2018年9月30日日曜日

「散り椿」&「叫びとささやき」

土曜日は映画館をハシゴして「散り椿」と「叫びとささやき」を見る。
「散り椿」終了から「叫びとささやき」開始まで1時間しかなく、電車に20分乗るし、徒歩もあるし、何か食べないとおなかが持たないという綱渡りで、おまけに入ったマックがレジの前が長蛇の列、だったけれど、とにかく間に合った。

「散り椿」は葉室麟原作、木村大作監督、小泉堯史脚本で、モントリオール世界映画祭で審査員グランプリ受賞ということで見に行ったが、外国で賞をとったわりにはお客さん入っていない。シニアが多いのは予想していたが、シニア男性ばかりで、シニア女性がほとんどいない。シネコンに入るときに、前にいた2人のシニア女性が「コーヒーが冷めないうちに」の方に入っていったが、女性はこっちに行ってしまうのだろうか。夫婦で来て、劇場で分かれるとか(そのシネコンではほぼ同じ時刻に両方が始まっていた)。
「散り椿」はやはり映像がすばらしい。最初の東宝のマークからしていつもと違う渋い色調で、その後も渋い映像が続く。特に雨や雪のシーンがすごい。
人物関係が複雑なので、少しわかりにくいところもあるが、同じ女性を思う2人の男の葛藤や、その周辺の人々の人間ドラマが、お家騒動のストーリーの中でしだいに浮き上がってくるところが感動的。同じ原作者の「蜩の記」を映画化した小泉堯史の脚本がうまいのかもしれないが、木村大作の演出は小泉とはかなり違うタイプで、人間ドラマとしての訴求力やドラマの盛り上げ方は小泉の方がオーソドックスで観客の心に訴えかけやすい。また、この映画で監督が何を描きたかったかみたいなのが、小泉の場合だと手にとるようにわかる。それに対し、木村はそういうオーソドックスな手法をとらない。特にシークエンスの切り替え方に独特の切れ味がある。何かぶつっと切ってしまうような感じなのだが、これはこれで魅力的だと思った。人間ドラマとして盛り上げるとか、観客の心を動かす、という点からすると、クールに決めすぎているので不利なのだが、その分、映像の迫力で見せてしまうところがある。モントリオールでも様式美が評価されたと思うが、まさに様式美を感じる。椿やクライマックスの血しぶきは黒澤明の映画を思い出させるが、ここもある種の様式美だ。
出演者では富司純子の演技が印象的。息子の結婚に反対したことを心の重荷に感じている母をみごとに演じている。

土曜日は4週連続ベルイマン特集。その最後を飾る「叫びとささやき」。
実は先週土曜日は「仮面/ペルソナ」を見たのだけれど、公開当時は斬新だったのだろうけれど、今見ると、内容も技法も同種の映画が多数作られているので、さほど衝撃的ではなかったし、特に書きたいこともなかったので書かなかった。
「叫びとささやき」は赤を基調とした映像がすばらしいと聞いていたが、まさにそのとおりで、赤に彩られた邸宅の内部、そして暗転も黒でなく赤。その中で、女性たちが白や黒の衣装を着ている。
19世紀末のスウェーデンの上流階級の3姉妹と侍女の4人が主人公で、姉妹を「野いちご」のイングリッド・チューリン、「鏡の中にある如く」のハリエット・アンデション、「仮面/ペルソナ」のリヴ・ウルマンが演じている。というか、そういうチョイスだったのですね、この特集の4本(ビビ・アンデションは「野いちご」と「仮面/ペルソナ」でやはり2本上映)。
強権的な夫のもとで怒りをためこんでいるような長女(チューリン)、病のために結婚もできず、死を待つだけの次女(アンデション)、人好きのするタイプだが偽善的な三女(ウルマン)の3姉妹と、病に苦しむ次女を献身的に介護する侍女(カリ・シルヴァン)。
侍女は昔、幼い子供を亡くしていて、病気の次女に対してまるで母親のように接している。胸をはだけ、乳を与えるように次女を抱く。次女は子供の頃、母に愛されなかったという思いを抱いているので、侍女が母のように接してくれるのは求めていた母の愛を得られたことになるのだろう。
対照的な長女と三女の対立、亡くなった次女をキリストのように追悼する聖職者、最後に冷酷にすべてを決めてしまう威圧的な長女の夫。献身的に尽くした侍女に何もやらずにすんだと喜んでいるこの鼻持ちならない夫に対し、何もいらないと言った侍女は次女の日記を読む。そこには久しぶりに3人姉妹が再会し、次女の具合もよいことから、姉妹と侍女の4人で外に出かけ、ブランコに乗って楽しんだときのことが書かれていて、次女はそれが幸福だったと語る。
そしてラスト、「かくして叫びとささやきは沈黙に帰す」の文字。
時をあらわす時計の映像と音が、おそらくここにつながる。人は誰でもいつかは死ぬのだから。

「叫びとささやき」の中に、「太陽の帝国」で使われたピアノ曲が出てきたので驚いた。
「太陽の帝国」は中国の租界の裕福なイギリス人社会の没落を描いていたが、「叫びとささやき」も19世紀末の上流階級の世界が20世紀には滅びるということを暗示しているのではないかと思う。
スピルバーグが「太陽の帝国」であの曲を流したのは、「叫びとささやき」へのオマージュかもしれない。
また、映画の中でディケンズの「ピックウィック・ペイパーズ」を朗読するシーンがあるが、映画の中の朗読シーンというとディケンズが多い。「風と共に去りぬ」や「ヒアアフター」を思い出す。

キネマ旬報シアターでのベルイマン特集は4本だけだったが、もう少しやってほしかったな、と思う。
キネ旬シアターには映画書の図書コーナーがあるが、帰りに「叫びとささやき」の初公開時のキネ旬を読んできた。「叫びとささやき」の特集号は昔、私の手元にあったので、いつ頃のキネ旬かはすぐにわかった。長文の評論に加え、シナリオ採録があり、せりふが字幕より詳しいので、内容がわかりやすかった。当時は読者の映画評に投稿していたのだが、その号の読者の映画評に一次選考通過として私の名前が出ていた。
その特集号から45年後に「叫びとささやき」を見て、その場でキネ旬の特集を読み、そしてその号に自分の名前を見つける。こんな幸せがあるだろうかと思った。ブランコに乗った次女のように。

2018年9月29日土曜日

9月29日の記事の削除

9月29日に「ネット上のある「論争」」という記事を投稿したが、その後、書いたことが大幅に間違っていたことに気づき、削除した。
削除したのは10月下旬で、今はもう11月上旬だが、日付は9月29日で投稿する。

この件について、私は当初から、客のAさんについて、あまりよい印象を持っていなかった。
それでも、AさんとB店長のいさかいは双方の支持者が火に油を注いだ面が大きかったので、AさんもB店長も悪い人ではないが、まわりが騒いでこうなった、と考えていた。
しかし、削除した記事を投稿した頃、最も大きな燃料投下をしたAさんの支持者CさんがB店長に謝罪の申し入れを模索していたことがわかり、10月に入って、Cさんが直接店に出向いて謝罪したとの報告があった。
Cさんは9月中旬に店に大きな被害を出すことになるツイートをし、それについてはその直後から削除するようにとの助言があちこちから出ていたが、Cさんは何もしなかった。が、それが半月後に突如の謝罪。これには無理やり謝罪させられたとの憶測がAさん側から出たが、Cさんはきっぱり否定。それが面白くなかったAさんは、今度は怒涛のツイートで副店長に謝罪を要求。それと同時に、Aさんの支持者たちがこっちが謝ったんだから向こうも謝れの大合唱(支持者たちはB店長とその支持者からひどいことを言われたのは事実だが、これは双方が言い合っていたので、Aさん側だけが一方的に言われたのではない)。すると、今度はB店長と支持者がAさんサイドに謝れと言いだした。
そんなわけで、Cさんは結果的に新たな燃料投下をしてしまったのだ。こっそり問題のツイートを消すだけにしておけばよかったのだ。
Cさんはその後、ツイッターでは沈黙していたが、10月下旬になって、謝罪の経緯を書いたブログを発表した。それによると、B店長は謝罪に訪れたCさんに対し、自分にも非があったから何らかの形で謝罪の表明をしたい、みたいなことを言ったらしい(Cさんの見方ではそう聞こえたので、実際は違うかもしれない)。ところがいつになってもB店長が謝罪しないので、そのことをブログに書いた。そして、自分のツイートは完全に間違っていたが、Aさんは1ミリも間違っていない、と書いた。その後、Cさんはツイッターを再開した。
そもそも、私がこの件に興味を持ったのは、実は、Cさんのことでだった。
私はAさんもB店長もこの件を知るまではまったく知らなかった。B店長はユニークな店を経営しているということで、本も出ているくらい有名だし、Aさんも実はツイッターのある界隈では有名人だったようだ。自分は有名だから女性だとわかるはず、という考えで、AさんはB店長が女性にからむ人と思い込んだようだ。
実際はAさんがタバコの煙のことで店の名をあげてツイートし、エゴサーチが好きなB店長がリプライ、以前、フェイスブックに書いた文章へのリンクを貼ったのを、自分への攻撃と考えたAさんが反発、B店長はいきなりリプライしたことを謝罪したが、その謝罪もAさんは攻撃と考え、結果、B店長が反発、以後、支持者や野次馬を巻き込んでの騒動になったのである。
削除した文章では、Aさんは、知らない人からリプライされるのは、たとえ「ご来店くださってありがとうございます」でもイヤ、と書いていたので、そういう理由で反発したのかと思ったが、実際はAさんは有名ツイッタラーで、それならいきなりのリプライなんてよくあるに違いない。Aさん自身もいきなりのリプライを平気でしているらしい。
そして、AさんはB店長への攻撃のブログを書き、多数のアクセスがあり、その記事に課金する人たちのおかげでお金を稼ぎ、旅行に出かけたそうな。
削除した記事を書いたあと、Aさんについてのイメージがかなり悪くなった。B店長とその支持者にも問題があるが、こっちは特にイメージが変わっていない。
AさんもB店長もあまりかかわりあいになりたくないタイプだし、この件に注目しなければ存在も知らなかったのだが、B店長に謝罪したが、今度はB店長の方が謝罪しないことを責め、Aさんは1ミリも悪くないと書いたCさんは、以前、ツイッターをロムっていた人の1人だった。リベラル派で、よいことを書いていると、最初は思ったのだが、ある時期からこの人は間違ったことをよく書くが、絶対に訂正しない、と思うようになり、ロムるのをやめた。
一方、B店長の支持者で、最も問題があったDさんは以前から知っていたが(有名人だし)、この人は最初から好かんかったので、ロムしていなかった。今回の件でも、他人を罵倒するのが得意なDさんが出てきたのがまずいと指摘する人は少なくない。
Cさんに関しては、間違ったことを書いても訂正しない、と思っていたので、B店長に謝罪したときは驚いた(もともと、この件に興味を持ったのは、あのCさんがやらかしたのか、やっぱりね、と思ったからだった)。
そこで少しは見直したのだが、結局、B店長が謝罪しない、Aさんは1ミリも悪くない、と書いたことで、元の印象に戻ってしまった。
Aさんが1ミリも悪くないのであれば、B店長が謝罪したら、B店長が100%悪くなり、Aさんはまったく悪くないということになる。CさんはB店長が謝罪できない状況を作ってしまった(まあ、B店長も謝罪する気はなかったと思うが)。
しかし、発端は、まず、B店長がエゴサーチしてリプライしてしまったこと、そして、それに対し、Aさんが過剰反応し、B店長の謝罪も謝罪と認めず、B店長を攻撃し始めたからだ。
B店長は一度、謝罪しているのである(その後の経過で謝罪取消になってしまったが)。
そして、Cさんも、謝罪すると言ったのにしないとB店長を責めたことで、Cさんの謝罪も事実上、取り消された。Cさんは自分の謝罪の見返りを求め、それを果たさないB店長を責めることで、自分の謝罪を帳消しにし、自分が再び100%正しくなった、と、私には見える(ツイート自体の誤りは認めたが、認めたので正しくなれたのだ)。
B店長のよくないところは、立ち位置が中途半端なところだが、私はどうも、こういう人をかばいたくなるのである。
AさんとかCさんとかDさんは自分が100%正しいと思っていて、立ち位置がはっきりしている。だから強い。が、B店長のような人は自分を100%正しいと思えない。だから最初は謝罪していたし、Cさんにもリップサービスみたいなことを言ってしまったのだろう。しかし、立ち位置がふらふらしているから、あっちにも寄り、こっちにも寄りみたいになり、結果、悪い印象が生まれる。もともと露悪的なツイートをするタイプでもあるようなので、余計だ。
私は自分が100%正しいと思う人は嫌いである。Cさんをロムらなくなったのはそのせいだと今にして思う。
CさんはAさんとは違い、リベラルな活動をリアルな世界でもしているようで、まともな支持者も多い。今回、私がまともだと思っていたツイッタラーやフェミニストは誰もAさん側につかず、静観していたのが印象的だった。

