2018年12月30日日曜日

あわただしい年末

「ボヘミアン・ラプソディ」のリピーターなんかしているのでやるべきことがあとまわしになり、年末になってあわてふためいている。
特にあせったのが、年賀状の画像をやっと作り、さああとは印刷、と思って引き出しを開けてみたら、印刷用の光沢紙のハガキが2枚しか残っていなかった。
近所に大きなスーパーが2、3軒あるから売っているだろう、と思ったら、ない。
徒歩15分くらいのところのホームセンターに行ったらかろうじてコクヨのがあったので買ったけど、やっぱフジフィルムのがよかったなあ。印刷してみたらフジフィルムのハガキとまったく同じに印刷できたけど、表面がコクヨは真っ白で郵便はがきの文字も郵便番号の枠もない。
でもまあ、とりあえず、年内に投函できた。

そういえば2週間ほど前に日暮里駅で撮ったクリスマスツリーの写真をアップしていなかった。

毎年恒例の人形のクリスマスツリー。

下の箱の中に人形が並んでいる。

なぜかつつじが咲いていた。

こちらは最近の写真。谷中の某寺。

門松が立っていた。

というわけであわただしい年末。今日はそのホームセンターで光沢紙はがきを買い、すぐに印刷して駅前のポストに投函。そのあと買い物に西友に寄ったら、例によってあの最悪なセルフレジに捕まってしまう。
セルフレジは酒類と手動で割引になるものは係員が来るのを待たないといけないので、こういうものを買うときはセルフレジは利用しない、夜遅くなると人のレジは全部閉めてしまうので、ここではそういうものは買わない、と決めていたが、今日は割引のバーコードがついている惣菜1つだけ買おうと思ったので、セルフレジでいいかと並んだ。順番を待っていたらレジが1つ空いたので、行ってみたら、前の人がおつり取り忘れ。係員を呼んでそのことを言う。そのあと、買おうとした商品のバーコードを読み取りをしたら、「重さが違います」とかで係員が来るのを待つはめに。
なんか、別の食品の割引のシールが貼られていると言われ、係員がシールをはずして定価で売ろうとしたので、断って帰った。
そのシールは店員が私の目の前で貼っていたのだが、明らかに全然別の売り場にあるもののシールを貼ってるので、なんかトラップじゃないかと思ってしまう。
それに、おつりの取り忘れって、次の客がネコババするかもしれないし、私みたいに係員を呼んでも取り忘れた客が見つからないと店がネコババ? この辺高齢者多いから、つり銭取り忘れの被害がけっこうあるんじゃないかと思った。
そんなわけで、人の手を借りずにすむはずのセルフレジで2回も係員が来るはめになったので、もう二度と西友で買い物したくない、と思ってしまった。
まあ、ここじゃないと買えないものがあるので、二度とってわけにはいかないけど、そういえば、ここから5分かそこらのところに業務スーパーがあったな、うちからだと徒歩15分だし、夜8時閉店なのであまり利用してないが、安いし、ほかで売ってないものがある。できれば週に1度は行きたい店。しかもその手前にあるビッグエーがまた安いんだわ。
で、行ってみました。
うわ、安い、と思っていろいろ買いこんでしまった。ビッグエーでは買い物はしなかったけれど、のぞいてみたらやっぱり安い。この辺に住んでいる人、いいなあ。
もちろんセルフレジなんてものはないし、夕方の買い物どきでもそんなにレジに並んでいない。西友はやっぱり客が多いんだな、だからセルフレジもしかたないのかな、と思いました。

毎年買っているまるちゃんカレンダー、今年は値上がりしていたので、シャンシャンのカレンダーあるし、ダイソーで買ったディズニーカレンダーもあるし、やめようかな、それとも年明けにロフトで割引になっていたら買おうかな、と思っていたが、結局買ってしまった。
クリスマス仕様の今年のカレンダーはおろし、来年のカレンダーをかけ、ディズニーの108円のカレンダーも別室にかけて、準備万端(シャンシャンのは今月から使えるので、新海誠カレンダーがあったところにかけてある)。

さて、大晦日と元旦は映画館へ行く予定。
どちらも特別興行。

2018年12月28日金曜日

厄日

今日は厄日だったというか、昨日の昼間、突然思い立ってまた「ボヘミアン・ラプソディ」IMAXが見たくなり、11月に行った日比谷のIMAXの今日の分を予約。
前回の109木場がすごくよかったので、よい印象のままでいたいからしばらく見に行かないつもりだったのに、今日からまた上映館が増え、IMAXも増えるので、つい予約してしまった。
が、今日は完全に厄日。
行きの電車で席がいくつもあいているのに、座ろうとしたら突然男がぶつかってきて、私を跳ね飛ばし、そこに座る。どうもそこに座りたかったらしいのだが、ほかに席が空いているのに人を突き飛ばしてまで座る男はヤバイやつに違いないので、すぐに車両を移る。が、こういうことがあると気分が不安定になるので、こんな気分で「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行くなんて、とすでに行きの電車で落ち込む。
有楽町に着いて、映画の前に夕食と思い、駅前の吉野家に入る。が、注文したものと違うものが来たので、そのことを言うが、店員は理解できないのか無視して行ってしまう。その後、何度も声をかけ、何度も説明して、やっと注文したものが出てくる。有楽町のようなところでこんな対応って、想定外。店員は不慣れな外国人のようだったが、牛丼屋の外国人店員を怒鳴る客とか、店がそもそもきちんと店員に指導してないからトラブルのでは?と思ってしまう(まあ、因縁つける客ってのも見たことありますが)。私も無視され続けたので声がだんだん大きくなっていたけど、外国人店員を怒鳴る客とみなされてしまうのか? なんか当分吉野家行きたくなくなってきたなあと思いつつ、有楽町から日比谷に向かおうとしたら、もう1軒狭い吉野家があった。こっちはすいていたからこっちの方がよかったのかな。
そして、帰りの電車は始発駅で乗って出発を待っていたら、ずっと先の方で異音の確認をやってるから運転見合わせ。なんかこの路線、異音の確認が多い。たいていは何も異常がないのだが、20分くらい確認に時間がかかる。今回もなにごともなく15分遅れくらいで出発した。
まあ、とりあえず無事に帰ってきたし、わりとキレやすい自分にしてはキレなかったのでよしとしよう。
映画の方も両隣が、迷惑というほどではないけど落ち着かなくて、衝動的に予約してしまったことを心底後悔した。先週の木場はよかったなあとつくづく思う。IMAXも満足だったし、お客さんがすごくいい雰囲気だった。
日比谷のIMAXはやはり重低音がいい。木場よりいいと思う。この重低音は音が大きければいいというものではなく、重低音の広がりみたいなのが日比谷はとてもいい。ただ、スクリーンが小さいので、映像はやはり木場の方が上。
木場は年末年始にIMAXで応援上映するけれど、英語の歌詞が出ないらしいので、ちょっとね、という感じ。あとはチネチッタで年越し応援上映があるけれど、これだとほぼ徹夜になってしまう。

というところで、ミッドタウン日比谷の写真。クリスマス仕様のイルミネーションは片づけられていたが、階段のところのグリンチのイルミネーションはまだ残っていた。

2018年12月22日土曜日

「ボヘミアン・ラプソディ」IMAX@109木場

カードもらうために行ってきましたよ、初の109シネマズ木場。

クリスマスカードだというからメリークリスマスとか書いてあるのかと思いましたが、違いました。
裏にはフレディがエイズの告白をメンバーにするシーンで彼が言ったせりふが。

最初に配ったポストカード3枚セットはポスターなどに使われている絵柄で、特にほしくはなかったので行きませんでしたが、今回のはもらってよかった。宝にします。

木場は一時期プールに通っていたことがあり、109シネマズのあるヨーカ堂の前も通ったことがありますが、もう10年くらい前のことなのでひさびさの木場。地下鉄から地上に上がるまでいくつもエスカレーターに乗らないといけないのが大変。

109シネマズ木場はIMAXは「ボヘミアン・ラプソディ」は今は1日1回だけ。行く前にネットで入りをチェックしたらまだ席はありましたが、着いてみると満席。久々の満席での鑑賞です。
11月に行った日比谷のIMAXに比べ、スクリーンが大きい。ああ、これがIMAXなんだ、という実感がわいてきました。
音響も映像もクリアーで大満足。
昨日見たばかりなのに、なんだかものすごく新鮮に感じました。
昨日が条件の悪いスクリーンだったのでよけいIMAXがありがたかったのかもしれない。
昨日見たばかりとは思えないくらい、1つ1つのシーンが新鮮で、もう14回目とは思えないくらいな感覚でした。
猫のモフモフ感とかグルグルとか、猫好きにはたまらんIMAX。
マイク・マイヤーズの携帯電話の音もはっきり聞こえます。
細かいところまで本当にくっきり見えるし、音はいいし、これまでで一番満足したかもしれない。
こうなるともう次は普通の映画館行けなくなってしまいそうで怖い。
それにしても、始まったばかりに比べ、若い人が本当に増えていました。隣のカップルの男性は高校時代にライヴエイドを中継で見たと言っていた。終わったあと、まわりの人たちが満足そうにいろいろ話しているのもいい余韻です。

外に出ると、来たときはただの広場にしか見えなかったところが美しいイルミネーションに。深川ギャザリアです。

ヨーカ堂は普通のスーパーで、その3階に映画館が。クリスマスツリーもあります。






すべて携帯写真なので、あまりくっきりではありませんが、行ってよかった木場。
昨日、亀有での鑑賞にがっかりして帰り、ネットで109木場を見つけて衝動的に予約してしまいましたが、正解でした。

