2015年12月31日木曜日

大晦日

30年間、文京区のお寺のそばに住んでいたので、毎年、大晦日には除夜の鐘が聞けたのだけど、今は公団住宅のど真ん中、あっちを見てもこっちを見ても団地の建物なので、除夜の鐘は聞けそうにありません。
この辺の人たちは初詣はどこへ行くのだろうか。
私は明日は谷中の周辺に行ってみようかと思ってます。
30年間、ずっと、初詣は根津神社でしたが、昔は根津神社は元旦の夕方に行けば並ばずにお参りできたのに、「谷根千」ブームになってからは年ごとに参拝客が増え、数年前からは三が日は暗くなっても長い行列、とうとう三が日の参拝をあきらめ、4日目に行っていたのでした。
なので、谷中に行っても根津神社はパス。
「谷根千」ブームも、最初の頃は地図を持った観光客がうろうろしていて、「**はどこですか?」「え? 知りません」てな会話をしていたものでした。
どこもそうだと思うけど、地元民は地元の観光地を知らない。つか、地元っていうだけで観光地とは思えない。生活感ありすぎなので。
でも、個人の観光客がうろうろしてた頃はまだよかったというか、最近は観光バスが来るんでびっくり。「谷根千」じゃないですが、六義園なんか、外に観光バスがずらりと並んでいます。千駄木あたりも、観光客を降ろした空の観光バスがどこかの駐車場に行くのか、住宅街を走ってたりします。
まあ、あの辺は観光バスが停まれる駐車場ないんですが。
文京区に住んでいたときは、除夜の鐘が鳴る頃に、根津神社へ初詣に行く人の足音が外に響くということもいつものことでしたが、その根津神社も、除夜の鐘が鳴る頃に遠くの地名のナンバーの車がたくさん来るようになって、路上駐車するから迷惑、とか、近所の方が言ってました。
もう除夜の鐘と、根津神社へ行く人の足音が聞こえないのか、と思うと、少しさびしい。
実は年末になって、谷中についての文章を書く機会があり、地元のときはさすがに「谷根千」観光なんて絶対したくなかったけど、地元じゃなくなったから少し観光してみようか、と、ネットで観光スポットを調べ、先週末に出かけたのですが、日暮里の駅を降りたとたんに観光客がどっといて、もうそれだけでいやになってしまいました。
結局、猫に会いに行ったくらいで、観光はなし。「谷根千」の観光客にはなるまいと思って帰ったのでした。

というわけで、除夜の鐘はラジオで聞きましょうか。
では、よいお年を。

佐川急便の真実・その2

前回の続きです。
インターネットで佐川急便の配達の実態がよくわかりました。
以下が、今回、トラブルになった荷物の出荷状況です。
アルファベットは頭文字ではありません。


出荷日
2015年12月21日

↓集荷  12/22 14:02  A営業所 
↓輸送中  12/23 08:18  B中継センター 
↓保管中  12/23 14:55  C営業所 
↓輸送中  12/23 21:00  D中継センター 
↓輸送中  12/24 01:37  B中継センター 
↓配達中  12/24 09:24  E営業所 (届けに行かなかった。)
↓持戻り  12/24 21:56  E営業所
↓配達中  12/25 08:22  E営業所 
↓ご不在  12/25 20:35  E営業所 (届けには行ったが、不在連絡票を入れない。)
↓持戻り  12/25 21:48  E営業所 
↓配達中  12/26 08:16  E営業所 (届けに行かなかった。)
↓持戻り  12/26 20:52  E営業所 
↓配達中  12/27 09:35  E営業所 (届けに行かなかった。)
↓持戻り  12/27 23:15  E営業所 
↓ご不在  12/28 19:35  E営業所 (届けに行ったが、不在連絡票を入れない。)
↓持戻り  12/28 20:54  E営業所 
↓配達中  12/29 08:36  E営業所 
↓ご不在  12/29 19:12  E営業所(届けに行き、25日と28日分の不在連絡票を入れる。)
⇒持戻り  12/29 20:10  E営業所

