2017年1月30日月曜日

「沈黙」と虫の声(追記・浅野忠信の演技について)

日曜日はシネコンで重い映画を2本ハシゴ。
まず午後は20世紀初頭のイギリスの女性参政権運動(サフラジェット=原題)を描いた「未来を花束にして」。
これ、Rottentomatoesでは評価が低くて、理由は、主義主張ばかりの映画だから。
確かにそういう面が強くて、ストーリーや人物に工夫がないのは否めないし、欧米ではサフラジェットはかなり有名らしいので、単にテーマがいいだけじゃだめ、な評価になるのはよくわかりますが、日本ではサフラジェットのことはほとんど知られていないので、勉強になります。
女性は参政権だけでなく、親権もなかったことも。
古い時代には女性に親権がないというのは「この世界の片隅に」の原作にもはっきり書かれています。
サフラジェットについては、私が初めて知ったのは、ケン・フォレットの「ペテルブルクから来た男」でした。良家の令嬢のヒロインが社会問題にめざめ、デモに参加するが、暴力で鎮圧されてしまう、というシーンがありましたが、映画の方ではサフラジェット側も暴力に訴えるほど過激になっている様子も描かれます。
なんにしても、自分的には専門分野の教養として見ておきたい映画だったのです。

そして夜はマーティン・スコセッシの「沈黙ーサイレンスー」。
原作も読んでいないし、70年代の日本映画版も見ていないので、とりあえず、気がついたことを。
まず、最初に強烈な印象を受けたのは、虫の声でした。
日本人は虫の声を音楽として聞くという、まさにそのことを表現するような、すばらしい音響の虫の声です。
台湾でロケしたというけれど、この虫の声は日本の自然そのものです。
沈黙なのに、要所要所で映画に響き渡る虫の声。
それは日本の八百万の神の声であり、日本の神は沈黙していない、ということでしょう。
八百万の神が沈黙していないので、キリスト教の神の声が聞こえないのか。
八百万の神の美しい虫の声の中で、宣教師は神の声を必死に聞こうとするけれど神は沈黙している。
宣教師を捕えた役人が、キリスト教の布教はむだだと説くシーンで、日本の信者はキリストと一体化していない、宣教師との絆があるだけだ、というようなことを言っていて、確かにそういう感じはします。宣教師は神やキリストと対峙しているけれど、日本の信者は宣教師を慕っている。これって、すごく日本的な感覚。というか、これが日本的な感覚だということは、西洋人のスコセッシの目を通すからわかるという奇妙な感覚もありました。
また、役人も、棄教させようとするときの理屈が日本的な建前と本音のような感じに見える。
棄教した宣教師はその後も棄教宣言書みたいなのを何度も書き、完全に棄教したようにふるまうけれど、実際は(以下ネタバレにつき自粛)。
キリスト教は古代ローマ時代にも迫害されているので、体制にとって都合の悪い宗教でもあるけれど、その一方で、キリスト教も異教徒の世界に布教という形で入り込んで、そこを支配しようとしたという歴史がある。また、この映画に描かれる拷問はキリスト教が行った魔女狩りに通じるものがあって、魔女狩りの場合は魔女だと白状するまで拷問し、白状すると死刑にする。
幕府がやってることを、キリスト教もやっていたという歴史がある。
日本の信者は貧しいから来世に希望を抱いて、それでキリスト教徒になったようにも見えるし、だから棄教するより死んで天国に行った方がいいと思っているようにも見えるけれど、後半は信者は棄教しているのに宣教師を棄教させるために信者を殺すような展開になっていて、日本の信者はちょっと置いてけぼりな感も?
その中でキチジローという男だけは、信仰を勝手に捨てるくせにまた宣教師に頼るという、信者の中では一番複雑な人物。
いろいろ考えさせられますが、まずは原作を読んで、できれば篠田監督の古い映画化も見てみたいです。

