2017年11月30日木曜日

新しいデジカメ

12年使ったデジカメがついに寿命が尽き、先週、新しいデジカメを買った。
前のデジカメがパナソニックのFZシリーズだったので、今回もその後継にあたるFZ300。発売からすでに3年近くたっていて、そろそろ次が出るのではないかと思うのだが、いつ出るかわからないし、値段も下がっているし、鳥を撮るにはぴったりのようなので買った。
付属のCD-ROMがWindows10に対応してないのがなんだかなあ、だが、うちのパソコンはまだ7だし、別にこれ使わなくてもいいみたいだし。
4Kとかいろいろ撮れるらしいけれど、とりあえず、初期設定のまま外に出て、いろいろ撮ってみた。4日間で700枚ほど撮り、パソコンに移したら、全部で4ギガもあった。サイズが大きすぎる気がする。原寸大にするとぼけてる写真も多い。
しかし、この12年間のデジカメの進歩ぶりには驚く。
前のデジカメより2万円安いのに、クオリティはものすごく上がっている。
前のだと赤や黒が潰れてしまって、赤い花や黒猫がきれいに撮れなかったが、新しいのは紅葉も美しく、黒猫も真っ黒にならず、毛並みがしっかり写っている。
でも、前のみたいにペイントでちょこちょこっと加工してブログにアップ、という気楽なやり方ができないので、とりあえず、2枚アップしてみます。写真はクリックしてご覧ください。

なぜか冬に咲いているひまわり。原寸大で真ん中あたりをトリミング。

ダイサギ。これは80%に縮小して、やはり真ん中あたりをトリミング。

このほか、石の質感とか、前のデジカメでは表現できなかったものがいろいろ表現できる。
ただ、重いです。
こんなに性能なくていいから、軽いデジカメもあったらいいなあ、と思う今日この頃。

2017年11月27日月曜日

「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」

「婚約者の友人」に続いて、翌日もキネ旬シアターへ。見たのはエミリ・ディキンスンの伝記映画「静かなる沈黙」。この種の映画はやはりイギリスが得意らしく、ディキンスンはアメリカの詩人なのにイギリス映画で、出演者も一部イギリス俳優。なので、19世紀のイギリスとアメリカが日本では混同される恐れがある?と感じたので、少しばかり解説を。

詩には詳しくないので、ディキンスンの詩はまだ読んだことがないし(映画にはよく出てくるが)、彼女自身についても詳しくないので、この映画で初めてこういう人だったのかとわかったくらいだが、某大学で英米文学史みたいなのを8年半講義してずっと思っていたのは、イギリスだと18世紀末から女性作家が次々と出てくるのに、アメリカは19世紀だと紹介できる女性作家がほとんどいない、ということだった。
私は小説が専門なので、講義はまずシェイクスピアを紹介し、そのあとは英米の小説中心で話を進めたが、アメリカの19世紀では私が紹介できる女性作家がいないことがいつも気になっていた。
ディキンスンが重要な詩人であることは知っていたが、詩は扱わなかったので、ディキンスンは出てこない。小説はケイト・ショパンという女性作家がいるのだが、私は読んだことがない。あとは「若草物語」のルイザ・メイ・オルコットで、彼女は犯罪小説の作家として生計を立てていたが、今では「若草物語」しか読まれておらず、エンターテインメント作家なので文学で扱うのはちょっと、というところ。彼女の時代には犯罪小説などで生計を立てる女性作家が次々と現れ、イギリスにもそうした作家がたくさんいたようなのだが、この辺も私には専門外。

というわけで、イギリスとアメリカの女性作家事情の違いをひしひしと感じていたのだが、この映画でもそれは如実に表れていた。
アメリカ東部マサチューセッツ州に住むディキンスンは裕福な家の生まれで、宗教に対する反抗的な姿勢(本人はしごくまじめに考えているのだが、保守的な人々には受け入れられない)で学校をやめてからは家に閉じこもって詩を書いている。父の口添えで新聞に詩を載せてもらえるが、編集長は女には本格的な文学は無理という考え。お情けで載せてやったというような態度。しかし、海の向こうのイギリスではブロンテ姉妹やジョージ・エリオット(本名メアリ・アン・エヴァンス)、エリザベス・ギャスケルといった作家が活躍し、ディキンスンも妹や友人とその話をしている。イギリスでは18世紀末にアン・ラドクリフやジェイン・オースティンが登場し、19世紀に入ってから「フランケンシュタイン」のメアリ・シェリー、ヴィクトリア朝になると、ブロンテ姉妹などの女性作家が活躍するようになる。ブロンテ姉妹は最初、女性とはわからないペンネームで小説を出版したが、その後、女性とわかって本名に戻した。ジョージ・エリオットはずっと男性名のペンネームを使ったが、女性であることを隠してはいない。「フランケンシュタイン」は初版は匿名で出されていたが、その後の改訂版(現在翻訳されている版)では本名を出している(両親も夫も有名人なので、すぐに身元ばれただろう)。
こんな具合に、イギリスでも女性が名前を出しにくい、女性だとばかにされる、といった状況があったのだが、それでもイギリスでは女性作家が活躍していた。しかし、アメリカはその点、まだ遅れていたのか?
この辺、19世紀のアメリカ文学に詳しくないのでわからないのだが、19世紀アメリカ文学の女性像というと男性作家ヘンリー・ジェイムズの描く女性になってしまうのが苦しいところ。

