IMAXの入場者特典でもらったポスター。画像はヒューマックスシネマのサイトからスクショ。
この巨人に向かっている後ろ姿の人物(オデュッセウス)は、実はスタントウーマンであることがネットの記事に出ていた。巨人との身長差を強調するために身長150センチの彼女が選ばれたとのこと。そして、むきだしになった二の腕の美しさについて書かれていた。
というわけで、マット・デイモンのスタントが女性だった、という話なのだけど、この映画、戦争の悲惨さ残酷さを描いているのに女性に対する性加害はまったく描かれていないのね。唯一、キルケーのセリフの中にそれが出ている程度。
そのかわり描かれているのが食欲。この映画のモチーフは実は、
食欲は恐ろしい
ってことじゃないのかな、と思った。
オデュッセウスがなかなか戦争から帰って来ず、王が不在なので王妃に結婚を迫る求婚者が城に居座って宴会しているシーン。具体的に何を飲み食いしているのかはほとんど描かれてないという会食シーンなんだが、他のシーンでも兵士たちが食べるものはあまり詳しく描かれないか、キルケーのシーンのようになんだか気持ちの悪いものを食べている。
オデュッセウスたちが食糧を求めて羊のあとを追うと、洞窟の中にチーズがたくさん吊るしてある。持ち主が来たらこれを譲ってもらおうと待っていると、一つ目の巨人が来て兵士を捕まえて食べてしまう。チーズを盗んでさっさと逃げてればこんなことにはならなかったのだが、持ち主に譲ってもらうにしてもかわりに渡せるものはないわけで、結局、持ち主を脅して奪う強盗じゃねえの? だったら盗んで逃げた方が、と思ったのは私だけか?
国に帰ろうと航海を続ける彼らにはとにかく食糧がない。上がった岸に女性がいて逃げようとするが、兵士が捕まえて「乱暴はしない、何か食べさせてくれ」と頼む。女性は魔女キルケーで、兵士たちに食べ物を出すと、食べていた兵士が豚に変わってしまう。このときの兵士たちの食べ方が汚い上、食べているものがまた気持ち悪い。キルケーは彼らを豚にするとき、「本来の姿になれ」と言う。彼女にとって、兵士たちは豚なのだ。オデュッセウスは別行動していたので、豚にされずにすみ、キルケーを説得して彼らを人間に戻す。キルケーは過去に兵士たちによって姉とともにレイプされたようだ。
オデュッセウスと兵士たちが別の岸に上がると、そこには後ろ姿の人物が立っている。振り向くと身長は大人なのに顔は子ども。食糧が欲しいだけだ、という兵士たちから子どもは逃げ、その先から鎧に身を固めた巨人の軍勢がやってくる。オデュッセウスたちは命からがら逃げる。ここでも食糧を求めてやってくる兵士たちは、そこにいる人々にとっては敵なんだね。
オデュッセウスたちは神々の牛がいる陸地に着く。牛を食べると呪いがかかるので植物と果物しか食べないと兵士に約束させて上陸。が、オデュッセウス以外の兵士たちは結局、肉を食べたいという欲望に勝てず、牛を食べてしまう。
これでオデュッセウス以外の兵士はみんな滅びて、彼だけが生きてカリプソの島にたどり着く(時系列が入り乱れているので、故郷の城の宴会シーンとカリプソのシーンは早い段階から何度も出てくる)。カリプソは蓮の花を食べさせ、これで過去を忘れていい気分になったオデュッセウスは故郷に帰れなくなる。
戦争にはつきものの女性に対する性加害がこの映画ではキルケーのセリフの中に少しあるだけで描かれない、と書いたが、
食欲が性欲や征服欲のメタファーなのは言うまでもない。
宴会に集まった求婚者は王位をねらうために王妃ペネロペのからだを奪おうとしている。その欲望の報いがクライマックスだ。
そもそも、トロイ戦争の発端は、美女ヘレネーに横恋慕したパリスが彼女を奪ったからで、性欲が原因なんだわ。そういや、アーサー王も父親が人妻に横恋慕して奪って生まれた子どもだたったね。つながりはあるんだな。つか、昔話にはよくあるモチーフなんだろうけど。
キルケーも巨人の軍勢も、侵入者は略奪やレイプをする敵だと思っている。オデュッセウスの部下たちは食べ物だけを求めていて、決して女性に手出ししないが、普通はそんなことありえないわけでね。
カリプソの差しだす蓮の花をオデュッセウスが食べるのも、2人の性交のメタファー。こちらはカリプソの方が誘惑しているのだが。
というわけで、上に上げたエピソードは全部、
食欲が略奪や性加害のメタファーになってる。
この映画はあちらでも誰でも見られるGのようで、だから戦闘シーンにも残虐描写はないし、女性への性加害はおろか、性的な描写もない。
ゼンデイヤ扮するアテナが航海中のオデュッセウスにつきまとう亡霊となって出てくるが、生きていたときの彼女がクライマックスの戦闘シーンで登場する。ここも性加害ではないのだけど、それを連想させるよね。
アテナの亡霊がオデュッセウスにつきまとっているのは、彼女が彼の守護神みたいになっていて、上に書いたエピソードでも兵士たちが誘惑に負けてもオデュッセウスだけは負けない。もうそれだけで、オデュッセウスは英雄なんだ、と映画は言っているようだ。それに、カリプソに誘惑されても結局、妻を思い出したしね。
でも、トロイ陥落のシーンを最初と最後で別の視点で見せることで、オデュッセウスたちは侵略者でしかないという現実を見せつける。そして、オデュッセウスはその現実を思い知る。
戦闘能力ゼロのロバート・パティンソンの悪役。権謀術数に長けていそうにも見えないので、こんなのが王になってもすぐに滅ぼされるだろ、と思ったが、ノーランはこの映画では個人に悪を象徴させていないのね。悪は個人じゃなく、戦争全体にある、という感じか。「インソムニア」の殺人犯や「ダークナイト」のジョーカーとか、個人に悪を象徴させる映画はあったけれど、全体として、そういうのはノーラン的でないのだな。「ベン・ハー」や「グラディエーター」のように主役に負けない魅力と強さを持つ悪役を登場させ、クライマックスで対決させる、という手法とは真逆の手法なのだ。
というわけで、さすがノーランらしい工夫が物語にもあることがわかったのだけど、映画全体としてはちょっと散漫な印象で、取り出せばこういう面白さがある、という程度かな。





