2015年2月28日土曜日

BookJapanの書評

久しぶりに書評サイト「BookJapan」を訪ねてみたら、書評が読めなくなっていた。
おととしから更新してないのは知っていたが、書評が読めないとは。
人様の書評が読めないのも残念だけど、このブログで書評を書きましたと何度も書いているのに、貼ったリンクが切れていたとは。
というわけで、SabreClub Archivesという別のブログに掲載しました。
映画「シングルマン」原作から「テルマエ・ロマエ」最終巻まで、全8本の書評です。
今なら右サイドに全作品のタイトルが出ています。

http://sabrearchives.blogspot.jp/

2015年2月27日金曜日

表紙の字体

どーでもいいことかもしれませんが、

新潮文庫と角川文庫と光文社文庫の「フランケンシュタイン」の表紙の字体がまったく同じだ。

明朝体、でしょう。

で、新潮文庫と角川文庫は上の方、左から右までいっぱいに白地で同じ字体の「フランケンシュタイン」。
表紙の絵もどちらも暗い色使いなので、なんとなく似て見えます。

光文社の方は字体が同じで上の方に横書きというのが同じなだけで、印象は違います。

創元推理文庫も字体は明朝体なのでしょうが、レイアウトや色がまったく違います。
創元と光文社の表紙はホラー色がないのが特徴。

どこかの本屋が4種類並べてくれたら面白いのにな。

創元の初版の表紙はどうだったかな、と思うのですが、段ボール箱をいくつもひっくり返さないと出てこないので(どこに入れたのか不明)、そのうち見つかったら写真アップします。定価は400円でした。当時は消費税がなかった。

追記 いろいろな表紙をアマゾンで眺めてみましたが、タイトルの字体、明朝体とゴシック体が圧倒的に多いのですね。私の訳書は明朝体でもゴシック体でもないのがわりとあるので、ちょっとびっくり。「テロリストのダンス」と「ブルース・オールマイティ」は独自の字体、「不思議な猫たち」は斜体になっています。

2015年2月23日月曜日

アカデミー賞発表

「6才のボクが大人になるまで」が有力視されていたアカデミー賞作品賞、なんと、「バードマン」に決まりました。監督賞も「バードマン」のイニャリトゥ。マイケル・キートンは主演賞とれず、残念。「博士と彼女のセオリー」のエディ・レッドメインとキートンの一騎打ちだったと思いますが、ホーキングそっくり演技に軍配が上がったか。キートンはセルフ・パロディ演技だったけど。
個人的には作品賞候補で見たものの中では「バードマン」が一番好きなので、大満足、というか、私が推すものは絶対、賞はとれない、と思っていたので、夢じゃないかしら、という感じです。イニャリトゥ監督も「アモーレス・ペロス」の頃から注目していたし、「バードマン」はやはり勢いを感じる刺激的な映画です(作品賞候補で見ていないのは「アメリカン・スナイパー」、「セルマ」、「セッション」)。
「バードマン」のこのブログでの紹介はこちら。
http://sabreclub4.blogspot.jp/2015/01/blog-post_18.html

助演男女優賞はおおかたの予想どおり。そして、主演女優賞のジュリアン・ムーア、やったね。何度もノミネートされながらついに受賞できずに終わる演技派たちの1人になってしまうかと思っていましたが、よかった(映画はまだ見てないけど)。
しかし、「6才のボクが大人になるまで」は結局、助演女優賞(パトリシア・アークエット)くらいしかとれなかったのか。私もこの映画は世間ほど高い評価はしてなかったのですが(ベスト10の下位に入れた)。
結局、「バードマン」と「グランド・ブダペスト・ホテル」が最多4部門受賞とのことで、後者は主要部門以外での受賞だから、実質的には「バードマン」圧勝かな。「グランド・ブダペスト・ホテル」や「6才のボクが大人になるまで」は非常によくできていてユニークで面白いのだけど、なにか、突出したすごいものを感じなかったのですが、「バードマン」にはそれを強く感じていました。

BL路線?

角川文庫の新訳「フランケンシュタイン」は25日発売とのことですが、アマゾンで表紙を見ると、なんとなくBL(ボーイズラブ)ふうなんですね。
実は角川はエラリー・クイーンの国名シリーズの新訳も順次出していて、この表紙がBLふう。
へえ、ほお、と思いながら表紙だけ見てましたが、「フランケンシュタイン」もこの路線か、と思ったとき、どうも最近、映画や舞台で取り上げられる「フランケンシュタイン」はわりとBLふうの路線に近いのかな、という気がしました(あくまで日本のBLふう路線ということで、同性愛やトランスジェンダーとはまた別と思いますが)。
たとえば、ベネディクト・カンバーバッチが主演した舞台の「フランケンシュタイン」について、BLふうというような感想がネットに出ていたりします。
また、「シャーロック」の演出家が監督する予定の映画、ボリス・カーロフの「フランケンシュタイン」のスピンオフの映画では、フランケンシュタインと助手のイゴールの友情を描くとかで、配役がジェームズ・マカヴォイとダニエル・ラドクリフ。これもBLふうに見えなくもありません。
また、これとは別に、メアリ・シェリーの恋を描く映画も今年撮影予定とのことで、こちらはメアリが詩人のパーシー・ビッシュ・シェリーと出会って恋に落ち、「フランケンシュタイン」を書くまでの話らしい。メアリ役はエル・ファニングで、監督も決まっていますが、ほかの配役は不明。実際にクランクインするまでは実現するかどうかはわかりませんが。
メアリ・シェリーが登場する映画といえば、古くは「フランケンシュタインの花嫁」、そして1980年代にケン・ラッセルの「ゴシック」とスペイン映画「幻の城」がありました。
いずれもジュネーヴのバイロンの別荘にメアリとシェリー、バイロンの恋人でメアリの異母妹クレア、バイロンの主治医ポリドリが集まって、怪奇小説を書こうという話になり、メアリが「フランケンシュタイン」を、ポリドリが「吸血鬼」を書いた、という実話にもとづいたもので、ボリス・カーロフの「フランケンシュタイン」の続編の「花嫁」では、冒頭で、メアリがシェリーとバイロンに前作の続きを話し始める、という設定になっています(メアリ役はエルザ・ランチェスター)。
「ゴシック」はケン・ラッセルらしい幻想的な映画になっていて、メアリ役はナターシャ・リチャードソン。バイロンがガブリエル・バーン、シェリーがジュリアン・サンズという配役。
「幻の城」は同じ題材を別の手法で描いたもので、メアリはリジー・マキナニーでしたが、映画の売りはバイロン役のヒュー・グラント。当時、グラントは「モーリス」に出た直後で、日本では大人気でしたが、日本以外ではまだ売れてなかったという、グラント自身、忘れたい過去のようです(BL人気だったので)。
ナターシャ・リチャードソンはトニー・リチャードソン監督とヴァネッサ・レッドグレイヴの娘で、のちにリーアム・ニーソンと結婚。幸せな家庭を築くものの、スキー事故で死亡という悲劇に見舞われた女優でした。ガブリエル・バーンやジュリアン・サンズもあの頃売り出していたけど、今、どうしてるのかな。バーンとともに「エクスカリバー」で名をあげたニーソンは今やハリウッドのアクション・スターだし、「眺めのいい部屋」でサンズと共演したダニエル・デイ・ルイスは今や偉大な俳優になっているし、ヒュー・グラントはコメディのスターになりましたが、あの頃、彼らはイギリスの美形スターとして、ちょっとBLふうの人気を得ていたのでした(当時はBLではなく、JUNEとか耽美とか言われていました。なつかしい時代だ)。

