「マルクス・エンゲルス」を「空海」のような歴史上の人物2人のバディーものだと思って見に行ったら違った、というツイートを以前読んで笑ってしまったが、マルクスとエンゲルスがホームズとワトソンって、いつか誰かがやるんじゃないのかと思ってしまう(マルクス研究者くずれが作家になって、とか)。
この映画、岩波ホールでの公開が終わったあと、新宿と有楽町で上映していたが、1日1回でレイトとか、行くの無理、だったので、今日からの千葉劇場に期待していた。そして、さすがは千葉劇場、初週は1日3回、午前、午後、夜です(次週からは1日1回になるかも)。
早速行ってきました。けっこう入っている。高齢者多い。
原題は「若き日のカール・マルクス」だけれど、マルクスとエンゲルスが対等の主役なので、邦題の「マルクス・エンゲルス」の方がぴったりしている。
20代の2人が「共産党宣言」を書き始めるまでの話で、2人の妻たちも社会改革主義者。マルクスの妻は貴族、エンゲルスの妻はプロレタリアートだが、社会改革への情熱は夫に負けない。
マルクスというと、資本家の息子のエンゲルスから経済援助を受けていたことくらいしか知らなかったが(「共産党宣言」は大学時代に読んでますが)、マルクスは妻と2人の娘を抱え、常に家族を養うことを考えなければならず、一方、エンゲルスの妻は「子供を持つことで自由を失いたくない」と言い、「妹が彼の子供を産んでくれればいい」とまで言う。人間マルクス&エンゲルスとその妻たちはいろいろあったのだろうなあ。
マルクスとエンゲルスが仲間の社会主義者たちのやり方に不満を持ち、彼らを批判していく過程が勉強不足でむずかしかったのと、映像の作りがイマイチで、画面のどこにポイントを置いて映像作りをしているのか疑問に思うシーンが多かったのが心残り。前者については勉強すればよいのでしょう。
というわけで、遠路はるばる、42年ぶりに千葉劇場へ行きました。
降りた駅は京成線の千葉中央駅(旧・京成千葉駅)。
駅から東に向かって歩くのだけれど、42年たっているので完全に見知らぬ街になっている。
この川は覚えていたが、上にモノレールができていた。
反対側。携帯カメラだけど、晴れているのできれいに撮れた。
千葉劇場の写真は撮らなかった(昔と違うし)。場所は昔と同じところのようで、看板の文字も昔と同じだったが、ビルの風情や中はまったく別物になっていた。ロビーが非常に狭く、開場を待つ人が10数人いるともういっぱい。
映画が終わったあと、再び千葉中央駅に戻り、駅ビル内の京成ローザ⑩を見に行く。
ここは6スクリーンのイーストと4スクリーンのウェストに別れていて、イーストに入ってみると、60周年記念の貼り紙が。60周年記念クイズの応募用紙も置かれていたが、60周年を記念する物はこの2つしかなかった。
京成ローザに最後に行ったのはやはり42年前。携帯カメラなのでぼけぼけだけど、上の貼り紙の右下部分。まだシネコンでなく、京成ローザ、千葉京成、京成ウェスト、京成サンセット、京成スタリオンの5館だった頃。スタリオンは30年ほど前に開業のようで、まったく知らなかった。このうち、サンセットだけは引っ越したあとの1981年頃に1度行っている。サンセットは「サンセット大通り」からとった名前らしい。
貼り紙の上の部分。拡大すると読めるかも。
ここもロビーが狭い。6スクリーンもあって大丈夫なのかと思う。
このあと、4スクリーンのウェストにも行ってみた。こちらは都内の古い映画館と似た感じで、ロビーも狭いけど、こういうタイプの映画館でこのくらいなら普通かなという感じ。イーストの方はシネコンスタイルになっているので、ロビーの狭さを非常に感じる。
全体に、千葉中央のあたりはさびれてるのかなあという印象を受けた。京成ローザ⑩もあまり活気を感じない。千葉劇場の方が独自性を出している分、よいのかなあ、という気もする。千葉劇場は角川シネマに似た感じ。また、チラシにきちんと千葉劇場と印刷しているので驚いた。今はチラシに劇場名ってあまりないので。
というわけで、42年ぶりに千葉中央地域の映画館に行ってきたけれど(京成ローザでは映画を見なかったが)、そのあと、書店めぐりをしているときに、30年前にある悲しいことがあり、でもいつかまた自分にもチャンスがまわってくるかもとずっと思っていたことが、もう完全にありえなくなったということを知って、かなーり落ち込んでしまった。
まあ、過去にとらわれているからそうなるので、今回の映画館めぐりも含め、もう過去は切り捨てていくべきだと思った。
2018年6月30日土曜日
「ハン・ソロ」&「判決」&「グッバイ、ゴダール」
今週は試写で「グッバイ、ゴダール」と「判決 ふたつの希望」を見て、そして金曜の初日に「ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー」を見た。
「ハン・ソロ」は初日プレゼントとかで大判のポストカード2枚の入ったポリ袋を渡される。が、絵がださすぎて使う気にも飾る気にもなれない。
どんどんつまらなくなる印象のディズニーの「スター・ウォーズ」だけれど、「ハン・ソロ」はついにアメリカの批評家にも見捨てられ、評判かなり悪そうだったので、見なくてもいいかと思っていたが、やはり公開されると見に行ってしまう。
個人的には「フォースの覚醒」に狂喜乱舞したあと、「ローグ・ワン」でがっかり、「最後のジェダイ」でもっとがっかりだったが、今回の「ハン・ソロ」はもうがっかりを通り越して、最初から期待もせずに見ていた。実際、「ハン・ソロ」に比べたら「ローグ・ワン」や「最後のジェダイ」は一応批評的なことを書こうという気にさせただけよかったのだと思う。
「スター・ウォーズ」の主役たちはみな、大義のためにがんばっているが、ハン・ソロだけはそもそも大義のためにがんばる気のない、ちょっとワルなところもあるやつだったが、若き日のハン・ソロはそういうキャラが全然生かされてなく、なんとなく巻き込まれてチューイに出会ったり、ランドに出会ったりして、なんか最後に来て大義みたいなものが出てきて、ああ、シリーズ化する気なのかなあ、という結末になる。
「ローグ・ワン」は主人公たちが誰もその後の物語に出てこないので、全員死んだのだろうと予想されていたが、「ハン・ソロ」ではソロとチューイとランドは死ぬはずがないので、その辺の緊張感がまるでないのである。
