2014年7月29日火曜日

なんでこうなるの?

https://twitter.com/kakinaguru_zo/status/493952613784637442


NHKスペシャルのSTAP特集で小保方氏の論文の間違いをいろいろ追及したそうですが、それについて、小保方氏の弁護士三木氏が「集団リンチ」と言ったというのが話題になっています。
研究の誤りを指摘するのが集団リンチでは、学問も研究も教育もできなくなる、ということで、まったくそうなんですが、この三木弁護士は小保方氏についてはかなり変な発言ばかりしているので、またか、という感じなんですが、上のツイッターのやりとり見ると、単に三木氏のバカ発言ではなさそうな。
先週と先々週は3つの大学で期末試験があり、合計400人くらいの学生を教えているので、試験の採点は片っ端からやらねば大変、ということで、2つの大学の成績は先週中に出し、3つ目の大学の成績は昨日出してきました。これで夏休みだ、わーい。
まあ、私は非常勤なんで、ゼミとかないし、授業もあまりきびしくしてないのですが、それでも、間違いを指摘されることへの耐性がない人が多いというのはよくわかります。
これは最近に始まったことではなくて、私が非常勤講師を始めた30年くらい前からすでにありました。
以前は英語の授業ばかりだったのですが、英語というのは学生に発表させて、間違いを直すことで学んでもらうのが原則なのですが、その、間違いを直すというのがいやな学生が多いので、最近はもう発表はやめて毎回小テストになってしまっています。
発表をさせていたときは、もちろん多くの学生は間違いを直してもらいながらしっかり学んでくれていたけれど、やはり一部に、自分が常に完璧でないと気が済まない学生がいるので困りました。
大学生では間違うのが当たり前、大学生で英語完璧だったら授業来なくても単位やるよ、というくらいなのに、とにかく自分が間違うのがいや。というか、人前で間違いを指摘されるのがいや。
なので、小テストにしたら、人前で間違いを指摘されるのがなくなったので、平穏無事になりました。
しかし、今年は久しぶりに英作文を発表形式でやったら、発表をやりたがらない学生が多くて、やはり間違いを直す授業はだめなのか、と思いましたね(もっとも、慣れてくると平気になる学生も多いです)。
やっぱり慣れなんでしょうね。たぶん、小学校からずっと間違いを指摘されることに慣れていれば、耐性もつくのだろうけど。でも、30年前に英語の授業したとき、「高校では先生が全部説明してくれて、発表なんてなかったのに、なぜ発表をさせるのか」と抗議されたことがありました。30年前でもすでにそうだったのだ。
先生が一方的に教えるのではなく、学生同士で議論させろ、と言いますが、学生同士で議論というのは、それこそ人前で間違いを指摘し合うことなので、今の日本じゃ無理だろ、と思います。
上のツイッターでは、日本の大学生は学ぶ姿勢がない、と書いてありますが、単に学ばないというよりは、間違いから学ぶのが勉強、という理念が教育現場から消えてしまっているのだと思います。
まあ、私が行ってる大学は中堅かそれ以下なんで、やる気のある学生はやる気があるし、やる気のない学生はプライドも何もないので、間違いを指摘されて怒るような学生はいませんね。それだけはありがたいです。

日経サイエンス9月号

日経サイエンス9月号を買ってきました。
今回は自分にとって興味深い記事が多く、コーヒーショップでいくつか読みましたが、面白かったです。
目当てはSTAP細胞最新情報で、例のマウスの染色体の話が詳しく解説されていましたが、日曜夜にはNHKスペシャルでSTAP騒動の特集もあったようですね。私は見てませんが、ネットの書き込みなど見ると、なかなか見ごたえがあったとか。
小保方氏と笹井氏のメールのやりとりが情感たっぷりの声で表現されていて、なんか、ネットでは騒然となってましたが、テキストになったのを読んだら、ただの業務連絡にすぎないような感じが。
案の定、小保方側は抗議しているようです。
日経サイエンスはSTAPは特集ではなく、国内トピックスの扱いです。特集の方では記憶についての話、インドの天才数学者の残した論文から最近、ものすごい発見があったという記事、そして麻酔の副作用についてが興味深かったです。
また、夏休みということで、子供と楽しむ科学の別冊つき。


