ・アーレント」も時間泥棒があるだろうと思ったが、すべてスキップできた。
「アナと雪の女王」は最初から本編見たい人はこちらというのがあった。
「ウルフ・オブ・ウォールストリート」は予告編がまったくなかった。
そして、5枚目の「アメリカン・ハッスル」。夜中に見ようと思ってかけたら、予告編がスキップできない。2時間20分もあるのに予告編が20分も30分もあったら大変だ、と思って2つスキップしようとしてだめだったところで見るのをやめた。
返すのは2日後なので、まだ時間はあるのだけど、5枚借りたら1枚は見ずに返す可能性は最初から考えていたので、見ないで返すかもしれない。
レンタルDVDだからといって、予告編を数十分も見させるって、どういう考えなのだろうか。
スキップできない予告編の時間も表記すべきではないのか。
時は金なり、という言葉があるように、時間は金より重要なものだ。
その時間を、金を払ってレンタルする客から奪うのだ。
最初から、スキップできない予告編の時間を表記していれば、それを承知した上で借りるので問題はない。しかし、借りてみたら数十分も予告編を見ないと本編が始まらないというのは詐欺ではないのか。
誰かが訴訟でも起こせば何かが変わると思う。でも、とりあえず、ここは時間泥棒の販売元だというのは把握しておきたい。時間泥棒されても見たいものだけ見るようにするから。
ちなみに、「アメリカン・ハッスル」の販売元はハピネット。

2014年10月9日木曜日

猿の惑星:新世紀(ネタバレあり)

水曜日はレディースデーで「猿の惑星:新世紀」。
これ、見ようかどうか迷っていたのだけど、上映館が今年で閉館の新宿ミラノだと知り、はせ参じた。が、いつも通り中はガラガラで、お客さんが「なにこの映画館、こんなにガラガラで」と驚いていた。
思えば30年以上前、ここで映画の日に「戦場のメリークリスマス」を見ようと出かけたが、目当ての回はすでに満員で、次の回の列ができていた。そこで3時間くらい並んで次の回を見た。並んでいた人が、「大島渚監督、ヒットしてよかったねえ」と言っていて、うんうん、とうなずいたのを覚えている。
閉館間近ということで、ロビーには過去に上映された作品のポスターが並んでいたが、戦メリはなかった。
新宿プラザとコマ劇場があったところはすでに新しいビルが建っていて、ミラノ前の公園も何か作るようで壁で囲まれていた。戦メリのために並んだあたりも今は空き地ではない。
スクリーンの前に幕があるというのが今では珍しいというか、過去の遺物なんだろうな。