試写もぼちぼち見ていて、「ライオン 25年目のただいま」と「僕とカミンスキーの旅」が面白かったです。どちらも良作。「ライオン」のタイトルは***の○○だろうと思っていましたが、そのとおりでした(最後にわかります)。


「沈黙」についての追記(1月31日)
出演者の中では個人的には通辞を演じた浅野忠信が一番印象に残った。この役はもともと渡辺謙が配役されていたが、撮影開始が遅れたために出られなくなり、浅野にかわったと知って、いろいろと思うところがあった。
もしも渡辺だったら、この映画はもっと欧米的な作品になっただろう。宣教師と通辞の対決が今より欧米的な対決になったに違いないからだ。
渡辺謙は三船敏郎と同じく、非常に欧米的な個性の俳優で、だから2人とも欧米でスターになったのだが、浅野の演じる通辞は非常に日本的というか、剛の渡辺に対して柔の浅野という雰囲気が明らかにある。通辞が棄教を促すシーンが日本的な建前と本音と私が感じたのは、やはり通辞が浅野だからで、渡辺ではおそらく違っていただろう。
虫の声と同じく、浅野は日本そのものを体現していて、だから、この映画で一番際立っていると私は感じた。
しかし、欧米人には浅野のような演技よりもイッセー尾形のような演技の方が理解しやすいのだろう。だから尾形の方が評価されているのだと感じる。渡辺謙も尾形のような演技をしただろうから、もしも渡辺が通辞だったら同じタイプが2人になったことになる。しかし、浅野にかわったことで、2人が違うタイプになったのだ。
浅野は役によって印象が異なるので、今回は日本的な柔を表現するという演技設計で臨んだのだろう。みごとである。表向きは柔でありながらやることは冷酷という対比もすごい。キネ旬の浅野のインタビューを読むとさらに納得。
「硫黄島からの手紙」は全編日本人が日本語で演じているにもかかわらず、その感触はきわめて欧米的だった(そして主演は渡辺謙)。そのせいか、アメリカでは「父親たちの星条旗」より「硫黄島~」の方が高い評価を得ているのに、日本では逆だった(私は「硫黄島~」の方を高く評価している)。
スコセッシの「沈黙」は通辞に浅野を配したことで「硫黄島~」よりも日本に近づいたのではないか。八百万の神{自然)の虫の声とキリスト教の神の沈黙を対比させるなど、本質はやはり欧米的なのだが、それでも日本の精神を理解し、近づこうとし、実際にかなり近づいた作品だと思う。

2017年1月22日日曜日

DHCのサプリを捨てる。

昼近くに部屋で異臭がするので、なんだろうと思ったら、2日前に捨てたDHCのビタミンB群サプリメントが差し込む陽ざしで異臭を放っていたのだった。
このサプリは昨年末にひどい舌の口内炎になったときに買ったものだったが、飲み始めてから半月ほどたったら口の中にいくつも口内炎ができてしまった。舌の口内炎に比べたら痛みはそれほどでもないが、一度にたくさんの口内炎が出来たのは初めてだったので、これはあのサプリが原因だと思って捨てたのだった。
そのサプリを買ったあと、例のMXテレビのニュース女子が沖縄についてのデマを流し、指摘されても居直り続けるというニュースがあり、その番組はDHCが主催するものだとわかったが(その後、DHCは会長がトンデモなネトウヨであることを公言していることが判明)、買ったばっかりだしもったいないと思って飲み続けていたのだ(反感を持った女性たちが化粧品を捨てていたのに)。
でもって、結局、天罰が下ったのですね、あの口内炎。
体質が合わなかったのだろうけど、このひどい異臭(紙の袋に入れてゴミ袋に入れたのに部屋いっぱいに異臭)を考えると、あまり飲まない方がいいものではないかという気がする。
DHCは以前、宣伝文句にむかついたこともあったのだけど、このサプリは買ってからDHCだと気づいたのだ。わかってたら買わなかった。