2018年9月25日火曜日

Yonda?のつづき

25日午後、新潮社が「新潮45」の休刊を発表した。
25日夜には新潮社前で抗議集会が計画されていて、周辺が住宅地とのことで、プラカードを掲げてのサイレントなスタンディングになった模様。マスコミの取材がすごかったとか。
一方、「あのヘイト本、Yonda?」と落書きされた看板は、ブルーシートだけでなく、全体が銀色のカバーで覆われていたとか。
「新潮45」の休刊だが、休刊は実質廃刊なのだそうで、雑誌コードを残すために休刊にするのだそうだ。
ただ、その告知の文章が、一言で言うと、「売れなくなったのでこんなふうになってしまった。トラブルになったのはお詫びする」という感じで、このまま検証もせずに逃げるのか、と批判も起こっている。

それはともかく。
安倍首相が抱える2人の鉄砲玉、杉田水脈と小川榮太郎が雑誌を廃刊に追い込んだのは間違いない。
で、小川榮太郎がどういう人なのか、調べてみたら、経歴がよくわからない人だった。
ウィキペディアによると、

1967年5月生まれ。
大坂大学文学部卒業。
埼玉大学大学院修士課程修了。指導教授は極右で有名な長谷川三千子(日本会議)。
1998年下期、文藝春秋の文芸誌「文學界」の新人小説月評を担当(これにより文芸評論家の肩書なのか?)。
2012年、安倍晋三礼賛本「約束の日」(幻冬舎)で書籍デビュー。この本は安倍首相の団体が爆買いしてベストセラーにしたことで有名。
以後、この路線の本や雑誌記事を執筆。

ということくらいしかわからない。

実は私は埼玉大学大学院を受験したことがある。
埼玉大学は1977年、文化科学研究科と政策科学研究科を設置している。文化科学研究科は修士課程のみだったが、政策科学の方も同じだと思われる。
私が文化科学研究科を受験したのは78年度の募集のときだから、設置してまだ1年しかたっていなかった。受ければ合格みたいなところで、受かっても行く気はなかったし、面接のときに「どうせあなたは来ないでしょ」と教授たちに言われてしまったほど。
学部で教員試験に落ちた人がここに入って教員をめざす感じで、博士課程がないから研究者をめざすのは無理だった。
2001年に政策科学研究科を政策研究大学院大学に分離、とウィキペディアにはある。この時点で埼玉大学大学院ではなくなったということだろう。
2003年、文化科学研究科に博士課程(博士後期課程)ができる。

小川榮太郎がいつ埼玉大学大学院に入ったのかはわからない。
というか、大阪大をいつ卒業したのかもわからないのだが、こちらは普通に考えれば、67年生まれだから89年か90年くらいに卒業しているだろう。
その時点で埼玉大学大学院に進学することは常識から言ってありえない。
修士課程しかないから研究者の道は考えられないし、阪大卒ならいくらでも上位の大学院に進める。
だから、大学を卒業してから院に入るまでにブランクがあったと思われる。
師事した長谷川三千子は哲学なので、入ったのは文化科学研究科だろう。
長谷川三千子に師事するために埼玉大学大学院に入った、と考えるのが理にかなっているように思う。

大学院の修士課程では修士論文を書くことに全力を傾けるから、この時代には修士論文以外の学術論文は普通はない。研究者になることが目的でなかったとすれば、「約束の日」の前に論文がなくても不思議ではない。文芸評論家としても98年下半期の「文學界」しかなかったなら、何か書いても発表する場所がなかったことは大いに考えられる。
修士課程から「約束の日」の間に業績が何もない、というのも、研究者でもなければ評論家でもなかったのなら不思議ではない。
突然現れた安倍首相御用達ライターだった、というのが本当のところだろうけれど、これほど経歴も何もかもわからない人もめずらしい。小川榮太郎という人物自体が作られた人物なのかとさえ思ってしまう。

なんにしても、「新潮45」をつぶした男として後世に名を残すでしょう。

(なんか、まじめに書いちゃったけど、実は経歴詐称だったりして? 拙著を拝著と書いている人だからねえ。)

ジェームズ・ウッズ、ツイッターを凍結される

ジェームズ・ウッズが選挙に関する有害なツイートをしたということで、ツイッターを凍結されたそうです。記事(英語)。
https://apnews.com/2909e6d34b1c4d18bfac5cd186a54095

1984年、「カリブの熱い夜」と「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」を見て以来、ウッズの大ファンでしたが、彼が保守派だということは知っていました。
「サルバドル」など社会批判の映画によく出ていたので、バリバリの保守タカ派と知って驚く人も多いようですが、80年代から保守派でしたよ。
あと、性格面で問題がある人だな、ていうのも感じていました(会ったことないけど)。

それでも、彼はリベラルな映画でリベラルな役を演じることが多かったし、「サルバドル」の頃はアメリカ批判もしていたので、「極右も極右で、ツイッターでデマばかり言っている」というアメリカ在住の人のツイートを見て、へえ、彼も年とって老害になってしまったのか、とため息。

ウッズはエリア・カザンの自主映画「突然の訪問者」で映画デビューしてますが、「カザンは恩人だけどマッカーシズムのときの行動は許せない」とリベラルなこと言ってるんですね。
続く「追憶」ではバーブラ・ストライサンドのヒロインとともに政治活動する左翼の学生役。テレビ「ホロコースト」ではメリル・ストリープと結婚する役で、ナチスの強制収容所で抵抗するユダヤ人画家の役。ゴールデン・グローブ賞を受賞した「オニオン・フィールド」で悪役として名をはせ、「ヴィデオドローム」のような斬新な映画に主演したりして、そして大作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」でロバート・デニーロの相手役に抜擢されます(悪役だけど)。
その後はオリヴァー・ストーンの「サルバドル」でだらしないが正義感も強いフォト・ジャーナリストを演じ、アカデミー賞ノミネート。「トゥルー・ビリーヴァー」では正義派の弁護士。「そろそろ悪役はやめようと思っていたけれど、あまりにおいしい役なので断れなかった」という「殺しのベストセラー」は大好きな映画で、ウッズの魅力が炸裂。このほか、グレン・クローズと共演したファミリーものやマイケル・J・フォックスと共演したコメディなど、役柄も広がり、しだいにおだやかな役が多くなっていきますが、最近はもう、あまりいい映画に出てないみたいなので、フォローしなくなっていました。最後に見たのは「スティーブ・ジョブズ」で退学したジョブズに「ニセ学生で授業に出ろよ」と言う教授役でちょっとだけ出てたときかな。

ウッズが性格面で問題ある人だな、と思ったのは、80年代後半に起こったショーン・ヤングとの「危険な情事」事件です。
あの事件はヤングがストーカーやいやがらせをしていたので、完全にヤングの方が悪いのですが、そのときのアメリカの雑誌数冊で読んだ記事だと、ウッズもどうかなと思うような態度なんですね。もともと両方ともパートナーがいるのにダブル不倫して、ウッズの恋人が怒ったのでウッズはヤングとつきあうのをやめ、それでヤングが怒って「危険な情事」状態に陥ったらしいのですが、恋人になじられたウッズがキレまくったとかいうことが雑誌に出ていたんですよ。それ読んで、この人ヤバイなと思いました。
ウッズはその後、恋人と結婚しますが、すぐに離婚しています。どうも家庭を持つことに向いてない人みたいな感じ。

ウッズが保守派というかタカ派だな、と思ったのは、やはり80年代後半、「グッドモーニング・バビロン!」のD・W・グリフィスの役を断ったときです。当時、ヨーロッパではアメリカ人をねらったテロが起こっていて、この映画はイタリアで撮影されることになっていたので、テロが怖くてウッズは断ったのだそうですが、このときの言い分が、「ヨーロッパの女たちがロシア人にレイプされるのを防いだのはアメリカなんだぞ」とかなんとか。
テロが怖くて断ったってのがチキンな上に、それに輪をかけてああいう物言いはどうよ、この人、案外小心者で性格問題あるのね、と思ったあとに、あのショーン・ヤングとの事件が起こったのです。

ウッズは超頭のいい人しかもらえない奨学金をもらってマサチューセッツ工科大学に進学、IQもすごく高くて頭がいい人として知られています。実際、インタビューを見ると、頭のよさが歴然なのだそうです。
が、そのわりには、80年代からすでにああいう発言とか、ああいう事件とか、頭はいいけど言動がちょっと、と思ってました。
ある面ではものすごく優秀だけど、別の面ではバランスを欠くとか、そういう感じかもしれない。
ウッズはリベラル派ではないけど、かつてのリベラルな発言は本心からだと思うのです。
その一方で、タカ派のアメリカ万歳なところもあって、これも本心だと思う。
で、年とともにタカ派の老害になってしまったのかもしれない。

上の記事では言論の自由とか言ってるけど、歯に衣着せぬ発言というのはこの人の特徴だったのです。リベラルな発言も、タカ派の発言も、どちらも歯に衣着せぬ本音の発言だったと思うのです。そして、かつては彼のそういう発言がスカッとするものだったのも事実です。
だから、本人は自分は昔から言いたいことを言ってきた、どこが悪い、と思ってるんでしょうが、まわりから見たら完全に老害になってるんでしょうね。
まあ、別に残念という気持ちはないです。70年代から80年代の、すばらしい役者としての彼が好きだっただけですから。

2018年9月24日月曜日

Paint It White! せめて白く塗れ!

翌日、ブルーシートで覆われてしまいました。
せめて白く塗れよ。
ホワイトウォッシュって言葉があるし。
新潮社、ユーモアのかけらもないな。

写真はツイッターより。
ハフポストに記事も出てました。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/23/shincho-yonda_a_23539497/
大手メディアも取材しそう。

明日、デモあるみたいですね、新潮社前で。

Yonda?

