2016年5月25日水曜日

カラヴァッジョ展

30年前に見たデレク・ジャーマンの映画「カラヴァッジオ」が好きだったので、3月から上野の西洋美術館で始まったカラヴァッジョ展に行かねば行かねばと思いながら、とうとう閉幕まであと3週間を切ってしまった。おまけに25日から27日まで手荷物検査だと!
うおー、カバンの中開けたら地域猫用の餌とか蚊対策の服とか古いデジカメとかが出てきてしまうのだよ。
というわけで、24日に行ってまいりました、カラヴァッジョ展。
まずはポスターをどぞ(写真はすべてグーグル検索で出てきた画像)。





カラヴァッジョの作品11点と、同時代の画家や影響を受けた画家の絵画が展示されています。大きな油絵がほとんどなので、なかなか豪華な美術展になっています。
で、今回の目玉はこの「バッカス」初来日、ということなのですが、

実はこの「法悦のマグダラのマリア」がつい最近、カラヴァッジョの真筆と判明。個人蔵の絵画なので、美術展に出されるのは今回が初めてなのだとのこと。

別の画家の描いたマグダラのマリアの絵が2枚、展示されていましたが、他の2枚が女性の豊満な美しさを描いているのに対し、カラヴァッジョのマリアはまるで能を思わせる渋い色彩と構図です。

デレク・ジャーマンの映画のせいか、なんとなくカラヴァッジョってゲイだったの?と思ってましたが、ウィキペディアとか見てもそういうことは書いてないです。が、今回の展覧会で見たカラヴァッジョの描く少年や青年の絵に、なんともいえない美しさ、はかなさ、繊細さを感じてしまいました。

上のポスターにある「果物かごを持つ少年」や「ナルキッソス」もそうですが、下は「洗礼者ヨハネ」。

下は「エッケ・ホモ」(この人を見よ)のキリスト。同じテーマの別の画家の絵がそばにありましたが、そちらもよかったです。

カラヴァッジョ以外の画家の絵にもすばらしいものがたくさんあって、特に気に入ったのは次の2枚。下は「スピネットを弾く聖カエキリア」。

そして、「煙草を吸う男」。これは東京富士美術館所蔵。ということは、いつでも見られる?

残念だったのは、カラヴァッジョ以外の画家の絵は絵ハガキになっていなかったことです。あれば買いたいのいっぱいあったのに。上以外にもよい絵がたくさんありましたよ。人物の表情とか肉体の躍動感とか、光の表現など、見どころいっぱい。ただ、やっぱりカラヴァッジョの作品が群を抜いて優れていると感じました。
カラヴァッジョは殺人を犯したことでも有名ですが、刀剣不法所持で捕まったり、すぐにカッとなってけんかしたりと、暴力沙汰の多い人だったようです。しかも、絵に関しては「自分よりうまい画家はいない」と豪語する俺様画家だったようで。カラヴァッジョに関する記載のある古文書も展示されていました。
というわけで、カタログを買おうと思ったら、財布にお金があまりなかったので、今回は断念。ただ、半券で常設展が見られるし、常設展の方でもカラヴァッジョ関連の展示があるようなので、近いうちにまた行くから、カタログはそのときに買うことにしました。カラヴァッジョ展ももう一度行きたいくらいです。

2016年5月21日土曜日

「ズートピア」字幕版

ただ今大ヒット中のアニメ「ズートピア」。評判がよいので見ておくかと字幕版を探したら、都心ぐらいでしかやってない! というわけで、字幕版が一番近いTOHOシネマズ日本橋へ。
木曜に予約をしておいたけれど、当日発券するときにはすでに完売。この土曜は「ズートピア」は全国的にすごい入りだったらしい。
確かによくできているというか、社会派の大人は人種差別のテーマを言うけれど、人種差別だけにとどまらず、いろいろな面で思い当たるふしのある内容で、子供から大人まで、自分の経験につきあわせて見ることができる映画になっている。
ズートピアというのはズー(動物園)とユートピアを合わせた造語で、動物の楽園ということ。そこではありとあらゆる動物が仲良く平和に暮らし、誰でもどんなものにでもなることができるはず、なのだが、実際はそうではない。
この世界はうさぎや羊はおとなしい動物とされ、キツネやイタチが狡猾で悪い動物とされるといった偏見がある。主人公のうさぎのジュディはうさぎとして初の警官になるが、警察にいる動物は強そうな動物ばかり。いろいろな動物がいるわけではない(アメリカで白人警官による黒人への暴力が起こる背景には、黒人警官が少ないことがあるらしい。映画には黒人警官がよく出てくるのだが)。ジュディも最初はばかにされ、違反切符を切る仕事をさせられるが、たまたま知り合った詐欺師のキツネとともに、行方不明になっている肉食動物たちを探すことになる。
そして行方不明の理由が明らかになるにつれて、草食動物たちが肉食動物(この世界では今は肉食をしていない)を恐れ、肉食動物を隔離せよなどといったことが起こってくる。
うさぎのジュディも、キツネの協力を得ているにもかかわらず、肉食動物の恐怖について語ってしまう(実はジュディは黒幕に利用されていたことがあとでわかるのだが、そのあたりのプロットの整合性もみごと)。
ミステリーとしてもとてもよくできていて、玉ねぎに見えたものの正体とか、ニンジン型の録音機とか、細部もうまい。草食動物から差別された経験を語るキツネの話もいい。
草食動物と肉食動物の対立を人種差別と見るのは簡単だし、特にアメリカには非常によくあてはまると思うが、この映画のいいところはやはりそこだけで終わらないところだ。差別する側の動物には強い動物に見下されることに対する怒りがあり、また、恐怖がある。弱い動物、おとなしい動物の方が差別をするというようになっている。弱い動物をいじめる強い動物が、実は自分に自信がなかったのでああいうことをしていたと語るシーンがある。強い者も弱い者もそれぞれにダークサイドを抱えているのだ。
字幕版ということで子供はいなかったが、まわりは20代くらいの若い人が多かった。吹替版には子供やファミリーが大勢つめかけているだろう。子供や若い人は人種差別うんぬんというよりは、自分のまわりにあるいじめなどの体験から映画に共感するのではないかと思う。むずかしいことを考えさせるのではなく、人間社会にあるダークサイドを見せて、でもそれは努力で解決できるんだということを楽しく教えてくれる。
実際、この映画のうさぎやキツネや羊やライオンのような人って、人間が集まる場所には必ずいると思う。
(そういえば、猫とか犬、それに哺乳類であるコウモリもいなかったな。)
予告がアニメやファンタジー映画ばかりで楽しかった。「ルドルフとイッパイアッテナ」はチラシを部屋に貼ってあって、興味があるのだが、「ファインディング・ドリー」もよくできていそう。

