やっと夢枕獏の原作を読んだ。
最初は楊貴妃が出てくる予定じゃなかったとか、プロット立てずに書き始めたのがよくわかる。
あまり伏線とかないタイプ。どう転がるのかわからないよさ。
逆に映画は非常に綿密に作られた脚本で、伏線がいくつもあり、それが全部回収される。理詰めの映画で、一度見てわからないところも何度か見ると全部わかるくらい作者(監督や脚本家)の意図が強い。
映画は原作を換骨奪胎していて、特にキャラクターの設定などが大幅に変わっているが、あのシーンは原作のここを使ったのか、というのがわかるところも多く、違う話になっていてもやはりこれが原作だとわかる。
楊貴妃を最初から出す予定だったら白楽天をもっと前面に出したのではないか、という気がする。
というところで、図書館から白楽天に関する本を2冊借りてきた。
川合康三「白楽天ーー官と陰のはざまで」岩波新書
下定雅弘「白楽天」角川ソフィア文庫
岩波新書の方はツイッターで紹介されていて、なんか、白楽天て、友達大好き、ご飯おいしい、寝るのが大好き、な人で、「空海」見た人は読んだ方がいい、というので。
えええ、あのテンション高い白楽天は映画が勝手に作ったイメージではないの?
角川ソフィア文庫の方は白楽天の短い詩を紹介しながら解説している本で(初心者向けの入門書)、目次を見ると、「タケノコがうまい!」とか、「閑なポストでつまらない」とか(白楽天は科挙に合格したエリート官僚)、うーん、やっぱり映画のイメージに近い人だったのかも?
「タケノコがうまい!」のところだけちょっと読んだら、10日もタケノコばかり食べてるとか、タケノコご飯を自分で作ってるとか、読んでいたら上野動物園のタケノコスパゲッティがまた食べたくなった。
上の2冊はこれから読みます。
あと、これも借りた。
陳凱歌「私の紅衛兵時代」講談社現代新書
翻訳の刈間文俊は「空海」のセリフの翻訳を担当していた人。「さらば、わが愛」でも字幕監修だったらしい。
ちなみに、「空海」は吹替えより字幕の方がわかりやすいし情報量も多い。
吹替えと字幕は大半は同じ訳になっていたが、一部吹替えを手直ししてよくなっているところがあるのと、漢字にふりがなが最強の日本語で、これだと意味と読み方の両方がわかる。これまで中国映画で名前がわかりにくいと思ったのはふりがながなかったからのようだ。「空海」はむずかしい漢字は最初に必ずふりがながつくので非常にわかりやすい。人名地名はもちろん、呪術の用語も漢字とふりがなでよくわかる。正直、吹替えだとわかりにくい日本語がけっこうあった。
欧米映画などに比べて字幕の方が情報量が多いと感じるのは、漢字が多いためだろう。欧米映画などだとカタカナで字数をとられてしまう。
さて、タイトルの「空海」に関する疑問と答えだが、ネットで見たいくつかの疑問や自分が感じて答えを見つけられた疑問を少し紹介。ネタバレ全開なので注意。(前の記事に書いたものもあります。)
1 無名の留学僧にすぎない空海がなぜ病気の皇帝のもとに呼ばれるのか?
青龍寺の恵果和尚(=スイカの妖術師&丹龍)が推薦したと思われる。空海は青龍寺に行っても山門すら開けてもらえないと言っているが、恵果は空海の優れた能力を知っていたと思われる。そして、丹龍としての彼は、空海が白龍の魂を救える唯一の人物だと思ったのではないか。だからスイカの妖術師となって現れ、空海を白龍へと導く。
胡玉楼での化け猫騒動のあと、白楽天が役人に向かい、「この空海は倭国では有名な祈祷師で、化け猫退治にはぴったり」と言い、そばで空海が「え?」という顔をするシーンがあり、有名な祈祷師でもなんでもないことがわかる。白楽天は知り合ったばかりの空海とおつきあいしたいので、空海が長安に残れるようにこう言ったのだろう。
2 皇帝が死んだあと、外に出た空海と白楽天が光る猫の足跡を見るが、なぜ光るのか?
