2017年6月29日木曜日

花とタヌキ

しばらく行っていなかった近くの公園。
草ぼうぼうだった花壇がきれいになっていた。

赤と青のサルビア。

建物の2階から見ると、クジラの絵らしいことがわかる。

ひまわりが咲き始めていた。

野鳥観察センターの窓の外にタヌキが。(ズームです)

前足の下あたり、草むらに卵らしきものがある。何かの卵をいくつも食べているらしい。

カルガモの家族。

首都圏でも道路に動物注意とか立札がありますが、いるんですね、野生動物。

2017年6月28日水曜日

「セールスマン」(少しネタバレ)

「別離」に続いて2度目のアカデミー賞外国語映画賞となったアスガー・ファルハディ監督のイラン映画「セールスマン」を見てきた。
劇場はキネマ旬報シアターで、存在は当然知っていたけど、行ったのは初めて。柏駅からすぐのわかりやすい場所(案内板が中央改札を出たところからずっとある)。
柏は10代の頃に7年間住んでいたけれど、先だっての川崎と同じく、最後に行ってから数十年が経過しているので、昔の面影はまったくない。

さて、「セールスマン」だけど、実はアーサー・ミラーの「セールスマンの死」を読んでいないので、この劇とのつながりはわからなかった。
そこでググってみたら、なかなかためになるサイトが出てきた。
http://france-chebunbun.com/2017/06/11/post-11490/
この記事はネタバレ全開なので、これから見る人は読まない方がいいと思う。
でも、「セールスマンの死」との関連について詳しく書いてあるので、私にとっては役に立った。
特に、後半、主人公がウィリー・ローマン化するというあたり、実際に戯曲と比べて確かめないといけないけど、とりあえず、なるほど、そうなのか、と感じた。
また、性犯罪の被害者に寄り添った意見や、最後の結論も大いに納得できる。見終わって、なんとなくモヤモヤが残る人はこれを読むといいと思う。

実は私自身が見終わってモヤモヤが残ったのだけど、上の記事に書いていないことを少し書いておこう。

主人公は「セールスマンの死」を上演する劇団の俳優夫婦。倒壊寸前のアパートから新しいアパートへ転居するが、ある夜、自宅でシャワーを浴びていた妻が何者かに襲われ、レイプされる。
そのアパートの部屋は前の住人が自宅で売春をしていたのだが、夫婦には知らされていなかった。妻はインターフォンが鳴ったとき、夫だと思い、確認せずにドアの鍵を開けて浴室に入ってしまう。しかし、現れたのは前の住人の客だった男で、シャワーを浴びているのが別人だとわかったにもかかわらず、襲ったのだ。
遺留品は多く、車、そのキー、携帯、金など。携帯はすでに契約解除されていた(これが最後に決め手となる)。
夫は警察に行こうと言うが、妻はかたくなに拒む。上の記事では、警察に行くと妻が逮捕されると書いているが、確かにイスラム教の国の中にはレイプの被害者の方が逮捕されたり、時には死刑にされたりすることもあるけれど、この映画の場合はそれはなさそうに感じる。
妻が警察に行きたくない理由は、いろいろ事情を話さなければならないのがつらいからであり、また、彼女はレイプされたことを人に知られたくないという気持ちが強い。
日本でもレイプ被害者は泣き寝入りが多く、特に相手が顔見知りだと立証が大変だと聞くが、この場合は赤の他人なので、立証は簡単だろう。遺留品も多いので、犯人はすぐに捕まると思われる。
しかし、たとえそうでも、世間はなぜインターフォンの相手を確かめずに鍵を開けたのかと言って、被害者の落ち度を述べ立てるだろう。日本でも性犯罪の被害者には必ず落ち度があったと責める人がいる。鍵をかけ忘れた人はレイプされてもしかたない、と言わんばかりの言説が平然と行われる。鍵をかけ忘れた人は殺されてもしかたない、とは絶対に言われないのに。
夫は、警察に行かないのなら自分が見つけ出して復讐してやる、と、犯人探しに奔走する。その間も劇団の公演は続き、妻は無理して舞台に立つが、途中で退場してしまう。
一方、妻を助けて病院へ連れていったアパートの人々から劇団員に事件のことが伝わってしまう。妻は顔の傷を見られるから実家にも帰れないと言っていたのに、である。妻がいかにレイプ被害を知られたくないかがよくわかる。夫が復讐に走れば走るほど、妻は救われず、夫婦の溝は深まるばかり。
別の人の感想に、夫の復讐は自己満足にすぎない、と書いているものがあったが、まったくそのとおりだろう。妻を救うには何をしたらいいのか、ということを考えていない。というか、これはとてもむずかしくて、考えられない夫を責められない。
ただ、復讐したい夫の心理もまた、レイプ犯と同じく、男性原理みたいなものじゃないか、という気はする。男のメンツであり、また、女を見下している。
最後に意外な人物が犯人だとわかるのだが、この犯人を見て、「午後8時の訪問者」の移民の女性を死なせた男を思い出した。移民の若い女性にしつようにつきまとい、彼女を死に至らしめた男は、一見、ごく普通の平凡な男だった。極悪人ではまったくない。が、彼は女を思い通りにすることをよくやっていて、だから、逃げる女にもしつこくつきまとったのだ。
「セールスマン」の犯人も一見、善良で無害な男に見えるが、彼は売春をする女のところに通い、そして、売春婦ではないとわかって凶行に及んだ。
2人とも、後悔し、反省しているようなところも似ている。
ただ、疑問なのは、妻がこの犯人と同じ場所にいても動揺しないことだ。彼女は赦しの境地に至っているのだろうか。この辺がどうにもモヤモヤする。

