お食事中の方、注意。
昨日の夜中、吐き気がして目が覚めた直後、やってしまいました。
風邪気味なので、ティッシュの箱をすぐそばに置いてあったので、すぐにふき取り、しかも、おなかの中には焼酎と麦茶しか入ってなかったので、シーツにしみができた程度ですみました。
そのあと、とにかくまた眠り、そして目が覚めると、別におなかの具合は悪くなく、食事も普通にできるので、問題なかったのですが(考えてみたら、昨日は昼間から胸焼けがしていたので、風邪の影響だと思う)、しみのついたシーツをどうするかが問題。
実は2日前にコインランドリーで洗濯したばかりで、まだ洗濯物がたまってない。しかも外は雨。コインランドリーの乾燥機は当然、混んでいるはず。シーツだけ洗濯して、乾燥機のたくさんあるランドリーへ行って、というのも大変だなあ、と思い、洗面器でシーツの汚れたところだけ洗い始めたのですが、やはり手では限界が。
しょうがないので、雨の中、コインランドリーへ。幸い、雨で洗濯する人が少ないのか、洗濯機も乾燥機もあいていたので、無事、洗濯は終了(シーツだけではもったいないので、そろそろ洗濯しようと思っていたものをかき集めて行った)。終わるころには雨もやみ、日がさしてきました。
お酒はそんなに飲んだわけではないし、何も食べていないのだから、寝酒をやった程度なんですが、何も食べてないのがよかったのか、悪かったのか。
昨日は、週に7コマも授業があると、授業の準備が大変で、ほかのことが何もできない、ほかの人はどうして10コマ以上できるのだろう、と書きましたが、実は、私もかつては週に7コマやっていたのです。ただ、すべて英語の授業だったので、同じテキストを複数の授業で使えるし、学生に問題をやらせてチェックするだけなので、授業の準備はわりと簡単でした。週に10コマ以上やっている先生たちは、おそらく、そういった授業をいくつもやっているのだと思います。
が、今は、文学や映画の授業が多く、とにかく準備が大変。まあ、自分で望んでやらせてもらっているものばかりなので、文句はいえないのですが。
週に7コマ、英語の授業をしていた頃は、翻訳の仕事もあったし、執筆の仕事もあったしで、授業は生活費の確保、翻訳と執筆で好きなことをする、と割り切れました。しかし、出版の世界も氷河期に入り、大学の方も非常勤の仕事を手に入れるのがむずかしい時代になりと、どこもかしこも不景気で、仕事は減る一方、収入も減る一方です。
仕事探しが氷河期、というのはどの業界でも同じだと思いますが、学生も就職活動が大変なようです(これは教師をしていると現実の問題としてよくわかる)。求人はあるといわれていますが、人が不足している企業はいわゆるブラック企業が多く、社員がどんどんやめていくので求人が多いとか。そういうところを避けると就職できず、そういうところに入ると過労死とか早期離職とかになってしまうらしい。
じゃあ、学生に人気の一流企業はゆったりとしたペースで仕事ができるのか、と思うと疑問でもあります。なぜなら、その人気一流企業の上位に、かつて、過労で自殺した社員を出した有名広告代理店があるからです。その会社は社員の自殺以後、待遇がよくなったので、人気企業なのでしょうか、それとも、単に有名で一流で見栄えがいい企業だから相変わらず人気があるのでしょうか。
その広告代理店の社員が過労で自殺したとき、その就労状況が報道され、それを見た零細広告代理店の友人が言っていました。
「広告代理店の社員はどこもみんなこのくらい仕事をしている。でも、適当にサボったり休んだりしているから過労で自殺までは行かない。この人はまじめで、適当にサボったり休んだりできない人だったのではないか」
もうあれから20年くらいはたっているはずですが、かつての日本の会社員は、拘束時間は長いけれど、その間に休んでいる時間が多い、といわれていました。しかし、今、ブラックと呼ばれている企業は、拘束時間が長く、しかもその間に休めないみたいなのです。
拘束時間は長いけれど、適度に休めるので、やっていける、というのはある種の日本的なのんびりした働き方だった気がしますが、今は、休んだりサボったりすることを許さない風潮があります。仕事の現場だけでなく、教育の現場でも。そして、そこでは人がサボったり休んだりしないように、常にお互いを監視するような体制になっています。拘束時間が短ければ、それでもいいでしょう。でも、拘束時間は相変わらず長く、サビ残の山だったりするわけですから、日本全体がブラック企業化し、お互いが監視しあうファシズムの世界みたいになっていくのかなあ、と、最近、思い始めています。