2016年11月28日月曜日

「シークレット・オブ・モンスター」(ネタバレあり)

まだ半分もすぎていないのに、カップルが1組、映画館から出て行った。
やっぱりむずかしかったのね。
「風と木の詩」のジルベールのような美少年の顔で売っている映画だから、何か別のものだと思ったのでしょう。
そして、キネ旬の今月号の星取り表、3人の評者が3人ともみごとに的をはずしている。
やっぱりむずかしかったのね。
だいたい、「シークレット・オブ・モンスター」というタイトルがいけない。全然中身と合ってない。なのにThe Secret of a Monsterと英語までつけている。
本当の原題は、The Childhood of a Leader。「一指導者の幼年時代」。
サルトルの同名の小説にヒントを得たそうですが、読んでません。で、ネットで読んだ人の感想を見たら、これはやはりヒントを得た程度のもののようです。
でも、「一指導者の幼年時代」というタイトルはこの映画にはぴったりです。
星取り表の3人の批評家は、そしておそらく多くの人は、この映画を少年が独裁者になる話だと思っているでしょう。

違うのです。

サルトルの方はそういう面がありそうですが、この映画では、主人公の少年はある時代と社会の象徴なのです。
独裁者になる1人の人間ではなくて。
少年(終わり近くになってようやくプレスコットという名前だとわかる)は、明らかに両親に愛されていません。
父親は女の子がほしいと言います。
しかし、母親は、少年を生んだとき大変だったからと言って、夫を拒否している。
でも、本当の理由は、後半、少年の家庭教師が少年に拒否され、クビになるときにわかります。
母親は若い女性である家庭教師に、自分は結婚したくなかったし子供も持ちたくなかった、だが、夫が何度もプロポーズするので結婚してしまった、と言います。そして、あなたも私と同じ気持ちでしょう、だから教師になって自活しなさい、というようなことを言います。
父親は政治の仕事で忙しく、少年にかまっている暇はないし、少年を愛しているようにも見えません。他方、母親は少年といつも一緒にいて、しかも愛していないので、少年は苛立ちの種でしかない。
少年は家政婦を慕いますが、母親は家政婦が息子を甘やかしていると言って、彼女をクビにしてしまう。このとき、家政婦が一家を呪ってやる、と言うのですが、その後の一家は描かれないので、呪われたかどうかは不明。
少年はなぜか髪をのばし、少女のような服を着ているので、女の子に間違われます。そして、女の子に間違われると嘔吐したり、腹いせに裸で歩き回ったりします。
時代は第一次大戦終戦直後、女性の参政権運動が盛んでもあった時期。
少年の苛立ちは、結婚や家庭に縛られたくなかった母親のような女性たちの苛立ちの反映ではないかと思えます。
少年は家庭教師に髪を切った方が男らしくなると言われますが、拒否します。少女のような服を着ているのは親の趣味なのか(「小公子」の主人公のような格好をさせるのが流行った時期があるそうです)、少年自身が男でも女でもない存在で、それがまた彼の苛立ちの原因なのか。
そして、重要なのは、第一次大戦終戦後、戦勝国が敗戦国のドイツから賠償金をとろうとしているということ。
第一次世界大戦まで、戦争では勝った方が負けた方から領土や金を奪うのが普通でした。第一次大戦後、ドイツは戦勝国から多額の賠償金を要求され、それがナチス誕生につながります。
少年の父親と他の政治家たちは、まさにナチス誕生につながることをやっているのです(この反省から、第二次大戦後は敗戦国に賠償金を求めなくなります)。
一方では男たちがナチス誕生につながる政治的なことをしていて、他方では女性たちが男社会の理不尽に苦しんでいる。そういう構図が見える映画なのです。
ラスト、ナチスを思わせるシーンに登場した「私生児プレスコット」は、スキンヘッドにひげという男っぽい姿をしています。彼はあの女の子のような姿をしたプレスコット少年と同一人物なのか?
プレスコット少年は私生児ではありません。私生児(バスタード)にはくそ野郎とか、そういう意味もありますが、ここはやはり字幕どおり、私生児が正しいでしょう。
第一次大戦後の政治家の男たちと、男社会に苦しむ女たちの間に生まれた私生児、それが独裁者、ということではないでしょうか。
少年はこの時代と社会を象徴する存在で、1人のリアルな人間としては描かれていない、そういう象徴的な映画なのだと思います。一指導者の幼年時代とは、擬人化されたファシズムの幼年時代であり、ファシズムの時代がこの「幼年時代」に育まれたことを意味しているのです。