「静かなる情熱」を見ると、当時のアメリカはイギリスよりも保守的だな、と感じる。
マサチューセッツ州のようなアメリカ東部だけの特徴かもしれないが、ピューリタン的な宗教的抑圧が映画には表現されている。
特に牧師が、イギリス文学とアメリカ文学では違うと思うのだが、イギリス文学では牧師はだいたい偽善的な俗物に描かれている。たとえば、オースティン「高慢と偏見」のコリンズとか、ハーディ「ダーバヴィル家のテス」のエンジェルの父や兄とか、エリオット「ミドルマーチ」のヒロインの夫とか。
一方、アメリカ文学では牧師が俗物とか、あまり記憶にない(うさんくさい説教師とかは出てくる)。アメリカの方がキリスト教を大事にしている感じが強い(イギリス人はあまり信心深くない印象)。
というわけで、「静かなる情熱」に描かれる宗教の抑圧を見ただけで、イギリス、というよりイングランドじゃないな、と思うわけである(アイルランドとか、カトリックの国はまた違う)。
そういった、一見、イギリス的なアメリカの東部社会だが、女性が文学をすることについては遅れていて、偏見も強く、そうした中で内向的で外に出ようとしないディキンスンがかたくなに自分を貫きながら詩を書き続ける姿が、映画ではまさに「静かなる情熱」という雰囲気で描かれている。
ディキンスンのかたくなさ、周囲の人々へのきびしさが、年をとるにつれてしだいに強くなっていくのも印象的だ。若い頃の反抗的気質が年とともにかたくなな不寛容になり、最後は妹に叱責されるほどになっていく。
ディキンスンの詩作そのものについてはほとんど描かれず、ただ詩が出てくるだけなのが詩人の伝記としては物足りないところだが、女性作家が活躍していたイギリスとは違う、アメリカ東部の保守的な世界が興味深い。
ディキンスンが亡くなる頃、ヘンリー・ジェイムズは「ボストニアン」でボストンのウーマンリブを描いている。ディキンスンの出て行かなかった外の世界にはもっといろいろな女性がいたのだろう、ということは考えておきたい。

2017年11月26日日曜日

「婚約者の友人」(ネタバレ大有り)

しばらく行っていなかったキネマ旬報シアターでフランソワ・オゾンの新作「婚約者の友人」を見る。
元ネタはエルンスト・ルビッチの映画とその原作の劇とのことだが、オゾンらしく何度もひねりがある。
第一次世界大戦終戦直後のドイツ。戦死したフランツ(原題)の両親と婚約者アンナの前に現れたフランツの友人を名乗るフランス人アドリアン。息子の死でドイツ人を恨んでいたフランツの父は最初、彼を拒絶するが、しだいに3人はアドリアンをフランツの代わりのように思うようになる。父は息子を戦場に送り出した自分にこそ責任があると思い、それが他のドイツ人の心も動かしていく。
と、ここまではヒューマンドラマふう。
が、オゾンならこのまま行くわけないのはわかっているし、どうもこのアドリアン、うさんくさいな、という感じがつきまとう。
そう思っていたら、実は(以下、ネタバレ大有りなので注意してください)





アドリアンは実はフランツの友人ではなかった。それどころか、フランス兵だった彼は塹壕でドイツ兵のフランツと出くわし、彼を射殺していたのだ。罪悪感に苦しむアドリアンはフランツの両親と婚約者に謝罪するためにドイツへ来たのだった。
ところがアンナが彼をフランツの友人と思い込んだため、成り行きで友人のふりをすることになってしまった。
アドリアンはアンナに告白し、両親にも告白したいと言うが、アンナは両親には私から話すと言って、アドリアンをフランスへ帰す。
アドリアンは目がぱっちりした美形で、フランツの方も美形なのだが、2人が友人だったという映像を見ていると、最初はこの2人は実はゲイの恋人たちだったとか、そういう方を予想していたが、違っていた。むしろ、アンナや両親の心の中でフランツとアドリアンが同一視されていくのだろう。ただ、まだ真相が明らかになる前に、アドリアンがホテルの部屋に帰ると、部屋に飾った絵がフランツの顔になり、動く、というシーンがある。この絵画のモチーフは後半、重要な要素になる。
アドリアンは罪の意識に苦しむまじめな青年であることはわかったが、ここに至ってもまだ、私はアドリアンはうさんくさいと思った。成り行きでフランツの友人だという嘘をついてしまった彼だが、真実を告げることでアンナや両親を苦しめるとはまったく思わないのだ。
特に両親はドイツ人への憎しみを改め、戦争で悪いのは若者を戦場に送る人間なのだと悟る。なのに、友人だと思っていたアドリアンがフランツを殺していたと知るなんて、これほど残酷なことはない。アドリアンも苦しいのはわかるが、真相を話すことで重荷を軽くし、その分、他の人に重荷を負わせることになるとはまるで思わないようだ。
アドリアンが嘘を撤回したあと、今度はアンナが嘘をつくことになる。両親に話した、というのは嘘で、彼女は両親とアドリアンの両方に嘘をつき続ける。そのことで罪悪感を感じ、司祭に告白するが、司祭はその方がよいことだから神は許してくれると言う。
苦しさのあまり自殺しようとさえしたアンナだが、やがてアドリアンを許す気になり、彼に恋心を抱くようにもなる。が、その頃からアドリアンの居所がわからなくなり、アンナはフランスへ彼を探しに行く。
ここからが今度は前半の裏返し、前半ではフランス人のアドリアンがドイツで白い目で見られたが、後半ではドイツ人のアンナがフランスで白い目で見られるという立場が逆転する展開になる。
そしてアンナがアドリアンを探し出したとき、もう1つのひねりが待っている。
やっぱりアドリアンはうさんくさいやつなのだ。
アドリアンがフランツの友人であり、フランツのかわりという嘘を受け入れたアンナは、またしてもアドリアンの嘘を知ることになる。
以下、もう1つのネタバレ。