このほか、歴史改竄トンデモ本を部屋に置いているアパホテルとか、日本はどうしてこういうトランプもどきの人たちが経営者やマスコミ有名人文化人として堂々と世に出て、平然とトンデモなことをしていられるのか理解に苦しむ、と思った頃にトランプが大統領に就任。
ここまでトンデモとは言わないけど、東京から神奈川県に路線を伸ばしている鉄道会社・東急もヘンな広告やCMを作って物議をかもしている。
車内マナーを呼びかける広告で、「美しい人」とか「おしゃれな人」とかいう言葉で始め、なんかマナー呼びかけてるみたいだけど、なにこれ、という内容。週に一度、東急で通勤しているので、車内のテレビで見るのだが、確かに東急は意識高い系のようで、東急ブンカムラのCMも意識高い系なのだが、この意識高い系というのが揶揄する言葉であるとおり、まったくダサイ意識高い系なのだ。
他の鉄道会社の広告はもっとずっとまともである。

さらにさらに、神奈川県は大丈夫か、というニュースが2つも。
1つは小田原市の生活保護職員が10年間もガンダムの脅迫的なせりふをもとにした日本語と英語の文章を満載したジャンパーをわざわざ作って買って、それを着て生活保護者を訪問していたというニュース。最初ジャンパーを見たときは職員たちは暴走族出身かと思ったが、そのあとガンダムだとわかって、アニオタがノリでやってるのかと思った。しかし、連帯を高めるため、とか言っているので、やっぱりどこか暴走族的なノリなんじゃねーの?
もう1つは、横浜市で福島から原発被害を逃れて移住してきた小学生がいじめっ子から150万円もゆすりとられていたのを、市の教育長が、おごりおごられだからいじめではないと判断したということ。もう、不良も暴力団もおごりおごられだから恐喝じゃなくなるね、横浜市。
ちなみにこの横浜市の教育長は、右翼の教科書を独断で採用と決めてしまった人とのこと。
私は神奈川県生まれなので、こういう話を聞くと本当に悲しくなる。神奈川県民よ、怒れ。

2017年1月17日火曜日

日本アカデミー賞

日本アカデミー賞はスタートしたときから知っていたのですが、まったく関心なし。
理由は、日本映画をあまり見てないので、作品名や俳優などの名前を見てもピンと来ない。
よって、どれが受賞するかとかしたとかどうでもよくなる。
いやいや、それ以前に、実は私は賞とかベストテンとかあまり興味がない人間なのです。
本場アカデミー賞はさすがに気になりますが、どうせ私が推すのはだめに決まってるので(昨年、一昨年はなぜか推したのが受賞)、ふーん、という感じで見過ごしていました。
それ以外だともうほんとに関心がなくて、キネ旬ベストテンも、ほかの人が入れないとかわいそうだから私が入れておこうか、みたいな感じで票を入れてるのが多いのです(つか、そういう映画に惹かれるたち)。
んなわけで、全然関心がなかった日本アカデミー賞。しかし、去年は日本のアニメをいくつか見たし、「シン・ゴジラ」は大好きだし、ということで、ちょっとノミネートの発表をのぞいてみました。
なお、日本アカデミー賞ではノミネートではなく、優秀賞受賞がノミネート相当になっています。
で、その優秀賞受賞は以下のサイトで。
http://www.japan-academy-prize.jp/prizes/40.html

いや、うれしかったのは、「ルドルフとイッパイアッテナ」がアニメーション作品賞でノミネート、いや、優秀賞を受賞していることです。
もう、私以外の人は誰も覚えていないかと思ったよ、「ルドルフとイッパイアッテナ」。
まあ、日テレ枠だとか言われるでしょうが、ヒットしなかったとはいえ、CGアニメとしてよくできているし、内容も感動的でうまくできていたし、日本の四季や1日の光の変化など、なかなか映像的にもがんばっていましたよ。小編成オケとピアノによる音楽もよかった。
忘れられていなかった、というだけで、私は満足です。

「シン・ゴジラ」ですが、俳優が3人優秀賞に入ってますが、あの映画は俳優に普通の演技させてないので、演技賞ものというとどうかと思いますが、それ以上に私が思ったのは、

石原さとみは主演じゃなかったのか?

