2018年4月29日日曜日

また東大出の芸人「学者」が、と思ったのだが:この記事の問題点

5月4日追記
阿部幸大については反論のブログがいくつか書かれているのだが、最近読んだブログに興味深いものがあった。
ブログ主は北海道出身のようで、阿部氏の出身高校がエリート校であるということを具体的に書いているのだが、追記として非常に興味深いことを書いている。
勉強ができる男の子はいじめられるので、不良のようなワルとつきあうことで自分を守る、ということが田舎にも都会にもある。
不良たちには何か本当に問題のあることをするときはこの成績のよい子は巻き込まないようにするという仁義がある。
阿部氏が、不良仲間が事件を起こして矯正施設送りになり、自分はその場にいなかったので運がよかったと書いているが、それは仲間が彼を巻き込まないようにしたので、阿部氏はそれに気づいていないか、無視しているのだ、とブログ主は言う。
そう考えると、阿部氏が釧路の文化施設と縁がなかった理由がわかる(上が本当だとしてだが)。周囲には大型書店やシネコンや博物館に行く生徒がいても、そういう生徒を友人にできなかったのだ。そして、親もそういうところに連れていっていなければ、施設があるのはわかっていても自分はそこへは行けないというか、不良仲間をさしおいてそういうところに行くわけにもいかず、また、当時は本人も興味がなかったのかもしれない。

(以下、本記事)

最近一部で話題になっているこの記事。
「「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55353

著者は阿部幸大という1987年生まれの東大大学院博士課程在籍で、現在フルブライト奨学生としてニューヨーク州立大学大学院に留学中という人物。専攻は上の記事では文学研究者となっているが、論文を見るとアメリカ文学専攻のようだ。
ほかに英語教育関係の共著があり、「ユリイカ」にも執筆している。上の記事は講談社のメディアだ。
ツイッターを見ると、いかにも最近の「研究者」のような雰囲気、大学に就職してマスコミでご活躍になりそうな、古市某のようなイヤな雰囲気を感じ、上の記事も違和感バリバリだったので、またも東大院から芸人「学者」デビューか、と思ってしまった。

上の記事については次のような反論があり、トゥゲッターでまとめられている。
https://togetter.com/li/1222112

私の感じた違和感はまさに上の高校教師の言うことそのものだった。
阿部氏は北海道釧路市出身だが、友人が釧路に住み、日本製紙クレインズの応援で釧路の人々と知り合い、釧路の町も何度となく訪れた私の実感とあまりにもかけ離れたことを阿部氏が書いているのだ。

それで、また東大出の芸人「学者」が嘘を盛って受け狙いの記事を書いた、しかも共感する人多数、こういう記事がもてはやされる世の中なのだよね、と思ってしまったが、もう一度読んでみると、かなり違う感想が頭に浮かんだ。

阿部氏は自分が釧路の子供の典型だと思っているのだろうか?
阿部氏は自分が田舎の子供の典型だと思っているのだろうか?
阿部氏は自分の家庭環境を田舎全体の問題ととらえただけでなく、田舎といっても比較的都会の釧路を田舎の典型ととらえてしまっているのではないか。

阿部氏の記事のタイトルは、ほんとうはこうなるべきだったのではないのか?
「文化教育的に底辺家庭出身の釧路市の裕福な田舎者が、東大に入って絶望した理由」

阿部氏は高校は釧路どころか北海道でも上位を争う進学校であり、中学は日本製紙クレインズの本拠地のアリーナがある地域の学校で、底辺どころかアイスホッケーで有名、学力的にも優れているという。全然「底辺校」ではない。アイスホッケー選手は推薦で東洋大学などに進学しており、ホッケーで大学進学を考える生徒もいるだろう。クレインズの選手にも大卒が多い。
日本製紙クレインズのアリーナがある、ということは、私が何度も行った場所なのだ。
釧路は面積が広いので、新しい住宅地ができるとそっちが中心になるというように、中心地が移りやすい町だが、この地区は昔から市街地といっていい場所だ。夜の試合が終わったあと、バスがもうないので、釧路駅まで40分くらいかけて歩いたことがよくあったが、街中を歩く感じで全然怖くない。途中にスーパーとかいろいろある。
阿部氏の高校は明らかにトップクラスの進学校、中学は公立なので優等生から落ちこぼれ、不良もいただろうが、「底辺校」とは言えないだろう。まずここに嘘がある。
それ以外にもいかに嘘と言われてもしかたないことが多いかは、上のトゥゲッターを見ればわかるのだが、二度目に読んだときは、受けをねらったというよりは、阿部氏が自分個人の経験を田舎の子供全体にあてはめて書いているからおかしいのだとわかった。そして、阿部氏が書こうとしないことに注目してみると、なんとなく全体が見えてきた。