映画のあと、久しぶりに八重洲地下街のアルプスのカレーが食べたくなって、東京駅まで歩いた。以前はこのあたりはしょっちゅう来ていたのに、転居してからはたまにしか来なくなり、歩いているとなつかしさがこみあげてきた。丸善で水木しげるの版画展をやっていたが、時間がなく、見れず。残念(24日までとのこと)。

2016年5月18日水曜日

ちょっとがっかりな日

昨日はちょっとがっかりな日であった。
予告を見て面白そうだったので、近場のシネコンに「殿、利息でござる!」を見に行った。
「シニア1枚」と言ったのに一般で発券しようとするので、もう一度「シニア」と言わなければならかった。なんとなく応対もアレで、いつもと違う。相手が悪かったかな。
そして、映画。うーん、一応面白かったし、登場人物がみな基本善人なので、見終わったあとも気分がいいけれど、なにか物足りない。
コメディかと思ったのだが、コメディではなかった。でも、笑わせるシチュエーションはいくつもある。なぜもっと笑いを入れないのだろう。前半爆笑、後半涙だったらもっと受けたと思うぞ。
実際、同じシネコンで見た「家族はつらいよ」に比べ、あまり入っていなかった。「家族はつらいよ」のときはチケット買うときはもうかなり席がいっぱいだったが、今回は始まってもぽつぽつとしか客が入っていない。全国的には「ズートピア」に続くヒットのようだけど、「家族はつらいよ」のような勢いは感じられなかった。
前半は歴史の薀蓄が多くて説明的なのもイマイチだったが、後半は感動ものになってくる。で、見ているときはこれで感動できていいのだが、見終わって時間がたつと、この感動はとても薄っぺらいものだと気づいてしまう。
殿様に大金を貸し、その利息で町を維持するという発想とそのあとの努力の過程や人間模様はいいのだが(実話がもとになっている)、きれいごとすぎるという感じがする。いや、もっと悪いやつを出せとか言っているのではない。役者も芸達者な人がそろっているし、善人のままでもっと深みが出せたと思うのだ。
原作のタイトルが「無私の日本人」で、このタイトルのテーマにこだわりすぎたのかな。この「無私」のテーマを薄めたって、彼らがみんなのため、町の将来のためにがんばっているということはわかるはずなんだが。「無私」という言葉の持つ危険性みたいなものを意識的にとらえる監督だったら、と思う。

で、映画が終わったあと、フードコートで餃子の王将の餃子を初めて食べた。が、マズイ! 日高屋の餃子もうまいとは言えないけど、王将の餃子がこんなにマズイとは。しかも餃子定食の値段が高い。私の一番好きな餃子はぎょうざの満洲の餃子だけど、店が近くにまったくない。以前は非常勤先の大学から自宅に帰る途中で下車して食べたものだけど、転居してからはそれも無理になってしまったのだ。まあ、王将はブラックで有名だから、好感度は低かったのだが。でも好きな人は多いのか、次々と客が来ていた。
もう1つのがっかりは、映画のあとでショッピングセンターの中の本屋で買った「シェイクスピアの正体」(新潮文庫)。まだ半分しか読んでいないけど、前半はまったくつまらない。単なる知識の羅列で、話の面白さや論の展開の面白さが皆無。単行本から文庫化するときに後半を大きく書き換えたというので、後半に期待します。(追記しました。)
そして最後のがっかりは、近くのスーパーでまたレジの値段を打ち間違えられた。もう3度目だよ。しかも毎回本当の値段の2倍にされるんだから。このスーパーではバーコードのついてない商品は買わないことにしよう。

追記
「シェイクスピアの正体」読了。
大きく書き換えたのは実は前半と後半の一部でした。
後半は面白かったです。特に書き換えていないという第3章はよかった。書き換えた4章もその続きとして機能しているし、著者の主張には同感です。著者はシェイクスピアの時代の劇作を現代のテレビドラマの脚本と比較していて、それはそのとおりというか、映画でもハリウッド映画は脚本家として名があがっている人以外に何人もの人が脚本に関わっているので、シェイクスピアの時代の劇作と似た状況だと思います。
残念なのはやはり前半で、書き換えてこんなにつまらないのではねえ。

