「アナと雪の女王」の次回作だったので、このアニメを見た人は必ず予告編を見るので、「アナ雪」に続いて大ヒットとなったというディズニーの実写ファンタジー「マレフィセント」。人気があるのか、去年の映画なのになかなかツタヤで旧作にならず、結局、準新作で見ました。
なんだ、これ、「アナ雪」と同じパターンじゃないか、というのが最初の感想。
要するに、女たちの連帯と真実の愛。女たちといっても姉妹とか疑似母娘とか家族系の女たちですが、彼女たちの戦いに男が協力するというのも似てるし、なにより真実の愛が、愛が。。。
って、こう書いた時点ですでにネタバレですが、以下、ネタバレ大ありで行きますので、注意してください。
「マレフィセント」は「眠れる森の美女」のスピンオフというか、王女に呪いをかけた魔女マレフィセントが主役で、実は彼女は悪い魔女じゃなかった、というお話。
なので、設定とか完全に変えてます。
まず、この世界は人間の世界と妖精の世界があって、妖精の世界は平和だけど人間の世界は争いばかり、という設定ですが、なんかすごい乱暴な設定で、出てくるのは主役クラスの妖精と人間だけなので、それ以外の妖精も人間もほとんど描かれないから、一部の主役クラスの妖精と人間だけで話が出来上がっているので、妖精の世界と人間の世界なんていうほどの広い世界じゃないわけです。なんつうか、小さいグループが2つある程度なんです。
で、マレフィセントが生まれてきた王女オーロラになんで呪いをかけたかというと、それは、オーロラの父親が自分を裏切り、傷つけたから。まあ、それはいいです。
このあとは「眠れる森の美女」とまあまあ同じで、父王は糸車をすべて隠し、オーロラは3人の妖精に森の中でひそかに育てられる。
が、マレフィセントが悪役でないとなると、この3人の妖精がその分悪くなるんですね。この3人、とにかくダメダメな妖精で、育児はまったくできない。なので、オーロラは飢え死にしそうになったり、崖から落ちそうになったりで、呪いが実現する前にオーロラ死んじゃうじゃないか、ってわけで、マレフィセントがオーロラを助けまくり。助けられたオーロラはマレフィセントをゴッドマザーとして慕う。マレフィセントもだんだんオーロラが好きになってしまい、母娘のような関係になる。
しかし、マレフィセントにも一度かけた呪いは解けない。やがて呪いが実現する日が近づき、というところでまたも別展開に(ネタバレ大ありですから注意)。
とにかくあの3人の妖精がガンなんですが、この3人がオーロラに呪いの話をしてしまうのですね。オーロラはゴッドマザーとして慕っていたマレフィセントが、とショックを受け、王の城へ出かけていく。母親の王妃は心労のためにもう亡くなっているのですが、この父王ってのがなんだろね、娘を愛してない。もともと、娘を愛していたから糸車を隠したり、3人の妖精に託したりしたのだろうに、娘と再会したとき、明らかに王は娘を愛してないのだ。なんか、この王の人物描写がすごく雑で、イライラする。これじゃご都合主義の悪役でしかない。
でもまあ、そういう親父と対面したせいか、オーロラはじっと手を見る。指を見る。そして糸車が隠してある部屋へ。
あれ、糸車全部燃やしたけど、1つだけ残ってたという童話の話は無視か。
オーロラが昏睡状態になったあとも、童話では長い年月がたつのでその間、人間たちは石になってたとか、そういう展開だったと思うのだけど、こっちはそんな悠長なことはやってられないのか、さっさと話は進む。
で、ネタバレ大ありだと何度も言うが、呪いは真実の愛によるキスでしか解けない。
「アナと雪の女王」の真実の愛は、姉妹の愛でした。
「マレフィセント」の真実の愛は、母の愛なのです。
目を覚ましたオーロラはたぶん、してやったり。
じっと手を見る、指を見るオーロラは、マレフィセントは悪い魔女なのか、それとも本当に自分を愛してくれる「母」なのか、それを確かめるために糸車に手を出したのでしょう。そして、マレフィセントの愛が真実の愛だという確信もあったに違いない。
母と娘の真実の愛、まあ、それはよいんですが。
しかし、ディズニーの実写ファンタジーって、なんで無駄に暗いのだろう。とりあえず暗くしとけって感じのあまり深みのない暗さ。
あの傑作アニメ「眠れる森の美女」の明るさ、楽しさはなく、3人の妖精もつまらなくされてしまい、童話にあった魅力的な部分は失われ、かわりに別の魅力があるかといえば、あまりないような気がする。ディズニーはかつて、MGMに「オズの魔法使」でディズニーアニメの実写版をやられてしまったのだが、ディズニーの実写ファンタジーは永遠にMGMの「オズ」に遠く及ばないのではないかと思う。CGでなんでもできるということ自体が、「オズの魔法使」のような映画はできないということなのだ。