2016年10月31日月曜日

秋の風景

夏日もあった10月も今日で終わり。さすがに寒くなってきました。
まだそれほど寒くなかった頃に撮った写真から。
柿の木。


以前、花が咲いていたカラタチに実がなっていた。


稲も収穫時。

コスモス。

雀のお宿。

今年の秋は昆虫が少ない。

県立図書館の前庭にあるランチハウス。利用者がお弁当を食べるところ(館内にもスペースがありますが)。


遠くの県立図書館から映画がらみの本を2冊取り寄せて借りたのですが、1冊が大学教授が研究論文などをまとめた本。惹句が興味深そうだったので借りてみたのですが、これが羊頭狗肉ってやつで、あまりのがっかりに2日くらい落ち込んでいました。
大学の研究者が自分の研究の参考として映画を利用、というのは最近流行っているらしいのですが、その映画の解釈がもっぱら著者の都合のいい解釈で、しかも取り上げている映画が私にとっては青春の思い出である映画が多く、それらが間違った解釈や背景を無視した解釈がなされているのにはもう愕然としました。
その上、論文としても中身がないというか、お題目を掲げただけで終わりみたいな感じ。研究そのものが役に立つなら映画の解釈がおかしくても大目に見られるのだけれど、これではまともな研究書とは言えない。
自分が研究をあきらめてきただけに、大学教授の研究書がこんなものだと本当に落ち込む。
若い頃は、なんだこれは!と怒りながらも奮起したものだけど、最近はこんなものがまかり通っているのかと落ち込むばかり。いかんなあ。落ち込むならせいぜい1日にしろよ、そして若い頃のように奮起しろよ、と自分に言い聞かせ、3日目には回復。
1冊目があまりにひどかったので、2冊目もひどい本に見えてしまい、読まずに返そうかと思ったけれど、せっかくだからと読み始めたら面白かった。こちらは翻訳もの。装丁が読みにくそうだったけれど、中身は読みやすい。が、固有名詞の表記に間違いがある。ハーマン・メルヴィルをヘルマン・メルヴィルって、ありえないだろう。映画関係者の名前にも間違いがある。その他、なんでここにこんな注を入れるのか、っていうところもあって、映画に疎い出版社なのだろうか? 面白かったけれど、そこが残念。

2016年10月21日金曜日

夜の遊園地

久々に上野公園を歩いていたら、8月末で廃業に追い込まれたこども遊園地のことを思い出して、動物園の入口にあったその場所を訪ねてみた。すでに日は暮れて暗い。

1946年から70年間続いた遊園地だった。

お客さんは減っていなかったにもかかわらず、上野公園をオシャレにしたい東京都の意向で場所を貸してもらえなくなったのだ。その怒りがよく表れたお知らせ。

昭和の時代の写真が飾らている。

かき氷にソフトクリーム。

高いところにある飛行船の乗り物。

遊具はまとめて置かれているけれど、どれもピカピカできれい。










キティちゃん、ドラえもん、アンパンマン、ピカチューなど、どれもきれい。かわいらしい回転木馬もある。
廃業後、ネット上にも怒りや悲しみのブログやツイッターなどが出た。子連れの居場所がどんどんなくなる、というお母さんのブログもあった。
上野公園は以前は歩いて行ける場所だったので、よく散歩に出かけたけれど、10年近く前から公園整備が始まり、ホームレスが追い出され、オシャレっぽいカフェができたり(ドリンクも料理も高くてあまりおいしくない)、スタバができたり、と、雰囲気が変わっていった。
このこども遊園地の場所にもオープンカフェができるのだという。
なんでそんなにカフェが必要なのだろう。すでに2つあるし、芸大の近くには上島珈琲店があるし、昔からあるレストランもあるのに。世界遺産に登録された西洋美術館の中にもカフェがあるのに。
だいたい、西洋美術館が世界遺産って、世界遺産もこれで完全に地に落ちたと思ったのは私だけではあるまい。あそこは好きだけど、世界遺産てガラじゃないんだよ。
五輪めざしてオシャレな公園にしたいんだろうけど、いったい何をめざしているのだろうかと思う。
そのうちアメ横もオシャレじゃないと言って、なくなってしまうのではないのかな。ていうか、台東区は谷中はじめ、再開発が進んでいない地区で、それでかろうじて昔の風情が残っているのだが、行政などは再開発して昔の風情をなくしてオシャレな台東区にしたいのであろうか(ため息でちゃうよ)。