先週水曜に松屋で新発売のプレミアム牛めしを食べ、それが90円も高いのに全然うまくなく、おまけに好きなメニューが消滅、ということで、もう松屋は行かない、ということになってしまったのですが、かわりにココイチやなか卯やサイゼリアに行っています。そして、月曜は、今までなんとなく気になっていたが入りにくかった富士そばに入ってみました。
ここはサラリーマンのおじさんばかり、という印象だったのですが、入ってみると、女性もいるし、外国人のカップルもいる。意外にいろいろな人がいました。
で、食べたのは冷たいそばに肉や大根おろしや梅干しが載っているそば。490円でしたが、なかなかおいしかったです。

2014年7月25日金曜日

松屋が要らなくなる日

牛丼チェーン店では私はダントツ、松屋でした。
もともと牛丼はあまり好きでないので、それ以外のメニューが豊富でおいしかった松屋。
牛丼ならぬ牛めしも240円のミニがごはんの量が手頃で、牛めしはもっぱらこれを愛食。
しかし、ついに、私の夕食の選択肢から松屋が消える日が来てしまいました。
それはまず、水曜日。プレミアム牛めしなるものとの出会いから始まります。
水曜は夕方にマックでポテトのLが150円だったので、思わずそれを食べてしまい、ちょっとおなかがいっぱい。そこで、遅い夕食では松屋の牛めしミニ240円で軽く行こう、と、某所の松屋へ。
券売機を見ると、なんと、どのサイズも90円高いプレミアム牛めししかない。
ミニは330円もする。
でもとりあえず、その自慢のプレミアム牛めしを食べてみるか、と、ミニを買って中へ。
それまでの牛めしに比べ、肉が厚いが、その分、肉の量が少なく見える。薬味がついているが、別にどうってことのない味。そして、肉の味が以前の牛めしと全然変わらない。
要するに、肉の厚さが少し暑くなって(でも肉の量は少なくなった)、薬味がついているだけで90円値上げか!
かなり怒りを感じましたが、それでも松屋愛は消えず、翌日、今度は別の松屋へ。2週間前に始まったばかりの山かけネギトロ丼を食べようと券売機の前に立つと、
なんと、メニューが激減している!
プレミアム牛めしと、その変化形(ネギと卵が乗っかったやつとか)と、カレーと、定食が3種類しかなかった!
2週間前に始まったばかりのネギトロ丼はどこへ?
鶏肉の甘辛いため定食とか、豚焼肉定食とか、生姜焼き定食とか、すべて消えていた。
定食は牛肉の定食とデミタマハンバーグ定食しかなかった。
私が好きだったメニューがすべて消えていたのでした。
それがわかったので、券売機にお金を入れることもなく、すぐに店を去りました。
もう松屋に行くことはないのか。
あのプレミアム牛めしを食べるくらいなら、なか卯の牛すき焼き丼を食べる。というか、牛すき焼き丼は以前の松屋の牛めしより高いけど、その高さを補うだけのうまさがあるのです。
しかし、プレミアム牛めしはうまくもなんともなくただ高いだけ。
と思ったところ、プレミアム牛めしはきちんと作らないと以前の牛めしと同じ味になる、というサイトを見つけました。
http://news.livedoor.com/article/detail/9034602/
たれとか全然違うって、私が食べたのはまったく同じだったぞ。
松屋は店によってきちんと作るところと手抜きのところがある、というのは経験でわかっていたので、おそらく水曜に行った店は手抜きの店だったのでしょう。私のほかにも次々プレミアム牛めしを食べる人がいましたが、これで松屋の評判はおそらくガタ落ちです。
一方、きちんと作るとバイトが大変っていったい?
いっそ、前の牛めしのまま、やむなく少しだけ値上げ、にした方がよかったのでは?
つか、私の好きなメニュー全滅って、どうよ、つか、許せねえ、松屋!


実は、私は松屋の牛めしの並みを決して食べないのですが、それは、作り置きしたのをレンジでチンしたと思われるのを何度か食べさせられたからです。プレミアムは賞味期限1時間ていうのは、レンジでチンする期間のことか?と思ったのは私だけか?