皇帝の寝床のまわりに光る粉がまかれている。空海の履物にそれがつき、役人から拭くように言われる。猫も皇帝に近づいたので足にこの粉がついたのだ。
3 白楽天の長髪がウエーブがかかっているときとストレートのときがある。
白楽天は最初、役人として登場し、髪はアップにしている。が、公文書に嘘は書けない、として役人をやめ、髪をおろす。この、役人をやめた直後の髪にウエーブがかかっているが、このあと、だんだんストレートになっていく。つまり、髪を毎日アップにしていたのでウエーブがかかっていたが、役人をやめてアップにしなくなったのでストレートになっていったわけ(細かいなあと感心)。
最後の方で白楽天がまた髪をアップにするが、これは彼が役人に復職したということなのだろうか?
追記 別記事で解説しました。
https://sabreclub4.blogspot.jp/2018/05/blog-post_2.html
4 胡玉楼のシーンで、麗香が階段の手すりにかんざしを刺すが、そのあと上の部屋にかんざしがあるのはなぜか?
かんざしを刺したところの下に何か黒いものがいるのだが、何度見てもそれが何かわからなかった。角川シネマ新宿の大きいスクリーン1で見て、ようやく黒い置物みたいなのがあるとわかった。猫そのものではないが、猫が化けたものなのだろう。
5 猫は左の後ろ足をけがしている、と足跡から空海は判断するが、なぜそこをけがしているのか?
白龍が楊貴妃を生き埋めにするのを止めようとしたとき、黄鶴に左足のひざの裏を棒で殴られる。その後、白龍と丹龍が楊貴妃の墓に来たとき、白龍は木の枝を杖にしている。ただ、白龍の乗り移った猫は特に足をけがしているようには見えない。
6 白楽天が書庫で言う「比翼の鳥」とは?
翼が片方しかない鳥で、男と女が一体とならないと飛べない。一心同体である男女。西洋ではプラトンが主張し、その後ロマン主義でさかんに描かれるようになった愛がこれとよく似ている。
長恨歌の最後の部分にこの言葉が登場する。
「天に在りては願わくは比翼の鳥と為り」
映画では丹龍と白龍が比翼の鳥のようでもある。楊貴妃は2人に、1人欠けても白鶴でなくなる、と言う。
7 空海がスイカの妖術師(丹龍)に猫の謎について聞くシーンで、妖術師は「妖術にも仕掛けがある」と言うが、中国語のわかる人によると、ここは「仕掛け」ではなく「真相」と言っているらしい。が、そのあと空海が「それでは猫に真相があるということですね」みたいなセリフを言う。おそらく「真相」には「仕掛け」という意味もあって、それをわかりやすくするために「妖術には仕掛け」「猫には真相」というふうに訳しわけたのではないか? 翻訳ではよくやる手である。
8 楊貴妃は生き埋めにされたという猫の言葉を信じた空海に怒った白楽天が廊下の向こうへすたすたと歩いていくが、向こうまで行ってまた戻ってくるのはなぜか?
出口を間違えた説(笑)。
9 空海と白楽天が楊貴妃の最期を知る老婦人から話を聞いたあと、外へ出ていくが、カメラは室内の天井の方をしばらく向いているのはなぜか?
ここは絶対猫が映っている、と思い、何度もここで目を凝らしたが、角川シネマ新宿のスクリーン1でのみ、猫の尻尾が動くのが見えた。(目が悪いのかな、自分?)
10 阿倍仲麻呂はなぜ、自分は無情な人間だと言うのか?
仲麻呂は日記で「自分はなんと無情な人間なのか」と書き、そのあと、「皇帝の妃を愛してしまった」と続くが、皇帝の妃を愛したことが無情なわけないので、これは、楊貴妃をだまして殺す計画が進んでいるときに彼女を救うことを何もせず、黙って見ていただけだったことを言っていると思われる。白龍だけが彼女を救おうとしたのだ。
11 仲麻呂が楊貴妃に日本へ連れて行きたいと言ったとき、楊貴妃は断るが、そのあと、極楽の宴で自分に言おうとしたことを言ってほしいと言う。そのあと、極楽の宴の酒の池のところで、黒猫を抱いた楊貴妃を安禄山、玄宗、仲麻呂が取り囲んでいるシーンがある。この3人は楊貴妃を愛した男たちだが、仲麻呂の背後に高力士がいる。高力士も楊貴妃を愛した男の1人なのか?