 



Twitterから。
新潮社の倉庫を改装したお店の前にある看板、だそうです。
文字が手書きじゃなくて明朝体?
消されるかもしれないから拡散。

キングジムのコンパック

バーゲンで買ったもの。
キングジムのコンパック。A4サイズの用紙を折らずに半分にして収納できる、というので、以前、とあるサイトで知ったときは、へえ、便利だねえ、でも、私は必要ないかも、と思っていました。
しかし、団地の入口の西友が夏のはじめから営業しながら全館改装中で、次々と商品を小出しに値下げしてくるのです(小出しっていうのがなんとも)。
それで毎日見に行ってしまうのですが、今日というか土曜日に出てきたのがこれ。
10ポケットと5ポケットの両方があって、10ポケットは540円くらいのが3割引き、5ポケットは450円くらいのが3割引き。
正直、相場と比べてどのくらい安いかわからないのですが、540円(税抜)くらいの3割引きで405円(税込)になっていた10ポケットを買いました。上の水色のやつ。
色はオレンジと黄色が多くて、水色と白が残りわずかという感じ。ネイビーと黒はあったかなかったか記憶にありません。
私は水色に黄色のバンドが気に入ったので、これを購入。
で、果たして相場と比べて安いのか、気になったのでネットで検索。
ヨドバシカメラだと10ポケットのは参考価格648円を473円(税込)に値下げ。405円(税込)はそれより安いので買ってよかったと、ほっ。
こういうバーゲンは、元の値段を高めにつけて割引にして売ってる場合もあるので、確かめないと。
あとは自分にとって使いやすいかどうかでしょう。折らずに収納だけど、しわは多少はつくようです。

しかし、この西友は、日用品売り場と食料品売り場が24時間営業にもかかわらず、営業しながら改装中なので、夜遅くなるとあっちこっちでガーガー工事の音がしたり、工事の人たちがあちこちで作業していたりします。そして、改装するために商品を移動するので、欲しい物がどこにあるかわからなくなってちょっと不便。でも、休業されてしまうともっと不便なのでしかたない。ほかにもスーパーはいろいろありますが、ここほど大きいところはないし、24時間営業はやはり助かります。

2018年9月23日日曜日

九州大学元院生に関するみわよしこ氏のもう1つの記事

九州大学の元院生の放火自殺事件について、すでに2回書いていますが、それについては右サイドの9月の記事一覧をご参照ください。
その2つの記事はヤフージャパンに掲載されたみわよしこ氏の記事についての反論を含むものですが、そのみわ氏の記事についたコメントを受けてか、みわ氏は新たな記事をダイヤモンド・オンラインに掲載しています。
https://diamond.jp/articles/-/180232

この記事では、前記事のコメント欄で指摘された少年自衛官、中卒で陸上自衛隊少年工科学校に入り、そこで高卒の資格を得て、貯金をして、大学進学したに違いない、ということを受けてか、Aさんの少年工科学校時代の同期生Bさんの話を紹介しています。
それによると、Aさんは高卒の資格を得て自衛隊をやめ、Bさんは自衛隊に残って今は幹部になっているとのこと。
みわ氏は前記事ではAさんのことを貧困にあえぎ苦しむ人生を送ってきた悲劇の主人公のように想像して、かなりお涙頂戴的な書き方をしていましたが、今回は背景を調べたこともあってか、かなりクールな印象の文章に変わっています。自衛隊での貯金を元手にして大学進学をめざしたかもしれない、という書き方になっています。
みわ氏がどうやってBさんの話を聞けたのかは書かれていませんが、前記事を読んだBさんが名乗り出てくれたのでしょうか?
その一方で、九州大関係者からは取材できていないようです。
自衛隊を退官してから遅くとも4年後には九州大学法学部に入学しているらしいこと、その4年後に同大学大学院に進学していることは報道から誰でも予想できることですが、その間、Aさんがどうしていたのかはまったくわからないようです。
確かに自衛隊にいるときに大学の受験勉強をするのは無理でしょうから、一浪か二浪はやむなしというところでしょう。また、授業料免除のことを考えると、国立大学が望ましい。
この点、みわ氏の前記事で間違っていると思ったのは、授業料免除にしてもらうのは相当勉強してトップクラスの成績でなければならないというようなことを書いているところです。
このあたりもみわ氏は大学の世界をあまり知らないのか、と思うのですが、みわ氏が書いているような授業料免除の条件は私立大学のものです。
国立大では親の収入で授業料免除が決まりますから、Aさんが親がいない、親が貧しい場合は、国立大なら文句なく免除です。成績は、単位不足で留年でもしない限り大丈夫。
おそらく、Aさんは親がいないか貧しいため、自衛隊の少年工科学校に入ったので、だから当然、親がいないか貧しければ文句なく授業料免除の国立大を目指したでしょう。

とにかく、Aさんが九州大学法学部に入学できたのは間違いないわけで、その間、奨学金を借りたり、アルバイトをしたりしたと思いますが、大学卒業後、なぜ大学院に進学したのか?
現役合格の学生より4歳年上とはいえ、九州大法学部なら就職はそれほど悪くないはず。公務員だってある。就職に失敗したのでとりあえず大学院、とは思えない。
となると、やはり研究者の道を真剣に目指していて、就職は眼中になかったと言えます。
もしも就職失敗で大学院進学なら、修士修了時に就職も可能です。

そして、ここが肝心なのですが、Aさんが非常に貧乏だったり、面倒を見る家族がいたり、親の介護が必要だったりしたら、大学院進学はあきらめざるを得ません。
実際、大学院進学するのは、親が裕福だとか、親も研究職だとかいう場合が多いですが、その一方で、面倒を見る家族や親がいない、自分だけなんとか食えればいい、という人も大学院へ行きやすいのです。
大学卒業時、Aさんは食うや食わずの貧乏でもなく、面倒を見なければならない親や家族もいなかった、と考えられます。

みわ氏の記事でこれも間違いだと思うのは、大学院へ入ると学部よりも勉学に時間をとられる、と書いているところです。
確かに実験系の理系では一日中実験室にこもらねばならないため、アルバイトと両立するのが非常にむずかしいです。しかし、本や論文や資料を読むのが主な研究の場合、拘束される時間は非常に短く、残りの時間でいかに研究をするかにかかっています。
もちろん、バイトなどせずに一日中研究できれば一番ですが、なかなかそうはいきません。しかし、拘束時間が非常に短ければ、他の時間をどう配分するかはかなり自由が利きます。文系の多くはこの利点があり、Aさんが専攻していた憲法学なら、まさにこうした自由度の高い分野であろうと思います(法学の研究の世界に詳しくないので、あるいは、私が間違っているかもしれませんが)。
どうも、みわよしこ氏はよく知らない世界を勝手に想像で描いているところがあって、困るのですが。

おそらくAさんは博士課程に入ったところくらいまでは順調に希望を持って研究職を目指していたでしょう。もしも修士課程のうちに、これはヤバイ、と思うほどの貧窮に陥っていたら、そこで他の道を考えられたからです。
Aさんは修士のときはまだ30代に入ったばかり、博士に入ったときもまだ30代半ば。このくらいだとまだ希望が持てます。アルバイトもそこそこいいものがあったでしょう。
結局、問題は博士課程なのですが、博士まで行ってしまうと企業への就職はむずかしくなり、Aさんの場合は公務員や教職も年齢的に無理になっていきます。
博士課程には行くな、と最近、よく言われていますが、博士に行って研究職がないとAさんのようになるのです。Aさんの問題はまさに博士課程以後の問題でしょう。

みわ氏はAさんがなぜアルバイトに肉体労働をしたかということに疑問を持ち、その点を調べて書いていて、これはなるほどと思いました。が、法学部なら法律事務所でアルバイトが普通ではないか、というのは疑問です。法律事務所でアルバイトというのは弁護士や司法書士、行政書士を目指す人のすることで、憲法を専攻するAさんには畑違いではないかと。法律事務所でアルバイトをするために民放を勉強するよりは、頭を使わない肉体労働の方が研究を犠牲にしないですみます。また、学歴が博士だとコンビニやスーパーでのバイトを断られるという現実があります。肉体労働だと履歴書を出さなくていいとか、そういう利点があったのではないか?

ブログの前記事にも書いたように、修士課程に入ってから大学院を退学するまで12年もあるので、その間に何か特殊なことがあったのかもしれません(大病をしたとか)。
とにかく、博士に入ってからもう引き返せなくなったのは確かでしょう。
専門学校の非常勤講師を雇い止めになり、肉体労働をするようになった、とありますが、専門学校一校の仕事だけで生活費を稼げていた、それが雇い止めになり、一気に収入を失った、ということなのでしょうか。大学の非常勤講師の場合は、いくつもの大学を掛け持ちするため、一度にすべての収入を失うことはありません。専門学校の非常勤講師の収入だけで一応生活できていたとすると、この仕事を失ったところから本当の貧困が始まったと言えます。つまり、失業による貧困です。
非常勤講師は非正規ですから、失業保険はありません。
現在、非正規の人が多くなっていますが、そういう人は失業保険がないという点、これを見逃してはいけないのではないか?
みわ氏はここに着目すべきではないのか?

貧困は人を殺す、というタイトルをみわ氏は掲げているけれど、貧困が人を殺すのは当たり前のことです。餓死とか、貧困による心中とか、電気を止められてろうそくをつけて火事になり焼死とか、貧困による死はいくらでもある。生活保護を受けられず(あるいは受けようとせず)餓死とか、みわ氏の守備範囲です。
それがオーバードクターの自殺で「貧困は人を殺す」と言われても的外れに思えます。

Aさんが研究室に放火している以上、研究職に就けなかった恨みや絶望や怒りがあるのは確かです。貧困よりも研究の世界への絶望の方が理由として大きいに違いありません。
なぜなら、彼の場合、研究をあきらめれば、生きる希望があったからです。
自衛隊の同期生に相談できなかった理由として、みわ氏は同期生が自衛隊の幹部になっているので、気後れして相談できなかったのだろうと推測していますが、それを言うなら、研究職に就いた大学院の同期にも相談できなかったはずです。なぜなら、彼らは准教授や教授になっているはずだから。
みわ氏はAさんがコミュニケーションをとっていた相手は研究の世界の人だと考えているようですが、研究の世界で成功している人なら、非常勤講師の仕事くらい紹介できたのでは?という疑問を持ちます。Aさんが窮状を伝えていた相手は誰なのか?

