中学時代、都心まで1時間余りかけて行かないと外国映画が見られなかった、と書いたが、実は、小学校4年までは至近距離で映画が見られる環境だった。
川崎生まれで、小学校のときは川崎駅から電車で2駅、歩こうと思えば歩ける場所に住んでいた。銭湯に通っていたが、銭湯には映画のポスターが何枚も貼られていて、その中で今でも強い印象に残っているのが、「人類SOS」。原作はSF小説「トリフィド時代」。
まあ、とにかく、でっかい植物生物が女性をつかんでるポスターが印象的だったんですが、中学時代にテレビ放映されたのを見たら、植物生物は全然でっかくなくて、女性をうんぬんも全然なかった。
でも、小学校4年までは近所で映画が見られたわけで、うちの親もディズニー映画や東映アニメに連れていってくれた。もっとも、私は暗い映画館が嫌いで、映画ファンにはなれなかったが。
そして東京オリンピックの年、親が公団住宅(現UR賃貸)の新築の抽選に当たり、柏市の豊四季団地に入居。それまでは6畳一間のアパート暮らしだったのに、3Kで水洗トイレ、浴室もあるという豪華な暮らし。でも、当時の柏市は人口7万人で、団地の外には田畑が広がっていた。
市内にある映画館は東宝の直営館のみで、そこで学校引率で市川崑の「東京オリンピック」を見たけど、外国映画は都心まで行かないと見られなかった。
今、柏のキネマ旬報シアターにアート系映画を見に行っているけれど、柏もずいぶん大都会になったものだと思う。物価も安いし、「サムライ」を見に行ったときは安い八百屋さんでニンジンと玉ねぎを買おうと思っていたのだけど、駅直結のOKで安いあきたこまち無洗米を見てそれを買ってしまい、5キロのコメを持って歩くのは大変なのでそのまま帰宅。八百屋さん以外にも買い物したい店はあったのに。
高校時代に千代田線が開通、柏から乗り換えなしで日比谷へ行けるようになったが、そのあとすぐに転居してしまった。それまでは上野で山手線に乗り換えないと日比谷地区へは行けなかったのだ。しかも開通当初は霞ヶ関どまりだったから、帰りは日比谷からでも必ず座れたね。