2015年2月22日日曜日

新訳とか新薬とか(追記あり)

「フランケンシュタイン」の新訳が次々と出るので、頭の中で「しんやく、しんやく」と唱えていたら、いつのまにか新薬に変換されていた。
そうか、最近流行の古典新訳は、翻訳苦手な人のための新薬なのかもしれない。

患者「実は私、外国の小説がどうしても読めないんですよ。翻訳がどうも苦手で」
医者「ああ、そうですか、ではこの新薬はどうですか?」
患者「おお、これは読みやすい(飲みやすい)ですね。あっという間に読め(飲め)ちゃいました」

て感じで、この手の新訳文庫には「読みやすい」「あっという間に読めた」といった、これがレビューか!って感じのレビューがアマゾンに出ているのです。
「飲みやすい」「あっという間に効いた」というのとどこが違うのじゃ。
やっぱり新訳は新薬。

しかし、世の中には過去の訳と新訳を比べる人もいて、ものによっては新訳の問題点の指摘が多いものも。新薬、必ずしもよい薬とは限りません。

確かに「ロード・オブ・ザ・リング」が公開された頃、今の若い人は原作「指輪物語」の瀬田訳が読めない、という声が出てきていて、「指輪」ファンを唖然とさせたのですが、というのも、あの瀬田節にファンは酔いしれていたわけで。しかし、映画で「指輪物語」を知った若い人たちはもう瀬田訳が読めなくなっていたようです。ただ、瀬田訳があまりに浸透しているので、ほかの人は手が出せない、長いから大変、新訳出しても瀬田訳に勝てない、売れない、といった理由から出ないのではないかと思います。

さて、「フランケンシュタイン」の新訳各種、中身はほとんど見ていないので、比べることはできませんが、外観など、中身でないところをちょいと比べてみました。

◎角川文庫(2015年2月発行)
表紙 漫画家を使っているようで、若い人向けという感じ。
値段 一番安い。734円。キンドルあり。
◎新潮文庫(2014年12月発行)
表紙 怪奇小説らしい表紙。オーソドックス。
値段 二番目に安い。767円。キンドルなし。
◎光文社古典新訳文庫(2010年10月発行)
表紙 このシリーズはすべて抽象的な線画で、シリーズの特徴を表紙に出している。
値段 一番高い。843円。キンドルあり。

旧訳
◎創元推理文庫(1984年2月発行)
表紙 実は初版は怪奇小説ふうの絵だったが、その後、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた図をもとにしたデザインに変わり、現在に至っている。
(追記 そういえば、2009年に創元推理文庫50周年記念で、一時、違う表紙になっていたのだが、その表紙はかなりアレだったので、早くなくなればいいと思っていたのだった。)
値段 三番目に安い。799円。光文社が出る前は630円だったのに、光文社が800円以上で出したので700円以上にしてしまった。キンドルあり(激安300円)。
◎角川文庫の旧訳(かなーり昔)
現在はキンドルのみ(500円)。

なお、ページ数が違うのは文字の大きさなどによるためだと思います。創元は文字が一番小さく、新潮が一番大きい。新潮は文字を大きくしてページ数を増やしているので、ページ数のわりに値段が安く見えますが、実際はそうではないです。(下の追記参照)

ところでキンドルですが、現在は紙の本と同時にキンドル版も出すところが増えています。しかし、キンドル版のコンテンツはアマゾンが所有しているので、紙の本が絶版になったとき、キンドルのコンテンツの権利がどうなるのかということが立ち読みした雑誌に書いてありました。
私の本でキンドル版があるのは、解説を書いた創元推理文庫「フランケンシュタイン」と、同じく解説を書いた角川文庫「猿の惑星・新世紀」ですが、「猿の惑星・新世紀」は版権があるので、版権が切れると紙の本もキンドルも絶版になるはずですが、「フランケンシュタイン」は版権がないので、どうなるのかな。もちろん、コンテンツ自体は翻訳は翻訳家に、解説は解説者に著作権があります。それ以外の権利関係ですね。
以前、小学館で出した古典ミステリーの翻訳で絶版になっているものを電子書籍化したいという連絡が出版社から来たのですが、許可してしまうと、他の出版社で紙の本として出してもらえなくなるのがいやで承諾しませんでした。もちろん、その可能性はほとんどゼロではありますが、それでも、紙の本として再発行される可能性は残しておきたかったのです。
本、特に翻訳ものは本当に売れなくなって、新訳ブームも、版権とって翻訳出してもほとんど売れないから、それよりも知名度のある古典を新訳で、という背景があるということは容易に想像できるわけです。