なんにしても、さらば、松屋。長年世話になったのは忘れないけど、これからはなか卯の牛すき焼き丼です。なか卯は今の時期は冷たいうどんもおいしい。冷たいうどんのミニと牛すき焼き丼のミニの組み合わせで食べるのが好き。


追記
そういや、最近、なか卯が混んでいるのだが、松屋のせいだろうか?
松屋がアレだと、なか卯も手抜きになってしまうのかなあ。
そして、ただでさえ重労働でバイトが集まらないすき屋に客が殺到して、さらにすき屋のバイトが悲惨なことに、とならないだろうか?
松屋の社長がプレミアム牛めしの値段について、これが高いと思う客は来るな、と言ったそうだけど、言われなくても行きません(私の場合は好きなメニュー全滅のせいだけど)。

2014年7月22日火曜日

かねもちはくしとびんぼうはくし

http://id.fnshr.info/2014/07/21/two-docs/
「おとぎばなし:かねもちはくし と びんぼうはくし」


これって、けんきゅうのせかいだけのこととはおもえないので、はっておきます。
しかし、ひらがなだけって、よみにくい。

2014年7月20日日曜日

早稲田大学の恐るべき(笑うべき?)言い訳

スタップ問題はもうやめようと思っていましたが、ここに来て、出ました、早稲田大学が小保方氏の博士号をはく奪しないという決定。その理由がすごいので、一部で話題になっていますが、一般人はしらーっとしています。
確かに私も一般人としては、しらーっとせざるを得ない。
もともと早稲田の博士号って、そんなにすごいものだと思ったことなかったし。
早稲田は学部出て一流企業に入るのがすごいので、大学院をすごいと思ったことなかったし。
もともと日本の大学の多くはディプロマミル的で、特に私大はほとんどがディプロマミル的だと思ってたし(そういうところでも立派な論文を出している人はいると思いますが、全体として)。
だから、早稲田は死んだ、と言われても、所詮は大学院の話で。
もともと早稲田の優秀な人は大学院は旧帝大などへ行っていたわけで、学部早稲田の人も別に困らないわけで。


また、早稲田の論理が研究教育倫理を根底から揺るがしているのは事実だとしても、実際、それは現実にすでにあることだよね、と思うのは私だけか?
たとえば、「博士号をはく奪すると就職に影響が」というのは、「出席もしてないし、試験もできてないけど就職が決まったから単位を出してくれ」てな圧力はわりと普通にあるというのと同じ。
カンニングしても、それを報告したりするとあとが面倒なので、その場で注意するにとどめる、なんてこともある。ある短大で、先生の目の前でカンニングした学生がいたので、その学生を不可にしたら、「カンニングなんて誰でもやっているのに私だけ不可はおかしい」と抗議され、全員再試験にしたという事実がある。カンニングを注意するとこれだけ面倒なのだ。
小保方氏の博士号も、剥奪すると、日本全国に波及するので、それを避けるために文科省もグルになってああいうことをした、と予想する人が多い。その文科省が道徳を普通の教科にして成績つけるそうだが、自らの道徳の成績をまずつけろよ。
また、日本の社会は、特に文系では、大学時代、勉強しなかった人が人間力やら何やらで企業で出世しているので、中身のない論文で博士号くらいでは一般人は驚かない。
だいたい、一般人にとっては、というか、文系は博士号を出さなかった時代に院生だった私にとっても、博士号ってどの程度の重要性があるのかわからない。なんだかよくわからないけど、ある特殊な業界では必要な免許証らしいな、くらい。
末は博士か大臣か、なんていうのは昔の話で、今や博士は雲の上の人でもなんでもなく、博士になってもコンビニのアルバイトしか仕事がない時代。
それにしても、博士号はく奪されて仕事を失った人は日本にもいるのだが、小保方氏くらい有名になり、バックに文科省とかついていると何でも許されてしまう、という実例が当分続いていくようだ。
再現実験についても、小保方氏はもともと実験ができなかったのに、いいかげんな早稲田が修士号も博士号も与え、文科省は返還不要の多額の奨学金を与え、理研はユニットリーダーに採用してしまったということを隠すために、小保方氏に今、実験の練習をさせ、2カ月後に実験できるところを見せようという目的だ、という予想がある。小保方氏を守ることによって守られる人がいかに多いかということだろう。

2014年7月12日土曜日

教訓

前回の記事ではもちろん、具体的なことはほとんど書いていないが、教訓として、非常勤講師の仕事に弊害が出るようなことだけは避けるべきだということを骨身に感じた。
これまでは出版関係で何かトラブルがあっても、他の仕事に影響することはなかった。
しかし、今回は、期末試験の近いこの大事な時期に、講師の仕事に大影響を与えるような事態に発展した。実際はなんとか影響を避けることができたが、自分は複数の大学で合計数百人の学生を預かっているのであり、何かあったら学生が迷惑するということを肝に銘じるべきだと真剣に思った。
これまで、評論家・翻訳家としての自分が本来の自分で、非常勤講師は生活費を稼ぐためと思っていたが、非常勤講師は1年契約で、給料も安く、何の保証もなく、責任だけは重いという不公平な仕事ではあるけれど、人を預かっているということは忘れてはならない。
もうすぐ夏休みだ。某大学から非常勤講師にも紀要への執筆依頼がメールで来た。夏休みに何か考えてみてもいい(でも、書かないかな←ダメだろ、自分)。