これを見ると、なぜ佐川の荷物が届かないのかが一目瞭然です。
出荷日の21日は夜と思われるので、この日は省いてもいいでしょう。
が、22日から24日まで、4つの営業所をたらいまわしにしています。
この荷物は24日までに届かなければ意味がないものですが、送り主は「至急」とか、「何月何日必着」とか書いていませんでした。もしも書いていたら、このたらいまわしはなかったかもしれません。
また、24日に届けに行かないということもなかったかもしれず、不在連絡票を入れないということもなかったかもしれません。
佐川では、この荷物は急ぎではないと判断したり、この受取人は不在がちだと判断したりした場合、配達はあとまわしにするそうです。そうでないと仕事がまわらない会社だからです。
実際、27日は午前9時から午後11時まで配達していたことが上の表からわかります。にもかかわらず、うちには来なかったのです。

今回の荷物は、私もどうしても必要なものではなかったということもあり、佐川はやめて、とか、「必着」と書いて、とか言わなかったのですが、この実態を知って、佐川急便は断固拒否すべきと思いました。
ネットには、佐川急便トラブルについての質問や怒りの文章がたくさんありますが、上のような実態を知れば、今後は佐川には気をつけようと、送る方も送られる方も考えるようになるでしょう。
佐川急便の問題は、非常に安い値段で荷物を引き受け、そのかわり受取人や配達人は苦労するというところにあるので、結局、得をしているのは激安の値段で荷物を送る企業だということは忘れてはならないと思います。前にも書いたように、異常に安いものはどこかで誰かが必ず泣いているのです(佐川の場合は受取人と配達人が泣いている)。
ちなみに、過疎地の友人の地域は佐川は非常によいそうで、地域によっては佐川がよいところもあるようです。

追記
そういや、一時、佐川がわりとよかった時期があったのを思い出しました。
それは4年間住んだアパートでのことで、理由は、その地域の担当者(わりと高齢の方)が大家さんと懇意にしていたので、うちへの荷物は最優先で持ってきてくれたんです。
あとはもう、佐川っていうと、頭に来る思い出しかないんですが、どうも佐川は人によるみたいで、優秀な担当者がやめたとたん、その地域の佐川がまったく使い物にならなくなったりするらしいです。
なので、今は佐川がいい地域もご用心。

2015年12月29日火曜日

佐川急便の真実

かなーり長い間、佐川急便の荷物を受け取ることがなかったので、相手が佐川で送るかもしれないということがまったく頭に浮かばないでいたら、ついにやってくれましたよ、某県某市の佐川急便。
佐川は都内にいたときも都内の会社から自宅に荷物が来るまで発送の翌日から4日間かかっていました。
1日目 会社が荷物を発送。
2日目 自宅に来るが不在。しかし、不在連絡票を残さない。(来なかった可能性もある。)
3日目 配達に来ない。
4日目 自宅に来るがまたも不在。連絡票を残す。
5日目 再配達してもらう。

仕事の荷物の場合、というか、個人が個人に送るときに佐川を利用するわけはないので、必ず会社から個人へとなるのですが、出版関係はけっこう急ぎの仕事が多いので、届くのに4日かかるのはもう致命的。なので、もうだいぶ前から出版社からの荷物はヤマトやゆうパックでした。
今回も3日目になってもまだ届かないので、必要な資料(古い映画のDVD)を3日目から探し始め、2軒のツタヤで貸し出し中または在庫なしだったので、4日目にふと思いついて、都内にいたときによく利用した某店へ行ったら、ありました。
これでことなきを得たので、たぶん資料を送りそこなったのだろうと思っていました。
ところが原稿を送った翌日、佐川急便の不在連絡票が2枚も。
ポストは毎日見ているので、2枚の不在連絡票はその日に一緒に入れられたのは間違いありません。2枚の日付は4日くらいあいてましたが、紙は重ねて入ってました。
とりあえずインターネットで再配達の依頼をすると、そこに会社が荷物を送った日から現在までの詳しい状況が書かれていて、唖然茫然。
まず、都内から隣の某県に送るだけで3~4日かかるのです。
1日目 会社が発送(おそらく夜)
2日目 引き受けた支店が発送。
3日目 どっかのセンターに留め置き。
4日目 うちの近くの支店に発送。
5日目 うちに最初に配達したらしい(不在連絡票なし)。(来なかった可能性もある。)
6日目~8日目 一応、配達に行ったことにはなってる(不在連絡票なし)。(1度も来なかった可能性もある。)
9日目 不在連絡票が2枚入っていた。日付は5日目と8日目だが、8日目にはポストに何もなし。
というわけで、都内なら4日かかるところ、隣の県だと10日かかるわけです。
特に3日目のどっかのセンターに留め置きってのがすごい。ヤマトなら翌日配達なので。