個人的には、久々に見たポール・ベタニーがずいぶん老けていたので驚いた。「ロック・ユー!」や「ビューティフル・マインド」からだいぶ年月が流れたのだと気づいた。
「グッバイ、ゴダール」はゴダールの妻だった女優のアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝の映画化で、五月革命に傾倒するゴダールと、彼につきあいきれなくなるアンヌが描かれる。監督は「アーティスト」のミシェル・アザナヴィシウスで、コメディとして作ろうとしているのだろうけれど、あまり成功していない。
「判決 ふたつの希望」はアカデミー賞外国語映画賞ノミネートのレバノン映画。ハリウッドで修業した監督の作品らしく、娯楽映画としても面白くできている。
自動車整備工のレバノン人のキリスト教徒トニーと、パレスチナ人の現場監督ヤーセルの2人が対立、ののしりあいから傷害事件にまで発展し、裁判になる。
トニーは極右キリスト教系団体によるパレスチナ人へのヘイトスピーチに強く影響を受けていて、ヤーセルにいやがらせをしたあげく、「シャロン(イスラエルの元国防相)に抹殺されていればよかった」という、決して許されないヘイトスピーチをして、ヤーセルに殴られ、ろっ骨を折ったあげく、仕事で無理をして倒れた彼を助けようとした身重の妻は早産してしまう。
ヤーセルの方はトニーにいやがらせされたときに彼をののしってしまい、そのことで謝罪を求められるが、なかなか謝罪せず、やっとのことで謝罪に出向いたときにあのヘイトの言葉を言われ、かっとなって殴ってしまったのだ。
トニーもヤーセルもある種の被害者意識を持っていて、トニーはパレスチナ人ばかりが優遇されているという不満からヘイトに走り(妻や父親はまともな人間で、彼を諌めるのだが聞かない)、ヤーセルはパレスチナ難民として迫害を受けた過去から被害者意識を持っている。このあたり、現在の日本のヘイトに走る人々やそうでなくても被害者意識の強い人々とつながる部分を感じて興味深かった。
違うのは、この映画ではヘイトスピーチをヘイトクライムだと言って、トニーのヘイトクライムとヤーセルの傷害事件のどちらがより悪いかという議論になっているところだ。日本では暴力は絶対いけないと言う一方で、言葉によるヘイトは野放しになっている。
トニーにはキリスト教系極右団体と関係があった弁護士がつき、ヤーセルにはヘイトクライムを許さない女性弁護士がつく。実は2人の弁護士は父娘だったと途中でわかるのだが、トニーの家も妻と父親は穏健なリベラルなのにトニーはヘイターという具合に、家族の中に正反対の立場の人々がいるという設定が面白い。おそらく、レバノンという国にいろいろな立場の人が存在することの寓意になっているのだろう。
実はトニーもヤーセルも自分が悪いことをしたのはわかっている。トニーがヤーセルに求めたのは謝罪だけだったが、ヤーセルは自分に非があるとわかっていても素直に謝罪できない。パレスチナ人の自分の方がずっと大きな迫害を受けてきたと思っているからだが、やがて、トニーにも幼い頃に経験した過酷な事件があったことがわかる。それは40年前のレバノン内戦だった。
ヤーセルの仕事に対するこだわりが自分と同じだと知って、裁判中に思わず顔を上げるシーン、ヤーセルの車のエンジンがかからないのを見て、職業意識からなおしてやるシーンといった細かいシーンの積み重ねで、2人の距離がしだいに縮まっていくのを描き、トニーの過酷な体験を知ったヤーセルの表情と2人が和解するためにとった彼の行動、最後の判決のあとに2人がかわすまなざしといった的確な表現が感動を呼ぶ。面白い娯楽映画であると同時に、レバノンと中東の歴史、そして被害者意識とヘイトというより普遍的なことも考えさせる映画だ。
「ハン・ソロ」は初日プレゼントとかで大判のポストカード2枚の入ったポリ袋を渡される。が、絵がださすぎて使う気にも飾る気にもなれない。
どんどんつまらなくなる印象のディズニーの「スター・ウォーズ」だけれど、「ハン・ソロ」はついにアメリカの批評家にも見捨てられ、評判かなり悪そうだったので、見なくてもいいかと思っていたが、やはり公開されると見に行ってしまう。
個人的には「フォースの覚醒」に狂喜乱舞したあと、「ローグ・ワン」でがっかり、「最後のジェダイ」でもっとがっかりだったが、今回の「ハン・ソロ」はもうがっかりを通り越して、最初から期待もせずに見ていた。実際、「ハン・ソロ」に比べたら「ローグ・ワン」や「最後のジェダイ」は一応批評的なことを書こうという気にさせただけよかったのだと思う。
「スター・ウォーズ」の主役たちはみな、大義のためにがんばっているが、ハン・ソロだけはそもそも大義のためにがんばる気のない、ちょっとワルなところもあるやつだったが、若き日のハン・ソロはそういうキャラが全然生かされてなく、なんとなく巻き込まれてチューイに出会ったり、ランドに出会ったりして、なんか最後に来て大義みたいなものが出てきて、ああ、シリーズ化する気なのかなあ、という結末になる。
「ローグ・ワン」は主人公たちが誰もその後の物語に出てこないので、全員死んだのだろうと予想されていたが、「ハン・ソロ」ではソロとチューイとランドは死ぬはずがないので、その辺の緊張感がまるでないのである。
個人的には、久々に見たポール・ベタニーがずいぶん老けていたので驚いた。「ロック・ユー!」や「ビューティフル・マインド」からだいぶ年月が流れたのだと気づいた。
「グッバイ、ゴダール」はゴダールの妻だった女優のアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝の映画化で、五月革命に傾倒するゴダールと、彼につきあいきれなくなるアンヌが描かれる。監督は「アーティスト」のミシェル・アザナヴィシウスで、コメディとして作ろうとしているのだろうけれど、あまり成功していない。
「判決 ふたつの希望」はアカデミー賞外国語映画賞ノミネートのレバノン映画。ハリウッドで修業した監督の作品らしく、娯楽映画としても面白くできている。
自動車整備工のレバノン人のキリスト教徒トニーと、パレスチナ人の現場監督ヤーセルの2人が対立、ののしりあいから傷害事件にまで発展し、裁判になる。