夢枕獏の原作では、高力士も楊貴妃を愛していた。ただ、宦官なので、玄宗を通して彼女を愛していたと語る。原作では高力士は腹黒いところのある男だが、映画ではほんとうに人のよい善人にしか見えない。仲睦まじい玄宗と楊貴妃を背後からにこにこと見ているところとか。その彼が楊貴妃殺害の罪を1人で引き受けさせられるところは、政治家のスキャンダルで、その秘書が自殺して1人で罪をかぶるのを連想させられる。原作では男たちの腹黒い策謀が楊貴妃を悲劇に追いやったように描かれているが、映画ではむしろ、玄宗のためにまわりが忖度していってああなったように見える。
12 楊貴妃の棺のところへ来たとき、白龍は丹龍がすべて知っていたと知る。「なんでここに来た? 何を見たかったんだ?」と白龍は言うが、丹龍はわかっていながらなぜ来たのか?
白龍が心配だったから。丹龍は、おまえには俺しかいない、と言うが、白龍は、貴妃様がいる、と返す。
13 楊貴妃を蠱毒から救おうとした白龍が、最初は猫を殺そうと思うが、やめて自分の体を犠牲にしたのはなぜか?
白龍が楊貴妃の体に触ったとき、手に蠱毒の蟲がつき、それが白龍の服の中に入ってしまう。それで猫ではなく自分の体を犠牲にしようと思ったのだと思ったが、それ以前に猫を殺すのをやめたようにも見えるので、猫を殺したくなかったのかもしれない。
14 桜の木の下に楊貴妃の幻を見た白龍(猫)が戻ると、台の上にかんざしがあるのはなぜか?
極楽の宴でかんざしを拾ったのは丹龍。かんざしは丹龍が持っていた、と考えると、丹龍が置いていったと思われる。そのあとのシーンでは、空海の部屋に丹龍の置いていったスイカと極楽の宴の招待状がある。
白楽天の長恨歌の最後に、あの世に行った楊貴妃が玄宗の使いで来た道士に、かんざしを半分に割って渡すシーンがある。極楽の宴で楊貴妃のかんざしを拾った丹龍は、それを白龍に渡さない。30年の時を経て、丹龍がかんざしを白龍に渡したとすれば、それは丹龍からの白龍への和解の申し出となるが、白龍はかんざしを見て丹龍を思うよりは楊貴妃を思ったかもしれない。しかし、丹龍が来るという予感を感じた可能性もある。
15 猫が死に、白龍の魂が鶴となって天に召されたとき、白楽天は涙し、丹龍は手を合わせて祈り、空海は微笑んでいる。
中盤で長恨歌を否定された白楽天が涙ながらに「長恨歌を偽りとは言わせない」と言うが、その彼が白龍の楊貴妃への愛と死に涙したことで、最後の「あれは白龍が書いた詩だ」という認識に達する。空海は白龍の魂が救われたというポジティヴな気持ちでいる。1で書いたように、空海を皇帝のところに行かせたのが丹龍(恵果和尚)だとしたら、丹龍は白龍を救えるのは空海だけだと思い、その後も空海が真相にたどり着くようヒントを与え、そして空海が白龍の魂を救うことができた、と見ることができる。
空海は狂言まわしではないと思うのは、白龍の魂を救うためには空海が必要だったのであり、楊貴妃の棺を前にした一連のシーンで白龍を理解し、目を覚まさそうとしているのは空海だからだ。猫が白龍であると空海はすぐにわかるし、最も重要なセリフを言うのも空海だ。この場面に空海がいなかったら、白龍の魂は救われなかっただろう。だから、主人公は空海、でもちっとも間違っていない。
16 空海と別れたあと、白楽天が橋の上から投げるものは?
筆。極楽の宴で楊貴妃を讃える詩を書いた李白が「一字も書き直さない」と言って筆を池に投げ入れたように、白楽天も「長恨歌を書き直さない」という意味で筆を川に投げ入れる。
17 ラスト、昼寝する白楽天のそばに落ちた楊貴妃と黒猫の絵の意味は?
白楽天の見た夢、だろう。白楽天は楊貴妃の絵を何枚も描いて壁に貼っている(オタク同人作家と一部で言われる所以)。その1枚がひらひらと落ちてきて、楊貴妃のそばに猫が現れ、楊貴妃の腕に抱かれて終わる。10で書いた、楊貴妃が猫を抱いているシーンと対応する。楊貴妃を愛した男たちは彼女を救おうとしなかったが、白龍(猫)だけが彼女を救おうとした。多くの男たちに愛された楊貴妃だが、楊貴妃の愛を受けるに値する男は白龍だけである。