夏は冷たい麺が食べたいわけですが、ゆでて冷やすのがめんどくさい。
そこでシマダヤの流水麵。
そばとうどんが1袋1食分で売っていたときはよく食べていたのですが、1袋2食分(個包装なし)だけになってからは食べていません。冷やし中華とスパゲッティは1袋2食分で個包装で、冷やし中華はおいしいけど、スパゲッティはリピートなし。
流水麵をまねして登場したマルちゃんのつるやか。1袋2食分で個包装。
流水麵のそばとうどんが1食分をやめてからは、そばとうどんはこれ一択。夏のはじめに同じ値段で1袋3食分のが限定販売されていたのがうれしかった。
流水麵が酸っぱいのに対して、こちらはあまりそういう感じはないです。味は流水麵と同じ感じ。
そして、今年発売の日清のそのまんま麺。1袋2食分でスープつき。柚子おろしとかつおだれがあります。
この柚子おろしのものはスーパーでよく売れていて、夜行くとほとんど店頭在庫がないので、そんなにおいしいのかと思って食べてみたけど、これはリピートはしないな。
流水麵やつるやかに比べて麺がまずすぎる。まあ、この手の麺は味はあまり期待できないのだが、それにしてもまずい。スープじゃなくて麺がまずいので、かつおだしでも期待できない。日清、もうちっとがんばれや。
こちらも今年発売?のイオンのゆでない麺。そばと稲庭風うどんと冷やし中華があります。冷やし中華をまず食べてみましたが、麺がほぐれない。麺が堅い。次にそばを食べたら、さらにほぐれなくて堅い。こちらもリピートはしません。お値段はかなり安いので、しかたないかな。
ちなみに、好みの食べ方は、そばは納豆そば、うどんはツナ缶をたっぷりかけて食べます。
というわけで、うどんとそばはつるやか一択だな。冷やし中華は流水麵。
この手の麺類はいろいろ問題もありそうなので、たまに食べるくらいでちょうどいいのかもしれません。業務スーパーの1食19円のうどんをゆでて冷やすのが一番いいんだけど。そばはもう少し高かったと思う。
(写真はすべて公式サイトから)
2020年8月26日水曜日
2020年8月20日木曜日
グリーンフラッシュ
秋田県でグリーンフラッシュという現象が目撃されたそうです。スクショ。
これは緑の光線というやつで、エリック・ロメールの映画のタイトルにもなってるし、最近ではクロード・ルルーシュの「男と女 人生最良の日々」のラストにも登場しました。まさにこの写真のように、海の向こうに沈む夕日が緑になる。流れ星のように願いごとを言うとかなうと言われているらしい。
酷暑の日々ですが、それでも秋は確実に近づいているよう。ひまわりの前を飛ぶ蜂。
黒い羽の内側はブルー。
真っ赤な赤とんぼ。
50枚1080円(税抜き)を買ったすぐあと、近所のスーパーで売っていた50枚980円(税抜き)のマスク。中国の検査済み証明書が入っていて、製造年月が今年の4月。春頃ネットで見た画像のマスクと同じみたい。あの頃はこの2倍か3倍の値段だった。そろそろ不織布マスクを洗って再利用とかしなくてもいいかな。
「あなたの精神年齢は?」という、質問に答えていくと判定が出るサイトで、出た解答。実年齢の半分以下ではないか。荒波を乗り切った人生って、この年齢で荒波はまだこれからだと思うし、今もこれから荒波が来そう(コロナで失業とか)。
これは緑の光線というやつで、エリック・ロメールの映画のタイトルにもなってるし、最近ではクロード・ルルーシュの「男と女 人生最良の日々」のラストにも登場しました。まさにこの写真のように、海の向こうに沈む夕日が緑になる。流れ星のように願いごとを言うとかなうと言われているらしい。
酷暑の日々ですが、それでも秋は確実に近づいているよう。ひまわりの前を飛ぶ蜂。
黒い羽の内側はブルー。
真っ赤な赤とんぼ。
50枚1080円(税抜き)を買ったすぐあと、近所のスーパーで売っていた50枚980円(税抜き)のマスク。中国の検査済み証明書が入っていて、製造年月が今年の4月。春頃ネットで見た画像のマスクと同じみたい。あの頃はこの2倍か3倍の値段だった。そろそろ不織布マスクを洗って再利用とかしなくてもいいかな。