ということです。

日本アカデミー賞、上のリストを見ると、技術賞などはやはり現場の人が選ばないとわからないよね、という気がします。そのあたりが、評論家やジャーナリストが選ぶものとは一線を画しているのかな。
あと、外国映画賞、5本のうち3本、キネ旬ベストテンで投票してました。なにが、ほかの人が入れないとかわいそう、だよ、自分(いや、そういうのだけ選んでいるのではないので。でも、3本とも、ベストテン圏外でしたが)。

2017年1月15日日曜日

メモとして

映画「この世界に片隅に」についての興味深いブログ記事。

http://ichigan411.hatenablog.com/entry/2016/11/13/233806

http://ichigan411.hatenablog.com/entry/2016/11/16/235307

玉音放送のあとの主人公のせりふの変更については他の人も批判的な意見を述べていました。
私もあのシーンは嫌いです。
あそこでこの映画に対してかなり冷めたというか、そういう感じになりました。
原作を愛し、リスペクトし、原作に忠実に描いてきて、なぜかここだけ急に原作のだいじな部分を消してしまう。そこが問題だという指摘もありました。
監督はこの変更について、当時の普通の主婦の感覚に合わせた、みたいなことを述べていますが、黒澤明が「わが青春に悔いなし」を撮ったとき、「当時の日本にはあのヒロインのような女性はいなかった」という批判を受けたそうです。
片淵監督がこういう批判をするような人と同じ感覚なのか、あるいは、そういう人の方に寄ってしまったのかはわかりませんが(一般受けすることを考えて表現を丸めてしまうということはお金のかかる映画製作ではままあることです)、私は黒澤監督のような表現こそが芸術であると強く主張します。

2017年1月12日木曜日

キネ旬ベストテン

日本映画1位は「この世界の片隅に」。
外国映画1位は「ハドソン川の奇跡」。
まあ、予想どおりでしたが、いろいろ文句は言いたいですが、まあ、これがキネ旬のトレンドということで。
で、外国映画について。
1位 イーストウッド枠ですね、わかります。
2位 これ、そんなに受けてましたか。
3位 スピルバーグ枠ですね、って、そんな枠あったのか?
4位 ありえねえ。実は私も入れたんですが、ありえねえ???
5位 順当です。
6位 順当です。
7位 まあ、順当でしょう(つか、私はこれがベストワン)。
8位 見てません。
9位 好きな映画ですけど、テンに入るほどですかね?
10位 ええ? なんでこれが入るの? 「フランク」はまったく無視したくせに。
次点 私、ヴィルヌーヴは買ってません。あしからず。

日本映画の3位も、ええ、あれ、そんなにいいのか? と思いますが、こっちは投票してないので。
まあ、「シン・ゴジラ」2位おめでとうでございます(私ならこれが1位だよ)。

日本映画はともかく、外国映画はなんか、もっと、ほかにすごい映画あったんじゃね? と思っちゃうんですけど??? 違うのかな?

2017年1月7日土曜日

にゃっぽりラムネとルイボスティー


100均のキャニスター。左が去年3月に買ったにゃっぽりラムネ。このとき買った飴の一部がまだ残っていて、賞味期限2017年2月だったので、これから全部食べます(ほかにミントがある)。
右は南アフリカ直輸入のルイボスティー。ルイボスティーのティーバッグではこれが一番おいしい。業務スーパーで見つけました。
両方とも1つずつポリ袋に入っています。バックのスケジュールカレンダーにはマックの妖怪ウォッチカレンダーについていたシールを貼っていますが、ちらっとしか見えない(ジバニャンです)。

今日の鳥。

飛び立つコサギ。

餌を捕まえたコサギ。

2017年1月6日金曜日

Bird Year

やっと口内炎が治ってきました。昨日、というか水曜までは死ぬほど痛かった。
思えば発端は昨年12月29日、近くの自然公園が30日から元旦まで閉園なので、昨年最後ということで出かけました。
入口には新年のサインが。

