2019年12月30日月曜日

「お帰り寅さん」&「男と女」

「男はつらいよ お帰り寅さん」を葛飾区の亀有で見てきた。
亀有駅前。なお、映画を見たのは昼間で、夜景はすべて帰りの写真。

MOVIX亀有。


エレベーターからシネコンへの途中のスペース。

入口。

入口横にある寅さんの看板。葛飾区はスカイツリーに近く、ここ亀有からもかなり大きく見えるのだけど、映画にはスカイツリーは出てこなかった。

柴又のある葛飾区の松竹系のシネコンMOVIX亀有で見たかったので、いつもの席を予約。松竹の富士山がいつになく感慨深い。しかし、ここ亀有はあまりお客さんが入ってなくて、TOHOシネマズの上野や日本橋の方がよく入っている。映画自体も東宝の撮影所で撮影。いろいろと時代の変化を思う。
でも、最後に拍手が起こったのはうれしかった。やっぱり葛飾区。
入るときには寅さん記念館のチラシをくれた。

「男はつらいよ」は16作目まではかなりよく見ていたのだが(全部ではない)、その後まったく見なくなり、80年代半ばに松竹の試写室で「寅次郎恋愛塾」を見たのが最後。後藤久美子が出てくる前だから、今回の満男とイズミの話は一応知ってはいたけれど、見てはいなかった。
でも、見ていなくても、満男とイズミは結婚するのだろうとは思っていた。しかし、2人は結婚しておらず、それぞれ別の人と結婚して子供をもうけ、現在に至っているという設定。

実はクロード・ルルーシュが「男と女」の半世紀後を描く「男と女 人生最良の日々」という映画があって、試写を見せてもらっているのだが(公開は1月)、こちらも「男と女」のラストシーンを見たときは、この2人はこのあと結婚するのだろうと思っていた。が、この2人も結婚しておらず、20年後を描く「男と女Ⅱ」が作られているけれど、これは見ていない。どうやらジャン・ルイ・トランティニャン扮するジャン・ルイの女性関係が原因で別れたらしい。
「人生最良の日々」はトランティニャンとアヌーク・エーメが同じ役で主演しているのはもちろん、それぞれの息子と娘役だった子役も成長して同じ役で出演している。娘役のスアド・アミドゥは明らかにベテラン女優だとわかるが、息子役のアントワーヌ・シレは演技がぎごちなく、おそらく俳優ではない人なのだろうと思って調べてみたら、「男と女」関連の映画にしか出ておらず、やはり俳優ではないようだ。

「人生最良の日々」は回想シーンに「男と女」のシーンがふんだんに使われていて、そこが「お帰り寅さん」と共通する。また、結婚すると思えた2人が実は結婚していなくて、男の方が過去の恋人を思っている、というところも同じ。まあ、よくあるパターンではあるのだけど、もしかして、山田洋次監督、ルルーシュの「男と女」続編のことをどこかで聞いて参考にしたとか??? 時期が近いのでそれはないかもしれないけど。

「お帰り寅さん」が渥美清に捧げられていて、満男とイズミのストーリーよりも寅さんの思い出や他の主要人物たちの思い出に重きが置かれているのに対し、「人生最良の日々」は過去映像をふんだんに使ってはいるが、重点が置かれているのは現在で、2人の主人公の老いというものがよく表現されている。また、映像もみずみずしく、ルルーシュ若いなと思わせるところもある。最良の日々はこれからの人生に訪れる、というヴィクトル・ユーゴーの言葉を副題にしたこの映画は、過去を振り返りつつも現在や未来に向かっているように見える。ラスト、夕日の緑の光線が現れるところはエリック・ロメールへのオマージュだろうか。

対して、「お帰り寅さん」は故人である渥美清へのオマージュであり、「男はつらいよ」シリーズ全体へのオマージュであるから、内容はやはり過去を向いている。満男とイズミを中心とする現在の物語があまり重要でない感じがするのはそのためで、そこが「人生最良の日々」との根本的な違いだ。それはトランティニャンとエーメが現役であるのに対し、渥美清が故人である以上、そして彼の死がシリーズを終わらせたという事実がある以上、やむを得ないことだ。
「お帰り寅さん」ではおいちゃん、おばちゃん、タコ社長、寺の住職は亡くなっているが、寅さんは亡くなっておらず、たまに帰ってくるらしい。というか、さくらが、2階は寅が帰ってきたときのためにあけてあるみたいなことを言うのだけど、老いた寅さんがたまに戻ってくる、というのがどうも想像できない。でも、渥美清と「男はつらいよ」シリーズへのオマージュとして見れば、現在のシーンはそのオマージュを補強するものであればよいので、最後、満男が寅さんのことを小説にしようと決意するのは筋が通っている。というか、そこに至るまでの物語として見ればよいのだ。
ラスト、歴代のマドンナが次々と登場するシーンを見ると、昭和の時代の美女たちだなあと思う。そして、「男はつらいよ」シリーズが昭和の時代の物語であったことを。

ひとつ気になったこと。
東京駅前の八重洲ブックセンターで偶然再会した満男とイズミは、タクシーに乗って神保町へ向かう。が、彼らがタクシーに乗るとき、窓に地下鉄・半蔵門線の駅の入口にある水天宮の文字が映りこむのだ。
水天宮は東京駅付近からは地下鉄ひと駅かふた駅分くらい離れていて、しかも神保町とは反対側の方向。八重洲ブックセンターから水天宮へ行く理由がない。
東京駅付近でのロケが困難で水天宮のあたりで撮影したとしても、わざわざ水天宮の文字を映りこませないだろうに。
あれはどういう意図だったのか。あるいはただのミスをそのまま残した?