2016年5月16日月曜日

震度4でガス停止って

人生2度目の地震でガス停止、自分で復旧というのをやりました。
最初はもちろん、東日本大震災の震度5強。ガスは震度5強で止まることになっているそうな。このときはネットで調べて復帰。自宅にいたので、アパートの他の部屋も復帰させてあげました。
で、今回はさっきの地震、16日午後9時半くらいの地震(最大震度は茨城県南部の震度5弱)ですが、うちの方は震度4のはずなのに、なぜか、シャワーを浴びようとするとお湯が出ない。ガス復帰経験ありとはいえ、5年もたっているので忘れている。が、最近、ガスの検針票と一緒にガスの復帰法の紙が来ていて、それを取っておいたのを思い出し、人生2度目のガス復帰とあいなりました。
ガス復帰はメーターの左上の黒いキャップをはずし、ボタンをぐっと押して静かに放します。その後、3分待って赤いランプが消えたらOK(キャップを戻しておきます)。
この3分間がけっこう長く感じますね。赤いランプが消えなかったらどうしよう、とか。
しかし、震度4て、関東じゃ日常茶飯事の部類ですよ。確かにドーンと突き上げるようなすごい地震ではあったけど。ちょうど駅を降りて、信号渡ったところでドーンと来ました。が、ドーンと来ただけで揺れは感じなかったけど、そのあとスーパーで話していた人が、駅にいた人はつかまらないと立っていられなかったとか。そんなに揺れたのか?
部屋ではADSLのモデムとか、空っぽのペットボトルとか倒れてましたが、3・11のときはこんなもんじゃなかった。積んであったものは全部崩れました。
でも、3・11のときは大きな揺れが2回来て、揺れがかなり長かったので、今回のドーンと一発とはタイプが違うのでしょう。
でも、10時くらいに帰宅したけど、ほかのお宅は全然騒いでなかったので、うちだけメーターがヤワなんじゃないかという気もします。
なんにしても、今回の地震は被害なさそうで何より。熊本は本震から1か月くらいですが、まだまだ大変そうです。

2016年5月15日日曜日

ポピー

風の強い日。花盛りのポピー。






ハス。


ソバの花。

大麦。(ライ麦は刈られてなくなっていた。)

2016年5月13日金曜日

初日に「マクベス」を見る。(追記あり)

学生時代は土日しか映画に行けなかったので、土曜の初日の朝の回を見に行くことがよくあったが、その後は平日中心になり、初日に行くことはほとんどなくなった。今は金曜初日の映画があるようで、今日、13日の金曜日は「マクベス」の初日。
「マクベス」といえば、ポランスキーの血みどろの「マクベス」(大好きな映画)や黒澤明の「蜘蛛の巣城」があるが、今度の新作はこの2作には到底及ばないだろうとは思ったが、マイケル・ファスベンダーとマリオン・コティヤールのマクベス夫妻はぜひ見たかったので、行くことにした。
で、どこで上映するか探してみると、例によって近場のシネコンではやらない。ならば日本橋、と思ったが、ここでもやらない。日比谷シャンテでやるようだ。日比谷、遠い。
探してみると、隣の町のシネコンで上映することがわかった。が、隣町とはいえ、シネコンのある場所は3社の鉄道を乗り継がないといけない。乗っている時間は合計15分なのだが、乗り換えが2回ある上、3社の異なる鉄道だから運賃が高くなる。都心へ行くのとほぼ同じ金額。でも、乗り換え時間入れても30分でシネコンのある駅に着くのは魅力。
TOHOシネマズは誰でもネット予約ができるので、ネットで予約を入れたが、行く直前にチェックしても私以外は誰も予約を入れていない。よっぽどすいてるんだろうな、と思って現地へ。
3社の鉄道のうち、1社はわりと新しい路線で、初めて乗る鉄道。乗り換える駅も降りる駅ももちろん初めて。ドキドキしながら初めてのおつかいふうに出かけたが、乗り換えも着いてからも迷うことなく到着(シネコンの入口がわかりにくかったが)。ただ、TOHOシネマズは予約も当日もすべて機械なのだね。このシネコンは機械の数が少ないので、少し待たされた。ほかの人は予約しないで来ているから時間がかかる。私は予約済なのであっという間に終わり、並んでいた人が驚いていた。
入ってみると、やはり人は少なく、一桁だった。途中、間違えて入ってきた親子がいたが、「ズートピア」か「コナン」を見に来たのだろうか?
映画の方だけど、ファスベンダーとコティヤールは実力派なので、この2人の演技は安心して見られる。ただ、映画的、映像的には特に目新しいところはなかった。3人の魔女に少女がついていたり、マクベスの死んだ子供が出てきたりと、原作になり味付けがあったが、どういう意味があるのかは不明(追記しました)。森が動くシーンはちゃんと見せてほしかった。エンドクレジットのスコットランドの風景は美しい。
「マクベス」は大学時代、授業で英語で読んだので、有名なせりふが出てくるたびに思い出して、おお、おお、と思いっぱなしだった。若い頃にシェイクスピアに触れておくというのは絶対にいいと思う。私の授業でも「ロミオとジュリエット」や「十二夜」、「夏の夜の夢」は大人気である。
そうそう、今年度の授業で黒板にシェイクスピアの生年と没年を書いたとき、今年が没後400年であることに気づいた。

追記 マクベス夫妻には子供がいたが、死んでしまったということは、原作のセリフに出てくるそうです(読んだのは昔なので忘却の彼方)。映画ではまず、マクベスの息子の葬儀が出てきて、その後、息子の幻がマクベスに短剣を渡したりと、マクベスを謀反に導いていくという具合になっていて、ネットで調べたら次のような指摘が。
https://www.jstor.org/stable/3206576?seq=1#page_scan_tab_contents
この論によると、マクベスの暴力は息子に導かれたものだ、と。
マクベスは魔女の予言で、バンクオーの息子が将来の王になると言われ、バンクオーの息子も亡き者にしようとしますが、マクベスにもともと子供がいなかったら、自分の治世が終わったあと、バンクオーの息子が王位を継いでも気にしないのではないか、マクベスが暴君になっていくのはバンクオーの息子が王位を継ぐという予言が気になってからだ、と指摘しています。
確かに映画はそういう解釈で作られていて、最初は夫をけしかけたマクベス夫人は逆に、このあたりから夫の暴力に眉をひそめるようになり、やがて狂気にとらわれていくようになっています。マクベス夫人は夫が子供を殺すことには嫌悪感を感じているように描かれています。
息子が登場するラストの意味がわからなかったのですが、上の文を読んで、多少はわかったような気になりました。