2014年7月11日金曜日

身の程知らず

ネットのどこかに書いてあった記事。世間の評価と自分の評価がまったく違うのに、それに気づかない身の程知らずな例。
それまで仕事で何の実績もなかった中高年の男性がコンビニでアルバイトを始めたが、若いバイトはいい時間帯にシフトしてもらえるのに自分は深夜や早朝のような不利な時間帯しかシフトしてもらえない、という愚痴をこぼす男性について、身の程知らずと書かれていた。
確かに中高年でもコンビニやマックで責任のある仕事について、若いバイトたちと生き生きと仕事している人もいるようなので、身の程知らずなのだろうとは思う。
そして自分のことだけれど、私もこの中高年男性のように身の程知らずなのだろうと思う。
たとえば、私の書く文章をほしがる人など誰もいないのに、私の文章は世に出す価値があると信じていたりする。そういう私に、それなりの長い文章を書く仕事の話が来ると、一生懸命書いてしまう。が、依頼した相手は私の文章がほしいわけではなく、誰かが断って短い期間にかわりをしてくれる人がほしいだけだったりするのだ。だから、私がうれしくて一生懸命書いた原稿を、勝手に書き直してしまう。
そういう依頼をうれしいと思って受けてしまうのが身の程知らずなのだ。それをいやというほどわかっているのに、たまに依頼が来るとうれしくて受けてしまい、結局、後悔する。
たかが数万円のために、編集者が勝手に書き直した文章を活字にしたくはない。
そういう可能性がある仕事しか私には来ない、ということを認識すべきだ。
そうではない仕事が自分に来ると思う身の程知らず、それをしっかり頭に刻むべきだ。
ある雑誌に、もう長いこと、まともな文章を出していないのに、そこから別の会社の仕事の依頼が来るっていうのがそもそもおかしいと気づくべきだった(いや、気づいていたのに、たまに来るからうれしくて引き受けてしまう自分がバカ)。
いいかげん、向こうから来る仕事はおかしいと疑えよ、自分。
本当にやりたいことは、こっちから行かないとできない。


追記
結局、私が引き受けたことで、私も損害を受けるし、依頼した方もいやな思いをするので、引き受けること自体が双方に悪い影響をもたらすのだ。
しかも、報酬はわずか数万円で、これがなくても私の生活は困らない。ただ、久々の活字媒体で好きなことが書けると誤解した自分が間違っていたし、私の原稿を利用できると思った依頼主も間違っていたということになる。
だいたい、50歳をすぎると有名人以外は書けなくなるのだから、それにはそれなりの理由があるわけで、そこを勘違いしている自分が悪い。
どこまで行っても自分が悪いので、どうしようもないのだが、期待してしまった自分がもうどうにも我慢がならないのだ。
期待しないでただの小遣い稼ぎと思って適当に書いていたなら。
たくさん依頼がある人ならそう割り切って書くのだろう。
このブログだって少数だけど読者がいるんだから、こっちを大事にして、たまにおかしな活字媒体の依頼があっても断固断るくらいでちょうどいいのだろう。
確かに、某媒体経由の依頼って、断る割合が圧倒的多数だった。ただ、昔は会って話をして、これは自分に向かないと思って、円満にお断りできたのだが。
まあ、後悔先に立たずってことで、もう、忘れて先に進むべき、だろうね(でも相当なショックです)。