アドリアンには婚約者がいたのだ。
幼馴染で、戦場で傷ついたアドリアンを支えた女性。
母親も息子と彼女が結婚することを望んでいる(と、アドリアンは言う)。
彼女の兄はフランツのフランス語版であるフランソワという名前で、やはり戦死している。
アンナと彼女、フランツとフランソワはお互いに鏡像なのだろう。
アドリアンはフランソワの親友だったというから、アドリアンとフランソワの関係と、彼とフランツの嘘の関係がやはり互いに鏡像になっている。
そして、アドリアンを愛する2人の女性。
別れ際のアドリアンは、まるで、本当はアンナを愛しているが、婚約者と結婚しないわけにはいかないのでアンナと別れるみたいなふるまいである。
アドリアンとフランツが親友だったのが本当であると思いたいかのように。
それはアンナの妄想なのか、それともアドリアンがやはりうさんくさいやつなのか。

戦前、フランスに留学していたフランツはルーブル美術館で見たマネの横たわる少年の絵が好きだったという。パリに来たアンナはルーブルでその絵を見るが、それは自殺して横たわる少年の絵だった。
アドリアンの家に着いた彼女は泊まるように言われ、部屋へ行くと、その絵がある。
アドリアンがドイツのホテルの部屋で、壁の絵がフランツに見えたように、この絵はアンナの妄想なのか。
アドリアンの嘘の中で、彼とフランツが一緒にこの絵を見て気に入ったというようなことがあったかもしれない。アンナの中でフランツとアドリアンが一緒になっているのだろう。
アドリアンの家を去ったあと、アンナは嘘をつき続ける決心をし、フランツの両親に嘘の手紙を書き、自分はアドリアンと一緒にパリで忙しくしていると嘘をつく。
そしてラスト、美術館でマネの絵を見るアンナとアドリアン。
2人とも、この絵が好きだと言うが、アンナが好きな理由は、希望があるから。
謎めいた結末で、これもアンナの妄想ではないかという気がするが、アドリアンもアンナも死にとりつかれているという共通点がある。アンナは自殺をはかったが、アドリアンも戦争による心の傷から自殺をはかったようだ。

アドリアンは戦争の犠牲者として描かれているので、私のようにうさんくさいと思う人は少ないかもしれない。実際、彼自身がうさんくさいというよりは、映画の中の彼の立ち位置がうさんくさいと感じる。この辺がオゾンの巧みなところで、アドリアンの映画の中の役割がうさんくさいのだ。
戦死したフランツが亡霊のように存在しているのではなく、アドリアンが実は亡霊のようにアンナを操っているのではないのか。

1930年代の映画を思わせるモノクロの映像が美しい。ときたま、そこにカラーがまじるのだが、カラーはラストだけの方がよかった気がする。あのマネの絵をカラーにするのが最大の目的だったと思うから。

エドゥアール・マネ「自殺」
画像のあったサイトと解説はこちら。http://musey.net/4253
この解説を見ると、この絵は映画の中の絵よりもずっと小さいようだ。ここにも嘘がある、ていうか、ルーブルにはないんだよね。

来年2月から国立新美術館でビュールレ・コレクションの展覧会が開催されるが、実はこの「自殺」はビュールレ・コレクション所蔵とのこと。新海誠展で手に入れたチラシには出ていないが、この絵が来日するかもしれないとひそかに期待している。
ビュールレ・コレクション公式サイトhttp://www.buehrle2018.jp/

2017年11月25日土曜日

新海誠展

国立新美術館で開催中の新海誠展へ行ってきました。
 右下が入口で渡されるスタンプカード。出口でスタンプを押します。11月は上の絵柄。12月は瀧と奥寺が写真展に入るシーンになっていて、両方ほしい人はリピートすることに。