自衛隊の同期生に相談する場合、研究をあきらめることが前提になります。研究をあきらめるから仕事を紹介してほしい、と言わずにどうやって同期生に相談するのでしょう。
生活保護を受ける場合も、研究をあきらめて別の仕事で再起するのが前提です。
Aさんが自衛隊の同期生に相談せず、生活保護を受けることを考えないのは、研究をあきらめたくなかったからでしょう。
研究をあきらめさえすれば、道は開けたし、助けてくれる人もいた。
でも、研究をあきらめることは、ブログの前の記事で書いたように、生きながら死ぬことなのです、研究命の人にとっては。

それを貧困に殺された、と言ってしまうのは、なにか大事な部分を殺しているように感じてしまいます。

2018年9月20日木曜日

夏の花と秋の花

19日はUR賃貸に引っ越して3周年の記念日。
見知らぬ郊外の団地でやっていけるか自信がなかったので、都心のアパートはそのままにセカンドハウスで部屋を借り、必要最低限の物だけ持って(一部は宅急便で送って)、団地の管理事務所で鍵をもらい、都心との二重生活を始めた日でした。
19日はシーツやカーテンやトイレットペーパー、ティッシューペーパーなどの生活必需品を近隣のスーパーをまわって買い物に精を出していましたが、夕方、立ち寄った自然公園がなかなかよさげだったので、翌日は昼間から目一杯見てまわり、大変気に入ったのでした。
そんなわけで、記念日の19日はその公園へ行くことに。
ここは真っ赤な彼岸花がみごとな場所があるのですが、まだつぼみが多く、これからのようでした。

赤にまじってピンクの彼岸花。

なぜか夏の花、ひまわり畑がある。背の高いひまわりの畑と、背の低いひまわりの畑の両方があった。こちらは背の高いひまわり。そばにハチが飛んでいる。

コスモスはまだちらほら。

ひまわりと彼岸花と稲。夏と秋が混在。

3年前は非常に野鳥が多く、冬には白鳥も来たのに、鳥が本当に少なくなってしまった。今はカルガモとアオサギしか見ない。


なんとなく欲求不満だったので、電車に乗って谷津干潟まで行ってしまった。
夕方に干潮になることを調べていたので、見に行ったのだが、このとおり、干潮とは思えない水量。


この鳥は岸に近い浅瀬にいる。

猫がいた。アメショーみたいだから飼い猫かも。

と、ここまではよかったのですが、このあとが災難に。
前日18日は台東区でゲリラ豪雨に遭遇し、大変な目にあったので、2日連続か。
これまでは谷津干潟へ行ったら南船橋に戻って帰るのですが、この日は42年ぶりに船橋駅の周辺へ行ってみようと思ったのです。
谷津干潟は京成線の谷津駅も近いので、かつては谷津遊園があった場所を通って谷津駅へ(駅名もかつては谷津遊園でした)。谷津遊園の隣の京成津田沼駅の近くに4年間住んでいたのです。
その頃、船橋駅の近くの家で家庭教師をしていたので、なつかしさもあったし、また、船橋のビックカメラに行ってみたかったので、谷津駅から京成線で京成船橋駅へ。
途中、船橋競馬場という駅がありますが、あれはかつてはセンター競馬場という駅名だったような気がするけれど。船橋ヘルスセンターがあったのですが、そこは今はららぽーとになっています。
その次の大神宮下駅をすぎて、京成船橋駅に近づくと、なんだか大きなビルがいっぱい窓から見えてきます。
京成船橋駅で降りると、当然ながら、42年前の面影はなし。京成線は高架になっているので、かつてあった踏切もなし。なんだかビルだらけになっていて、家庭教師をしていた家はもうないのだろうと思う。
あちこち歩き回って疲れたので、とりあえずベローチェに入る。例によって、ふちねこのレシート目当て。そういえば、最初のふちねこが始まったのは3年前の10月からで、引っ越して早々にふちねこキャンペーンが始まったのだった。
ここまではよかったのだが、ビックカメラに行こうとベローチェを出て通りを歩きだしたとたん、左足首に激しい痛みが。最初は歩けないくらいの痛み。だましだまし歩いているうちにだんだん痛みがなくなってきたが、普通には歩けない状態。
重いカメラを持って歩きすぎたので、左足首に負担がかかったのだろう。
そこから自宅に帰るまでがまた大変で、船橋とか市川とか総武線方面はできるだけ避けたいと思ったのでした(特に西船橋の乗り換えが殺人的な混雑で、そこから乗る電車もひどい混雑で、市川のシネコンに行ったときも思ったのだが、ここは私には難度の高いトラップなのです)。

2018年9月18日火曜日

ふちねこハロウィン、コンプリート

ふちねこハロウィンが始まって2週間でコンプリート。

カメラを少し下げて撮影。

午後6時以降のレシートだと好きなふちねこを選べるので、がんばって6時すぎばかり行きましたが、このキャンペーンが始まってから夜が混んでます、ベローチェ。
今回はレシートを持って行って、何々をください、と言うのですが、ほうきと帽子とかぼちゃとマントは問題なかったけど、悪魔はすぐに通じなくて、「この赤いのをください」と言ってもらいました。
手探りでわかりやすいのは、ほうき。これはとにかくうすぺったい。次が帽子かな。これもややうすぺったい。残りの3種はどれも丸っこいので、この3種を手で探り分けるのがむずかしいかもしれません。なので、6時以降のレシートはこの3種をもらうのに使い、帽子とほうきは手探りで、という手もありですね。

2018年9月17日月曜日

九州大学元院生放火自殺事件についての追記

前記事の追記です。

みわよしこ氏の記事のコメントから。(ただし、このコメント者の最後にある生活保護批判(ここでは省略)には賛成できない。また他のコメントも参考になる。)

中卒すぐの自衛隊入隊というのは少年工科学校などの、いわゆる少年自衛官であり、優秀な少年しか入れない狭き門で、卒業後は若くして下士官に任官するとともに高校卒業資格も得られる準エリートコースです
だから卒業と共に大学受験資格も得られるのであって、みわよしこ氏が長々と想像して書いてる大検でもありません
しかも、少年自衛官として採用されて以降は、衣食住無料のまま自衛官としての給与も得られますから、無駄遣いしない限り、同世代の人にはあり得ないほど、かなりの貯金が得られるでしょう
その貯金で、大学進学したのだと思います

(中略)
私も九大で同じ箱崎キャンパスにいましたので、こういう大学院に進学して研究一筋で生きている人を間近で見ていますが、おそらく研究者として身を立てることがこの人の生きる目的になっていたからではないか、と思います
従って、研究者として身を立てることができなくなった時点で、この人は生きる望みを失ったのであり、自殺の原因は、おそらくそれではないか


後半の推測は私とまったく同じなのですが、前半は知りませんでした。
この前半を知っているか知らないかで見方ががらりと変わるのは否定できません。
貧しい環境の中からやむを得ず自衛官になり、苦労して大検に合格、さらに苦労して九州大に合格、ではなかった可能性(下に追記あり)。
もともとエリートコースで、優秀だった人が自衛隊で稼いだお金で九州大に進学、となると、大学進学時点では貧困だったかどうかはわからない。
ただ、院に進学してからは、だいたいこういう貧困に陥るわけで、院に進学してからあとの話だと、一般的な院生の貧困と未来のなさという一般論になる。

実は、中卒で自衛官になり、その後も苦労した人なら、もっと生きるためのサバイバル的思考を持つのではないか、なぜ研究にだけこだわっていたのか、という感想は私の中にもあった。
自衛官のエリートコースで、その後もエリートとして生きていたのかもしれない、と思うとわかる部分もある。
ただ、この事件については詳細があまり報道されておらず、現段階では自分の思い入れで意見を言ってしまうことになる、というのは確かなので、自戒しなければならないのではあるが。

さらなる追記
この少年工科学校に入る人は貧しいけれど優秀な少年だったようなので、貧しい環境から、というのはおそらく正しいだろうが、この問題は、Aさんの大学院進学後が問題なのであって、それまでの経歴は他の人とは違っていてもさほど重要でないのではないか。家族親族を頼れない人というのは案外多いものだし、その一方で窮状を訴える友人がいたり、10万円貸してくれる人もいたりと、交友関係はあったようだ。
貧困ではあったが、Aさんの場合はやはり研究の世界の問題が大きく、下の記事で書いたように、生活保護を受ければよかったとして、生活保護の問題にしてしまうのは正直、研究の世界で同じように苦しむ人に対しても、逆に生活保護が必要な人に対してもよくない気がする。みわよしこ氏の記事がいろいろとミスリーディングなのは確かだろう。

九州大学元院生放火自殺事件について

この記事に追記しました。
https://sabreclub4.blogspot.com/2018/09/blog-post_26.html
中卒で自衛隊に入隊した貧しい少年が苦労の末、大検を経て九大進学、という前提が正しいとは限らないとわかったからです。
以下の記事自体は書き直しませんが、追記を参照してください。


生活保護のリアルを追究しているみわよしこ氏が、九州大学元院生による放火自殺事件について、生活保護を受けていれば、と書いています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/miwayoshiko/20180917-00097130/
この中に引用されている西日本新聞の記事に、この元院生が陥っていた状況が書かれており、この記事を引用した本田由紀氏が「自分のことのようにどきどきする」と書き、その後、みわよしこ氏の記事を引用して「ほんとうに」と書いていますが、さすが、順調に東大教授に上り詰めるお方は違うというか、わかってないな、と思います。
もちろん、みわよしこ氏もわかってないのですが、みわ氏は研究の世界を知らないからしかたないと言えます。

みわ氏の記事はこの元院生Aさんの生涯を時系列で述べていて、これは私もニュースを知った時点で頭の中で考えたことでした。ただ、それに補足するように書かれている当時の就職状況などは私にはすぐには考えられなかったことで、そこは大変役に立ちます。

しかし、Aさんが生活保護を受ければよかった、と言うのは、研究の世界をあまりに知らない、そこしか生きる場所がない人間の置かれた状況を理解していない、と思います。

もしもAさんが生活保護を受け、生活を立て直して再起するとしたら、それは研究をやめて別の仕事に就くということにしかなりません。
というより、Aさんはもう研究者としては終わっているのですが、それを本人が認めたくない、ここまで来てやめるのはいやだ、と思っていたからああいう状況になったので、生活保護を受けて別の仕事で再起、というのは、彼にとっては生きながら死ぬに等しいのです。

この、生きながら死ぬに等しい死というのが、研究命の人以外には非常にわかりづらい。

私も院生のときは、研究職に就職できなかったら死のうと思っていました。
周囲がどんどん就職して、修士論文しかないのに就職できる人も少なくなく、女性は個人的なコネがないとだめな状況で、30歳になるまで死ぬことばかり考えていました。
30歳で死ぬことを考えるのをやめたのは、「フランケンシュタイン」の解説を書いて、キネマ旬報に映画評論を書けるようになったからです。研究をあきらめることができたのです。

研究をあきらめられない人が研究の場を奪われたら、それは研究者としての死であり、その後は生物として生かされているだけで、死んだも同然の人生です。

かなり前ですが、広島大学で教授殺人事件があり、犯人の助手は自分の研究が続けられない大学への専任の職を与えられたのが原因でした。専任なのになぜ?と思うかもしれませんが、理系では自分の研究を続ける設備のないところへの就職は研究者としての死だからです。当時、それが世間でまったく理解されず、唯一、研究者の死だからだ、と指摘したのは栗本慎一郎氏でした。

今回の事件も、理解できる人は研究の世界にいた人だけだろうと思います。

理系の場合、研究を続ける設備がないとだめなわけですが、文系はどうかというと、高い本をたくさん買わないとだめです。学会にいくつも入り、毎年、高い会費を払わなければいけません。地元以外の学会に高い旅費を使ってでかけ、高い参加費を払って懇親会に出席します。
30歳のとき、私はこれをすべてやめました。おかげでお金に余裕ができました。日本英文学会の会費で1週間以上、まともな食事ができます。
これをすべてやめたということは、研究者として終わったということです。それ以前に、当時は「フランケンシュタイン」の解説のようなものを書いただけで、研究者として終わったとみなされたでしょう。あの解説はSF、ファンタジー、映画関係の人には好意的に受け取られたのに、英文学者からは非常に冷たい反応でした。その後も英文学者に私の解説が引用されることなどありません。
逆に、それが私が英文学の世界に見切りをつける気持ちにさせてくれました。

生活保護を受けると、高い本を買えず、学会をやめなければなりません。その時点で、研究者として終わったとみなされると思います。学会をやめると論文を書く場所もなくなります。
実際、研究職への就職がむずかしいので高校教師になると、その時点で研究者として終わったとみなされる世界です(小中高校の教員から大学教授になった人もいますが、大変な努力と才能と幸運の結果であろうと思います)。
つまり、ちょっとでも脇にそれると終わったとみなされる、それが研究者の世界です。
Aさんは非常勤講師の職も失い、研究者としての唯一のよすがは研究室への出入りであったと思われます。それが失われることは研究者として完全に終わること、すでに終わっていたことは本人も周囲もわかっていたが、唯一のよすがを失うまではなんとか自分をだましてやってこれたというところでしょう。