トニーは極右キリスト教系団体によるパレスチナ人へのヘイトスピーチに強く影響を受けていて、ヤーセルにいやがらせをしたあげく、「シャロン(イスラエルの元国防相)に抹殺されていればよかった」という、決して許されないヘイトスピーチをして、ヤーセルに殴られ、ろっ骨を折ったあげく、仕事で無理をして倒れた彼を助けようとした身重の妻は早産してしまう。
ヤーセルの方はトニーにいやがらせされたときに彼をののしってしまい、そのことで謝罪を求められるが、なかなか謝罪せず、やっとのことで謝罪に出向いたときにあのヘイトの言葉を言われ、かっとなって殴ってしまったのだ。
トニーもヤーセルもある種の被害者意識を持っていて、トニーはパレスチナ人ばかりが優遇されているという不満からヘイトに走り(妻や父親はまともな人間で、彼を諌めるのだが聞かない)、ヤーセルはパレスチナ難民として迫害を受けた過去から被害者意識を持っている。このあたり、現在の日本のヘイトに走る人々やそうでなくても被害者意識の強い人々とつながる部分を感じて興味深かった。
違うのは、この映画ではヘイトスピーチをヘイトクライムだと言って、トニーのヘイトクライムとヤーセルの傷害事件のどちらがより悪いかという議論になっているところだ。日本では暴力は絶対いけないと言う一方で、言葉によるヘイトは野放しになっている。
トニーにはキリスト教系極右団体と関係があった弁護士がつき、ヤーセルにはヘイトクライムを許さない女性弁護士がつく。実は2人の弁護士は父娘だったと途中でわかるのだが、トニーの家も妻と父親は穏健なリベラルなのにトニーはヘイターという具合に、家族の中に正反対の立場の人々がいるという設定が面白い。おそらく、レバノンという国にいろいろな立場の人が存在することの寓意になっているのだろう。
実はトニーもヤーセルも自分が悪いことをしたのはわかっている。トニーがヤーセルに求めたのは謝罪だけだったが、ヤーセルは自分に非があるとわかっていても素直に謝罪できない。パレスチナ人の自分の方がずっと大きな迫害を受けてきたと思っているからだが、やがて、トニーにも幼い頃に経験した過酷な事件があったことがわかる。それは40年前のレバノン内戦だった。
ヤーセルの仕事に対するこだわりが自分と同じだと知って、裁判中に思わず顔を上げるシーン、ヤーセルの車のエンジンがかからないのを見て、職業意識からなおしてやるシーンといった細かいシーンの積み重ねで、2人の距離がしだいに縮まっていくのを描き、トニーの過酷な体験を知ったヤーセルの表情と2人が和解するためにとった彼の行動、最後の判決のあとに2人がかわすまなざしといった的確な表現が感動を呼ぶ。面白い娯楽映画であると同時に、レバノンと中東の歴史、そして被害者意識とヘイトというより普遍的なことも考えさせる映画だ。
2018年6月28日木曜日
「パンダのふるさと」と千葉市の映画館
ゆえあって、近々、千葉市の映画館へ行こうと思っているのですが、実は、70年代前半は千葉市の映画館で主に映画を見ていました。
当時、千葉市の映画館といえば、京成千葉駅(現在は千葉中央駅)にあった京成ローザ、京成ウエスト、京成サンセットの3館(実はこれに加えて千葉京成という映画館があったのですが、一度も行ったことがなく、どこにあったのかも記憶にない)と、そこから徒歩数分のところにあった千葉劇場です。(追記 京成サンセットと千葉京成がローザの地下に並んであったことがわかりました。ウェストは駅の反対側にあったようです。千葉京成は一度も入ったことがないのは正しかったけれど、場所を勘違いしていた。)
京成ローザとサンセット、千葉劇場は洋画ロードショーを二本立てで見せてくれる映画館(当時は首都圏郊外の映画館はみなそうだった)。京成ウエストは松竹の封切館で、「男はつらいよ」を何本も見た映画館。
70年代なかばに県外に引っ越したので、その後は80年代はじめに一度、京成サンセットで見たい二本立てがあったので行っただけ。
その後、長い長い年月がすぎ、京成の映画館は京成ローザ⑩というシネコンにかわり、千葉劇場はビルの2階のミニシアターになった、ということはネットでわかったのですが、かつての京成ローザなどと千葉劇場の写真を探そうとしても見つからない。映画館についての記事を探しても見つからない。京成ローザは今年60周年ということで、プレスリリースは出されていますが、写真すら見つからない。こんなふうに、都心以外の映画館は忘れられてしまうのか、と絶句したのでした。
その上、京成ローザから千葉劇場に行く途中にあったセントラルプラザも2001年に閉館したと知り、セントラルプラザはこのあたりに住んでいたときに開館した施設で、洋書や輸入レコードを買ったところなので、またまた思い出がよみがえる。
MGMミュージカルのサントラとか、輸入盤を売っていただけでなく、取り寄せもしてくれたのです。「雨に唄えば」とか「イースター・パレード」とか、ここで買ったのだよ。
なーんか、とってもいい環境だったんだな、と今にして思う。
で、なつかしの京成映画館を、パソコンに入れてある映画鑑賞記録で調べてみたら(映画館名を入れてあるので検索で出てくる)、なつかしい映画の数々が出てきたのですが、その中で、何これ?と思ったのが「パンダのふるさと」。
京成サンセットで「ベンジー」と二本立てでした。「ベンジー」は覚えてます。犬映画。
しかし、まったく記憶にない「パンダのふるさと」。
日中国交回復記念に上野動物園にカンカンとランランが贈られてきてから数年後の公開なので、パンダ人気の中で公開された中国の記録映画のようですが、ほんとに記憶がない。
調べようにも何も出てこないし。
ちなみにパンフレットはこれのようです。
千葉劇場の古い写真はかろうじて見つかりました。「バットマン・リターンズ」の頃はもう映画評論家していたな。面積は狭いけど、2階席あって、そこそこ広い映画館でした。今はビルの2階の小さな映画館のよう。場所も変わったかもしれない。
京成ローザなどの京成の映画館の写真がどうしても見つからない。これは昭和50年代の京成千葉駅(当時)のロータリーで、左の建物が京成ローザなどの映画館です。京成ローザは700席近いキャパの70ミリも上映できる映画館で、サンセットとウエストはローザよりも狭い映画館でした。ローザは60周年記念で、かつて上映した映画を順次上映中ですが、週末からの「ベン・ハー」は昔、ここで見たのだよね。
