2017年8月30日水曜日

「エル ELLE」@六本木ヒルズ(ネタバレあり)(追記あり)

現在、関東では東京都と神奈川県でしか見られないポール・ヴァーホーヴェンの新作「エル」。一番近いのは日比谷シャンテだが、あそこは椅子がつらい。傾斜がゆるくて前の人の頭が気になりそう。
ということで、六本木ヒルズに行くことにした。
六本木ヒルズは「エル」はレディースデーだけ広いハコで上映。画面も大きく設備も新しい、と思ってこちらで見ることにした。
六本木ヒルズは試写会で何度か行ったけれど、自腹で行くのは初めて。ちょっとウキウキして出かける。
が、困ったことが。

1 トイレが、トイレが、トイレがああああああ!!!
 ハコが上の階なんだが、エスカレーターのところに上の階のトイレは閉鎖中なのでこのフロアのトイレをご利用しろと。が、このフロアのトイレって、もぎりの先にしかないんだよ! チケット見せて入って用足すのだろうか? 上のフロアの上映途中でトイレに立った人いたけど、どうしたのだろう。
2 同じ列の誰かが貧乏ゆすりしていて、ずっと4D状態(画面は2D)。

というわけで、どこがおしゃれなんじゃ、六本木。

さて、映画ですが、ヴァーホーヴェンはハリウッドで映画化したかったようだけど、ハリウッド女優にはことごとく断られ、前から興味を持っていたイザベル・ユペール主演のフランス映画になった。
ま、それが正解でしょう。これ、政治的に正しくないというか、今の時代だとかなりヤバい。レイプされた女性がレイプ犯とねんごろになるなんて、ポリコレ的にアウトだろう。

と、のっけからネタバレ全開ですが、映画自体はまあ、そんなにびっくりするような映画じゃないですが、いろいろ面白いところがありました。

主人公のミシェルは孫もいる年配女性。突然、覆面の男にレイプされるも警察にも行かず、寿司の出前を取り、社長をつとめるエロゲーの製作会社に出勤して部下にいろいろ指図し、部下からは不満の声が。
なんで警察に行かないかというと、彼女が幼い頃、父親が大量殺人を犯し、彼女も共犯のように扱われたから。そのトラウマで、彼女は刑務所の父に会うのをかたくなに拒む。
ミシェルはレイプされたことを友人たちにしゃべってしまったり、いろいろ武器をそろえたりするが、レイプ犯はストーカーのようにミシェルにつきまとう。
職場ではミシェルに対するセクハラがあり、犯人は職場の人間ではと疑う。
犯人はミシェルの猫を手なずけているので、ミシェルの顔見知りの可能性が高い。
というところで後半、再度襲ってきた犯人を逆襲、覆面を取って犯人の正体を知る。
実は犯人はミシェルが好意を感じていた男で、このあと、なぜかミシェルは男と親しくなってしまう。
このあたりがいろいろ問題になるところだと思うのだが、たとえばレイプ被害者を描くハリウッドの「リップスティック」や「告発の行方」、フランスの「雨の訪問者」だと、被害者はレイプ犯を許さないし、「リップスティック」と「雨の訪問者」では犯人を殺してしまう。
なのにミシェルは犯人を許してしまうのだ。
犯人が苦しみ悩んでいるとか、気の毒な面がある、というのならわかるが、この犯人は二重人格のサイコパスで、同情の余地はない。
ふだんはよい人なのだが、性に関しては異常なのだ。
ミシェルだけでなく、これまでも妻や恋人を含む女性たちに同じことをしてきたに違いない。
そして、全然罪の意識ないし、悩んでもいない。
なぜ、ミシェルはこんな男を許して親しくなってしまうのか。それはおそらく、彼女の父親と関係がある。
彼女の父親もこの男と同じく、ふだんはとてもよい人だったのだろう。それが彼女がきっかけで狂気に陥り、大量殺人鬼と化してしまう。
ミシェルは男に親しみを感じるが、レイプ自体は許していない。だが、上にあげた映画のヒロインと違って、彼女はレイプ犯を殺さないし、罪を問うこともしない。それは結局、男性によってなされる。この辺もフェミ的にどうよ、なのだが。(追記あり)
ミシェルはこの男に対して、どこか聖母的なところがある。同じように、大量殺人鬼の父親に対し、母親は許しているようだ。離婚はしているが、娘のように拒否はしていない。遺言で墓を隣同士にしようとする。
また、犯人には妻がいるのだが、妻もまた、聖母的な女性であることが最後に示唆される。
ヴァーホーヴェンの映画で聖母的な女性といえば、「ロボコップ」の女性警官ルイスだ。ロボコップになったマーフィはベビーフードを食べる赤ん坊のような存在で、ルイスが母のように接して彼を大人にする。もともとマーフィは人間のときも少年のようで、ルイスは母親的存在だったのだ。
「ロボコップ」では、マーフィはキリスト的人物なので、ルイスが聖母的であるのは納得できる。しかし、「エル」のミシェルやその母が異常な男に対して母親的なのは理由がわからず、女性はこういうものみたいな決めつけさえ感じる。
それでも最後は、言い争ってばかりいたミシェルの息子とその妻がなごやかになっていたり、不倫でもめた女の友人とも友情が復活するなど、ラストシーンは後味がよい。

追記(ネタバレ注意)
ミシェルは間接的にレイプ犯を殺したのだ、と気づいた。
クライマックス、ミシェルは息子が自宅にいるとわかった上で男を誘い、レイプさせたのだ。
その際に彼女はちらっと積んであるマキを見る。
息子は母を救おうとしたということで無罪になったようだが、母も警察に余計なことを言わず、隠している。
息子の力でレイプ犯を、そして殺人鬼の父も葬ったのであり、また、息子もそれによって大人に成長する。だからラスト、息子と妻はまともな夫婦になっているし、ミシェルとの関係も良好なのだ。
ラストシーンではミシェルの元夫は恋人にふられ、ミシェルの不倫相手もミシェルの親友である妻から見限られている。このシーンではまともな男は息子だけのようだ。

2017年8月29日火曜日

教員免許

教員免許というのは大学で必要な単位を取得して、教育実習をすれば自動的にもらえるから、教員免許を持っている人はかなりいると思う。
ただ、教員になるには公立なら採用試験に合格しなければならない(私立は縁故採用もあれば試験もある)。
そして、この採用試験に合格するのがむずかしい。
今と違って昔は教員採用の人数が多かったが、それでも中学高校は狭き門。合格する人は真剣に勉強していた。(小学校は人手不足の上、資格を持つ人が少なかったので狭き門ではなかったが、それでもしっかり勉強する必要があった。)
今は少子化の上、非常勤の割合が増えたので、本当に狭き門だと思う(小学校も含めて)。東大の博士課程でも高校の教員採用試験に毎年落ちている人がいる、というような話も聞く。
そのせいかどうかわからないが、私が非常勤講師をしている3つの大学のうち、偏差値50程度の某私大では、教員免許を与える学生の数を抑えろというような指示が文科省から来ている、みたいな話を聞いた。
別の大学、偏差値50以上の私大では、英語の成績が平均以上でないと教員免許が取れないことになっている。この大学は国語の教師になる人が多いことで有名で、逆に学科の関係で英語の教員免許は取れない大学だと思うが、なのに英語の成績で足切りされてしまうらしい。
なので、クラス指定の英語でレベルの高いクラスにされた学生から苦情が来るという話も聞いた。
レベルの高いクラスに割り当てられないように、入学時の英語力判定テストでわざと低い点を取る、という話もある。
2つの大学はどちらも昔なら普通に必要な単位を取って教育実習すれば免許が取れる大学であり、教師をめざす人も一定数いる大学だ。最近は入試がやさしくなっていて、レベルが落ちていると感じるが、それでもAO入試で入る人は少ない。
それでも教員免許を取っても教師になれる人は少なくなっている現状を考えると、免許をあまり出さないというのはリーズナブルなのかな、と思っていた。
が、私が非常勤講師をしている3つ目の大学(私大)で、それとは正反対のことが起きていることがわかった。

