2012年11月16日金曜日

31年ぶりの「秋のソナタ」

ソナタといえば、「冬のソナタ」ではなく「秋のソナタ」。イングマール・ベルイマン監督、イングリッド・バーグマン主演の1978年のスウェーデン映画。日本公開は31年前の1981年。場所は岩波ホール。もちろん、私は31年前にここで見ました。
その「秋のソナタ」がデジタルリマスターされてリバイバルされることになり、たまたま試写状が来たので、なつかしさから再見。31年前も見ごたえのある傑作だと思いましたが、年を経て、今だからわかることも多かったです。
31年前はまだ本当に若くて、バーグマン扮する母親はもちろん、リヴ・ウルマン演じる娘も年上でした。しかし、今見ると、ウルマン演じる娘エヴァは非常に子供っぽく、幼く見えます。
世界的なピアニストの母、シャルロッテはエゴが強く、自分勝手で、娘を愛さず、家も出てしまったという人物。娘エヴァは母に愛されたかった、でも、愛されなかった、という思いをずっと抱いている。エヴァは牧師と結婚し、息子をもうけたが、息子は4歳で死んでしまう。また、エヴァには脳性麻痺の妹がいて、エヴァ夫婦と同居している。あるとき、エヴァは恋人に死なれた母に手紙を書き、自分たちの住む牧師館に来るようにと誘う。やってきた母は、昔と変わらぬ自分勝手で思いやりのない人間だった。そんな母に、エヴァの怒りがついに爆発する。
最近、日本では、母が重すぎる、と悩む女性が問題になっているが、この映画の母娘はそういう、母が重い、というのとは違う気がした。シャルロッテは自分が一番大事で、家族はまったくどうでもいい人だ。脳性麻痺の次女については、会いたくないとさえ思っている。
一方、エヴァは、現在の私から見ると、親離れしていない女性に思えた。ウルマン演じるエヴァが幼く見えたのはそのせいだ。年の離れた夫はまるで父親のようで、エヴァは大人になりきれていないのだと感じた。
映画が進行する中で、エヴァは18歳のときに中絶手術を受けていたことがわかる。エヴァは生みたかったのだが、母親が中絶させたのである。そして、結婚した牧師との間にようやく息子ができると、今度は息子が死んでしまう。エヴァは2度も子供を失った。しかも、彼女と牧師の間にはなかなか子供ができず、養子も考えたというので、次の子供を授かる見込みはおそらくないのだろう。エヴァは最初は母によって、次は運命によって、自分が母になることを拒否されたのだ。
母に愛されない自分は母になれないと、エヴァは思ったのではないだろうか。
ラスト近く、牧師館そばの墓地で、エヴァが救いはあるのかと考えるシーンがある。ベルイマンといえば神の沈黙。神は救いを与えてくれるのか、という問いかけが、彼の作品の特徴としてよく言われていた。このシーンはまさに、ベルイマン的な神への問いかけだ。母親に強制されたからとはいえ、中絶という、神の意思に反することをしたエヴァに、はたして救いはあるのか。そして、息子が死んだのは中絶したことへの神の罰だと、エヴァは心のどこかで考えているのではないか。
そして、理解できない言葉を叫び続ける脳性麻痺の妹は、何を言おうとしているのか。
そんな娘たちを残して、母はまた演奏の旅に出る。離れていると家を思うが、家に帰ると、というようなことを彼女は言うが、そのときの彼女の表情は娘たちと一緒のときよりもずっと溌剌としている。
映画の最初と最後は夫である牧師の語りである。彼は妻を愛している。その愛は、夫の愛というよりは、神の慈愛に近いのかもしれない。