追記(3月1日記)
「フランケンシュタイン」の翻訳を読み比べるくらいなら原文を読むので、読み比べはしないつもりだけれど、3つの新訳のうち、新潮文庫だけがページ数が多いのが気になっていた。
たまたま、あるサイトで3つの新訳を簡単に比べた文を見て、理由がわかった。
新潮文庫の新訳は説明訳なのだ。
たった1つの単語を20字くらい使って説明して訳している。他の文庫、創元の旧訳、光文社と角川の新訳はそのようなことはしていない。
ページ数に関していえば、創元は古いので字が小さく、行間も狭く、1ページあたりの字数が今の文庫よりずっと多い。それを考えると、創元で300ページの翻訳が今の文庫なら400ページくらいが妥当で、角川と光文社はそうなっている(光文社の方がページ数が若干多いのは、改行が多いのと、解説や年譜のためであると思う)。
新潮文庫の説明訳についていえば、これがこの翻訳者のやり方なのか、それとも新潮文庫の新訳シリーズのやり方なのかはわからない。ただ、同じ新潮の「二都物語」新訳で、1つの単語を長々と説明訳しているとの指摘があったので、新潮のやり方なのかもしれない(下の追記参照)。
新潮の新訳シリーズは一部に評判の悪いものがあって、「嵐が丘」が非難ごうごうなのだけど、これは書評家として有名な翻訳者の趣味のためのようだった。しかし、最近の新訳シリーズはむしろ、わかりやすさを求めた説明訳が裏目に出ているような気がする。もっとも、訳文がこなれていれば、読者は説明訳だとは気づかないので、こなれていないときだけ注目されるのだろう。
(さらに追記 その後、新潮の訳者は他の出版社の翻訳でも長々しい説明訳をしていることがわかったので、出版社の方針ではないかもしれない。)
また、3つの新訳は21世紀に入って訳された新しい訳であるにもかかわらず、日本語が古風なようだ。実際、サイトで目にした比較の訳文を見ると、創元の訳は別に古くないと思った。創元で「狭きしとね」と訳した部分が、3つの新訳では「狭い褥」とか「狭き褥」とかになってるのを見ると、新訳なら「窮屈な寝床」にしろよ、と思う。
また、「フランケンシュタイン」はゴシック小説とロマン主義詩の両方の伝統を受け継いでいるが、ロマン主義詩の影響がわかって訳してるのは創元だけのような気がする。創元の翻訳者は作者メアリの夫シェリーと同時代のロマン主義詩人キーツの研究家だった。また、私はハーディやフォースターのようなロマン主義詩の影響を受けた作家を研究していたので、解説ではロマン主義にも言及している。

参考(5月30日記)
「フランケンシュタイン」新訳の問題、特に新潮文庫が長すぎる点について、次のような指摘があった。
http://honto.jp/netstore/pd-book_26466539.html
2015/03/15 09:10
読み易くて楽しんだが原文と比較してかなりの付け足しがされている翻訳である。字が大きめとはいえ他社の物に比べて数十ページも増えないだろうと思っていたが数ページ程原文と比較して納得した。ただしそれが悪いとは言わない。芹澤氏のフランケンシュタインはこうであるという翻訳だろう。フランケンシュタインという小説を楽しむ上での不都合は感じなかった。同様の訳ばかり出ても仕方がないのでこれはこれでよい。ただし付け足しが多い故に研究目的での使用には向かない。
(追記)
全文を比較したがちょっと足しすぎである。文章も軟らかくて親切なようだが固く冷たい原文とは異質のものに感じられた。何らかの意図が有って故のことであろうが残念ながらそれは見えず、ただ付け足しの多い訳であるようにしか感じ無かった。同時に他の訳も比較したが光文社新訳文庫版は非常にライトで新潮社版とは逆に少々細部が削除されていた。創元推理文庫版と角川文庫版の新訳は程よい訳であると感じた。これから読む人にはこの両者どちらかをお薦めする。


(なぜか記事の下に空白ができるようになってしまった。)
 
 
 
 
 

2015年2月21日土曜日

真夜中のゆりかご(ネタバレあり)

デンマークの女性監督スサンネ・ビアは日本初公開の「しあわせな孤独」から見ていて、特に「ある愛の風景」以後は大のお気に入り監督になっているが、新作「真夜中のゆりかご」も非常に見応えのある映画だった。
刑事のアンドレアスは妻アナと赤ん坊の一見幸福な家庭を築いている。しかし、夜泣きのひどい赤ん坊のせいでアナは育児ノイローゼ気味。アンドレアスも夜泣きでは育児を手伝っているが、妻が子供を産んで後悔しているのではないかと思うくらい、アナはこたえている。
アナがこたえている理由の1つは、実の母親が赤ん坊にプレゼントを贈るだけで、会いに来ることさえしないからだ。
ある晩、赤ん坊が突然、急死してしまう。赤ん坊の死を受け入れられないアナは救急に連絡しようとする夫を必死でとめる。アンドレアスは最近、同僚のシモンと一緒にジャンキーのDV男が妻に暴力をふるっている現場にかけつけ、そこで夫婦からネグレクトされてひどい状態になっている赤ん坊を見つけていた。アンドレアスは悩んだ末、その夫婦の家に忍び込み、赤ん坊の死体と夫婦の赤ん坊を交換してしまう。妻のためにも赤ん坊のためにも、その方がいいと思ったからだ。
自分の子供ではないと拒否するアナを、ネグレクトされている赤ん坊を救うためだと説得するアンドレアス。一方、自宅で赤ん坊の死体を見つけた母親のサネは自分の子供ではないとすぐにわかるが、夫のトリスタンは死体が見つかると前科者の自分は刑務所に逆戻りになると言って、赤ん坊の死体を捨てに行く。
スサンネ・ビアの映画の面白さは、ごく普通の日常の中に起こる事件が思いがけない方向に展開していくことだ。私はキネ旬のベストテンで「ある愛の風景」を1位にし、監督賞にスサンネ・ビアを推したことがあるが、ビアの映画は日本ではそれほど高く評価されていないと感じる。その理由は、彼女の描く物語がメロドラマチックであり、映像を含めて高い芸術性を感じさせるものではないためではないかと思う。彼女の映画には俳優のアップが多く、それをテレビ的だとして低く評価する文章も目にしたことがある。
しかし、ビアと脚本家のアナス・トーマス・イエンセンが描く物語は多分に小説的で、ミステリー小説の作家が工夫を凝らす意外な展開に満ちている。そして何より、ビアの映画が多用する俳優のアップ(顔のアップだけでなく、瞳のアップも多い)は、登場人物の心理を俳優の顔の演技で表現しているのであり、アップによって観客が人物の内面に肉薄し、理解するようになっている。それはちょうど、20世紀以降の小説の技法である、三人称による人物の内面描写の手法にきわめてよく似ている。
「真夜中のゆりかご」も思いがけない方向に展開していく。まず、死体を捨てに行ったトリスタンが、乳母車に乗せた赤ん坊がさらわれたと主張する。事件を担当することになったのはアンドレアスとシモン。アンドレアスは自分の赤ん坊の死体とトリスタンとサネの赤ん坊を取り替えたわけだから、事情がわかっている。しかし、それを知られてはならない。
サネは死んだ赤ん坊は自分の子供ではない、自分の子は生きている、と主張するが、トリスタンはサネが赤ん坊を殺したに違いないと主張する。
意外な展開はさらに続く。以下ネタバレなので、色を変えます。
アンドレアスの妻アナが自殺してしまうのだ。
葬式のためにアナの両親と、アンドレアスの母親がやってくる。アンドレアスの母はわりと普通のおばあさんだが、アナの両親は身なりはよいが冷たい。育児ノイローゼになったとき、女性が一番頼りたいのは育児の経験がある母親だろうに、その母が非常に冷たい。アンドレアスの母が身近にいたらまた違っていたのかもしれないが、核家族化の中で夫婦が孤立している現代社会を感じさせる。また、アンドレアスは赤ん坊を交換しに行く前に、同僚のシモンに電話しているが、シモンは離婚が原因で酒に溺れるようになっていて、そのときは電話に出られない。アンドレアスが相談できるのが同僚のシモンだけ、というのも現代人の孤立を感じさせる。あとでわかるが、シモンはアンドレアスとアナ夫婦の親友で、赤ん坊の写真も持っている(事件の真相を突き止めるのはシモンで、最後の部分のシモンは前半の彼とは別人のようだ)。
やがてアンドレアスとアナの赤ん坊の死体が発見され、死因がはっきりする。アナが育児ノイローゼであることが最初から知らされているので、死因は予想できたが、そのあとの展開は悲劇にもかかわらず、希望を感じさせるものだ。アカデミー賞外国語映画賞受賞の「未来を生きる君たちへ」と同じく、悲劇を超えて未来への希望を見出す結末になっている。

