2015年8月25日火曜日

デレク・プラント、シカゴ・ブラックホークスのスタッフに

まだ詳しいことはわからないのですが、デレク・プラントがNHLのシカゴ・ブラックホークスのディヴェロップメント・コーチに就任したようです。
ニュース等、まだ見かけてませんが、デレクのツイッターと、ブラックホークスのサイトのスタッフ一覧ページには出ています。
ブラックホークスといえば、バッファロー出身の問題男パトリック・ケインを中心に、最近、何度も優勝している常勝チーム。ハシェックがここからトレードでセイバーズに来たり、デレク自身も現役時代に一応在籍していたりというチーム(デレクはほとんど二軍でしたが)。
なんかずいぶんといい転職先だのう、という感じですが、ディヴェロップメント・コーチだとあまり表には出てこないのかな。でも着実にコーチ街道を歩んでいるようです。

追記
ネットにニュースありました。
http://www.northlandsnewscenter.com/sports/Cloquets-Plante-Takes-Job-with-NHLs-Chicago-322219402.html
ドラフトされたが契約に至っていない選手のコーチらしい。

2015年8月16日日曜日

デレク・プラントのインタビュー

昨年に続き、チェコとスロヴァキアで行われたU18の男子ホッケーのトーナメント、イヴァン・フリンカ・メモリアルで、元セイバーズで元クレインズのデレク・プラントがアメリカ代表チームのヘッドコーチをつとめました。今年は残念ながら8チーム中5位でしたが、大会を終えたデレクのインタビュー記事がネットにアップされていました。
http://www.iihf.com/home-of-hockey/news/news-singleview/?tx_ttnews%5Btt_news%5D=9972&cHash=498da3ff4c12b18af31bc260fc1a1d92
選手時代とはすっかり面影の変わったデレクの写真もあります。
記事では大会についての話のあと、NHLを去ったあと、ヨーロッパとアジアでプレーしたときのことが語られています。
最近、デレクは日本とアジアでプレーしたことを積極的に語っているのですが、指導者になる上で、クレインズ時代の経験が役に立ったと思っているのではないかと思います。北米とヨーロッパでは選手としてがんばるので精いっぱいだったでしょうが、アジアリーグでは若い選手の指導をする余裕があったのだと思います。アジアリーグでプレーしたということは、北米のトップを経験したホッケー選手にとっては普通は語りたくないことだと思うけど、デレクは他の媒体でも積極的に語っています。
デレクの頃にはアジアリーグは8チームでしたが、上位4チームと、中堅2チーム、だめな2チームがあった、と言ってますが、だいたい想像できますね。今はもうなくなってしまったチームもいくつかあるのですが。当時に比べると、今のアジアリーグは拮抗してきています。デレクはその後のアジアリーグには興味がないのか、自分の時代のことしか語りませんが。
「最初の年にファイナルで負け、次の年にファイナルで勝った」、そして、「クレインズのアリーナはキャパが3000人くらいで、毎試合2500人から3000人の客が入っていた」と言ってますが、後者はだいぶ水増しというか、ファイナルだとそのくらい入るけど、それ以外は半分入るかどうかでしたね。そのクレインズ、今季は指定席をやめて全部自由席にし、チケットも全国で買えるようにしたそうで、なかなかの英断であります。お客さんが増えるといいね。

引越

約1か月ぶりの更新です。
引越当日、運び込まれた段ボール箱を動かしたときに腰を痛め、なんとか痛みが治まるまでの2週間、荷物の片付けもできず、荷物の間で寝る日々。おまけに家賃を安くするため、風呂なしアパートにしたので、腰が痛いのに毎日銭湯通いというつらい日々でした。しかも銭湯激減で、片道徒歩10分。
また、住む前には予想もしていなかったことがいろいろとあり、まあ、家賃が安くて初期費用も安かったからいいけど、なんかまた引越失敗だなあ、と。
悪いことは続くもので、Surface3を買ったからパソコンのネットはしらばく使えなくても大丈夫、と思ったら、そのSurface3が壊れた。買ったときから少し変で、途中でサポートの指示で初期化してやり直したのだが、やはり初期不良だったのか、とりあえず、返品して新品と交換となったのだけど、ネットができない日が10日くらい続く。新品が来たのと、パソコンのネットが開通したのがほぼ同時でした。
そのSurface3ですが、やっぱり必要なかったかなあ、と、プチ後悔。製品の分割払いとネット使用料で毎月8千円くらい取られるし、従量制のブロードバンドなので、Windowsの更新も思うようにできないという、うーん、これ、ほんとに必要だったのか? 単に見かけがよくて欲しかっただけなのか?
ほかにもいろいろありましたが、これまでに3回使った引越業者が倒産してしまい、今回は大手に頼んだけど、倒産した業者がいかに優れた技術の持ち主だったかを思い知らされました。あんなに優秀な人たちがやってくれて、料金激安だったからね。だからつぶれたのか。
その他、前のマンションの仲介をした不動産屋がつぶれ、それまでまったく姿を見せなかった大家が突然現れて要求を突き付けるので、引越決意したのだけど、その非常識な大家には最後まで煩わされました。そのマンション、去年の春に問題が2つ起きて、それ以来引越を考えていたのだけど、思いきれないうちにこういう事態になったわけで、去年のうちに引越していれば不動産屋もつぶれてなかったし、物件的にも当時の方がよいものがあったので、思い切りが悪かったなあと反省。
年をとると民間の賃貸住宅を借りるのはむずかしくなるので、次はUR(公団住宅)かな、と思っていますが、以前書いた、契約を不当に拒否したY営業所が、7月中旬に改築か何かで休業になってました。もめたのが6月末だったので、2週間後には閉鎖の予定だったわけで、だからまともな職員がいなかったのか、と納得。部屋選びもそうですが、この辺の自分の勘の悪さみたいなのがいかんともしがたいなあと、またも反省の日々です。