2016年10月19日水曜日

「五日物語」(ネタバレ大有り)

このところシネコンで見た映画の話ばかりで、しかも日本映画の方が多いという、私らしからぬ現状でしたが、実際は試写もぼちぼち見てはいたのです。
が、大学の授業始まると試写に行ける日が限られてしまい、そうなると、目の前にあるあまり多いとは言えない試写状をにらみながらスケジュールと相談し、結局、有名監督の映画を優先して見てしまう。が、その有名監督、ヴィム・ヴェンダースとかテレンス・マリックとかペドロ・アルモドバルとかの新作がどうもつまらない。もはや昔の名前になってしまったのか、と、ここで紹介する気にもなれなかったのです。
が、ようやく、ここで紹介したい試写を見ました。
イタリアの鬼才マッテオ・ガローネ監督の「五日物語ー3つの王国と3人の女ー」。
原作は17世紀はじめに書かれた世界初の民話集「ペンタメローネ 五日物語」。市立図書館に翻訳あったけど貸出中だったので予約入れときました。
映画は原作の中の話をいくつか拾って、それを独自の物語に変えたもののようで、宣伝文句には「女の性(サガ)」とあるけれど、私にはむしろ、家族への執着が大きなテーマのように思えます。
それをこれから解説していくので、当然、ネタバレありになります。
映画は東京国際映画祭で上映されたあと、11月下旬からロードショーの予定。
というわけで、ネタバレOKの方のみ、どうぞ。

映画は3つの王国の物語が交互に登場し、3つの物語の登場人物が同時に登場するシーンもあります。
ロングトレリス国の王妃は不妊に悩み、夫である国王は自分の命を犠牲にして怪獣を殺し、その心臓を王妃が食べると、王妃は懐妊。また、心臓を調理した下女も同じく懐妊し、双子のような男の子が2人生まれます。
2人の男の子、エリアス王子とジョナ(どちらも聖書に出てくる名前?)は兄弟のように仲良くなり、いつも一緒にいるので、それが気に入らない王妃はジョナと母親を追放にしてしまう。
ハイヒルズ国の王は自分が育て、巨大化したノミを溺愛し、娘である王女を愛さない。不満を募らせる王女を、しかし嫁がせる気もない王は、難問を解いた男と娘を結婚させると言う。が、鬼が難問を解いてしまい、王女は岩山に住む鬼のところへ連れ去られる。
歌声の美しい老婆を若い女性と勘違いしたストロングクリフ国の王は彼女に言い寄る。妹と暮らす老婆は若く見せかけて王のもとへ行くが、バレてしまい、森に突き落とされる。ところがそこで老婆は若さと美貌を手に入れ、王と結婚。それを知った老いた妹は自分も若くなりたいと思う。

以下、ネタバレ大有りなので、注意してください。

2016年10月13日木曜日

みたび「君の名は。」(ネタバレ要注意)

「君の名は。」についてはすでに2回書いているのですが、
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/09/blog-post_4.html
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/09/blog-post_78.html
リピーターにこそなっていないものの、その後もずっと頭のどこかにあって、いろいろ考えていました。
見たときはいろいろ不満があって、特に、クライマックスで三葉がどうやって町長である父親を説得したのかが全然描かれていない。あれではまるでパラレルワールドになってしまったみたい、と思ったのですが、その後、「君の名は。Another Side: Earthbound」というスピンオフ短編集にそのあたりのことが書いてあると知り、買ってきました。
ノベライズの方は新海誠監督が自ら書いているのですが、こちらは加納新太という人が書いています(角川スニーカー文庫)。
4つの短編のうち、最後の「あなたが結んだもの」という作品がそれで、とりあえずこれだけ読みました(残りはあとで)。
上のリンク先の2番目の記事で、