2015年2月20日金曜日

創元の「フランケンシュタイン」は28刷だった。(追記あり)

丸善の丸の内本店へ行ったら、解説書いた創元の「フランケンシュタイン」が平積みになってたので、めずらしや、と思って手に取ったら、2月上旬に増刷されて28刷だった。
なんだ、創元もNHK教育の番組に便乗したのか。
でも、どうせ2千部かそこらだから、書店行っても実感ないわ。
で、アマゾンではただ今、「通常2~3週間以内に発送します」になっている。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-532%E2%80%901-%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/4488532012/ref=zg_bs_2220088051_12
本が書店に行っちゃってるからでしょうね。安いキンドル版もあります。
でもやっぱり新潮文庫(年末に新刊だから明らかにNHKねらい)や光文社古典文庫(2010年出版)の方が売れてそうなんだけど、NHKで「フランケンシュタイン」に興味を持つ人が創元みたいなマニア向け文庫に手を出すはずがないというか、やっぱり翻訳あまり読まない人がとりあえず安心して手を出すのが新潮や光文社なわけで、そのあたりのカルチャーギャップって実は相当大きいと思います。
で、創元は「屍者の帝国」のアニメ化ねらいでもあるようですが、こっちは原作者が早川書房からデビューしたSF畑の人たちなので、マニア向けの創元も少しはよいかな、いやあ、やっぱりアニメ見る層は創元じゃないよ、て感じもするんですけどね。
とりあえず、心配した絶版は当分なさそうだ。

追記
どっひゃーっという感じで、なんと、今月末に角川文庫から新訳「フランケンシュタイン」が出ますよ。
去年「ドラキュラ」の新訳をやった翻訳家だけど、この人、訳書の数が多すぎる(翻訳集団の代表者か?)。それに、どっちかというと実用書の人のような???
まあ別によいんですが、って、私としては角川の旧訳に未練がありますね。一部省略された部分があるとはいえ、挿絵がいいし、古風だけど力強い訳文でしたよ。
ただ、ケネス・ブラナーの映画とタイアップしたときに文字を大きくするために新たに版を作ったのですが、急いで作ったのか、誤字脱字がひどいらしい。私は昔の版で読んだので知りませんでしたが、どこかにそのことが書いてあって、訳者のせいじゃないのに訳者が悪いと思われていて、かわいそうだった。相当昔に出た訳書なので、訳者はおそらく亡くなっていると思いますが。
しかし、角川、出すなら1月中に出すべきだったぞ。てか、NHKがやるし、新潮が出すってんで、こりゃ乗り遅れちゃいかんとばかりに、突貫工事で出すんじゃないだろうね?
しっかしまあ、こんなに猫も杓子もフランケン便乗かと思うとなんだか情けなくなってくるな、日本の出版界。

2015年2月19日木曜日

紛争を描く映画2本(ネタバレあり)

ロシアとウクライナの間で戦争勃発の危機とか、アメリカでイスラム教徒の学生3人が殺害されたのにアメリカのメディアが伝えようとしなかったりとか、日本では首相のお友達の老作家がアパルトヘイト容認発言とか、いろいろときな臭いことの多い昨今、世界の紛争地域をテーマにした2本の映画を見た。

まずはカナダのケベック州出身の監督で、「ぼくたちのムッシュ・ラザール」のフィリップ・ファラルドーの新作「グッド・ライ~いちばん優しい嘘~」。アフリカのスーダンの内戦で両親を失った幼い兄弟姉妹がケニアの難民キャンプめざして歩き続け、途中で兄弟や仲間を失いながらもついにキャンプに到着。2001年、アメリカがスーダンの難民の若者数千人を受け入れることになり、2組のきょうだいである3人の男性と1人の女性がアメリカのカンザスシティに移住する。しかし、女性は受け入れ家族のもとでホームステイしないといけないという規則から、女性だけボストンに送られ、3人が職業紹介所の女性の助けで仕事を得て働き始める。
アフリカの大自然の中で育ち、スーダン北部の軍隊による虐殺を経験し、難民キャンプをめざす途中でリーダー格の兄を失い、そしてアメリカに来てからは姉妹である女性と引き離された3人は、カルチャーギャップにとまどいながらも懸命に生きる。その姿がユーモアをまじえてコミカルに描かれ、アフリカ人から見たアメリカのおかしなところなども描かれているので、スーダン内戦の悲惨な背景があるにもかかわらず、明るく楽しい映画になっている。なぜかアメリカ人は白人以外の人がほとんど出てこないとか、アメリカでの人種差別がまったく描かれないとか、ケチをつければきりがないが、ボストンに行かされた女性が戻ってきたり、子供の頃にスーダン北部の兵士に連行され、殺されたと思われていた兄が生きていたりと、感動的な展開もある。そして、この最後の死んだと思われていた兄がケニアの難民キャンプにたどりついたことを知った弟が兄のもとへ行き、そこでタイトルの「グッド・ライ」よい嘘をつくことになる結末が非常にいい。
このよい嘘の伏線として、大学で勉強する弟が「ハックルベリー・フィンの冒険」のよい嘘について学ぶシーンが出てくる。
で、以下、ネタバレになります(色を変えます)。
弟はなんとか兄をアメリカに連れていくためのビザを手に入れようとするが、どうしてもできない。そこで、弟は自分と兄がよく似ているのを利用して、自分のパスポートを兄に渡してアメリカに行かせる。かつて兄が兵士に連行されたのは、弟の命を救うためだったので、弟は今度は自分が兄のために何かすべきだと思ったからだ。ここで兄がわりと簡単に弟の言うとおりにするのがちょっと疑問というか、最初の方のシーンに出ていた兄はとても責任感が強かったので、そんなに簡単に弟のパスポートでアメリカへ行くとは思えないのだが、それはともかく、弟が難民キャンプに残るという決意は単なる自己犠牲ではないのがいい。難民キャンプにはアメリカ行きを希望したがかなわなかった親友もいる。そして、弟は医者になるのが夢だったのだが、彼は難民キャンプの病院で働く決意をする。一部の人だけがアメリカへ行ってハッピーなのではなく、アフリカで新たな人生を歩もうとする主人公を描いているのがよかった。難民役はすべて本物のスーダン難民が演じているのもリアルでいい。彼らは何代もアメリカにいる黒人とは違うアフリカ人の顔をしている。