都心の映画館は閉館になるときはさよならイベントがあったり、その後も語り継がれ、写真もたくさん残されていますが、こういう郊外や地方の映画館は記録も写真もあまりなく、忘れ去られるのみ、なのはとても残念です。
追記
「パンダのふるさと」パンフレット、アマゾンで中古を販売中。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC-%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E3%80%8C%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AE%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E3%80%8D/dp/B007VI6H24
当時はパンフレットは必ず買っていたので、うちにもあったはずなのですが、10年ほど前の引越のときにパンフレットの大部分を売るか捨てるかしてしまい、そのときに1冊1冊見て決めたのですが、このパンフレットは記憶にありません。2本立てだと片方は売ってないこともあるので、それで買わなかったのか。あるいは、当時はパンダに関心がなかったので、あったけど忘れたのかもしれない。
パンダ記録映画新作も。
https://www.imdb.com/title/tt7860270/
当時、千葉市の映画館といえば、京成千葉駅(現在は千葉中央駅)にあった京成ローザ、京成ウエスト、京成サンセットの3館(実はこれに加えて千葉京成という映画館があったのですが、一度も行ったことがなく、どこにあったのかも記憶にない)と、そこから徒歩数分のところにあった千葉劇場です。(追記 京成サンセットと千葉京成がローザの地下に並んであったことがわかりました。ウェストは駅の反対側にあったようです。千葉京成は一度も入ったことがないのは正しかったけれど、場所を勘違いしていた。)
京成ローザとサンセット、千葉劇場は洋画ロードショーを二本立てで見せてくれる映画館(当時は首都圏郊外の映画館はみなそうだった)。京成ウエストは松竹の封切館で、「男はつらいよ」を何本も見た映画館。
70年代なかばに県外に引っ越したので、その後は80年代はじめに一度、京成サンセットで見たい二本立てがあったので行っただけ。
その後、長い長い年月がすぎ、京成の映画館は京成ローザ⑩というシネコンにかわり、千葉劇場はビルの2階のミニシアターになった、ということはネットでわかったのですが、かつての京成ローザなどと千葉劇場の写真を探そうとしても見つからない。映画館についての記事を探しても見つからない。京成ローザは今年60周年ということで、プレスリリースは出されていますが、写真すら見つからない。こんなふうに、都心以外の映画館は忘れられてしまうのか、と絶句したのでした。
その上、京成ローザから千葉劇場に行く途中にあったセントラルプラザも2001年に閉館したと知り、セントラルプラザはこのあたりに住んでいたときに開館した施設で、洋書や輸入レコードを買ったところなので、またまた思い出がよみがえる。
MGMミュージカルのサントラとか、輸入盤を売っていただけでなく、取り寄せもしてくれたのです。「雨に唄えば」とか「イースター・パレード」とか、ここで買ったのだよ。
なーんか、とってもいい環境だったんだな、と今にして思う。
で、なつかしの京成映画館を、パソコンに入れてある映画鑑賞記録で調べてみたら(映画館名を入れてあるので検索で出てくる)、なつかしい映画の数々が出てきたのですが、その中で、何これ?と思ったのが「パンダのふるさと」。
京成サンセットで「ベンジー」と二本立てでした。「ベンジー」は覚えてます。犬映画。
しかし、まったく記憶にない「パンダのふるさと」。
日中国交回復記念に上野動物園にカンカンとランランが贈られてきてから数年後の公開なので、パンダ人気の中で公開された中国の記録映画のようですが、ほんとに記憶がない。
調べようにも何も出てこないし。
ちなみにパンフレットはこれのようです。
千葉劇場の古い写真はかろうじて見つかりました。「バットマン・リターンズ」の頃はもう映画評論家していたな。面積は狭いけど、2階席あって、そこそこ広い映画館でした。今はビルの2階の小さな映画館のよう。場所も変わったかもしれない。
京成ローザなどの京成の映画館の写真がどうしても見つからない。これは昭和50年代の京成千葉駅(当時)のロータリーで、左の建物が京成ローザなどの映画館です。京成ローザは700席近いキャパの70ミリも上映できる映画館で、サンセットとウエストはローザよりも狭い映画館でした。ローザは60周年記念で、かつて上映した映画を順次上映中ですが、週末からの「ベン・ハー」は昔、ここで見たのだよね。
都心の映画館は閉館になるときはさよならイベントがあったり、その後も語り継がれ、写真もたくさん残されていますが、こういう郊外や地方の映画館は記録も写真もあまりなく、忘れ去られるのみ、なのはとても残念です。
追記
「パンダのふるさと」パンフレット、アマゾンで中古を販売中。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC-%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E3%80%8C%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AE%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E3%80%8D/dp/B007VI6H24
当時はパンフレットは必ず買っていたので、うちにもあったはずなのですが、10年ほど前の引越のときにパンフレットの大部分を売るか捨てるかしてしまい、そのときに1冊1冊見て決めたのですが、このパンフレットは記憶にありません。2本立てだと片方は売ってないこともあるので、それで買わなかったのか。あるいは、当時はパンダに関心がなかったので、あったけど忘れたのかもしれない。