佐川急便についてはいろいろなことが書かれていて、実際、佐川の配達の様子を見ていても、ここに期待する方が悪いと思うので(あの様子ではとてもヤマトのような配達はできない)、今回も佐川だと4日かかるから締め切りに間に合わないと踏んで、ツタヤめぐりをしたわけです。が、4日どころか10日だよ(9日目で不在連絡票だから受取は10日目以降になる)。
つか、どっかのセンターに留め置きがあるから、初回配達時に自宅にいても5日目なのね。

というわけで、今後は佐川急便の荷物はいっさい受け取らないことにします。
実際、そうしている人がけっこういることがネットでわかりました。
どっかのセンターに留め置き、ってのがもう、笑うしかないというか、都内にいたら絶対わからなかったことですね。

追記
その後も佐川急便トラブルをネットで調べたら、まあ、出てくるわ、出てくるわ。
テレビとか大きいものは運ぶのが面倒なので、チャイム鳴らさずに不在連絡票入れて持ち帰り、別の人に再配達させるとか。
再配達で時刻指定しても来ない。つか、佐川は時刻指定してもそのとおり来るのは無理、とか。
それはその通りでしょう。佐川って、昔は時刻指定は午前、午後、夜の3つしかなかったのに、今はヤマト並みにしてるんでびっくり。佐川がヤマト並みの配達できるわけないじゃん。
なので、今回の荷物も再配達の時間に来る可能性は低いと思うので、「ポストに入れといて」と書いて、指定時間には外出してやろうと思ってます。
つか、都内のときは勝手にポストに入れてることもあったな。私としてはその方が便利だったよ。
ていうより、都内の時は4日目に、待っていたらちゃんと来ていたってのが、実はすごいことだったんだって気づいた。
どっかのセンターに留め置き、っていうのも、年末は特に荷物が多いから、さばけないから留め置きだったみたいだ。不在連絡票入れないのが再配達時間指定されたくないから、ってのは最初からわかってたけど、そもそも配達に来てなかった可能性もありそう。
あと、佐川は下請けがやっていて、荷物1つ届けて150円から200円とか書いてあった。うーん、もう、届けなくていいよ、と言いたくなってきたな。