「三葉の家は神社を守る女系家族で、三葉の父は婿養子として家に入ったが、最愛の妻に先立たれたのがきっかけで家を出てしまい、町長になる。祖母は一葉、母は二葉、そして妹は四葉という名前で、母だけがほとんど出てこない。町長が三葉に説得されるにはこの母の思い出を出すべきだったのではないか。」

と私は書いたのですが、どうやら考えることはみんな同じみたいで、まさに三葉の母にして町長の最愛の亡き妻・二葉が重要な役割を果たしています(三葉の両親のなれそめや、父がなぜ町長になろうとしたかなども書かれている)。
私としては、ほんの数秒でもいいから、上のようなことがわかるカットを入れてほしかったなあ、と思うのですが、その一方で、この短編、面白かったけれど、すべてが仕組まれた運命だった、となっているのが逆に窮屈というか、もう少しあいまいな方がいいな、と思ってしまいます。
そう考えてみると、「君の名は。」というアニメ、あいまいなところや描写が不十分なところ、逆にこれはいらないのでは、と思うところがいろいろあるのですが、そういうあまりきっちりしていないところが逆によいのかなあ、と思えてきます。

リピーターになるほどじゃないのに「君の名は。」についていろいろ考えてしまうのは、やはり、そうした空白が想像をかきたてるからなのですね。
「君の名は。」については、「シン・ゴジラ」と同じように、ヒットしたものだから見当違いの批判がいくつも出てきているのですが、ほとんどは私には些末的なことに思えます。
たとえば、東京の高校生・瀧が友達と行くのがパフェが1600円だかする高い喫茶店なのを変だと書いている人がいましたが、確かに東京の高校生が行くのはマックかバーガーキングか、せいぜいフレッシュネス・バーガーでしょう。あるいはサイゼリヤかもしれない。とにかく安いところ。
でも、飛騨の田舎に住む三葉が瀧の体に入ってしまったとき、友達と行くのがマックだったら?
「なんだ、東京の高校生もマックなのか。マックくらい、バスに乗って町まで行けばうちの方にもあるわ」
と三葉は思わないでしょうか?
だいたい、新宿や四谷のあたりに住んでいる高校生というのが、東京の、あるいは首都圏の高校生としてはリアリティが少ない。なぜなら、そういう高校生は少数だから。
聖地巡礼されている東京の場所が、首都圏の人にとっても日常ではない、せいぜい仕事や遊びで行く場所なのです。
そうしてみると、この映画の東京は徹頭徹尾、ド田舎の三葉のあこがれの東京だということがわかります。映像もやたらキラキラしていて、美しすぎる。現実の東京ではなく、あこがれの東京として描かれているのです。
一方、三葉の住む岐阜県飛騨の山奥の町は意外とリアルです。前にも書きましたが、町長が建設会社と癒着しているとか、いかにも田舎のリアルです。
高校生がマックではなく高い喫茶店に行くのがおかしいと文句つけていた識者だかなんだかは、いまどき家を継ぐだのなんだのがおかしいとか言ってましたが、これも現実に今でもあります。
女系家族で女ばかりが生まれ、長女は婿養子になってくれる男性としか結婚できない、なんてことは、私の若い頃には首都圏の田舎の方には普通にありました。
新海監督も、長野県で百年続く建設会社の社長の息子に生まれ、会社を継ぐことを期待されながら、それを拒否してアニメの道に進んだようです。今では父親の会社・新津組のHPに新海監督の映画が紹介され、新海誠(弊社社長息子)などと書かれていますが、それまでにはいろいろなことがあり、それが三葉と父親の確執に反映されているのでしょう。
そうして考えると、三葉が父親を説得する必要があった、というのは新海監督には絶対はずせないことだった。父親を説得しなくても災害回避できるようにするという選択肢はなかった、と思えます。しかし、具体的にどうやって説得したかを描かなかったのも、そこまで描くと、自分の経験があるだけに生臭くなるから、かもしれません。
そう思うと、あえてそこを描かなかったのもやむを得ないかと思えてきます。

