2014年11月1日土曜日

表紙でふりかえるキネマ旬報

2つ下のエントリーで紹介した本ですが、なんと、いただいてしまいました(ありがとうございます)。
「表紙でふりかえるキネマ旬報」。
ビジュアル的にすばらしい、なつかしい、貴重な本です。
前に書いたとおり、「アレンジメント」のフェイ・ダナウェイが表紙の号がありました。1970年3月上旬号。その前のバーブラ・ストライサンドの表紙も見覚えがあります。
それ以前の表紙はまったく見覚えなし。そして、それ以後の表紙は見覚えのあるものがいくつもあり、このあたりからキネ旬を見るようになったのだな、と思いました。
しかし、1960年代までは表紙が欧米の女優で、これじゃ「スクリーン」と変わらない。が、70年代からは映画のシーンが表紙になるのですね。ここから「スクリーン」などのファン雑誌との差別化が始まったのか。当時は私はまだキネ旬はとっつきにくく、もっぱら「スクリーン」中心でしたが、初めて自腹で買ったキネ旬は、ビリー・ワイルダーの「シャーロック・ホームズの冒険」の主演女優ジュヌヴィエーヴ・パージュが表紙の71年2月下旬号。ワイルダーの「シャーロック・ホームズの冒険」は、セルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」が現れるまで、私のオールタイム・ベストワン作品でした。
その「ワンス・アポン~」の特集号、84年9月下旬号では、分析採録をやってます。80年代には分析採録をやった号がいくつかあり、表紙を見るとなつかしいのですが、この「ワンス・アポン~」は私はオリジナル版の試写を見て、オリジナル版の採録をしたのですが、結局、数十分カットされた版が公開されることになり、編集部で私の原稿をいじったので、誤植は多いわ、つながりが変だわで、なんだかなあ。でも、あの時点でオリジナル版をフィルムで2回も見れた幸運には感謝。
特集で採録と映画評の両方をやらせてもらったのが「インドへの道」、85年7月下旬号。原作者の研究者だということを前もって編集部に連絡していたので、やらせてもらえたのですが、編集部でもこれはおそらくデイヴィッド・リーンの遺作になるだろうと思って力が入っていたというか、特に、表紙にリーンのよい写真を使えることになった、と編集者が喜んでいたのを覚えています。
あとは思い出の号というと、「ジャッカルの日」の73年8月下旬号かな。この頃から定期購読をしばらくしていました。「ジャッカルの日」の試写会に応募したら当選して(当時はキネ旬の試写会当選率はものすごく高かった)、試写に行ったら、白井編集長が舞台挨拶していました。そのときの下ネタジョークを今でも覚えているぞ。
ビジュアル中心の本ですが、元編集者2人の表紙に関する裏話も面白いです。