カタログ。美術展でカタログを買うのはデューラー展以来二度目。なぜいつもは買わないかというと、実際に見た絵とカタログの絵が違いすぎるから。でもデューラーは版画なので印象が変わらなかったから買いましたが、今回もアニメなので同じ理由で。

カタログと一緒に買ったポストカードブックとカレンダー。

左は台湾で開かれる新海誠展。東京も3か月くらいやってほしかった。

朝日新聞の号外。

その裏側に新海監督インタビュー。

春の「君の名は。」展ではユキちゃん先生の黒板が撮影スポットになっていましたが、こちらは糸守の写真展が撮影スポットに。糸守写真展は「君の名は。」展のときは撮影できなかったのでうれしい。





さて、展覧会ですが、ネットにじっくり見ると4時間はかかるとあったので、8時までやっている金曜の3時半くらいに入館。が、全然時間が足りない。
入るとオープニングの映像が流れていて、新海誠の6作品のシーンが「君の名は。」の「夢灯籠」の曲とともに映し出されていきます。
そのあと、「ほしのこえ」の部屋に移るのですが、最初の絵コンテのところに人がたまっていて、全然見えない。どうせ1周したらまた戻ってもう1周すればいいから、と思い、そこはスルーしてその次から見始めました(美術館ではいつもそうやって2周しています)。
文章と映像が多いので、普通の美術展より時間がかかります。美術展では文章を読むのは邪道だ、という考えなので、できるだけ文章は読まずに絵に集中するのですが、今回はアニメ制作の解説とともに絵や映像を見る必要があるので、文章もある程度は読まないといけない。それを絵や映像で確認、と、どうしても時間がかかる。その分、大変勉強になるのですが。
3作目の「秒速5センチメートル」の途中にトイレと休憩室があり、そこでカタログを見たりコメントを書いて貼ったりしていたのも時間がかかった理由かも。
それでも「言の葉の庭」までは時間を気にせず余裕だったのですが、「君の名は。」の入口で時計を見てびっくり。もう3時間半もたっていた。
それでも閉館までまだ1時間あるので、それほどあせってはいなかったのですが、やはり時間がかかる。「君の名は。」展で見たのはあまり熱心に見ないことにして先を進めど、時間はどんどんすぎる。3D映像の作り方とか説明されているので、じっくり見てしまう。
閉館間際になってようやくクロージングの映像にたどり着き、これがまた見応えあるので3回も見てしまう。「スパークル」の曲をバックに、6作品のコラージュ。そこに6作品に共通するテーマが主役を演じた俳優たちのせりふと映像で次々と描かれていく。2つの画面を横につなげた横長の大きな画面で、そこに同時に2つや3つのシーンが映し出されるので、3回見ても全部把握できたかどうか。そして最後にアマチュア時代の短編「彼女と彼女の猫」の言葉「この世界が好きなんだと思う」で幕。
これを3回見て、時計を見たら7時57分でした。
そのあと、上の撮影スポットで写真を撮り、スタンプを押し、もう8時すぎてたけどカタログなどを買い、ようやく終了。長かった。
途中に新海監督の作ったCMの映像や、故郷の小海の写真が飾られているスペースもあり、そこで「彼女と彼女の猫」も流れているのですが、子猫のミミとのシーンがカットされているのが残念。あそこが一番好きなのにな。
新海監督が子供の頃や若い頃に影響を受けた本の展示や、小学生のときに親に買ってもらった初期のパソコンも展示されていました。
というわけで、やっぱり1回では無理だったか、という展覧会でしたが、けっこう体力のいる展覧会なので、もう一度行くのも考えてしまう。リピーター割引というのがあるらしいけど、半券をとられてしまうので、それはいやだな。
というわけで、興味のある方は早めに、体調を整えて、行ってください。金曜日の夕方から夜はねらい目のようです。

2017年11月23日木曜日

「ローガン・ラッキー」(追記あり)&「ジャスティス・リーグ」

近場のシネコンで「ローガン・ラッキー」と「ジャスティス・リーグ」をハシゴ。
どちらも予告編を見て、見たくなった。
「ローガン・ラッキー」はダニエル・クレイグがとにかくよさそうなので、それだけで見たくなり、「ジャスティス・リーグ」はやはりワンダーウーマン(ガル・ガドット)に再会したかった。
つまり、役者が目当てだったので、映画自体はそれほど期待はしていなかった。