「アリー/スター誕生」&「ボヘミアン・ラプソディ」13回目

金曜はいつものMOVIX亀有へ「アリー/スター誕生」を見に行く。
亀有は金曜の初日だけ「アリー」は一番大きいシアター10で、土曜日からは中規模のシアター8になってしまうので、やはりスクリーンが大きくて音響のいいシアター10で見たかった。
で、「アリー」を見たあと、「ボヘミアン」を見ないで帰るときっと心残りになるだろうなと思い、「アリー」終了から1時間後に始まる「ボヘミアン」応援上映を予約。水曜にここで応援上映を見たら、拍手が起こったりしてそこそこ応援上映らしかったので、またそれを期待。
が、うーん、「アリー」はビミョーな出来栄えだし、応援上映は全然応援じゃなかった。がっくし。

「アリー/スター誕生」は1930年代、50年代、70年代に続く4度目の「スター誕生」で、私はジュディ・ガーランド版しか見てない。実は30年代のDVDが自宅にあるのだけどまだ見ていない。そのうち見ます。
映画界から音楽界に変更した70年代のバーブラ・ストライサンド版を踏襲とのことだけど、ガーランド版も入っている感じ。最初にアリーが歌うシーンがガーランドの娘のライザ・ミネリの「キャバレー」ふうだったり、鼻が大きいのはバーブラと同じ。
ストーリーは大筋は同じだけれど、人気歌手のジャクソンがアリーと出会ったときはすでに酒とドラッグに依存していて、聴覚を失いつつあるという設定。
レディ・ガガとブラッドリー・クーパーの歌はとても魅力的で、歌のシーンは楽しめる。が、なんというか、歌のシーンの間のドラマが薄いというか、ガーランド版の方がドラマ部分がしっかりしていたような気がするのだが。妻の迷惑になっていると思い、命を絶つ男はジェームズ・メイソンの方がやはり演技的によかったように思う。
ジャクソンはアリーの才能を発見してスターにし、ソロになった彼女にも適切な助言をして助けるが、アリーがグラミー賞候補になったあたりから崩れていく。その辺がイマイチ描写が物足りないというか、聴力を失いつつあるという設定もあまり生かされていない。
ただ、クライマックスから結末までのあたりはとてもよくできていて、特にジャクソンが命を絶つシーンは犬を使った暗示的なシーンになっていて、感心した。ラストはガーランド版を踏襲。
歌はいいけれどドラマが物足りないというのは、この物語の限界でもあるだろう。30年代、50年代、70年代と20年ごとに映画化されてきて、その後40年映画化がなかったのは、この物語が時代遅れになっていたからで、今回の「アリー」も古さはぬぐえない。年上の男性が女性の才能を見出し、恋にも落ちるという男性主導型の設定、自死を美化したと言われてもしかたのないクライマックス(さすがに「アリー」では美化しない描写になっている)、「私はノーマン・メイン夫人です」も「私はアリー・メインです」も、夫に所属する妻という感じがしてしまう。
「アリー」はそのあたりを無理に新しくしようとはしていない。無理に新しくすると「メアリーの総て」みたいなひどい映画になるのだが、古風だけどいやみのない物語に仕上げている。アカデミー賞最有力とか、アメリカでは「ボヘミアン・ラプソディ」よりもかなり評判がいいのだが、私から見ると、「ボヘミアン・ラプソディ」がご都合主義の物語なら「アリー」だってそうではないかと言いたくなる。でも、アメリカでは適度に古風な「アリー」が受けたのだろう。世界的には「ボヘミアン」の方が圧倒的に人気であるらしい。

というわけで、期待ほどではなかった「アリー」。やっぱりこのまま帰ったら欲求不満だわ、「ボヘミアン」応援上映予約しておいてよかった、と思ったのだけど、こっちはこっちで全然応援上映ではなく、欲求不満になってしまった。
亀有では応援上映は土曜から木曜は上映がないので、金曜にとりあえず行っておきたかったというのもあった。
金曜から「アリー」や「シュガーラッシュ」が始まって、「ボヘミアン」の大きなバナーがあったところは「シュガーラッシュ」のバナーに置き換わっていて、亀有もいよいよ「ボヘミアン」押しじゃなくなったのね、と思ったら、入ってすぐのシアター10の前に「ボヘミアン」の大きなバナーが。
うーん、まだ「ボヘミアン」押しなのかな、このシネコン。
「ボヘミアン」応援上映は定員170人ほどのシアター5で、今まで見た「ボヘミアン」の中で一番狭い。今回は応援上映に来るお客さんの様子も見たいと思い、いつもは前の方の席を買うのに、今回は後ろから3列目で全体が見渡せる席にした。
シアター5はそれまでに見たシアター10と9に比べると音響が劣る感じがしたが、重低音はかなりよく響いていた(後方で天井が近いから? 関係ないか?)。が、クライマックスのライヴシーンで、日本橋のアトモスで気になった雑音が、ここでも気になった。日本橋のアトモスも真ん中よりやや後方だったのだが、場所によるのだろうか。音響的には重低音以外はいろいろ不満が残った。
でもって、お客さん、全然応援しない。
今回は遅れてくる人は皆無、トイレに立つ人も非常に少なく、みんなまじめに見ているだけで、拍手も最後に1人だけした人がいただけ。うーん、水曜はレディースデーだったので客も多かったし、その分、応援したい人が多かったのかな。金曜は通常上映と同じでした。

土曜日は来場者プレゼントでクリスマスカードが配られるそうなので、通常上映と同じなら土曜に行ってカードもらいたかったなあ、とまたしても欲求不満が。
「ボヘミアン」はポストカードとかステッカーとか時々特典を配っているのだけれど、13回も見に行ってまだ一度も特典をもらっていない。
でも、特典は数量限定なので、遅く行くとなくなるかもしれないので、欲しい人は午前中に行く。私は午前中は苦手。「聲の形」なんて特典配る日に行ったのに、夜の回だったからもらえなかったもんなあ。
というわけで、午後から1回目の上映が始まる映画館を調べて、もう予約してしまいました。
特典ほしい人が多いのか、かなり席埋まっていました。
亀有も午前の回は予約多いようです。
「ボヘミアン」は「君の名は。」や「空海」ほどは感動していないんだけれど、なぜか癖になるのです。

2018年12月19日水曜日

「ボヘミアン・ラプソディ」応援上映@亀有&80年代日本映画ベストテン

MOVIX亀有は「ボヘミアン・ラプソディ」押しで、応援上映も熱心にやっているのだけど、あそこで応援上映では通常上映と変わらないのでは?と思いつつ、下町の応援上映がどんなものか一度のぞいてみたいと思っていた。
これまでは通常上映が一番大きいシアター10で、同時に小さいハコで応援上映を夜に1回か2回やっていたので(1日2回も応援上映があるというのもすごい)、大きいハコでやってるのに小さいハコで見るのもなあ、と思っていた。
が、今週は月曜から木曜は2番目に大きいシアター9で通常上映と応援上映があり、一番人が入る6時半頃の回が応援上映。レディースデーだし、ちょっと行ってみるか、と思って出かけた。
入ったときはあまり応援上映の雰囲気はなく、これは通常上映と変わらないかな、と思う。
が、遅れてくる人がけっこういる。途中でトイレに行く人が多い。トイレが多いのはチネチッタの応援上映もそうだった。
ん?と思っていると、後半、歌のあとに拍手が起こる。
あれ?と思っていると、上映終了後にけっこう大きい拍手。
ああ、やっぱりリピーターが多いんだ。だから多少遅れても平気、トイレに行っても平気。
でも、チネチッタほどには応援してないので、声を出して歌うとかはできなかった。
お客さんは若者の割合が増えている感じ。
金曜からは「ボヘミアン・ラプソディ」は小さいハコになってしまうのだけれど、金曜までは応援上映がある。土曜からは予定がない。
亀有が「ボヘミアン」押しだったのはそれなりに需要があったからなのだな、と思う。
シアター9は10よりスクリーンが小さいけれど、音響はよい感じで、むしろ10よりサラウンド感はあった。ただ、クライマックスで音楽を大きくしているので、マイク・マイヤーズの携帯電話の音が聞こえない。

さて、20日発売のキネマ旬報、1980年代日本映画ベストテン特集号が届いた。
1位は「家族ゲーム」。これは予想外。
「Wの悲劇」が9位に入っていたのはうれしい。もう忘れられているかと思った。
外国映画はリアルタイムと今回で乖離が激しかったが、日本映画は当時と今であまり変わっていない感じ。

2018年12月17日月曜日

「マイ・ジェネレーション」&「クリード 炎の宿敵」

夜、買い物に出かけたら、通り道にある自動販売機の電光掲示板に、アイスホッケー全日本選手権で王子イーグルスが日光アイスバックスを破って優勝のニュースが出ていた。
調べたら、この週末に東伏見で全日本選手権が行われていたことがわかった。
東伏見なら行けたのに、残念。
日本製紙クレインズは準決勝で敗れ、3位になった模様。
そういえば、最近、このブログのダーシ写真集へのアクセスがちょっとあるので、なんだろうと思っていたが、ダーシはとっくに引退してるし。
そして、全日本選手権のゲームシートを見たら、クレインズのゴーリーに石川選手がいない。去年引退してしまったようなのだ。
なんだかすっかり浦島太郎。
そのうち石川選手写真集でもアップしようかな。