もう1本は「アーティスト」でアカデミー賞作品賞や監督賞を受賞したフランスのミシェル・アザナヴィシウス監督の「あの日の声を探して」。「アーティスト」とはまったく違うシリアスな作品で、1999年の第二次チェチェン紛争が舞台(ロシア各地で起きたテロの犯人をチェチェン人と決めつけ、ロシアがチェチェンを空爆し、地上部隊を送り込んだ)。
ロシア兵に両親を殺され、姉も殺されたと思った幼い少年が赤ん坊の弟を連れて逃げる。しかし、途中で赤ん坊を連れていけなくなり、民家の玄関に置き去りにしてしまう。このショックと罪の意識から、少年は声を出せなくなってしまう。
少年はEU職員の女性に助けられ、彼女と生活をともにする。一方、生きていた姉は弟たちを探している。
このチェチェン人たちの物語と並行して、ロシア人の若者が軍隊に入れられ、そこで虐待されるうちに人間性を失い、そしてチェチェンに送り込まれて人を殺すようになる、という物語が描かれる。こちらは実際のロシア軍の話をもとに、「フルメタル・ジャケット」なども参考にして描かれていて、かなり凄惨。途中で気分が悪くなったのか、試写室から出ていってしまった人がいたくらい。
それでも、冒頭のロシア兵による虐殺のシーンの中で、若いロシア兵が泣いている赤ん坊を見つけ、おしゃぶりをしゃぶらせて、やさしく頭をなでて、そのまま出ていく、というシーンがあった。このロシア兵こそ、あの(以下、自粛。こちらはネタバレなしで)。
映画はいくぶんパターン化されているというか、軍隊で人間性を失うロシア人、女性と子供の交流に希望を見出すこと、など、ちょっと画一的な描写だな、と感じるが、この題材を映画化したかった監督の強い思いは感じることができる。
チェチェン人はイスラム教徒が多いのか、アラーに祈りを捧げたり、女性は外ではスカーフをかぶったりしている。「誰よりも狙われた男」に描かれたように、チェチェン人のテロリストもいるのだが、映画ではチェチェン人はおもに女性と子供なので、軍隊で人間性を失うロシア人と、愛や希望を失わないチェチェン人の女性と子供、みたいなパターン化はある。ただ、アザナヴィシウスはユダヤ系のフランス人なので、迫害されたかつてのユダヤ人をチェチェン人に重ねているのだろう。
原案はフレッド・ジンネマンの旧作「山河遥かなり」で、こちらは第二次大戦終戦後を舞台に、収容所の生き残りのユダヤ人の少年と米兵の交流を描いているそうだ。

2015年2月18日水曜日

「サンドラの週末」あるいは選択について

カンヌ映画祭での数々の受賞歴に輝くベルギーのダルデンヌ兄弟監督の新作「サンドラの週末」。
うつ病でしばらく休職していたサンドラ(マリオン・コティヤール)が病気を克服し、いよいよ復職しようとしたとき、いきなり会社からクビを言い渡される。会社の経営状態が悪く、ソーラーパネルを作る工場で働く17人の従業員のうち、休職していたサンドラをクビにしてボーナスをもらうか、ボーナスをあきらめてサンドラを復職させるかの投票を従業員の間で行い、2人以外がボーナスを選んだので、サンドラはクビになることに決まってしまった。彼女には夫と2人の子供がいるが、夫の収入だけでは暮らせない。また、再就職もむずかしく、彼女は窮地に立たされる。
しかし、サンドラの復職を望む同僚のおかげで、社長が月曜に再投票することを許可してくれる。サンドラは夫に励まされながら、ボーナスをあきらめて自分に投票してくれるよう、同僚たちの家をまわって説得する。時間は土日の2日間しかない。
病気が治ったとはいえ、まだ薬が手放せず、すぐに泣きだしてしまいそうになるサンドラは、同僚の対応に一喜一憂する。親友だと思っていた女性の同僚は居留守を使い、逆に、きみから恩を受けたのにきみに投票しなかったと後悔の涙を流す男性の同僚。サンドラの説得が原因で、彼女の目の前で親子げんかや夫婦げんかをしてしまう人。そして、ボーナスがないと暮らしていけない貧しい人々。
同僚をまわるうちに、現場主任が同僚を脅していたことがわかってくる。サンドラの解雇に賛成しないと別の人を解雇するとか、病み上がりはいらないと言ったとかいう話が聞こえてくる。非正規雇用の同僚は解雇に賛成しないと雇い止めになるのではないかと心配している。
誰もが自分の生活で手いっぱいであり、サンドラより明らかに貧しい暮らしをしている人も少なくない。サンドラ自身、彼らの同情を得て復職していいのかと悩む。その一方で、病み上がりだからと言われ、自分は必要とされていないことを感じ、精神的に追い詰められる。しかし、彼女の夫と、そして応援してくれる同僚が彼女の心を強くしていく。
最初は2人だった解雇反対が、しだいに増え、7人、8人となっていく。しかし、過半数の9人がむずかしい。
同僚たちはみんな、サンドラかボーナスかの選択をしたくないのだ。サンドラが復職できてボーナスももらえたらいいと思っている。しかし、その選択をさせるのは社長である。サンドラは何度も、選択をさせているのは私ではない、と言う、これが重要だ。
この映画では社長は一見、よい人のように見える。一方、従業員を脅してサンドラを解雇させようとする主任は悪い人のように見える(この主任は最後の方で初めて姿を見せる)。しかし、この社長と主任はいわゆるいい警官と悪い警官のようなもので、グルなのではないか。主任の画策の背後に社長がいるのではないのか。
本来なら、この問題は社長が選択するべきことなのだ。ここを忘れてはいけない。1人解雇せざるを得ないので、休職していたサンドラに退職金を与えてやめてもらうといった選択を、社長がするべきなのである。しかし、社長は自らは選択をせず、従業員にサンドラかボーナスかの選択をさせる。社長は卑怯なのだ。しかも、主任を使って画策していたのなら、一番悪いのは社長だ。
それがはっきりわかるのがラストである。投票の結果がわかったあと、社長はサンドラにある提案をする。サンドラはそれをきっぱりと拒絶し、荷物を持って会社から去っていく。もしも彼女が社長の提案を受け入れたら、それは彼女の敗北であり、仲間への裏切りである。サンドラは最後に正しい選択をしたのだ。
正直、映画を見ている間中、この会社は長持ちしないな、他の従業員もそのうちクビになるな、という気がしてならなかった。次は我が身なのである。

2015年2月16日月曜日

今週の運勢、日本語版の誤訳

先週に引き続き、ジョナサン・ケイナーの今週の運勢です。
が、日本語版に誤訳が!