その私大は偏差値35しかなく、いわゆるFランと呼ばれる大学。定員割れが大きく、多くの学生がAO入試で入学している。
もともと幼稚園教諭や保育士の養成に力を入れてきた大学で、こちらは偏差値もやや高く、定員割れもなく、それなりに成果を上げているようだが、他の学部学科が使い物にならず、定員維持がむずかしいらしい。
経営学部を作って大学院まで作ったが、その後定員の半数しか応募がない状態になり、新しい学科を作ってそこで資格が取れるということで募集したが、こちらも応募が思ったほどないらしい。
そんなわけだから学生が減ったという理由で私の授業数も半分に減らされた。来年はどうなるかわからないので、新しい仕事を探さねば、と思いつつ、なかなかうまくいかない、というのが今の状況。
で、とりあえず、前期の授業が終わり、成績もつけたあと、事件は起こった。
私の担当科目は一般教養の自由選択で、資格とは何の関係もない授業だった。その科目とは無縁の学生も自由選択で来るので、内容はやさしく、試験もやさしく、採点も甘く、というようにしてやってきた(それでもどうしようもない点数で落ちる学生が多い。そういうレベルの大学なのだが、その一方でできる学生、授業に興味を持ってくれる学生も一定数いて、それでやめられないという面もあった)。
ところが成績を出したあと、不合格になった1年生の学生が再試験を申請した。
再試験は原則、卒業がかかっている4年生以上が足りない単位について申請するものなので、3年生以下の学生が再試験を申請したことはこれまで一度もなかった。
教務課によると、この学生にとってはその科目は資格のための必修なので、この場合はすぐに再試験が受けられるとのこと。
自分の科目が資格の必修になったなんて話はまったく聞いていないので驚いた。
どうやら今年度から英語の教員免許がとれるようになり、それで一般教養の自由選択の科目をその必修に加えたらしい。しかし、そういう事情の連絡はいっさいなし。

そこで浮かんだ疑問。

1 教員免許のための必修になったということを担当講師に連絡しないということは、必修にふさわしい授業、採点をしていないということで、そういう授業で免許与えていいのか?
2 この大学は英文科はないが、英文学購読のような授業はある。しかし、その授業は英文学作品を翻訳で読む、映画で見るのが主な内容。そういう授業しかないのに英語の教員免許が取れるって、どういうこと?
3 教員免許を与えるには教科教育法の授業が必要なんだが、そういう準備ができているのか?
4 そもそも、偏差値50以上の、過去に教員を排出した実績のある大学に教員免許をあまり出すなみたいなことを言うのに、こんなレベルの低い、カリキュラムの準備ができているのかどうかも怪しい大学に免許を出す許可を、文科省がなぜ出したのか?

1については文科省にチクりたいくらいだが、やめておく。その大学には文科省の天下りがいるはずだから、知らないわけないだろうしな。
2と3については今後変わるかもしれない、つか、変わらなきゃやばいだろう。
4についても理由はわかる。加計学園と同じだ。加計学園は経営する大学の多くが赤字で、誘致した自治体が破産の危機になっている。そういう大学は逆に次々と新しい学部学科を作って自転車操業になる。加計学園は首相のお友達なんで、獣医学部なんていう、必要ないと言われているものを作って、獣医の資格が取れるという売りで学生を集め、その授業料や入学料で火の車の台所をまわしていくのだろう。実際、加計学園は巨額の借金の返済が平成30年度から始まるから、30年度から獣医学部を開学して入学金と授業料で借金返済しないといけないのだそうだ。
加計学園の獣医学部については認可が先送りされそうだが、どこかで認可しないと借金が返せない、そうなると貸した方が困る、という図式で、いずれ認可はされるという予測がある。
しかし、開学したところで獣医は足りているわけだし、大学の施設もかなりひどいらしいし、まともな教授陣を集められるのかという疑問もあり、結局、入学料と授業料を出した学生が卒業しても就職もなく、という状態に陥る可能性がある。被害を受けるのは学生と、税金を使われた国民と自治体の住民という図式。
あと、貸したのが私学の団体らしいから、返せないと私学全体が被害を受けるっていうのもあるんだろうな。首相のお友達の忖度でここまでやってしまうとどっちに転んでも被害が出る。

で、こちらの英語教員免許を出せるようになった私大だが、こちらは首相のお友達でもないし、優遇ったってたかが知れてると思う。
加計学園に比べたらかわいいものだ。
とりあえず、いろいろな資格が取れるようにして延命をはかっているのだ。
延命しないと教職員も学生も困る。でも、このままどこまで行けるかはわからない。どこかで破綻するのではないか。それは同じような状況の他の大学も同じだろう。
文科省としては、とりあえず、今破綻しないように資格取得の許可を出すわけだ。その一方で、偏差値の高い大学には免許出すなって、どうよ?
最初に書いたように、教員免許なんていうのは採用試験に受からなければ役に立たないのだ。だから誰でも免許取れるようにしてもかまわないと思う。問題は、この大学では英語教員免許が取れます、と言って学生を集めても、実際はその資格は就職にはほとんど役に立たない可能性が高いということだが、まあ、そのくらいは学生もわかってるんだよね? でも、あのやさしい授業で、やさしい試験で、大甘の採点で、おまけしても合格できない点数取るような学生が英語の教員免許取るのはおかしいと思ったので、再試験は拒否した。
なお、私の授業では非常に優秀な成績の学生も何人かいたので、教員免許を与えてもいい学生は存在するのだろうと思う。

もうひとつ、気になるのは、最近、小中高校では非常勤講師の割合が増えていて、非常勤でも仕事は専任と同じ、なのに給料は安く、夏休みは給料なし、なのに夏休みも部活で出勤とか、それは奴隷だろう! と怒ってしまうような状態にあるらしい。
非常勤講師は採用試験に受かっていない人がなるので、教員免許を持っているが採用試験に受からず、でも教師をやりたいと思う人がなっているはずで、免許持っているだけの人がそういうふうに利用されているという現実があるようだ。もっとも、大学はだいぶ前から非常勤講師を安くこき使っているのだけど。労働者が貴族と奴隷に分かれていて、貴族の側の労働者は奴隷のおかげで自分たちの生活水準が守れているわけだから、こういう労働者の世界はかなり深刻だ。

2017年8月27日日曜日

「ワンダーウーマン」に関する追記

「ワンダーウーマン」について、ドイツ兵が虫けらのように殺されるのはやはり気になった。
ハリウッド映画はかつては西部劇でアメリカ先住民を虫けらのように殺し、先住民はだめだとなるとメキシコ人を殺し、それもだめだとなると、という具合に次々と虫けらのように殺していい人々を探しているようにも見える。
見ていないのだけど、「ハクソーリッジ」では日本兵がその役割になっているらしい。
「ハクソーリッジ」については、民間人の犠牲が大きかったのにそれがまったく描かれていない、という指摘もあるが、沖縄に関してはアメリカ対日本のような単純な図式ではくくれない。日本軍が沖縄の人を大量に死なせたという事実がある。そういった事情があるので、ハリウッド映画ではそれが限界ということになるのだろう。
「ワンダーウーマン」の場合、第一次世界大戦のドイツ軍にはユダヤ系ドイツ人の兵士がいたはずなので、ダイアナたちが虫けらのように殺すドイツ兵の中には必ずユダヤ系ドイツ人がいたと思われる。ナチスドイツの時代と違って、第一次大戦ではユダヤ系も他のドイツ人とともに戦ったのだ。
第一次大戦では非があったのはドイツで、また、ドイツは毒ガス兵器を大規模使用した最初の国なので、その点で悪役にされてもしかたないところはあるが、ナチスドイツのような徹底的な悪役にはならない。
映画では悪に侵されているのはドイツ人だけではない、というせりふもあるし、ダイアナの仲間にアメリカ先住民がいて、イギリスなどから来た白人に家族が殺されたことを話すシーンもある。仲間にアラブ人がいるのもそのあたりの配慮だろう。
だからダイアナを演じるガドットがイスラエル人だからドイツ兵を殺していいという理屈は成り立たないし、実際、ダイアナはドイツ兵に攻撃されているから戦うので、これは戦闘だからということでご勘弁、で基本よいとは思う。
ドイツ軍も将軍たちは和平交渉を模索しているのに、1人の狂気の将軍が和平を拒み、和平交渉をしようとする将軍たちを皆殺しにしてしまう。なんだか「日本のいちばん長い日」のようだ。
そんなわけでドイツ人=悪というわけではないのだけれど、でも、結局、これは一部の人間だけが悪い、ということになり、ダイアナが信じていた悪の軍神さえ倒せば、みたいなところへ行ってしまい、善も悪もあるというテーマとは自己矛盾に陥っているわけだ。
とまあ、そういう欠点があるのは確かだけど、ダイアナの一途な思いと、スティーヴとの愛の描写のすばらしさはやはり感動的。
女性監督ということでフェミニズムを期待した向きもあるようだけど、この映画は特にフェミニズムではない。むしろ、フェミニズムを通過したあとの余裕が感じられる。