2017年6月27日火曜日

駒本小学校

安倍晋三首相が都議会議員選挙の自民党候補の応援演説に来たというのでにわかに注目の的になった東京都文京区駒本小学校。
30年住んだ文京区、そのうち20年以上が千駄木でしたが、最後の数年間は本駒込、向丘で、選挙の投票所が駒本小学校でした。
その応援演説のあった場所は選挙のときに投票所になる体育館と思われます。実際、そこで何度か投票してます。
下は2014年2月9日の東京都知事選挙の時の写真。当選したのは舛添要一氏。

雪が積もっていますが、前日の8日が大雪でした。当時住んでいたマンションの窓から。


翌朝はこんな具合に。

もうこの周辺に戻ることもないと思うので、写真アップしちゃおう。よい眺めですが、翌年、こちら側に新しいマンションが建ち、眺めが完全に遮断されてしまいました。しかも屋上にはソーラーパネルがびっしり。転居を決意したのはこのときです。

さて、駒本小学校ですが、一時、統廃合でなくなる予定だったのが、住民などの反対で残ることになったという過去があります。
が、それよりもすごい過去が!
それは血盟団事件。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E7%9B%9F%E5%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
事件後、血盟団という名をつけられた暗殺集団が、政治家などを暗殺する計画をたて、1932年2月9日(おう、上の都知事選と同じ日!)、本郷にあった駒本小学校(現在の場所とは違うようだ)で、選挙応援演説に来た民政党幹事長の井上準之助を暗殺。
なんか、ツイッターとかではなぜ駒本小学校なのかについてはほとんど触れられてなくて、一部にこの血盟団事件に言及したのがある程度。
むしろ、駒本小学校が森友学園みたいに、小学生が「安倍晋三首相がんばれ」とか言っているのでは、などというジョークがいくつか出ています。
260人くらいの学校らしいけど迷惑な話だよね。
統廃合が決まっていた駒本小学校の存続に自民党が寄与していたのかしらん。
でもまあ、共謀罪強行採決の首相が、血盟団事件のこの小学校で演説って、やっぱりその辺のからみがあるのかね、と思ってしまうよね。
(単に、いつもここを使っているから、かもしれないけど。でも、なんか、文京区については離れてからいろいろあって、長年住んだのに悪いイメージばかりが記憶に残りつつある。)

2017年6月25日日曜日

気道過敏症か気管支喘息か

しばらく前から咳がひどくて、10日ほど前に映画を見に行ったときはアイスティーを買って、時々口にふくんで喉を潤すようにした、という話を書きました。
その後、よくなってきたかと思ったら、最近は夕食に塩とか香辛料とかをまぶした食べ物を食べると、その後、喉がまるで塩や香辛料を出そうとするかのように咳や痰が出るようになり、その上、鼻炎の症状も重なり、夕食後が大変なことに。
なんか、喉の粘膜が過敏症なのかな。
そういえば、この症状、最初は鼻が過敏な感じで、ニオイが強く感じられたりしていて、それからそのニオイが喉に刺さるような感じになり、やがて咳になっていったのでした。
2週間くらい前がちょうど咳が一番ひどくて、痰が出ない咳でしたが、その後、咳はそれほどひどくなくなり、かわりに鼻炎の症状が出始め、咳のときには痰が出るように。
で、今は塩や香辛料で盛大にゲホンゲホンと咳が出て、鼻炎の症状、そして痰が出るという状態。
ただ、この状態、ある時間がすぎると収まります。
とりあえず、今は鼻炎の薬が効いているのですが、どうやら気道の過敏症かな、と思って調べてみました。
すると、花粉症や鼻炎の人が気管支喘息になることが多いという話が。
花粉自体は喉までは到達しないけれど、花粉のアレルギーによって出来た細胞が喉まで来て、喘息になるのだと。
また、埃やその他、いろいろな物質やストレスなどでもこうなる場合があるようです。
とはいっても、私の場合はまだ息が苦しいとかそういうことはまったくありません。
気管支喘息だとステロイド剤を吸入しないといけないらしい。
うーん、それはいやだな。
とりあえず、喉を刺激するものは食べないことにしよう。