2015年12月22日火曜日

「不屈の男」と「白鯨との闘い」

最近は映画鑑賞から遠ざかっているが、見た映画でちょっと気になっている2本。
「不屈の男 アンブロークン」は旧日本軍の捕虜収容所での米兵への虐待を描いているので一部で反日映画のレッテルを貼られ、日本公開は不可能かと思われたが、公開が決まり、ただ今試写中の作品。監督は女優のアンジェリーナ・ジョリー。
公開未定の頃から、すでに見た人からは、反日映画ではない、悪いのは収容所の1人の軍人だけで、その人物は周囲からも頭がおかしいと思われていた、などといった意見が出ていたが、確かにこの程度の日本軍人が悪役の映画はけっこうある。
それより奇妙だと思ったのは、脚本家にコーエン兄弟やリチャード・ラグラヴェネーズやウィリアム・ニコルソンといった、名だたる面々が顔をそろえているのだが、そのわりには下手な脚本なのである。船頭多くして船山を登る、の典型なのか、それとも、誰がやってもだめだったのか(たぶん後者)。
映画は実在の五輪選手ルイ・ザンペリーニが第二次大戦中、爆撃機の墜落で47日間漂流することになる前半と、日本軍の捕虜収容所で虐待を受ける後半に分かれている。ジョリー監督は戦後のザンペリーニの苦悩とそこからの救済も描きたかったようだが、いろいろな制約でそれは無理だったらしい。結局、肝心なその部分(復讐よりも許すことがだいじと悟って自分が救われる)なしで映画化しようとするから、誰がやってもだめなんだろうと思う。
戦争が終わってザンペリーニが故郷に帰るまでの話だったら、虐待する日本軍人・渡辺をもっと深く描かなければだめだ。MIYAVIというロックスターが演じる渡辺は「戦場のメリー・クリスマス」の坂本龍一のへたくそなパロディでしかない。「戦場のメリー・クリスマス」や「戦場にかける橋」が優れていたのは、坂本やビートたけし、そして早川雪洲の演じた日本軍人の描写が優れていたからだ。
ジョリー監督が日本を貶めようとしているのではないことは十分にわかるが(米軍の空襲で日本の民間人が殺されたシーンを入れている)、時代考証その他が全然いいかげんなのは困る。日本国内の捕虜収容所で玉音放送を聞いてないわけないだろう。大森の収容所のまわりが田んぼってのもねえ。「硫黄島からの手紙」のようにきっちり作っている映画と比べると、やっぱりこれはアメリカ国内向けのキワモノか、と思う。
ジョリーはこの映画を日本人に見てもらいたいとコメントしていたようだが、本当に心から日本人に見てほしい映画と思って作ったとは思えない。その辺が「戦場にかける橋」などとは根本的に違うのだ(「戦場にかける橋」についても反日映画のレッテルを貼る人はいるので、反日は無関係だが)。
つまり、要するに、私にはこれは、アメリカ人がひどいが虐待を耐え抜いて精神的に勝利するという、アメリカ映画に時々あるパターンの映画の1本にしか見えないのである。
たとえば、オリヴァー・ストーンがアカデミー賞の脚本賞を受賞した「ミッドナイト・エクスプレス」。監督はアラン・パーカーなので、さすがに悪夢的な雰囲気が優れていたが、内容的には、トルコの刑務所で虐待されるアメリカ人がついに脱獄に成功するという、不屈のアメリカ人を描く映画なのだ。
そういう不屈のアメリカ人を描く背景として、トルコがあったり、旧日本軍があったりする、そういう映画の1つなのだ、と私には思える。
ジャズの世界での教師の学生へのいじめを描いた「セッション」もこのタイプの映画だ。虐待やいじめに耐えぬいて、最後は勝利する不屈のアメリカ人。要するにプロレスの世界。
軍隊内のいじめを描いても、「地上より永遠に」はそういう映画ではなかった。イギリス軍人が日本軍人の虐待に耐えて勝利する「戦場にかける橋」も、そのイギリス軍人の錯誤を描く後半によって、この映画は名作になった。スピルバーグの「太陽の帝国」にも虐待する日本軍人は出てくるが、日本軍人をリスペクトし、「ぼくたちは友達ではないですか」というイギリス人少年に彼は心を動かされる。
前半は漂流の話、後半は収容所での虐待の話と分かれているが、この2つに共通することといったら、せいぜい、ザンペリーニが苦難を生き抜いた不屈の男であるということを示すだけで、ただの災難2本立てみたいになっているのもなんだかなあである。渡辺という軍人ににらまれていじめの対象にされたのも、あの描写ではサメに襲われたようなものだしなあ。