「ワンダーウーマン」&「ボブという名の猫」(ネタバレ大有り)

久々、同じシネコン内でのハシゴで「ワンダーウーマン」と「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」を見る。
いやはや、「ワンダーウーマン」で泣くとは思いませんでした。
アメコミ苦手、と前に書きましたが、この「ワンダーウーマン」は何かの続きである部分がほぼないので、一見さんでも十分楽しめます。最初と最後がバットマンとつながってますが、バットマンを知ってれば無問題。
戦う女たちの集団アマゾン族の王女ダイアナの少女時代から始まり、最初はちょっとディズニーふう、そのあとが第一次世界大戦のヨーロッパ、そして最後の戦いがちょっとハリポタやファンタスティックビーストっぽい雰囲気だったりと、既視感はありますが、なによりダイアナ役のガル・ガドットの魅力がすばらしい。美貌とたくましい肉体もさることながら、柔和な表情から怒りの表情まで、さまざまな表情を見せる。彼女を見るためだけでもこのシリーズを見続けたいと思うほどです。
アマゾン族の世界に偶然やってきたアメリカ人スティーヴとの出会いがきっかけで、外の世界、第一次世界大戦のヨーロッパへ彼とともに行くことになったダイアナ。彼女は人間はもともと善人ばかりだったのが悪の軍神のせいで戦争をするようになったと信じており、その軍神を倒せば人間は善人に戻ると思い込んでいます。このあたりが実はこの映画の重要なテーマで、一部の悪人だけが悪い、という単純な考えと現実の違いがクライマックスの大きなテーマになっていきますが、前半はこの辺はあまり掘り下げられず少し物足りない、と思っていると、突然、すばらしいシーンが!
前線にやってきたダイアナが、ドイツ軍に占領された町を救おうと、周囲が止めるのも聞かず、危険をかえりみずに突進していくシーン。肌を露出したコスチュームで敵の弾丸を跳ね返しながら突撃していく姿を見て、最初にうるっと来てしまいました。
どう考えたって、これは滑稽なシーンだろうと思うのに、うるっとしてしまうとは。
そのくらいダイアナの一途な気持ち、人を救いたいという思いがこれ以上ないと思うほどのかっこよさで描かれているのです。
無理だとかなんとかぐだぐだ言って何もしない男どもよ、見よ、という感じで、男たちも鼓舞されて彼女のあとに続きます。
このあともダイアナの勇姿に涙腺が刺激されるという、悲しいシーンでもないし普通の感動的なシーンでもないのに、なにかその姿そのものに感動してしまうような感じでした。
敵であるドイツ軍は戦争を終わらせる方向で話を進めているのですが、1人、狂気の軍人がいて、毒ガス兵器を作る女性科学者とともに毒ガス攻撃をしかけようとしている。この女性科学者が「シン・ゴジラ」の女性科学者を悪役にしたみたいで、なかなか面白いキャラです。今回は彼女の背景とかまったく描かれなかったけれど、死ななかったので次回に期待できるかも?
そしていよいよクライマックス、前半に出てきたテーマ、悪の軍神さえ倒せば人間は善人に戻る、と信じていたダイアナがその間違いに気づき、もともと人間の中に悪があるのだとわかるのですが、このあたりのテーマの展開はやはり既視感のあるもので、あまり深みは感じません。が、すばらしいのはそのあと。
毒ガス攻撃を防ぐため、ある決意をするスティーヴ。すでにダイアナと恋仲になっている彼はダイアナに何かを告白し、大事な時計を渡して去っていく。このときどんな会話がなされたかはあとでわかるのですが、私はそこで涙腺崩壊してしまいました。
「俺は今日を救うから、君は世界を救え」
このあたりの展開のしかたが本当にうまくて、2人の会話が聞こえない、スティーヴが何をしようとしているのかダイアナもわからない、ただ、彼の時計だけが手元にある。そしてそのあとの悲劇を見たダイアナの怒り、しかし、という具合に、上のせりふが出てくる。
まあ、私以外の人は別に泣くほどではないと思いますが、私はダイアナの怒りのシーンを見て、クリストファー・リーヴの「スーパーマン」第1作で恋人を失ったスーパーマンの怒りと悲しみを思い出してしまったのです。
スティーヴの言葉を思い出したダイアナは、人間には善も悪もあるが彼らの可能性に希望を見出そうとするのです。
これはまさに「スーパーマン」や「バットマン」で追求されていたテーマでは?
そうだ、これがDCコミックスなんだ、だから私は「スーパーマン」と「バットマン」が好きで、「ワンダーウーマン」にこんなに感動したのだ、と思ったらさらにうるうる(おいおい)。DCコミックスの映画化には今後もつきあいたいと思ったほど(マーヴェルは「スパイダーマン」しか知らないのでよくわかりません)。
エンド・クレジットもかっこよかったし、スティーヴが集める仲間たちもアメリカ先住民(白人に家族を殺されたが、今はその白人とともにいる)やアラブ系、スコットランド系(キルトをはいている)と多様な人種を反映していて味があります。
(「ワンダーウーマン」については同じ日の記事で追記しています。)

「ワンダーウーマン」が終わってから「ボブという名の猫」が始まるまできっかり2時間あったので、夕食を食べてショッピングセンターやニトリなどを見てまわっても時間が余るかな、と思ったのですが、涙腺崩壊の「ワンダーウーマン」の熱をさますにはちょうどよい時間でした。
そして「ボブという名の猫」。麻薬から立ち直るため代替薬を飲みながら路上で音楽活動をする貧しい青年が野良猫を引き取ったことから人生が変わっていった、という実話をもとにした映画。実話をもとにしたとはいっても、エピソードや人物は映画用に創作されたり脚色されてりしている場合が多いので、これが実際に起こったことではない部分もあるだろうと思いますが、麻薬から立ち直る大変さ、特に代替薬をやめるときの苦しさなどもしっかり描かれています。
監督がロジャー・スポスティウッドだからハズレはないだろうと思っていましたが、手堅い演出で、特に猫がかわいい。
ボブの役はボブ本人、いや本猫が出演とのことだけど、犬と違って猫は演技ができないので1匹の猫の役を数匹で演じているのは普通のこと。この映画のボブも本猫ボブのほかに数匹の猫が演じているようです。美猫ってほどではないけれど、ちょこんと座っているだけで絵になる猫。
主人公の住む部屋にネズミの穴があって、ボブがネズミにちょっかい出すので主人公が穴の前に本を置いてしまうシーンがあるのですが、最初に置いたときは何の本かわからず、次に置いたときにスタインベックの「二十日鼠と人間と」だとわかるのもうまい。
ボブの人気のおかげで主人公の音楽活動も人気が出るが、嫉妬していやがらせする男がいたり、そのあと、日本でもホームレスが売って生活費を稼いでいることで有名な雑誌「ビッグイシュー」を売る仕事を始めてやはりボブの人気で売れるけど、今度は同じ仕事をする人とトラブルに、と、よいことばかりではない面も描かれています。「ワンダーウーマン」じゃないけど、善も悪もあるのが人間。
ロンドンの二階建てバスにボブが乗って、車掌の女性が怒りもせず、逆に親切にしてくれたりと、ほのぼのシーンもあり。とにかくボブがかわいくて、ボブを見ているだけで幸せになってしまいます。
実はこの映画、試写状をいただいていたのだけどうまく都合がつかず、近場のシネコンで上映されることもわかっていたので試写は見送ったのですが、都合をつけて試写で見て、またシネコンで見ればよかったなあ、という気持ちになったほどです。