東大美女図鑑って、怪しくないの?(追記あり)

東京オリンピック賄賂疑惑が発覚、電通が関与しているらしいのに日本のマスコミは電通のご機嫌損ねたら大変なので、どこも電通の名を出していないという、もう、オリンピックやめて!と叫びたい状況。もともと私は東京オリンピック反対ですから。

さて、最近起きた2つの「不快な思いをさせてお詫び」な件、HISと東大美女図鑑より世田谷の児童ポルノ写真展の方がずっと深刻な問題だと思うのに、やっぱり30年前に少女だった人たちの人権よりも東大美女の方が話題になるのか、なんだかなあです。
HISの東大美女が隣に座るフライト企画、すぐに取り消されたので内容を読まないで意見してる人が多いんだけど、私はしっかり読んだので、フライトにはスタッフが同行すること、乗客はスタッフの取材を受けながら東大美女の隣に座ること、HISではこの企画にふさわしくない客は断ると明言していたことを知っています。しかし、これらは企画のページの一番下に小さく書かれていたので、ここまで読んだ人はほとんどいないでしょう。
また、隣に座るのは3年生と4年生、つまり未成年者は使わないというように、企画側も少しは考えていたことがうかがえます。
ただ、企画そのものが非常に安易で軽率だったのは疑いないことで、たとえば、航空機内でキャバクラ営業するのに航空会社の許可とってないとか、基本を押さえてない。航空会社に拒否される可能性を考えなかったのか?
オランダのKLM航空は飛行機の待ち時間にボランティアの地元民が乗客の接待をするサービスをしているそうですが、こちらは地元民の年齢性別は不明。おじさんの薀蓄につきあわされるかも、と思ったら利用しないよね、と思いましたが、オランダは売春が合法化されてるので、わからんぞ、うーんと思った。
まあ、そういうのもあるから、と安易に軽率に旅行会社がやっちまった企画で、速攻取り消しになったわけですが、私はこの企画、完全にHIS主導なのかちょっと気になっています。
つまり、HISと東大美女図鑑の両方が主導、最悪の場合、東大美女図鑑が持ちかけた企画? いくらなんでもそれはないか、と思いますが、スタッフが同行して取材、というのは、HISのサイトだけでなく、東大美女図鑑にも掲載できる案件ですからね。東大美女図鑑が雑誌の企画になると思って乗った可能性があるのですよ。
そこで東大美女図鑑を調べてみたのですが、STEMS UTという団体が発行している雑誌のようですが、お問合せ先はあるものの、代表者の名前も団体の紹介もなし。私から見ると非常に怪しい。
出ている写真も、女の子がひざを曲げて太ももが丸見えとか、飴をなめているとか、明らかに男性向けのセクシー写真です。18歳以上だから問題はないのでしょうが、どう見ても、団体が主張している「東大の女子学生を増やすのが目的」とは思えない。東大を売りにした男性向けセクシー企画としか見えません。
実際、周囲からもそう見られているのだろうし、ここに関わっている東大女子は全体のごくごく一部(東大女子が少ないといっても、1学年500人くらいはいるはず)。私が今回の件で初めて東大美女図鑑を知ったように、それほど有名ではなかったかもしれません。
なんにしても、HISはテンプレの誠意のないものとはいえ、お詫びを出しましたが、東大美女図鑑は今回の件はまったく無視しています。安易に企画に乗った責任者を知りたいところですけどね。

追記
この週末は本郷の東大で五月祭だったようですが、あのHISの企画、五月祭の宣伝に利用されたんじゃないかという説が。
確かに速攻で取り消すとか、もともと実現性が疑わしい企画だったことを考えると、宣伝だった可能性もあります。時期的にもあまりにもぴったし。
しかも、同じ日に、東大の男子学生が女性の胸を触ったとして逮捕。東大はコメント出してないそうですが、中学生監禁で平謝りの千葉大と、胸触ったくらいじゃコメントしない東大(なんか、両方とも工学部だってよ)。つか、監禁事件、千葉大に責任はないのですがね。(そういや、私は1か月だけ千葉大生だったという秘密の過去が)。
HISの企画、アイドルとのバスツアーとどこが違う、という意見があるのですが、バスツアーはバスを貸切にしてやるのに対し、HISのは航空機貸切じゃないですからね(しかも1対1で最大25時間一緒にいられるとかを売りにしてる)。北海道新幹線であなたの隣に東大美女が、というのもまずいのでは? 東大美女図鑑とバスツアーなら問題ないと思いますよ。東大美女図鑑のファンとの交流のような感じになるので。
しかし、私は文京区に30年も住んでいたのに、一度も五月祭に行ったことがないなあ。たぶん、一生行かないと思う。

2016年5月11日水曜日

HISとかDHCとか(あらあら追記あり)

旅行会社のHISがこんな企画やってます。
https://twitter.com/HIS_japan/status/730218831591809025
今や裕福でない家庭の女子大生は風俗やキャバクラなどで働かないと卒業できないという昨今、東大の女子学生は裕福な家庭の子が多いとはいえ、こういうキャバ嬢みたいなことを女子大生がするのはいまや平常運転なわけですね。
まあ、あの朝日新聞がJKビジネスだなんだと浮かれた記事載せてんだから。
ただ、この企画、当選するとフライトに東大女子学生が同行してくれるのですが、同時にスタッフがついてきて、インタビューだなんだされて、それがサイトに出るらしいです。たぶん写真つき。
うおー、それが恥ずかしくない人向けね。女子大生と2人きり、なんていう企画じゃないのよ。
たぶん、イケメンの男性か美人の若い女性が当選するしくみじゃないのかなあ。その他大勢が引っかかって、会社金儲け。つか、どの程度引っかかるのかね? 自腹で旅行してるのにスタッフがついてくるって、それだけでイヤ。