2017年6月19日月曜日

上映中の「キング・アーサー」は見ないけど

一応、どんな映画か調べてみました。

アーサー王伝説の映画に関しては好きだし詳しいつもりだけど、今度の「キング・アーサー」はまったく見る気がありません。
だって、そうでしょ、人妻奪ってアーサーをはらませたウーサー・ペンドラゴンがなぜか善人で、ウーサーと妻イグレイン(最初の夫が死んだあとにウーサーと結婚)を殺したヴォーティガンにアーサーが復讐する話って、話が違うじゃん。
おまけに、アーサーと異父姉モーゴーズとの間に生まれた息子モードレッドがなぜかアーサーより先に生まれていて、なんかヴォーティガンと関係あるらしいよ。
ヴォーティガンは一応、アーサー王伝説に出てくる人ですが、これまでに見た映画化では見たことなし。
あと、「エクスカリバー」ではパーシヴァルになっていた、エクスカリバーを湖の淑女に返すベディヴィアがウーサー側の人間として出てくるらしい。
パーシヴァルも出てくるらしい。
あと、トリスタンが違う名前で出てるらしい。イゾルデは出ないようだ。
もー、わからん。
マーリンは出てこなくて、かわりにマーリンがつかわした女の魔術師が出てくるようだ。アーサーの異父姉でモーゴーズの妹モルガン・ル・フェイがモデルとか(?)。
ちなみに、「エクスカリバー」ではモーゴーズとモルガン・ル・フェイを合わせたような魔女モーガナが登場する。
あ、「エクスカリバー」というのはジョン・ブアマンの1981年の映画で、ウーサーがガブリエル・バーン、モーガナがヘレン・ミレン、マーリンがニコル・ウィリアムソン、ガウェインがリーアム・ニーソンという布陣でした。ミレンはシェイクスピアの舞台では有名だったけれど、彼女とバーンとニーソンは映画では無名でした。

まあ、とにかく、アーサーが両親の敵討ちをするというアクションもののようです。あと、女性キャラが刺身のつまレベルな、男臭い映画らしい。

正直、私はアーサー王伝説のまともな映画化は21世紀に入ってからは無理になったと思っています。
理由は、ハリウッド映画が不倫を描けなくなったから。
アーサー王伝説って、最初から不倫話ばかりなんですよ。
まず、父ウーサーが人妻イグレインに横恋慕、彼女ほしさに戦争するわ、マーリンの力借りてアーサーをはらませるわ、戦に勝ったあとはイグレインと結婚。「エクスカリバー」ではウーサーはその後殺されますが、マロリーがまとめたアーサー王伝説の本「アーサー王の死」では2人は普通に結婚して普通にその後の人生を生きていきます(中世の物語なので近代以降の物語のような複雑な人間描写とかはないのです)。
で、成長したアーサーは異父姉と知らずに、やはり人妻のモーゴーズと寝てしまい、息子モードレッドができてしまう。
そしてアーサーはグウェネヴィアと結婚しますが、そのグウェネヴィアがランスロットと不倫してしまう。
別枠の話では、おじの花嫁のイゾルデを迎えに行ったトリスタンが彼女と恋仲になり、その後イゾルデがおじと結婚したあとも不倫。
と、不倫オンパレード。
しかも、トリスタンとイゾルデに描かれるように、不倫とはいえ、これぞ永遠の愛、美しき恋、という描写。
昔の話って、不倫が美しく描かれますよね。なんでだと思います?
それは、昔は恋愛と結婚が別だったから。好きな人と結婚なんて無理だったからです。
結婚は家のためだし、親が勝手に相手を決めるし。
だから不倫こそ真実の愛だったわけ。
しかし、現代では、結婚は本人の意志で、愛のもとにするもの、なので、不倫はいかん、ということに。
グウェネヴィアとランスロットの不倫を最後に描いたのはショーン・コネリー主演の「トゥルー・ナイト」だったのでは? あれは1990年代。かろうじて「マディソン郡の橋」があった時代。
しかし、しかし、今の人にはアーサー王伝説映画といえば、せいぜいこの「トゥルー・ナイト」くらいまでで、それ以前の本格的な映画化は知らない人が多いのでは?
おっと、実はアーサー王伝説はゲームになっていて、ゲーマーの方が伝説に詳しかったりします。