「あなたの精神年齢は?」という、質問に答えていくと判定が出るサイトで、出た解答。実年齢の半分以下ではないか。荒波を乗り切った人生って、この年齢で荒波はまだこれからだと思うし、今もこれから荒波が来そう(コロナで失業とか)。
2020年8月18日火曜日
ヌードルスがトイレで読んでいた本
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」で少年時代のヌードルスがトイレで読んでいたのは、ジャック・ロンドンの「マーティン・イーデン」。
貧しい青年が上流階級の女性に恋をするという物語で、ユダヤ系移民の街では成功した家の娘デボラに恋する貧しいヌードルスの心境を表現している。
昨年、ディレクターズ・カットを見たときに気づいて、いや、ずっと前から気づいていたのだろうけど、ジャック・ロンドンという作家に1ミリも興味が持てなかった私は、その小説を読もうとはまったく思わなかった。
ロンドンの名前は小学校低学年の頃から知っていて、子供向けに書かれた世界名作全集に必ず彼の「野性の呼び声」が入っていたからだが、動物ものにまったく興味がなく、子供に人気の「シートン動物記」も読もうとさえしなかったくらいだから、ロンドンは私の頭からは完全に抜け落ちていた作家だった。
それが、ハリソン・フォード主演の「野性の呼び声」が公開されて、原作は犬と人間のいい話じゃないぞ、という話を聞いて、映画は見る気はないけど原作を読んでみるか、と思って、図書館で借りて読んだ。
いや、驚いた。犬と人間のいい話どころか、悪い人間ばかり出てくる。後半に出てくる唯一のいい人と犬の話ばかりが映画化されたり世に伝わったりしてるのだろうか。
飼い犬として何不自由ない暮らしをしていた犬が、使用人に売り飛ばされて、それからが苦労の連続。最後は野性の呼び声にひかれて、という話だった。
これでジャック・ロンドンにちょっと興味を持ったところで、「マーティン・イーデン」をイタリアで映画化した映画「マーティン・エデン」の試写状が届いた。
すごくすごく見たかったのだが、コロナ禍のせいで、最後に試写室に行ったのは1月。前にも書いたけど、試写室は狭い、換気悪そう、エレベーターに乗らないといけないところが少なくない。この映画の試写はまさにそのエレベーターに乗らないと行けない場所。試写の回数も少ないし、1席ずつ空けて入れていると入れない可能性も高い。ま、いいか、映画館で見れば。
というわけで、劇場公開を楽しみにしているが、その前に原作読んでおこうと、図書館でロンドンの本を3冊借りてくる。
1980年代に翻訳された「マーティン・イーデン」。白水社が復刻した。
ロンドンは短編がいい、と聞いていたので、これも。
そして、若きロンドンがイギリスの貧民街をルポしたノンフィクション。
「どん底の人々」だけまだ読んでいない。
短編集「火を熾す」は読みごたえがあった。特にボクサーを主人公にした「メキシコ人」と「一枚のステーキ」がよかった。「野性の呼び声」っぽいのよりこういう方が好み。
「マーティン・イーデン」もとても面白かったのだが、久しぶりにアメリカ文学らしい長編小説を読んだな、という気がした。
一応、専門にしていたイギリスの長編小説は、プロットがきちんとしていて、理詰めでストーリーが展開し、結末も、それまでの流れから必然的に導かれるものが多いのだけど、アメリカの長編小説というのはプロットがあまりきちんとしてないというか、ハプニングの連続というか、結末もそれまでの流れから導かれるというよりは、ああ、こう来たか、みたいに着地するような感じがするのだ。
昔読んだ英文学の解説書で、小池滋ら著名な英米文学者が英米小説について語る本があって、イギリス小説を「ノヴェル」、アメリカ小説を「ロマンス」と言って対比していたのが印象的だったが、まさにそれを実感した「マーティン・イーデン」だった。
「ロマンス」というのはもともとは散文物語のことで、「ノヴェル」=近代小説が誕生する前の散文物語。トマス・マロリーの「アーサー王の死」がその代表的な作品だけど、きちんとしたプロットがなく、エピソードが次々と続くだけ。全体にレベルが低く、この時代には散文物語は低級な文学だった。それが18世紀に内容も技法も高度な近代小説(ノヴェル)が誕生し、小説が文学の中心になったのである、てな話を数年前までは某私大で毎年講義していたんだよね。なつかしい。楽しかったな、あの頃は。
