今日から始まった2本の映画。アカデミー賞主演男優賞受賞の「ザ・ホエール」とナイキとマイケル・ジョーダンの逸話「AIR/エア」をハシゴ。
どっちもすごくよかった。
「ザ・ホエール」はいかにも舞台劇の映画化らしく、登場人物たちの葛藤が見ごたえがある。
冒頭、バスを降りる人物を俯瞰でとらえ、そのあと、この人誰?な状態のまま物語が進み、途中で、この若い宣教師だろうと思うが、なぜこの人がバスでこの町に降り立ったのか?と疑問に思っていると、しだいにそのわけがわかっていくという作劇のうまさ。
異常に肥満した主人公を介護する女性(彼女と主人公の関係もしだいに明らかになる)、妻と離婚後、ずっと会っていなかったのに突然訪ねてくる娘、そして、最後に現れる元妻の3人の女性が、それぞれ、形は違うが、主人公に対して愛情を抱いていて、その愛情がストレートなものではなく、娘は父の遺産が目当てのように見えたり、元妻は夫がゲイの恋人に走って別れたことに怒りを感じつつも、元夫への愛がまだ残っているよう。そして介護する女性は実は(ネタバレ)主人公のゲイの恋人の妹だったことがわかり、この兄妹が若い宣教師の信じる新興宗教の被害者であることもわかる。若い宣教師も実は新興宗教に嫌気がさして逃げ出してきたこともわかる。
主人公を取り巻くこの3人の女性と若い宣教師のさまざまな対立を通して、主人公も含む5人の人生が浮かび上がってくる。家族ぐるみの新興宗教の問題は旧統一教会の問題が取りざたされる日本でもリアルに感じられるだろう。キリスト教の中のある種の偏狭な考え方が人々を追い詰めることを描いているが、その一方で、ラストの白い光は神の光、偏狭な考え方の人々の神とは別の、包容力のある真の神を感じさせる。
ラスト、真っ白な画面に黒い文字が現れるのは「ブラック・スワン」をほうふつとさせる。「ブラック・スワン」は主人公は母と舞台監督に認められたがっていたが、最後にそれを実現して満足して死ぬ。「ザ・ホエール」の主人公は妻や娘と幸福だった頃の記憶が最後によみがえる。
という内容なのだが、この映画、今の私には別の部分で刺さるところが多かった。
死が迫る主人公をめぐる3人の女性たちの屈折した愛情は、つい最近経験したこととあまりにも似通っていたので、他人事とは思えなかった。
そして、主人公はズームの講義で大学生にレポートの書き方を教えているのだが、彼は文学作品を読んで学生が感じたことを正直に書くようにと言う。そして、いよいよ死が迫り、もうこれ以上授業はできなくなった、今後は別の先生が講義をするだろうが、その先生はきみたちに何度も書き直しをさせ、自分を出さないようにさせるだろう、自分とは正反対に、と言う。
これまた私が比較的最近経験したことと重なっていて、私が非常勤講師をしている大学の学科では専任が学生に論文指導をしているが、その指導がまさに、「自分を出すな」ということで、それに対し、私のやる授業では、自分が感じたこと、考えたことをだいじにさせようとしている。つまり、私はあの主人公と同じ立場なのだ。
そんなわけで、私にとっては共感マックスな映画であった。
「AIR/エア」はとにかく面白かった。
「アルゴ」でアカデミー賞作品賞を取ってしまったベン・アフレック監督だが、演出がてきぱきとしていてうまさを感じる。最初から最後まで、だれたところがまったくなく、いちいち演出が決まっている。脚本もうまい。
マイケル・ジョーダンのためのシューズを作るという、それまでにないコンセプトでジョーダンを口説き落とすナイキの実話で、この新しいことをするという考え方をジョーダンの母が気に入って、弱小だったナイキがジョーダンを獲得する。
登場人物が男性ばかりで、唯一、女性のジョーダンの母(ヴィオラ・デイヴィス)が男たちに負けない存在感を示す。ラストも、母の偉大さを強調している。
1984年が舞台で、当時の映像が冒頭で次々と出てくるし、その後も当時の歌が流れ、当時の髪型や服装、パソコンの画面はブラウン管、録画はビデオテープ、携帯などない、といった時代の風景が随所に現れていて、なつかしいと同時にまがいものではないリアリティがあった。
映画は近隣のシネコンで見たのだけど、前日、上野駅へ行ったら、こんなディスプレイが。下の方が4面シャンシャンで、シャンシャン去ってすでに1か月半だけど、いまだシャンシャンとは。