日本語版(赤字が誤訳)
 「人が愛、称賛、信頼、希望、忍耐といったことを学ぶまで、行動規範という理屈っぽい原則は、人生という名の道にまかれた種のようなもの。その種は道行く 人々が無意識のうちに踏みつけ、ホコリと化す。」これはあなたと同じしし座の 詩人・シェリーが語った言葉です。彼女の言い分に異論を唱(とな)えるつもり はありません。しし座の人々に反論するのは賢明なことではありませんから。

本家の原文
  'Until the mind can love, and admire, and trust, and hope, and endure, reasoned principles of moral conduct are seeds cast upon the highway of life which the unconscious passenger tramples into dust.' So said your fellow Leo, the poet, Shelley. I won't argue. It is never wise to contradict anyone born under your sign.

引用されている詩はパーシー・ビッシュ・シェリーの「鎖を解かれたプロメテウス」という詩劇の一節です。長い作品で、読んだような気もするけど覚えてません。ギリシャ神話のプロメテウスは人間に火をもたらした罪で岩山に縛られ、毎日ハゲワシに内臓を食われるが、内臓は毎日再生するので、苦しみが永遠に続く、という話をもとにしたもので、シェリーはプロメテウスのように神に逆らって人間に火を与える人を称賛してるのですね(そういう詩人です)。
で、このシェリー(男です)の妻メアリが書いた「フランケンシュタイン」の副題が「現代のプロメテウス」で、このプロメテウスの火が「フランケンシュタイン」が書かれた時代では電気、そして20世紀以降では原発を連想させるので、原発事故をルポした朝日新聞の連載にもプロメテウスの名が入っているわけです。「フランケンシュタイン」の科学は生命科学だけでなく、物理学でもあったのですね。
メアリ・シェリーが「フランケンシュタイン」を出版したのは1818年ですが、パーシーの「プロメテウス」は1820年ごろの作品らしい。夫婦で同じようなこと考えならが創作してたのでしょうね。
さて、このパーシー・ビッシュ・シェリー、8月4日生まれのしし座です。実は私は8月5日生まれで、シェリーと1日違い。シェリーの伝記的なエピソードを読むと、わりと私と似た性格だなと思います。ちなみに妻のメアリは8月30日の生まれなので、おとめ座です。男がしし座で女がおとめ座って、けっこういい組み合わせなのかな? そういう歌があったよね。
で、パーシー・シェリーは男なので「彼女」が誤訳ですが(ああ、プロメテウスでシェリーだと今やメアリだと思われるのか。世の中変わった)、もう1つの誤訳は「道行く人々」。原文見ればわかりますよね、the unconscious passenger、単数形です。そのあとも動詞に三単現のsがついてるぞ。パーシー・シェリーを知らないのはまだしも、こっちは中学1年生レベルの誤訳じゃ。
しかもtheがついているから、この通行人は特定の人物なのですね(なんとなく誰かは想像できるけど、全文読まねば)。
そんなわけで、この詩の引用部分、ほかにも誤訳があるかもですが、それはそのうち確かめます。
ジョナサン・ケイナーの星占い、以前は明らかに日本語が変だったので、必ず本家のサイトで原文をチェックしてましたが、ある時期からおかしな日本語でなくなったので、チェックしなくなっていました。でもやっぱり誤訳というか、ケイナーの意図がわかってない訳がやはりあるのだな。

2015年2月12日木曜日

セイバーズ、大量トレード

今季はドラフト全体1位か2位がほしいので最下位めざすセイバーズですが、一気に大量トレードをしていました。
まず、新人賞受賞歴のあるマイヤーズやサラリーキャップ導入後のセイバーズ最強時代の最後の1人だったスタッフォード、それに昨年ドラフトしたクロード・ルミューの息子(契約前のプロスペクト)などをウィニペグ・ジェッツにトレード。かわりにエヴァンダー・ケイン、ザック・ボゴジアンなどを獲得。
マイヤーズとスタッフォードは期待ほど伸びずイマイチだったし、エヴァンダー・ケインは非常にいい選手らしいのですが、このあとなんと、セイバーズはスターター・ゴーリーのエンロスをダラスにトレード。今季のセイバーズはエンロスががんばってなんとか少しは勝てていたので、こりゃもう今季は全部負けて、なんとしても最下位を死守して、ドラフト全体1位か2位の選手を確保しようという腹なのでしょう。というのも、今年のドラフトはシドニー・クロズビー以来の大物が2人いるからで、ドラフトくじで1番がとれなくても最下位なら2番はとれるからです。
とまあ、ドラフトに期待するしかない状況なわけですが、クロード・ルミューの息子ブレンダン・ルミューがトレードになったのは、彼がセイバーズに入りたくなくて、契約を拒否していたからだ、という話が伝わっています。
ああ、またしても選手に嫌われるセイバーズ、なわけですが、その一方で、セイバーズがいやならウィニペグ・ジェッツだっていやだろう、という説もあって、おそらくルミューはジェッツとも契約しないのではないかという予想も出ています。
というのも、ドラフトされる選手はおもに高校卒業するときにドラフトされるのですが、大学に進学すると4年間、ドラフトしたチームに契約の権利があります。が、選手が大学に行かず、メジャー・ジュニアでプレーした場合、契約の権利は2年で失効。ルミューはメジャー・ジュニアの選手なので、ジェッツとも契約せずにいれば来年はまたドラフトにかかるわけです。
はっきり言って、親が大物だからできるぜいたくだよな、という感じはしますが、父親が所属したような有名チームに行きたいのでしょうね。ただ、ドラフト上位で選ばれたのは親の七光りという意見もあり、果たして希望どおりに行くのかどうか。