話がそれたが、「マーティン・イーデン」は極貧の家庭に育った主人公マーティンが独学で文学や他の学問を学び、上流階級の女性で大学出のルースと相思相愛になる。しかし、作家をめざすマーティンを彼女は理解せず、自分と結婚したければ堅い仕事についてくれというばかり。小説やエッセイを書いては出版社に送り、拒絶され、やっと採用されたと思ったら原稿料を払ってくれないとかいったエピソードにまじって、マーティンが知り合う貧しい人々やインテリの青年のエピソードが描かれ、という具合に、マーティンが出会う人々のエピソードで話が続いていく。マーティンが知り合う人々が魅力的でそのエピソードも面白いのだけれど、文学に造詣の深いインテリ青年のエピソードが心に残る。彼は非常にすばらしい詩を書いたが、それを出版するのを拒んでいた。マーティンはそれは惜しいと思い、出版社にこっそり売り込んで採用されるが、それを知らせに行くと、なんと彼は自殺していたのだった。これはマーティン自身の最期の伏線のようになっている。
ルースとは結局うまくいかず、作家としても行き詰まり、船の旅に出たマーティンが最後にとった行動。その描写はまるでリュック・ベッソンの「グラン・ブルー」のラストのようだ。
「ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」で、ジョーが出版の条件について編集者とやりとりするシーンがあって、あれは現代の出版界の発想であって、当時の出版界ではああいう交渉はできなかっただろうと思ったが、「マーティン・イーデン」を読むとまさに私の想像どおりで、原稿料の保証さえなかったことがわかる。マーティンが腕力で原稿料を回収したり、別の出版社へ行ったら若い屈強な男ばかりで腕力では回収できず、一緒に酒を飲んでそれでお金はあきらめたりといったエピソードも面白い。昔のピカレスクの形式がそのまま20世紀初頭の物語になっているような小説だ。主人公はピカロ(悪漢)ではないが、イギリス小説ではピカレスクの形式が主人公が善人になり、ビルドゥングスロマンになっていったのが、アメリカ小説では主人公が善人のピカレスクがそのまま成立しているようだ(「ハックルベリー・フィン」とかもそうなんだけど)。
貧しい青年が上流階級の女性に恋をするという物語で、ユダヤ系移民の街では成功した家の娘デボラに恋する貧しいヌードルスの心境を表現している。
昨年、ディレクターズ・カットを見たときに気づいて、いや、ずっと前から気づいていたのだろうけど、ジャック・ロンドンという作家に1ミリも興味が持てなかった私は、その小説を読もうとはまったく思わなかった。
ロンドンの名前は小学校低学年の頃から知っていて、子供向けに書かれた世界名作全集に必ず彼の「野性の呼び声」が入っていたからだが、動物ものにまったく興味がなく、子供に人気の「シートン動物記」も読もうとさえしなかったくらいだから、ロンドンは私の頭からは完全に抜け落ちていた作家だった。
それが、ハリソン・フォード主演の「野性の呼び声」が公開されて、原作は犬と人間のいい話じゃないぞ、という話を聞いて、映画は見る気はないけど原作を読んでみるか、と思って、図書館で借りて読んだ。
いや、驚いた。犬と人間のいい話どころか、悪い人間ばかり出てくる。後半に出てくる唯一のいい人と犬の話ばかりが映画化されたり世に伝わったりしてるのだろうか。
飼い犬として何不自由ない暮らしをしていた犬が、使用人に売り飛ばされて、それからが苦労の連続。最後は野性の呼び声にひかれて、という話だった。
これでジャック・ロンドンにちょっと興味を持ったところで、「マーティン・イーデン」をイタリアで映画化した映画「マーティン・エデン」の試写状が届いた。