「ローガン・ラッキー」は現金強奪作戦というよくあるテーマだけど、ソダーバーグらしい知的なひねりとユーモアが秀逸なので、あちらでは評価が高いのだろう。実際、これはコメディではないかと思うところが多かったのだが、日本人は笑うのがむずかしい。
刑務所で受刑者が反乱を起こしたときに、ジョージ・R・R・マーティンのシリーズものを全巻図書館に入れろ、と主張し、刑務所側がまだ全巻は出てないから、というやりとりをするところとか、ニヤリとしてしまうところがけっこうある。
登場人物が一癖も二癖もあり、それを演じる役者がまた面白いので、現金強奪よりもキャラで見る映画のような感じ。その中でもクレイグは際立っている。化学に詳しくて、変な爆弾を作るあたりも愉快。アダム・ドライヴァーやヒラリー・スワンクは強烈な個性が全開。
現金強奪の過程も誰にでもすぐわかるような描写ではなくて、あれ、どうしてこうなったのだろう、というのをあとから別角度から見せたりとか、結末部分の妙とか、現金強奪そのもの以外が面白いのだ。
最後に、強盗にあったのはあなただけ、という字幕が出るが、結局、映画の中の人物は誰も損をしてないということだろうか。
追記
ネットで、ある映画評論家がこの映画について書いている文章を読んだ。この人は、自分はこの種の映画に詳しいので、この程度のひねりでは満足できない、と書き、私が見ていない映画のタイトルをいくつかあげているので、そうなのかなと思った。が、そのあとに登場人物について触れている箇所で、「こういう人たちがトランプに投票したのだろう」と書いているのを見て、非常にいやな感じがした。
要するに、この人はウエメセでこの映画を批判しているのだが、自分の方が詳しいといばっていて、そのあと、こういう人たちがトランプに投票した、つまり、こういう人物たちはバカだとさらにウエメセしているわけだが、彼らはバカだろうか? いや、むしろ、田舎でくすぶっている優秀でモラルのある人たちなのではないか。一見おバカに見えるが科学に詳しい兄弟たち、足のけがでアメフト選手になれなかった兄とイラク戦争で片腕を失った弟、彼らはセクハラに怒り、差別に怒る人たちだ。一見おバカに見える現金強奪が、実は周到な考えのうちに行われた、セクハラ野郎のいるスーパーへの復讐と、自分と周囲の人が得をすることとを上手に行った完全犯罪だったのだ。
ウエメセ映画評論家のおかげでさらに考えることができたのはよかったが、こういう大事なところが見えない人に限ってウエメセなんだなと思う。トランプに投票しただろうとか、許せない。

「ジャスティス・リーグ」は「バットマンVSスーパーマン」の続きなので、見てないといろいろわかりにくいところもあるが、要するに、前作でスーパーマンが死に、そのために悪がはびこるようになってしまった世界で、バットマン、ワンダーウーマンたちが戦う、という話。
が、スーパーマンを死なせたままにするわけがない、ということは容易に想像できる上、スーパーマン役の名がタイトルで2番目にクレジットされているから、スーパーマンが復活する、と書いてももはやネタバレにはなるまい。
で、スーパーマンを生き返らせるときに、スティーヴン・キングの「ペット・セメタリー」がせりふに出てくるのが笑える。このせりふを言うフラッシュというキャラがコミックリリーフのようで面白いのだが、総じて男性ヒーローはワンダーウーマンに比べて華がない。特にバットマンとスーパーマンは演じるベン・アフレックとヘンリー・カヴィルがカリスマがなくて、ヒーローらしい雰囲気がまるでない。だから全体としてはワンダーウーマンがとにかく目立っていて、時代はもうワンダーウーマンなんだから彼女をメインにしてシリーズを作るべきでは、と思ってしまう。
物語はアクションシーンを並べて、あとはそれを適当につなぎました、という感じで、アクションとヒーローたちの個性以外はあまり見るべきところがない。そのアクションもアマゾネスの戦いが一番かっこよくて、時代はやはりワンダーウーマンだと再認識した。
エンドロールの最後に次回予告みたいなのがあるが、このシリーズに興味がないとどうでもいい感じ。

2017年11月19日日曜日

プラネタリウム

来年2月に閉館する有楽町マリオンの日劇3館のあとにプラネタリウムができると知って、渋谷の東急文化会館にあった五島プラネタリウムをなつかしく思い出した。
通ったのは小学生のときだけれど、大人になってからも1回くらい行ったような気がする。
東急文化会館が取り壊され、プラネタリウムもなくなってしまった。
今は池袋のサンシャインに立派なプラネタリウムがあるようだ。

さて、このところ続いている某市シリーズ。
戸定邸、ラーメンサミット、富田食堂に続いて、今度は市民会館のプラネタリウムに行ってきた。
常磐線の電車の窓から見えるので前から行きたかったが、土日祝日しかやってなくて、その日になると忘れてる状態。
が、先日富田食堂へ行ったら、市民会館すぐそばだったので、今度は憶えていた。
常磐線からよく見えるプラネタリウムの丸いドームだけれど、市民会館の正面からはドームが見えない。これは反対側の住宅地から見たドーム。

入場料は50円と激安。2回見るとカレンダーなどがもらえる。
定員80名だが、10人くらいしかお客さんがいない。しかも子供と高齢者ばかり。中学生以下と65歳以上は無料なんだが、ひょっとして、お金払ったの私だけ?