さて、金曜日は久々に試写のハシゴ。
まず、マイケル・ケインが案内役になって1960年代のロンドンを紹介する「マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!」。
ビートルズはじめ若者の文化が盛んになり、若者が未来を切り開くようになった1960年代を活写していく。若い頃のケインの姿もたくさん見られてうれしい。
そして、「ボヘミアン・ラプソディ」のはじめの方に登場したブティック、ビバが出てきたのでびっくり。60年代に登場した有名なブティックだったらしい(知らなかった)。「彼女、ビバで働いているのよ」というのはステイタスだったのか?「ボヘミアン・ラプソディ」は1970年から始まるので、まさに60年代のすぐあと。
マイケル・ケイン主演の「探偵スルース」を見たのはまだ10代のときだったが、この映画というか、この映画についてのケインのインタビューで初めてイギリスの階級について知った。当時はまだイギリス文学を専攻するとはまったく思っていなかったが、このときにケインの言葉で知ったイギリスの階級社会のことがのちのちイギリス文学をやるときに大いに役立ったと思う。60年代はケインのようなコックニーを話す貧しい階層の出身者が文化の担い手となっていったのだ。
60年代になるまではイギリス映画に登場するのは上流中産階級ばかりで、ケインのような労働者階級の人々の活躍する映画はなかったという。私が専攻したイギリス小説でも、19世紀までは作家はほとんど上流中産階級出身で、労働者階級出身はかろうじてジョージ・ギッシングがいたが、やがて20世紀になり、炭鉱労働者の息子D・H・ロレンスが文壇に登場する。イギリス文学の古典を勉強していると上流中産階級のことしかわからない、ということは私がいつも肝に銘じていることである。

ハシゴしたもう1本「クリード 炎の宿敵」は「ロッキー4 炎の友情」のアポロとドラゴの息子同士が対戦する話。実は「ロッキー」シリーズは途中までしか見てなくて、「クリード」は前作を見てないのだが、アポロとドラゴの話は知っていたので問題なく楽しめた。
ロッキーに育てられたアポロの息子クリードは力の衰えたチャンピオンを倒して新チャンピオンになるが、まだまだ未熟で、ドラゴの息子の挑戦を受け、コテンパンにやっつけられる。ドラゴ息子が反則したので負けにはならなかったが、次は勝たねば、ということでロッキーの特訓を受ける。
クライマックスのクリード対ドラゴ息子まではドラマにあまり工夫がなくて、ちょっと退屈でさえあるのだけれど、クライマックスは大迫力。途中から突然、ロッキーのテーマが派手に鳴りだすので思わず笑ってしまった(感動するところだろ、ここは、と自分にツッコミを入れる)。
ドラゴはかつてアポロを試合で死なせてしまったが、その原因はセコンドだったロッキーがタオルを投げ入れなかったから、ということで、その後、ロッキーはドラゴに挑戦して勝ったのだけど、ドラゴは負けたことで国を追われ、妻には去られ、息子と二人、旅をしながら名誉挽回のチャンスをねらう、ということで、チャンピオンになったアポロの息子クリードに挑戦したのだが、このドラゴ息子は自分と父を捨てた母を恨んでいるのだけど、強くなって母の愛を得たいみたいなところがあるようなのだ。
以下、ネタバレありなので文字の色を変えます。
クリードとの試合は母も観戦しているが、ドラゴ息子が劣勢になると、母は席を立って帰ってしまう。「ロッキー4」見てないのでわからないのだが、この女性、夫を捨てたのも夫がロッキーに負けたから? 弱い男を見捨てるタイプなのか。それで、母が去っていくのを見たドラゴ息子は自暴自棄になり、悲しげな表情でそれを見ていた父ドラゴがついにタオルを投げる、というのが試合の結末。クリードの勝利とともに、ドラゴ父子にも同情が行くようになっているのである。
妻に先立たれ、息子とも疎遠なロッキー(「ミリオンダラー・ベイビー」みたい)、恋人と結婚し、子供を授かるが、子供に聴覚障害があるらしいことが気がかりなクリード、しっかり者のクリードの母と、キャラはなかなか魅力的。
ロッキーのシルヴェスター・スタローン、ドラゴのドルフ・ラングレンに加えて、ドラゴ夫人がブリジット・ニールセンで、確か「ロッキー4」の頃にスタローンとニールセンが恋に落ち、スタローンは長年連れ添った妻と離婚してニールセンと結婚したが、そのあとわりとすぐに別れてしまったのだよね。そんなことも思い出したのでした。
で、ニールセンはなんと、今年、54歳で第5子を出産したのだそうです。しかし、いまだにスタローン元妻と書かれている。

2018年12月16日日曜日

これはヒドい、ヒドすぎる「メアリーの総て」

メアリー・シェリーの伝記映画「メアリーの総て」を見に、わざわざさいたま新都心まで遠征。
まあ、ロッテントマトの評価は批評家も観客も低かったので、期待してなかったが、まさかこれほどヒドい映画とは。
見なきゃよかった。
見て損したとか、時間返せとか、もうそういうレベル超えてる。見なかったことにしたい、忘れたい映画。
さいたま新都心のMOVIXさいたまは「妖怪ウォッチ」や「ドラゴンボール」や「ボヘミアン・ラプソディ」や「ファンタビ」2を見る人でごった返していて、飲食物売り場もグッズ売り場も長蛇の列。スクリーンのある入口のところも列ができている。
ここは今年の春に「空海」字幕版で2回来たきりだけど、「空海」も土日だったけれどこんなに混んでなかった。さいたま新都心自体が混雑していて、年末だなあと思う。
「メアリーの総て」はすいていました。

で、始まってすぐにもういやな予感が。
メアリーの継母が毒母に描かれている。
メアリーの実母は出産で亡くなっていて、その後、父ゴドウィンが娘に母親をと思って再婚したのだが、メアリーと継母はそりが悪かったらしい。ただ、継母は別に悪い人ではなかったようなのだが、この映画では継母をまず毒母に描く。
そして、シェリーと恋に落ちたメアリーの前にシェリーの妻が現れ、彼女もなんか悪役っぽく描かれる。
父ゴドウィンもなんか感じ悪いおっさんで、シェリーとバイロンも薄汚い兄ちゃんに描かれている。
メアリーとは仲がよかった継母の連れ子クレアもなんだかなあ。
唯一、好意的に描かれているのが、「ボヘミアン・ラプソディ」でロジャーを演じたベン・ハーディが扮するポリドリ。「吸血鬼」の作者でバイロンの主治医だが、なんだかすごーくいい人に描かれている。
大部分の登場人物が悪役で、メアリーとクレアとポリドリが被害者みたいな映画。
なに、この、人物のパターン化。人間ってそんな単純なものじゃないし、「フランケンシュタイン」という小説もそうした人間の複雑さを描いているのに、なにこのバカ映画。

この種の伝記映画は史実どおりではなく、ドラマチックにするために脚色されているのは当然だけど、この映画はなんで史実を変えてこういう脚色したのが意味不明。
たとえば、「Merry Christmas!」みたいに、ディケンズを主人公にした完全なフィクションもあるわけだけど、このディケンズの映画もそれほど面白くはなかったけれど、こういうふうにフィクションにしました、という方向性は納得できる。あと、英文学の要素とかロンドンの描写とか、一応納得できるもの。
ところが「メアリーの総て」は英文学的要素も当時のイギリス中産階級の描写も全然だめ。作った人たちは勉強してないのか?
ゴドウィンやシェリーが借金まみれだったのは事実だけど、彼らは中産階級なわけで、貧しい労働者階級とは違うのだが、映画だと、これは貧しい労働者階級なの? でも本当の労働者階級とは違うし、なんなのこれ、と思ってしまう。
まあ、予算がないから貴族なのに貧乏くさいバイロンとかになってしまうのか。

で、何が許せないかって、メアリーが「フランケンシュタイン」を書くきっかけとなったジュネーヴのエピソードからあとが嘘ばっかりなのこと。
この辺りはとても有名なので、こういうふうに変えてしまうことにどんな意味があるのかと思う。
たとえば、シェリーの妻が自殺するのはこのエピソードの半年くらいあとなのに、シェリーたちがジュネーヴにいたときに妻が自殺したことになっている。
このエピソードについてはメアリーが1831年版の序文に書いているので、その序文に書かれたことと完全に違うことは原作を読んだ人にはわかるし、このエピソード自体が「ゴシック」や「幻の城」といった映画になっているので、なんであえて変えてしまうのか理解不能。
そして、「フランケンシュタイン」の執筆や出版のあたりもとにかくメアリーが被害者ということを強調するために変えていて、おまけにメアリーはシェリーと一時別れたみたいになっている。実際は、シェリーの妻が自殺したあと、2人は結婚していて、「フランケンシュタイン」出版(1818年)のときはすでにシェリー夫人になっているのだが、映画ではまだ結婚していないことになっている。
まあとにかく、メアリーとクレアと、「吸血鬼」をバイロンの名前で出されたポリドリを被害者にして、それを怪物と重ねるみたいな方に持っていこうとしているのだが、あまりにも恣意的でげんなりする。
メアリーという人物もかなり支離滅裂な造形で、演じるエル・ファニングがヒステリー女にしか見えず、無理にフェミニズムに持って行こうとして空回り。
ああ、あと、メアリーは最初の子供はすぐに死んでしまうけど、「フランケンシュタイン」を書き始めたときは次の子供が生まれてたんですが、それは無視ですか、そうですか。
つか、この映画見ると、まるでメアリーとシェリーは仲悪かったみたいだけど、そんなことなかったはずなんですがね。映画にみたいに別れてもいないし。

