2026年4月10日金曜日

「ハムネット」アグネスはアニエスだった

 原作は私はそれほどいいとは思えず、映画もあちらでの批評家の評価はイマイチだという「ハムネット」。それでも、原作があの程度なら映画でよくなる面もあるのではないかと期待して見に行ったが、ああ、だめでした。

なんでこれがゴールデングローブ賞で、あの傑作「罪人たち」をおさえてドラマ部門作品賞なのかわからん。トロント映画祭観客賞らしいけど、確かに観客を泣かせるような演出はあるわな。でも、たいした映画じゃなかった。クロエ・ジャオとしても「ノマンドランド」の方が全然よいよ。

実はこの映画は試写状をもらっていたのだけど、最近の試写室での試写はネットで日時を申し込み、でも、先着順ではなく、お断りもある、というのでどういう基準で見る人を選んでいるのかわからない。それに、都心まで行けば交通費かかるから、設備のよいシネコンで見ようってことになってしまっている。


原作は過去と現在が交錯する展開になっているが、映画は時系列にそっていてわかりやすい。その分、平板になり、深みも減った感じがする。監督と原作者が脚本を書いているので、原作者も納得してるのだろうとは思うが、映像の魔力とかまるで感じないので、主人公が魔女と呼ばれ、自然の中で生きている感じが映像の魅力になっていない。

その主人公、シェイクスピアの妻だが、一般にはアン・ハサウェイという名で知られている。が、アグネスとも呼ばれていた、というので、原作ではアグネスになっているが、映画ではなんと、フランス語読みのアニエスだった。

アニエスって、あのアニエス・ヴァルダのアニエスです。どちらもつづりは同じAgnes。

原作者は最初からアニエスのつもりだったのかはわからないが、翻訳は英語読みのアグネスになっているので、映画の字幕もアグネスになっている。しかし、映画の中ではさかんにアニエス、アニエスと言ってるので、違和感半端ない。

シェイクスピアが最初に名前を聞き、アニエス、と答えるのだけど、アニエスならアン・ハサウェイのアンと違和感ないので、やっぱりアニエスが正しいのか。

一方、シェイクスピアの名前は最後、アニエスがグローブ座へ行ったときに初めて出てくる。その前までは名前が呼ばれない。

この最後の「ハムレット」上演のシーンは、原作だとアニエスが劇を見て感じたことを説明的に書いているだけで、ここがクライマックスなのに原作は小説として弱いと思ったが、映画では「ハムレット」上演シーンが長く、その間のアニエスの変化を描いている。が、この描写がどうも私にはあまりうまくないような気がするのだ。だいたい、舞台の上の役者が下手すぎるっつうか、シェイクスピア劇っつうよりは田舎芝居みたいに見える。しかも、ハムレットの衣装がジーンズみたいなんだけど、なんだこりゃ。

シェイクスピア劇って、こんな田舎芝居みたいなものだったのか、と思ってしまったよ。なんかこれ、意図あるの?

その田舎芝居にアニエスがしだいに感動して、息子の死を受け入れていくのだけど、この描写もただのお涙頂戴で、ちょっと下手すぎない? ジェシー・バックリーの演技でなんとか持ってるようなもの。

全体にエリザベス朝の風景なんかも平板な描写だし、バックリーやメスカルなど主演級の役者はよいので、見てられるけど、「ハムレット」の舞台ではメスカルに比べて他の役者が下手すぎなのよ。まあ、わざとだと思うけど。その辺、深堀りする人もいるのかもしれないね。

というわけで、原作知らずに見ればそこそこいい映画と思えるかもしれないけど、原作読んだ人から見たら、あまりにもわかりやすく平板な映画にしてしまったという感は否めないのである。