アジアリーグのクレインズは11日の試合に快勝し、他力本願ながら、プレーオフの望みをわずかに残しています。

2015年2月11日水曜日

予想外の展開

最近すっかりご無沙汰になっているのがホッケーの話。NHLのセイバーズはドラフト全体1位か2位ねらいの超低空飛行だし、クレインズもメンバー変わってよくわからなくなってるし、で、あまりホッケーのサイトを見なくなっていました。
が、ここに来て、予想外の展開が!
それは、クレインズがプレーオフ圏外の危機!
つか、もうほとんど終戦とファンのブログには書かれていますが、確かに無理そうな感じ。
今季は全日本選手権の決勝に北海道勢が2チームとも進出できず、バックス対ブレイズの本州勢対決、これはコクド対西武鉄道以来なのだそうで、私がアジアリーグ見始めたときには西武鉄道はとっくに廃部というか、コクドに吸収合併になってたので、かなーり昔の話。
で、クレインズがプレーオフ出れないと、いったい何年ぶり? 私が見始めたときはクレインズがファイナルの常連だったときだったので、これもかなーり前のはず。
いったいどうなっているのでしょうか、クレインズ。去年は優勝したんだよね。
いずれファンのブログや掲示板で総括されるのでしょうが、そういえば、以前は釧路のクレインズ・ファンのブログがいくつもあって、それを読んで情報を得たりしていましたが、ある時期からそれらのブログが更新をしなくなってしまい、うーん、ダーシが去ったあたりからだろうか、その頃から私も遠ざかってしまった気がします。

予想外の展開といえば、光文社文庫に続いて新潮文庫からも「フランケンシュタイン」の翻訳が出たので、すっかり売れなくなった創元推理文庫の「フランケンシュタイン」ですが、キンドルがあるので、もしかしたら紙の文庫本の方は絶版になってしまうかもしれません。創元とはとんとご無沙汰で、私は解説書いただけなので、その辺何もわかりませんが、文庫本は絶版だけどキンドルは健在という本が創元にはいくつかあることがわかりました。
創元の「フランケン」は出た当時(31年前の2月だね)はあまり売れず、数年で絶版かと思われていたのですが、どこかの学校が教科書に採用してくれたので増刷され、その後しだいに売れるようになって、27刷まで行ってます(1回あたりの増刷は2千部から3千部なので、27刷でも合計で7万部から8万部くらいだと思います。初版部数も1万8千と、当時の文庫としては少なかった。今は文庫でも1万切るのは普通らしい、って、私の小学館文庫の翻訳は1万切ってたわ)。
で、NHK教育で「フランケンシュタイン」の紹介番組が先週から始まって、それで新潮文庫も光文社文庫も売れ出したのですが、創元はキンドルが売れている(安いから)。うーん、もう紙は限界か(以上、アマゾンの話なので、書店も含めた実売はわかりません)。
正直、私の解説が30年以上も長持ちするとは思ってなかったので、ネットで今でも解説を絶賛してくださる読者がいるのはありがたいことなのですが、そしてキンドルがあれば今後も読みたい人には読んでもらえるのですが、でも、もしも紙の文庫が絶版になったら、あの解説を含めた本を出してみたいな、とか、ちらっと頭に浮かんだりもしたのでした。
翻訳は新潮文庫と光文社文庫は今ふうで読みやすいそうですが、創元の翻訳は古典の格調のある訳文で、ネットではこちらがいいと書いている人もいます。

追記

2015年2月8日日曜日

今週の運勢

「今週、道徳の数学で頭を悩ませな いでください。そうすることは時間の無駄ですから。許すことができるのだった ら、水に流してしまいましょう。それでは許せない場合は? たとえそうであっ ても、相手が犯した過(あやま)ちの数を数えたり、点数をつけたりすることは 避けた方がよいでしょう。」
ジョナサン・ケイナーの今週の運勢(しし座)。

これは個人の話で、社会問題等にはあてはまらないと思いますが、私は確かに個人的に(社会的に、ではなく)許せないこと、いやなことを数えたり点数をつけたりする傾向があると気づきました。
ケイナーの占い、あまり参考にならないことが多いけど、今週は◎。

2015年2月6日金曜日

イミテーション・ゲーム(ネタバレ大あり)

テレビドラマ「シャーロック」で人気のベネディクト・カンバーバッチ主演で、アカデミー賞にもノミネートされている話題作「イミテーション・ゲーム」。第二次大戦中、ドイツの暗号を解くのに成功した実在の数学者アラン・チューリングにカンバーバッチが扮する。
このチューリングという人物、ケンブリッジ大学を卒業した数学の天才だが、非常に変わり者で、まわりと協力しようともせず、自分の心を素直に見せることもしない偏屈な男で、まさにカンバーバッチのシャーロックの延長線上にある人物だ。
カンバーバッチはメジャーの映画ではこれまで脇役ばかりだったと思うが、この映画がたぶんメジャー初主演。この役はたしかにカンバーバッチ以外考えられない。
そして、これからがネタバレになるのだけど、このネタバレ、隠した方がいいのか隠さない方がいいのか、微妙なところだ。

んなわけで、映画を見る予定で、隠してほしい人はこのあとは読まないでください(文字色変えます)。

実はチューリングは同性愛者なのだ。このことは映画のなかほどで彼自身が告白する。だから、最後の最後にわかるネタバレではない。
映画は第二次大戦終戦後の1951年、チューリングが暗号解読をしていた第二次大戦中、そしてチューリングの少年時代の3つの時代が交互に描かれる。そして、その中で同性愛だったチューリングの悲しみや、彼が受けた迫害が明らかになる、というのがラストだ。
チューリングの受けた迫害というのは、イギリスが1880年代から1960年代までの間、同性愛の性行為をして見つかった人々を逮捕し、有罪にしていたという歴史的背景と関係している。実際、オスカー・ワイルドは刑務所に入ったし、アレック・ギネスも若い頃に同性愛の行為で有罪になったとか。チューリングと同じケンブリッジ出身のE・M・フォースターは精神的なゲイだったが、それでも同性愛を徹底的に隠していた。同性愛であるとわかると法的に罰せられる可能性のある時代だったのだ。
映画はチューリングと仲間たちの暗号解読のドラマと、同性愛者であったがゆえに自分の本心を隠して偏屈になってしまったチューリングの人生、そして、同性愛の行為で有罪となったために破滅に導かれる結末を描いている。しかも、彼が成し遂げた暗号解読は機密事項であったために、彼の功績は隠されたままだった。
プレスを見ると、彼の同性愛については何も書かれていない。しかし、この映画がイギリスの同性愛者に対する弾圧についての物語であることをまったく知らせないで映画を公開していいのだろうか、という疑問が浮かぶ。カンバーバッチのファンの女性にはボーイズラブが好きそうな人がいるし、「シャーロック」もカンバーバッチのホームズとマーティン・フリーマンのワトソンがちょっとアレっぽかったり(コナン・ドイルの原作からして同性愛疑惑がある)するので、カンバーバッチのファンはこの同性愛のテーマを映画を見て初めて知ってもすんなり受け入れられると思うし、他の映画ファンもそうだろうと思うが、逆に、こういう性的少数者の迫害に関心のある人が映画のテーマを知らされないために見逃してしまうのではないかという危惧を感じる。あるいは、こういう情報というものは必要な人には伝わるものなのだろうか。
映画そのものについて言えば、いくぶん物足りなさは残る。暗号解読に成功したチューリングたちは、それをドイツに気づかれないために、ドイツ軍の襲撃目標になっている人々のうち、誰を救い、誰を救わないかの選択を迫られる。この非情な任務をチューリングたちがどのように悩みながら成し遂げたのか、映画はそれを描かないのだ。人間と同じように考え、しかも人間より遥かに速く考える機械=コンピューターの元祖を作り上げたチューリングは、いわば神のような立場に立つ人間であり、多くの人の生死を決定する立場にいたのだが、その葛藤を描かないのが非常に物足りないのだ。
映画の中で、チューリングはそのコンピューターの元祖にクリストファーという名前をつける。これは史実とは違うようだが、映画ではクリストファーはチューリングの少年時代の親友で、チューリングがひそかに思いを寄せていた少年の名前である。このように、映画はチューリングの同性愛を軸に話を展開しているのだが、チューリングの性格の原因を同性愛への抑圧に限定しているのも少し疑問を感じる。また、チューリングの暗号解読によって終戦が早まり多くの人命が救われた、という最後の言葉は、原爆投下によって終戦が早まり多くの人命が救われたという言葉を思い出させるので、素直にはうなずけない。面白い映画なのだが、不満も残る作品だ。
なお、カンバーバッチを取り巻く助演陣、キーラ・ナイトレー、マーク・ストロングなどの役者たちもみな個性的で魅力的。俳優の演技の面でも充実した映画である。