隕石落下の大惨事については東日本大震災の影響があるということが言われていますが、私は1985年の御巣鷹山の日航機墜落事故が影を落としているような気がしてなりません。
新海監督は長野県南佐久郡小海町の出身です。実は私は80年代後半にこの南佐久郡に友人が住んでいて、何度か訪ねていきました。
信越本線から小海線に乗り換え、小海駅で降りて、友人の車でさらに山奥に行ったので、小海駅の付近は記憶にあります(信越本線はその後廃止され、新幹線になり、小海線は別の名前に変わったようです)。
南佐久郡は御巣鷹山のそばなのですが、当初、飛行機が落ちたのは長野県側だとの情報が流れ、友人の家の近くにも報道陣がたくさん来たそうです。新海監督の住む小海にもおそらくマスコミが来たでしょう。その後、墜落現場は群馬県側であることが判明します。
日航機墜落事故の犠牲者は520名。
「君の名は。」の隕石落下の犠牲者は約500名となっています。
1973年生まれの新海監督はこの事故のとき12歳。
この事故が映画の隕石落下の原風景であったとしてもおかしくない、と思います(もちろん、想像の域を出ませんが)。

「君の名は。」のおかげで昔、小海や南佐久郡に行ったことをなつかしく思い出すことができました。南佐久郡に住んでいた友人はその後、別の場所に引っ越したので、90年以降はこの地域にはまったく行ったことはありません。友人が引っ越したきっかけは、新潟にある東京電力の原発の電気を首都圏に送る送電線が近くを通るのがいやだったからだそうです。東日本大震災のあと、東電の原発はすべて停まっていますが、新潟の原発の再稼働が焦点になる新潟知事選が今、ニュースになっています。

おまけ
三葉が父親と対決するクライマックス。私が考えた別バージョン。
三葉と父親が入れ替わってしまう。
父親の中に入った三葉は住民避難を指示。
三葉に入った父親は必至で阻止しようとする。

三葉「このオヤジは~!」
父親「この娘は~!」

ギャグです。すみません。

2016年10月9日日曜日

TOHOシネマズのプレミア

またまたシネコンでハシゴ。今回は「高慢と偏見とゾンビ」と「淵に立つ」。
「淵に立つ」は試写状もらったのですが、行けなかったのですね。カンヌで賞を取ってます。
「高慢と偏見とゾンビ」はRottentomatoesでの評価が批評家・観客ともに芳しくないので期待はしてませんでしたが、原作読んでいるので一応、話のタネに見ておくかと。
もっとも、今回一番のお目当ては映画よりもTOHOシネマズのプレミア・スクリーンでした。
このプレミア・スクリーン、本来は普通のスクリーンでやっている映画をここでもやって、ここは特別料金にするはずなのですが、実際は入場者数が少ない映画を通常料金でやっています。
座席がゴージャスでリクライニングシート、席と席の間に小さなテーブルがあり、最後尾には2人用ソファのカップルシートが。
私は前の方に座ったので、リクライニングにすると見づらいからしませんでしたが(後ろの方でも見づらいような気がする)、なんかとってもゆったりと見られます。
客席に入る前のところにもソファがいくつか置いてあるロビーがあって、誰も利用していないのが惜しいくらい(ちょっとだけ座ってみました)。
「高慢と偏見とゾンビ」が午後の回、「淵に立つ」が夜の回で、プレミア・スクリーンのハシゴでもありました(ゴージャス)。