あと、DHC。これは店頭で見たんだけど、「できる女性よりカワイイ女の子」とかいうのを大々的にキャッチフレーズにしてます。こういうのが化粧品を買う女性に受けるのか? 受けるとしたら、やっぱり今の日本はおかしくなってるよ。
DHCは大学翻訳センターの略で、もともとは翻訳会社だったのがその後化粧品会社になったのですが、一時期、翻訳学校をやっていて、そこの一部の生徒にDHCが版権を取った本の翻訳をさせて、それを出版していました。翻訳出版が斜陽で、版権があまり買われなくなった時期で、翻訳学校で儲けるのがメインで、翻訳出版は翻訳学校の実績作りのためなのがミエミエでしたが、あまり儲からなかったのか、わりとすぐにやめたようです。

追記
あらあら、昼間見たHISの東大女子大生企画、あっという間につぶれました。
「不快な思いをさせたことをお詫び」って、世田谷ものづくり学校のお詫びとまったく同じ。テンプレのお詫びだから誠意なしと判断してよろしいかと。
つか、HISのって、こんなにあっという間につぶれるなんて、もしかして釣りだったの?
女子学生を写真つきで紹介して、専門がどうとか、機内でどういう講義をしてくれるとか書いてあったのに。しかも第1弾は東大、第2弾以降は別の大学だったのに。
まあ、いろいろ批判は出る企画ですが、やっぱり、自腹で旅行にスタッフがついてきて、インタビューだなんだって、企画倒れだったんじゃないかなあ。つか、狭い機内でそういうことされたらほかの客が迷惑じゃないのかしらん(航空会社からクレーム来たかな?)。
というわけで、実は現実性のない企画で、やめるいい口実になったとかね。

写真を撮ること、撮られること

私自身、安いデジカメで写真を撮っているわけですが、写真を撮られるのは大嫌いです。
自分の写真も、古いのは色あせたり、湿気でだめになったりで、自分の写真はほとんどありません。
子供の頃はかわいくない子だったので、写真を撮らせてと言われたことはないですが、大人になってから勝手に撮られた経験は、これも少ないけど、思い出しても、あのときの野郎、許せねえ、と思ってます。
1度はまだ若い頃、知床の観光船に乗るとき、係員が勝手に乗客の写真を撮り、帰りに並べて売るのです。撮っているのはわかったので、顔に手を当てて隠してもよかったんだけど、それをせず、写真も全然欲しくなかったのに買わないとその写真がどうされるかわからなかったので(普通は捨てると思いますが)、その不安から買いました。だから実害があったわけで、知床観光船許せんと今でも思ってます。
2度目は某所の地域猫に会いに行ったとき、NHKのBSのクルーが来ていて、猫の撮影をしていたのですが、猫たちは明らかにおびえていて、私が来ると私の方に逃げてくる、そういう状態でした。
当時は某所では地域猫ボランティアのリーダーが撮影許可を出していたので、ボランティアでもない私はどうすることもできず、でも、猫がおびえているので、心配でずっとそこにいました。
すると、何を勘違いしたのか、クルーが私の撮影を始めたのです。その上、猫に餌をやってくれと言うので、ついにキレた私は、「猫に餌やりすると罰金という条例を知らんのか!」と一喝。クルーはびっくりしてその場を去っていきました。あとでこのことを知ったボランティアのリーダーはかんかんに怒って、以後、マスコミの撮影は許可されなくなったそうです(おかげで静かになった)。
この某所周辺は飼い猫も勝手に撮影するクルーがいて、飼い主かんかんということもあったようです(猫だけじゃなく家の中とかも勝手に撮られるのだそうな)。
猫の中にはカメラを向けるとポーズをとってくれるくらい撮られ好きな子もいますが、たいていはカメラを向けると警戒します。撮られたくない子は後ろを向いてしまいます。私が親しくしている猫にも撮られるのがいやそうな子がいて、でも、私は親しいので少しは撮らせてくれるという感じです。
だから、町で子供に声をかけて写真を撮る人は、その子がそのときはOKしてもあとで不安になるとか考えないのだろうかと思います。猫と違って、子供は大人を拒否できない。写真を撮ってあげる、と言われると好意と思う。人の好意を拒否するなとか人に親切にしろとか教えられていると、拒否できない。でも、知床観光船で私が感じたように、おそらく不安になると思うのです。写真を撮られると魂を奪われると感じた昔の人の感覚は決して迷信ではないと思います。
私自身、写真を撮る人間ですが、カメラを持つ人をあまり好もしく思っていません。カメラを持つと、自分と被写体しか見えなくなる、その悪いところをけっこう目にします。今回の世田谷の写真展も、主催者は被写体を自分の所有物としか考えていないのが明らかです。そして、そのどこが悪いという感覚が社会にあるから、展示が終わるまでまったく問題にされなかったし、今も思ったほど問題にされてない感じがします。

続報

さすがに苦情や批判が多かったようで、10日夜、やっとまともな取材のニュースが出ました。
https://www.buzzfeed.com/eimiyamamitsu/photos?utm_term=.ply57pAN7#.dawXLvdZL
Yahooニュースにも転載されていますが、コメントがしごくまっとうなものばかりです。
主催者側と会場側に取材していますが、会場側、世田谷ものづくり学校の話。

「事前に写真サンプルをチェックした。企画担当者は「パンツが写っている写真がありおかしいと思った」が、街と子供の写真という説明だったため、「変な連想を起こすような写真の展示は無理」と忠告する程度だったという。
写真を販売する説明は「なかった」という。「販売されている事実は、皆さんのメールや苦情でわかりました」」

世田谷ものづくり学校はサイトに謝罪文を出しました。その一部。
「IID 世田谷ものづくり学校を運営・管理する株式会社ものづくり学校では、今回の件を深く受け止め、多くの皆様に不快を与える内容の展示を許可したことに関して、深くお詫び申し上げます。
また、不快な思いをされた方々へ深くお詫び申し上げます。
尚、皆様からのご意見の中で、会期終了後も展示物が販売されているという情報を頂きましたが、現在は主催者に申し入れをおこない、販売は即刻中止させました。」(追記 この引用の後半が変更されていました。会期終了後は販売されていなかったと訂正されたのですが、では、中止させたというのはいったいなに?)