ここは地元出身の宇宙飛行士・山崎直子さんにちなんで、ナオコ・スペース・プラネタリウムという愛称がついている。正式名は市民会館プラネタリウム室。
下が山崎さんの写真とコメントがついたパンフレット、その下がチケットの裏。スタンプがきれいに押されている。そして右が帰りにもらえる星座早見盤。青い紙と、その下の白い紙を自分で切って折り曲げて作る。これだけで材料費50円くらいしないか? 全然赤字じゃん。でもがんばって続けてください。

プラネタリウムはさすがに五島プラネタリウムに比べたら全然しょぼいけれど、こじんまりとして楽しめる。今夜見られる星々の話、星座の話、そして来月のふたご座流星群の話があった。流星は彗星と関連していること、巨大な隕石の落ちる映像や昔隕石が落ちたあとのクレーターの写真なども上映された。「君の名は。」を思い出しながら見るとまた感慨深い。

帰りに戸定邸にちょっと立ち寄ると、紅葉の季節になっていた。
デジカメ壊れて携帯写真なので写りはあまりよくないけれど、中央奥の木は柿の木で、実がたくさんなっていた。

来年は隣の区に4Kのプラネタリウムができるらしい。入場料も500円くらいとられそう。
有楽町マリオンのプラネタリウムはどのくらいの規模なのだろうか。

2017年11月17日金曜日

「ラーメンヘッズ」試写&富田食堂

前の記事で紹介した映画「ラーメンヘッズ」の試写に行ってきました。
チラシとプレスシート。


4年連続首都圏のラーメンの大賞に輝いた「とみ田」の富田治氏に密着取材しながら、他のラーメン店も紹介、またラーメンの歴史も簡単に紹介されています。
全体としては、なんか、「プロジェクトX」みたいで、あまり新しさは感じませんが、松戸の景色がけっこう見覚えがあって親しみはわきます。
でも、常磐線とスカイツリーが映ってるシーン、明らかにスカイツリーが大きすぎるから合成じゃないのかなあ。
これは先日、戸定邸へ行った帰り、常磐線の線路の上を通る陸橋のそばから写したスカイツリー。ズームしてます。

映画には松戸神社も登場。同じく戸定邸の帰りで、薄暗いのでぼけてしまった。

映画を見た後、「とみ田」の店だけでも見てみるか、と松戸駅の近くをうろうろしたのですが、見つからず。あとから実は9月から改装のため休業中と判明。
かわりに見つけたのが「とみ田」直営の「富田食堂」。
食券を買ってから食べられるまで4時間という「とみ田」と違い、こちらは並ばなくても入れます。深夜まで営業。「とみ田」は富田氏が直接作っているけど、こちらはレシピに従って弟子の人たちが作っている模様。写真は前に車が停まっていて撮れなかったので、食べログから借りてきました。
店内には「ラーメンヘッズ」のポスターが貼ってあります。

ここはつけ麺よりも普通のラーメンが売りみたいですが、やはりつけ麺を。映画の中のチャーシューがものすごくうまそうだったので、チャーシューつけ麺、1150円にしてみました。基本のつけ麺は850円。

チャーシューすげえ。下の麺がものすごく食べごたえがあって、4時間たった今もげっぷが。明日の体重が心配だ。チャーシューはうーん、期待したほどでは。

つけ汁。映画で何を順番に入れるか見ていたので、興味深かった。

味は、うーん、私は家でカップラーメンしか食べない人なので、ラーメンのお味はよくわからないです。そこそこおいしかったけれど、ものすごくおいしい、という感じでもなかった。
器は「とみ田」のものとは違っています(チラシ参照)。麺が入ってる方は、全部食べると底に「松戸」の文字が。
次は普通のラーメン食べてみるかな。
「ラーメンヘッズ」見たあと、「とみ田」は無理でも「富田食堂」でつけ麺食べるのはそれなりにぜいたくな気がします。柏のキネ旬シアターで上映すべきだと思う。

2017年11月14日火曜日

「ラーメンヘッズ」

買い物をして帰ってきたら、「ラーメンヘッズ」というドキュメンタリー映画の試写状が届いていました。下はネットで見つけたポスター。

このつけ麺を差し出しているおじさんが日本一のラーメン屋「中華蕎麦 とみ田」の主人・富田治氏なのだそうです。
えええ、「とみ田」って、この前のラーメンサミットに出てたあの店。

地元の人気ラーメン店で、店に行っても食べられない、だからこのラーメンサミットに来た、と書いているブログもあったくらいの人気らしいのですが、日本一だったのか、知らなかった。
なにせ、私はラーメンといえばカップラーメンしかほとんど食べたことがない。外でラーメンとか、ほとんど経験なし。
映画ではこの「とみ田」を密着取材しているようですが、この「とみ田」の十周年記念イベントのために作ったという、「とみ田」と「飯田商店」と「蔦」の合作ラーメンも、実はラーメンサミットに出ていたのです。これだわ。「とみ田」と「飯田商店」ののぼりがありますが、右端の赤い丸が「蔦」のロゴの一部。

なんてことだ、バッファローチキンなんか食べてる場合じゃなかったんだわ。
まあ、来年もやると思いますけど。

映画「ラーメンヘッズ」は試写の回数が少ないので行けるかどうかわかりませんが、公開は来年1月27日とのことです。

追記
ラーメンサミットは「とみ田」の富田治氏の主催するイベントとのことです。
映画は世界の映画祭で上映されていて、近くの公園のイベントと世界の映画祭がつながってるのかと思うとちょっとびっくり。

