「エルヴィス」はいつどこで見るか迷ったのだけど、金曜日にTOHO船橋で見た。あとから考えたら、TOHOなら日比谷のスクリーン1で見るべきだった。
評判がいいという話だけど全然面白くない。オリヴァー・ストーンばりの画面分割とか、ウェス・アンダーソンばりの文字がいっぱい出てくるとか、画面全体がぱっと目に入らないと苦しい映像で、大きいスクリーンなのに前の方の席だったから見づらい。
しかし、面白くない、とはいっても、「華麗なるギャツビー」みたいな勘違いの愚作ではないので、見る人が見たらよいのかもしれない、それに、話がわかりにくいところもあったし、いろいろ気になる。土曜日は夕方にTOHO流山で「リコリス・ピザ」を見るので、そのあと、近くの音響のいいMOVIX柏の葉でもう一度見よう、と思い、土曜日にレイトショーで二回目を見ることにした。
MOVIX柏の葉はやはり音響がよくて、映像もいい感じだった。席もちょうどいい位置。最後にエルヴィス本人の映像で歌われる「アンチェインド・メロディー」が前半に何度か流れるのに気づく。前半、白人や黒人のミュージシャンたちが出てくるあたりも、1回目見たあとにネットで少し調べたので、わかりやすい。全体に前半は1回目よりよくわかって、2回見てよかったと思った。
ただ、後半になると1回目と同じく、面白くない。
1回目に見たときも思ったのだが、この映画はエルヴィスを弱い人間、大佐という山師に搾取される弱い男として描いていて、これだけのスーパースターをこういう弱い人間として描くだけで終わってしまっているのが大いに疑問だ。大佐も自分が儲けることしか考えていない卑小な人間で、どちらも人間としての深みがない。演じるオースティン・バトラーとトム・ハンクスの名演技があるから見られるので、それがなかったらほんとにだめな人間描写ではないだろうか。
大佐がエルヴィスにアプローチしたとき、背後の見世物小屋のギークの看板が映るが、大佐にとってはエルヴィスは「ナイトメア・アリー」のギークでしかないのだ。
そしてエルヴィスもまた、この映画ではライブシーンでの腰の動きばかり妙にリアルに表現していて、やっぱりギーク扱い?
それでもエルヴィスをあくまでギークとしか思っていない大佐の語りで描くというのは発想としては面白いかもしれない。エルヴィスを殺したのは自分ではなく、彼を愛したファンだ、と大佐は言い、その証拠として、エルヴィスの最後のコンサートでの「アンチェインド・メロディー」の歌を聞かせる。エルヴィスはファンの愛を求めていた、と言いたいのだろうが、大佐がそれを言ってもあまり説得力はない。エルヴィスをギークとしてしか扱わない人間は結局、その程度の人間でしかないので、そういう人間の語りがそのまま出ていてひねりも何もないのではそれ以上に面白くなりようがない。
「ボヘミアン・ラプソディ」と比較すべきではないと最初は思ったのだが、2回目に見て、エルヴィスと大佐の関係はフレディとポールの関係だと気づいた。
ポールの悪影響でどんどん堕ちていくフレディを救ったのは元恋人のメアリーだったが、エルヴィスは母親を失うことで大佐の影響を強く受けるようになる。いわば大佐が心の父になったので、ふがいない実の父は大佐の側についてしまう。エルヴィスの妻は彼を気遣うが、メアリーのようにはなれず、彼のもとを去る。
最初に見たときは、悪の父である大佐とダメな実父という、父親がしょうもない話だな、と思ったが、主人公をかどわかす悪の男と、その対極にいる女性という構図は同じなのだ(よくあるパターン)。「ボヘミアン・ラプソディ」は主人公をかどわかす悪魔と、彼を救う女神というオーソドックスな構図をそのままドラマとして成功させていたが、「エルヴィス」はその構図をオーソドックスなドラマにしなかった。が、かわりに何か別のよいドラマにすることもできていない。そんなわけで、エルヴィスと大佐の関係が中心になると面白くないのだ。
父親といえば、フレディは自分を認めない父と対立していて、最後に父と和解するという、これまたオーソドックスな展開があった。エルヴィスの場合はそういう展開にするのが無理だったのだろうが、エルヴィスと大佐の関係があまりに卑小で、役者の演技で持っているようなものなので、映画自体がなんだかなあになってしまう。
というところで、「エルヴィス」2回にはさまれた感じで見た「リコリス・ピザ」。ネタバレあり注意。
リコリス・ピザというのはレコード店の名前だそうだけど、映画にはレコード店に関することは何も出てこない。ネットで調べて初めてわかった。
最近のポール・トーマス・アンダーソンの映画としてはとてもわかりやすく、ライトな感じなのだけど、このタイトルが調べないとわからないように、映画に登場する人物や出来事が知らないとわからないものが多い。
1970年代初頭が舞台なので、私にはいろいろなつかしいのだが、この時代を知らない人はわからないことが多いだろう。
この映画についてネタバレありで語っている人のブログを見たが、オイルショックもわかってないみたいだった。あのとき、日本ではトイレットペーパーがなくなって大騒ぎだったのだが、アメリカはガソリン不足だったのだね。。
「トコサンの橋」が「トコリの橋」だってこと、だからショーン・ペンが演じているのがウィリアム・ホールデンだってこともどれだけの人がわかるかどうか。
日本料理店の経営者のアメリカ男性と日本人妻が出てくるシーンがあるが、昔のハリウッド映画に出てくる日本や日本人はひどいのが多くて、「トコリの橋」も日本が出てくるけどひどかったよ(10代の頃にテレビで見た)。
ペンが演じる俳優とブラッドリー・クーパーが演じるバーブラ・ストライサンドの恋人が相当にクレイジーな人たちで、ほとんど「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の世界。「エルヴィス」もだけど、最近、1970年代前半を描く映画が多い。
主役の15歳の少年と25歳の女性のカップルが紆余曲折を経てハッピーエンドになる話だけれど、エピソードがどれも面白い。俳優がスッピンだったり、ミニスカートがやたら出てきたり、70年代ですね。
15歳の少年は家族でいろいろ商売をしていて、25歳の女性は市長に立候補した政治家の応援をボランティアでするのだけれど、それにつきあった少年がピンボールの店が解禁になると知ってすぐに利用、まじめに選挙活動している女性が怒る、というエピソードが最後に来る。が、清廉潔白と見えた政治家が保身のために同性の恋人を隠していたことがわかり、どいつもこいつも、って感じになって、その中で2人が愛を確かめあう、という結末なのだけど、70年代はLGBTがカムアウトするようになった、でもまだ差別と偏見が非常に強かった時代だった。
最後はカーテンコールのように出演者が紹介される。長い映画ではないけれど、多彩な人物と多彩なエピソードがてんこ盛りで、思い出すと楽しい。