上の記事から読み取れる阿部氏の「底辺」環境は、
1 父親が小学校も出ていない。母親は中卒。親戚に大卒はいない。
2 しかし、大変裕福な家であるらしい。阿部氏は東京の大学に行ける程度には裕福と書いているが、阿部氏の東大受験のため、かどうかはわからないが、とにかく一家で東京に移住し、阿部氏は東京の自宅で浪人したというのだ。しかも、阿部氏は2年浪人している。都会でも2年浪人は経済的に苦しい。おそらく、阿部氏のカルチャーショックは東大に入ってからではなく、この2年の浪人生活の中ですでに起こっていただろう。
3 阿部氏は中学までは友達が不良であったらしい。その友達が事件を起こして矯正施設に入ったようだが、阿部氏が捕まらなかったのはそのとき一緒にいなかったからだと言う。また、不良の友達は自分以上に優秀だったのに、それを生かす選択肢を示されなかったので、人生を棒に振ったのだと言う。阿部氏のこの記事の一番根元にあるのは、不良だった友人たちへの罪悪感であるようだ。自分だけがいい思いをしてしまった、ということだろう。
4 地方ではよくあることだが、高校受験は公立一択なので、失敗すると浪人になるから、確実なところを受ける。阿部氏は中学の成績がよかったので、トップクラスの進学校に進み、そこで大学進学について初めて知る。親も大学進学など考えたことがなかった。ここで、子供は大学に入れるのが前提の環境にある人との違いが述べられているが、自分を田舎の子供全般にしようとしているのでいろいろとほころびが出る。自分はこうだった、と書けばわかるところを、一般論にしようとしているので、結果的に嘘になる部分が出てくるのだ。

まとめると、文化教育的環境が底辺である家に生まれ、友達は不良だったが、道をはずさずに済んで、成績がよいので進学校に進み、大学受験の話が出てきて親はびっくり、でも親が金持ちなので、一家で東京に移住して2浪して東大文Ⅲに合格。

これを田舎の典型的な子供の話にするのはかなり無理がある。

確かに地方だと近くによい大学がない、遠くの大学へ行くのは経済的に無理、あるいは保守的な周囲が反対する、といった田舎特有の問題はあるのだが、阿部氏の場合は環境がちょっと特別すぎる気がするのだ。
都会でも文化的教育的環境が底辺である家はあり、そこの子供が成績がよくて大学進学の話が出てきたとき、貧乏だから無理、となるか、奨学金という名の借金漬けになるかではないか。都会では文化的教育的環境と経済環境が比例しやすい。
阿部氏の場合は、文化的教育的環境と経済環境が反比例していたが、それゆえに、選択肢が出てきたときに東大に進学できたのだ。
阿部氏は教育格差について貧富の差ばかりが論じられるのに疑問を感じ、地域格差を出してきたのだが、結局は金があるかないかになってしまわないか?
自分は金持ちの家に生まれたけど、文化的教育的環境が底辺だったから、下手すれば不良で終わったかも、実際そうなった友達がいたし、と阿部氏は書いているにすぎないのでは?
文化的教育的環境がよければ不良も減るし、子供も生きがいが持てる、というのはそのとおりだと思うが、貧富の差と文化的教育的環境の差は都会はこっち、田舎はこっちと分けることはできないわけで、複雑に入り組んでいる。

阿部氏の記事ついてのコメントを見ると、共感する人にはいろいろとルサンチマンがあるなと感じる。自分は恵まれていなかった、という感情だ。私自身にもあるが、私の場合は、文化的教育的環境はよかったが、経済環境が最悪だった。親がああいう状態なのに高校に行っていると陰口をたたかれた。大学に行けたのは、父が交通事故で亡くなって、保険金が入ったからである。そういうルサンチマンがあるので、裕福な出身の阿部氏の記事には批判的になるのかもしれない。

追記
いろいろ考えたが、やはりこの阿部氏の主張は、東大生は金持ちの子供が多いという主張に対し、金持ちの子供でも苦労してるんだぜ、ということに尽きるという気がしてならない。
不良だった友達は裕福な家の子供だったのだろうか。裕福だけど文化的教育的環境が悪い、という子どもがたくさんいたと言うのだろうか。
何か、違うような気がする。

追記2
考えてみたら、阿部氏は高校卒業と同時に一家で東京に移住したとのことなので、釧路市とはそこで縁が切れたというか、思い出の中の空想世界になってしまっているかもしれない。
東京では東大に入るような金持ちの優等生としかつきあいがなく、都会の普通の人や貧しい人と知り合う機会もほとんどないだろう。家が金持ちで東京で自宅だから都会の貧乏学生生活も知らない。浪人して東大に入り、そのまま大学院に進んだままで、今はニューヨークの大学院に留学中だが、東京や首都圏の実社会を知るチャンスが非常に少ないのではないか。
そして、東京や首都圏では最近は中学受験する子供が多く、いろいろな子供と知り合うのは小学校までで、中学以降はエリートはエリートだけの世界、落ちこぼれは落ちこぼれだけの世界になるという。首都圏で育った東大生も金持ちのエリートしか知らないかもしれない。
つまり、阿部氏は釧路のこともよく知らず(不良と遊んでばかりで、それでも勉強しなくても成績優秀だったのだろう)、東京のこともよく知らない可能性があるのだ。世界が狭いと言えばそれまでなのだが、世界が狭い人がああいう論考を書いてはいかんし、それを無条件で載せてしまう方はもっと悪い、のだが、本田由紀はじめリベラルエリートがけっこう絶賛しちゃってるんで、編集者が気がつかなくてもしかたないんだろう。なんか、いろんな意味で日本は劣化してる。

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https://sabreclub4.blogspot.jp/2018/05/blog-post.html