来年の準備

まるちゃんカレンダーと、ダイソーの白いカレンダーと、キャンドゥの手帳を買って、来年の準備完了。
まるちゃんカレンダーは今回で3年目。
2016年のカレンダーは前年に近くのスーパーに入荷したときから買おうかどうか迷っていましたが、年内には1つも売れず。年が明けて2割引きになり、それでも迷っていたら、4つあったのが残り1つになったのでついに購入。もともとこのスーパーでは定価より安い値段で売っているのにさらに安くなるという幸運。
2017年のカレンダーは2016年の秋から同じスーパーに置いてありましたが、また年が明けて割引になるかなあ、と思っていたら、今度は12月に入ったらどんどん売れ、最後の1つをゲット。
そしてこの2018年のカレンダー。9月末にはもう店頭に出ていました。毎年4つ入荷するのだけど、今度はすぐに1つ売れ、今年は早いな、と思って時々見に行っていましたが、その後は動かず。が、11月に入ってあっという間に残り1つになり、あわててゲット。
うーむ、来年は入荷したらすぐに買った方がよさそう。なんといっても定価の1割引き以上なのだ。

ダイソーの白いカレンダーはB5サイズで、予定を書き込めるもの。壁にたてかけてあり、書き込むのはほとんど映画鑑賞の予定。今年初めて使って気に入ったので、来年も同じものを。
手帳も見開きで1か月のカレンダーになっていて、そこに予定が書きこめるものを毎年買っていますが、今年のものはダイソー。でも、来年のはキャンドゥにあった表紙が星空で、下にスカイツリーや世界の名所が描かれているものにしましたが、今よく見たらビニールが汚れている。むむむ。
今年のダイソーのものの方が使いやすそうなのですが、同じタイプのものが見つからない。

年賀状は喪中なので出しません。が、喪中といっても絶縁状態の人だったので、喪中はがきを出す気になれず、年が明けてから寒中見舞いを出すことにしています。相続放棄も無事受理され、依頼した法律事務所にも費用を振り込んで、ようやく片が付きました。

2017年11月12日日曜日

船堀映画祭で「ルドルフとイッパイアッテナ」と「君の名は。」

江戸川区の船堀で土日に行われた船堀映画祭。日曜の「ルドルフとイッパイアッテナ」と「君の名は。」に行ってきた。
手作りの映画祭という感じで、上映作品も昨年の話題のアニメから昔の大衆娯楽映画、ドキュメンタリー、無声映画、自主映画と、意欲的なラインナップ。特に昔の「君の名は」総集編とアニメの「君の名は。」はそれぞれ2回とも前売り完売の盛況。
ロビーでもいろいろな展示を行っていた。



無造作に置いてあるけど、よく盗まれないな、いい人ばかりなんだなあ、と感心。売店の横とはいえ。

上映作品の一部。



「ルドルフとイッパイアッテナ」聖地巡礼の展示。岐阜市のパンフレットも置いてあった。






映画が終わったあと、展望台へ。前売券を買いに行ったときは昼間で曇りだったけれど、今回は夜景。が、うまく写真が撮れなかった。わりとマシな2枚。東京タワーはぼけるし、目の前のスカイツリーはなぜか灯りがほとんど消えていて、とてもアップできない。

これは葛西臨海公園の観覧車。

さて、1年以上ぶり10回目の「ルドルフとイッパイアッテナ」、先日上野で2回見たばかりの30回目の「君の名は。」。どっちもすぐそばの親子連れがかなり迷惑だった。
映画館でこれほど迷惑な客って、そうそう出会うものじゃないのに、2回ともそういう客がすぐ隣とかすぐ後ろとか、よっぽど運がないのか、客層が悪いのか。
「ルドルフ~」の方は客のおしゃべりもあちこちから聞こえていて、自宅でテレビを見るのと同じ人たち、映画館にめったに行かない人たちなのだろうと思った。
映画泥棒も予告編もなくいきなり本編が始まるのは映画祭ならではだけど、客層が高齢者多数、あとはアニメのせいか小さい子供を連れたファミリーが多かった。「君の名は。」大多数の客は静かに集中して見ていたけど、すぐ後ろはほんとにひどかったなあ。
でもまあ、近所の家から普段着で歩いてきたみたいな客ばかりで、それがこの映画祭のクオリティならしょうがないか、と思った。
昔の「君の名は」や「若大将」、「ひばり・チエミ」なんかは高齢者中心で、静かに見られたのかもしれない。「君の名は」総集編はあとになって見たいと思い始めたけど、その頃には前売完売していた。
お客さん以外でちょっと、と思ったのは、「ルドルフとイッパイアッテナ」の原作者・斉藤洋氏が最初にトークを行ったのだけど、何も考えずにやってきて思いついたことを話しているのが明らかで、ちょっとがっかりだった。前に一応演壇ができていたのに、客席の前や通路をうろうろしながら話すという、大学の講義みたいなやり方で、亜細亜大教授の授業そのまんまなのかなあと思った。でも、映画が終わったあとまで残ってサイン会をしていたので、ファンを大切にする人なのだろう。もうちょっと実のあるトークを期待していたんだけどね。
そして、一番困ったのが、「ルドルフとイッパイアッテナ」の応援団ができていて、その人たちが最前列に座って、上映中に拍手したり大声で叫んだりするのだ。これって、そういう上映会だったの?
まあ、この人たちのおかげで上映されたわけだし、そうでなければもう二度と映画館では見られないと思っていたのだから、このくらいはしかたないんだろうけど。
というわけで、2本とも、これまで見たときのような気分で見れなかったが、早い時点でここはそういう映画祭なんだと悟ってあきらめがついたからイライラせずにすんだ。「君の名は。」はまたどこかで見られるだろうし、「ルドルフ~」はこの応援団がまた来年もここで上映するのかもしれない。
でも、普通のお客さんのために、これは応援上映です、とか告知してほしいと思う。