というわけで、「トゥルー・ナイト」以前のアーサー王伝説映画のおすすめを紹介。

1950年代
「円卓の騎士」
アーサー王の誕生から王妃の不倫、聖杯伝説までしっかり入ってます。ただ、1950年代のハリウッド映画なんで、チョー軽いアーサー王伝説な感じは否めません。キャストは豪華。
1960年代
「王様の剣」
T・H・ホワイトが現代の感覚でよみがえらせたアーサー王伝説の小説「永遠の王」の最初の部分をディズニーがアニメで映画化。少年ウォート(アーサーの愛称)がマーリンのもとで修業を続け、ついにエクスカリバーを抜いて王になるまでの話。
「キャメロット」
ホワイトの「永遠の王」のアニメになった部分のあとをミュージカル化したものの映画化(ややこしい)。「マイ・フェア・レディ」の作詞作曲コンビの歌曲が美しい。アーサーを尊敬しながらランスロットに恋してしまうグウェネヴィアは当時流行の2人の男性と1人の女性のパターン(「冒険者たち」とか「突然、炎のごとく」とか「明日に向って撃て!」とか)を連想させる。ラストに少年時代のトマス・マロリーが登場する(原作にも登場)。
1970年代
「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」
モンティ・パイソンによる聖杯伝説のパロディ。ニーの騎士とか盆栽とか笑ってしまう。
1980年代
「エクスカリバー」
上ですでに書きましたが、マロリーの「アーサー王の死」をもとにアーサー王の誕生、王妃の不倫、聖杯伝説、漁夫王伝説がコンパクトにまとめられている(人物関係など変えている部分もある)。ジョン・ブアマンの才気が光る一級の文芸娯楽大作になっている。ワーグナーの「神々の黄昏」や「トリスタンとイゾルデ」、オルフの「カルミナ・ブラーナ」など挿入曲もぴったり。
なお、この映画ではグウェネヴィアの不倫の原因はアーサーが王としての役割ばかりを重んじ、妻を顧みなかったため、となっており、「クレイマー、クレイマー」の時代の解釈であることがわかる。この映画ではグウェネヴィアの本命はアーサーで、ランスロットではない(「キャメロット」とはここが違う)。

このあと、「エクスカリバー」という同名の映画がいくつか作られているようです。また、ディズニーのアニメで「キャメロット」というのもありましたが、あれはアーサー王伝説とはあまり関係なかったような。2000年代の「キング・アーサー」は歴史としてのアーサー王を描いた映画で、魔法も不倫もなしの、試みはわかるけどやっぱりイマイチな映画でした。

ちなみに、マロリーの描くアーサーとグウェネヴィアの結婚ですが、アーサーが「そろそろ王妃をめとろう」「じゃあ、この人は?」で2人は結婚。「キャメロット」でも「エクスカリバー」でも2人は恋愛結婚ですが、マロリーの方はあっさりしたもののようです(恋愛結婚そのものが自己矛盾だったのでしょう)。