2015年2月4日水曜日

「はじまりのうた」ほか(ネタバレ大あり)

昨年11月から12月に見た映画で、おすすめながら書き損なっていた作品をご紹介。すべてネタバレあり。

まずは「Once ダブリンの街角で」の監督の新作「はじまりのうた」。夫に裏切られたイギリスの若い女性と、わけあって妻子と別居中のアメリカの中年男がニューヨークで音楽が縁でめぐりあい、音楽仲間とCDを作ることになり、そこに中年男の娘が加わって、音楽活動をするうちに若い女性も中年男も配偶者とよりを戻す、という、なんだかとってもあったかい気分になれる物語です。
最初は主人公の2人が過去を忘れて新しく生きる話なのかなと思っていたら、そうではなくて、こじれた2組の夫婦が元のさやにおさまる話だったのです。でも、これがいい。
例によって、音楽がすばらしい。そして、映画に参加している人たち、映画を作っている人たちが本当に音楽が好きなのだな、とわかるのがすてき。これ、かなりのおすすめです。
タイトルは「Once ダブリンの街角で」の方がしゃれていていい、「はじまりのうた」ではちょっとダサイ、と思うのは私だけでしょうか。タイトルにニューヨークを入れてほしかった。

続いてイギリスの「おみおくりの作法」。身寄りのない市民が亡くなったとき、葬儀をしたり家族を探して連絡をとったりするのが仕事のジョン。が、その仕事が廃止されることになり、最後の死者のために家族や友人を探して葬儀をすることになる。人とかかわらず、孤独で単調な人生を送ってきて、それに満足していた彼が、その最後の葬儀の準備の過程で知り合った女性との間にほのかな愛が芽生え、人生が変わると思った瞬間、事故死してしまう。ジョーの死を知らずに葬式をする人のかたわらで、誰にもみとられることなく埋葬されるジョー。でも、そのあとのラストシーンが泣けます(ここはネタバレなしね)。

シャーリー・マクレーンとクリストファー・プラマーが老人カップルを演じる「トレヴィの泉で二度目の恋を」。最近亡くなったアニタ・エクバーグがトレヴィの泉に入る「甘い生活」の有名なシーンを演じるのが夢のマクレーンが余命いくばくもないと知ったプラマーがひと肌脱ぐ、という話で、「甘い生活」のシーンと映画のシーンが交錯するクライマックスと、そのあとのラストが余韻を残す、よい話です。

このほか、中国のミステリー映画「薄氷の殺人」、戦争で受けた心の傷に悩むアメリカ先住民とフランス人精神分析医の交流を描く「ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して」、コナーとエリナーという一組のカップルの愛の行方をコナー側とエリナー側の両方から描く2本の映画「ラブストーリーズ コナーの涙」と「ラブストーリーズ エリナーの愛情」、難病で長く生きられない若い男女を描く「きっと、星のせいじゃない」(これも意外な結末あり)も面白かったです。

前にちょっと書いたチャン・イーモウ監督の「妻への家路」は、文化大革命で投獄されていた夫が、その後名誉回復して釈放され、妻のもとに戻るが、妻はそれまでの生活での苦労から夫の顔や姿の記憶を失っていて、夫を見ても帰ってきたと思わず、いつまでも夫の帰りを待つ、という、中国版「心の旅路」のような感じなのだけれど、(ネタバレしますが)「心の旅路」のように最後は思い出すのかと思ったら、最後まで思い出さず、夫も妻の友人になって、妻や娘と一緒に妻にとっての夫の帰りを待つというラストシーンが胸を打ちます。中国の人々にとって、失われたものがまだ回復されていない、ということを感じます。

あともう一つ、「フォックスキャッチャー」という映画。殺人事件にまで発展した富豪とオリンピックのメダリストであるレスリング選手兄弟の確執を描いた実話の映画化ですが、私はこれは買わないというか、たぶん、ほめる人も多いと思うけど、私は買わない、という映画です。監督が「カポーティ」のベネット・ミラーですが、私は「カポーティ」もあまり高く評価してません。なんというか、こういう題材をこういうふうに描けばすごそうに見える、みたいなところがどうも好きになれないのです。特にこの映画は「カポーティ」よりさらに思わせぶりな感じ。ということで、おすすめではないけれど注目作なので、追加しておきました。

2015年2月2日月曜日

最悪な日

2月1日は最悪な日だった。
国内的にも国際的にも私的にも。
「テロに屈しない」と言い続け、そして、今度は「報復する」というような宣言。
今後は日本国内でもテロが起こりうる状況になった。

そして、自分的には、ただでさえ安い出版社で仕事したら、その安い原稿料のさらに半値の原稿料しかもらえない、しかも、まだいつ支払われるのかもわからないのに源泉徴収票では支払ったことになっているらしい、ということが起こった。
この出版社では数年前から冷遇されているので、もう仕事しない方がいいのかもしれない。