5月8日に「シンプル・アクシデント偶然」、15日に「スマッシング・マシーン」を見てきた。
前者はカンヌ映画祭パルムドール、後者はベネチア映画祭銀獅子賞。よい映画なのだけど、映画館ガラガラ。特に「スマッシング・マシーン」は日本が舞台のシーンが多いし、大沢たかおとか出てるのに、近所のシネコンでは「シンプル・アクシデント」より入りが悪い。
「スマッシング・マシーン」は総合格闘技で活躍したマーク・ケアー(ケアーはカーの方が発音的には正しい気がするのだが)の実話の映画化。アメリカのスポーツ選手が日本で試合する話で、日本ロケにこだわってるって、「マーティ・シュプリーム」みたいだな、と思ったら、サフディ兄弟監督の兄が「マーティ・シュプリーム」、弟が「スマッシング・マシーン」を監督したのだった。
とはいってもこの2作、いろいろと正反対で、「マーティ~」が実話にヒントを得たフィクションなのに対し、「スマッシング~」はドキュメンタリーをもとにしているので、かなり実話に忠実。「マーティ~」が卓球以外のエピソードが多く、最後の勝つけどなんだかなあな感じの映画なのに対し、「スマッシング~」は総合格闘技でひたすら勝つことだけを考えていた最強の男が「負ける」ことについての映画。ド直球のスポーツ映画なのだけど、やはりスポ根的カタルシスとは違う作品。
こうしてみると、どっちも興味深い作品なのだが、マーティがいやなやつなのに対してマーク・ケアーは繊細で人当たりがよく(ありがとうの言葉を欠かさない)、同情できる人物。上映時間も「マーティ~」がちょっと長くて飽きるところもあったの対し、「スマッシング~」は2時間3分と無駄のない作りで、私は「スマッシング~」の方が断然気に入った。
「スマッシング~」についてはすでによい批評がネットに出ていて、リングの外からのみ試合を映すことの効果、そしてなにより音楽のすばらしさに触れている。私も、「君が代」や「星条旗よ永遠なれ」のセンスのよい演奏をはじめとする音楽の魅力に惹きつけられた。有名曲を使っていても浮いていない。
映画は1997年、マークが総合格闘技に初出場して勝ったところから始まり、それから急に2年後の1999年、日本のPRIDEに参戦するシーンになる。その間、マークは負け知らずなのだが、この映画は勝つ試合をほとんど見せない。このPRIDEで初めて負けを喫し、相手の反則で試合自体が無効になるが、このときすでに彼は強力な鎮痛剤による薬物依存になっていて、このあと倒れ、リハビリに励む。薬物依存を脱して恋人のもとへ戻るが、その頃には恋人の方がアルコール依存症のようになっていて、2人の間にいさかいが起こる。愛し合っているのに相手に対して苛立ちや怒りを感じずにいられない2人を、ドウェイン・ジョンソンとエミリー・ブラントが迫真の演技で演じる。特にジョンソンの繊細な演技は見もの。ブラントも、こういう状況に置かれた女性の苛立ちをみごとに表現していて、共感できる。
この映画はマークが負けることによって解放される物語なので、負けるシーンが多いのだが、(以下ネタバレ)クライマックスで勝者と彼が別の部屋にいるシーンが交互に映し出され、そこである種の敗者の勝利、敗者のカタルシスのようなものが描かれる。
このあと、マークは恋人と結婚したこと、結婚生活は6年続き、息子ももうけたことが伝えられ、エンドクレジットには本物のマークと彼女の写真と、そして、映画のはじめの方に出てきた彼女の猫のご本人、いやご本猫の写真まで登場する。別れたとはいえ、元妻との関係は良好なのかな、と思わせる。
「シンプル・アクシデント」は「熊は、いない」のイランの監督ジャファル・パナヒの新作だが、パナヒはイラン当局から反体制派として目をつけられていて、投獄もされていた。この映画は釈放後初の監督作。イランが悪いイメージを持たれていたのは、こうした迫害があるからで、アメリカとイスラエルがイランに仕掛けた戦争でもイランが悪いと思っている人もいるようだ(今回の件ではアメリカとイスラエルがどう見ても悪いのだが)。イランには有名な映画監督が何人もいるのだが、彼らがこの戦争をどう思っているのか、というのが気になっている。
以下、ストーリーを詳しく書いているので、差し支えない方のみ、どうぞ。
映画の冒頭、妻と幼い娘と車で夜道を走っていた男が野犬をひいてしまい、それで車の具合が悪くなったので自動車修理店に寄るが、そこにいた男ワヒドが運転者の義足の音を聞き、かつて自分たちを拷問した男だと確信して彼を誘拐、殺そうとするが、男は人違いだと言う。確信を持てなくなったワヒドは同じく拷問された人々に男を見てもらうことにする。
どうやらこの地域ではかつて、給料が払われないのでストをした労働者が反体制派だとして逮捕され、拷問を受けたらしい。ワヒドも集まった人たちも刑務所にいたときは目隠しをされていたので、顔はわからないから確信は持てない。薬で眠らせた男のまわりで、集まった男女がこの男をどうするかということでもめるのだけど、この描写がなんだかコメディみたいだな、と思っていたら、深刻な内容をコメディのようにして描いているのだった。
やがて男の携帯に幼い娘が電話をかけてきて、身重の母親が大変だ、ということがわかり、憎いやつかもしれない男の妻と娘を助ける羽目になってしまうのだが、そのときに、この男がやはり拷問した人物だということが観客にはわかるようになっている。
ワヒドたちのおかげで男の妻は無事、息子を出産、ワヒドたちは出産祝いまでしてやる。その後、目を覚ました男がワヒドたちに問い詰められ、ついに真実を話し、となるのだが、その頃にはワヒドたちもも殺す気にはなれず、男も妻の出産を助けてくれた彼らを裏切ることはないだろうと推測できるのだが、ラスト、男の家を訪ねたワヒドの後ろ姿と、コツコツと響く義足の音で映画は幕を閉じる。迫害した者とされた者の間に和解があるのか、という希望と緊張感を表したみごとな幕切れた。
登場人物の1人1人が生き生きと描かれ、絶対許さないと言う者もいれば、暴力反対と言う者もいて、でも、同じ人が常に同じ考え、行動とは限らない、という人間らしさもよく表現されている。そして、拷問した男も、幼い娘の話から、ああいうことをしていたから親戚からは疎まれているらしいことがわかる。体制支持の偉そうな態度が、最後は、自分も弱い人間だと言って泣く姿に変わるあたりも、監督の人間に対する思いを感じる。