パンダ記録映画新作も。
https://www.imdb.com/title/tt7860270/
2018年6月24日日曜日
とある公園の25周年
以前は冬に白鳥も飛来していた近所の公園、最近はすっかり鳥がいなくなってしまい、あまり行かなくなっていた。
久々に行ったら、25周年記念の花壇ができていた。
建物の2階から見たところ。クリックすると大きくなります。
蜂や蝶がいた。
鮮やかな赤いトンボ。
鳥はこのアオサギしか見られなかった。
ここで野鳥が見られなくなったので、電車に乗って谷津干潟に行っていたのだけれど、そっちも鳥がだいぶ減っていた。夏期は少ないのだろう。
そんなわけで上野動物園、と言いたいところだけれど、相変わらずパンダ観覧の待ち時間はすごいらしい。さすがにお誕生日週間のような240分はないが、平日でも午前120分、午後90分、うまくいって60分。雨だとこれより少し短くなるようだが、今日、日曜は午前中雨だけれど150分になっていた。土日は午前150分、午後120分、うまくいって90分という感じか。今日は午後晴れたので、3時半に行列を締め切ったようだ。
私は並ぶ順になってからは2週間前の雨の日曜日の夕方に行ったのだけど、このときは60分待ちで、雨具さえしっかり持ってきていればさほど長い時間に感じなかったのだが、パンダ舎に入ってからがすごくいやな雰囲気で、それでも私のときはマナーの悪い人はいなかったのだけど、スタッフのヒステリックな声、ひたすらパンダの部屋の前を歩くだけの短い時間にうんざりしてしまった。
整理券の頃のあのいい雰囲気はもう戻ってこないのだ、と思うと、もう並ぶ気になれない。
ツイッターでも整理券に戻してほしいという声が多いし、今のやり方だと何を言われようと動かない人が勝ち、スタッフが前に来るのでパンダが見られない、子供は長時間並べないのであきらめる、スタッフが叫びまくる殺伐とした雰囲気、マナーの悪い客、リーリーを見る人は少ないのに、リーリーをゆっくり見ることもできない、といった不満の声を見ると、外からシャンシャンとリーリーが見えるのを期待して、あとはほかの動物をゆっくり見ようと思う。
しかし、その外からも以前に比べて非常に見づらくなっているのだよね。
なんで整理券やめたのか。
人件費と整理券印刷代の節約?と思ったのだけど、シャンシャンのおかげで上野動物園は入場者数が増えているはずなので、お金の問題ではない気がする。
今、上野公園では毎日イベントが行われているので、あるいはそのせいかな、と思う。
並ぶ順になってから開園前に並ぶ人が非常に減ったのだそうで、また、午前より午後の方が待ち時間が短いので、午後に来る人が増えてその分、分散したように見える。
春休みの頃は噴水前まで並ぶ列のためのコーンが置いてあったが、あそこをイベントで使うので、開園前に並ぶ人を減らしてくれと、公園側から要請があったのではないか?
結局、今は、外で並ぶかわりに中で並ぶようになっていて、中で並ばせるために整理券をやめた、というのが本当のところではないかと思う。
しかし、動物園側が並んだ順にする場合の問題をよく考えていなくて、見通しが甘かったので、今のように長時間並んで、ほんの短い時間、パンダを見る、という結果になっていて、整理券のときのように時間が来るまでほかの動物を見ることもできなくなっている。
並ぶ順に変えたことについて、動物園では、より多くの人が見られるとか、1日に何度も見られるとか、都合のいい大本営発表しかしていないのも不信感を募らせるところだ。
久々に行ったら、25周年記念の花壇ができていた。
建物の2階から見たところ。クリックすると大きくなります。
蜂や蝶がいた。
鮮やかな赤いトンボ。
鳥はこのアオサギしか見られなかった。
ここで野鳥が見られなくなったので、電車に乗って谷津干潟に行っていたのだけれど、そっちも鳥がだいぶ減っていた。夏期は少ないのだろう。
そんなわけで上野動物園、と言いたいところだけれど、相変わらずパンダ観覧の待ち時間はすごいらしい。さすがにお誕生日週間のような240分はないが、平日でも午前120分、午後90分、うまくいって60分。雨だとこれより少し短くなるようだが、今日、日曜は午前中雨だけれど150分になっていた。土日は午前150分、午後120分、うまくいって90分という感じか。今日は午後晴れたので、3時半に行列を締め切ったようだ。
私は並ぶ順になってからは2週間前の雨の日曜日の夕方に行ったのだけど、このときは60分待ちで、雨具さえしっかり持ってきていればさほど長い時間に感じなかったのだが、パンダ舎に入ってからがすごくいやな雰囲気で、それでも私のときはマナーの悪い人はいなかったのだけど、スタッフのヒステリックな声、ひたすらパンダの部屋の前を歩くだけの短い時間にうんざりしてしまった。
整理券の頃のあのいい雰囲気はもう戻ってこないのだ、と思うと、もう並ぶ気になれない。
ツイッターでも整理券に戻してほしいという声が多いし、今のやり方だと何を言われようと動かない人が勝ち、スタッフが前に来るのでパンダが見られない、子供は長時間並べないのであきらめる、スタッフが叫びまくる殺伐とした雰囲気、マナーの悪い客、リーリーを見る人は少ないのに、リーリーをゆっくり見ることもできない、といった不満の声を見ると、外からシャンシャンとリーリーが見えるのを期待して、あとはほかの動物をゆっくり見ようと思う。
しかし、その外からも以前に比べて非常に見づらくなっているのだよね。
なんで整理券やめたのか。
人件費と整理券印刷代の節約?と思ったのだけど、シャンシャンのおかげで上野動物園は入場者数が増えているはずなので、お金の問題ではない気がする。
今、上野公園では毎日イベントが行われているので、あるいはそのせいかな、と思う。
並ぶ順になってから開園前に並ぶ人が非常に減ったのだそうで、また、午前より午後の方が待ち時間が短いので、午後に来る人が増えてその分、分散したように見える。
春休みの頃は噴水前まで並ぶ列のためのコーンが置いてあったが、あそこをイベントで使うので、開園前に並ぶ人を減らしてくれと、公園側から要請があったのではないか?