メアリー・シェリーが登場する映画はこれまでにもいくつかあって、上にあげたジュネーヴのエピソードを描いた2作のほかでは、ボリス・カーロフの「フランケンシュタイン」の続編「フランケンシュタインの花嫁」の冒頭でエルザ・ランチェスター扮するメアリーがシェリーとバイロンに続きを語るという手法。ケネス・ブラナーの「フランケンシュタイン」では冒頭、メアリーに扮したエマ・トンプソンのナレーションがある。
「メアリーの総て」はこれまでと違って伝記映画なのだけれど、メアリーやその周辺の人たちがこんなふうにつまらなく、薄っぺらく描かれるのはひたすら苦痛だった。
彼ら彼女らはこの映画を作った人たちよりはるかに偉大なのだ、と思う。
作った人たちは、彼ら彼女らに対する敬意、文学の世界に対する敬意を欠いている。
彼ら彼女らの人生を薄っぺらに通俗的に作り変え、文学の神髄をかいま見せることさえしていない。
本当にヒドい映画で、この文章を書き終えたら、私の中ではなかったことにしよう。
それにしても、こんな映画に☆4つもつけている評論家たちは(ひどいこと書きそうなので以下略)。

あと、まあ、これは邦題の問題なんだけど、メアリーが「フランケンシュタイン」を出版するまでしか描いていないのに「メアリーの総て」ってどうよ。1818年の出版のあとの方がずっと長い人生で、その中では夫の死、子供の死、父親の死、シェリーの父との確執、シェリーの友人たちとの確執など、「フランケンシュタイン」出版以後の方がいろいろ大変だったんだけどね。
まあ、イギリス小説研究者は触らない方がいい映画。

新潮文庫と光文社文庫の「フランケンシュタイン」は今年4月に増刷したばかりなのにまた増刷してこの映画の帯をつけたらしいのだが、全国で14館しか上映してないので、上映されている地域の書店でしか帯つき文庫は置いてないようだ。私が解説を書いた創元は夏にかなりの部数を増刷してゲームキャラ帯をつけてフェアをやったので、映画の帯をつけるための増刷はしていないんだけど、映画があれじゃ、帯つかなくてよかったとしみじみ思った。ゲームキャラ帯で十分でございます。

2018年12月11日火曜日

「ボヘミアン・ラプソディ」ドルビーアトモス@ららぽーと船橋

このところ、ほんと、映画は「ボヘミアン・ラプソディ」しか見ていないような状態ですが、前から気になっていて、ついに行ってきました、TOHOシネマズららぽーと船橋のドルビーアトモス上映。
ここのドルビーアトモスはスクリーンがIMAXのようだとか、いろいろ評判がよいようでしたが、このららぽーと船橋は実は「ボヘミアン」冷遇のシネコンでして、公開当初はドルビーアトモスの上映はレイトの1回だけ。ここは京葉線だから車がないとレイトは無理。そして、「ファンタスティック・ビースト」続編が始まるとアトモスはなくなり、通常上映まで減らされて、だめじゃ、ここは、と思っていたら、さすがに「ボヘミアン」人気でドルビーアトモス昼間とレイトの2回上映するようになりました。
金曜からはまたレイトだけになるようなので、最後のチャンス。
ららぽーと船橋は「空海」字幕版を上映していたときに何度も通いましたが、他の映画はもっと近くのシネコンで見られるので、「空海」が終わったらもう行くことはないだろうと思っていましたが、まさか「ボヘミアン・ラプソディ」で再訪するとは。谷津干潟に写真を撮りに行ったときにららぽーとはのぞいていたけれど、シネコンは久々なのでららぽーとの中で少し迷いました。

さて、ドルビーアトモスですが、11月に見た日本橋でのアトモスが音が大きくなると雑音がひどくて、アトモスはみんなこうなのか?と不安に思っていましたが、船橋のアトモスは違っていました。
日本橋のアトモスは追加料金200円ですが、船橋は100円。しかし、私が行った日本橋アトモスの回は音響調節が相当悪かったんじゃないかという気がします。その前に見た日本橋のTCXの方も出だしのファンファーレの音がちょっとおかしかったんで、公開直後の日本橋は音響だめだったのかもしれない。その後は行ってないのでわかりませんが。
何が違うって、最初のアトモスのデモ映像からして、船橋の方がずっと音がいいんですよ。日本橋のときは、え、これ、どこがいいの?という印象でした。
始まってからもサラウンド感とか重低音とか、日本橋のアトモスではあまり感じられなかったものが船橋では感じられる。重低音は日比谷のIMAXの方が断然上でしたが、それでも重低音はある。サラウンド感もフレディの家で誕生日パーティしているところとかとてもよい。

実は、日曜にも「ボヘミアン」見に行ってまして、このときが10回目。船橋アトモスは11回目になるのですが、日曜の方はおなじみ亀有のシアター10のレイトショーでした。亀有のシアター10の「ボヘミアン」は音も映像もとてもよくて、週末から亀有も10は「ドラゴンボール」になってしまうのだけど、日曜のレイトで見た亀有の「ボヘミアン」はそれまでよりさらによくなっているように感じました。というのも、金曜に日比谷のプレミアムシアターで見たので、そのあとに亀有で見ると見劣り、聞き劣りするかな、と思ったのですが、全然そんなことない。いやむしろ、金曜のプレミアムシアターは11月に行ったときに比べて音響が悪くなっているな、と、実は内心、思っていたのです。11月のときはあったサラウンド感が感じられなくなっていた。で、そのあと亀有のシアター10で見たら、うーん、亀有の方がいいかも、と思ってしまいました。亀有はシアター9が1回、その後、10を3回見ましたが、行くたびに音がよくなっている気がします。映像もシアター10はなかなかよい(9はイマイチ)。

日比谷のプレミアムシアターは最初に行ったときはサラウンド感があって、重低音もそれなりだったので、満足していたのですが、同じ劇場でも音響がいつも同じってわけではないのか。
亀有はもともとボヘミアン優遇のシネコンなので、音響も力入れているのだと思います。

そんな具合で、金曜のプレミアムシアターは前よりはイマイチ、逆に亀有いいじゃないか、となったあとでのららぽーと船橋のドルビーアトモスでしたが、通常上映とアトモスの違いがはっきりわかる音響でした。
デモ映像のときから、あ、違う、と思ったけれど、始まってからもすぐに音の厚みが全然違うことがわかります。1つのシーンにいろいろな音が出ているとき、その1つ1つの音がしっかり分かれて聞こえる。亀有とか日比谷とかはそういう繊細さはなかった。これがドルビーアトモスなのか、と納得。
そして、日本橋のアトモスだとひどかった雑音ですが、船橋でも雑音があることはわかります。が、それは音源が古くて雑音があって、アトモスだとそれが出てしまうけれど、音楽の背後に雑音あるな、という程度。これは日比谷のIMAXもそうでした。それに対し、私が見たときの日本橋のアトモスは雑音が音楽と分かれて自己主張しまくりみたいな状態でした。
日本橋もその後、なおっているかもしれませんが(いや、なおってないと困るよね)、この船橋のアトモスが本当のアトモスなんだな、と納得。重低音はIMAXには完全に負けてるし、亀有の方がもう少し出ていたかな、という感じですが、全体的な音の厚みがやはり通常上映と違うなと思いました。

というわけで、もう11回見てしまいましたが、IMAXもう一度見たいな、とか、応援上映に行きたい、とは思うけれど、そろそろほかの映画も見なければ、と思っています。
しかし、こんなに音にこだわってリピーターしているのは初めてです。

というところで、携帯で撮ってきた写真。
まずはMOVIX亀有の入口。「ボヘミアン・ラプソディ」の大きな布のバナーがかかっています。そばで撮るとスタッフに見られるので、遠くからこっそり。

シネコンの入っているアリオのクリスマスツリーとバナー。シネコンのある3階から撮影。

ららぽーと船橋ではミッキーマウスの展示をしていました。


2階から撮影。

2018年12月8日土曜日

「ボヘミアン・ラプソディ」日比谷再訪

金曜は「ボヘミアン・ラプソディ」がTOHO日比谷のプレミアムシアターに1日だけ帰ってくる日。
当然、行きました。
これで9回目。
あ、8回目のことは書いていませんでしたが、先週亀有のシアター10で7回目を見たあと、今週もまた亀有のシアター10に行ってしまったのです。音響が先週よりさらによくなっていました。
これまで見た中では日比谷のIMAXとプレミアムシアターと川崎チネチッタのLIVEZOUNDがよく、その中ではプレミアムシアターが一番気に入っていたので、1日だけここに「ボヘミアン・ラプソディ」が戻ってくるとあっては万難を排して行きます!
前に行ったのは11月20日の夜だったと思いますが、今回は平日の昼間にもかかわらず、前回よりお客さんがたくさん入っている。客層さらに広がって、クイーン世代より上の後期高齢者までいます。
IMAXは映像と重低音がすばらしいけれど、全体としてはこのプレミアムシアターがバランスがよくて満足、というか、IMAXは500円高いからねえ。

さて、TOHO日比谷の入っているミッドタウン日比谷、この前行ったときに写真を撮った階段のある広場のイルミネーションがものすごく派手になっていました。
この前はまだ準備段階だったのかもしれません。
現在は階段のところもイルミネーションがあって、広場の方も音楽が鳴っていて、サンタの姿をした人と子供たちが踊っていたりしました。
写真を撮ろうと思ったら、なんと、携帯が電池切れ。クリスマスまでにもう一度、今度はデジカメを持って行こうかな。

前回はIMAXとプレミアムシアターのハシゴだったので、夕食はウェンディーズでさっさとすませましたが、今回は久々にシャンテの地下で食事、と思ったら、なじみの店がみんななくなっているじゃないか。しばらく行かない間にかなり変わってしまった様子。で、リンガーハットの餃子定食を食べました。日高屋の餃子定食と違って餃子が小さくて上品でした。
そのあと東京駅の方に向かって歩いていたら、派手なイルミネーションが続く通りがあり、都心に住んでいたときは試写の帰りにイルミネーションを見ながらぶらぶらしたことを思い出しました。今は都心に行ってもそういう余裕がない。