Aさんは優秀な人だったようですが、なぜ、大学院に12年も在籍していたのかが疑問です。1998年に修士課程に入り、2010年に退学したとのことですが、修士2年、博士3年が最短で、就職が決まるまで留年(よくあるケース)していたとしても10年が限度です。休学があったのか、修士と博士の間に学費を稼ぐためなどの理由のブランクがあったのか、理由はわかりません。
博士論文を提出していない、というのは日本の一流国立大の文系では普通です。博士課程を満期退学してから論文を提出というケースが多く、博士論文を出して博士課程を終えるには文系の場合、英米の大学院へ行く方が簡単です。現在、研究職への就職は留学経験と博士号が求められる場合が多いので、欧米の大学院へ行ってこの2つをゲット、というケースが多数。つまり、留学ができないと研究職への就職はむずかしいのです(実際は、留学して博士号の人がまた多いので、この2点セットがあってもむずかしい。が、この2点の両方がない、または片方しかなくても就職できる人もいて、今でもコネが有利なんだろうと思います)。

みわよしこ氏が指摘している奨学金の返済は就職できない元院生にとっては非常に大きな問題で、Aさんができるだけ院生でいようとしていたのも返済を遅らせるためだろうと思います。
しかし、大学院に12年間もいる間に、たとえば、法律関係の産業翻訳をして稼ぐとか、そういう発想がなかったのだろうか。肉体労働より楽だし、自分の専門を生かせる分野です。非常勤講師だけで生活するには週に最低10コマはやらねばならず、10コマの授業を手に入れることが非常にむずかしい。午前と午後と夜に1コマずつ、全部別の大学で、という人もいる。移動だけで疲れ果てる。福岡では首都圏と違って、大学の数も少ないだろう。大学の多い首都圏だって、非常勤講師職を手に入れるのは至難の技で、しかもいつクビになるかわからない。

ほとんどの子供が高校に進学する時代に中卒で自衛官になったというのは、相当にきびしい環境で育ったと思われますが、そんな中で九州大法学部に合格、その後大学院にも進学し、みわ氏の記事のリンク先の西日本新聞の記事よると、教授からも高く評価されていたといいます。
もしかして、教授に高く評価されていたというのが、Aさんが研究以外の道を柔軟に考えられなかった理由かもしれません。

(以下は個人的な恨み言と、やや過激な発言なので、隠します。)

2018年9月16日日曜日

「鏡の中にある如く」を見てついでにしたこと

先週からキネマ旬報シアターではイングマル・ベルイマン監督作品を1週ごとに4作品連続上映中。これは東京で開催されたベルイマン生誕100周年記念のイベントで上映された13作品の内の4作品を上映するものだが、たまたまこの4作品は見ていなかったので、通うことに。先週の「野いちご」に続き、今週は「鏡の中にある如く」。
ベルイマンが難解と言われるようになったのは、おそらくこの映画から始まる神の沈黙三部作からなのだろう。正直、「不良少女モニカ」、「第七の封印」、「処女の泉」、「野いちご」あたりは難解とは思えない。
「鏡の中にある如く」は「不良少女モニカ」のハリエット・アンデションの演技が迫力満点。「不良少女モニカ」や「処女の泉」、「第七の封印」を見たのはたぶん40年くらい前の若い頃だったが、アンデションのアップを見て「不良少女モニカ」の彼女の顔が脳裏によみがえった。
物語はある家族が夏をすごす小島の2日間の物語で、作家の父と娘と息子、娘の夫の4人が泳いだり食事をしたり父のために3人が寸劇をしたりと、牧歌的な風景で始まる。が、娘(アンデション)は心を病んでいて、壁の向こうに広い部屋があって、そこでみんなが神を待っているという妄想にとりつかれている。そんな彼女が父の日記を見ると、そこには「娘が病で壊れていくのを観察しよう」という言葉が書かれていて、ショックを受けた娘の精神は崩壊し、十代の弟を巻き込んでいく。
私がベルイマンを知ったのは1970年代で、その頃はベルイマンといえば神の不在、神の沈黙だったので、そのあたりのベルイマンの作品はなんとなく避けてしまっていたが、その後、「魔笛」や「秋のソナタ」や「ファニーとアレクサンデル」を見たら、別に神の不在や沈黙と結びつけなくてもいい作品があるのだ、と思ったのだが、要するに、私のベルイマン鑑賞は、神の沈黙三部作の前と、「魔笛」のあとになっていたのだった。
「鏡の中にある如く」は神についての考察がテーマなので、キリスト教の神がいるのかいないのかということが重要になる。キリスト教徒ではないと、別に神とかいなくても、と思うのだが、そして、キリスト教的神だけが神じゃないし、と思う人なら、キリスト教的神がいなくても八百万の神が自然に宿っているというふうに考えるのだが、ベルイマンの場合は本当に、キリスト教の神がいるかいないかなのだなあと思う。
この映画では最終的に、愛を信じられれば神の存在を感じてそれにすがっていられる、という結論に、父と息子が到達する。姉のように精神が崩壊するのではないかと恐れる息子にとってこれは救いとなるが、同時にまた、対話がなかった父と息子の間に対話が生まれるという、姉にとっては悲劇的な結末だが、他の人々にとっては希望の持てる結末になっている。
映像がとにかくすごいのだが、降りしきる雨の中の廃船の中の姉弟のシーン(天を見上げて「神よ」と言う弟)、姉が恐ろしい姿をした神の訪れを見るシーン(ヘリコプターの騒音と窓から見えるヘリが蜘蛛の姿をした悪魔のような神を表すのが秀逸)など、映像の力が際立つ。スーツケースが閉まらないので夫は靴を取り出すが、最後に弟が姉に靴をはかすところも印象的(それまでは姉の裸足が強調されていた)。サングラスをかけるのは外界から自分を遮断するため、という解説があったが、靴をはいて歩き出すのは自分の足で歩くことでもある(新海誠の「言の葉の庭」)。
神がどうのこうのに興味が持てなくても、何度でも見たくなる映画だ。

さて、キネマ旬報シアターには映画書コーナーがあって、キネ旬のバックナンバーやパンフレット、映画書が置いてある。古い映画について調べたいと思ったときはとても便利。
で、先日、某評論家のブログに、日本ではソフト化がされていない「ラッキー・レディ」のDVDを海外から取り寄せたということを書いているのを読んで、「ラッキー・レディ」なつかしい! と思ったのだが、どういう映画か全然思い出せない。調べると、初公開時に有楽座で見ている。が、ネットで検索してストーリーを読んでもピンと来ない。なんだか「ラムの大通り」のような映画だったような気がするが、何も思い出せないのだ。
そこで、古いキネ旬でこの映画が特集されたのを見れば思い出すかも、と思い、バックナンバーを見てみた。
1976年のキネ旬にグラビアと評論家1名の長い文章とシナリオ採録があったが、そのベテラン評論家も「ラムの大通り」に似ていると書いていた。が、文章を読んでもやっぱり思い出せない。パンフレットはなかった(「ラムの大通り」のパンフはなぜか2冊もあった)。
「ラムの大通り」は先だってのキネ旬の1970年代ベストテンでも投票したくらい好きな映画だが、「ラッキー・レディ」は全然覚えてないのはなぜ?
「ラムの大通り」の劣化版に見えたのだろうか?
主演のジーン・ハックマンとバート・レイノルズよりも「ラムの大通り」のリノ・ヴァンチュラの方が好きだったからか?
好きな監督のスタンリー・ドーネンの映画としては魅力を感じなかったからか?
うーん、わかりません。アメリカでは大ヒットした映画らしいけど。

そのあと、駅の近くにある大きい書店を見ていたら、講談社英語文庫の「ライ麦畑でつかまえて」を見つけ、サリンジャーが出てくる映画を見たこともあって、原書が手元にあるのもいいかも、と思い、買った。
実は「ライ麦畑」の原書は若い頃に持っていたことがある。銀色の紙にタイトルと著者名だけを書いた表紙のペンギンブックスだったけれど、翻訳で読んでいたので通して読むことはなかった。もうとっくの昔に手元からはなくなっている。
で、久々、今度は原書で読んでみたくなったので、神保町あたりなら古本が1冊100円くらいであるかもしれないけど、真新しい紙の講談社英語文庫もいいか、と思った。
何を隠そう、「ライ麦畑」は私がトマス・ハーディを研究するきっかけとなった小説なのだ。
最初の方に、ホールデン・コールフィールドがハーディの「帰郷」が好きだ、ヒロインのユーステイシア・ヴァイが好きだ、と言っているところがある。
ハーディは一応知ってたし、「ダーバヴィル家のテス」は翻訳で読んだけど、いまいち好きな小説ではなかった。「帰郷」は新潮文庫から翻訳が出たことがあったが、その当時、すでに絶版だった。
ホールデン・コールフィールド先生ご推薦ならぜひ読みたい、というわけで、都心の洋書売り場でノートン・クリティカル・エディションの「帰郷」(The Return of the Native)を見つけ、購入。初めて買ったノートン・クリティカル・エディションだったかな。その後、このシリーズを何冊も買うことになるのだけれど。
ハーディの英語はむずかしかったけれど、まず、自然描写の美しさにやられた。そして、ホールデンの言うように、ユーステイシア・ヴァイは最初に登場するシーンから魅力全開。いっぺんでハーディの愛読者になったのです。
当時はまだ学部生で、サッカレーで卒論を書いていたが、同じ頃、フォースターの「モーリス」を読んで、サッカレーの次はフォースターになったのだけど、ほぼ同時進行でハーディも読んでいた。フォースターはサッカレーのリアリズムとハーディのロマン主義の両方を兼ね備えた作家で、この3人の作家を中心に研究みたいなことをしていた20代であったのだった。

ちなみに、ホールデンが読んでみたらすばらしかったと書いているイサク・ディネセンの「アフリカの日々」は、「愛と哀しみの果て」という映画になっていて、キネ旬でこの映画の採録をしたのは私です。

追記
キネマ旬報シアターでは9月23日に「カメラを止めるな!」に出演した竹原芳子のトークショーをするそうです。チケットは16日から発売とか。
竹原芳子はプロデューサー役ですごく印象に残っている役者さん。あの映画に出た役者さんたちはみんな好きになってしまいますが、トークショー、聞きたいけど時間的にちょっとだめかも。