すごくすごく見たかったのだが、コロナ禍のせいで、最後に試写室に行ったのは1月。前にも書いたけど、試写室は狭い、換気悪そう、エレベーターに乗らないといけないところが少なくない。この映画の試写はまさにそのエレベーターに乗らないと行けない場所。試写の回数も少ないし、1席ずつ空けて入れていると入れない可能性も高い。ま、いいか、映画館で見れば。
というわけで、劇場公開を楽しみにしているが、その前に原作読んでおこうと、図書館でロンドンの本を3冊借りてくる。
1980年代に翻訳された「マーティン・イーデン」。白水社が復刻した。
ロンドンは短編がいい、と聞いていたので、これも。
そして、若きロンドンがイギリスの貧民街をルポしたノンフィクション。
「どん底の人々」だけまだ読んでいない。
短編集「火を熾す」は読みごたえがあった。特にボクサーを主人公にした「メキシコ人」と「一枚のステーキ」がよかった。「野性の呼び声」っぽいのよりこういう方が好み。
「マーティン・イーデン」もとても面白かったのだが、久しぶりにアメリカ文学らしい長編小説を読んだな、という気がした。
一応、専門にしていたイギリスの長編小説は、プロットがきちんとしていて、理詰めでストーリーが展開し、結末も、それまでの流れから必然的に導かれるものが多いのだけど、アメリカの長編小説というのはプロットがあまりきちんとしてないというか、ハプニングの連続というか、結末もそれまでの流れから導かれるというよりは、ああ、こう来たか、みたいに着地するような感じがするのだ。
昔読んだ英文学の解説書で、小池滋ら著名な英米文学者が英米小説について語る本があって、イギリス小説を「ノヴェル」、アメリカ小説を「ロマンス」と言って対比していたのが印象的だったが、まさにそれを実感した「マーティン・イーデン」だった。
「ロマンス」というのはもともとは散文物語のことで、「ノヴェル」=近代小説が誕生する前の散文物語。トマス・マロリーの「アーサー王の死」がその代表的な作品だけど、きちんとしたプロットがなく、エピソードが次々と続くだけ。全体にレベルが低く、この時代には散文物語は低級な文学だった。それが18世紀に内容も技法も高度な近代小説(ノヴェル)が誕生し、小説が文学の中心になったのである、てな話を数年前までは某私大で毎年講義していたんだよね。なつかしい。楽しかったな、あの頃は。
話がそれたが、「マーティン・イーデン」は極貧の家庭に育った主人公マーティンが独学で文学や他の学問を学び、上流階級の女性で大学出のルースと相思相愛になる。しかし、作家をめざすマーティンを彼女は理解せず、自分と結婚したければ堅い仕事についてくれというばかり。小説やエッセイを書いては出版社に送り、拒絶され、やっと採用されたと思ったら原稿料を払ってくれないとかいったエピソードにまじって、マーティンが知り合う貧しい人々やインテリの青年のエピソードが描かれ、という具合に、マーティンが出会う人々のエピソードで話が続いていく。マーティンが知り合う人々が魅力的でそのエピソードも面白いのだけれど、文学に造詣の深いインテリ青年のエピソードが心に残る。彼は非常にすばらしい詩を書いたが、それを出版するのを拒んでいた。マーティンはそれは惜しいと思い、出版社にこっそり売り込んで採用されるが、それを知らせに行くと、なんと彼は自殺していたのだった。これはマーティン自身の最期の伏線のようになっている。
ルースとは結局うまくいかず、作家としても行き詰まり、船の旅に出たマーティンが最後にとった行動。その描写はまるでリュック・ベッソンの「グラン・ブルー」のラストのようだ。
「ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」で、ジョーが出版の条件について編集者とやりとりするシーンがあって、あれは現代の出版界の発想であって、当時の出版界ではああいう交渉はできなかっただろうと思ったが、「マーティン・イーデン」を読むとまさに私の想像どおりで、原稿料の保証さえなかったことがわかる。マーティンが腕力で原稿料を回収したり、別の出版社へ行ったら若い屈強な男ばかりで腕力では回収できず、一緒に酒を飲んでそれでお金はあきらめたりといったエピソードも面白い。昔のピカレスクの形式がそのまま20世紀初頭の物語になっているような小説だ。主人公はピカロ(悪漢)ではないが、イギリス小説ではピカレスクの形式が主人公が善人になり、ビルドゥングスロマンになっていったのが、アメリカ小説では主人公が善人のピカレスクがそのまま成立しているようだ(「ハックルベリー・フィン」とかもそうなんだけど)。