結局、今は、外で並ぶかわりに中で並ぶようになっていて、中で並ばせるために整理券をやめた、というのが本当のところではないかと思う。
しかし、動物園側が並んだ順にする場合の問題をよく考えていなくて、見通しが甘かったので、今のように長時間並んで、ほんの短い時間、パンダを見る、という結果になっていて、整理券のときのように時間が来るまでほかの動物を見ることもできなくなっている。
並ぶ順に変えたことについて、動物園では、より多くの人が見られるとか、1日に何度も見られるとか、都合のいい大本営発表しかしていないのも不信感を募らせるところだ。
2018年6月20日水曜日
「母という名の女」(ネタバレ)&「タクシー運転手」
試写状をいただいていたが、都合が悪く行けなかった「母という名の女」と「タクシー運転手 約束は海を越えて」をキネマ旬報シアターで見る。
「母という名の女」はカンヌ映画祭ある視点部門で審査員賞を受賞したメキシコ映画。
リゾート地の別荘に住む姉妹の妹バレリアが出産間近ということで、疎遠になっていた母アブリルがやってくる。バレリアも恋人もまだ17歳。子供が生まれるが若いカップルは育児もおぼつかず、恋人は定職についておらず、恋人の父親も、再婚しているバレリアの父親もまったく協力せずに門前払い。業を煮やした母アブリルは娘に相談もせずに、勝手に子供を養子縁組で自分の子供にしてしまう。
アブリルは肥満の姉には無理にダイエットをさせようとしたりと、娘たちにいろいろ干渉するのだが、ここまでは、アブリルはバレリアと孫が心配でそうしたのかな、と思う。が、このあとがヤバイ。
まさかの展開でアブリルは(ネタバレ)となり、さらには(ネタバレ)までやり、困ったバレリアがアブリルを探し出すと、今度は(ネタバレ)なことまでするのだ。
うーん、娘2人と疎遠だったのはそのせいか。そして、姉妹の父親がバレリアのことでたずねて来たアブリルを断固拒否するのもそのせいだったか。
でも、ラストはやったぜ!て感じで、実に気持ちがいい結末。
ネタバレ部分については最後に書きます。
1980年に韓国で起こった光州事件を扱った「タクシー運転手 約束は海を越えて」は単館系ながらヒットしているようだ。キネ旬シアターでも入りがよく、予定より1週間延長。そのおかげで「母という名の女」とハシゴできた。
ソウルのタクシー運転手とともに光州に入り、世界に事件を報道したドイツ人記者の実話をもとにしたフィクションで、記者はその後、タクシー運転手を探したが、本名がわからず、どうしても見つからなかったそうだ。ソン・ガンホ扮するタクシー運転手のストーリーの部分はまったくのフィクションということになる。(追記 映画公開後、息子が名乗り出たとのこと。運転手は84年に亡くなっていた。映画と違い、名前も偽名でなかった。)
光州事件については、日本でもなかったことにされていて、これを歌った歌が放送禁止にされたということをネットで見たが、事件の最中も海外はもちろん、韓国内でもまったく報道されず、主人公のタクシー運転手もまったく無知な状態で、ドイツ人記者とともに光州に入る。それまでは民主化を求めてデモをする大学生を批判していたのだが、光州で軍による暴行や虐殺を目の当たりにし、考えが変わっていく。娯楽映画として作られているので、ご都合主義の面はあるが、クライマックスで体制側のある人物がとる行動は、ドイツ人記者を演じたトーマス・クレッチマンが「戦場のピアノスト」で演じたナチスを批判するナチ将校を想起させる。クレッチマンをこの役にしたのはそのためか?
弾圧をする側は民主化を求める非武装の人々をアカ(共産主義者)と呼ぶ。民主主義を求める人々をアカと呼んだのはマッカーシズムもそうだ。
ドイツ人記者を残して先に帰ることにした運転手が、娘へのみやげの美しい靴を見ているうちに、このまま帰れないと思って引き返すシーンが泣ける。娘の生きる未来のために、彼は引き返したのだ。
それにしても、「タクシー・ドライバー」と「タクシー運転手」ではずいぶんと違う映画に。
キネ旬シアターはキネ旬発売日は誰でも1100円。いつもは5分前に開場なのに、今日はどちらも10分前開場だった。どちらもわりと入っていた。
2作品分のチケットを買ってから「母という名の女」が開場するまで少し時間があったので、誰もいない2階のロビーでくつろぐ。ここはキネ旬図書館になっていて、会員はバックナンバーや書籍を借りることができるらしい。
2階ロビーから1階ロビーをのぞむ。左のパンフレットは閲覧のみ。
携帯のカメラなのでぼけてしまっているが、正面が映画書。「クリント・イーストウッド:レトロスペクティヴ」が3冊もある。
キネ旬バックナンバー。暗いのでぼけぼけ。
さて、「母という名の女」のネタバレ。
「母という名の女」はカンヌ映画祭ある視点部門で審査員賞を受賞したメキシコ映画。
リゾート地の別荘に住む姉妹の妹バレリアが出産間近ということで、疎遠になっていた母アブリルがやってくる。バレリアも恋人もまだ17歳。子供が生まれるが若いカップルは育児もおぼつかず、恋人は定職についておらず、恋人の父親も、再婚しているバレリアの父親もまったく協力せずに門前払い。業を煮やした母アブリルは娘に相談もせずに、勝手に子供を養子縁組で自分の子供にしてしまう。
アブリルは肥満の姉には無理にダイエットをさせようとしたりと、娘たちにいろいろ干渉するのだが、ここまでは、アブリルはバレリアと孫が心配でそうしたのかな、と思う。が、このあとがヤバイ。
まさかの展開でアブリルは(ネタバレ)となり、さらには(ネタバレ)までやり、困ったバレリアがアブリルを探し出すと、今度は(ネタバレ)なことまでするのだ。
うーん、娘2人と疎遠だったのはそのせいか。そして、姉妹の父親がバレリアのことでたずねて来たアブリルを断固拒否するのもそのせいだったか。
でも、ラストはやったぜ!て感じで、実に気持ちがいい結末。
ネタバレ部分については最後に書きます。
1980年に韓国で起こった光州事件を扱った「タクシー運転手 約束は海を越えて」は単館系ながらヒットしているようだ。キネ旬シアターでも入りがよく、予定より1週間延長。そのおかげで「母という名の女」とハシゴできた。
ソウルのタクシー運転手とともに光州に入り、世界に事件を報道したドイツ人記者の実話をもとにしたフィクションで、記者はその後、タクシー運転手を探したが、本名がわからず、どうしても見つからなかったそうだ。ソン・ガンホ扮するタクシー運転手のストーリーの部分はまったくのフィクションということになる。(追記 映画公開後、息子が名乗り出たとのこと。運転手は84年に亡くなっていた。映画と違い、名前も偽名でなかった。)
光州事件については、日本でもなかったことにされていて、これを歌った歌が放送禁止にされたということをネットで見たが、事件の最中も海外はもちろん、韓国内でもまったく報道されず、主人公のタクシー運転手もまったく無知な状態で、ドイツ人記者とともに光州に入る。それまでは民主化を求めてデモをする大学生を批判していたのだが、光州で軍による暴行や虐殺を目の当たりにし、考えが変わっていく。娯楽映画として作られているので、ご都合主義の面はあるが、クライマックスで体制側のある人物がとる行動は、ドイツ人記者を演じたトーマス・クレッチマンが「戦場のピアノスト」で演じたナチスを批判するナチ将校を想起させる。クレッチマンをこの役にしたのはそのためか?