というわけで、次はハーマン・メルヴィルの名作小説「白鯨」のヒントになったという実話をもとにした「白鯨との闘い」。こっちも漂流もので、監督はロン・ハワード。ハワードとしては別に名作の部類ではないが、相変わらず手堅い。名作ではなくてもこのくらい手堅く作れるかどうかでその監督の技量がわかる気がする。
大作家ナサニエル・ホーソーンに比べて、まだ駆け出しの作家だったメルヴィルが、これは自分が小説にすべき題材だと思い、生存者に話を聞くという設定で、最後に「白鯨」をホーソーンが絶賛したという字幕で幕を閉じるのもいい。
もちろん映画なので、メルヴィルの話も含め、フィクションが相当入っていると思うが、捕鯨船の船長にふさわしい実力の持ち主ながら、捕鯨で有名な島の生まれではないために船長になれず、かわりに島の有力者の息子が船長になり、この2人の対比で物語が進んでいく。人物は特に深みはないが、役者の存在感はいい。巨大な白鯨によって船は破壊され、生き残った乗組員たちは食料もないまま漂流を続け、ついに、生きるために人肉を食べることを余儀なくさせられる。
ここでは白鯨は単なるクジラではなく、悪意を持った怪物のようで、執拗に乗組員を襲う。また、過酷な自然の中で生き残るためにきびしい選択をしなければならない。
漂流の末、ようやく救い出された彼らを待っていたのは、事実を闇に葬ろうとする捕鯨業界。それに対し、主人公たちはどう行動したか。そして、人肉を食べたことで罪の意識を持ち続けている乗組員はどのようにして心の救いを得るのか。こういうところをきっちりと作っている映画だから、見終わって、ある種のカタルシスを得られるのである。

2015年12月18日金曜日

地理院地図

地図好きにはけっこうたまらないサイトかな、と思うのは地理空間ライブラリー。
http://geolib.gsi.go.jp/
過去の地図や空撮も見られるようですが、サイトの一番上にある地理院地図。これで日本のいろいろな場所の高度がわかります。
まず、地理院地図をクリックして、そこで検索のところに地名を入れ、あとは下の矢印をクリックすると、×印のついた地点の高度が出ます。
そのほか、左上の情報をクリックすると、いろいろな情報が見られるのですが、その中にある「表示できる情報」→「地図・空中写真」→「色別標高図」をクリックすると、表示された地域の標高が色で表示されます。
これ、地図と標高図が同時に出ると便利なんだけどなあ。
前回、文京区は山あり谷ありで、ということを書きましたが、これで見ると、ほんとに山あり谷ありなのがわかります。
私は文京区ではほとんど高台に住んでいたのですが、文京区の高台は標高20メートルくらいでした。最後に住んだところは坂の途中だったので、標高は少し低かったです。
今住んでいるところは標高27・5メートル。おお、文京区の高台より高いところなんだ。しかも、団地の建物の4階。
団地もけっこうゆるい坂があちこちにあって、多少の高低差はありますが、私が住んでいるところはこのあたりでは一番高いようです(煙となんとかは高いところがどうのこうの、という)。
で、じゃあ、これまで住んでいたところはどうだったんだろう、と、いろいろ調べてみました。
私は親が持ち家でなかったので、子供の頃から引越は日常茶飯事。東京近郊ばかりですが、ずいぶんいろいろな場所に住みました。が、わりと海に近いところが多かったので、標高の低い平坦な場所に住んでいたことが多かったです。
実は子供の頃、一時、公団住宅に住んでいたのですが、そこが高台で、標高20メートル。文京区と同じだった。でも、それ以外はほぼ低地。いかにも関東平野という場所でした。山あり谷ありの文京区に最近30年間住んでいたけれど、子供時代や青年時代の記憶は、低地が広がる関東平野の風景ばかりです。
8年前にわずかな期間、西東京市に住んでいましたが、ここの標高を調べてみたら、なんと、50メートル超え。私の人生で一番標高が高い場所が実は西東京市だったのです。東京も西部は標高が高いのですね。西に向かって山になっていくわけです。
もともと地図が好きな人間なので、グーグル地図とかよく見ていますが、また楽しみが増えました。

