2013年5月1日水曜日

5月になりました。

5月1日、今日はメイデイか。
メイデイ、メイデイ、と、セイバーズの実況アナ、リック・ジャネレットが叫んだのはだいぶ昔のNHLプレーオフ。ブラッド・メイが決勝ゴールを放ったとき。もちろん、5月1日ではなかったと思う。
そのセイバーズはまたもプレーオフを逃し、ベテラン選手を放出してドラフト指名権ばかり獲得しているので、いよいよリビルディングの時期に入ってしまうのか、ということで、チームの顔であるライアン・ミラーとトマス・ヴァネクがおそらく出て行ってしまうだろう、と言われている。
ヴァネクはセイバーズの26番では最も有名で実力のある選手だけど、その前はデレク・プラントだったので、ヴァネクがいなくなれば、また26番は記憶に残るのはデレクになっていくのだろうか?

と、セイバーズについてはまったくいい話がないので、今季は試合結果をチェックすることすらしていませんでした。

話変わって。
久しぶりにジム・キャリー主演の「マジェスティック」を見て、以前には考えたことのないあることが頭に浮かびました。
それは、
主人公ピーターは、脚本家をやめて田舎町の映画館主になるのだけど、書くことはやめてしまうのだろうか、ということ。
確かに赤狩りの時代で、その上、ハリウッドではプロデューサーの力が絶対的に強く、脚本の内容をいいように変えられてしまうのだから、あそこで妥協して脚本家を続けてもしかたない、ということで、記憶喪失の時代に世話になったあの田舎町へ帰るわけですが、そんなに簡単に書くことをやめてしまうのかな、と。
もちろん、映画館主をしながら小説を書いたりはできるわけですが。
でもあのラストでは、ピーターは恋人と結婚して平凡な人生を送るように見えます。
あるいは、書くことは、彼にはそんなに重要ではなかったのかもしれません。
彼は「灰は灰に」という脚本を書いていて、それを「ぼくの「怒りのぶどう」だ」と言うのですが、自分では社会派の傑作と思っているその脚本を、プロデューサーがどんどん変えてしまい、骨抜きにされてしまう、というシーンから映画は始まります。つまり、そういうこだわりのある書き手でもあったのだと。
しかし、見方によっては、それは「わが谷は緑なりき」など、過去の名作の焼き直しにすぎず、彼はそれほど才能はなかったのかもしれません。

この映画は映画館では見逃してしまい、その後、「ブルース・オールマイティ」のノベライズの仕事が来て、見逃していたジム・キャリーの主演映画をいろいろと見たときに、レンタルして見ました。
その後、別の出版社から小説の翻訳の仕事が来て、訳文を仕上げて渡したあと、返ってきたゲラが、編集者がリライトしてしまったものになっていたので激怒、編集部とけんかになり、結局、その仕事は降りてしまいました。その編集部では、上がってきた訳文を編集者がリライトするのが普通だったようで、それが当たり前の出版社とそうでない出版社があって、私はそうでない出版社でしか仕事をしていなかったので、それがわからなかったのです。しかし、相手からすれば、リライトするのが当たり前なので、私の怒りにかなり困惑したようです。その後、別の出版社でまたまた全面リライトの憂き目にあい、そのときようやく、全面リライトが当たり前の出版社があって、そこではそれが当然で、別の方法があるとは思っていないのだ、ということがわかりました。
そんなわけで、2度目の出版社のときは私もそれほど怒らなかったのですが、最初の出版社ではかなり怒ってしまい、また、ひどく落ち込みました。
そんなとき、「マジェスティック」を思い出してDVDを買い、何度も見ました。英語のせりふを覚えてしまうくらい。それでなんとか慰められた、という感じだったのですが、その頃には、主人公は書くのをやめてしまうのだろうか、などとは思いもしませんでしたね。
結局、全面リライトを2度体験して、以来、出版翻訳の仕事をあきらめてしまったのですが(その後、たまたまイーストウッドの写真集の翻訳の仕事が来ましたが、これは幸運でした)、それはちょうど、田舎町へ帰って書くことをやめてしまうピーターに近かったのでしょう。
ピーターは書くことをやめてしまったのか、と思った今の自分は、たぶん、今までとは違う方向に向かいだしたのかも。

子供の頃にめざしていた職業が、大人になったらなくなっていた、という言葉を読んだのはかなり前だった気がしますが、20世紀末以降の時代にはそれはかなりリアルな現実です。
私が若い頃には、文芸翻訳家はなり手があまりいなかったので、報酬が少なくてもやりたい、と強く思う人は、それなりの実力があれば、文芸翻訳家になれました。しかし、その後、文芸翻訳家志望者の増大と不況による翻訳出版物の激減で、文芸翻訳家になるのは宝くじに当たるようなもの、芸能プロに入ってスターをめざすようなものになってしまいました。
大学時代にちょっとだけ翻訳学校に行って、どうも私は翻訳には向かないようだと思って、大学院進学に切り替え、英文学者をめざしたのですが、この英文学者がまた、斜陽の職業になっていきました。欧米の大学では文学の研究者のポストが非常に少ない、という話を聞いたのが1990年代。欧米では企業が即戦力の社員を求めるようになったので、即戦力になる理系などの分野以外に進学すると就職ができないので、文系、特に文学や哲学は軒並み学生が減り、当然、先生もいらなくなり、といった具合。日本では外国文学は外国語と外国文化を学ぶということで生き残ってはいますが、英語や中国語、スペイン語など、就職に役に立ちそうな言語以外の言語、フランス語やドイツ語は科目自体を消滅させられたりしているようです。
私が若い頃も、英文学の研究者はとりあえず、大学の英語の先生になって、仕事は英語教育、研究は英文学、という感じでしたが、当時は男女差別がひどくて、私はこれで就職がだめになりました(女性でもコネの強い人は就職してたが)。
逆に私が若い頃にはありえなかったのが、大学院で映画で論文を書き、映画学で大学に就職するということ。昔は映画は大学で研究するものじゃなかったのですが。
というわけで、どうも時代とミスマッチしてうまくいかないのだな、自分の人生は、と思う今日この頃です。