弾圧をする側は民主化を求める非武装の人々をアカ(共産主義者)と呼ぶ。民主主義を求める人々をアカと呼んだのはマッカーシズムもそうだ。
ドイツ人記者を残して先に帰ることにした運転手が、娘へのみやげの美しい靴を見ているうちに、このまま帰れないと思って引き返すシーンが泣ける。娘の生きる未来のために、彼は引き返したのだ。
それにしても、「タクシー・ドライバー」と「タクシー運転手」ではずいぶんと違う映画に。
キネ旬シアターはキネ旬発売日は誰でも1100円。いつもは5分前に開場なのに、今日はどちらも10分前開場だった。どちらもわりと入っていた。
2作品分のチケットを買ってから「母という名の女」が開場するまで少し時間があったので、誰もいない2階のロビーでくつろぐ。ここはキネ旬図書館になっていて、会員はバックナンバーや書籍を借りることができるらしい。
2階ロビーから1階ロビーをのぞむ。左のパンフレットは閲覧のみ。
携帯のカメラなのでぼけてしまっているが、正面が映画書。「クリント・イーストウッド:レトロスペクティヴ」が3冊もある。
キネ旬バックナンバー。暗いのでぼけぼけ。
さて、「母という名の女」のネタバレ。
2018年6月16日土曜日
外シャンシャン、外リーリー
また行ってしまいましたよ、上野動物園。
今回も上野方面に用事があり、動物園は先日、東園では品切れで西園へ行く時間がなくてもらえなかったパンダ保護取組のペーパーをもらうのが目的なので、ちょっと入ってすぐ出る感じです。
西園の池之端門から入って東園へ行き、表門から出ると便利なので、今日はいつもと違い、根津駅からすぐの池之端門へ。上野駅に出る方が運賃が安いのですが、たまには。
池之端門は静かでした。
ペーパーは出口のところのラックにたくさんありました。写真はあとで。
色鮮やかなフラミンゴを横目で見ながら、橋を渡って東園へ。
池之端門を入ったのが2:50で、そのとき、3時で行列を締め切るというアナウンスが園内に流れていました。この時点ではまだ3時前で、120分待ちのプラカードを持ったスタッフがいるところが最後尾。土曜日は午前180分、午後120分の待ち時間だったようです。
外からシャンシャンが見えました。写真を撮るのが非常にむずかしい。このあと、木から降りて見えなくなりました。
3時に行列が締め切られ、リーリーの出口のところに人がいなくなったので、行ってみるとリーリーは食事中。
すぐに見えないところに行ってしまうリーリー。2枚とも動画から作成。
ほとんど動物を見ないで表門から外へ。観覧受付を締切ました、の立札。
上野公園ではフィリピン・フェスタをやっていましたが、買い食いする時間もない。
右が西園でもらったパンダ保護取組のペーパー。左は以前もらった「みんなの上野動物園」最新号、シャンシャン誕生日特集。真ん中下が記念カード。今日はカードは午後3時で余裕な感じでした。スタッフが、今日明日しか配られません、とアナウンスしていたので、あまりはけてないのかな、と思った。
ペーパーを開いたところと、カードの裏面。
パンダはなぜ少ないか、の説明がされています。山手線内に4頭という生息密度。上野動物園の狭いところに3頭はどう見ても多い。その下の西安は、「空海」の舞台、長安があった場所?
シャンシャンが2歳で中国に帰らなければならないのは、相性のよいお婿さんと出会うためなのですね。このペーパー、なかなか勉強になります。西園の池之端門と弁天門、レストランにあるそうです。「みんなの上野動物園」もレストランにあります。
今回も上野方面に用事があり、動物園は先日、東園では品切れで西園へ行く時間がなくてもらえなかったパンダ保護取組のペーパーをもらうのが目的なので、ちょっと入ってすぐ出る感じです。
西園の池之端門から入って東園へ行き、表門から出ると便利なので、今日はいつもと違い、根津駅からすぐの池之端門へ。上野駅に出る方が運賃が安いのですが、たまには。
池之端門は静かでした。
ペーパーは出口のところのラックにたくさんありました。写真はあとで。
色鮮やかなフラミンゴを横目で見ながら、橋を渡って東園へ。
池之端門を入ったのが2:50で、そのとき、3時で行列を締め切るというアナウンスが園内に流れていました。この時点ではまだ3時前で、120分待ちのプラカードを持ったスタッフがいるところが最後尾。土曜日は午前180分、午後120分の待ち時間だったようです。
外からシャンシャンが見えました。写真を撮るのが非常にむずかしい。このあと、木から降りて見えなくなりました。
3時に行列が締め切られ、リーリーの出口のところに人がいなくなったので、行ってみるとリーリーは食事中。
すぐに見えないところに行ってしまうリーリー。2枚とも動画から作成。
ほとんど動物を見ないで表門から外へ。観覧受付を締切ました、の立札。
上野公園ではフィリピン・フェスタをやっていましたが、買い食いする時間もない。
右が西園でもらったパンダ保護取組のペーパー。左は以前もらった「みんなの上野動物園」最新号、シャンシャン誕生日特集。真ん中下が記念カード。今日はカードは午後3時で余裕な感じでした。スタッフが、今日明日しか配られません、とアナウンスしていたので、あまりはけてないのかな、と思った。
ペーパーを開いたところと、カードの裏面。
パンダはなぜ少ないか、の説明がされています。山手線内に4頭という生息密度。上野動物園の狭いところに3頭はどう見ても多い。その下の西安は、「空海」の舞台、長安があった場所?
