昨年最後に見た映画は「この世界の片隅に」。
原作を先に読んだ、という話は前に書きました。
原作を読んでから見ると、映画はあまりにも原作どおりなので驚きます。
この映画に関する絶賛評を読むと、映画の評ではなく原作の評では、と言いたくなるほど、映画独自の評になってないのが多いと感じます。
多少の苦言(批判というほどではない)を呈している人も、ああ、原作読んでないな、と思います(原作ではもっと、こうなのでは、と書いているけど、違う)。
「聲の形」をはじめ、原作物は多いのですが、ここまで原作をそのままアニメにしたのは例がないのでは?
それほど、監督の原作への愛が、リスペクトが、感じられるのです(ここ、重要)。
クラウドファンディングで寄付がたくさん集まったのも、原作ファンの力が大きかったのでしょう。そして、監督が、なによりこの映画を原作ファンのために作った、というのがよくわかるのです。
その一方で、ここまで原作を忠実にアニメに再現した映画が、原作を無視するような形で大絶賛されてるのはどうよ、という疑問も。
文学の映画化を原作と比較する映画論をいくつも書いてきた身としては、映画化する以上、原作どおりではいけない、原作のエッセンスを映画ならではの方法で描くべき、と考える私ですが、アニメは実写と違って、原作の絵をそのまま使うことになるので、文学の映画化よりは原作そっくりになるのはやむを得ないのかもしれません。
では、この映画の場合、原作にはできない映画ならではの良さは何なのか。
1 色彩設計
原作はモノクロの線画ですが、映画はカラー。水彩画をモチーフにした色彩設計がすばらしい。原作が線画を描くように描写されていたのが、映画は水彩画を描くような描写になっている。
2 のんの声の演技
この映画が絶賛される背景に、クラウドファンディングによる寄付と、そしてのん(能年玲奈)が芸能界で干される中、この映画に声の主演を果たした、という2つの美談がありますが(この美談が強調されすぎるのがまた、私の頭に引っ掛かりを作っていた)、のんの声の演技はこれ以上はないと思うほどの名演です。干されていたから声の出演を依頼できた、という意見もあるようですが、どちらにとってもこれはすばらしい結果となっています。
3 コトリンゴの歌
のんの声と並んで、映画のイメージにぴったりの歌声。
このほか、爆撃の音声なども原作では表現できない映画ならではのもの。
4 爆撃以後の部分が原作より長いので、戦争の悲惨さがわかりやすい。
原作だと戦時中なのに幸せそう、みたいに安易に思われてしまうシーンが長いのですが(実際は、そういうシーンの影の部分がきちんと描かれているが)、映画はさすがにそちらは短め。また、原作の方が描写が悲惨だったはず、という意見がありましたが、むしろ映画の方が悲惨さを強調しているシーンがあります。たとえば、憲兵の怖さは映画の方が上、そして、結末近くで主人公たちが出会う子供の原爆で死んだ母の絵は原作よりも悲惨さを強く感じます。
(追記 ただ、原作よりも映画の方がよくない表現になっているところもいくつかある。原作にはちらりと見えた日本も加害者だということ、終戦時にそれまで正義だと思っていたものがそうでなかったとわかる、といったことが削られ、特に終戦時のすずのセリフには非常な違和感を感じた。また、空爆は日本も行っていたが、その点は原作にも描かれていない。)
トランプを大統領に当選させたアメリカのオルト右翼(ネトウヨみたいなもの)が「ローグ・ワン」にけちをつけている、というニュースがあり、そのけちというのが、女性が主役だからとか中国人が出ているからとか、性差別、人種差別的な意見で、そういう「ローグ・ワン」批判が多いと知ると、私が書いたような、そういう立場ではまったくない批判が書きにくくなってほんといやです。
「この世界の片隅に」も映画評がイマイチよくない、手放しの絶賛や見当違いの絶賛しかないのかよ、と思っていて、でも、そういう風潮に疑問を持つと逆に書けないわけで、だから年が明けるまで書かなかったのですが、上のようなことはメモ的に書いておくことにしました。