さて、「猿の惑星:新世紀」。ノベライズの原稿を読ませてもらっていたのでストーリーは全部わかっていたが、映像はなかなかすばらしく、話もテンポがよかった。シーザーのドアップで始まり、ドアップで終わるので、ノベライズの最後のエピローグは省かれている。
一応面白かったので、文句はないのだけど、この映画、日本以外では大ヒットで、前作「創世記」を超えるヒットになっている、というのがどうにも信じられない。
というか、「創世記」はウィルスを使った治療薬が恐ろしい伝染病になってしまうという設定が斬新で時代に合っていて、また、猿のシーザーを囲む人間たちのドラマも面白かったが、これの続編がウィルスの話の続きを一気に飛ばして猿と人間の戦いの話に、というのが猿の惑星ファンでない普通の観客にはちょっとね、という感じがするのだ。
「新世紀」の方は人間の多くがウィルスで滅びた世界が舞台で、そこで森に暮らす猿とサンフランシスコに暮らす生き残った人間たちが出会い、一部の猿と人間の憎悪や恐怖から戦争になってしまうという話で、「創世記」が現代を舞台にした人間中心のSFだったの対し、「新世紀」はディザースター後の未来が舞台のディザースターSF&戦争ものみたいな感じになっている。そのディザースター後の世界や戦争の映像がみごとで、アクションもキレがある。しかし、こういうタイプの映画、最近のハリウッドに多いタイプの映画は、暗い未来とキレキレのアクションで、グローバルな人気を得ているわりには日本で受けないという典型。これをもって日本は遅れているとか、世界から孤立しているとか言う人がいるのだけど、どうなのだろうか。単に世界がコレに洗脳されてるだけなんじゃないか、日本だけ、この種のものを刷り込まれなかっただけでは?という気もする。
それはともかく。話のテンポはいいんだが、その分、ノベライズにあった、猿と人間が協力する中で友情が生まれるとか、シーザーと人間の主人公マルコムが互いに名前を名乗り合うシーンとかが省略されているのが惜しい。こういう部分があった方が、平和共存を望みながら戦争になってしまう悲劇が生きるのだが。
ゲーリー・オールドマン扮するドレイファスはノベライズどおりの人だった。オールドマンだから狂気の人物に変わっているのでは、というのは杞憂であった。しかし、クライマックスのドレイファスの行動には本当は狂気が必要なのだけど。それがないので唐突な感じがする(ノベライズでもそう感じた)。
ドレイファスはノベライズの原稿では軍人出身と書いてあったので、解説にも軍人上がりの政治家と書いたら、編集者からドレイファスは元警察本部長だと言われ、解説でもそのようになった。しかし、映画を見たら、確かにドレイファスは軍人出身だった。軍人から警察本部長になり、政治家になった可能性もあるが、映画ではドレイファスがタブレットの画像を見るシーンで軍隊の写真が出てくる。
「新世紀」の前日譚にあたるノベライズ「ファイヤーストーム」(映画化はされず)ではドレイファスは警察本部長なのだそうだ。「ファイヤーストーム」と「新世紀」はノベライズの作家が別の人なので、ドレイファスの経歴にずれが生じたのかもしれない。また、私が読んだ翻訳原稿は初期のもののようだったので、その後変更された部分もあるかもしれないと思う。


さて、以下が結末の部分についてで、ネタバレがあるところです。

2014年10月8日水曜日

シニア1枚

火曜日はイーストウッドの新作「ジャージー・ボーイズ」を見てきた。
シニア料金で見られるようになったので、窓口で初めてシニア1枚と言ったら、証明書の提出も求められず無問題。今日は女性1枚で行こう。
映画はイーストウッドとしてはそこそこかなあ、というところかな。面白く楽しく見られるけど、傑作とかそういうものではなく、いろいろな面で不満も残る。もっとよくなったのに、と感じる部分もある。特にクライマックスが、娘との関係がそれまであまりきちんと描かれていないこともあって、「君の瞳に恋してる」が盛り上がらない感じ。この曲は私は別の歌手でなじんでいる、ということもあるのだが。
役者は4人中3人は舞台のキャストそのままだそうで、いい味を出していてうまい。フランキー・ヴァリ役の俳優が歌もすごいし、演技もいい。トミー役はこの時代のこの種の青年にすごくはまっている。クリストファー・ウォーケンは、私には物足りなかった。あと、女性が単調。娘も含めて。マイケル・マンの映画か、ってくらいに。