というわけで、日比谷で写真撮れなかったかわり、というわけでもないけれど、今日、デジカメを持って上野の方に行ったので、上野公園の写真を撮ってきました。
毎年恒例のイルミネーション。これが始まると年末だなあと思います。

イチョウの葉が散ってから始まるのですが、今年はあたたかいせいかまだ葉が残っている。

西郷隆盛。イチョウ、全然散ってない。この向こうにフェルメール展をやっている美術館があり、ものすごい行列でした。

上野動物園。すでに閉園していますが、チケット売り場の上がイルミネーションに。

シャンシャンがついに月曜から第4形態=完全親離れになるようで、今日明日は待ち時間も相当長いでしょう。

上野駅のクリスマスツリー。

この中に入ってパンダと一緒に写真を撮れます。

すでに正月の飾りも。アメ横にまで足を延ばしましたが、歳末のアメ横はやはり大混雑。

2018年12月6日木曜日

「君の名は。」@新宿ピカデリー10周年記念

新宿ピカデリーが10周年記念として上映する映画の中に「君の名は。」があったので、水曜日に見てきました。
新宿ピカデリーは昔は大きな古い映画館でしたが、2008年に今のシネコンになり、その年の8月に「ダークナイト」を見に行ったのが最初。しかし、その後一度も行くことがなく、今回が10年ぶり二度目。都心に住んでいた頃も有楽町・日比谷地区の方が近かったので、新宿はあまり利用しておらず、特に新宿ミラノが閉館してからはまったく行かなくなり、今年になって角川シネマ新宿で「空海」こと「妖猫傳」のインターナショナル版を上映していたので何度か通ったくらいでした。
10年前に初めて行ったとき、6回見ると1回無料のカードを作りますかと言われ、カードをもらったのだけれど、その後一度も行かなかったので、結局ただ持っていただけ。その後新宿ピカデリーはMOVIXの仲間になり、共通のカードになったので、新宿ピカデリー独自のカードは無用になってしまいました。でも、カードはずっと持っていたと思うのだけれど、さっき探してみたが見つからない。捨ててしまったのだろうか。

実は新宿ピカデリーは初めて行ったシネコンなのですが、入口を入ってからシアターに入るまでえんえんとエスカレーターに乗るのがまずうんざり、そして映画が始まったあとも10分くらいの間、次々とポップコーンを持った人たちが入ってきて前を通るのがさらにうんざりで、シネコンは行きたくないと思うようになってしまいました。本格的にシネコン通いになったのは、3年前に郊外に引っ越してからです。
というわけで、久々の新宿ピカデリー。例のエスカレーターをえんえんと乗るのはやはり同じで、都心のシネコンのどこがいやかというと、シネコンに入ってからエスカレーターに乗ることです。郊外のワンフロアに慣れてしまうと、エスカレーターは本当に苦痛。特に新宿ピカデリーはたどり着くまで何度もエスカレーターに乗らないといけない。エレベーターもあるのですが。

それはともかく、こちらも久しぶりの「君の名は。」。今年のはじめの日劇ラストショウ以来。
新宿ピカデリーは音響も映像も非常によく、満足できるものでした。この映画はいろいろな映画館で見ているので、ひどい状態で見たことも何度かあるのですが、今回のはかなりよかった。ひさしぶりに堪能し、三葉の組紐が瀧に渡るシーンあたりから目頭が熱くなり、そして終了後は大きな拍手。「空海」のときもそうだったけど、帰る途中で頭の中にRADWIMPSの歌が響いているというのはとても気分がいい。「なんでもないや」エンドロールの最後の方では声を出さずにくちずさんでいました。

新宿で「君の名は。」を見るのも初めてで、というか、上で書いたように新宿で映画を見なくなっていたので当然そうなるのだけれど、映画の中の新宿の風景を見ながら、今ようやく新宿で「君の名は。」を見たのだなあと、これまた感無量になりました。
またどこかで上映してほしい。

2018年12月4日火曜日

1980年代外国映画ベストテン(追記あり)

キネマ旬報の1980年代外国映画ベストテンの特集号が届きました。
表紙のビジュアルを見て、何の映画かわかりませんでしたが、「ブレードランナー」でした。
まさか「ブレードランナー」が」1位とは。それも2位に10票差をつけての1位。
まあ、私も一応、1票を投じておりますが、実は入れるかどうか最後まで迷った1本。
この年代ベストテンでは、どうしても入れたい大好きな作品は別として、それ以外はなるべくほかの人が入れなさそうなのを入れたい、というのが基本路線でして、「ブレードランナー」はほかの人が入れるに決まっている作品。私から見ると、世間で言われるほどの大傑作かな、という気持ちはあり、好きだけど、ほかの人が入れるなら別の作品に、という思いは最後までありました。
でも、結局入れたのは、やっぱり創元推理文庫の「フランケンシュタイン」の解説が34年たった現在までも読者に気に入ってもらえるのは最後に「ブレードランナー」について長々と書いたからだろうと思うのです。公開からまだ2年しかたっておらず、当時は一部の人にしか受けていなかった映画。それを私が公の場所で論じたので、発行当時から読んだ人は「ブレードランナー」について書いてあるのがいいと言ってくださいました。
そんな私にとって記念すべき映画を入れないわけにはいかないと、迷った末、入れたので、2位と10票差になったわけですね。
で、2位以下を見ると、ビジュアルが出ている映画には私が投票した映画は1本もない。今の映画ジャーナリズムの人々と私の好みが完全に違っているようだ。70年代ベストテンはここまで違っていなかった。
選評の方に入れたかった作品を列記していますが、「ダントン」のところは本当は「ファニーとアレクサンデル」を入れたかったけれど「ダントン」なんて誰も入れないだろうと思っていたらほかに1人いてびっくり。「インドへの道」、「サルバドル」、「リトル・マーメイド」も私だけ。「インドへも道」は70年代で上位に入った「ライアンの娘」より出来はいいんですけどね。思い出してもらえなかったのか。物故した監督についてのコラムにもデイヴィッド・リーンの名前がない。
当時1位だった「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(私のオールタイム・ベストワン)があんまり上の方じゃないも意外。エクステンデッド・エディションが話題にならないわけだ。
1票しか入っていない作品がリストに多数列挙されているけれど、こうした形でもタイトルが出ることに私はこだわって投票したのです。
というわけで、興味深いベストテンでありました。

メアリー・シェリーの伝記映画「メアリーの総て」が今月15日公開とのことで、アメリカのロッテントマトでは評価は低いのですが、一応、見に行くつもり、と思って上映館を調べたら、すごく少ない。シネスイッチ銀座はイマイチ好きな映画館ではないので、MOVIXさいたまかな。
映画に合せていくつかの出版社が「フランケンシュタイン」や他の小説の翻訳に帯をつけたようですが、創元はゲームのキャラ帯がまだついているので、映画の帯はつけないようです。実はキャラ帯でかなりの部数を増刷してるので、当分増刷はないでしょう。帯をつけるところは増刷したか、在庫が多いところと思われます。

12月5日追記
「ブレードランナー」に投票しようか迷った大きな理由に、この映画にはいくつものヴァージョンがある、ということがあった。
初公開時の北米公開版、日本で公開されたインターナショナル版、ディレクターズ・カット版、そしてファイナル・カット版。このうち、北米公開版とインターナショナル版はほぼ同じ、ディレクターズ・カット版とファイナル・カット版はほぼ同じということで、新旧2つのヴァージョンと考えてもいいが、この2つのヴァージョンのどちらを支持するかが、今回の投票では明確でないのだ。
私は初公開版を支持しているが、投票した人がどちらを支持しているのかわからない(両方支持の人もいるだろうけれど)。もしかしたら、投票した多くの人は90年代以降の新ヴァージョンを支持しているのかもしれない。
だとしたら、1位になった「ブレードランナー」は私が支持していないヴァージョンで、その支持していないヴァージョンに私の1票が入ってしまったことになる。
それを避けるために投票しない方がよかったのか?
けっこう悩む。
この映画が今受けてるのは、新ヴァージョンのおかげなのかもしれない。
初公開版だけだったら、ここまで受けてないのかもしれない。(私自身は、新ヴァージョンが出てからこの映画に対する愛が減ったと言わざるを得ない。)
それなら、私は投票すべきでなかった、と思う。
ちなみに、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は日本公開版、完全版、エクステンデッド・エディションでそれほど大きくは変わっていないようだ(エクステンデッドのみまだ見てない)。
「ブレードランナー」の場合、新旧のヴァージョンで内容が大きく変わってしまっているところが気になるのである。私から見ると、別作品と言えるくらい変わっている。
「フランケンシュタイン」に似ているのは初公開版の方で、それは新版で削除されたナレーションによく現れている。新版になると、「フランケンシュタイン」色は薄くなるのだ。

2018年12月2日日曜日

やっと紅葉

今年はあたたかいせいか、紅葉が遅い気がしますが、ようやく紅葉まっさかりに。
ススキの背後はもみじです。


上野動物園のパンダ、シャンシャンは親離れが今日から第3形態に入ったようです。
第1形態は午前別居、第2形態は午後別居、そして第3形態は夜間別居。このあとの第4形態が親離れ完了して独り立ち。シャン・ゴジラ(?)。
というわけで、シャンシャンと母シンシンがこうして一緒にいるのを見られるのはおそらく今週が最後。下の写真2枚は上野動物園の公式サイトからですが、公式サイトにはシャンシャンの1歳半の誕生日の前に親離れさせる理由が詳しく書かれています。