2017年8月25日金曜日

364日目の「君の名は。」

昨年8月26日からロードショーが始まった「君の名は。」は本日25日が365日目でちょうど1年。今や日本の映画館ではキネマ旬報シアターと下高井戸シネマでしか上映されておらず、どちらも25日でおしまい。下高井戸の夜の回が最後となる。
このところ木曜に「君の名は。」を見てきたので、キネマ旬報シアターで364日目の「君の名は。」を見てきた。たぶんこれが私の最終。
入場開始まで3階にある映画図書室でキネ旬バックナンバーを見ていたのだが、開場のアナウンスがあって下へ降りてみると、シニアが十数人並んでいた。
シニア率の高さに驚いたが、みんなグループで来ている。最後だからもう一度と思って来たのだろうか。明日はもっと人が来るのかな。
キネ旬シアターでの「君の名は。」は3回目だったけれど、今までの2回で座っていた席がすでにとられていたので、別の席に座った。が、この席の方が音が断然いい。この劇場、場所によって音が相当に違うのだろうか。
んなわけで、けがの功名のような形でよい鑑賞ができた。これでおしまいにしても心残りはない。

思えば、最初に見たのが昨年9月3日、流山おおたかの森で、今回のキネ旬シアターは柏なので、どちらも千葉県(三葉や四葉とご縁がありそうな名前)。最初に見たときに思わず涙が出た、三葉から瀧へ組紐が渡るシーン。今回、初めて見たときのことを思い出して、代々木に電車が着くあたりからうるうるし始め、1年間をしみじみ思い出したのだった。

さて、柏へ行ったら一度行きたかったのがドンキホーテ。都心にいた頃は秋葉原や御徒町のドンキによく行っていたが、転居してからは一度も行っていない。キネ旬シアターでは夜の回を見ることが多く、ドンキに寄る暇がなかった。
で、今回は夕方の回だったので終わってからドンキへ行ってみた。
建物に入ろうとすると、後ろから「来世は東京のイケメン男子にしてくださーい!」の声が。
振り向くと、そこにはツタヤがあった。

備忘録(見た回数)
TOHOシネマズ流山おおたかの森 6回
MOVIX亀有 3回
有楽町スバル座 4回(1日1回+1日3回)*
蒲田宝塚 2回(1日2回)*
池袋シネマ・ロサ 2回
川崎チネチッタ 7回
キネマ旬報シアター 3回
合計27回(*は入替なしの映画館)

2017年8月22日火曜日

橋からの眺め

郊外の団地に引っ越してもうすぐ2年。以前から気になっていた最寄駅始発のバス。JRの駅の近くまで行くので、一度乗ってみたいな、と思いつつ、そのJRの駅に特に用もないので最寄駅のホームからバスが出るのを眺めているだけでした。
が、2か月ほど前にジョーシンの新しい店ができて、バスがその近くを通ることを発見。新しい店というのはやはり行ってみたいもの。そこで近くの野鳥の来る公園を散策してからジョーシンへ行ってみることに。


トンボ。まだまだ夏。

ダイサギ。



閉園近くまでいて、そのあと公園を突っ切る橋の上へ出ます。この橋をずっと歩いていくとジョーシンの近くに行くバスの停留所があるはず。
小さくて見えないかもしれませんが、上のダイサギがまだ建物の前にいます。

こちら橋からのズーム。

この橋はいつも公園から見上げていましたが、通るのは初めて。森を切り開いてできた道路だということがわかります。

反対方向。この先を降りると公園入口。

いつも見る光景も上からだと違って見える。

さて、ジョーシンですが、上の道路の先に確かにバス停がありましたが、乗るのはバス停4つ先までなので最初は歩く予定でいました。が、このあたりは車の往来が激しい道でも歩道がないところが多く、その道(上の写真の道路と交差する道)も次々と通る車のすぐわきを歩かねばならないことが判明。地元の人は平気で歩いたり自転車で通ったりしていますが、都心で必ず歩道があることに慣れている私にはかなーり怖い。バス停の時刻表を見たら10分後にバスが来るので、待って、バスに乗りました。
乗って正解。地図で見たときは普通の道だと思っていたのに、その道は急カーブが次々とある道だったのです。ここは山なのか?
目的のバス停では降りる人が多く、ここがこの辺の中心地なのかな、と思いましたが、そこから今度は別の道をジョーシンに向かって歩く。こちらは歩道が完備されて歩きやすい。が、その道に入るとすぐ、まわりが竹林とか雑木林になる。少し行くと片側が新興住宅地、もう片側が断崖絶壁で眼下に森。やっぱり山なのか?
ジョーシンはバス停から徒歩5分くらいで、そばにはトイザらスやしまむらがありました。うーん、郊外。つか、ホッケー観戦で北海道行くとトイザらスとしまむらとイオンがあったりした。さすがにこのあたりにイオンはない。
ジョーシンに入ると阪神選手の大きな写真がお出迎え。関西の企業で阪神タイガースのスポンサーなのだ。
しかし、期待したような店ではなく、ここで売っているようなものは近所のスーパーで買った方が安いし、そうでないものはやはり秋葉原へ行かないとだめだと判明。それでも1000円均一の商品を2つ衝動買いしてしまった
帰りは徒歩5分のバス停へ戻り、逆方向のバスに乗って終点まで行きます。こちら側のバスもそのバス停で降りる人が多く、そのあとは乗っている人はわずかで、終点までいたのは私だけでした。
というわけで、ささやかなバス旅行でした。

追記 その道に入るとすぐまわりが竹林や雑木林に、と書いたところ、実は今年の6月に道路が開通した場所だとわかりました(どうりで歩道が広々で歩きやすかった)。
そのあたりの地図を見ると実際と違うところが多いのですが、開通してから移転した店、新しくできた店がいくつもあるようです(まだ地図が訂正されていない)。
そのさらに北の方にはシネコンの入った複合商業施設の建設が始まるようです。やはりイオンなのか???
しかし、このあたりは交通の便が悪く、車社会だなあ、という印象の地域です。

2017年8月18日金曜日

「ル・コルビュジエとアイリーン」+1(ネタバレ大あり)

木曜は「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」の試写へ。
上野の国立西洋美術館が世界遺産になったことで一般にも多少は知られるようになったフランスの建築家ル・コルビュジエ。そのル・コルビュジエが理想とする建築を自分が実現する前にやってしまった女性建築家アイリーン・グレイの物語。
実は私もル・コルビュジエの名を知ったのは西洋美術館が世界遺産になるとかならないとか言っていた頃で、今はもうない渋谷パンテオンの緞帳がル・コルビュジエのデザインとは知らなかった(今はヒカリエの中のシアターに縮小したレプリカがあるという)。
去年だったか、図書館で「ル・コルビュジエを遠く離れて」と題した建築についての本を借りて読んで、そこではル・コルビュジエについては西洋美術館設計のために日本を訪れたときの話くらいしか書いてなかったが、それでもそこに掲載された写真などから、どうもこの人変人みたい、キモイ男かも、と思った記憶がある。
映画ではヴァンサン・ペレーズがル・コルビュジエを演じていて、海パン一丁で歩き回る、やっぱりキモイ変人っぽい男に描かれている。
試写状にはル・コルビュジエが自分の理想の建築を実現したアイリーンに嫉妬する、というような解説があったので、ロダンとカミーユ・クローデルみたいな関係かな、と思ったら、アイリーンの方がル・コルビュジエより10歳近く年上で、彼が駆け出しの建築家のときに彼女はすでにインテリア・デザイナーとしての名声を得ていた。ル・コルビュジエの理想を実現できたのも彼女の方に余裕があったからだろう。
アイリーンは最初、レズビアンのように描かれているが、その後、建築評論家のジャン・バドヴィッチと恋仲になり、彼にすすめられて建築を学び、ル・コルビュジエの理想を実現した家を作る。が、バドヴィッチはその家の特集雑誌にアイリーンの名前を出さず、家も彼が所有し、ル・コルビュジエの作品のように紹介してしまう。
映画はアイリーンとバドヴィッチの関係をル・コルビュジエがクールに観察するようなモノローグを時々入れている。ル・コルビュジエとバドヴィッチは同じ女性を愛人にしたりしているが、ル・コルビュジエのアイリーンへの思いは男女の愛憎ではなく芸術家としての愛憎のようだ。
その後、建築の巨匠となったル・コルビュジエはアイリーンの作った家の白い壁にエロチックな壁画を描いてしまう。所有者であるバドヴィッチの許可を得てやったことだが、アイリーンは当然激怒。しかし裁判には持ち込まず、そのまま第二次世界大戦が始まり、といった具合に話は進む。
ル・コルビュジエの壁画はピカソっぽい絵なのだが、プレスシートの解説によると彼は以前から壁画をあちこちで描いていて、これもその延長でやったような感じなのだが、同時にアイリーンの作った家に壁画を描くことでこの家を完全に自分のものにしようとした感じもある。映画では持ち主のバドヴィッチが死去したとき、この家を自分のものにしようと躍起になるル・コルビュジエが描かれる。
ル・コルビュジエとアイリーンの建築に関する考え方の違い、彼は家は機械のようなものだと言い、彼女は家は人を守る殻だと言う。アイリーンは家は周囲の環境との調和が必要であり、人の暮らしとの結びつきを強調するが、ル・コルビュジエは家を単独の芸術作品と考えているようだ(映画ではそう描かれている気がする)。
アイリーンの作った家は白を基調とするシンプルな建物で、なんだか無印良品を愛する女性が好みそうな家だ。それにカラフルでエロチックな壁画を描いてやりたいと思うル・コルビュジエは、無印良品のような世界に反発する人のようで、私は少し共感するが、同時に、もしも映画「摩天楼」のゲーリー・クーパーがアイリーンだったら、ル・コルビュジエが壁画を描いた家をダイナマイトで吹き飛ばしたに違いないと思う(アイリーンが友人から爆破しろと言われるシーンもある)。
実際には家はル・コルビュジエが知り合いの女性に買い取らせ、彼はその家の近くの海で亡くなる。アイリーンが亡くなるのはそれからさらに10年以上先。
プレスの解説によると、ル・コルビュジエはアイリーンの建てた家を愛し、守ったとのことだが、ル・コルビュジエのコンセプトに従って家を建てたアイリーンと、その家をわがものにしたがったル・コルビュジエの関係がなかなかに興味深い(映画ではその辺、イマイチ描写不足の感があるが)。
映画の原題は「欲望の値段」。冒頭、アイリーンのデザインした椅子がオークションにかけられるシーンがあり、大変な金額で落札される。その間、えんえんと映画のスポンサーと思われる企業名が画面中央に字幕で登場し、いったいいつまで続くの、これ、と思っていると、オークションが終わった後、莫大な金額で競り落とした女性がそのことについて聞かれ、「欲望の値段よ」と答える。
そしてタイトル、「The Price of Desire」。
Priceは値段であると同時に代償でもある。
アイリーンの建てた家をわがものにしたいというル・コルビュジエの欲望の代償、アイリーンの椅子を手に入れたい人の欲望の値段、そして、映画という金のかかるものを作ろうという欲望の値段と代償。企業名をえんえんと見せられてうんざりした冒頭だが、最後にはその意味がよくわかった。
(なお、ル・コルビュジエとアイリーンが実際にどのように考えていたのかはわからない。映画の作り手の想像の部分も多いように思う。)