火曜日は例の小保方晴子氏の早稲田大学での博士論文についての茶番劇がまたあって、早大は1年の猶予を与えるので、その間にまともな論文を出せば学位は維持としたようだ。しかし、まともな論文を新たに書くには実験室も必要だし、時間もかかる。それを1年で、というのは、コピペの部分を自分の言葉で書き直して、本文を適当にそれらしく直せばいいてことだろうか。これなら実験室はいらない。あるいは、1年後にしておけば忘れられると。この問題はとにかく、先延ばし、先延ばしにして忘れられるのを待っている印象が強い(早大も理研も)。
そして、そのあとに入ってきたノーベル物理学賞のニュース。青色LED実用化に貢献した日本人2人と、元日本人のアメリカ人1人が同時受賞。何年か前に日本人同時に何人か受賞したとき、1人が実はアメリカ国籍を取って日本人ではなくなっていたということがあったが、そのときはなぜ日本国籍を捨ててアメリカ国籍になったのか疑問に思う人はいなかった(私はこの人は学生時代に本を読んで知っていたけど、だいぶ年配の方で、アメリカ人になったのもすでによく知られていたのだろう)。今回の元日本人、中村教授はかつて自分が所属していた企業と訴訟になったので、非常に有名になった。しかし、アメリカ国籍を取ったことは知られていなかったので、驚きが走った。(日本は二重国籍を認めていないので、外国籍を取ると日本国籍を放棄しなければならない。)
そしてさらに驚いたのは、中村教授が日本の科学界の人たちにはとても嫌われているということだった。小保方晴子氏と比較する人までいる。
捏造剽窃だらけで中身のない小保方氏に比べ、中村教授は青色LED実用化に貢献している。しかし、マスコミを利用して世間をだましている、と彼は見られているのだ。
青色LEDは中村教授とともに受賞した2人の日本人研究者が基礎を作り、それを中村教授が実用化した。だが、中村教授は、青色LEDの発明そのものを自分の手柄にしているふしがあるらしい。今回、基礎を作った2人の研究者が先に名前が出ているのは、貢献順としてはしごくまっとうなのだとか。
また、例の裁判でも、中村教授が対価として多額の金額を求めていた特許は、青色LED実用化の特許ではなく、その技術は今は使われていないのに、あたかも青色LED実用化の特許を自分1人で取り、その対価を求めているように見せかけた。そのため、世間では、中村教授は所属する企業の理解も得られず、1人で青色LEDを発明した、なのに会社は2万円しかくれなかった、と思い込んだ。実は私も思い込まされた1人だったが、会社社長の手厚い援護があってこその成果であったことは中村教授自身が本に書いていることがわかった。
当時の社長は社員であった中村教授に多額の資金を与え、工場で何度も爆発事故が起きても開発を中止させなかったそうだ。もちろん、一緒に研究した仲間もいた。
ところがこの社長が亡くなったあと、中村教授は会社とそりが合わなくなり、冷遇され、それが訴訟の最大の原因であったらしい。
中村教授は性格的にどうもいやなやつと言われてもしかたないところがあるようで、それがたまたま理解ある社長とめぐりあったので、いやなやつでもノーベル賞級の仕事をさせてもらえたのだろうが、そのいやなやつのところが科学界の人にはかなりよく知られていて、同じくノーベル賞受賞の利根川氏と同じくらい嫌われているのだという。
実際、青色LEDの発見を自分の手柄に見せたり、実用化を自分1人でやったかのように言い、別の特許での訴訟なのにこの実用化での特許のように見せて世間を味方につけ、その後は日本社会批判で世間の人気を集め、そして、アメリカ国籍を取ったのは、アメリカで予算をたくさんもらうには軍の予算をもらう必要があり、アメリカ国籍でないとその予算がもらえないから、などと発言した。
中村教授は、研究者は研究の金を稼いでなんぼだということも書いているので、研究の金のためにアメリカ国籍を取った、それも軍事予算のため、というのは彼の主義には合っている。ただ、こういうこと言うかね、普通、というところ。正直っちゃ正直なんだし、偽悪趣味というか、ワルな自分を演じるのが好きなんだろうね。アメリカ人だって、うわべをつくろうだろ、普通。
外国へ行った日本人の日本批判は日本ではとても受ける。日本社会に不満を持っているが何もしない、できない日本人が多くて、そのガス抜きになっている。彼らの日本批判は何の役にも立たないが、それでガス抜きしている日本人が一番悪い。
小保方氏に対しては、右にも左にも擁護派や批判派がいるが、中村教授についても左右に関係なく擁護派と批判派がいるようだ。中には自称哲学者の山崎某のように、小保方擁護で若山氏や遠藤氏を攻撃しながら、中村教授のことは攻撃している輩もいる。ただ、共通するのは、小保方氏も中村教授も、マスコミで持ち上げられ、事実とは違うヒーロー、ヒロインに祭り上げられた、そして、その背景には、小保方氏や中村教授の自分を肥大化してアピールする能力があったということだろう。


参考
http://togetter.com/li/729077