2018年2月10日土曜日

もうイギリスの階級について解説することもないのかなあ

ツイッターで、英文学を理解するにはイギリスの階級を理解しないとだめ、みたいなツイートがあり、それがトゥゲッターにもなっていた。
学生がイギリスの階級をどうしても理解できないのでチャートを作った、といってネットにあげているのだが、私から見るとどうも変。
まず、18世紀末のジェイン・オースティンから現代の「ハリー・ポッター」までいっしょくたになってるが、そもそもそれは無理。
続いて、上流階級は貴族だけなのだが、そのチャートではアッパーミドルクラス、つまり、中産階級の上の方も上流階級と書いている。
学生が、と書いているところを見ると、この人は大学で英文学か何かを教えているのだろうか?
詳しいことはわからないのでなんとも言えないが、トゥゲッターに書かれている他の人の意見も間違っていたり無知だったりすることが目についてイライラするので、全部は読まなかった。

先日の「ウィンストン・チャーチル」では、チェンバレンが首相をやめたあと、ハリファックスが推挙されたのだが、ハリファックスは自分は貴族だから首相になるべきではないとして辞退したらしい。イギリスは貴族院は貴族の世襲制、つまり、選挙で選ばれていない。
イギリスの階級というのは、まさにこういう社会制度にまで及んでいる。

あと、上に書いたトゥゲッターの意見で感じたのだけど、「高慢と偏見」に関しては、映画の「プライドと偏見」をもとにしているんじゃないかと思ってしまう。映画「プライドと偏見」では中産階級のベネット家が貧しそうに描かれていて、母親が「秘密と嘘」で労働者階級の無教養な母を演じたブレンダ・ブレッシンなのだが、いくらベネット夫人が上品じゃないからといって、労働者階級丸出しのブレンダ・ブレッシンではやっぱり本当のベネット夫人とは違う。一方、ダーシーのおばの貴族役はジュディ・デンチで、ブレッシンとデンチの対照は面白いのだが、この映画のベネット家は貧乏な庶民みたいで、かなりのミスリードだと思う。
「高慢と偏見」ではデンチの演じた貴族が一番上。その貴族の親戚であるダーシーの家がアッパーミドルの中では一番上、そのすぐ下が長女と結婚する青年の家、そしてベネット家はアッパーミドルの下の方で、ロウアーミドルではないし、ましてや庶民ではないのだ。
ジェイン・オースティンの世界には貴族とアッパーミドルしか出てこない。
ロウアーミドル、中産階級の下の方と労働者階級を描いたのがチャールズ・ディケンズ。当時の労働者階級は炭鉱や工場で働くワーキングプアや小作人。小作人の世界を描いたのがトマス・ハーディの「ダーバヴィル家のテス」。
財産のないミドルクラス、働かないといけないミドルクラスは、男は軍人か法律家、女は家庭教師になる。サッカレーの「バリー・リンドン」の主人公はおちぶれたアイルランドのミドルクラスで、軍隊に入る。サッカレーの「虚栄の市」にも軍隊に入るミドルクラスの男性が何人も出てくる。「高慢と偏見」で軍人がもてるのは、もともと家柄がよくて、でも長男じゃないから土地を継げず、軍人になった男たちだからで、ミドルクラスの女性の結婚相手としてはよいのである。当時、地位の高い男性がついて恥ずかしくない職業は軍人か法律家で、医者は人の体に触ったり血を見たりするから地位の低い職業だった(看護婦もそうで、ナイチンゲールが出てくるまでは身分の低い女性のつく職業だった。ちなみにナイチンゲールは裕福なミドルクラスの令嬢だったが、そういう世界で結婚して主婦になるのはいやだと思い、周囲の反対を押し切って看護婦になった)。だから、ケネス・ブラナーの「フランケンシュタイン」で、フランケンシュタインの父が医者になっているのは本当はおかしい。あの時代、あの階級の人は医者にはならない。

そんなわけで、映画自体が歴史を曲げてるんで困るんだけど、今は英文学の時間で映画を使わないわけにはいかなくて、私自身、そういう授業を8年半やってきて、ついにクビというか、こっちから辞めたくなるような方向に追い込まれて辞めたんだけど(けんかもさんざんしたので)、英文学の授業ではイギリスの階級のことを必ず教えていたのだよね。そこを教えないと、「嵐が丘」でなぜキャサリンとヒースクリフが結婚できないのか、キャサリンの家とリントンの家は同じ中産階級だけどどこが違うのか、わからないから、というか、物語を教えるときにその物語の一部として階級の話を自然にしてきたし、学生も、昔は恋愛も結婚も大変だったんだなあ、なんていう感想を書いてくれていたのです。学生にはけっこう受けた授業だったし、私も授業自体は続けたかったけど、大学ってところはなかなかそうはいかない部分が大きいです。
でも、やめたからもう教えることもないのか、としみじみ思ったのでした。