さて、木曜になると「君の名は。」が見たくなるというか、先週は木金と川崎チネチッタへ行ったのだけど、今週も試写のあと、キネマ旬報シアターへ行ってしまった。
今週は「君の名は。」は夜9時からのレイトで、日曜と月曜も新海誠特集でレイトショーを見たので、ここのレイトに慣れてしまった。ここはレイトショーは午後7時から適用で、一般1300円。が、お客さんはやはり少ない。それでも「君の名は。」は10人以上いたように思う。
川崎チネチッタのライヴザウンドだと蝉の声や虫の音、背景の人の声がはっきりと聞こえるが、今回は通常音声なのでそういうのはあまり聞こえない。でも、そういう音が入っているのだと意識が芽生えたせいか、今回はそういう音に少し注意して見ていた。あと、レイトだと人少ないので落ち着いて見られる。来週は夕方の上映で、いよいよ来週でおしまい。また行くかな?

追記
ネットにあがっている新海誠のアマチュア時代の短編「彼女と彼女の猫」にはまっています。
チョビという猫にミミという子猫のガールフレンドができるシーンが特に好きで、このミミが「ケッコンして」とか「またあいにきてね」とか、かわいい。
チョビとミミの続編を作ってほしい!と思ってしまいます(いまさら無理だろうけど)。
追記2
ミミのせりふ、「また遊びにきてね」「絶対きてね」だったかな。これでチョビはミミが面倒になって会いに行かなくなるのか。

2017年8月16日水曜日

ハヤカワポケットミステリ

7月があまり梅雨らしくなかった反動か、このところ梅雨のような日々。
雨だから近くの公園に、「言の葉の庭」のように金麦と明治ミルクチョコレートを持っていこうかな、と思ったが、別にビール飲みたくないし、チョコ食べたくないし、と思ったのでやめた。
夕方、郵便局へ行って用を済ませ、図書館で本を借りる。ハヤカワポケットミステリがたくさんある図書館だ。
先週の木曜日に試写を見たあと、川崎チネチッタで「君の名は。」を見たことを書いたが、その試写が実はトム・フォード監督の新作「ノクターナル・アニマルズ」。原作はオースティン・ライトの「ミステリ原稿」(原題は「トニーとスーザン」)。トム・フォードの映画化の話を聞いたときにこの図書館で借りて読んだけれど、映画を見たら原作とかなり違っていた。しかし読んでから日がたっているので、もう一度読んでから記事を書こうと思い、図書館へ行くとあった。
このハヤカワポケットミステリの「ミステリ原稿」は日本ではあまり売れなかったようで、だいぶ前に絶版。映画にあわせて「ノクターナル・アニマルズ」と改題されて文庫で出るようだが、映画公開はしばらく先なので、文庫もその頃になるだろう。というわけで図書館が頼りの原作。
で、ついでにモーリス・ルブランの「ルパン、最後の恋」とデイヴィッド・グーディスの「ピアニストを撃て」と「狼は天使の匂い」を借りる。いずれもハヤカワポケットミステリ。
グーディスの2作はフランス映画で有名なので、昔から翻訳があるとばかり思っていたのに、奥付を見ると2000年代はじめの出版で本邦初訳。昔、ルネ・クレマン監督の「狼は天使の匂い」が公開されたときにハヤカワ文庫から本が出たとばかり思っていたのだけど、それはセバスチャン・ジャプリゾの脚本の翻訳だったらしい。
「狼は天使の匂い」はとても好きな映画で、ティサ・ファローが荒くれ男をフォークでぐさっと刺すシーンを今も覚えている(原作にもあった)。ロバート・ライアンがかっこよかった。映画化は「不思議の国のアリス」を連想させる内容だったように記憶している。
「狼は天使の匂い」の原作は私好みの世界だった。作風も好みだが、「ピアニストを撃て」ともども日本では映画化されても翻訳されなかったので、受けない作風だったのだろうか。借りてきた2冊も初版だけどきれいで、あまり借りられてないのが明らかだった。

追記 記憶違いの可能性があるところを削除しました(8月25日)。

2017年8月15日火曜日

「秒速5センチメートル」&「星を追う子ども」

前日に続いてキネ旬シアターで新海誠特集。DVDで見ている「秒速5センチメートル」と、初めて見る「星を追う子ども」。「秒速」には前日「言の葉の庭」と併映だった「彼女と彼女の猫」がやはりついているが、せっかくだから一応見た。
昨夜、ネットでオリジナルの新海誠の短編を見たが、この併映作品はリメイクではなく前日譚だった。最後に主人公が白い猫を拾う。オリジナルはその白い猫と彼女の物語。白い猫の役はどちらも新海誠。うーん、オリジナルの猫のモノローグがすごくよかったんだけど、こちらの別監督の作品では声が違って聞こえた。あと、新海もどきみたいなモチーフが逆にうざい感じなんだよね。
「秒速」は輸入盤のDVDだったので、英語字幕が入っていたから、やっと本物を見れた感じ。主人公は中学1年のときに栃木県に会いに行ったのが最後の彼女をずっと思っているけれど、彼女はもう結婚間近で、彼のことはちょっと思い出す程度なのだなあ、というラストであった。彼の方も恋人と別れ、仕事をやめ、新しい人生を始めようとしているのかもしれない。本気で会おうと思えば会えたはずなのにそれをしなかったのは、思い出としてとっておきたかったのだろう。
「星を追う子ども」は新海作品では一番人気がないらしく、映画館ではあやうくお一人様になるところだった。「雲のむこう、約束の場所」と同じく、壮大な世界を出すとストーリーががたがたになる。特にこの映画は宮崎駿だったら傑作になりそうなだけに残念感がいっぱい。ただ、妻を失った男とか、あの世へ行って戻ってくるとか、「君の名は。」のご神体シーンやかたわれどきシーンに似たシーンとか、「君の名は。」とのつながりを感じる。「星を追う子ども」は内容に合っていないタイトル。それと、ヒロインの人物造型がかなりいいかげんで、彼女は父親を失った喪失感があるのに、それが生かされていない。なんで教師にくっついてあの世へ行くのかわからん。なりゆきではいかんのだよ。あと、現実の舞台が1970年代の日本の田舎で、二槽式洗濯機や黒電話などなつかしいものが登場していた。