2015年12月8日火曜日

崖っぷちのマンション

すでに全戸完売、完成間近の高級マンションが建築計画取り消しになった、というニュースがあり、え、どこ?と思って調べたら、なんと、文京区じゃございませんか。
ル・サンク小石川後楽園という名前で、なんでも堀坂という急こう配の坂のところにすでに巨大な姿をさらしているらしい。
地図で調べたら、こんにゃくえんまの近くなのね。あの辺、一度も行ったことない。すぐ近くの白山通りとそのすぐ西側、それに南の区役所、ラクーア、東京ドームあたりは何度も行ってるのに。
地下2階、地上8階建てで100戸以上、億ションの部屋も多いらしい。かなーり昔から近隣住民の間では反対運動があり、でも、行政も裁判所もマンション寄りだったのが、ここに来て急に住民側に有利になったらしい。
問題はいろいろあるらしいのですが(ぐぐれば関連サイトが山ほど出てきます)、建築計画取り消しの直接の理由は、1階が避難階として機能していない、とのこと。
じゃあ、1階を作り直せばいいじゃん、と思うところですが、そうなると新しい建築計画にしなければならず、そうなると、最近できた文京区の高さ制限に引っかかり、上の2階分を削らないとだめなんだとか。
業者が例の傾きマンションの会社のような大手ではないそうなので、買った人に保証とかできるのかという問題があるようですが、この会社、以前にも問題があったところだという話も。
まあ、大手もあんなことしてるのですから、会社の大小にかかわらず、やっぱりマンションはヤバイ、と思ってしまうのですが。
しかし、もう文京区離れたからいくらでも言わせてもらいますが、文京区は狭い路地や急な坂が至るところにある土地なのです。そういう狭い路地や急な坂のところにでかいマンション建てたがる業者が次々と現れて、地域住民とトラブルになってます。私が22年間住んだ某地区でも、数年前に巨大マンションと機械式駐車場の計画があり、付近の家には「建設反対」のダンマクがいくつも掲げられてました。結局、計画を変え、高さを低くし、機械式駐車場は作らない、ということで決着。団子坂という坂を登りきったところにあるので、団子坂を上り下りしていた私は、そのマンションができる前と、できたあとと、その風景の移り変わりを鮮明に記憶しています。
そのマンションはそれでもまだ高台の上で安定した土地だからよいと思うのですが、急な坂のところに巨大マンションて。しかも周辺は路地ばかり。
文京区でも、不忍通りとか、白山通りとか、広い大通り沿いには高層マンションがずらっと建っています。問題は、奥まったところにある程度の広さの空き地ができたときなんですが。
文京区は確かに便利だし、お受験に有利な小学校があるし、住みたい人がたくさんいるのはわかるのですが、ウォーターフロントじゃだめなの? あっちなら周辺住民との問題もなさそうだし。
というわけで、文字通り、崖っぷちのマンションになってしまったらしいそのマンション。地下2階っていうのは、その2階分は坂の低い方が窓で、背後は崖なんだよね。まさに崖に建ってるわけでしょう。文京区は坂が多いし、崖みたいなところも多く、以前、部屋探ししたとき、ほんとに崖っぷちのアパートとかマンションとかけっこうありました。私が住んだ文京区の場所は大部分が本郷通りの東側の高台、一時期、本郷通りの西側の少し低くなったところでしたが、最後に少しだけ住んだ文京区のアパートが坂の途中でした。窓から外を見ると、前の家がうちより低い、その前の家はさらに低い、という立地。生まれてこのかた、そういう立地の場所に住んだのは実は初めてで、これまではどこでも平坦な場所に住んでいたのです。
その最後のアパートがだめだったのは立地とは無関係でしたが、団地の部屋を決めるとき、坂の途中に建っている棟はいやだと思い、坂を上がって平坦になった場所に建っている今の棟の部屋に決めたのです。この団地も坂に建っている棟はいくつもありますが、やはり平坦な場所の方が落ち着きます。
文京区に住むのなら、安定した高台の戸建てをおすすめしますね。8000万円くらいからありますよ。ただ、高台の戸建てだと、駅まで10分くらいかかるんで(しかも帰りは坂を登る)、それで後楽園駅まで徒歩2分のマンションとかがよいのかなあ、お金のあるみなさんは。

