土曜日に15年間つきあったなじみの地域猫が亡くなり、今見るとしたらこれしかないだろうと思った映画「生きる LIVING」。画像はRotten Tomatoesから。
ちなみに、その地域猫に初めて会ったのは、亡くなった日と同じ4月1日。エイプリルフールだから、嘘だよ、と言って生き返ってくれてほしかった。
さて、カズオ・イシグロ脚本による黒澤明の名作「生きる」のリメイクだが、オリジナルは10代の頃に一度見たきりなので、かなり忘れているけれど、オリジナルの濃さに比べてあっさりとした淡白な味わい。
主演のビル・ナイがこの役には年をとりすぎているというか、彼の年齢だったらもう役所は定年退職しているはずで、オリジナルのようなまだ高齢者とは言えない人が死の宣告を受けるのとはニュアンスがかなり違う。
ビル・ナイが演じることで、主役がカズオ・イシグロの主人公らしくなったのは事実だが。
お葬式でみんながあの人はすばらしかった、これからは自分たちも変わらなければ、とか言っていた役人たちが、次のシーンではまたもとのやる気のない役人に戻ってるというあのオリジナルの落差、皮肉もリメイクはいまひとつ。
黒澤の「生きる」に一番近いイギリス映画、というか、外国映画は、「おみおくりの作法」だと思う。
あの映画の主人公は、やる気のない役人ばかりの役所で、身寄りのない孤独死の人のおみおくりを担当している。彼は人づきあいもない孤独な人間だが、この仕事には情熱を傾けていて、生きがいとなっている。
ところが役所の都合でその仕事がなくなることになり、最後の死者の縁者を探してみようということになり、その過程で人と出会い、淡い恋も生まれる。しかし、その後、というところで、このあとは非常に感動的であり、なおかつ、皮肉も感じられる素晴らしいエンディングなので、未見の方はぜひ見てほしい。
「おみおくりの作法」の主人公は死者に生きがいを見出していて、ある意味、生を生きていなかったと言えるが、その彼が死者の縁者を探す中で生を生きるようになる、という点で、役所の中でミイラやゾンビと呼ばれるほど生きていない「生きる」の主人公が、死を覚悟して初めて生きるというところと若干重なる感じがする。
「おみおくりの作法」は「生きる」とはまったく違う作品だけど、黒澤の「生きる」に対するイギリス映画の返歌だと思う。それに比べると、「生きる」リメイクは中途半端。ネットを見るとほとんど絶賛だけど、私はそれほど評価できない。