2017年8月14日月曜日

「スパイダーマン:ホームカミング」+2

最近のハリウッドのメジャー大作はアメコミの映画ばかりで、この種のアメコミは全部スルーしてきた。なぜなら、1作品を単独で楽しめないから。特にスパイダーマンやアイアンマン、キャプテン・アメリカなど多数のヒーローを抱えるマーヴェル・コミックの映画は全部つながっていて、ひととおり見てないと疎外感を感じるみたいなのだ。
「スパイダーマン:ホームカミング」を見ようと思ったのは、なんといっても「バードマン」以来絶好調のマイケル・キートンがまた鳥怪人を演じると聞いたから。
マーヴェル・コミックのライバルにDCコミックスというのがあって、バットマンやスーパーマンはこっちに所属するのだが、あのティム・バートンのバットマンを演じたキートンがライバル、マーヴェルの映画に出るっていうのもまた面白い、と思ったから。
そして、やっぱり、サム・ライミの「スパイダーマン」が好きだったから、というのもある。
んなわけで、久しぶりに(「アメイジング・スパイダーマン」はまったく見ていない)スパイダーマン見るか、と思ってシネコンに出かけた。
例によって、マーヴェル・コミックの全部つながってるシリーズの1作なので、出だしからして前の何かを見てないとさっぱりわからない設定。なんか戦争があったみたいなのだ。あとで調べたら「シヴィル・ウォー」という映画らしい(マーヴェル・ヒーローの内輪もめか何かだったと思う。もちろん、見てない)。
ヒーローの内輪もめといえば、DCの方は「バットマンVSスーパーマン」というのがあって、ちょっと興味あったのだが、こっちもいろいろつながってるらしいのでパス。マーヴェルの方の「ドクター・ストレンジ」も興味あったのだが、こっちもつながっているらしいのでパスしてしまった。「ワンダーウーマン」は見たいと思っているのだが、こっちはDCで、「バットマンVSスーパーマン」とつながってる?
なんかこの、一見さんお断り的な雰囲気が日本でイマイチすごいヒットにならない原因なのだと思うのだが、海外ではどの国でもヒットとか、わからん。
それはともかく、映画はマイケル・キートン扮する男が当局によって仕事を奪われ、その責任がアイアンマンにあると思って復讐に走る、というところから始まるんだけど、この男とアイアンマンの確執がその後どこか行っちゃってるのがなんだかなあ。ティム・バートンはこういう悪役をじっくり魅力的に描いたんだけどねえ。
で、この男がヴァルチャーという鳥怪人になるのだけど、ヴァルチャー自身は古くからスパイダーマンの悪役として有名らしい。映画ではこの鳥怪人の意外な正体が途中で明かされて、その辺からドラマとして面白くなるはずなのだけど、あまり掘り下げず。残念。
それまでは、スパイダーマンとしてヒーロー・グループに選ばれ、修業中の主人公ピーターの高校生活と、人々を救う使命にやる気満々なのだが、どうもやることなすことうまくいかず、むしろ大迷惑な事件を起こしてしまうダメな主人公が描かれる。この辺、相棒の太った少年の面白さもあって、笑えるところも多かったが、なんか全体に安っぽいというか、深みがないというか、この辺はマーヴェルのシリーズの一部だからしかたないのだろうけど。
あと、キャプテン・アメリカの道徳の授業(エンドロールの最後)はひたすら寒い。

そのあと、新海誠特集をやっているキネ旬シアターで「言の葉の庭」と「彼女と彼女の猫」を見る。
「言の葉の庭」はDVDで見て、すべてわかっているのに、クライマックスでは泣けてしまった。階段の上と下で女と男が涙を流す。「君の名は。」ではそれはうれし涙だったが、こちらは悲しい涙。雪野の号泣は、それまでこらえにこらえていたものが一気に噴き出した涙だ。
「彼女と彼女の猫」は新海誠のアマチュア時代の5分の短編を別の監督が25分のアニメにしたもので、ヒロインの置かれた状況が雪野にかぶるのだけど(声が同じ人だし)、正直、無理に引き伸ばしてる感がかなりあった。もとのアニメを見てないのでなんとも言えないのだけど。「秒速5センチメートル」でもこのアニメが併映になっているのだが、もう一度見たいと思えない。新海作品を先にやって、そのあとこれをやるから映像の差とかも目立ってしまう。「秒速」が終わったらそっと出るという手もあるんだけど。

追記 ネットで「彼女と彼女の猫」のオリジナル版を見た。リメイク版よりずっとずっとよかった。猫もこっちの方がかわいい。猫にも彼女ができてるし。絵も全然いいわ。

2017年8月13日日曜日

チャーミーマジカ(食器用洗剤)


ディズニーとコラボしたチャーミーマジカという食器用洗剤。右から「ふしぎの国のアリス」、「塔の上のラプンツェル」、「リトル・マーメイド」、「美女と野獣」、「白雪姫」、「シンデレラ」。
3本ずつ撮影。
左から「シンデレラ」、「白雪姫」、「美女と野獣」。

左から「リトル・マーメイド」、「塔の上のラプンツェル」、「ふしぎの国のアリス」。

「ふしぎの国のアリス」は現在使っています。
「アリス」を買ったのはもうだいぶ前で、少し離れたスーパーに「アリス」が2種類あって、両方ほしかったのだけど、この洗剤が気に入るかどうかわからないので、上のものだけ購入。使ってみたら油汚れが本当によく落ちて非常によかったので、また買いに行ったらもうなかった。
当時、別の洗剤を使っていて、まだかなり残っていたので、「アリス」は本当にひどい油汚れのときだけ使っていた。最近、やっと前の洗剤を使いきって、「アリス」を本格的に使い始めた。
他の5本は近所のスーパーに2、3か月前に入荷。「美女と野獣」、「リトル・マーメイド」、「ラプンツェル」がかなりよく売れていたのでまずこの3本を購入。それから4番目に人気の「白雪姫」を購入。「シンデレラ」は人気がなく、たくさん残っていたのでなかなか買わなかったが、他がすべて売り切れ、「シンデレラ」もあと10本くらいになったので購入。
そろったら写真を撮ろうと思っていたので撮りました。
6本もあるので2、3年はもつような気がするなあ。そんなに洗い物しないので。

2017年8月12日土曜日

「君の名は。」チネチッタ千秋楽

去年の8月26日から351日間、「君の名は。」を上映し続けてきた最後の封切館、川崎チネチッタがついに8月11日で終映。
実は最後は混むと思って前日、10日に昼間試写を見てから出かけたのだけど、LiveZoundの重低音が心配で後方の座席をとったら、全然重低音こわくない。視力が落ちてるので後方からだと細かいところよく見えない。
あー、もっと前にすればよかった。
と激しく後悔したので、11日千秋楽も昼間に急遽予約して出かけた。
すでに中央部はおおかた埋まっていたが、残っていた席のうち、比較的前方の席を買う。
しかし、行きも帰りも宇都宮線や高崎線と直通の東海道線が10両編成ばっかりなのはなんなの? お盆休みですいていると思いきや。10両のうち2両はグリーン車だよ。
行ってみたら、前方の席を買ったつもりだったのに、それでも普段よりは後ろの感じ。おまけに背筋をまっすぐに伸ばしていないと前の座席の背もたれがスクリーンにかかってしまう。
重低音はやはり、あの「大地震」劇場体験者からするとそれほどたいしたことはない。もっと前でも無問題だったなあ。重低音の質は「大地震」の頃よりはかなり向上していると思う。
でも、大勢のお客さんと見る「君の名は。」、そして最後は拍手。やっぱり来てよかった。
思えば初めて「君の名は。」を見たときも、「アンヌとアントワーヌ」を見る予定で、当日、出かける前にシネコンのスケジュールを見たら、続けて「君の名は。」を見るとちょうどいいとわかり、予約。今回も当日の昼間に予約、というわけで、当日にネット予約したのが最初と今回の2回だった。まだ上映中のところがあるので、今回が最後ではないけれど。

