メアリー・アニングのことは大雑把には知っていた。そのアニングをケイト・ウィンスレットが演じ、シアーシャ・ローナンが共演する「アンモナイトの目覚め」。
アニングが若い女性シャーロットと出会い、レズビアンの関係になる、という、「燃ゆる女の肖像」みたいな話なのだけど、見ていて、いろいろ違和感があった。
アニングの私生活についてはあまり知られていないらしく、この映画の物語は完全な創作らしい。「燃ゆる女の肖像」は映画としてきっちりと作られていて、物語や人物描写、そして結末など、どこも納得できる出来栄えだったが、こちらは次々と疑問が頭に浮かんだ。
子どもを失ったことから心の病に陥ったらしいシャーロットだが、彼女が病気で寝込み、アニングの看病で治ったあと、それまでの心の病はどこへやら、人が変ったみたいに元気な女性になっているのも不自然だし、夫に見捨てられたからアニングとレズビアンの関係になるみたいな設定も、同性愛は何か原因があってなるものだという偏見そのもので、それって20世紀までの映画のやり方だろ、と突っ込みたくなる。
貧しい労働者階級の女性であるために学会での活躍を封じられたアニングだが、映画は男性社会に受け入れられない女性を描くのではなく、おもに階級の違いを描いているように見えた。
貧しい生まれながら化石発掘の才能を持ち、泥だらけになって化石を採集するアニングと、いかにも中産階級のお育ちのよさが際立つシャーロット。化石を値切ろうとする紳士に対し、何も言えないアニングに対し、シャーロットはその教養の高さで紳士を説得する。
中産階級の紳士淑女が集まる音楽界で、まわりとうちとけるシャーロットと、なじめないアニング。シャーロットの家を訪ねたとき、メイドに裏口へまわれと言われるアニング。
学会での活躍を封じられていたとはいえ、研究者には大変尊敬されていたことはシャーロットの夫マーチソンのせりふでもわかるが、化石採集で名をあげても貧しい生活の中で粗末な服を着て、見るからに労働者階級とわかってしまうアニングと、中産階級の淑女であるシャーロットや近所の女性エリザベスとの間の階級格差が描かれる。
コンセプトが古いと感じたものの、それ以外では何の不満もない「燃ゆる女の肖像」に比べて、この映画は違和感がいっぱいだった。
「燃ゆる女の肖像」はレズビアンの女性監督だったが、「アンモナイトの目覚め」も女性監督なのだろうと思っていたのだが、
なんと、男だった。
ああ、そうか、男だからなんだ、監督が。
それがわかると、女同士の裸のラブシーンがリアルに描かれたときの違和感もわかる。なんか、男性向けの百合?
男社会からはじき出される女性、というテーマよりも、女性同士の階級格差を描いたわけもなんとなくわかる。
そして、アニングやシャーロットとその夫やエリザベスについて調べてわかったこと。
シャーロット・マーチソンはアニングより10歳くらい年上。夫ロデリック・マーチソンとともに地質学者として有名で、若い頃は夫と調査の旅行をよくしていた。夫が妻をアニングに預けたのも、化石収集を学ばせるためだったそうだ。これが縁でアニングとシャーロットは親友になった。
また、夫のマーチソンはシャーロットより年下で、地質学者としてはナイトの称号を受けるほど有名。彼の功績には妻の内助がかなりあったとか。
近所の女性エリザベス・フィルポットはアニングより20歳くらい年上。化石収集や軟膏の製造をしていた。アニングが子どもの頃からの知り合いで、アニングに文化的な指導を与えたりしていたらしい。この2人も親友だった。
映画ではエリザベスはアニングの元恋人となっているが、アニングには男性との恋愛歴がないけれど、彼女のセクシュアリティについては何もわかっていない。異性との恋愛歴がないからといって同性愛とは限らない。
だから、エリザベスもシャーロットもアニングの親友だけど、この映画のようにレズビアンの関係にあったかどうかは不明というか、10歳くらい年上のシャーロットを年下にしたり、地質学者で鉱石や化石の収集をしていたことをなかったことにしている時点で、これは創作と見ていいのではないかと思う。
しかも、シャーロットやエリザベスも泥んこになって化石収集していたわけだから、貧しい労働者階級のアニングだけが泥だらけになって、という設定が崩れるなあ、これ。
もともとこの映画は「真珠の耳飾りの少女」の原作者の小説が一番最初にあったらしい。
その小説はアニングとエリザベスが女性の研究者を排除する男社会と戦うというストーリーだそうで、これの映画化権をプロデューサーが買い、その後、紆余曲折があって、この映画になったようだ。この小説の映画化ではなく、アニングを主人公とする別の話になったわけ。
とまあ、いろいろわかってきたんだけど、調べれば調べるほどなんだかなあの映画になっていきます。