2017年6月18日日曜日

「ほしのこえ」&「雲のむこう、約束の場所」

新海誠監督の最初の2本、1人で作ったという短編「ほしのこえ」と、90分ほどの長編「雲のむこう、約束の場所」をDVDで見た。
2本ともSFなのだが、新海誠の描きたいすれ違いや喪失感はSFとは相性が悪い。
だから続く「秒速5センチメートル」からはSFやめたのは全く正解。
「ほしのこえ」は地球と宇宙にひき離された少年少女の物語で、時間と距離に引き裂かれる男女という、「秒速」や「言の葉の庭」に通じるテーマ。で、少女が宇宙へ行く理由が巨大戦闘ロボットに乗って宇宙人と戦うため、というのが当時のアニメの流行にそのまま乗っかっている。
まあ、ここでオリジナリティを出して「インターステラー」みたいなことをやったらとても25分じゃ終わらないので、ここは巨大戦闘ロボットアニメに乗っかってもOKとしよう。
少女が学校の制服のままロボットに乗ってるのが変といえば変だけど、もしかして、これ、少女の妄想?と思わせる。
「雲のむこう」みたいに少女は長い眠りについてしまっていて、あるいは死んでしまっていて、それが8光年という距離として描かれている、のかもしれない(?)。
少年が大人になって艦隊勤務になっても宇宙へ行けそうにないしなあ。
でも、「ほしのこえ」は短編なので、時間と距離に引き裂かれる男女というテーマがダイレクトに伝わってくる。
これで一気に有名になった監督が次に作ったのが長編「雲の向こう、約束の場所」で、これはストーリーをもっと練らないとだめだ。
日本が津軽海峡で南北に分断されていて、北海道はユニオン、青森から南はアメリカが支配しているような感じの日本が舞台。北海道にユニオンが建てた天にまで届く塔があり、その塔に飛行機で行くと約束した3人の少年少女の物語と、日米対ユニオンの対立と戦争の話がからみあっている、のだが、この対立と戦争のところがあまり面白くないというか、うーん、2004年公開の映画だそうだけど、ちょっとコンセプトの古いSFじゃないかなあ。
一方、新海監督こだわりのすれ違いと喪失感の方はSFストーリーの陰になってしまっていて、時々思い出したように出てきて、あとは最後に出てくるけど、正直、これが全体のテーマに見えないので、最後も感動しない。
背景はきれいだけど、この2作、キャラクターの絵があまり魅力がない。
「雲のむこう」には「君の名は。」のかたわれどきに似たシーンが出てくるので、これもまた「君の名は。」につながっていることはわかる。わかるけど、やっぱり失敗作だろうな。
新海監督はSFが好きなのはわかるが、結局、SFを捨てた「秒速」からが本領発揮になっているわけで、あのテーマとSFがやはり合わないのだろう。でも、「雲のむこう」の最後に出てくる飛行機の絵がとても魅力的なので、別のテーマでSFやってみてもいいかもしれない。
「君の名は。」であのテーマは到達点に達したというか、それまでの作品は時間と距離がどんどん離れていく一方だったけれど、「君の名は。」は時間と距離を入れ替わりによって克服する話なのだ。
前作「言の葉の庭」では時間は2人の年齢差(15歳と27歳)だったけれど、こちらは年をとるにつれて年齢差がしだいにそれほど大きく感じられなくなるはずだし、距離も超えられない距離ではないので、実は前作ですでに時間と距離の克服が暗示されていたと言えるのかもしれない。

2017年6月16日金曜日

これで見納め?

先週に続き、今週も仕事帰りに川崎チネチッタで「君の名は。」。これで19回目。
池袋シネマロサはすでにレイトになってしまっていて、チネチッタも週末からレイト。関東ではこの2館でしかやっていないので、もうこれが見納めかもしれない。
でも、今までで一番よい条件で見れたと思う。その理由は、
1 映像音響ともによい。特に音響がよい。
2 冷房の効き具合がちょうどよい。エアコンの音がまったくしないので、無音のところが本当に無音。
3 座席とスクリーンの距離、スクリーンの高さが自分にとっては最高だった。
4 お客さんがみな真剣に見ていて、よい。スバル座、蒲田宝塚、シネマロサ、チネチッタはすべてそうだった。
5 シネコンで初めてドリンクを買う。

5はまあ、よい条件とは無関係なのだが、実は2週間ほど前から喉がおかしくなっていて、今週の日曜からは激しい咳がよく出て困っていた。
教室のような閉じた空間にある時間いるとひどく咳き込む。
映画館に2時間いたら当然、激しい咳が出て困るだろう、と思った。
が、前日、ある場所に出かけたとき、ミネラルウォーターを時々飲んで喉を潤すと咳が出なかった。
それで、ドリンクを買って、時々喉を潤せば咳き込むこともなかろう、と思い、初めてシネコンでドリンクを。アイスティーのSサイズ270円。SでもマックのMサイズくらいの量があり、けっこうおいしい。
それでも見ている間はこれが最後かもしれないので真剣に見てしまい、ドリンクになかなか手を伸ばせなかったが、それでも時々喉を潤せたので最後まで咳が出ずに見ることができた。
チネチッタは飲食物持ち込み可なのかな。サンドイッチを食べている人がいたのだけど。

共謀罪強行採決など、日本は本当にどうなるのだろうと思うようなことが続いているが、瀧が三葉に言う「まだ間に合う」という言葉のように、あきらめずに生き抜いていくことがだいじなのだろうと思う。