2014年7月9日水曜日

トム・アット・ザ・ファーム

「わたしはロランス」に続くグザヴィエ・ドランの映画「トム・アット・ザ・ファーム」を見た。
ドランとしては初の原作つき映画。原作はカナダの劇作家ミシェル・マルク・ブシャールの劇だが、演劇の映画化とは思えないほど映画的にこなれている。
ドランなので、当然、ゲイがテーマ。主人公トムはゲイの恋人ギョームの葬式に出席するため、彼の母と兄が住むケベック州の田舎の農場へ行く。そこでトムは、兄のフランシスから、ギョームがゲイであることは母親には秘密で、女性の恋人がいたことになっている、だから口裏を合わせろ、と要求してくる。とまどうトムにフランシスは暴力をふるって従わせる。
この暴力がしだいにエスカレートしていって、トムはだんだんフランシスの暴力が快感になっていき、トムとフランシスの奇妙な関係が生まれていく。
農場の周辺の人々は農場を避けている。それは、かつて、フランシスがバーで事件を起こしたからで、ある種の村八分になっているのだ。
フランシスはいわゆるホモフォビア=同性愛嫌悪者なのだが、単にそれだけとは思えない。むしろフランシスは弟に対してホモセクシュアルな感情を抱いていたのではないか、それで、弟の恋人のトムを弟のかわりにしようとしているのではないか、と思えてくる。トムもまた、フランシスと離れがたくなっていく。
原作にはもっといろいろな要素があったらしいのだが、映画はトムとフランシスの関係に絞って描いている。クライマックスと結末については謎がいくつも残る感じになっているが、ケベックの田舎から大都会モントリオールに戻ってくるあたりの映像が不思議な余韻を残す。
フランシスの着ている星条旗とUSAの文字の入ったジャケットは何を意味するのだろう。そして、冒頭の曲はミシェル・ルグランの「華麗なる賭け」のテーマ曲を少しアレンジして、フランス語で歌っているものだが、この歌で始まり、アメリカはもうたくさん、みたいな歌で終わる。
トムはドラン自身が演じているが、髪を金髪に染め、役者としても一皮むけた感じがする。共演者たちもいい。


グザヴィエ・ドランは最近お気に入りの監督で、「わたしはロランス」も高く評価したのだが、キネ旬のベストテンを見たらあまり点が入っていないので驚いた。社会批判とかがないからか? 若い監督が気取っているだけ、みたいな意見もあったらしい。
ドランの映画を見ると、デビュー当時のフランソワ・オゾンを連想するのだけど、現在のオゾンのようにはならないと思う。


「華麗なる賭け」のテーマ曲、英語と日本語の歌詞がここにありました。
http://udzu.blog123.fc2.com/blog-entry-87.html
フランス語の歌詞と日本語訳もあった。便利な世の中だ。
http://lapineagile.blog.fc2.com/blog-entry-324.html

2014年7月6日日曜日

奇跡の白菜

台東区をぶらぶら歩いていたら、上野の国立博物館で開催中の台湾の故宮博物院展のポスターが目に入った。
ん? 奇跡の白菜?
なにこれ、と思ってよく見ると、白菜は東京だけの展示で、7月7日まで。
この期間は無休で夜8時まで、とあったが、きっと混むだろうな、と思った。
で、奇跡の白菜って何? 本物の白菜のはく製とか?
と思って、ネットで調べてみた。
http://matome.naver.jp/odai/2139965527123298401
ヒスイを白菜の形に彫ったものだった。
大きさも高さ19センチだから、まわりに人、人、人で、必死にのぞいてもよく見えないだろう。
上にキリギリスとイナゴが載っているというが、写真で見た方がよさそう。
このほか、豚の角煮の形をした石も展示されるらしい。こちらは九州で、やはり期間限定とか。
どちらも門外不出の国宝らしい。たしかにみごとだけど、白菜と豚の角煮。うーん。日本のプラスチック製スシを連想する。ていうか、この白菜と角煮、携帯ストラップとかキーホルダーとかになってないのかな???
白菜見に行く人はこのツイッターで混雑状況を確認のこと。
https://twitter.com/taipei2014tokyo
やっぱり会場に入るまでの待ち時間と、白菜の展示室に入るまでの待ち時間があるのですね。
この国立博物館の特別展って、なんか人多い、すごい、って思ったこと何度もあるのですよ。美術展じゃここまで混まないよって感じの。私は博物館より美術館の方がずっと好きなんですが。
白菜は7日までです。角煮は九州へ。