私は主催者側には警察の手が入ってほしいと思いますが、主催者側に対して意見を言うつもりはありません。変質者につける薬はないからです。
しかし、ものづくり学校とか、そのおおもとである世田谷区は、本来、こうした児童ポルノ写真展を防ぐ立場にあったのに、きちんと調査せずに、途中でやめさせることもせずに、最後までやらせてしまったことには大きな責任があると思っています。

主催者側に対する取材がそのあとに続いていますが、ブックレットがなくなったので、PDFをダウンロードさせたとか、それを拡散したとすれば、拡散した人の責任だとか(主催者は責任なしかよ)、写真を売ったのは運動会のあとで写真を売るようなものとか言ってますが、例のブログに書いてあった1枚3万5千円からという写真も売ったのにそれには触れず(記者は突っ込めよ)。

「スポットライト」で、性的虐待をした神父だけを追及してもだめ、それを隠ぺいしたカトリック教会の責任を問わなければ、と言っていたように、こういう児童ポルノ写真展を許可し、最後までやらせ、あとになって気がついたとか、「不快な思いをされた方々へお詫びします」とか、「スポットライト」のカトリック教会とどこが違うんだよ、という話。

とにかく、今回の件は警察も入ってほしいし、民事訴訟も起こしてほしいし、自治体も責任とるべき。それをしないでうやむやにしてはいけない。

追記 世田谷区は区長がリベラル派の有名な人で、それでリベラル派の人のツイッターではこの件が書かれていないのに不信感を抱いています。熊本の震災でも立派なことを言っている区長ですから、こういうときこそしっかりとした対処を願いたいです。

2016年5月10日火曜日

中年男性が少女に声かけして撮った写真展に場所を提供した世田谷区に抗議しました。

このGW、東京都世田谷区の世田谷ものづくり学校で、30年ほど前に中年男性が町で小中学生の少女に声掛けし、撮った写真を展示し、写真を売る「声かけ写真展」が開催されていたことを知り、調べたところ、ロリコン、ペドフィルに通じる臭いを感じたので、世田谷区に抗議しました。

世田谷区のHPのお問合せセンター
http://www.city.setagaya.lg.jp/kurashi/107/165/821/d00120061.html

声かけ写真展のHP
http://koekakephoto.strikingly.com/
ここではノスタルジーとかよさげなことが書いてありますが、見に行った人のブログ。
http://nyalra.hatenablog.com/entry/2016/05/08/223551
この方はロリ写真が好きなようで、この写真展を応援していますが、同時に、問題にも気づいています。

「カメラマンの男性が街を歩いている小中学生に声を掛け、自然な姿を撮影した写真「声かけ写真」と呼んでいます。字面だけでも既に危ないですね。」
出だしの中年男性が、というところでもうそのケたっぷりなわけですよ。ここでいやな気分になる人もいるでしょう。
写真展は撮影自由とのことで、写真も掲載されています。また、入場料は1000円で、分厚いブックレットつき。そのブックレットの内容も紹介しています。
この写真展、中学生以下は無料となっていますが、そうすることで、ロリコンペドフィル写真展じゃないと言っているように余計気色悪い。
また、机の上に置かれた写真は1枚3万5千円から、と書かれていますが、それ以外にも小さい写真を100円でプリントして売っているようです。
合法的とはいえ、30年前の写真とはいえ(少女たちは今は中年女性だが)、もしもあなたが自分の子供の頃の写真、それも水着とかブルマとかの写真を今になって、許可もなしに、世田谷区の建物で売られたらどう思いますが? しかも、あなたには1円も入らないんですよ。その上、こうしてネットで拡散されるんですよ。
今はオバサンになっている元少女たちが結束して、訴えてもいい事案です。

上のブログはまだヤバイというのに気づいているんですが、ネットのニュースは気づいていないのがヤバイ。
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20160413/Bucchinews_5695.html
「現代では、難しくなってしまった被写体、撮影手法。誰もが「キュン」としてしまう。」だと。
一方、ガジェット通信では、
http://getnews.jp/archives/1455974
「撮る側も撮られる側も、そこに警戒心など感じなかった、おおらかな時代の文化であったと言えよう。」はあ?半世紀前によしのぶちゃん事件というのがあって(営利誘拐殺人)、以来、知らない人から声をかけられたら絶対ついていってはだめ、と言われたものだよ。30年前がおおらかだった? あほか。ロリやペドフィルが許されたおおらかな時代ね、はいはい。
ここにはロリ満開のブックレットの表紙の写真もあります。
最後に器具田こする教授という人のインタビューが出てますが、器具田こするって、名前からしてキモイわ(ねらってんだろうけど)。

そしてこんな告発も。
https://twitter.com/c_ssk/status/729632614840074240
「運営してる器具田研究所のブログ見たら10000000000%アウトだろ」
撮影者の1人は廃刊となった児童ポルノ雑誌の元ライターとも書いてあるよ。

つまりさ、具合の悪いところ全部隠してやってるわけ。
報道もほとんどされてないとはいえ、上のように好意的。ノスタルジーとかなんとか、事実を捻じ曲げて賛美している。

一番問題なのは、児童ポルノが問題視されているときに、そういう写真展にホイホイと廃校になった学校を貸してやった世田谷区だと思います。
どういうことやってるか調べなかったのか? 区民から苦情はなかったのか?(世田谷区の民度って?)
問題はあるが表現の自由のためにあえて、とか、そんな気概もなさそう。つまり、これが問題だと気づかない精神に問題がある。
女子中学生監禁事件が発覚したばかりだっていうのに。
上のブログの人が、根回ししたんだろうと書いているが、その辺も知りたいところ。
とにかく、これを問題にしている人があまりに少ないのが逆にすごくいやな感じなのだ。

