森田芳光の商業映画デビュー作「の・ようなもの」の続編が、森田映画ゆかりのスタッフや俳優たちによって製作された。
題して「の・ようなもの の ようなもの」。
内容は前作の主人公、落語家の志ん魚の35年後を描くというもの。
志ん魚はすでに落語家をやめていて、谷中で便利屋をやっている。その彼を探しだし、亡き師匠や後援者のためにもう一度落語を、と口説くのが若手落語家の志ん田。この若い落語家と、もう60歳近いと思われる元落語家の、落語というよりは漫才のようなもの?で話は進む。
森田の「の・ようなもの」は昔見たきりで、どういう内容なのかすっかり忘れているけど、森田映画の中では特に好きな作品の1つとして記憶に残っている。
そういや、以前、森田作品の私のベスト5とか考えたことがあったっけ。
1位は「ときめきに死す」で、あとは順不同で「の・ようなもの」、「それから」、と、えーと、あとはなんだっけ。あとでゆっくり思い出します。
この「の・ようなもの」続編も、ほのぼのとした雰囲気で、笑わせる場面も多く、なかなかよい映画だったが、その一方で、気になることもあった。
志ん田が志ん魚を探して日光やら長野やらへ行くのだけど、最初日光へ行く時の列車がJR日光線なのだ。
志ん田が谷中のあたりに住んでいるとしたら、最寄駅は日暮里だから、常磐線で北千住に出て、そこから東武線で日光へ行くのが普通だと思うのだよね。つか、日光行くならJRより東武の方が便利で安い。私も北千住からよくスペーシアに乗って行ったわ、日光(ホッケー見に)。
たぶん、東武の許可もらうとか面倒だったんだろうね。あるいは、JRの方が景色がいいとか。
ちなみに、日暮里駅には宇都宮線のホームはなく、線路をただ通過していくだけです。日暮里駅の外にはいろいろな鉄道が見られる場所があって、あの辺は鉄オタのメッカなのよね。
森田監督も鉄オタだったってことで、この映画にもいろいろな鉄道が出てくるのだが、鉄オタでない私にはどれが何だか判別不能なのがちょっと悔しい。
それから谷中ですよ、谷中。
今の区に引っ越して以来30年、谷中は近いので、何度も行っているが、猫ウォッチングを始めてからはさらにいろいろな場所に出入りするようになり、台東区にも詳しくなった。
それで気になるのは、志ん魚が家の前のゴミを集積所に持っていくアルバイトをしていること。
実は台東区はゴミは軒先収集で、家の前に置いておくことになっている。だから、谷中ではこのバイトは成立しない。
ただ、谷中は文京区と接しているので、文京区側でならできますが。
よみせ通りという通りが台東区と文京区の境になっていて、通りの片側にはゴミの集積所があり、もう片側では軒先収集というビミョーな地区。
それ以外にもいろいろ知っていると気になるのだが、志ん田が金網のある陸橋を通るシーンが何度かあって、ああ、あれは谷中霊園から線路を超えて荒川区東日暮里に出る橋だな、この状況で志ん田がここを通るのは変だよな、とか。
谷中といっても、たとえば谷中商店街は片側が台東区、もう片側は荒川区で、有名な夕焼けだんだんは完全に荒川区。そして日暮里駅も荒川区。荒川区も含めて「谷中」と総称されているところがある。
もちろん、映画を作った人たちはこういう事情は知った上で、映画として、古きよき町・谷中というフィクションを作り出しているのだろう。まさに、の・ようなもの。の・ようなもの、とは、現実に似たフィクションという意味にもなる。劇映画はすべて、の・ようなもの、なのだ。森田映画の根底に常にこの考え方があると思うと、わかってくることがある。
谷中の有名なヒマラヤ杉とそのまわりの古い民家(元商店の名残りがある)が何度か出てくる。この地域は大資本に買われ、いずれビルにされてしまうと言われている。ヒマラヤ杉の右側の道は言問い通りに通じていて、その道沿いのアパートが空いていたときに引越を考えたことがあった。行ってみたら、言問い通りに近いので騒音がうるさく、あきらめたが、あのあたりにはまだ古い民家やアパートがある。観光客は普通、左側の道を行く。
そしてラスト近く、森田家の墓がある墓地の背後に、うっすらと浮かび上がる高層ビル。これは日暮里駅前の3つの高層マンションだ(所在地は荒川区東日暮里)。
ヒマラヤ杉と日暮里の高層マンション。失われゆく谷中と、その近くの新しい「町」。この辺の押さえ方はとても納得であった。