さて、映画の方はワタクシ的にはイマイチ。
「高慢と偏見とゾンビ」は原作はジェイン・オースティンの「高慢と偏見」をところどころ改変したり付け加えたりして、ベネット家の姉妹がゾンビと戦う話にしているのですが、原作の場合はオースティンの文章がいつのまにか改変文章に変わっていたり、いつのまにかまたオースティンに戻っていたり、という語りの妙が面白いのですが、映画ではそれは無理。いきなりゾンビから始まって、次に「高慢と偏見」、次がまたゾンビみたいに、なんだかゾンビと「高慢と偏見」が交互に出てくる感じ。しかも「高慢と偏見」の方がはしょりぎみ。そして、私が原作で一番気に入ったコリンズとシャーロットのエピソード、シャーロットがゾンビになってしまうのですが、ここはそのままスピンオフにして1つの作品にできそうなところなのだけど、映画ではばっさりカット。あれま。
そして字幕がなあ、「ミス・ベネット」と英語で言ってるのに字幕は「リズ」とか「エリザベス」とか、アッパーミドルクラスの会話じゃないわな。
そしてクライマックスは完全に「高慢と偏見」から解放され、オースティンの人物が出てくるだけの別の話に。まあ、それはいいんですが。
最後、エンドクレジットの途中に続編作る気満々の映像が流れますが、続編はないでしょう。

「淵に立つ」は気鋭の日本人監督の作品。浅野忠信演じる謎めいた男が社長が1人でやっている町工場にやってきて、住み込みで働くようになる。この男が実は殺人で服役していた、というのは見る前から知っていたので、男に対して社長が深々と頭を下げるシーンで、ああ、この社長は~だな、とわかりました(実際、そのとおりでした)。
社長の妻はクリスチャンで、男の罪の告白を聞くと、こういう人こそ神に愛されるべき、と思い、しだいに男に惹かれていく。幼い娘も男を慕うようになる。
浅野の演じる男はしわもなく汚れもない新品のような白い服やワイシャツをいつも着ています。が、あるとき、その白い服に汚れがついていて、下に白いTシャツではなく真っ赤なTシャツを着て現れたとき、ある事件が起こる。それは事件なのか事故なのかはわからないけれど、男は姿を消し社長一家には不幸が訪れる。そして、8年後、という具合に物語が進んでいきます(ネタバレはしません)。
見ていて、ああ、これはキリスト教の原罪の話なのだな、と思いました。
浅野が前半で身につけていた服の光り輝くような白も印象的ですが、映画は次第に赤を帯びてきます。赤い花、少女の着る赤いドレス、赤い屋根、紅葉、そして最後に登場する浅野は真っ赤なワイシャツ。
ホーソーンの「緋文字」が不倫の罪を表していたように、赤は罪を表しているのでしょう。
そういうキリスト教的な背景を持った映画なのは確かなのですが、前半、クリスチャンらしいことをいろいろしていた妻が後半、まったくキリスト教とは無縁になってしまうのが気になります。クリスチャンならば、もっと違う心理や行動があったのでは? 
右の頬を打つシーンや打つ話が何度かあって、左の頬を差し出すかどうかが問われているのかなと思いますが、どうもすべてが思わせぶりで、奥深さを感じません。
一番の罪びとが社長であることは最後のシーンで感じ取れますが、では、ほかの人はどうなのよ、と思うと、なんだか人間の扱いが乱暴なように思えてしまうのです。

2016年10月3日月曜日

デレク・プラント今昔

ホッケーは完全にごぶさたですが、一応、デレク・プラントのツイッターくらいはチェックしています(たいした話題がないけれど)。
バッファロー・セイバーズのOBのゴルフ大会に参加したみたいです。
右端が乱闘係として有名だったロブ・レイ、右から3人目がデレク(ロブ・レイとは元チームメイト)、そして左から2人目がマルタン・ビロン。なつかしい。