というわけで、またもや2日連続チネチッタで「君の名は。」してしまったのだけど、10日の昼間の試写の作品はなかなかに奥深いものがあるので、またあたらめて書きます。

それにしても、最初に見たときは、三葉が町長を説得できたとは思えない、という不満を持っていたのが、その後、しだいに考えが変わった。以前の記事でも書いたが、もともと私は三葉と町長の親子の対立に興味を持っていたので、三葉が町長を説得する=娘が父を乗り越える、となるべきだと思っていたのだが、今ではまったく違う考えになっている。
手のひらの「すきだ」という文字を見た三葉が、きっと顔を上げ、町長である父を説得に行くシーン。あそこは対立や対決のシーンではなく、和解のシーンなのだ。
瀧の入った三葉と町長のシーンは対決だったが、このシーンは三葉(瀧)が対決で敗れるシーンだった。それに対し、三葉自身が町長を説得に行くシーンは、母の死によってばらばらになった家族が和解することを暗示している。町長の部屋には祖母と妹がいて、三葉の説得は家族の和解を意味するのではないかと思う。彼らが和解すべき家族だということは瀧の幻想シーンで示されていた。
娘が父を乗り越える、といった家父長的、エディプス・コンプレックス的、あるいは父殺しのテーマを、新海誠は採用しなかったのだ。むしろ、娘と父の対立が物語を通して家族の和解へと至る、というモチーフを選んだ。もともと娘には父殺しは似合わないのだが、この映画を見ると、父殺しやエディプス・コンプレックスはもはや使い古されたモチーフなのだとさえ思えてくる。

2017年8月8日火曜日

流水麺のことなど

水でほぐすだけで食べられる流水麺。うどんとそばがあるのは知っていたが、1袋2人前なので一度に食べられないから安くなっていてもあきらめていた。
が、1人前があるのを発見。早速買ってきて食べてみた。
まずそば。納豆を載せて市販のつゆをかける。そこそこうまい。でも、普通のそばとはやはり感触が違う。
翌日の朝にうどんに大根おろしと納豆と温泉たまごを載せ、つゆをかける。うまい。おまけに腹もちがするので、なかなかおなかがすかない。でも、普通のうどんとはやはり感触が違う。
スーパーでは消費期限ぎりぎりのものしか置いてなくて、そのあと行ったらすべて撤去されていた。入荷するのか不明。そばとうどん、あと1食分ずつあるけれど消費期限近いのですぐ食べねば。

さて、「君の名は。」は昨年夏からやっていた川崎チネチッタがついに最終週ということで、LiveZoundどうしようかな、と考えていたのだが、結局、行くことにした。最終日は混むのでその前に。昼間試写に行ってから川崎へ行くつもり。
LiveZoundどうしようかと迷ったのは、実は昔、「大地震」という映画があってな、という感じで昔語りをすると、この「大地震」、ロサンゼルスの地震を描く大スター共演のパニック映画なのだけれど、重低音で振動を起こして地震を体感させるという趣向。が、私は振動よりも音がうるさいと感じてしまった。
なんかもう、耳が痛いのである。
地震を体感したというよりは耳をやられた感が大きかった。
LiveZoundも重低音で振動が起こるそうで、「大地震」と同じだったらやだな、というのが正直な気持ち。でも、さすがにあれから数十年がたって、音響も進化しただろうと思うし、重低音以外の音がよさそうなので行ってみることにした。
んなわけで、川崎チネチッタでの「君の名は。」はTOHOシネマズ流山おおたかの森と並ぶ6回になる。流山は最初に「君の名は。」を見た場所で、9月3日だった。そして4月末の最終上映も見届けた場所。川崎も最終日にしてもよかったのだが、まあ、そこまでこだわるほどのことはないし、川崎がすべての最後になるわけでもなし(まだキネ旬シアターがある)。
混むっていうよりチケット予約が殺到してシステムパンクとかあるんじゃないの?と思ったのだが、もう最終日のチケットが売られている時間だ。それほど殺到っていうわけじゃないと思うけどね。

月曜日はジャック・ドワイヨン監督の「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」の試写を見てきた。
ロダンとカミーユといえばイザベル・アジャーニ主演の「カミーユ・クローデル」があったが、今回はロダン中心。が、この映画、カンヌ映画祭に出品されてひどく評判が悪く、ネットのRottenTomatoesでは13%の支持と、救いようのない評価になっている。
試写に行ってみたらやはり人が少なく、そして映画はやはり評判が悪いだろうと思うような出来栄えだった。
「カミーユ・クローデル」は私に彫刻の見方を教えてくれたという点で、思い出深い映画なのだが、今回の「ロダン」は美術好きから見てそそるところが少ない。ロダンを演じるヴァンサン・ランドンはお気に入りの俳優なのだが、今回だけはランドンの魅力も演技力もほとんど感じられなかった。
弟子で愛人だったカミーユと内縁の妻ローズはどちらもどっしりと地に足のついたような女優が演じていて、こちらはそれなりに興味深かったが、この2人以外にも若い美人のモデルと次々と関係を結ぶロダン。実際モテる男だったのだろうが、映画からはどうもそれほどの魅力に思えず。
また、カミーユに関しては「カミーユ・クローデル」などの情報があるからわかるので、この映画だけじゃわからんだろうと思う。
ロダンの創作態度というのもイマイチこちらにビビッと来るものがないのだが、バルザック像を太鼓腹のヌードにしたら依頼主から断られてしまうというエピソード。実際、バルザックはそういう体型だったようだけど、なんで太鼓腹と男根を強調するヌードにしたかというと、どうやらロダンは太鼓腹を妊娠した女性の腹に見立てているらしいとわかるシーンがある。
バルザックといえば多数の小説と多数の人物を生み出したフランス文学の文豪。生み出した、ということで、妊婦の腹を連想させる太鼓腹にしたということなのだろう。
ロダンといさかいを起こしたカミーユがロダンに中絶させられたことを責めるシーンがある。そのとき、ロダンは、我々は粘土や石膏で子供たちを生むのだと言う。つまり、芸術家は芸術を生むので、子供はいらない、生まない、ということか。ローズも息子がいるが、他の子供はいないようだし、その息子に対してロダンは「パパ」と呼ぶなと言う。
子供を生まずに芸術を生むのが芸術家、というのがロダンの考えなのかな、と思わせたのが唯一の面白かったところだった。
ラスト、いきなり2017年の日本、箱根の彫刻の森美術館が登場し、庭に建つバルザック像に子供たちが触って「だるまさんがころんだ」という遊びをしているシーンが来る。色調が渋い色からカラフルな色にがらっと変わり、なかなか効果的なシーンではある。しかも、子供が遊んでいるのだ。バルザック像はガウンをかぶっていて、顔しか見えないが、そのシルエットは男根をあらわしているのだそうだ。つまり、妊婦の腹のような太鼓腹は隠されてしまったのだ。いろいろ意味深ではある。
その前に、晩年のロダンがモデルにした日本人・花子のエピソードがあるが、これがいわゆる変な日本でして、これのせいでラストの日本のシーンがイマイチに、という意見もある。
日本は上野の西洋美術館へ行けばロダンがたくさん見られるし、カミーユ・クローデルもあったと思う。私はロダンよりもブールデルが好きだった。

2017年8月6日日曜日

打ち上げ花火、どこから見るか

土曜日は地元で花火大会。
先週の隅田川が雨だったせいか、去年よりもだいぶ多い人出のように感じました。
で、地元の花火は駅を出るとすぐによく見える。
そのあと会場の土手に向かうときも、途中の駐車場などからとてもよく見える。
土手まで行かなくても大丈夫なのだが、やっぱり土手へ行きたい。
てなわけで着きました。