2014年7月3日木曜日

ケープタウン

火曜に続いて水曜も試写に。オーランド・ブルーム、フォレスト・ウィテカー主演のサスペンス映画「ケープタウン」。現代の南アフリカが舞台だが、原作がフランスのミステリー小説ということで、フランス映画です。
「ケープタウン」といえば、昔、マイケル・ケイン主演でアパルトヘイト時代の南アが舞台の映画があったなあ、と思ったら、1974年の映画でシドニー・ポワチエが共演、そして、なんと、ルトガー・ハウアーも出てたらしい(「ブレード・ランナー」よりも前だ)。当時、ケインのファンだったので(今もですが)、映画館でしっかり見ています。
そのケインの「ケープタウン」は原題は「ケープタウン」ではなかったのだが、今回の「ケープタウン」も原題は「ズールー」。フォレスト・ウィテカー演じる黒人警部がズールー族出身なのだ。
「ズールー」といえば、マイケル・ケイン主演の「ズール戦争」の原題じゃなかったっけ。
日本ではやはり、南アが舞台の映画は「ケープタウン」というタイトルにした方がわかりやすいのだろう。
で、このフランス映画「ケープタウン」は、監督脚本などの主要スタッフ(フランス人)と主演の2人以外のスタッフ、キャストはすべて南アの人々とのこと。言葉も英語、アフリカーンス語、黒人の言葉で、フランス語は当然なし。というわけで、フランス的要素のない映画なのだけれど、もしもこの映画をハリウッドで作ったら、派手なアクションが中心の深みのない映画になってしまったのではないかと思う。
物語は元ラグビー選手の娘が殺害され、黒人警部とその同僚の2人の白人刑事が捜査するうちに、恐ろしい陰謀が浮かびあがってくるというもの。プレスシートには専門家の詳しい解説がついているが、南アのアパルトヘイトの時代が背後にある。
ウィテカー演じる黒人警部は少年時代、白人の暴力で深い傷を負わされている。しかし、ネルソン・マンデラが大統領になったとき、アパルトヘイト時代に迫害や殺人を犯した人でも、その罪を告白すれば許すという、許しと和解の政策を貫いたのを支持し、過去を許して未来へ進むという考え方をしている。
しかし、罪を告白して許され、その後、出世したり金持ちになったりしている人を許せないと思う人もいる。1人は同僚刑事の妻。そしてもう1人はブルーム演じる別の同僚刑事。
ブルーム演じる白人刑事は、死んだ父親の墓石に名前を刻むのを拒み続けている。その理由は映画の中盤に明かされるが、彼はアパルトヘイト時代に差別派だった父親を嫌い、父の姓を捨てて母の姓を名乗っているのだ。墓石に名前を刻まないのは、父を許していないからなのだ。
この映画はフォレスト・ウィテカーとオーランド・ブルームを起用したのがよかったと思うのだが、黒人警部役のウィテカーのもの静かな演技と存在感がすばらしい。そして、オーランド・ブルームがこれまでのイメージをかなぐり捨てて、無頼派の刑事を演じているのには驚いた。母親を大事にし、人間としても高潔な印象のウィテカーの刑事に対し、ブルームの刑事は妻と離婚、息子には疎まれ、いいかげんな暮らしをしている問題の多い人物。この対比が面白いのだが、このいいかげんだがタフな刑事を、端正な二枚目のイメージのブルームがひげを伸ばし、まるで別人のようなイメージで演じていて、これがまたみごとにはまっている。
事件は最初は被害者が麻薬の売人と性交渉したあと、トラブルで殺されただけの事件と思われたが、その売人の売る麻薬が特殊な化学薬品であること、ホームレスの子供たちが行方不明になっていて、その麻薬をやっていた子供がいたことなどから、単なる麻薬のトラブルではないということがわかる。捜査が進むにつれて、その麻薬がアパルトヘイト時代に開発された化学物質であることがわかってくる。
この映画では事件解決までに主要人物が何人も死ぬのだが、その死の悲しみが切実に描かれている。映画の中では人がよく死ぬが、死の悲しみが切実に描かれているとは限らない。特に刑事ものの映画だと、死はルーティンのように軽く描かれてしまう場合がよくある。
この映画が死の悲しみを切実に描くのは、この悲しみが人を変えるからだ。悲しみのあまり怒りと復讐に走る人、悲しみのあまり人を拒否してしまう人、そして、死の悲しみを経て憎んでいた人を許す人。原作がよいのだろうが、こんなふうに死の悲しみを切実に描き、それを許しへとつなげる映画は、ハリウッドのアクション映画ではない、フランス映画だからできた、という感じがする。
クライマックスの砂漠のシーン、そして、建物から外に出たブルームの全身を映すラストショットは美しい。原作を読みたいけど、翻訳は出ないのだろうか。
あと、この映画、カンヌ映画祭のクロージング作品だったそうだけど、アメリカではまだ公開の予定もないみたいなのだ。とにかく、日本では公開決定で喜ばしい。無頼派刑事のブルームは絶対お見逃しなく!

