33年ぶりに村上春樹の小説を読んだ。
最後に読んだのは1983年の「中国行きのスロー・ボート」(短編集)。
その前に「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」を読んで好きになり、続いて「羊をめぐる冒険」を読んだら、あれ、と思った。
もともと村上春樹のデビュー当時の文体が好きだったのだ。内容は別にどうでもいいというか、内容ではなく文体に惹かれた。
当時、私は日本人作家の小説がだめで、継続的に読むほど好きだったのは川端康成くらいだったが、村上春樹は初めて好きだと思えた同時代の作家だった。
昔のことなのでよく覚えていないが、やはり文体だったと思う。内容はもうさっぱり忘れている。
なんというか、それまで日本人作家の小説を読むと、文章がどんよりしていて好きになれなかったのだが、村上春樹の初期の2作の文体はきらきらとして透明感があった。日本的なウェットな内容も、そのキラキラ透明な文体だと心地よかった。
ところが、「羊をめぐる冒険」では、文体が他の日本人作家と同じになっていたのだ。内容は確かに面白いし、羊の象徴するものも興味が尽きない。ミステリーのようにぐいぐい読ませるが、肝心な文体はもう、私の好きな村上春樹ではなくなっていた。
そして、新刊の「中国行きのスロー・ボート」を読んだあと、村上春樹を読むのをやめた。
それから33年、私が読んでいた頃よりはるかに有名で売れる作家になり、ノーベル賞候補と毎年のように言われたが、私は彼の本を手にとることさえなかった。
それが、一番新しい「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読みたいと思ったのは、タイトルに惹かれたからだろう。「ノルウェーの森」とか「海辺のカフカ」では読む気になれなかったのだが、この長いタイトルは中世ヨーロッパの宗教的な散文物語のタイトルのようで、気を惹かれた。リストの「巡礼の年」がモチーフになっているらしいのも興味を持った理由の1つ。内容はこれまでさんざん聞いていた村上春樹のワンパターンみたいだったので、内容に惹かれたわけではなかった。
読み始めてみると、傑作ではなさそうだが、面白いと思えた。前半は先の見えない展開で、物語がどう転ぶかわからない。こういう小説はとりあえず面白い。
ところが、真ん中くらいになって、主人公が高校時代の4人の親友に拒絶された理由が明らかになるあたりから、先がミエミエの展開になってしまった。
前半の先の見えない展開、ちょっと魅力的なエピソード(それは主人公・つくるの大学後輩、灰田にまつわるエピソードなのだが)が突然なくなり、主人公は付き合い始めたばかりの恋人の助言で、かつて自分を拒否し、自分を絶望させ、死の淵まで追いつめた4人の旧友に会いに行くことになる。ただ、4人のうち1人はすでに死んでいて、その死も謎。でも、なぜ拒絶されたのか、その過去と向き合わないと、あなたとはつきあえない、と今の彼女に言われて、つくるは故郷の名古屋へ、そして国際結婚した1人のいるフィンランドへ行く。
とにかくこの、恋人に言われて名古屋に行くあたりからもうまったくだめ。
見え透いた展開、人間としての肉付けがこれっぽっちもない登場人物。特に、すでに死んでいる1人(精神を病んでいたらしい女性)がだめ。つくるはこの女性が好きだったのだが、読んでいて、いったい、この女性は本当に存在したのだろうかと思ってしまった。フィンランドで再会したもう1人の旧友の女性がいろいろ説明しているけど、この女性の言うこと、全部信じていいの?と思ってしまう(嘘だったらどうするよ。だって、彼女しか知らないことをいろいろしゃべってるんだよ)。
名古屋で再会する男の旧友2人も、体育会系のセールスマンとスピリチュアル系のグルという型にはまった人物。主人公のつくるもそうだけど、人間が全然魅力がない。
多崎つくるは4人の旧友ではなく、大学の後輩で突然姿を消した灰田を探しに行くべきだったのではないだろうか。灰田のエピソード、そして灰田が語る彼の父親と緑川というジャズ・ピアニストの話は面白い。つくるは夢の中で2人の女性の旧友に誘惑され、死んだ方の女性と関係するのだが、彼の夢の中には灰田も出てきて、灰田がつくるにフェラするのだ。2人の女性は姓にそれぞれ白と黒という色が入っているけれど、白と黒をまぜると灰色になる。つくるが求めているのは本当は男の灰田なのでは? 実際、つくるは同性愛者と思われたくないので女性と付き合い始めたと言っている。
村上春樹はつくるが灰田を探しに行くという冒険をする気になれなかったのだろう。無難な女性との関係の方へ行ったのだろう。後半は本当につまらない。逆に言うと、前半の面白いところが生かされないのが惜しい。
登場人物は4人の旧友(男性2人はそれぞれ赤と青を姓に持つ)、灰田、緑川と、つくる以外は色彩を姓に持っている。つくるだけが色彩を持たないのだが、では色彩がないから透明なのかというと、全然不透明だ。私が好きだった村上春樹の透明な文体はもちろん、この作品にもない。やはり最初の2作で消えてしまったのだなと思った。その上、地に足のつかない日本語になっているような感じさえする。それは前半からすでにそうで、日本語をいちいち気にしながら読む状態だった。
リストの「巡礼の年」に関していえば、この小説は、ラザール・ベルマンの「巡礼の年」を聞いていた主人公がブレンデルの「巡礼の年」を聞いてある悟りを得る、と要約できる。でも、その悟りというのが、
中二病か?
というようなシロモノ。全体に中二病という言葉がぴったりの小説であった。