つくづく、産業翻訳は自分には向かない職業だと思った。
引越のとき、もしも産業翻訳をメインの仕事にしていたら、ネットにつながらなかったら仕事にならないので、きっとパニックだろうなあ、と思ったのだけど、たまーに産業翻訳やるだけの私はつくづくこの仕事に向かないと思い知るできごとがあった。
もともと、翻訳会社に登録はできても仕事はめったにない人間で、理由は、産業翻訳特有の専門分野の実績がない、ということだったけれど、最近、ワードなどのパソコン環境が、私は完全に浦島太郎なのだと気づいた。
なんたって、最後にxがつくファイルが開けないのだ。
実は、2002年に買ったパソコンについていたワードをいまだに使っているのだ。
ちょっとした仕事なら、事情を言って、古いワードに変換してもらって、仕事していたが、さすがにそれは無理なできごとが…。
しかもそれだけじゃない。産業翻訳をやってる人というのは、とにかくネットに通じているらしい。いろいろな手法を使って、いろいろなことができるらしい。私はせいぜい、ネットはメールと、調べたいものがあるときはぐぐって調べる程度。とにかく遅れているけど、今のように、非常勤講師と、たまに出版社の仕事くらいだと、遅れていてもたいして困らないのだ。
もっとも、人によっては、古いタイプでも翻訳の仕事をコンスタントに得ている人もいる。トラドスとかできなくても、トラドスを使わない会社でコンスタントに仕事ができている人とか。でも、そういう人は過去の実績が長く、その信頼性で、そういう地位を得ているのだ。
私は、翻訳はとにかくつまずきの連続で、小説の翻訳は仕事が続かず、最後に本が出たのは2002年。その後、書き下ろしノベライズをやったが、これも続かず、2007年が最後。その後はまったく仕事がなくなり、昨年、久々に映画書の翻訳が出たが、その後は何もなし。
昨年あたりは、あと1冊でいいから、小説の翻訳がしたい、と思って、それなりに努力してみたが、たった1冊さえもチャンスが与えられないきびしい現実を知った。産業翻訳は単価がどんどん下がり、上のような事情もあって、腰が引けるようになり、積極的に仕事を求めなくなった。
それでも、何かのおりに英文を翻訳する機会があったりすると、やっぱり翻訳がしたい! という強い気持ちに駆られる。自分で言うのもなんだが、私はかなりうまい方じゃないかと思うときもある(いつもではないが)。でも、上で書いた、パソコン環境を整えないとか、仕事をもらうための努力ができないとか、そういう、翻訳そのもの以外のところが自分は決定的にだめだと思う。そして、翻訳では、実は、そういう、翻訳そのもの以外のところが非常に重要だったりする。
じゃあ、趣味で翻訳を、と思ったこともあるが、それもだめだった。私は趣味では翻訳できない。だから報酬にはそこそここだわる。
結局、私は翻訳以外にできることがたくさんあるんだから、実りのない片思いはやめよう、という結論になるのだった。
でも、あと1冊、小説の翻訳が出せたらなあ。いや、それよりもっと大きな夢を持とう。
追記 産業翻訳に向かないな、と最初に思ったのは、やはり、翻訳会社から電話があってもすぐ対応できないからだった。つまり、講師しているときとか試写のときとかは携帯の電源を切っているわけで、常時自宅にいて翻訳している人のようには対応できない。会社も当然、すぐに対応できない人は避ける、というわけで、やっぱり産業翻訳は家にこもってる人じゃないとだめだな、と思った。