うー、梅雨はどこへ行った?と言いたくなる毎日。
暑いし、空は真っ青だし、こういうときは海へ行きたいが、引越して海が遠くなってしまった。
で、涼でもとってください、と、数年前に江の島へ行ったときの写真を。
4月だったので、生シラスがあったのだよね。ああ、また食べたい。
というわけで、ずっと更新してなかったのは単に話題がなかったから。
映画は「セールスマン」以来見てないし、鳥や花の写真も撮りに行ってないし。
先月はずっと喉の具合が悪くて、そのせいで体調も悪くて、あまり活動できなかった。
今月に入ってようやく喉が以前よりはよくなってきたけれど、なんか疲れちゃって、火曜日は風にあたりながら一日寝ていた。
図書館から3冊、本を借りているのだけれど、うーん、なんか面白くない。
ミュージカルの歴史についての本だけれど、もともと知識があったからさほど新しい発見もないし、個別のミュージカルは知っているものは別に解説してもらわなくてもいいし、知らないものは文字で読んでもイマイチ、ピンと来ない。
1冊はアラン・J・ラーナーの書いた本で、あと2冊は日本人の書いたものだけど、こういうのって、日本人の場合、どうしても、自分がいかにミュージカルをブロードウェイの劇場で見ているかの自慢が入ってくるのだね。
文学や映画と違って、演劇は外国のものは現地でオリジナルを見られる人が断然有利で、それができない人はシェイクスピアのテキストと格闘するくらいしかできないのはわかるので(いや、それだって、イギリスでしょっちゅうジツブツを見てる人の勝ちか)、結局お金のある人が有利なんだよね、という、貧乏人の僻みになってしまうのだ。
そして、今読んでいる3冊目の本は、英文学の大御所の書いた本なのだが、ミュージカルは文学である、それ以外のものはミュージカルではない、みたいな書き方が非常に鼻につく。それって、あなたの個人的見解にすぎないのでは? 実際、個人的見解以外の立証がないし。
その上、この人、まあ、年から考えたらしかたないのかもしらんが、無意識の女性差別がある。
「アニーよ、銃をとれ」で最後のアニーが恋人のためにわざと負けるのをいろいろ弁護しているが、実際はアニーが勝っているとしても、女は勝っていても男のためにわざと負けるべき、という刷り込み自体が問題なのがわかってない。(この本が20世紀に書かれたのなら、まあ、時代が古いからね、と思えるが、10年くらい前に出た本なのである。)
そして、「マイ・フェア・レディ」。実は私はこのミュージカル、まあまあ好きな方ではあるけど、なにか好きになれないところがあったのだが、この著者によると、このミュージカルはイライザとヒギンズの両方が成長するのだという。イライザの成長はわかるが、ヒギンズが? ヒギンズはそれまで女性を馬鹿にしていたが、イライザが成長して自分と対等に議論できるまでになったことで、女性蔑視をしない男に成長するというんだけど、そうだっけ?
「イライザ、僕のスリッパはどこ?」って、結局イライザに母親を求めているんじゃん、と私はずっと思っていた。
そう、私はヒギンズが最後まで嫌いだったのだ。
「ピグマリオン」の結末の方が正しいのだろうと思う。
この英文学の大御所の本がとにかくこういう感じなので、読むのが苦痛なのだが、ここまで来たら最後まで読むしかないというか、評論とか研究とかしていると、腹が立つ文章でも参考資料として読まなければならない場合が多いのだということを久しぶりに感じている。