2017年6月14日水曜日

「秒速5センチメートル」

「言の葉の庭」と一緒に買った「秒速5センチメートル」の輸入盤DVD。パソコンでしか再生できないので、前のWindows XPのThink Padで見ようと思ったが、引越の段ボールのどこかに入っているはずだけど探すのが面倒だった。
うちのPCはWindows95から何台もあるけど、大半は外に持ち出せる画面の小さいやつ。が、このThink Padは画面が一番大きい。だからこれで見るのが一番。
でも探すの大変そうだな、と思って、ふと、押入れのいつもは開けない方の戸を開けたら、レノボの箱が。
Think Padはレノボです。
が、5年近く使っていなかったせいか、電源が入らない。なぜ、と思いながら手に持って斜めにしたら、入った。ったく、古いテレビとか家電のようなやつだ。
それから本編を見て、特典映像をすべて見て(新海監督インタビューのときに出てくる猫がかわいい)、電源を落とし、買い物に出かけ、もう一度見たいと思って電源を入れたら、出ました、Think Pad特有のファン・エラー。
このPC、使ってた頃からすでにファンがおかしかったのだが、ファン・エラーが出てそのまま電源が落ちておしまい。何度か繰り返したけどだめ。
やれやれ、と思い、ファン・エラーで検索したら、キーボードをはずしてほこりをとると治る場合があると(これを紹介しているブログでは、3年前に死んだ飼い犬の毛が入っていて、号泣したと書いてありました)。
ほかにも緊急避難的な処置はあるようです。
そして、ほこりをとってもだめな場合は秋葉原のThink Padの店へ行けばファンを交換してもらえるとのこと。ただ、お値段が1万円以上かかる。
このPC、XPなのでネットにはつなげられないけれど、画面は大きいし、ほかの用途にはまだ使いたいので、とりあえずほこりをとってみるか(素人にはキーボードはずすだけでハードル高い気がするけど)。

さて、「秒速5センチメートル」だが、「君の名は。」に似た映像がけっこうたくさん出てくる。冒頭の隕石落下のシーンが逆になったようなロケット打ち上げのシーン、満月の前にある電線(?)、トンビ、などなど。「言の葉の庭」もそうだったけれど、相変わらず新宿好きですね。
この作品では、1990年代前半、小学校で知り合った男女が恋に落ちるも、女の子は卒業と同時に栃木県に転居、そして中1の終わりには男の子が鹿児島の種子島に転居することになり、その前に栃木で会うことにする。が、大雪のため、列車は遅れに遅れ、という第1話。1995年頃の設定のようで、携帯もなければ湘南新宿ラインもない時代。埼京線と宇都宮線を乗り継いで両毛線の駅へ向かう。乗り換え駅で彼女が待つ駅に電話すればいいのに、と思ったが、中1ではそれは思いつかないのだろうか。
第2話では男の子は種子島の高校生になっていて、同じ高校の女の子が彼に片思いしている。意を決して告白しようとするが、男の子の目ははるか遠くを見ているようで、告白できない。
第3話では、男の子は東京でサラリーマンをしているが、会社をやめる決心をする。栃木の女の子は別の人と結婚する予定。踏切ですれ違う2人、でも、という具合に、新海監督お得意のすれ違い。
新宿と飛騨だけが舞台だった「君の名は。」に比べて、雪降る栃木県と晩夏の種子島の空気が新鮮に感じる。
ラストは、新海監督は悲しい結末とは思っていないのに、観客の中には悲しい、うつになる結末、ととる人がかなりいたようで、そのあたりの食い違いを監督は気にして、映画作りを考え直し、「君の名は。」に到達したと述べていたが、確かにあの結末は特に悲しい結末には見えなかった。
男の子は栃木の女の子のことをずっと考えているわけではなく、ちょうど「君の名は。」の2人のように、何か失われたものを探しているのだ。その失われたものは必ずしも生身の相手ではなくて、時間と距離に離されていく間に見失った何かであって、現実の今の彼女が彼の求めているものとは限らない。
会ってしまったら、失われた何かとは違うと感じてしまうかもしれない。ただ、「君の名は。」の結末のように、とにかく一度会ってしまえ、と思う観客の気持ちもわかる。
会わないままだとずっと中途半端だから。それでは先へ進めないから。

2017年6月10日土曜日

「怪物はささやく」(ネタバレあり)