親子3頭がばらばらにいる状態。左手前がシャンシャン、その奥の父リーリー、右がシンシン。

上野動物園がシャンシャン独り立ちの理由をサイトにアップしたのは、多くの人から誤解による意見が寄せられたからのようです。
シャンシャンを中国に返すために無理やり親離れさせているとか、自然に親離れさせればいいのに無理やりだとか、特に第2形態に入ったときの上野動物園のツイッターに寄せられたツイートがあまりにもひどく、いつまでもシンシンとシャンシャンが母子でいてほしいという人間の勝手な欲望が全開で、いやな気分になっていました。
子供がいつまでも子供でいてほしいと思う、女性がいつまでも母親でいてほしいと思う、そうした人間についての好ましからぬ欲求が、パンダ母子に対して全開になっているように感じます。
上野動物園のサイトにあるように、パンダは子供が1歳半から2歳の間に突然、母親が子離れし、子供を敵とみなして攻撃するようになるので、動物園では1歳半までにひき離さないと危険なのです。自然の中なら遠くへ逃げられるけれど、狭い動物園では何が起こるかわからない。上の3頭ばらばらにいる写真見ても、上野動物園がパンダを飼うには狭すぎるのがわかると思います。
シャンシャンの親離れの訓練が始まる頃から連日テレビで取り上げられるようになったらしく、パンダ観覧の待ち時間は2時間、3時間が当たり前になっていて、並ぶ時間の締切も午後2時かそこらになっているようです。そして、パンダ観覧のマナーが非常に悪くなっていて、1人が並んでパンダ舎の入口に着くと、そこにその人の知り合いが5人も10人もやってきて横入りするとかでこれをいくつものグループにやられるので、待ち時間2時間とあっても実際はさらに伸びるのだとか。その他、写真を撮る人のマナーの悪さもひどいものらしい。
6月に整理券から並ぶ順になってから、マナーの悪い人が増え、それを注意するスタッフが叫びまくっていて、なんだか殺伐とした雰囲気になってしまい、パンダを見て癒されたいのに殺伐とした気分になるなんて、と、6月のはじめに並んで見てからしばらく行かなくなり、酷暑の8月と9月上旬はさすがに人も少なくなったので行ってみたら、そのときは殺伐とはしていなかったけれど、その後、また殺伐とした状態になったようです。
そんなわけで、もうシャンシャンは見に行かないかもしれないなあ、シャンシャンがいなくなってやっと静かにパンダ見れるのかなあ、と思う今日この頃です。

話変わって、久々にアマゾンで買い物。今日届いたのでコンビニで受け取ってきました。
まずは「テロリストのダンス」の著者ニコラス・シェイクスピアの書いたチャーチルのノンフィクション。昨年出版されて、イギリスでは大変評判がよいようです。イアン・マキューアンの賛辞が表紙に。

そして、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の最長版、エクステンデッド・エディションのブルーレイ(輸入盤)。来年、午前十時の映画祭で上映予定ですが、持っていて損はないと思って。お値段とても安い。しかし、ブルーレイのプレーヤー、まだ買ってないのに、ソフトは次々増えている。そろそろ買えよ、自分。

実は4年前に国内版が出ていたのですね。知らなかった。
英語の立派なブックレットつきだったようです。今は1万円以上のお値段がついています。
画像はいずれもアマゾンから。

「くるみ割り人形と秘密の王国」&「ボヘミアン・ラプソディ」7回目

11月30日金曜日はMOVIX亀有で「くるみ割り人形と秘密の王国」と7回目の「ボヘミアン・ラプソディ」を見る予定でしたが、朝起きると腰が痛い。外出できないほどではないので、出かけましたが、買ったばかりの新しい靴をはいていったら、これが足に合ってない。売れ残りで激安だったので、あまり確かめずに買ってしまったのが運のつき。不自然な歩き方で足も腰も疲れる。靴は1回はいただけでリサイクル行き決定。

亀有は前の週の金曜日にも「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行ったのですが、その日は祝日なので大混雑。ほぼ満席の中での鑑賞。しかし、1週間後の11月30日は平日とあって、人も少なく、映画館もガラガラ。翌日の12月1日が映画の日で1000円なので、その前日はどうしてもお客さんは少なくなります。
「くるみ割り人形と秘密の王国」は「ファンタスティック・ビースト」続編とともに見ようと思っていたお正月映画でしたが、どちらも評判が悪く、特に「くるみ割り~」はアメリカでは批評家の評価も観客の評価もとことん低く、両方とも見るのをやめようかと思っていました。「ファンタスティック・ビースト」は当初3部作の予定が5部作になるとのことで、完結は8年後。年とると8年後に映画を見られる状態かもわからないので、これはパス。「くるみ割り~」もパス、と思っていたのだけれど、こちらはまあ、一応、見てみるかと。
出だしはなかなかすてきでした。クリスマスのロンドンを飛んでいくフクロウの視点で描いたダイナミックな映像。音楽もチャイコフスキーのバレエの音楽をアレンジして流していて、このシーンにこの音楽か、なるほど、と思う部分もありましたが、いかんせん、ストーリーがひどすぎる。
主人公は家にこもって発明ばかりしている内向的な少女で、外の世界へ出たがらない。母親を亡くして悲しんでいるが、父や姉や弟の悲しみにまで気がまわらない。特に父親は、彼女には悲しんでいないように見える。
そんな彼女が母の形見の卵形のオブジェをもらい、それを開ける鍵を探して幻想の世界に迷い込み、そこで冒険して成長し、母の思いを知り、父の悲しみを知るようになる、というストーリーらしいのですが、これが全然機能してないのです。
彼女が入り込む幻想の世界は母親が創造したもので、それはたぶん、母が自分の手元にあった人形からイマジネーションで作り上げた世界だと思うのですが(これはバレエの「くるみ割り人形」に通じる発想)、母が想像で作り上げた世界を娘が訪れて、その世界の問題を解決する、というストーリーがこれまた全然機能していない。
ストーリーを練るとか、そういうこと、いっさいしてないんですが、そういうレベルでいくらお金をかけて映像作ってもいい映画になるわけないんで。
正直、もったいないな、という気もします。もっとうまく作れなかったのかな、と。
ティム・バートンだったらもっとうまくやっただろうと思いますが、彼は「ダンボ」なのか。
ディズニーの映画では猫が悪役の場合が多いのですが、この映画はネズミが悪役? それにしてはかわいいネズミが出てくる、と思ったら、やっぱりディズニーでネズミが悪役はありえませんでした(ネタバレ)。

「くるみ割り人形と秘密の王国」が終わって15分後が「ボヘミアン・ラプソディ」。同じシネコンなのでいったん外へ出てまた入るだけ。これまで見た6回は満席かそれに近い状態か、平日でも前の方しか席が空いてない状態でしたが、今回は映画の日の前日とあってお客さんはまばら。初めて隣に誰もいない状態。しかし、亀有は「ボヘミアン・ラプソディ」は最初の2週は一番大きいスクリーンでしたが、3週目から中くらいのスクリーンにかわり、1週間前に見たのはそこ。ところが4週目はまた一番大きいスクリーンに戻したので、それで「くるみ割り~」のついでに見に来たのですが、ここの一番大きいスクリーン、シアター10は音響も映像も抜群にいいです。スクリーンは大きくて見やすいし、なにより音響がいい。通常より音量を上げているな、と思いましたが、クリアーな音響、IMAXほどではないけれどよく響く重低音と、通常の上映としてはかなり満足のいくものでした。
そもそも、一番最初はこの亀有のシアター10を予約しようと思っていたのに、アクセスしてみたら好みの席が埋まっていて、それならTCXのある日本橋にしよう、ということで日本橋TCXから始まり、次に日本橋ドルビーアトモス、そして日比谷のIMAXとプレミアムシアターと移っていったので、最初に亀有で好きな席が予約できたらこの遍歴はなかったかもしれない。
で、5回目に亀有の3週目の中くらいのスクリーンで見たら、隣がひどいとか、IMAXの重低音がなつかしいとか、いろいろ不満で、今度は川崎チネチッタのLIVEZOUNDに出かけて、とさらに遍歴。そうやって、今回ようやく、亀有のシアター10の好みの席で見ることができました。
というわけで、亀有のシアター10はよいなあ、いつまでここでやってるのだろう、とか、IMAXでもう一度見たい、とか、まだまだ続くボヘミアン遍歴。応援上映も癖になっていて、また応援上映を見たいのです。
亀有は「ファンタスティック・ビースト」を1週間でシアター10から下げ、「ボヘミアン・ラプソディ」に戻したのですが、12月1日の映画の日はどちらの映画もほどよく満席に近い状態になり、非常に成功したハコ割となったようです。「ボヘミアン・ラプソディ」は週ごとに観客数が増えるという状態で、それに合わせて臨機応変にハコ割をするシネコンが増えています。今後も話題作が次々と来る中で、どのような対応を映画館がするのか、見ものです。

というわけで、亀有シアター10大満足でしたが、亀有は椅子がイマイチなのか、見ている間も腰痛がつらかった。翌土曜日も腰痛治らず、この日の予定はだいじをとってとりやめにしました。

2018年11月26日月曜日

もう一度「ボヘミアン・ラプソディ」について

「ボヘミアン・ラプソディ」ドルビーアトモスの記事にわりとアクセスがあるので、アトモス上映についてググっている人が多いのかもしれないけれど、私が見た日本橋のアトモスは状態が悪かったので、残念ながら参考にはならないと思う。
と思っていたら、いろいろ朗報が。