2014年7月2日水曜日

雑感

火曜日は久々に試写に行ってきた。
障害を持つ車椅子の息子とともにアイアンマンレースに参加する父親の物語「グレートデイズ!」というフランス映画。主演がカミュの遺作の映画化「最初の人間」に主演したジャック・ガンブランだったので、見に行った。
映画はさわやかな小品という感じで、「最強のふたり」とか、フランス映画は最近この手の感動ものが多い。ガンブランはやはり味があった。息子役も生き生きとしてよい。


神戸理研の小保方氏はSTAP細胞検証実験の初日、体調が悪いと言って欠席したらしい。なんか、小保方氏と同じくAO入試で早稲田に入った広末涼子みたいになるんじゃないでしょうね? 広末涼子はマスコミが張っているのでなかなか登校できず、結局、ほとんど出席しないまま退学した。その後女優として活躍しているので、この過去はあまり思い出されずにすんでいるが、ひところは早大横入りと言われてさんざん騒がれた。
そもそも、小保方氏はSTAPのアイデアが神戸理研に気に入られ、ユニットリーダーの公募に応募するようにと言われたのに、締切までに書類を出さなかったという。彼女のアイデア(というか、ハーバード附属病院のヴァカンティのアイデア)をどうしてもほしかった神戸理研が、英語のプレゼンなど普通は行う審査をやめて、簡単な日本語の面接だけにすると約束したので、面接当日に書類を出し(その書類がまたコピペ)、その日の内に採用が決まったという、完全出来レースだったのだが、彼女が書類を出さなかったのは、審査されるとバレると思ったからじゃないかと思う。ある意味、出さないのは彼女の「良心」だったかもしれないんだけどね。
だから、検証実験も、彼女がバレると思ったら逃げ腰になるだろう。マスコミが怖いなら、理研に泊まり込んでやればいいんだし。理研にホテル並みの部屋を1室作ればいいんだわ(壁はピンクと黄色で)。
この検証実験については、下村文科相が意味不明な日本語を言っています。「不正を起こさないと検証されることが必要」とか。わからん。下村大臣にはもう1ミリも期待しないが、こんなコメント記事にして、記者はデスクから怒られないのか? なんだこのイミフなコメントは?と言われないのか? 記者はこんなコメントもらったら、それはどういう意味ですか?って聞かないのか? 記者がバカだからイミフなコメントにして記事にしたと思われないかと不安にならないのだろうか(私だったら、公の場所に文章書くときにはこういうことが一番気になります)。
(追記 あ、大臣のイミフさを強調するためにあえてやったのでしょうか。)


集団的自衛権で一番気になること。
1 自衛隊に入る人が激減する。
2 その結果、徴兵制が始まる。
3 徴兵制をやらない場合、お金のない人や就職で不運な人が自衛隊に入る。
4 現在、若者は正規雇用に就ける人がどんどん減っている。高卒は仕事が少なくなり、大卒でも就職率が低下、そして院卒の増加による非正規雇用者の増加。若者がえり好みしているというよりは、民間も公務員も教師も非正規雇用の割合がどんどん増えていて、正規雇用になるのがどこでもむずかしくなっている。
(自衛隊もポスドク上がりとかほしくはないと思うが、小保方採用みたいなのが幅を利かせている分野なので、って、これはまた別の問題。つか、ポスドクは役に立たないだろう。)
5 アメリカでは貧しい人を軍隊がリクルートする。高卒で軍隊に入り、除隊したら貯めたお金で大学へ、と思う人が軍隊に入る。湾岸戦争以前はそれでよかった。しかし…


STAP問題で正論を言っている人が他の問題についてどう言っているかが最近、妙に気になる。他の問題だとおかしなことを言う人(少なくない)を見ると、人はそれぞれとはいえ、考えてしまう。一方、他の問題でもきちんと考えている人を見ると、この人をフォローし続けたいと思う。

2014年7月1日火曜日

なんでこうなるの?