2020年8月15日土曜日
しばしの別れ
上野動物園は来週からリーリーとシンシンが新パンダ舎に移るので、9月上旬までしばしの別れ。なので、水曜と金曜に行ってみた。
このところずっとパンダが食事中の時間帯なので、毎回食事するパンダ一家ばかりだけど、食べてないときは寝てるので、どっちがいいのかはたして。
2回とも顔が見られてよかった。
水曜はそのあと、猿山へ行ったら、そのまま閉園時間までいてしまった。
この日は猿山に着いたあたりから雨が降り始め、気温も低くなって、猿はたくさん外に出ていた。
お乳を飲む赤ちゃん猿。
午後4時になると飼育員が団子の餌をまきに来るので、猿たちは山の上で待っている。前方と後方におなかに赤ちゃんをしがみつかせた母猿がいるが、前と後ろは別の山。
飼育員が来るといっせいに猿たちは下に降りる。おなかに赤ちゃんをしがみつかせたまま団子を取る母猿。
この日は子猿3匹が一緒に遊ぶ姿がたくさん見られた。こういう日はよそへ行けない。
子猿の1匹の母親は最初はほかの子猿と遊ぶのを許さなかったが、子供は遊びたがるのでついに根負け。最近はそばで見ているが、閉園時間が近づくと子供を連れて帰ろうとする。が、子供はまだ遊びたくて戻ってしまったりして、下の鉄の遊具のところでも遊んでいたのだけど、ついにあきらめて母の背中に。名残惜しそうに振り返ったりしていた。
金曜日は快晴でものすごい暑さ。大人の猿の躍動的な動きを。
例によってパンダは食事中。猿は暑さであまり外に出ていなかったので、西園へ。
新しいパンダ舎の入口になりそうな場所だけど、まだ全然工事中。
キリンの舌は仲間のオカピの舌とそっくりだった。
蓮池の反対側から。モノレール向こうが新パンダ舎。
また猿山に戻る。この子はこれまで何度もこの木に登ろうとしていた。
ついに登頂達成。
降りるとき、母に受け止められる。
金曜は子猿2匹が遊ぶ姿は見られたが、3匹同時には見られなかった。
さるやまキッチンで休憩。アイスコーヒー。閉店間近。
この子が一番あとに生まれたオスのよう。
こっちは上のメス2匹のうちの1匹。3匹はいずれも母親は別。
金曜なので、西洋美術館の夜間開館へ行く。いつもはガラガラの常設展がけっこう混んでいた。ロンドン展のグッズ売り場は今までにない大行列。
常設展の最後の晩餐。
猿山の前にいると、炎天下でも暑さを忘れてしまう。気がつくと、紺のTシャツに汗の塩がいっぱいついていて、みっともなかった。
上野動物園は年間パスポート、西洋美術館常設展はシニア無料なので、ついつい行ってしまうけれど、炎天下の動物園は少し考えた方がよさそうです。今、屋根のある場所はすべて入れなくなっているので。
このところずっとパンダが食事中の時間帯なので、毎回食事するパンダ一家ばかりだけど、食べてないときは寝てるので、どっちがいいのかはたして。
2回とも顔が見られてよかった。
水曜はそのあと、猿山へ行ったら、そのまま閉園時間までいてしまった。
この日は猿山に着いたあたりから雨が降り始め、気温も低くなって、猿はたくさん外に出ていた。
お乳を飲む赤ちゃん猿。
午後4時になると飼育員が団子の餌をまきに来るので、猿たちは山の上で待っている。前方と後方におなかに赤ちゃんをしがみつかせた母猿がいるが、前と後ろは別の山。
飼育員が来るといっせいに猿たちは下に降りる。おなかに赤ちゃんをしがみつかせたまま団子を取る母猿。
この日は子猿3匹が一緒に遊ぶ姿がたくさん見られた。こういう日はよそへ行けない。
子猿の1匹の母親は最初はほかの子猿と遊ぶのを許さなかったが、子供は遊びたがるのでついに根負け。最近はそばで見ているが、閉園時間が近づくと子供を連れて帰ろうとする。が、子供はまだ遊びたくて戻ってしまったりして、下の鉄の遊具のところでも遊んでいたのだけど、ついにあきらめて母の背中に。名残惜しそうに振り返ったりしていた。