次の2枚は1枚目の場所に着く前に撮った写真。


で、1枚目の写真の場所。今回はここでいい写真が撮れた。




川の下流では江戸川区と市川市の花火大会。

上流では手賀沼の花火大会。このほか、板橋区と戸田市の花火大会も去年は見れたのですが、今年は見れず。

フィナーレ。去年に比べるとイマイチな感じがしましたが、慣れもあるのかな。

このあと、大混雑の中、駅へ向かうのですが、すごい人なので、ココイチに寄ってカレーを食べました。

2017年8月5日土曜日

フィルムしおりの場面

「君の名は。」DVDとコレクターズ・エディションを買って手に入れたフィルムしおり2種類。


上の四葉は最初に瀧が三葉に入るシーンでの「ごはん!」だと思っていたのですが、月曜にキネマ旬報シアターで映画を見たら、どうも最後に瀧が三葉に入るシーン(隕石が落ちる日の朝)の「おねえちゃん、またおっぱい」「妹だ、四葉ああああ」のようだ、と。
下の三葉は前前前世のシーンだろうと思っていましたが、瀧の口噛み酒トリップの幻想シーンのようだ、と。
で、火曜日にDVDで確かめたらそのとおりでした。
実は口噛み酒トリップのシークエンスは非常に好きなところなので、その中のシーンだったらワタクシ的には当たりです。
ほかには口噛み酒トリップのシーンはしおりになってないと思う。
で、四葉も隕石落下の日の朝なら当たりといっていいかもしれない。
というわけで、なんかビミョー、はずれってわけでもないけど、と思ってたけど、実はワタクシ的にはそこそこ当たりであったようです。
DVDも、20年も前の画面つきプレーヤーじゃあ、色彩の再現がうまくいかなくてもしかたない。次の上映環境を考えるときだということでしょう。実写映画も色彩とか映画館と違うな、とは思ってたけど、これほどひどく違うと思わなかったので、アニメならではなのかもしれない。
20年間、よく働いてくれました。秋葉原で買ったのだけど(一応、液晶はシャープのアクオス)、指定された棚のDVD2枚プレゼントというのがあって、「草原の輝き」と「エクスカリバー」をもらったのですが、今、大学の授業で両方使っていて、学生にも人気なのは感無量です。

ところでキネマ旬報シアターの「君の名は。」と「この世界の片隅に」。8月11日で終了予定でしたが12日以降も続映が決まったようです。チネチッタは終わってしまうので、12日以降はここと下高井戸が首都圏で見られる映画館になります(下高井戸は12日から上映)。うちは下高井戸は行くのめんどくさいからキネ旬シアターが続映してくれるのはうれしい。12日からは「秒速5センチメートル」と「言の葉の庭」、それにDVDでも未見の「星を追うこども」が上映されるので楽しみです。

2017年8月4日金曜日

チネチッタ5回目

木曜夜はチネチッタで「君の名は。」というのが最近の私のトレンドだったが、木曜の神奈川県の仕事が先週から夏休みで、もう行かないかな、と思ったが、今週は以前見て最高だと思ったスクリーン9なので、昨日出かけてみた。
昼間は東京で試写、そのあと川崎に向かう。
前にも1度、このパターンで川崎に行ったけど、電車がすごく混む。神奈川県の仕事先からなら楽なのに。神奈川方面へ帰る人は大変なのだな。東海道線も京浜東北線もぎゅうぎゅうだもの。
チネチッタではスクリーン3が3回、スクリーン9が1回だったけれど、2度目のスクリーン9、やっぱりいいと思う。
が、ここで問題が発生。いつもならまわりの客が~になるところ、今回は完全に自分のせい。
まあ、昼間の試写から眠かったのだが、前日と前々日、2日続けてDVDで口噛み酒トリップからラストまでを見ていたのだ。前々日はフィルムしおりの場面確認。そこで、やっぱりこのプレーヤーだと暗いシーンは黒くつぶれる、明るいシーンは光が強すぎて最後の2人の涙が見えない、と思い、翌日はパソコンで見たら、こっちはわりと映画館の印象に近い色合いになっていた(実はプレーヤーは20年前に購入したもの)。
そんなわけで、口噛み酒トリップからラストまでの緊張感がいつもより少なくなり、集中力が落ちたまま見終わってしまったのだ。
チネチッタは明日からLiveZoundという大音響重低音の上映で、最終日の11日に行こうと思っていたのだけど、大音響と重低音の振動があるので鼓膜が弱い人は注意とネットに書いてあったので、やめておいた方がいいかな、と思っている。スクリーンは最大だけれど、前方は重低音の振動がすごいらしく、後ろの方がいいようなので、これではスクリーンが大きくてもありがたみがない。
あとはキネマ旬報シアターが同じく11日までで、こちらは大音響の日とそうでない日があるけど、うーん、あと1回は映画館で見たい。

2017年8月2日水曜日

雨の公園

久々に近所の公園へ行ったら雨に降られた。
池の中の島にアオサギいます(小さい白い点)。
缶ビールとチョコレートを持ってくればよかったなあ。
「言の葉の庭」の新宿御苑は飲酒禁止ですが、ここは大丈夫な気がする。
今度、雨の日に持って来よう。

着いたときはまだ雨は降っていなかった。カルガモの親子。



ひまわりは去年は2段階で咲いたので長く楽しめたが、今年は最初に植えられたので終わりらしく、ほとんどは枯れていた。

このあと雨が降り出した。蓮の花。雨が映っている。

激しく降ってきたので建物に避難。野鳥観察センターの窓から見るとアオサギが。

そのあと、アオサギが一番上の写真の島へ飛んでいったので、そっちへ移動。
すでに夕方で雨なので、普通に撮るとボケボケ。シャッター優先で撮ると暗くなるが、なんとか見られる写真に。

島の反対側へ飛んでいったので、そっちへまわる。

このあと、アオサギは島の奥へ行ってしまった。別のところへ移動すると、こちらにもカルガモの親子が。子供が多い。これも普通だとボケボケだけど、シャッター優先だと完全に暗くなってよく見えない。これは普通に撮ってなんとか見られる写真。この時点でもう午後6時頃です。8月20日まで午後6時半閉園。

2017年8月1日火曜日

「君の名は。」&「雲のむこう、約束の場所」

キネマ旬報シアターで先週末から上映中の新海誠の商業映画デビュー作「雲のむこう、約束の場所」。
正直、DVDで見たときはかなり退屈したので、映画館で見るほどのものかと思ったが、行かなければ行かないで後悔するに決まっている。
で、いつ行くかとなると、8月1日はファーストデー、2日はレディスデー、3日と4日は予定があるので、7月31日しかないや、と、出かけた(1日2日も混まないと思うけど)。
せっかく電車賃かけて行くのなら、と、結局、上映中の「君の名は。」とハシゴ。
「君の名は。」を夕方見て、1時間半くらい時間つぶししてレイトの「雲のむこう、約束の場所」。
夕方の「君の名は。」は高校生からシニアまで20人近い観客だったが(映画が終わって明るくなってもずっとタオルハンカチを目にあてて動かない女性がいた)、「雲のむこう」は10人ほどで男女半々、全員シングルの客で、映画マニアっぽい人ばかりだった。女性は若い人ばかり、男性はおじさんばかり、という感じ。
「雲のむこう」は映画館で見ると映像が見応えあるのでまったく退屈しない。
ストーリーは、夢の中で続く思春期の愛が米ソ冷戦の焼き直しのような戦時下の世界に無理筋で押し込まれているので、やはり失敗作としか言いようがないのだが、ここに描かれた思春期の愛は誤解と紙一重で、目が覚めたら消えてしまうようなものとして描かれているのが興味深い。好きな女の子が遠くへ行ってしまう、という他の作品に共通のモチーフがあるが、他の作品では男女の主人公が対等なのに、この映画ではヒロインがひたすら受け身(眠り姫のモチーフ)なのも欠点だ。
あと、脇役がむさいおっさんばかりなのもね。
男性向けのSFを目指したのかもしれないが、あの塔は宇宙人が建てたことにした方がちょっと「メッセージ」ぽくってよかったのではないかと思う。
「君の名は。」は先週DVDを見たら、うちの機械だと暗い場面の暗い色が黒くつぶれていて、後半は暗いシーンが多いのでかなり気になった。映画館で見たらきちんと色が出ていて、映画館で見ないとだめだと改めて思った(機械が相当古いので、そろそろブルーレイの機械を買いたい)。
キネマ旬報シアターは6月に「セールスマン」を見に行ったけれど、あのときはスクリーン2で、今回は「君の名は。」がスクリーン1、「雲のむこう」がスクリーン3だった。スクリーン3のロビーが図書室になっていて、古いキネ旬のバックナンバーなどがあってびっくり。私の訳した本も3冊置いてあった(売り物?)。開映直前に行ったので詳しく見れず残念。新海監督の過去作がまだこれから上映されるので、そのときにゆっくり見よう。