月曜日、新聞をいくつか見てきましたが、新宿の焼身自殺未遂事件は社会面の下の方にちょこっとしか出ていませんでした。海外との違いにはやはり驚きますが、ドイツのメディアではNHKが報道しないことに厳しい意見が出ているらしい。
なんにしろ、海外には日本にこういう政治問題があるということが伝わったので、それは悪くないことかと。
あと、焼身自殺未遂はともかく、集団的自衛権の問題自体があまりというか、ほとんど扱われてないのにびっくり。
そして、こんな政治家まで出現。
http://news.livedoor.com/article/detail/8992412/
北海道議会議員、小野寺まさる
「集団的自衛権に反対して焼身自殺と?…これは公衆の場での迷惑極まりない行為であり、明らかに犯罪だ。又、死にきれずに多大な方々に迷惑をかけた愚行だが、これを「三島事件」と同列に扱うマスコミは完全にイカれている。日本の将来を憂いた国士と日本解体を目論む団塊の世代崩れは真逆の存在である。 」


確かに犯罪といえば犯罪ですが、三島由紀夫の自衛隊殴り込み切腹事件も立派な犯罪です(確か、自衛隊の人にけがさせているはず)。
「三島事件と同列に扱う」って、もともとマスコミは報道しないんだから同列じゃありません。
海外のメディアで三島由紀夫の切腹を紹介したのも、別に今回の事件と重ねたのではなくて、日本は焼身自殺が少ない、古くからある自殺として切腹があり、三島由紀夫が切腹した、と書いているだけ(もちろん、海外の記事なんか読まないで書いているのでしょう)。
「日本の将来を憂いた国士と日本解体を目論む団塊の世代崩れは真逆の存在である。 」どっひゃあ、この人、三島由紀夫を英雄扱いなんだわ。自分の思想に合う人は憂国の士で、合わない人は日本解体を目論む非国民なわけですね。
NHKに任命された委員かなにかで、三島由紀夫の切腹を美化した埼玉大学名誉教授の女性がいたけど、その人の仲間なのか。そういえば、NHKの会長や委員に任命された変な人たちもずっと居座っている。
セクハラ野次じゃないから問題にならないのか、この人は。北海道にもこういう人がいるのね。どこの選挙区だろう(セクハラ野次議員はすぐに選挙区が調べられた)。
「死にきれずに多大な方々に迷惑をかけた」というのも、死んだら迷惑かけなかったみたいで、おかしな日本語。つか、未遂だったからマスコミの扱い小さかったっていうのもありそうだな。WHOの基準うんたら、っていうのは、マスコミに都合のいいときだけ適用してるからただの言い訳。


この道議はこれから炎上するのかどうかわかりませんが(炎上したら文字通り、焼身に)、それより、なんでこうなるの?の極致は、スタップ細胞の小保方氏の全面勝利です。
ネイチャーの論文は撤回が決まったので、スタップ細胞は白紙に戻ったのですが、理研は小保方氏に再現実験ならぬ検証実験をさせることを決定。7月から11月まで、国民の税金を使って、国民の税金で高い給料もらって、またスタップ細胞を作ってみるのだそうです。
理研にしてみれば、小保方氏が処分されなければ、理研の上の方の人たちも処分されずにすむわけで、そのうち国民も忘れてうやむやに、というのがねらいとしか思えない。早稲田大学の捏造博士論文も、結局撤回にならない可能性も。
そして、理研の公式サイトには、小保方氏の「がんばりまーす」のコメントが。なんだか、プロスポーツのサイトで、チームに復帰する名選手が「がんばります」とサイトにコメントし、まわりも拍手で迎えるみたいなのを連想してしまいました。
改革委員会の提言はすべて無視、それどころか組織ぐるみの隠蔽や過ちに対して、間違っていなかったと居直り、批判した科学者たちはいつのまにか声をあげなくなり、一部のすでに教授になっている人やアカデミズムの外に出た人だけが声をあげている感じ。単なる論文不正でなく、日本が誇る最大の研究機関が組織をあげて隠蔽し、批判の声も封じられてしまうという、ここは暗黒の中世か、という感じです。
しかし、あのいいかげんな出来レース公募を、優秀な人を選ぶために必要な方法で、たまたまはずれをつかんだ、と言っている人が何人もいたのには怒りを通り越して絶望感しかありませんでした。そして、不正がわかってからの隠蔽が結局ずっと続いていて、ついに小保方氏と理研が手を携えて勝利宣言というふうにしか見えない。悪が勝ってめでたしめでたしがこれほどはっきりした出来事はほかに見た記憶がありません。
なんでこうなるの? 私は外野だけど、努力した人たちが本当にかわいそう。彼らが報復されないことを祈る。


追記 小野寺まさる氏(選挙区は帯広のようだ。帯広って打とうとしたら、オボ宏と打っちまったよ)は2年前にもツイッターで騒動を起こして、ネトウヨ認定されてました。