2012年4月17日火曜日

鶯谷そして

ブロガーはまたまた新しいインターフェイスを使ってみるとかいう表記が出てきて、いよいよ古いブラウザでは対応できなくなりそうな予感です。
 さて、先日、山手線の駅と山手線が通る橋を1つ1つチェックしているマニアックなサイトを見つけ、私もまたマニアックな人間なので、面白く見ているうちに夜が更けて、ということがあったのですが、そこに、山手線の上野のすぐ北の駅、鶯谷の名前についての記事がありました。
 鶯谷という駅名の誕生については説があるのですが、どうも説得力のある説ではないらしい。しかも、鶯谷って、谷じゃないし。
 確かにそうです。しかし、鶯谷駅の近くには、あの「おそれ入谷の鬼子母神」という名言(?)で有名な入谷という地名の地域があり、また、下谷とか松が谷とかいう地名もあるのです。
 これだけ谷という地名がある以上、ここは谷だったに違いない、と思い、ぐぐってみました。
 で、ウィキペディアの入谷(台東区)という項目を見たら、なんと、この入谷周辺はかつては千束池の底だったのだと。それが戦国時代に埋め立てられて平地になったのだと。だから、当然、入谷の周辺は谷で、池だったんだわ。
 実は私は北区に1年ちょっと、文京区に四半世紀以上住んでまして、近くの台東区にはしょっちゅう行っているのです。なので、この辺は相当歩いているはずなんですが、その山手線の駅と橋のサイトを見て、気づかなかったことの多さにびっくりしています。田端とか西日暮里、日暮里、鶯谷、確かに駅のそばが崖ばかりで、山を切り出して作った場所なんですね。田端駅そばの切通しとか、何度も歩いていますが、あそこは確かに不思議な空間でした。
 そんなわけで、先日、北千住に買い物に出かけたあと、北千住から常磐線で日暮里へ出てみました。常磐線は日暮里近くに来ると、まず、広い道路を横切る低い陸橋を渡り、それから踏み切りをすぎて日暮里駅に入っていくはずです。このあたりは何度も歩いたので知っているつもりでしたが、すでに暗くなっていたせいか、何もわからず、気がついたら、眼下を新幹線が走っていて、あっという間に日暮里駅に入っていました。
 田端駅から北で山手線と京浜東北線が分かれていくとか、普通に知っていたはずなんですけど、京浜東北線がトンネルに入るとか、全然気づいていませんでした。
 日暮里駅は子供の頃から親しんでいる駅で、10代の数年間、常磐線沿線に住んでいたので、有楽町や池袋・新宿・渋谷方面に行くときは必ず日暮里で山手線に乗り換えていました。また、大学時代は京成線沿線から埼玉県に通っていたので、京成で日暮里に出て京浜東北線に乗り換え、というのを3年間やっていました(4年目は埼玉県に引越)。なので、日暮里は相当になじみのある駅なのですが、ここ数年の間にこの駅もすっかり模様替えして、かつてとはかなり違っています。その昔、埼玉から自宅に帰るとき、日暮里で京浜東北線の上りは9番線に着くので、そこから階段を走って上がり通路を走って京成線の2番線ホームへ階段を走り降りて、京成の急行に乗っていたのですが(元気だったなあ)、いまや京成線は高いところにホームがあるので、階段を上って、通路を走って、さらに階段を上らないといけないのですね。こりゃ大変だ。