金曜日は快晴でものすごい暑さ。大人の猿の躍動的な動きを。
例によってパンダは食事中。猿は暑さであまり外に出ていなかったので、西園へ。
新しいパンダ舎の入口になりそうな場所だけど、まだ全然工事中。
キリンの舌は仲間のオカピの舌とそっくりだった。
蓮池の反対側から。モノレール向こうが新パンダ舎。
また猿山に戻る。この子はこれまで何度もこの木に登ろうとしていた。
ついに登頂達成。
降りるとき、母に受け止められる。
金曜は子猿2匹が遊ぶ姿は見られたが、3匹同時には見られなかった。
さるやまキッチンで休憩。アイスコーヒー。閉店間近。
この子が一番あとに生まれたオスのよう。
こっちは上のメス2匹のうちの1匹。3匹はいずれも母親は別。
金曜なので、西洋美術館の夜間開館へ行く。いつもはガラガラの常設展がけっこう混んでいた。ロンドン展のグッズ売り場は今までにない大行列。
常設展の最後の晩餐。
猿山の前にいると、炎天下でも暑さを忘れてしまう。気がつくと、紺のTシャツに汗の塩がいっぱいついていて、みっともなかった。
上野動物園は年間パスポート、西洋美術館常設展はシニア無料なので、ついつい行ってしまうけれど、炎天下の動物園は少し考えた方がよさそうです。今、屋根のある場所はすべて入れなくなっているので。
2020年8月11日火曜日
自作フェイスカバーとマスク
いろいろ試行錯誤して、ようやくたどり着いた自作フェイスカバー。
何度も洗って使い倒した不織布マスクをスケルトンに。
半分に切った綿のバンダナにつけてクリップで止める。バンダナが半分なのは、残り半分は試行錯誤で使って捨てたから。ポリエステルのバンダナならそのまま二つ折りにしてできそう。
裏返すと最初の画像に。不織布マスクの下の部分をあごにしっかりかけると安定します。
今うちにあるマスクはこれだけ。
左上は先日、ホームセンターで買った1080円(税別)のアイリスオーヤマのマスク。50枚が一袋に入っている。
左下は5年前にローソンストア100で買った5枚100円(税別)のマスク。非常事態宣言発令の時、うちにはこれしかなかった。何度も洗って使い倒し、まだ2枚残っている。
その右、超立体は3月のとある夕方、ふらりと入ったドラッグストアで買ったマスク。ユニ・チャームの日本製。7枚入り税込み400円くらい。ゲリラ的に並べた直後だったようだ。
その右はポリウレタン製の洗えるマスク3枚入り。やはり税込み400円くらい。これも4月のとある夕方、ふらりと入ったスーパーのドラッグストアの前で「これからマスクを並べます」と店員が言っていたので、買えた。
右上はマスクが普通に並ぶようになった6月にドラッグストアで買ったアイリスオーヤマの7枚入り298円(税別)。
税込み400円くらいの2つは日本製で、残りは中国製。
調査によると、日本人がマスクをつける理由は、まわりがつけているから。やっぱりね。絶対そうだと思ったよ。
アベノマスクはもちろん、寄付しましたよ。
何度も洗って使い倒した不織布マスクをスケルトンに。
半分に切った綿のバンダナにつけてクリップで止める。バンダナが半分なのは、残り半分は試行錯誤で使って捨てたから。ポリエステルのバンダナならそのまま二つ折りにしてできそう。
裏返すと最初の画像に。不織布マスクの下の部分をあごにしっかりかけると安定します。
今うちにあるマスクはこれだけ。
左上は先日、ホームセンターで買った1080円(税別)のアイリスオーヤマのマスク。50枚が一袋に入っている。
左下は5年前にローソンストア100で買った5枚100円(税別)のマスク。非常事態宣言発令の時、うちにはこれしかなかった。何度も洗って使い倒し、まだ2枚残っている。
その右、超立体は3月のとある夕方、ふらりと入ったドラッグストアで買ったマスク。ユニ・チャームの日本製。7枚入り税込み400円くらい。ゲリラ的に並べた直後だったようだ。
その右はポリウレタン製の洗えるマスク3枚入り。やはり税込み400円くらい。これも4月のとある夕方、ふらりと入ったスーパーのドラッグストアの前で「これからマスクを並べます」と店員が言っていたので、買えた。