ちなみに、私は某所の地域猫の写真を撮っていて、以前はブログなどに公開していたが、今はほとんどやめている。
理由は、猫の写真をブログに載せるせいで猫を捨てる人があとをたたない、また虐待に来る人もいる、ということで、ネットに写真をアップするなという看板が出ているからだ。
実際、読者の多いブログで、地域猫の写真をたくさん公開していた人が、公開をやめないとブログ停止を訴えると言われたそうだ。大手出版社の猫写真集なども、地域猫のボランティアの了解なく出版すると抗議が来るそうである。
つまり、今では飼い主のいない猫でさえ、撮影して公開するには世話をするボランティアの許可がいるのだ(場所によるが)。
また、飼い犬や飼い猫を勝手に撮影すると怒る人もいる。
猫や犬でさえそうなんだから、子供はNGなのは当たり前で、カメラマンが少女に声かけて写真撮って、30年前の写真だから今写真展してもいいんだとか、そういうことができた時代はおおらかでよかったとか(痴漢が犯罪でなく、レイプ被害者が泣き寝入りするのが当たり前だった時代)、それに対する批判があまり出てなくて、世田谷区は問題に気づきもしないとか、もう、どこに怒っていいかわからないのだ(なので、一応、世田谷区には抗議しておきました)。

あと、猫と違って、子供は大人に従順なのだ。だから、変質者におかしなことをされても、親にも言えない、自分が悪かったと思ってしまう。そういう被害を受けた人の話を実際に聞いたことがある。変質者も子供なら手を出しやすいし、黙らせやすいから手を出す。アカデミー賞受賞の「スポットライト」でもそういうせりふがあったでしょう。カトリック教会の神父だけじゃない、というか、外の世界の現実でもあるのだ。

追記
この件について批判しているツイッターのいくつかを見たが、「スポットライト」のもとになった事件が新聞で報道されて大問題になったのは、子供への性的虐待を許さないというコンセンサスが社会にあったから、とか、「ルーム」で逃げ出した少年が男に捕まりそうになったとき、通行人が助けたのは、やはり子供虐待が疑われたらまず通報、というコンセンサスがあったからで、日本だったら助からなかっただろう、という指摘があった。そのとおりだと思う。こういう映画が公開されていて、監禁事件発覚もあったのに、世田谷区のコンセンサスはいったい、そしてそれは日本全体に言えることなのか(世田谷区がそうなら日本全体と思うよ。橋下の大阪なら別だが)。

2016年5月7日土曜日

過去の映画評の再録

過去にキネマ旬報に書いた「模倣犯」と「マルホランド・ドライブ」の映画評が再録されています。
本日発売とのことですが、まだうちには届いていないので、書店を数軒のぞいたら1軒にありました。3冊も入っていたよ。
公開されたばかりの「64」について以外はすべて過去に掲載されたものの再録かと思ったら、書き下ろしも少しあるみたいです。
キネ旬のムック本は最近、過去の記事の再録が多く、原稿料がかからないのでその分安くできるのですが、読者にとってはどうなんだろうという気も。
「模倣犯」は大きな特集に書いたもので、一部ではちょっと話題になったというか、映画は評判悪かったのに私がほめたのでパニックになった人もいたみたいです(苦笑)。
一方、「マルホランド・ドライブ」は好きな映画なのですが、何を書いたか思い出せず、パソコンの中のデータを開いて、へえ、こんなこと書いてたんだーと驚きました。

話変わって。
うちはトイレがタンクレスなので、突然の断水のときに1度も水が流せなくなるので、バスタブに水をためるようにしたのですが、どうも安いバスタブで、栓が完全に閉まっていないらしく、水が少しずつ流れています。これでは困るので、キャンプ用の20リットルの水の容器を買おうかとか、2リットルのペットボトル、これまですべて資源ごみだったけど、これからは残しておこうかとか考えています。キャンプ用は断水が続いて給水になったときに便利かな(でも、20リットルの水をエレベーターのない4階まで運ぶのか、むむむ)。