高い木の上に鳥が。たぶんアオサギ。

柿がまだ残っている。鳥も食べない小さい柿。

こちらは上とは違うアオサギ。

さて、このあと、久々にイケアに行こう、と思い立ち、イケアに行ってレストランでブロッコリとミニトマトをたっぷり盛ったサラダを食べ、イケアは見るだけでニトリで買い物をして帰り、近所のスーパーで久々に半額のさぼてん(弁当)を買い、夕食に。
このあと悲劇が。
実は私はトンカツの衣のような硬いものを食べると舌が内出血して大きな血豆ができてしまう、という体質です(いつもではないが、ときたまそうなる)。
調べたら、これは病名もついていて、ただ、原因も治療法もわからない。治るのを待つしかない。
とにかく血豆が大きいので、自分で潰すことになるのですが、そのあと、そこが口内炎のような潰瘍になる。軽く済む場合が多いのですが、たまに重症化して1週間くらい激しい痛みが続きます。
今回はそれでした。
が、そのとこがわかるのはまだ少し先。
その前に、胃が弱っていて、野菜類が消化できなかったようで、戻してしまったのです。
さぼてんとイケアのサラダには何の罪もない、単に胃が弱ってる、というのはすぐわかりました。
幸い、胃の具合は2日くらいで治りましたが、その頃から舌の口内炎に激痛が。
胃が食べたがっているのに口が食べられないって、ほんとにつらい。
この舌の口内炎(舌炎というらしい)の痛みって、もう、半端ない痛みです。塗り薬とか買ってみましたが、まったくの無駄。
大晦日あたりから激痛になってきたんですが、大晦日は谷中のお寺に行ってました。
出かけた頃はまだ激痛ってほどではなかったのです。
酉年の絵がかかってます。

この日は静かでしたが、1月2日に初詣と思って出かけたら、この毘沙門天の鐘の前に行列ができていてびっくりしました。

お堂の中。

それで本堂の方だけお参りしましたが、これは本堂の中(お寺の写真はすべて大晦日に撮ったもの)。


上野公園。これは2日に撮ったもの。

で、その大晦日に谷中に出かけて、帰る頃に猛烈に舌が痛み出し、5日になってようやく痛みがやわらいできたというところです。
それにしても、口内炎が痛くて話すのもつらい、というのは今回が初めてでした。今までで一番痛かったかもしれない。9月からのダイエットで体力衰えていたのかな、という気もします。

2017年1月1日日曜日

映画「この世界の片隅に」

昨年最後に見た映画は「この世界の片隅に」。
原作を先に読んだ、という話は前に書きました。
原作を読んでから見ると、映画はあまりにも原作どおりなので驚きます。
この映画に関する絶賛評を読むと、映画の評ではなく原作の評では、と言いたくなるほど、映画独自の評になってないのが多いと感じます。
多少の苦言(批判というほどではない)を呈している人も、ああ、原作読んでないな、と思います(原作ではもっと、こうなのでは、と書いているけど、違う)。
「聲の形」をはじめ、原作物は多いのですが、ここまで原作をそのままアニメにしたのは例がないのでは?

それほど、監督の原作への愛が、リスペクトが、感じられるのです(ここ、重要)。

クラウドファンディングで寄付がたくさん集まったのも、原作ファンの力が大きかったのでしょう。そして、監督が、なによりこの映画を原作ファンのために作った、というのがよくわかるのです。

その一方で、ここまで原作を忠実にアニメに再現した映画が、原作を無視するような形で大絶賛されてるのはどうよ、という疑問も。

文学の映画化を原作と比較する映画論をいくつも書いてきた身としては、映画化する以上、原作どおりではいけない、原作のエッセンスを映画ならではの方法で描くべき、と考える私ですが、アニメは実写と違って、原作の絵をそのまま使うことになるので、文学の映画化よりは原作そっくりになるのはやむを得ないのかもしれません。
では、この映画の場合、原作にはできない映画ならではの良さは何なのか。