しかし、デレクは確実に老けている。
と思ったら、大学時代の写真がアップされました。真ん中26番、かわいい。

2016年10月2日日曜日

川口市のシネコン

埼玉県川口市は20代の頃に住んだ町です。
ここで卒論と修論を書き、「フラケンシュタイン」解説を書き、キネ旬で評論を書き始めたという、ある意味「はじまりの場所」。
とはいっても川口市は広く(現在は鳩ヶ谷市と合併してさらに広くなっています)、私が住んでいたのは浦和市(当時)にかなり近い場所だったので、市の中心である川口駅周辺はあまり縁のない場所でした。
それでも都心に住んでいた頃は京浜東北線で埼玉方面へ行くことも多く、電車で通過はしていたのです。
数十年ぶりに川口駅に降り立ったのは、川口市のUR賃貸の3年定期借家に入れないかと思い、川口駅近くの営業所へ行ったときです。その前に川口駅の1つ手前、赤羽駅(都内北区)のそばの新築URに申し込んで落選していたので、URには詳しくなっていたのです。が、定期借家は家賃激安なので順番待ちができていて、入居はむずかしい感じでした。
その後いろいろあって、結局、川口市とはだいぶ離れたところにある今のUR賃貸に転居したわけですが、昨日、久々に川口駅に行きました。
URの営業所へ行ったときにすでに大きく変わっていたのはわかったのだけれど、もはやキューポラの町ではない川口市です。
私が住んでいた頃もキューポラの町ではなかったと思うけど、うーん、なんというか。
駅前はデパートなどが立ち並び、歩道橋がビルをつないでいます。なんだかすごく無機質な街になった感じ。まあ、30~40年もたってるので。
駅から徒歩10分ほどのところにシネコンの入ったショッピングセンターがあります。電車で通過していたときにいつも気になっていたこの建物に行ってきました。

入口の前の広場に奇妙なオブジェ。

文字が見づらいけど、ここはかつてはサッポロビールの工場だったらしく、ビールを作るもののようです。

背後がシネコンの入ったビル。

このビルはヨーカ堂と専門店が入っていますが、あまり広くありません。郊外に引っ越してからは広いショッピングモールやセンターをいくつも見てきたので、かなり狭く感じます。トイレも狭いようで、すごく混んでいる上、壊れているトイレもある。今住んでいる町や近場のシネコンはトイレ事情がとてもいいので、その差に驚きます。
正直、川口市の人は隣の赤羽に買い物に行っちゃうだろうなと思いました。赤羽は駅の中にもショッピングエリアがあってすごいんです。
赤羽にはシネコンはないのですが、この川口のシネコンも駅から遠いから近所の人しか来ないだろうと思いました。
で、そのシネコンでまたもや「ルドルフとイッパイアッテナ」を見たのですが、もうこれはリピーターというより依存症ですね。
若い頃は入れ替え制でなかったので、ロードショーだと2回見て帰るのが普通で、気に入った映画だと3回見て帰り、それを3回繰り返して合計9回見て、さらに名画座で何度も見て、という感じで、普通にリピーターしてましたが、今は入れ替え制なので9回見るには9回映画館に行かねばなりません。1本の映画のために9回も映画館に行くなんて、明らかに依存症。
まあ、今回は、午後に上映しているところを探したら川口が見つかって、しかも大きなスクリーンが割り当てられていたので、1時間半くらいかけて行きました。「ルドルフ」に関しては、映画そのものもあるけど、毎回違うシネコンを探訪するというのも面白くて。
「ルドルフ」は最初に近場のシネコンで見たときは大きなスクリーンでしたが、その後は定員100人くらいの小さなスクリーンばかりでした。久々に大きいスクリーンで見たら、全然見え方がいいので、感動。こんなに違うのか。いや、前の市川がイオンシネマで、どうも私の印象では、イオンシネマは画面の鮮明度が東宝や松竹のシネコンに比べて悪い気がするのです。イオン・レイクタウンで見たときもそう感じたし。
今回は松竹系なので映像はばっちり、そして、やはり大きいスクリーンはいい。
ただ、お客さんがあまりよくなかったです。
前回の貸切状態も正直、あまり好きじゃなかったというか、貸切だと落ち着けるかと思ったら私はむしろ落ち着かなかったです。
今回はファミリーが多くて、それは前にも経験して、別に問題なかったのですが、どうも今回のファミリーは落ち着きのないファミリーが多い。おまけにエンドクレジットが始まるとみんな帰っていく。これまでは映画が終わってもみんなすぐには立ち上がらず、余韻をかみしめているみたいだったのに。ルドルフが最後に「おわり」って書くまで見てほしいのに。
というわけで、スクリーンはよかったんだけど、お客さんがあまり集中してないみたいで残念でした。映画って、まわりのお客さんも鑑賞の一部なのです。