仕事帰りに金曜が初日の「怪物はささやく」を見てきた。
木曜も仕事帰りに映画を見たので、2日連続。木曜は川崎のチネチッタで「君の名は。」(これで18回目)。チネチッタは音響がすばらしいと聞いていたが、確かにこれまでで一番音がいい。これまであまりよく聞こえなかった音がいろいろ耳に入ってくる。また、冷房が効いてなくて少し暑かったのだけど、エアコンの音がないので、無音のシーンはほんとにしーんとして無音状態。無音をこれほど意識したのは初めてだった。
川崎は生まれてから10歳まで住んだ場所で、駅前のデパートさいか屋の食堂でお子様ランチをよく食べたものだが、そのさいか屋のすぐそばがチネチッタだった。さいか屋は2年前に閉店、昨年建物を解体したが、その後、同じ場所で規模を縮小して営業しているらしい。時間がなかったので見ることができなかったけれど。川崎駅に降り立ったのも数十年ぶりだったので、昔の面影はいっさいなかった。

さて、「怪物はささやく」は「永遠のこどもたち」のJ・A・バヨナ監督の作品。「永遠のこどもたち」は好きな映画なのでぜひ見たいと思ったが、情報を知ったときは公開までかなり間があった。それで原作を先に読んだ。
これが正解で、原作を読んでネタバレ部分がわかっていると、怪物の話す物語の意味がツーカーでわかる。
原作を読んでいたときは話がどうなるのかわからなかったので、怪物の話す物語の意味がわからないまま読み進めていたのが正直なところ。
後半は主人公の少年コナーの抱える苦悩と罪の意識が明らかになり、このあたりは緻密で奥深い内容になっていて、原作小説への高い評価もよくわかる。
以下、ネタバレなのですが、


コナーは重い病(おそらく末期ガン)で死にかかっている母親と暮らしている。父は離婚してアメリカで再婚相手と暮らしているので、母の死後、父親のもとに行くのはむずかしい。なので祖母が引き取る予定だが、コナーは祖母のところで暮らしたくない。
一方、コナーは崖っぷちから落ちる母の手を放してしまう悪夢を何度も見ていて、それは母を失いたくないという思いからなのだが、心の底では実は、母の死を待つのが苦しくて、早く終わってほしいと思っている。これがコナーの罪の意識になっている。
コナーの家の窓から見えるイチイの木は木の怪物となってコナーの前に現れ、3つの物語を話し、その後、コナーに真実の物語を話せと言う。そこで上に書いたようなコナーの心の底にある真実が暴露され、そのことによって、コナーは母の死を受け入れられるようになる。

原作小説はモノクロの凝った挿絵がページ全体に描かれていて、この挿絵も高い評価を得ているのだが、映画は水彩画をモチーフにした絵が何度か登場する。
まず、メインタイトルが美しい。それから、怪物の話す物語がこのメインタイトルと同じ水彩画のモチーフのアニメで描かれる。原作のモノクロの挿絵に比べ、明るい印象。そして、この水彩画が最後に意味を持ってくるのがニクイ。

原作者が脚本を書いているだけあって、映画はほぼ原作に忠実なのだが、幼馴染の少女が出てこないとか、母親の病が知れ渡ったために学校の人々の少年に対する態度が腫れ物に触るようになったとかいった描写はカットされている。いじめだけが残って、少し物足りない。怪物の3番目の話の透明人間は少年のそういう状態をさしていると思うのだが。
怪物の話す最初の物語は、原作を読んだときは意味がわからなかったのだが、映画を見ると、これは王子がコナー、魔女が祖母だとわかる。王子は魔女を滅ぼすために恋人を殺し、それを魔女のしわざだと言って魔女を追い出すが、母の死を待つのが終わってほしいという気持ちが恋人殺しに相当するし、祖母を嫌っているのが魔女を嫌う王子と重なる。魔女は悪くない、という怪物の意味もそこから理解できる。恋人を殺した王子が幸せに生きると言う怪物の言葉もそうだ。
2番目の物語は薬剤師を疎んじていた牧師が、2人の娘が重い病にかかったので薬剤師に薬を頼むが、牧師は信念を捨てたと言われ、薬はもらえず、娘たちは死んでしまう。これも母を病気で失うコナーが信念を捨てた牧師に重なるのだろう。
最初の話も2番目の話も、コナーの罪の意識を反映している。

以下が一番のネタバレ、原作と違うところです。
上に書いたことは原作を読めばわかるネタバレなのですが、これから書くのは映画オリジナルのネタバレ。
ご注意ください。一応、色を変えます。