(朗報 今週末から日本橋TOHOで「ボヘミアン・ラプソディ」がアトモスに復帰するようです。このブログで日本橋アトモスは雑音が、と何度も書いてしまったけれど、よかったと書いている人もいるので、おそらく私の見た回だけと思われます。というか、せっかくアトモス復帰なので、しっかりよい音響にしていただきたいし、映像はTCXなので申し分ありません。日本橋は普通の上映も回数をとっているし、もちろん応援上映もあります。)
(さらに朗報。日本橋は水曜からTCXのスクリーンで上映。そして、亀有MOVIXは金曜から最大スクリーンに復帰、金曜は小さいスクリーンで2回の応援上映もあり。他でも「ボヘミアン」の上映が増えているようです。それにしても日比谷がIMAX復帰、日本橋がTCXとアトモス復帰、亀有が最大スクリーン復帰と、私が行った映画館が軒並み「ボヘミアン」優遇なのはうれしい限りです。また行ってしまいそう。)

というわけで、この映画については見てから数日後に感想を書いているのだが、見た直後にいろいろな雑音が頭に入ってきてしまい、その雑音に抵抗しながら書いたので、肩肘張った文章になってしまった気がする。
公開直後はアメリカでの批評家の評判が悪いということで、大ヒットはしているけれど作品としてはイマイチみたいな言説が跋扈していたが、やはり映画に感動した人々の声が絶大で、その後は評論家も含めて好意的な声が圧倒的になっている。
特に2週目、3週目と、観客が増えていることや応援上映の人気が話題になって、もう、映画としてイマイチとかいう雑音はすっかり消された感がある。
私自身、すでに6回見て、今はもう、最初の雑音にはまったく影響されずに映画を語ることができるようになった。
そこで、もう一度、この映画について書いてみたいと思う。今回は手短に。

この映画は脚本がそれなりにうまくできているし、編集もわりと決まっている。
雨の中でフレディが真実に気づくシーンからラストまではほとんど完璧と言っていい。
それまでの部分は確かにだれるシーンもあるのだが、そのあとバーンと音楽が鳴ると一気に盛り上がる。その繰り返しで、だれるシーンが救われている面がある。やはりクイーンの音楽がすごいのだし、音楽の部分の表現がいいのである。
そして、雨の中でフレディがメアリーの言葉によって覚醒し、ポールとの縁を切るシーンからラストまではみごとな展開だとしか言いようがない。
テレビでフレディの私生活をばらすポールを見るシーン、バンドのメンバーと仲直りするシーン、そして、「誰が永遠に生きたいと思うだろう」という曲が流れ、エイズの治療のために病院を訪れたフレディが、廊下にいた青年から「エーオ」と声をかけられるシーン。このあと、荘厳な音楽が流れるが、ここはまさに文学で言うところのエピファニーである。
雨の中のアウェイクニング(覚醒)と、病院の廊下でのエピファニー。
文学の伝統的な手法がここにある。
さらには、最初のシーンで歌われた「サムバディ・トゥ・ラヴ」が再び歌われ、それがフレディとジムの再会になるという脚本のうまさ。
フレディと家族のシーンは描写としてイマイチ弱い感じはするが、フレディがジムを家族に紹介するシーンは初めの方のメアリーを紹介するシーンと対になっている。
このあたりの対になる表現が、王道として、決まっているのである。
言い換えれば、この映画は古典的な、伝統的な手法でドラマを構成していて、そこが、もっとシリアスで斬新な映画を期待した人からすると、浅はかということになってしまうのだろう。
シリアスで斬新といえば、フレディが記者会見で記者たちから私生活に関する質問攻めにあうシーンがそうしたシリアスさや斬新さを見せていると思うが、このシーンどうも映画全体から浮いているように見える。フレディが精神的に追い込まれていることを示すとか、ゲイへの偏見を示すとか、意味はあるのだろうが、あまり効果的だとは思えない。こういうシーンや演出ばかりで出来上がった「ボヘミアン・ラプソディ」を見たい人がいるのだろうか?
この映画はクライマックスをライヴ・シーンにするという目的で作られた映画であり、あのクライマックスに向かうには古典的伝統的手法がふさわしい。ポールとメアリーが、古典小説ではおなじみの、主人公を悪の道に誘う人物と善の道へと戻す人物になっているのも、古典的伝統的手法の物語の方があのクライマックスに向かうのに適しているからだ。
確かにだれたシーンもある、イマイチの描写もある、だが、そのたびに音楽がバーンと鳴ってシーンを救い、伝統的なアウェイクニングとエピファニーを見せて、そのあと一気にクライマックスのライヴになだれ込む。その頃にはもう、観客は熱狂の渦に包まれている。
「ボヘミアン・ラプソディ」とはそうした映画であり、熱狂の渦に巻き込まれた観客は、もう一度、あの渦に巻き込まれたいと思うのだ。

どうでもいい追記は消しました。
巷にはこの映画についてのよい文章があふれているのに、タイトルでPV稼ぎをねらい、中身は長いだけの駄文、しかも大手サイト、みたいなのにぶつかって、よい気分が吹っ飛んでしまったのだけど、そういうのは華麗にスルーが一番。次から著者名に気をつけよう。

「ボヘミアン・ラプソディ」チネチッタLIVEZOUND応援上映

日曜は本当はラーメンサミットに行こうと思っていたのだけど、金曜の亀有の「ボヘミアン・ラプソディ」がちょっと欲求不満だったので、やっぱり重低音があって応援上映らしい応援上映のところ、と思って探したら、川崎チネチッタのLIVEZOUNDの応援上映があった。
川崎は遠い。が、ラーメンサミットをあきらめて、チネチッタへ。
チネチッタのあるチッタデッラはクリスマス仕様。



チネチッタは昨年の大みそかの「君の名は。」以来。
映画館の下にタワーレコードがあり、去年は「君の名は。」一色だったが、今は「ボヘミアン・ラプソディ」一色。「ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ」を聞きながら2階へ。
チケット発券機がすべて1階に移っていた。

実は川崎に着くまでが大変で、ちょうど出発した頃に浦和赤羽間で異音確認のため、上野東京ライン(宇都宮線、高崎線、東海道線)がストップしてしまった(ついでに湘南新宿ラインもストップ)。上野東京ラインに乗り換える頃には動き出していて、乗った電車がまさにその異音確認で止まった電車。つまり、20分くらい止まっていて、やっと走り出した最初の電車なわけで、おまけに10両編成だから殺人的な混雑だった。幸い、東京駅で座れたので立っている人よりは相当マシだったけれど、京浜東北線に乗ればよかったと思ったほど。

とりあえず、無事にチネチッタに到着。
LIVEZOUNDは「君の名は。」のとき、隕石落下の重低音がすごかったので、期待していたのだけれど、「ボヘミアン・ラプソディ」は重低音はあまり強調されていなかった。やはり日比谷のIMAXが一番重低音が響き、次が日比谷のプレミアムシアターというところ。
逆によかったのは、音が非常にクリアーで、英語の発音が一番よく聞き取れた。エレキギターの音も日比谷IMAXと同じくらいよい。重低音以外は非常に満足できた。
応援上映も、歌のときにライトを振る人がいたり、拍手する人がいたりで、応援上映を目的に来た人が多かったようだ。最初のファンファーレから拍手。そして、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌が終わると拍手。最後も拍手。
入口に「応援上映の注意」という立札が立っているのもいい。日比谷ではそういうのはまったくなかった。
というわけで、重低音は物足りなかったけれど、応援上映は楽しめた。

これで6回見たわけだけど、今回はなぜか上映中にトイレに行く客が多かった。これまではそういう人はほとんどいなかったのに。初めてではないお客さんが多く、気がゆるんでいたのか?

というわけで、チネチッタのLIVEZOUNDはかなりよかったと思う。
個人的には日比谷IMAXは映像の輝度と解像度の高さと圧倒的な重低音が魅力。
日比谷プレミアムシアターはきめ細かい音響づくりが非常に魅力的で、画面も大きい。総合的に見ると、今までではここが一番いい。
そしてチネチッタのLIVEZOUNDはクリアーな音響と適度な大音量が魅力。
と、以上3つはよかった。
日比谷は火曜からIMAXでまた上映が始まるけれど、プレミアムシアターではもう見られないのだろうな。残念。
IMAXとLIVEZOUNDはまた見てみたいと思うが、前者は500円増し、後者は川崎が遠いのがネック。

で、あとの3つ。
日本橋アトモスはどうも私の見た回は音響の調節が悪かったのではないかと思うのだが、クライマックスが雑音がひどくてかなりガッカリ。
アトモスでない方は無難な感じ。どちらもTCXで画面は大きい。日本橋のTCXはもともと好きだった。
亀有はたまたま隣の客が悪すぎたけれど、音はそこそこいい。映像がスクリーンより小さく写るのが難点、というところ。映像は1年くらい前にスクリーンを張り替えたはずなので、そこそこきれいだと思う。特別な設備はないけれど、平均以上。

2018年11月23日金曜日

「ボヘミアン・ラプソディ」@亀有

このところ「ボヘミアン・ラプソディ」しか見てないので、この話題しかない。
で、3連休初日の勤労感謝の日は亀有へ。
亀有はわりといつも人でごった返しているのだけれど、この日はなんかすごく人多い。
MOVIXのあるアリオもやたら人が多かった。
恒例の冬のイルミネーション。

「ファンタスティック・ビースト」続編公開の影響で、大ヒットにもかかわらず、座席数激減させられてしまい、そのせいもあって、都心は早々と売り切れ続出、郊外の亀有もほぼ満席ではないかという盛況。
ただ、今回は隣の中高年カップルが映画の間ずっと、大きな物音をたてて飲食していたので、やっぱり郊外はだめだな、日本橋や日比谷の方がよかった、と思った。
観客の反応も日本橋や日比谷の方がノッていた感じがする。
「コーヒーマシンはよせ」というところで誰も笑わないし。
でも、場内が明るくなったとき、反対側の中高年カップルの女性が「もう1回見よう」と言いだしたので、ちょっとうれしくなった。クライマックスでは泣いていたようだ。こちらのカップルはマナーが非常にいい感じだった。