GW春の花

クローバーが満開。

なかなか咲かなかったポピーが咲いてきた。

谷中霊園。半袖でいたら蚊に刺されまくった。

夜はこうなる。

谷中の入口、日暮里駅。

こんなものがありました。にゃっぽりいます。後は駅の中の本屋さん。

2016年5月5日木曜日

無題の続き

火曜日から水曜日にかけて猛烈な強風だったが、団地のバタンバタンという音の正体が昼間にわかった。下の階の2つ先の部屋のベランダの物置の扉がバタンバタンとぶつかっていたのだ。鉄筋コンクリートというのは本当に音の所在がわかりにくい。部屋にいるといろいろな方向から聞こえ、どこだかまるでわからなかった。強風は夜じゅう続いたので、バタンバタンという音であまりよく眠れなかった。そのせいか、おかしな夢を見た。そして昼ごろに起きたあと、かなりいやなことがあった。火曜日のいやな出来事、その夜の夢はこれの前触れだったのかもしれない。
それはともかく。
火曜日の帰りの電車で起こったいやなことの1つは、ボックス席で私の前に座った親子がものすごく変だったこと。乗り込んできたときから変な母子だと思ったが、母親がやたらハイになっていて、子供(幼い女の子)にテンションの高い声で話しかけまくっているのだ。次から次へと子供に話しかけ、それに対し、子供はまったく答えない。そのときはおかしいのは母親の方じゃないかと思ったのだが、それからしばらくすると、その女の子が私の足を蹴った。
子供が足をぶらぶらさせて前の人の足を蹴ってしまうというのはよくあるのだが、この女の子は明らかにわざと蹴っていた。しかも、母親が止めると、面白がってさらに私の足を蹴り続けた。
こりゃたまらんと思い、足の前にバッグをぶら下げて防ごうとしたら、女の子が「ごめんなさい」と言った(このとき初めて女の子が声を出した)。すると母親は「えらいわねえ」と女の子をほめちぎったので、私はうんざりして無表情でいたが、そのとき電車が駅に着き、母親は女の子の手をつかんで急いで電車を降りた。まだ目的地でなかったようだが、この展開だと女の子がやばくなると母親は思ったのだろうか。ホームに降りたあとの母子の様子も普通ではなかった。
こりゃ、母子両方ともおかしかったんだな、と思った。
そして水曜日、また同じ路線の電車に乗った。今度もまた親子連れ(両親と子供2人)が近くに来たが、まったく普通の親子だったので、なんだかとても安心した。
ここ十年くらい前から、引っ越すたびに近所に情緒不安定な子供がいて、文京区は子供の精神によくない町なのだろうかなどと思うこともあった。近くの小学校で父親が子供を道連れに焼身自殺という事件もあった。今の町に引っ越してからは子供はのびのび、家族が公園で遊ぶ姿もほほえましく、なんだかほっとすることが多かったが、文京区ではないけれど、都内の電車でちょっとおかしな母子に遭遇して、子供や親の世界のことはよくわからないけれど、いろいろあるのだろうなあ、と思ったのだった。

2016年5月4日水曜日

無題

GW後半、5月3日は南から強い風が吹いて、団地の建物のどこかからバタンバタンと大きな音がするが、どこなのかわからない。屋上かな?
3日は外出先で、というより、帰りの電車でいやなことに2回も遭遇したので、ちょっと気分が悪かったのだが、よく考えてみたら、出かける前にこの記事を見て気分が悪かったのだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160503-00000001-withnews-sci
一見美談のように見えるのだが、よく読んでみるとまったく美談ではない。
最初は、心を病んだ人が絵を描くことで生きがいを見出したのかと思ったら、まったく逆で、絵に熱中していたら心を病んだのだという。
そのため、会社を休職して絵に専念、7月には東京で2週間の個展を開き、有料の講習会までやるという(後半はコメント欄に書かれていた)。
記事を読むと、絵を描いて心を病んだ→絵を職業にしたい、となっていて、なんだかよくわからない。ゴッホは絵を職業にはできなかった。
また、コメント欄にもいくつか指摘されているが、この人の絵は写真の輪郭をトレースして、その上に鉛筆で色を塗っていくやり方で、いわば塗り絵のようなものなのだ。確かに鉛筆のテクニックはあるのはわかるが、トレースせずに写真を見るだけで正確に絵が描けるかどうかはこの記事と関連サイトの映像ではわからない。もしも写真を見るだけでは描けないのなら、デッサン力はないことになる。
子供の頃、絵が得意だったというので、ある程度のデッサン力はあると思うが、子供の頃絵が得意だったが絵の世界に進むほどでなかった人というのは(私のことです)、往々にして、デッサン力が不足していて、ただ、色彩感覚が優れ、また、色塗りの技術が高い人だったりするのである。
だから、この人が写真の輪郭をトレースして、あとは写真どおりに鉛筆で色塗りしているだけなら、確かに色塗りは素晴らしいとしても、だからどうした、の世界なのである。
今、書店では大人の塗り絵の本がたくさん出ているが、それに素晴らしい色彩をつける人がいて、その人が塗り絵にはまって心の病にかかり、みたいな話に見えるのである。いや、塗り絵の方がまだ、色を選ぶのは塗る人だから、写真そっくりよりはまだ独創性がある。
また、これも多くの人が指摘していることだが、この絵を売りに出した場合、もとになった写真の著作権が問題になる。なので、個展では見せるだけで売らないと思うが、売らないでどうやって職業にするのだろうか?
もう一つ、疑問に思ったのは、自分の製作過程をビデオに撮って公開していることだ。ビデオ撮影のために照明を暗くするので目に影響が出たと書いてあるが、絵を描くのにビデオのために照明を暗くするとは本末転倒。というより、絵だけでなく製作過程をビデオに撮って公開するという自己顕示欲に疑問を感じるのだ。
確かに作家や翻訳家の中には自分の仕事の過程について語りたがる人がいるが、ビデオに撮ってまで公開ってどうよ、と思う。それも1つや2つじゃなく、いくつもあるのだ。そして、このビデオのせいで、写真をトレースして塗り絵していることがわかってしまったのである。
絵心がない人から見ると、写真どおりの絵が作れることにひたすら驚き、また、心の病のせいで美談のように受け取られているのだが、上にも書いたように、心の病の人が絵に生きがいを見出したのではなく、絵を描いて心の病にかかったのだから、それは美談じゃないだろうと思う。むしろ、この人にとって、絵を描くことはよいことなのかどうか。
テレビにも出演していて、顔や名前は出していないそうだが、個展では有料の講習会をするという。
描いている女優は恋愛禁止で有名な某アイドル会社のアイドルたちのようだから、このアイドル会社に所属して絵を描き、売るのであれば、もとの写真の著作権も、アイドルたちの肖像権もクリアできる。そういう方向でなら職業としてやっていけるだろう。
でもまあ、絵を愛する者としては、ああいう本質的には塗り絵でしかないもの、模倣でしかないものを芸術のように言ったりするのが(本人は言ってないと思いますが、まわりが)どうもいやなのだよね。
そういえば、勉強のために名作絵画を模写する画学生が、あまりにうまくできるので贋作を作るようになったという話があったよね。なんかそれに近い話なのだよ。コメント欄にもあったけど、元の写真家が作りだした陰影とか表情とかを模写してるだけなのだよね。
心の病だから批判しちゃいけない、というのであれば、こういうふうに派手にニュースにしてもいけないのだよ。