原作は母の死を受け入れたところで終わるが、映画はオリジナルの後日談がついている。
母の死後、コナーは祖母の家に引っ越してくる。彼の部屋はかつて、母が住んでいた部屋だった。
そこには母の描いた画集がある。
開いてみると、なんと、怪物が話した最初の物語がそこに絵で描かれているのだ。
水彩画ふうのアニメと同じ絵である。
そして、木の怪物の肩に少女時代の母と思われる女の子が載っている。
部屋には母の少女時代の写真もあるが、その写真を見ると、どうやら祖父はリーアム・ニーソンだ。ニーソンはこの映画では木の怪物を演じている。
つまり、怪物の話した物語は祖父が母に話した物語ではないのか(「ひるね姫」っぽいけど)。
映画のはじめの方で、祖母が祖父の映写機で古い「キング・コング」の映画をコナーに見せるシーンがある。母の画集にもキング・コングの絵がある。怪物は少年を救いに来た祖父だったのか。
水彩画ふうの絵が最後に意味を持ってくる、と書いたのは、このことです。

2017年6月7日水曜日

「言の葉の庭」(ネタバレあり)

「君の名は。」に先立つ新海誠のアニメ「言の葉の庭」をDVDで見た。
「君の名は。」にはまっているけれど、新海監督の他のアニメはまったく見てなかった。
いろいろ気になってはいたのだが、特にこの「言の葉の庭」と「秒速5センチメートル」が気になっていて、アマゾンで注文。「秒速~」は海外の輸入盤を注文したら、どうやらパソコンでしか再生できないようだ。
とりあえず、「言の葉の庭」を見る。
「君の名は。」の習作のような中編で、いろいろかぶるところがある。
絵がとにかく美しい。
が、「君の名は。」に比べるとマニア向けの絵や内容で、これを一般に受けるようにしたのが「君の名は。」なのだということが非常によくわかる。
たとえば主人公たちに嫌味を言う人物というのは両方に登場するのだが、「言の葉の庭」の方が徹底的にいやなやつなのに対し、「君の名は。」ではいやみを言う生徒に対して「かわいそう」といった反論をする生徒がいるのだ。
キャラデザも一般受けするようになっているのが「君の名は。」。

と、いろいろ面白く、考えさせられるところも多い作品だったが、疑問に思うところもあった。
主人公は15歳の高校生。6月の雨の日、学校に行きたくなくて新宿御苑らしき公園へ行く。
そこで27歳の女性に出会い、靴職人になりたいことなどを話して親しくなる。
女性は職場でいじめにあい、心を病んで休職中のようだ。
で、(ここからネタバレ)、実は女性は少年が通う高校の古文の教師で、生徒からいじめにあって休職中だったことがわかる。
映画では、教師は少年が自分の学校の生徒であることは知っていたが、少年は知らなかった、ということになっている。
うーん、少年は15歳なので、高校の1年生、で、6月に古文の教師に庭園で会ったとしても、彼女の授業に出ていなければ彼女を知らなくても不思議ではないような気がする。
一方、教師の方も、自分の教え子でなければ、高校に入ったばかりの彼を知らなくてもそれは当然ではないのか。
教師がいじめで休職状態というのは他の生徒にはよく知られていたらしい。彼女は人気教師でもあったようだ。
でも、高校に入ってまだ3か月程度の少年がこのことを知らなくてもそんなにおかしくない気がするし、教師の方も少年を知らなくてもおかしくない。
クライマックスは、教師が少年を知っていたのに彼を利用して自分が救われようとしたと、少年が教師を責めるのだが、ここがちょっとあざといかな、と思ってしまう。
なんか全体に、「聲の形」を連想する作品だった。
少年の母親とか、女性教師とか、「聲の形」に出てきた女性キャラに似ている。
あざとい、と書いたけれど、全体的には非常によい作品で、2人の微妙な関係も心に響く。15歳ではなく16歳なら、この設定でももっと納得がいくと思うのだが。
女性教師ユキノは「君の名は。」のユキちゃん先生として再登場する。が、ユキちゃん先生にはユキノのような陰影がない。

2017年6月5日月曜日

梅雨入り間近?

天気予報を見ると、あさってあたりから梅雨入りしそうな気配。
紫陽花が咲いています@谷中。







前にもアップした近所の公園のポピー。もう花はだいぶ終わりに近い。




ソバの花にとまる2羽の蝶。


夏の訪れを告げるトンボ。


アオサギが2羽、飛んでいく。鳥はめっきり少なくなった。