2011年4月30日土曜日

ある試写会の思い出

 1970年代、ルイ・マル監督の新作(当時)「ルシアンの青春」の試写会に当選し、見に行ったときのこと。場所はこの前の東日本大震災で天井が崩落し、犠牲者が出た九段会館。当時は試写会といえばヤマハホール(今はない)と九段会館だった。
 試写会にはスポンサーがつくものとつかないものがある。「ルシアンの青春」の試写会はスポンサーがついたもので、最初に原発推進派の科学者の講演があった。科学者は、客はみな、映画が目当てなのがわかっているので、しゃべりにくそうだった。それでもとにかく、日本には資源がなく、火力発電の燃料である石油が先だってのオイルショックでわかるように、安定した供給がないことをあげ、原子力発電の必要性を語ったあと、「でも、まあ、みなさんはフランス映画が見たいのでしょうから」と言って、そそくさと壇上を去った。そして映画が始まった。
 この映画は、第二次大戦中のフランスを舞台に、ナチスの協力者の少年とユダヤ人少女の恋愛を描く傑作だが、今日の話題はこの映画ではない。
 試写に応募したとき、私はスポンサーについてはまったく考えていなかった。講演が始まったとき、え、これ、原発推進派の試写なのか、と思って、少しいやな気分になったが、一応、1つの意見として聞いておいた。
 70年代前半に起きたオイルショックは記憶に新しかった。なぜかトイレットペーパーと砂糖がなくなって困ったものだ。その後、石油に依存しないエネルギーとして、原子力発電が推進されたのも覚えている。
 私の立場は微妙だったし、今も微妙だ。60年代に「鉄腕アトム」に夢中になった子供だった人ならわかるかもしれないけど、当時は原子力の平和利用に期待が集まっていた。アトムも原子力で動いていた。その妹がウラン、弟がコバルトなのは、手塚治虫も原子力エネルギーを善と思っていたことを意味する。その後、放射能や廃棄物の問題が出てきて、私も反原発になるのだけど、アトムも「原子力で動いているけれど安全です」とかなんとか解説が書かれていた。もっとも、アトムは原子力エネルギーをチューブで体に入れていたので、どっちかというとガソリンの感覚だったのかもしれない。
 かつて原子力の第一線にいた科学者で、現在は引退している人が、「原発の推進はよいと思ってやってきたが、こんなことになって申し訳ない」と発言した。保身のためだと批判する人もいるが、原子力が本当に世のため人のためになると、手塚治虫もそう思っていた時代を知っていて、その時代の科学に心酔したことのある人なら、この言葉の意味はよくわかると思う。
 武田教授は今日の記事で、「石油は日本にないから原子力……浅はかだった」と書いている。
 最初は善意だったのだ。しかし、そのあと、利権がからんでくる。科学者が補助金でがんじがらめになっていることが今回のことでよくわかった。
 風力発電に反対する人のサイトでも、風力発電を開発した人は善意だったのだが、その後、利権がからんできたのだと主張している。