1 色彩設計
 原作はモノクロの線画ですが、映画はカラー。水彩画をモチーフにした色彩設計がすばらしい。原作が線画を描くように描写されていたのが、映画は水彩画を描くような描写になっている。

2 のんの声の演技
 この映画が絶賛される背景に、クラウドファンディングによる寄付と、そしてのん(能年玲奈)が芸能界で干される中、この映画に声の主演を果たした、という2つの美談がありますが(この美談が強調されすぎるのがまた、私の頭に引っ掛かりを作っていた)、のんの声の演技はこれ以上はないと思うほどの名演です。干されていたから声の出演を依頼できた、という意見もあるようですが、どちらにとってもこれはすばらしい結果となっています。

3 コトリンゴの歌
 のんの声と並んで、映画のイメージにぴったりの歌声。
 このほか、爆撃の音声なども原作では表現できない映画ならではのもの。

4 爆撃以後の部分が原作より長いので、戦争の悲惨さがわかりやすい。
 原作だと戦時中なのに幸せそう、みたいに安易に思われてしまうシーンが長いのですが(実際は、そういうシーンの影の部分がきちんと描かれているが)、映画はさすがにそちらは短め。また、原作の方が描写が悲惨だったはず、という意見がありましたが、むしろ映画の方が悲惨さを強調しているシーンがあります。たとえば、憲兵の怖さは映画の方が上、そして、結末近くで主人公たちが出会う子供の原爆で死んだ母の絵は原作よりも悲惨さを強く感じます。

(追記 ただ、原作よりも映画の方がよくない表現になっているところもいくつかある。原作にはちらりと見えた日本も加害者だということ、終戦時にそれまで正義だと思っていたものがそうでなかったとわかる、といったことが削られ、特に終戦時のすずのセリフには非常な違和感を感じた。また、空爆は日本も行っていたが、その点は原作にも描かれていない。)


トランプを大統領に当選させたアメリカのオルト右翼(ネトウヨみたいなもの)が「ローグ・ワン」にけちをつけている、というニュースがあり、そのけちというのが、女性が主役だからとか中国人が出ているからとか、性差別、人種差別的な意見で、そういう「ローグ・ワン」批判が多いと知ると、私が書いたような、そういう立場ではまったくない批判が書きにくくなってほんといやです。
「この世界の片隅に」も映画評がイマイチよくない、手放しの絶賛や見当違いの絶賛しかないのかよ、と思っていて、でも、そういう風潮に疑問を持つと逆に書けないわけで、だから年が明けるまで書かなかったのですが、上のようなことはメモ的に書いておくことにしました。

謹賀新年2017

あけましておめでとうございます。

今、除夜の鐘が聞こえています。
2015年の大晦日の記事で、以前住んでいた区はお寺が多かったので毎年除夜の鐘がよく聞こえたが、今年は郊外の団地に引っ越したので聞こえない、と書きましたが、窓を開けると遠くから聞こえます(去年は気がつかなかった)。
調べてみたら、1キロかそこら離れたところにお寺があるようです。
それはいいけど、除夜の鐘をかき消す救急車のサイレンがすごい。年明け早々、救急車で運ばれるのか。そのお寺の手前に救急病院があるのだよね。

さて、私事ですが、例のゆるやかにダイエットが急展開。
ついに目標の4キロ減を達成しました!
しかし、それは、胃を悪くして食べたものを全部戻してしまい、その後もあまり食べられない、おまけにものすごく大きな口内炎ができて、痛くて食べられないから。そんなこんなの目標達成なので、まともな減量ではありません(胃と口内炎が治ればまた戻ってしまう)。
30日は本当に何も食べられない状態でしたが、大晦日は少しずつですが、食べたいものを食べられたので満足。
お正月もおとなしくしている予定です。