2018年9月14日金曜日

センチメンタル・ノヴェルという文学用語を初めて知った。

英文学研究の世界から離れてすでに30年以上たってしまい、ある意味、自分が浦島太郎状態なのは認識していたのですが、昨日、近くの県立図書館で洋書を2冊借り、ふちねこハロウィン目当てのベローチェでドリンク2杯でねばって序文を読んでいたのですが、「若草物語」で有名なルイザ・メイ・オルコットの処女小説の序文に「センチメンタル・ノヴェル」という文学用語(?)が出てきて、ん?と思ったのでした。
そこであげられている作家や作品は、18世紀後半の代表的なイギリス小説、リチャードソンの「パミラ」、フィールディングの「トム・ジョウンズ」、スターンの「トリストラム・シャンディ」、19世紀前半のオースティンの「高慢と偏見」、ディケンズの「オリヴァー・ツイスト」、シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」などなど。
一応、イギリス小説研究家だった私には理解不能。
感傷的な小説、ということでは、確かに「パミラ」はそうだと思いますが、「トム・ジョウンズ」とか「トリストラム・シャンディ」とか「高慢と偏見」とか、どこが感傷的?
オルコットがこれらの小説の影響を受けた、ということと、当時、「パミラ」の亜流のような小説が、特にアメリカで流行していたらしい、ということはわかりましたが、このセンチメンタル・ノヴェルに対するジャンルとしてゴシック小説があがっていて、ウォルポールの「オトラント城」、ラドクリフの「ユドルフォの怪」、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」などの名前が出ている。
なーんか、私のイギリス小説観、間違っていたんでしょうか?
この序文の著者が言うセンチメンタル・ノヴェルって、イギリス小説史では近代小説(ノヴェル)とかリアリズム小説とかノヴェル・オヴ・マナーズ(それ以前にあった劇コメディ・オヴ・マナーズの小説版という意味で、オースティンが代表的な作家)と呼ばれていて、それに対してリアリズムよりも怪奇やロマンを追及するのがゴシック小説でありロマン主義小説であって、センチメンタル・ノヴェルズの方に入っている「ジェイン・エア」もゴシック小説・ロマン主義小説に分類するもんだと思ってましたが。
理解不能。こりゃ調べねば、とちょっとばかりググって、出てきたのをちらちらっと読んでみたところ、理解不能の理由が判明。
これは実は、19世紀のアメリカの作家、メルヴィル、ソロー、マーク・トウェインが「パミラ」などに代表される読者の感情に訴える小説をさして言った言葉だったのです。
この言葉は女性が主役の家庭小説のこともさしていたそうで、要するに、19世紀のアメリカでそういうのが流行っていたという背景から生まれた言葉だったようです。
だからジョージ・エリオットなんかもセンチメンタル・ノヴェルに入っちゃうんだそうで、うわあ、すごいおおざっぱな分類だなあ、と、イギリス小説研究に足突っ込んでいた私は驚愕。
まあ、要するに、メルヴィル、ソロー、マーク・トウェインといったアメリカ文学者たちが、俺たちは人間の感情に訴えるイギリス小説とは違うんだぜ、という気持ちで言ったのかな、と。
イギリス小説側からすると、イギリス小説は近代小説でリアリズム、メルヴィルなどのアメリカ小説は古い伝統をひきずったロマンス、とか言っちゃってるんですけどね。イギリスから見るかアメリカから見るかの違いか、なるほど。
このセンチメンタル・ノヴェルという言葉は、ウィキペディア英語版では、きちんと定義されてない言葉として注意がされてますから、文学用語としてはそれほどきちんとしたものではないのかもしれません。ちなみに、日本では「甘い小説」「感傷的な小説」というふうに、お涙頂戴の出来の悪い小説のことを指すと理解しているようです。
人間の感情に訴える、ということに関していえば、イギリスの近代小説はそれまでの人間心理など描かない散文物語に対して、新しい散文物語として登場し、そこに人間心理が盛り込まれ、それが読者の心を動かしてヒット、というふうにして発展してきたので、それをセンチメンタル・ノヴェルと言ってしまうのは文学史の無視もはなはだしいと思うのですがね。

ああ、去年の夏までは、某私大の英語圏文学入門で、こういう話を毎回していて、楽しかったんだけど、あまりにトラブルが多くて、コマ数も極限まで減らされて(やめろという暗示のようなもの)、ついにキレてやめてしまったんだけど、ああいう授業、ほんとはもっとやりたいのに。

借りたもう1冊はミュリエル・スパークの書いたメアリ・シェリーの伝記。没後100周年にイギリス国内だけで小冊子のようにして出版したが、その後だいぶ年月がたってからアメリカでも出版の話が出たとき、すでにアメリカでは海賊版が出回っていることがわかり(おい、アメリカ!)、それなら、と、新たに書き下ろしたとのこと。没後100周年の1951年当時はまだスパークは短編小説しか発表していなかったけれど、この本が出た80年代後半には押しも押されもしないイギリスの作家になっていて、「フランケンシュタイン」とメアリ・シェリーの扱いも非常に大きく変わっていました。51年当時は「フランケン」以外の小説は手に入らなかったのに、80年代には他の小説が普通に手に入るようになったとか。本の前半が伝記、後半が主な作品の批評で、読むのが楽しみです。スパークといえば、映画化されてマギー・スミスがアカデミー賞主演女優賞を受賞した「ミス・ブロディの青春」が有名。

それにしても、この2冊の序文を読んだら、なんてわかりやすい英語なんだ、と感激。
というのは、この夏はオールダス・ハクスリーの長い小説と、ニコラス・シェイクスピアの長い小説(どちらも400ページ近く)を読んでいて、どっちも文章(英語)も内容もむずかしくて、正直、あまり理解できないまま読み終えた感じなのですが、そのあと、あの序文2つを読んだら、突然空が晴れたように感じました。ハクスリーの方は哲学論議がえんえんと続くのでむずかしかったんだけど、ニコラス・シェイクスピア(「テロリストのダンス」の作者)の英語はやっぱりむずかしいわ。内容もこの人の作品の中では一番複雑でありました。

2018年9月12日水曜日

「フランケンシュタイン」出版200周年

なーんかすっかり忘れてましたが、今年はメアリ・シェリーの「フランケンシュタイン」出版200周年だったんですね。
去年の暮れに「ヴィクター・フランケンシュタイン」という映画(日本ではDVD公開)のレビューを書いたときに、来年は、と書いていたので気づいてはいたんですが、すっかり忘れてた。
初版発売日は1818年3月11日だそうです。3・11とは。
これは創元の「フランケンシュタイン」キャラ帯にも描かれているゲームキャラを使って描かれた記念の絵。
 こちらからお借りしました。
https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=67678354

イギリスではこんなコインが発売されたようです。

そして、これも以前、紹介したはずですが、メアリ・シェリーの伝記映画(原題Mary Shelley)。日本では「メアリーの総て」の題で12月公開だそうです。

しかし、この映画、Rotten Tomatoesでは40パーセントと、かなり低い評価になっています。配役もケン・ラッセルの「ゴシック」やスペイン映画「幻の城」に比べて魅力がない。正直、映画製作のニュースを知ったときに、あまり期待感を持てなかったのですが、やはり、という感じが(見てみないとわからないけれど)。

「フランケンシュタイン」200周年のイベントが世界中で行われている、とのことですが、正直、全然実感なかったです。検索してもあまり出てこないし。
2016年は例のスイスのジュネーヴのバイロンの別荘で「フランケンシュタイン」とポリドリの「吸血鬼」が生まれた1816年から200周年ということで、一部ではイベントやっていたみたいですが、それも全然知らんかった。
日本でもイベントはやった、やっている、これからやるものがあるようですが、検索で出てきたものはどれも初心者向けかなあ、という感じでした。

そういえば、春に新潮文庫と光文社文庫の「フランケンシュタイン」が増刷されてましたが、200周年需要を見込んでだったのか? 一方、創元は「ドラキュラ」などと合わせてゲームキャラで売るという手法で、考えることが斜め上というか、こういうの好きです。

映画の方ではフランケン200周年で何かやろうとか全然考えてない(思いつきもしない)ところも潔くていいですわ。

2018年9月11日火曜日

「空海」(妖猫傳)DVD鑑賞

特典映像のDVDはすぐに見たのですが、本編のDVDをようやく鑑賞。ブルーレイはいまだプレーヤーなしで、去年買ったものも1枚も見ていません。
特典映像はメイキングと角川歴彦・夢枕獏対談が面白く、特にCGメイキングは一見の価値ありです。他のメイキングでは染谷将太の中国語が聞ける。
角川・夢枕対談では、2人とも「猫かわいい」「猫泣ける」と言っていて、映画のツボをよく心得ている感じで、この2人はちゃんとわかってるな、と思いました。歴彦、ネタバレしすぎ。
ブックレットでは角川歴彦の文章がパンフレットとまったく違う文章で、水魚の交わりという言葉で日中友好を強調しているのが印象的。パンフにあった、日本映画として見ていただくために吹替えだけに、みたいな部分はまったくなかった。
ブックレットにはパンフになかった絵による設定集があって、楊貴妃の墓の壁画に角川歴彦の顔があることが紹介されている。

本編DVDですが、うーん、やっぱり映画館に比べてはるかに小さい画面、角川シネマ新宿のスクリーン2が小さくて不満たらたらだったけど、それさえ大きかったんだなあと思ってしまう自宅の画面(パソコンで見ましたが)。色合いももとの映画に比べて今一つのところもあり、やっぱり大きい画面で見ないとだめだ、これは、と思いました。
でも、好きな映画であることを再認識。南船橋のトーホーシネマズで見たあと、頭の中に「マウンテン・トップ」が響く中、駅まで何度も歩いたことを思い出したり。
本編の特典映像は予告編や特報ですが、最初の方はどちらも中国語で、紹介の仕方も脇役の人まで顔と名前を出したり、内容も映画に沿ったわかりやすいものでしたが、その後、吹替えになると、映画の紹介も内容がよくわからないものになっていました。最初の方の素直な紹介の仕方の方がよかったと思う。
映画館では20回見ましたが(吹替え5回、字幕15回)、最初に吹替え版を見たあと、ネットで中国公開版を2回見て、それで中国語の雰囲気が頭に入ったので、その後、安心して吹替えリピーターになり、やがて字幕版公開となったのですが、ある意味、久々にパソコンで「空海」見たことになります。

というところで、ブルーレイのための機器をどうしようかということで、いろいろ迷っていたけれど、ホームシアター用のプロジェクターとブルーレイプレーヤーとスクリーンを買うという方向になると思います。これだと100インチの大画面も可能。つか、うちは壁が真っ白だから、壁に映してもいいくらい。

2018年9月9日日曜日

「1987、ある闘いの真実」&「野いちご」

北海道の地震で泊原発があわや福島第一の二の舞かという電源喪失が起こり、もともと原発停止していたおかげでディーゼル発電でなんとかなったというのに、「泊原発が稼働中だったら北海道全域停電にならなかった」とかいう寝言を言うバカがけっこういるらしいので驚いたのですが、そういうバカがなぜか、「泊原発」を「柏原発」と何度も書いているのですね(バカだからでしょう)。
(詳しくは一番下に追記)