右上はマスクが普通に並ぶようになった6月にドラッグストアで買ったアイリスオーヤマの7枚入り298円(税別)。
税込み400円くらいの2つは日本製で、残りは中国製。
調査によると、日本人がマスクをつける理由は、まわりがつけているから。やっぱりね。絶対そうだと思ったよ。
アベノマスクはもちろん、寄付しましたよ。
2020年8月8日土曜日
さるやまキッチンで生ビール
癖になりそう。
梅雨明け最初の上野動物園。暑い。猿山も猿があまり出ていない。子猿も2匹のみ確認。
パンダは今回は全員、顔がしっかり見えました。(追記 リーリーとシンシンは新しいパンダ舎に移るため、8月17日から9月7日まで見られなくなると、8月7日に突然発表。えええ! 少し前なら最後の土日とれたのに。まあ、来週の平日に2回行くか。)
キリンの親子。子供と一緒にいるのは実は父親らしい。母親は育児放棄したので、父子とは隔離されているよう。
オカピが外にいるのを見たのは初めて。舌が長い。
ハシビロコウは4羽見られた。
2羽目。
3羽目と4羽目。奥の格子の向こうに1羽。
小獣館の隣から垣間見える新しいパンダ舎の一部。
レッサーパンダを見てからパンダを見るようになってるみたいだ。
勝手にやってきたダイサギ。
カワウとペリカンとコサギ。ここのカワウは動物園の餌を食べているので、人のそばへも平気で来る。カワウのすぐ右に人が何人もいます。
さるやまキッチンは午後4時からはドリンクとデザートのみで、すいている。猿山が見える窓際の席をとった。4時半がオーダーストップで、4時から片付けが始まり、見晴らしがよくなる。
上野動物園は平日の整理券は午後なら当日でも間に合うくらいになっていたが、来週はお盆休みで、平日も減りが速い。(追記 減りが速いと思ったら、リーリーとシンシンがしばらく見れなくなるからだった。)
この日(7日)は入るときに前のカップルが整理券予約せずに来て、入れなくてごねてたけど、この日は朝でも間に合ったのに。
帰りにまた西洋美術館のグッズ売り場をのぞく。ロンドン展は平日はずっと整理券完売していないように見えるけど、来週はお盆休みなので、平日も完売するかもしれない。
梅雨明け最初の上野動物園。暑い。猿山も猿があまり出ていない。子猿も2匹のみ確認。
パンダは今回は全員、顔がしっかり見えました。(追記 リーリーとシンシンは新しいパンダ舎に移るため、8月17日から9月7日まで見られなくなると、8月7日に突然発表。えええ! 少し前なら最後の土日とれたのに。まあ、来週の平日に2回行くか。)
キリンの親子。子供と一緒にいるのは実は父親らしい。母親は育児放棄したので、父子とは隔離されているよう。
オカピが外にいるのを見たのは初めて。舌が長い。
ハシビロコウは4羽見られた。
2羽目。
3羽目と4羽目。奥の格子の向こうに1羽。
小獣館の隣から垣間見える新しいパンダ舎の一部。
レッサーパンダを見てからパンダを見るようになってるみたいだ。
勝手にやってきたダイサギ。
カワウとペリカンとコサギ。ここのカワウは動物園の餌を食べているので、人のそばへも平気で来る。カワウのすぐ右に人が何人もいます。
さるやまキッチンは午後4時からはドリンクとデザートのみで、すいている。猿山が見える窓際の席をとった。4時半がオーダーストップで、4時から片付けが始まり、見晴らしがよくなる。
上野動物園は平日の整理券は午後なら当日でも間に合うくらいになっていたが、来週はお盆休みで、平日も減りが速い。(追記 減りが速いと思ったら、リーリーとシンシンがしばらく見れなくなるからだった。)
この日(7日)は入るときに前のカップルが整理券予約せずに来て、入れなくてごねてたけど、この日は朝でも間に合ったのに。
帰りにまた西洋美術館のグッズ売り場をのぞく。ロンドン展は平日はずっと整理券完売していないように見えるけど、来週はお盆休みなので、平日も完売するかもしれない。
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