さて、「君の名は。」30回目にして初めて気づいたこと。
瀧が三葉に電話するシーンは信濃町歩道橋だが、電話がつながらずに切るシーンは六本木ヒルズの歩道橋だった。その前に奥寺と別れるシーンはヒルズ歩道橋なので、なんでそこだけ信濃町歩道橋になるのか不明。信濃町歩道橋はそのあと、三葉がそこで瀧に電話しようとしてつながらず、さらにラスト近くで瀧と奥寺のシーンとして出てくる。だから瀧のシーンでまず信濃町歩道橋が出てこないといけないわけだけど、電話を切るシーンでヒルズ歩道橋になってしまったのはミスだろうか。あるいは意図的にそうしたのか?
「君の名は。」にはこういう辻褄の合わないシーンがいくつかあって、ミスの場合と、意図的にそうした場合の両方がある。

追記
斉藤洋氏のトークで興味深かったのは、父親の話。
イッパイアッテナとルドルフの関係が父と息子のようであり、イッパイアッテナは理想の父親、というのは最初に見たときから気づいていたが、斉藤氏の父親は道楽者で非常に困った人だったという。斉藤氏は23歳のときに父親から勘当されて家を出たのだが、あんな道楽者に勘当されるなんて自分はまじめだったのだ、と言っていた。そんなことから理想の父親像をイッパイアッテナに託したようだ。
一方、「君の名は。」の新海誠監督も若い頃に、家業の建設会社を継がずにアニメ作家になるというので父親に勘当されたというような話をどこかで読んだ記憶がある。新海監督の父親は昔ふうのガンコ親父だそうで、三葉の父やテッシーの父のモデルだろう。
タイプは違うだろうが、どちらも息子から見たら困った父親。斉藤氏は30代で父親とは逆の理想の父親像を描き、新海監督は40代で父親をモデルにした父とその娘の話を作ったわけだな、と思うと、いろいろ興味深い。斉藤氏が父と息子なのに対し、新海監督は父と娘にしたことも。

2017年11月9日木曜日

戸定邸菊花祭

最後の将軍、徳川慶喜の弟、昭武が明治時代に住んだ戸定邸というところへ行ってみたら、菊花祭をやっていました。
緑深い山の上に戸定邸と歴史館、そして公園があります。
戸定邸はシンプルな日本家屋。建物を公開しているだけで、展示品はほとんどありません。

室内の菊は賞を受賞したもののよう。


上の3枚はフラッシュで撮りましたが、どうしても色が冷たくなる。下はフラッシュを使わない写真。こちらは赤っぽくなり、どうしてもぼける。以下、フラッシュを使ったり使わなかったり。




建物の外にも菊がずらり。



戸定邸の前にこちらの歴史館に入りました。1867年のパリの万国博の特集。昭武は13歳のとき、将軍名代として万博に参加、その後ヨーロッパ各地を歴訪してヴィクトリア女王などに会ったようです。が、その間に大政奉還、明治維新と、時代が変わってしまったのでした。
日本はこのパリ万国博でグランプリを受賞したそうです。
館内は狭くて、すぐにまわれてしまいます。ほかに客がいなくて貸切状態だった。

戸定邸の外は公園になっています。ここにも菊がいっぱい。






公園の隣は千葉大学園芸学部。うっそうと木々が茂る山の上にあり、背の高い木々が多数。ゴッホを思い出させる糸杉も。

戸定邸歴史館の8か国語のパンフレット。共通券は戸定邸と歴史館のセットで240円。

11月に入って、我が家はクリスマス仕様。一昨年買ったクリスマスツリーをもう飾ったけれど、部屋が汚いので写真が撮れない。かわりにキッチンの一角に置いたオーナメントを。
右奥は一昨年100均で買った小さなツリー。その左は猫のカップと一昨年のふちねこ。猫のカップはかなり前に買ったもの。
右手前は最近100均で買った猫のペンスタンド。真ん中は先日ニトリで買ったクリスマスの長靴猫。左は先月までベローチェでやっていたふたねこ。結局、この2個もらっただけだった。