その、原発があるという(ないよ)柏市のキネマ旬報シアターで、韓国映画「1987、ある闘いの真実」とイングマル・ベルイマンの旧作「野いちご」をハシゴ。
「1987」は「タクシー運転手」で描かれた1980年の光州事件から7年後、そしてソウル五輪の前年にあたる1987年が舞台。北朝鮮の脅威を背景に続く独裁政権下で、学生運動をしていただけのソウル大学の学生が警察の拷問で死亡。警察は隠蔽をはかり、遺族に遺体も見せずに火葬にしようとするが、大学病院の医師や検事局の検事がマスコミに真相を流す。まず中央日報が殺人と報じるが、すぐに弾圧され、それでは、と、今度は東亜日報が報道、って、これ、ニューヨーク・タイムズがだめならワシントン・ポスト、のあの映画を思い出しますね。
で、真相が世に出てしまうと、今度は下っ端の刑事2人を殺人犯に仕立て、隠蔽をはかる。だまされた、と思った刑事が逆らうと、多額の金をやると言い、それでも従わないと、今度は妻子を殺すと言われる。もう、やることがひどいというか、この治安警察の偉い所長がすぐに暴力ふるうヤクザの親分みたいな人で(顔も東映のヤクザ映画を彷彿とさせる)。
それでもマスコミ、検事局、そして刑務所には独裁政権と戦う意志を持つ人が何人もいて、こうした人々が連携して、当局の目をかいくぐって真相を伝え、学生がデモをして、こうして民主化への戦いが繰り広げられたのだ、ということをつぶさに見せてくれる。
映画はエンタテインメントとして作られてはいるが、笑いもあった「タクシー運転手」に比べると暗くてシリアスで、最後は正義が勝って悪が罰せられるけれど、悲しい結末。ラストは涙なしには見られない。
映画の後半は延世大学の男女学生2人が主役になっていく。女子大生の方はデモなど役に立たないと思っているが、しだいに考えが変わっていくのは「タクシー運転手」の主人公とかさなる。彼女の叔父は刑務所の看守で、ひそかに独裁政権と戦うレジスタンスに加わっているし、彼女も学生運動をする男子学生に助けられ、光州事件のビデオを見ることで、気持ちが変わっていく。
治安警察対マスコミとレジスタンスの人々という大人たちのドラマと、後半の若者たちのドラマが自然にうまく結びつき、大学生の拷問死で始まった映画が最後もまた大学生の悲劇で幕を閉じるという構成になっている。実話をもとにした複雑な内容を、実にうまく脚本化している。
それにしても、見ている間ずっと、今の日本の状況と比べてしまっていた。当時の韓国は北朝鮮の脅威を理由に独裁していたが、今の日本はそういう脅威はないのに、映画に描かれたような独裁が起こりつつあるという感じがしてならない。

ベルイマンの映画は意外に見ていないものが多くて、「野いちご」も初めてだった。
名誉博士号を授与されることになった老教授が、授賞式へ車で出かける。その間に若者3人組や仲の悪い夫婦と出会ったり、奇妙な夢を見たり、若い頃を思い出したりする。ベルイマンの映画はファンタジーの要素が色濃いが、老人の見る夢が幻想的で、特に冒頭の夢は死を暗示させる。
仲の悪い夫婦というのが1つのモチーフで、教授も恋人に裏切られたり、妻に裏切られたりしているし、息子夫婦もうまくいっていない。しかし、最後に現れる思い出の風景は美しい。
この映画を作った頃のベルイマンはまだ比較的若い時期だったと思うが、老いは若者が描く、という言葉を思い出した。老いの映画は老いた監督よりも比較的年若い監督が描く場合が多いのだ。
イングリッド・チューリンやビビ・アンデションといった女優がなつかしい。マックス・フォン・シドーもちょっとだけ出演。妊娠中なのにタバコを吸うというのはいかにも昔の時代だなあと思う。

「1987」が終わってから「野いちご」が始まるまで3時間半もあったけれど、ビックカメラを見たり、ベローチェで本を読んだりしていたらすぐすぎてしまった。ベローチェのふちねこハロウィン、ほしかった2種類を一度にゲット。18時以降のレシートだと好きなのを選べるのだけれど、今回は手探りでも種類がわかりやすいのではないかと思った。前回のふちねこ、ベビーがほうきに乗っている今回のふちねこがかわいい。

「原発」に関する追記
【デマ アラート】
おバカな人が、泊原発が稼働していれば、今回のような停電にはならなかったと、デマを流したようです。ウソで、全く逆に危険が高まることになるので注意してください。
火力であろうと、原発であろうと、停電の原因は、単純な供給容量が足りないという問題ではなく、動的な微妙なバランスの上に成り立っている大規模な交流送電のバランスが崩壊したことにあるのですから、原発も火力発電と同じように止まります。これは、地震による揺れの強さとは関係ありません。たとえ発電所の場所の震度が小さくても送電網につながっている限り、同じです。
そして、送電システム全体がブラックアウトした場合、他の発電所は特に問題を起こさないですが、原発だけが冷却のためだけのディーゼル発電機でポンプを回し続けなければなりません。さもなければメルトダウンです。
出典 https://www.facebook.com/izumi.ohzawa/posts/1957733144285244

2018年9月7日金曜日

久々のパンダ観覧

夕方、なんとなく上野動物園へ。
真夏の夜の動物園のときはパンダは父リーリーをちょっと見られただけだったので、久々パンダ親子を見ることができた。
午後4時前に入ったけれど、待ち時間は40分の表示。9月に入ってからの平日はこのくらいが普通のよう。五重塔の手前の塀に海驢(アシカ)と大きく書いてあるがどういう意味かは不明。

入ったら、なんと、外からシンシンとシャンシャンが見えた。以前は外からだと見えなくされていたのが見えるようになっていた。シャンシャンを見下ろすシンシン。

そのあと列に並んで観覧。父リーリーはうろうろ歩いてばかり。

母シンシンは食事中。娘シャンシャンは木の上(起きています)。

大きくなったなあ。

半年前、同じ木の上のシャンシャン。

フラミンゴのヒナが2羽います。

片足で立っている。

ハシビロコウが歩いて羽ばたきしているのが見られた。動画からの写真。下も同じ。激しく動いているので少しぼけている。


北海道で震度7の地震、そして北海道全域で停電と、非常に心配な状況です。関西では台風の大きな被害が出たばかりでこちらもまだ停電地域がある。どちらも復旧にはかなり時間がかかりそうだとか。空港が閉鎖、そして原発も心配と、もう、ほんとにこれでオリンピックやるのだろうか、できるのだろうか。のんきにパンダなんか見てる場合じゃないのだろうと思うけれど、この日(6日)のパンダはいつもとちょっと雰囲気が違うような感じがした。気のせいかもしれないけれど。

2018年9月6日木曜日

「クリスマス・キャロル」誕生秘話?

チャールズ・ディケンズの「クリスマス・キャロル」誕生秘話をフィクションとして描いた映画「Merry Christmas! ロンドンに奇跡を起こした男」を見た。
同じ配給元によるサリンジャーが登場する映画「ライ麦畑で出会ったら」の試写が大盛況だったのに対し、この映画の試写は空席の目立つさびしいものだった。
それもそのはず、(公開までに間があるのに言いたくはないが)はっきり言って、面白くありません。
小説の映画化とのことで、原作者は「クリスマス・キャロル」が自費出版であること、当時、ディケンズは人気が落ちていたことからヒントを得て、まったくのフィクションとして「クリスマス・キャロル」誕生秘話を書いたとのこと。原作は読んでいないのでわからないけれど、「クリスマス・キャロル」の3人のクリスマスの精霊を現実の人物と同じ俳優が演じるというMGMの「オズの魔法使」みたいなことをやっているのだが、現実とフィクションの中の人物のつながりにまったく必然性がない。ディケンズがスクルージに導かれて父との確執や少年時代のトラウマを解消していくというストーリーも説得力がない。ディケンズとスクルージと父親の人物造型が非常にあいまいで、物語の中で彼らの果たす役割が見えてこないのだ。

というわけで、映画自体はもうこれ以上言うことはないのだけど、映画に描かれたいくつかの事柄について、元イギリス小説研究者として少し解説してみようと思う。

まず、当時のディケンズの人気が落ちていた、ということだけれど、ディケンズは「ピックウィック・ペイパーズ」(プレスでは「ピックウィック・クラブ」となっているが、英文学者の間では「ペイパーズ」というのが普通)と「オリヴァー・ツイスト」で大人気作家となり、その後も好調だったが、「クリスマス・キャロル」に先立つ3作品が売れず、人気急落の事態に陥っていた。で、その売れなかった3作は、映画の中で「バーナビー・ラッジ」、「マーティン・チャズルウィット」、「アメリカ紀行」と言っていて、最初の2つが小説なのだが、確かにこの2作はディケンズの小説の中ではあまりかえりみられない作品。が、プレスの中のエッセイで、何を間違えたか、売れなかった3作を「ニコラス・ニクルビー」、「骨董屋」、「バーナビー・ラッジ」と書いている人がいるんですね。
いやあ、まいった。「ニコラス・ニクルビー」と「骨董屋」は売れたし、ディケンズの作品の中でもわりと重要な作品です。特に「骨董屋」はリトル・ネルという少女が読者の涙を搾り取ったことで有名で、映画のせりふにも「リトル・ネル」が出てくる。「ニコラス・ニクルビー」は日本未公開だけれど、超大作の映画化がされています。
私はディケンズは研究していたわけではないので、そんなにたくさんは読んでいないので、売れなかった「バーナビー・ラッジ」と「マーティン・チャズルウィット」のことはよく知らないが、映画の中で「マーティン・チャズルウィット」がピカレスクだと言われている。

そして、映画には、のちにディケンズと並ぶヴィクトリア朝前期の小説家となるウィリアム・メイクピース・サッカレーが出てくるのだが、このディケンズとサッカレーの描写がちと気になった。
映画ではサッカレーの方がディケンズよりずっと偉そうに描かれているが、サッカレーが最初の本格的な小説を発表したのは実は「クリスマス・キャロル」の翌年、1844年なのだ。つまり、映画の中の時点では、サッカレーはまだ小説家ではない。(サッカレーはそれ以前に「キャサリン」という小説を雑誌連載していたが、これを処女小説とするかどうかは微妙なようだ。)
その1844年に出た彼の小説がスタンリー・キューブリックが映画化した「バリー・リンドン」で、これは全然当たらなかった。サッカレーが小説家としてメジャーになったのは1847年から48年に分冊で出版された「虚栄の市」の大ヒットからである。
というわけで、「クリスマス・キャロル」が書かれる1843年にはサッカレーはまだ本格的な小説家ではなかったが、「イギリス俗物誌」というエッセイ集が人気を得ていて、コラムニストとして活躍していた(彼は絵もうまく自分の本の挿絵は自分で描いている)。だから、映画の中のサッカレーは評論家サッカレーと考えるべきなのだろう(だから偉そう?)。ちなみに、ディケンズとサッカレーは年は1歳違い。
映画のサッカレーは最初は意地悪そうに登場するが、実はディケンズの理解者みたいな感じになるけれど、サッカレーがディケンズのピカレスク「マーティン・チャズルウィット」について、評論家は理解してない、みたいな言い方をするのは、サッカレー自身がピカレスクの愛好家で、処女作「バリー・リンドン」も代表作{虚栄の市」もピカレスクだということを考えると、少しは興味深い。が、この映画は他の人物同様、サッカレーも特に人物として面白いわけでないので、英文学的にはこういうことも考えられるというレベルでしかない(いろいろな意味で残念な映画)。

「クリスマス・キャロル」が自費出版というのは意外だったが、その背景は原作者にはわからなかったので、フィクションにしたらしい。
自費出版といえば、ジェーン・オースティンも自費出版なのである。
オースティンの場合は当時は売れそうになかったので出版自体もなかなか実現しなかったのだが、ディケンズならある程度は売れ行きを見込めるだろうに。
ひとつ考えられることは、ディケンズはそれまで小説は分冊か雑誌連載で発表し、その後に単行本にしていた。当時の小説は非常に長く、単行本化するときは3冊本になるのが普通だった。それに比べて「クリスマス・キャロル」は非常に短く、最初から単行本で出版されている。クリスマスに合わせた本だからで、ディケンズはその後もこの手のクリスマス本を出版しているし、サッカレーもクリスマス本を出すようになった。クリスマス本が流行になったのだろう。
しかし、ディケンズが「クリスマス・キャロル」を短いとはいえ、最初から単行本で出すということは、どのくらい売れるかわからないわけで、それで自費出版になったのかな、と想像(あとで調べてみよう)。
ちなみに、ディケンズの時代、ヴィクトリア朝前期で最初から単行本で出たので有名なのはブロンテ三姉妹の「ジェーン・エア」、「嵐が丘」、「アグネス・グレイ」で、この3作はブロンテ姉妹が出版社に持ち込んでまとめて出版されたもので、かなり例外的。サッカレーも「バリー・リントン」は雑誌連載だし、「虚栄の市」は分冊だし、当時は長編小説は連載や分冊で出して様子を見ながらという時代だった。だから、連載や分冊の最後は次を買ってもらえるように、いわゆるクリフハンガーにしておくのである。
ちなみに、人気の出なかった「バリー・リンドン」はすぐには単行本化されず、だいぶたってから単行本になった。

