2018年7月6日金曜日

キネマ旬報創刊100年記念企画

来年に100周年を迎えるキネマ旬報が、年代ベストテンをやるというので、1970年代に参加させていただきました。

表紙は1位の「タクシードライバー」。総勢100人以上が参加、条件は「私の好きな」なので、「優れた作品」ではなく「選者の好きな作品」です、念のため。
私は10代から20代なので当然、リアルタイムで、しかも何度もリピートして見た好きな映画の中から選んでいますが、当時はまだ幼かった選者もいて、やっぱり同世代の人の選出の方が気持ちが想像できて共感できます。
また、「ブラザー・サン、シスター・ムーン」とか「ビリー・ホリデイ物語」とか、1人しか選んでない作品が肝というか、私も「シャーロック・ホームズの冒険」、「探偵スルース」、「ラムの大通り」は私しか選んでなくて、そういう1人しか選ばない作品がたくさんあることで、ああ、そういえばこういう映画があったんだよなあ、というなつかしさを味わえるのです。(それでも誰も選ばなかった、たとえば「イナゴの日」とかあるんだよね。)
しかし、キネ旬はこの手のベストテンが好きで、また、好きで投票する人が多数いるので、こういう企画ができるのですが、集計する人は大変なんじゃないか、と思うことも多いです。毎年のベストテンもだけど、今はパソコンを使って昔よりは楽に集計できているのだろうか。集計に関する苦労話とかいい話とか、載せてみてもいいと思うのだけど企業秘密?
今回もそうですが、1票しか入らない作品まで全部リストアップされている、ここがすごいわけですよ。上位だけしか発表しない方が全然楽に違いないと思うのですが、私のように1票しか入らない作品に価値を見出す人間からすると、大変だろうけど続けていただきたい。
あと、テンにこだわる、というところですね。今回、10本なんて少なすぎる、と誰もが思ったと思いますが、10本という数がまた肝なわけで、20本とか30本とか増やしたら収拾がつかなくなり、テンの価値も薄れてしまい、一方、集計を楽にするために1人5本とかにするとまた意義が薄れる感じがします。1票しか入らない作品をずらりと見せる、そして、投票は1人10本で、あくまでテンにこだわる、というところがよいのです。
次号の日本映画にも投票していますが、10年で10本だと日本映画も選べてしまう。

ところで、1962年を舞台にした「アメリカン・グラフィティ」が上位に入っていますが、今日は同じ1962年を舞台にしたイギリスのイアン・マキューアン原作「追想」の試写を見に行って、うわ、イギリスってこんなに遅れてたのか、とあぜんぼうぜんとしてまいりました。
処女と童貞で結婚して初夜がうまくいかないって、そんなの昔はどの国でも普通にあったんだと思いますが(実際、私くらいの年だと親世代からそういう話を聞いた)、なに、この遅れ具合(特に22歳の女性が結婚決まってから初めて性について知るとか信じがたい)、とびっくりしたんですが、映画評はマキューアンの原作(邦題「初夜」、こっちの方が内容に合っている)を読んでからにします。