と、私が10代のころには言われていた。
ワイラーの旧作でさえ、原作に比べたら相当劣ると言われていた。
70年代初めのティモシー・ダルトン主演の映画なんざ、ヒースクリフが狼男みたいだと言われ、こんなのを公開するくらいならブニュエルの「嵐が丘」を公開してくれ、という声もあった。
そのブニュエルの1953年のメキシコ映画「嵐が丘」は日本では87年に公開された。当時住んでいたところから歩いて行ける三百人劇場でブニュエルの特集上映があり、そこで「嵐が丘」を含む数本を見た。その翌年には日本を舞台に翻案した「嵐が丘」が公開された。
90年代に入ると、それまでの映画化では省略されていた原作の後半も描いたレイフ・ファインズ主演の「嵐が丘」が登場。そして、ジャック・リヴェットの86年の「嵐が丘」も公開された。
このあとは2011年製作のヒースクリフを黒人にした「嵐が丘」が、日本では去年、特殊上映みたいな形で公開されたらしいが、これは見てない。そして、次が今公開中のエメラルド・フェネルの「嵐が丘」。
確かに「嵐が丘」は映画化がむずかしい小説で、原作の後半を映画がカットしてしまうのは、こちらも描いて映画として面白くするのがむずかしいからだろう。しかし、ここがないと、ただの恋愛メロドラマになってしまう。
また、ダルトンのヒースクリフが狼男みたいだと言われたけれど、もともとヒースクリフはフランケンシュタインの怪物などと同じノーブル・サヴェッジ=高貴な野蛮人なので、狼男みたいなのはまんざらはずれではないし、今回のフェネルの映画でフランケンシュタインの怪物役ジェイコブ・エロルディが起用されたのもうなずけるものはある。
しかしだね、今回のフェネルの映画は予告編を見て、こりゃだめだ、と思った。なんか、トーニャ・ハーディングとフランケンの怪物の恋愛みたいで、この2人なら「ザ・ブライド」やった方がよいんじゃね、と思ってしまったよ。
しかも、アメリカでは批評家には評判悪いが、観客には大受けだという。そして、欧米では女性に大人気で、映画館の客はほとんど女性だと。
日本で冬ソナが大ヒットしたとき、実は日本にも昔はこういうメロドラマがあったけれど、いつのまにかなくなってしまい、それで冬ソナが受けたのだ、という分析があって、確かに「嵐が丘」みたいなラブストーリーは今はほとんどない。だから受けたのか?
ただ、日本では、近隣のシネコンは全然予約がなく、日比谷みたいな都心部でもガラガラなのだ。たぶん、日本の女性には受けない。原作は受けているけど、この映画は無理。
とにかく「嵐が丘」は原作の前半をそのままラブストーリーとして映画化するか、ブニュエルみたいに大胆に改変して別の話にしちゃうかしかないので、原作を変えること自体は別にいいと思うのだが、フェネルの映画は小手先の変更はたくさんやってるが、肝心の部分はワイラーの映画などと同じ、一心同体の男女のロマン的愛で、でも、その描き方がなんだかなあ、なのである。
エロやグロの要素も入っているけど、正直、退屈だった。なんか、美学が感じられない。フェミニズムが入ってるかと思ったけれど、それもない。現代的な解釈ってわけでもなく、テーマは原作と同じで、それがうまく描けてないというか、一心同体のロマン的愛が、やっぱり映画だとどうしても描けないのだよね。
ネリーが中国系、リントンが中東系の俳優みたいなのだが、この映画ではどちらも少し悪役的な人物になっていて、そういう人物を欧米系の白人以外の人種の俳優にするのはどんなものなのだろう。主役の2人は欧米系の白人なんだが。
私自身は「嵐が丘」の原作の熱烈なファンではないので、原作と比べて怒り、とかはなかったが、それよりドラマとして退屈なのが困った。久々に金と時間返せと思ったよ。