こういう背景が映画でわかるようになっていたら、もう少し面白くなっていたかもしれないのだが、イギリス文学や文化に疎い人が作った映画という感じで、靴墨工場で働くことになった少年ディケンズが感じる屈辱が、のちに「大いなる遺産」で描かれることとなるイギリスの階級制度から来ているということが映画ではほとんど描かれていない。イギリスやヴィクトリア朝を骨抜きにして、イギリス最大の小説家ディケンズを描くとは、ディケンズのファンだったら許せないだろうなあと思うのである(プレスの解説にイギリス小説研究者が出てこないのはそのせいか?)。

2018年9月4日火曜日

ふちねこハロウィン&「妖猫傳」ディスク

ベローチェというかシャノアールがまたしても罪な企画を。
ふちねこハロウィン、10月31日まで開催。
https://chatnoir-company.com/fuchineko2018/index.html


今回は午後6時以降のレシート3枚だと好きなふちねこを選べるそうです。ただし、10月15日まで。
そして、なんと、限定50セットの金のふちねこが当たる、つうか、50セットじゃ当たるわけないわな。
しかし、ふちねこは毎年2月から3月の1回だけだったのに、今年からは年2回になるのか。確かにふちねこの期間はいつもの2倍以上店に行ってる。罪な企画です。

さて、今日は「空海」こと「妖猫傳」のディスクが届く日なので、セブンイレブンに取りに行きました。
オムニ7はアマゾンみたいにでかい箱で来ないのが何よりよいです。特典の黒猫ポストカード2枚つき。
黒猫はハロウィンにぴったりなのだが、ふちねこ、この前やったときは「空海」の公開と重なっていたし、今回はディスク発売と重なっているのも奇遇だなあ。

ブックレットと箱。ブックレットはパンフレットとほとんど同じ内容ですが、少し違うところもあります。

ディスクケース。ディスクは3枚なので3面ですが、そのうちの2枚分の裏側。

もう1枚分の裏側が右側。左は特典映像のDVD。今日はとりあえずこれを見ようか。

DVD、BDともに、音声は中国語と日本語吹替えの両方が入っているので、中国語版を見たい方はレンタルでも大丈夫です。吹替えもクライマックスのおじさん2人のシーンはぜひ聞いてほしい。名演。

2018年9月3日月曜日

ビニ本になっていた。

英文学がらみの映画の試写に行った帰りに秋葉原に寄り、ヨドバシアキバの7階の書店に行ってびっくり。
以前紹介した、ゲームのキャラ帯をつけた創元推理文庫6冊が、ビニ本になっていた!
見本だけ中を見られるようになっていて、あとは漫画本のようにビニ本!
確かに、帯が傷物になったら困るからねえ。
以前アップした写真。

試写で見た映画についてはあたらめて書く予定ですが、プレスを見たらあまりにも残念な文章があって、大手で最近ディケンズ翻訳家になっている人がディケンズをあまりよく知らないのがバレバレな文章で、最近流行の古典新訳に関する忸怩たる思いもあって、なんだか気持ちが落ち込んでしまいました。
が、書店でこの本を手に取って立ち読みしたら、笑いがこらえられないので購入。

アマゾンのレビューを見ると、人間のせいで絶滅したのにふざけてる、という低評価が、なぜか8月中旬くらいからどっと並んでいて、それにいいねがたくさんついているらしいのを見て、なんだかなあ、と思った。
例の「この本、面白いんですか?」で書いた進化論の本と重なる部分もあるというか、生物の99.9%は絶滅するとか、絶滅の原因は、とか、このあたりは生物学の事実なので重なるわけですが、そういう生物の歴史の点から見るべき話だと思うのに、あたかも人類総懺悔を期待しているようなレビューにはうんざりです。子供に読ませたくないなら読ませるな、つか、これ、子供が読む本だろうか? 大人が皮肉やアイロニーを感じて笑って読む本だと思うのだが。
人類のせいで絶滅したっていうのも、当時は、めずらしい生物がいて、人間が入り込むと絶滅するということ自体が、人間にはわからなかったんだけどね。

というわけで、試写のプレスでがっかりして、この本で笑って少しは気分がよくなったと思ったら、アマゾンのレビューでまた気分が悪くなるという、だめだ、こりゃ。

「空海」(妖猫傳)のディレクターズ・カット@トロント映画祭

9月6日からカナダのトロントで開催されるトロント国際映画祭に「空海」こと「妖猫傳」のディレクターズ・カットが出品されるようです。

トロント映画祭で注目の外国映画(予告編あり)。
日本映画「斬、」も入っています。
https://www.blogto.com/film/2018/08/foreign-films-tiff-2018/

日本映画は「寝ても覚めても」や「万引き家族」も上映されるようですが、こちらはどちらもカンヌ映画祭に出ていたので注目度は低いのかもしれません。

上のサイトの予告編ではディレクターズ・カットといっても新しいシーンは入っていませんでしたが、普通は追加シーンがあったりするものなので、どうなってるのか興味深いです。
中国映画としての参加で、日本からは誰も行かないのかな。こちらではニュースにもなってませんね。

奇しくもトロント映画祭が始まる前日、9月5日は「空海」DVD&BD発売日です。予約していたのが4日に届くとの連絡がありました。

日本では「空海」はもう全然映画館では見られなくなっているのですが、9月29日に東京映画祭プレイベントとして赤坂のホールで上映されるそうです。こちらは応募抽選制で、すでに締切済み。サイトには書いてなかったけど、吹替え版でしょうね。

「空海」は欧米では公開されてるのかなあ。その辺、全然調べてないんだけど。ファンは多いけど、みんな自分の世界にひたっていて、「君の名は。」みたいに世界の情報を教え合うみたいなのがまったくないというか、中国の情報くらいしか入ってこない(中国はネットでメイキングを多数アップしていたので、情報は非常に多かった。それで満腹していた人が多かったのかも)。
トロント映画祭は北米に大きな影響力を持っていると思うので、ディレクターズ・カットが北米で公開されて話題になれば、と思っている。日本はディレクターズ・カット好きだから円盤にはなるかもだけど、映画館で見たいよね(もちろん中国語で)。

2018年9月2日日曜日

「ボルグ/マッケンロー」&「タリーと私の秘密の時間」

テニスに疎い私でも知っているボルグとマッケンロー。この2人の伝説の試合が映画化されたと知り、公開を待ちわびていたので、早速行きつけのシネコンで予約。せっかく行くのだからついでに何か見られる映画はないかな、とスケジュールを見たら、同じスクリーンで「タリーと私の秘密の時間」がある。これは2本立てにできる、とこちらも予約。
このスクリーンは50席余りしかないところで、しかもファーストデイだからどちらも満席。他の回も満席だった。このシネコンは先週、「カメラを止めるな!」を見たところで、「カメラ」のスクリーンは今週は100席くらいのところだったけれど、こちらも全回満席のようだった。

「タリー」を先に見たのだけれど、この映画、シャーリーズ・セロンが「モンスター」以上に体重増やして、という話題を聞いたときは見る気がしなかったのだけど、その後、夜間の子守り、タリーの正体は、というあたりで興味を持った。が、正体はさほど意外性がなく、ちょっとがっかり。
家事と育児に疲れ果てた主婦をセロンが演じていて、夜間の子守りが来てくれて、授乳のときだけ起きればいいとどんなに楽かが描かれているけれど、夜泣きにつきあわなくていいだけで赤ん坊の親はどんなに助かるだろうと思う。おまけにタリーは子守り以外のこともしてくれる。
で、タリーの正体がわかったところで、この映画に描かれたことは現実ではなく、現実は別にあるとわかるのだが、最後は夫も家事育児を手伝い、ハッピーエンド。うーん、ちょっと甘いかな。

本命の「ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男」はスウェーデン映画なので、ボルグの方がメイン。スウェーデン語のシーンも多い。興味深いのは、冷静沈着でクールな貴公子ボルグが、実は少年時代はマッケンローのようなすぐにキレて悪態をつく悪童だったこと。テニスは紳士のスポーツなのに、とか、出身の階級のことまで言われ(このあたり、いかにもヨーロッパ)、嫌われ者だったボルグだが、そういうところが彼の勝利を阻んでいると見たコーチの助言により、怒りを抑えて冷静になることを学んだボルグは10代で頭角を現し、そしてウィンブルドン4連覇。5連覇に挑戦する彼の前に現れたのが、アメリカの悪童マッケンローだった。
マッケンローは審判の判定に怒って悪態をつくことで有名で、こちらも紳士のスポーツにふさわしくないと言われていたが、さすがアメリカ、悪童でものし上がってこれたのであるが、映画ではマッケンローの少年時代も、ボルグほどではないが、描かれていて、そこでは彼は学校の勉強ができる優等生なのだ。両親も学業に期待している。マッケンローの父は著名な弁護士だそうで、ボルグと違って裕福なインテリの家の生まれなのだろう。マッケンローが悪態をついたり反抗的だったりするのは、そうしたインテリの家への反発なのかもしれない。
表向きにはクールな男と悪童という対照的な2人だが、映画は彼らが正反対なのではなく、互いに共通点を持った複雑な、そしてとても人間的な人間なのだということを描いていく。
マッケンローたちがボルグの試合を見るシーンで、「ボルグは氷山だと思われているが、本当は火山だ」という言葉が出てくる。逆にボルグがマッケンローの試合を見るシーンで、ボルグは、イライラカッカしているマッケンローが実は試合に集中していることを見抜く。ボルグもマッケンローも表向きのイメージとは違う面を持つことを、お互いに理解しているのだ。
ボルグの方がメインの作りだが、マッケンローも非常によく描かれていて、敗れたアメリカ人の選手から「おまえはウィンブルドンでいずれは優勝するだろうが、偉大な選手にはなれない。おまえにあこがれる子供はいない」と言われ、涙を流すシーンは印象的だ。マッケンロー自身はボルグにあこがれたのであり、ボルグはクールになることを学んで成功し、あこがれの的になっているからだ。
映画では勝利を脅かされるボルグの心情が丹念に描かれているが、クライマックスの決勝戦ではシャイア・ラブーフ演じるマッケンローの魅力が炸裂する。挑戦者の魅力である。この試合のシーンが迫力満点で、見応え十分。審判の明らかなミスジャッジがあってもなぜか怒らないマッケンローは決勝戦では冷静さを保ち、ボルグも試合途中でマッケンローに励ましの言葉をかけたりする。クライマックスの試合は第4セットで、第3セットまではボルグが2対1でリードしていて余裕だからなのだが。とにかく、このクライマックスはスポーツ映画の醍醐味だ。
ラスト、空港で偶然出会った2人のシーンもいい。ボルグが引退後、2人は親友になったことが語られるが、水と油のように言われる2人の間の親和力を感じさせるシーンだ。
ボルグ役のスベリル・グドナソン、マッケンロー役のシャイア・ラブーフともにすばらしい演技をしているが、脇をかためるコーチ役のステラン・スカルスガルドが圧倒的な存在感。