先日、アマゾンで買った洋書の1冊、ウィリアム・インジの伝記を読んでいる。
なかなか面白い。
インジの代表作「ピクニック」のあたりに来ているのだが、この劇は演出家のジョシュア・ローガンの手腕で、あのような形になったのだということがよくわかった。
特に結末が、インジが最初に書いたものだとまったくカタルシスのないもので、映画ではウィリアム・ホールデンが演じた風来坊のハルは去り、クリフ・ロバートソンが演じたアランも去り、ヒロインのマッジ(キム・ノヴァク)はそのまま保守的な町に残されるというものだったのだそうだ。
ローガンと、そして舞台のキャストの面々(ラルフ・ミーカー、ジャニス・ルール、そして新人のポール・ニューマンなどがいた)は、こんな結末では納得できないと思い、インジに変更を要求。そこでインジは、ハルが汽車で去ったあと、マッジが母親の制止を振り切って、ハルのあとを追うことにする、という結末を提案。みんな、それがいい、と言ったのだが、インジはそのあとも最初の結末に固執。しかし、最初の結末ではこの劇は成功しないと思ったローガンは、変更した結末で劇を完成させた。
そして、「ピクニック」は大成功、インジはピュリッツアー賞を受賞する。
インジはこの劇が成功したのはローガンのおかげだと思っていたが、それでも。結末はやはり最初の方がいいとずっと思っていたようだ(のちに最初の結末の方を出版している)。
その後、「ピクニック」はハリウッドで映画化され、ローガンが監督になったが、インジは映画化にはタッチしていない。
もしも、インジの主張した最初の結末のままだったら、劇は成功しなかっただろうし、映画化もされなかっただろう。そして、日本でも話題になったあのラストシーン、マッジの乗ったバスを俯瞰でとらえるカメラが移動すると、バスの走る先にハルの乗った汽車が走っているという名シーンも存在しなかったことになる。
水野晴郎だったか、このラストシーンについて、「あのバスがはたして汽車に追いつけるかというサスペンスがある」と言っていた。大学の授業で取り上げたときも、「マッジは果たしてハルに会えるのか、携帯もない時代に」という感想を書いた学生がいた。「結末を観客の想像に任せるオープン・エンドもいい」と書いた学生もいた。
母親の制止を振り切って、マッジが旅立ったあと、「教えたいことがたくさんあったのに」という母親に、隣人のポッツ夫人は「自分で学ばせるのよ」と言う。親の理想を押し付けられた若者が、親を卒業して大人になる、というテーマは、インジが脚本を書き、エリア・カザンが監督した「草原の輝き」で繰り返される。
しかし、ハルを失い、アランも失い、町に残されるマッジを描くのがインジの望みだったとしたら、親を卒業する若者のテーマは、インジのものではなかったのだろうか。伝記を読んでいると、確かに、インジは親を卒業しなければならない人ではなかったように見える。
「ピクニック」でピュリッツアー賞を受けたインジは、「草原の輝き」ではアカデミー賞脚本賞を受賞した。でも、インジのこの成功は、ローガンとカザンという、2人の名匠のおかげだったのだろうか。