追記 避難階になっていた1階の駐車場、実は実質地下駐車場なのだそうです。
てことは、その階と、さらに下の階2階分が駐車場なのだろうか。
後楽園駅まで徒歩2分なら車なんか持つな、と思うのだけど、なぜか都心でも駐車場がないと売れないみたいですね。戸建でも新しいのは1階は駐車場と玄関、2階と3階が居住部分という木造3階建てばかりです。
100戸以上のマンションだと、車も当然100台以上になるわけで、そんなのが狭い路地に駐車場から出てくるんですよ。それが迷惑だから住民が反対してるのに、なぜか報道では景観がどうのとか。で、文京区に景観があるのか、とか、小石川あたりには景観なんかない、と言われてますが(それはそのとおりです)、問題は景観じゃないんだけど。
あと、文京区は治安がいいので住みたい人が多いようですが、なんで治安がいいかというと、町内会がうるさいからなんだけど。ゴミ出しがうるさい場所とかあるし。冬になると火の用心カッチカッチとやりながら毎晩まわってる人たちがいます。
つまり、文京区のよさっていうのは田舎のよさなんですよね。その田舎をつぶしに来るのが大手のマンションなわけです。
そういえば、先日、谷中を通ったら、ワンルーム・マンション建設反対とかやってました。
西日暮里のあたりでは、田端の方まですでにできている広い道路が来るっていうんで、あちこちの家に反対のダンマクが出ています。
この広い道路、もしも西日暮里まで来たら、次はどこへ行くのだろう。そのまま行くと、谷中がつぶされるのでは?

2015年12月6日日曜日

愚痴記事の整理

最近愚痴記事が多くて、なんだか愚痴ブログになってしまったみたいなので、愚痴記事を一部整理しました。解決した件もあるし。

そして、なぜか今の時期に花粉症を発症しています。
しかも、いつものより重症な感じ。
冬なのに、あまり寒くならないから、花粉症の原因になるものが飛んでいるのでしょうか。
近くの自然公園ではタンポポが咲いていました。

2015年12月4日金曜日

ふちねこ

このブログは写真の投稿ができないので、前のブログにふちねこ写真アップしました。
http://sabreclub3.exblog.jp/24734225/

水曜日に上野へ行ったので、引っ越す前は行きつけの店だったベローチェ上野三丁目店へ行き、3枚目のレシートゲットして、ふちねこをもらいました。
これまではおもに引っ越しした町の店でもらっていましたが、そこがついに在庫終了。
ふちねこ在庫状況を見て、上野三丁目店が在庫わずかと知り、どうせもらうならなじみの店で、と思って。
レシート3枚集まりました、と言うと、店員さんは後ろの戸棚の中からふちねこの箱を取り出して、もう残り少ないんですけど、と言って差し出します。その日、私がほしかったのは、人気がなくて残っていそうな種類だったので、中を見たらすぐに見つかり、それをゲット。
そして木曜の夜、ふちねこ在庫状況を見たら、上野三丁目店は終了になっていました。
9月から郊外の団地で生活するようになってから、この上野三丁目店は行かなくなっていたので、本当にひさしぶりでしたが、なじみの店でゲットできてよかったです。
上野三丁目店は松坂屋のそばで、松坂屋は今、南館が建設中。なんでもシネコンの入る高層ビルになるのだそうです。
このあたりは以前住んでいた場所から行くには便利で、散歩がてら歩いていくこともあったので、シネコンができたらここに通おうと思っていたのですが、ビルが完成する前に引越。久しぶりに上野から御徒町まで歩いて、なんだかなつかしい世界になってしまったことに寂しさを感じたのでした。

2015年12月1日火曜日

あなたが今年やり残したこと

今年もあと1か月。あなたが今年やり残したこと、という診断メーカー。
https://shindanmaker.com/581579

ペンネームでやってみたら、答えは「冬眠」。
うーむ、やっぱり開店休業中だからか。

本名でやってみたら、答えは「世界征服の実行」。
このところ、だまされ、ぼったくられ、だから、気持ち的には合ってるかなあ。