シネコンのあるアリオの2階にはタワーレコードがある。サントラがあるだろうと思って行ってみると、映画のクライマックスになったライヴ・エイドのDVDがあった。もちろん、サントラも。

左がDVD。右が輸入盤のサントラ。下に敷いているのはチラシ。上映中なのにチラシがたくさん積んであった。こういうところが亀有の好きなところで、「君の名は。」の最後の週には大きなスクリーンで上映してくれたりと、観客の心がわかってる感じがするのだ。売店がもっと広ければいいのに。人がいっぱいでパンフレットがあるかどうかも見られなかった(日本橋にはあったので、買えばよかったかな)。
タワーレコードにはブルーレイもあったが、まだブルーレイの機械買ってないし、DVDの方が1000円くらい安いので。サントラはもちろん、国内盤も売っていた。

亀有駅。こち亀。

恒例のイルミネーション。常磐線の車窓からも見えます。

アリオ。右下がアイススケート場になっている。

亀有は音は悪くないが、映像がスクリーンいっぱいに映さないので、上下左右に黒い部分ができているから、スクリーンより小さくなってしまうのが不満。
あと、やっぱり重低音がほしいなあ、と思うので、次は遠出して重低音があるところへ行こうと思う。
なお、明日24日はフレディ・マーキュリーの命日で、MOVIX、イオンなどではポストカードの配布があるようです(TOHOはないようだ)。

2018年11月21日水曜日

「ボヘミアン・ラプソディ」IMAX&応援上映@日比谷

今週金曜から「ファンタスティック・ビースト」の第2作が公開されるので、先週比100%を超える勢いの大ヒットを続ける「ボヘミアン・ラプソディ」が条件のいいスクリーンから追い出され、上映回数もかなり減らされるようだ。
そんなわけで、TOHOシネマズ日比谷のIMAXとプレミアムシアターで見ておこうと、初めて東京ミッドタウン日比谷に向かう。
日比谷は自分の庭のようによく知っているので、ミッドタウン日比谷へ行くのは問題ないのだが、中に入ってからシネコンにたどり着くのが大変らしい。
開館直後は人が多くて、エレベーターは乗れない、エスカレーターに乗るのも大行列とかで、とても行く気になれなかったが、半年たった今はもうすいている。が、ここはエスカレーターで行こうとすると、上のフロアに上がるたびに歩かねばならず、なんかもう、フロアガイドを見ただけで、ここは迷路なのか、と思ってしまう。
そして、ハシゴする場合の問題はメシ!
郊外のシネコンだとショッピングセンターのフードコートで食事すればいいので、ハシゴの間の食事は余裕だったが、日比谷だと安い速いのは有楽町駅の吉野家くらい。が、ミッドタウンを出るのに10分、有楽町駅へ行くのに10分かかったら、往復40分になってしまう。IMAX終了とプレミアムシアター開始の間は1時間しかない。
ミッドタウンのレストランは庶民には縁がないような値段だというし、シャンテの地下はリーズナブルだけど、注文してから料理が来るのに時間がかかるかもしれないところはやはり無理。
ということで、昼間にディナーを食べて、夜はシャンテ近くのファーストフードに決めた。ゴジラ像のそばのウェンディーズで久々にハンバーガーとチリを食べた。ここは前はファーストキッチンだったのかな? シャンテ周辺で映画を見たときにはよく利用していた。

ということで、写真を撮ってきました。携帯なのでボケボケ。
まず、地下鉄の日比谷駅の11番出口から直接ミッドタウンに入り、すぐ左のエスカレーターで1階へ。外を見てみたかったので、この階段を上がって2階へ行くことにする。

階段の上から。真ん中のずっと奥にゴジラ像がある。右奥が日比谷シャンテ。

2階からエスカレーターで4階に到着。日比谷公園が見える。

入口でゴジラがお出迎え。

IMAXを鑑賞して、外へ。イルミネーションがきれい。

ウェンディーズで食事して外へ。シャンテ前のゴジラ像。

もう一度、あの階段を上がる。イルミネーションはここから見てもきれい。この階段、ほとんど人が歩いていないので、絶好の撮影場所です。

プレミアムシアター鑑賞後、6階の屋上庭園へ。ここはかなり遅くまで開いている。

ミッドタウン日比谷はエスカレーターもエレベーターもとても不便というか、何を考えて設計しているんだ、というレベル。同じミッドタウンでも六本木は便利だったし、TOHOシネマズ上野は直通のエレベーターがあるので、待っているとすぐエレベーターが来たが、日比谷はエレベーターが各駅停車なので、時間がかかるしなかなか来ない。かといってエスカレーターだと迷路だし。階段というものはないのか、ここは?

というわけで、ミッドタウン日比谷はあまり行きたくないと思ったのだけれど、IMAXとプレミアムシアターはかなりよかった。
IMAXは初体験だったのだけど、TOHOの新宿と日比谷のIMAXはスクリーンが小さいとか音が小さいとか、評判が悪かったので、どうしたものかと思ったけれど、TOHOが6回見たら1回タダの回で、IMAXが割り増し料金の500円だけで見れるから、とりあえず、日比谷にしてみるか、と思って出かけた。
席は前後左右どこからもちょうど真ん中くらいの席。確かにスクリーンは大きくない。ただ、輝度や解像度みたいなものは日本橋で見たTCXより明らかにいい。スクリーンは大きくないけれど画質はいい、というところ。音は、日本橋アトモスで物足りなかった重低音がガンガン響く。「ロック・ユー」の足踏みとか、本当に足踏みしているみたいに響く。音量は私にはちょうどいいくらいで、特に日本橋のアトモスで気になったクライマックスのライブシーンのひどい雑音が、ここだと、同じ雑音が出てるのはわかるが、ほとんど気にはならない。日本橋アトモスの、私の見た回がひどかっただけなのかもしれないが、あのアトモスは割り増し料金払うレベルじゃなかったと思う。日比谷IMAXの音は爆音ではないが、楽器の音の美しさとか、質的な面がよかった。スクリーンの大きさとか音の大きさにこだわる人には物足りないのだろうが、質を求める人にはいいのでは?と思うけれど、他のIMAXを知らないので、なんとも言えない。
プレミアムシアターはTCXにカスタムメイドの音響。TCXは日本橋と同じなので、スクリーン的には違いはない。が、音響が、これまでにないサラウンド感。音楽でないシーンでのサラウンド感がよく出ている。出だしのファンファーレのところも、これまでで一番いい感じ。重低音はIMAXほどではないが、日本橋アトモスよりは出てる? そして、クライマックスのライブシーン、あの雑音はまったく気にならなかった。
このプレミアムシアターは応援上映の回で、席についたとき、まわりの人を見て、これは応援上映でも足踏みしたり歌ったりはあまりなさそうだな、と思ったが、実際、私の周辺はとても静かだった。後ろの方に人がたくさんいたので、後ろの方では応援していたのかもしれない。IMAXでも最後に拍手があったけれど、こちらは最後にもっと大きな拍手があった。
応援上映では画面の下に歌詞が英語で出るので、意味がよくわかって、より深く映画を理解できた。もっとまわりが騒いでくれたら楽しかったのに、と思う。

というわけで、行ってよかった、IMAXと応援上映のハシゴ。
水曜はレディースデーでかなり混みそうだけれど、火曜も先週火曜の150%以上の客入りだったらしい。IMAXやアトモスが終わってしまうので、駆け込みもあるのだろう。

今回、1日に2回見て考えたのは、フレディを堕落させるポールという男について、
映画のはじめの方では、メアリーがフレディを見つめていると、そのそばでやはりフレディを見つめるポールが描かれたりして、2人がフレディを奪い合っているような描写があるのだけれど、ポールはフレディのだいじな人を次々と追い払うみたいな人物として描かれている。マネージャーを陥れて、フレディが彼を追い払うようにさせたり、フレディがバンドの仲間と離れるようにさせたりする。
ポールを、ファウストを誘惑するメフィストフェレスみたいに描いたら、もっと面白くなったかもしれないな、という考えが頭をよぎったけれど、この映画では、ポールは「ウィー・アー・ザ・チャンピオンズ」で歌われる敗者とされているのだ。
ポールがフレディに愛を告白したとき、フレディは、「君は自分の思いを投影しているだけだ」というようなことを言って、彼を拒否する。ポールのフレディへの愛は、フレディのためを思う愛ではなく、むしろ自己愛なので、フレディはそれがわかっていたのだ。
だが、メアリーやバンドのメンバーが家庭を持ち、自分だけが人生を共にできるパートナーを持てずにいて、そんな中でフレディの腰巾着みたいなポールを頼るようになる。
雨の中でフレディが真実を悟るシーンはやはり名シーンだ。このシーンから、フレディの顔ががらりと変わり、大人の顔へと変化する。
フレディにクビにされたポールはテレビでフレディのプライバシーを暴露し、フレディのことを「寂しいパキ・ボーイ」だという(フレディはペルシャ系インド人の移民だが、イギリスではパキスタン人と一緒にされていたようだ)。テレビを見るフレディの顔にはもはや怒りの表情もない。彼は冷静に自分を反省し、これからの生き方について考えている。
一方、ポールは北アイルランドのベルファスト出身で、カトリックでゲイなので親にも理解されず苦しんでいた。「寂しいパキ・ボーイ」とは、実は自分のこと、「寂しいアイルランド系」の自分のことだったのだ。テレビを見るフレディはもう「寂しい少年」ではない。
ポールをとことん悪役にしていないのは、そうした寂しい思いをせざるを得ない当時のゲイの人々への思いやりがあるからだろうか。