シャンシャンが2歳で中国に帰らなければならないのは、相性のよいお婿さんと出会うためなのですね。このペーパー、なかなか勉強になります。西園の池之端門と弁天門、レストランにあるそうです。「みんなの上野動物園」もレストランにあります。
2018年6月15日金曜日
シャンシャン待ち時間、土日はどうなる?
6月12日の誕生日以来、連日、驚異の240分待ちを連発している上野動物園のパンダ観覧ですが、今日で平日は終わり、いよいよ明日から恐怖の土日。どうなる、待ち時間?
誕生日当日は動物園公式には240分の表示はありませんでしたが、行った人のツイッター見ると、120分という表示だったのに240分並んだ、とか4時間半並んだ、と書いてあるので、単に動物園が発表してないだけ、もしかして240分というカードを作ってなかったとか?だと思います。
翌13日は午後に記念カードだけもらいに行きましたが(2つ下の記事)、午前中は240分行ってたと思います。
以後、連日240分連発で、本日、15日金曜日も雨にもかかわらず240分。整理券の時代は雨の日はめっきり人が少なかったけれど、並ぶ順になってからは関係なくなっています。誕生日週間の前は、さすがに240分はありませんでしたが、雨でも晴れと変わらなくなっていました。
というわけで、誕生日週間平日のシャンシャン待ち時間はだいたいこんな感じだったと思います。
9:30 開園
10:30~12:00頃 240分待ち
12:00~14:00くらい 180分待ち
14:00~15:00くらい 120分待ち
15:00 行列締切
私が行った13日は多少マシで、14時台は90分待ち、15時に「15時30分行列締切」のアナウンスがあり、そこからまた120分待ち、180分待ちに増えていったようです。締切直前にあっちこっちから多数の人が押し寄せ、そこでまた待ち時間が延びます。
土日は上のスケジュールが前倒しになり、15時より前に行列締切になる可能性あり。
17日まで配布の、1日1万5千枚配られるシャンシャン記念カードですが、誕生日当日は14時台になくなったようです。
13日は15時の段階でまだ配っていました。
土日はなくなるのが早まると思いますが、午前中になくなることはさすがにないでしょう。
でも10時から240分並んだら、出てきたときにはカード終了もありえます。
お客さんはまずカードをもらってから行列に突進するようです。
とにかく240分待ちというのがすごいので、さすがにツイッターでも「整理券に戻してほしい」という声がかなり出てきました(前の記事)。
どうして混雑する誕生日の時期に整理券をやめたのか。
スタッフが減っているとか、売店のスタッフまで動員して、と言われているので、やっぱり人件費節約か? 整理券印刷代もばかにならないし、と思ったのですが、もうひとつ、
整理券にすると、シャンシャンお誕生日週間は連日、開園前に1万人くらいの人が並んでしまい、並ぶ場所がない。
ということがあるのではないか?
並ぶ順でも数千人が開園前に並んでいるとのことですから、整理券だったら1万人くらい並ぶかもしれない。
これまででは、入場無料の動物園開園記念日(3月20日)と、GWの3日から6日は抽選でした。
おそらく、これらの日は開園前にあまりにも多くの人が整理券を求めて並ぶので、並ぶ場所がない、という理由だったのでは?
となると、シャンシャンお誕生日週間も抽選にするか、並ぶ順にするかしかなかった?
しかし、お誕生日週間を抽選にするとあまりに多くの人が見ることができない。
ということで、並ぶ順になったのか?
誕生日週間の前の1週間はシミュレーションのためだったと考えられます。
整理券に戻る可能性はわかりません。もう戻す気はないのでは、という見方もあります。
というわけで、足腰が丈夫で体力があり、トイレが近くない人は240分くらい平気で並べると思いますが(?)、240分も並んだ先にあるものは?
☆☆☆☆☆
起きていて、かわいいシャンシャン
☆☆☆☆
寝てるけど、かわいいシャンシャン(バックはお父さんリーリー)。
☆☆☆
起きてるけど、よく見えないシャンシャン。
☆☆
寝ていて、背中しか見えないシャンシャン(左はお母さんシンシン)。
以上はすべて、私が撮った写真ですが、誕生日以前は、寝ていて背中しか見えないのが☆1だと思っていました。
しかし、誕生日週間に入って、衝撃の事実が!
☆
シャンシャンがまったく見えない!(画像なし)
理由(ツイッター情報)
1 ハンモックで寝ていて見えない。
2 シンシンのかげに隠れて見えない。
240分並んでシャンシャンが見えないこともある、ようです。
遊園地のアトラクションなら、並んでもある程度の時間は楽しめるのですが、パンダ観覧は1分ほど、パンダの前を歩くだけです。立ち止まれません。写真撮影は歩きながらになります。
4時間も並んでパンダ見ると、ほかの動物を見る元気が残ってない、あるいは時間がないのではと思いますが、上野動物園は出産ラッシュで、さまざまな赤ちゃんがいます。パンダをあきらめた方はぜひそちらを。
では、Good Luck!
追記
土曜日は午前中180分待ち、午後120分待ちで、午後3時に行列が締め切られました。
カードは午後3時でも余裕ありそうな感じでした。
追記2
日曜日は午前中240分待ち、午後180分待ちで、午後2時30分に行列締切。
誕生日当日は動物園公式には240分の表示はありませんでしたが、行った人のツイッター見ると、120分という表示だったのに240分並んだ、とか4時間半並んだ、と書いてあるので、単に動物園が発表してないだけ、もしかして240分というカードを作ってなかったとか?だと思います。
翌13日は午後に記念カードだけもらいに行きましたが(2つ下の記事)、午前中は240分行ってたと思います。
以後、連日240分連発で、本日、15日金曜日も雨にもかかわらず240分。整理券の時代は雨の日はめっきり人が少なかったけれど、並ぶ順になってからは関係なくなっています。誕生日週間の前は、さすがに240分はありませんでしたが、雨でも晴れと変わらなくなっていました。
というわけで、誕生日週間平日のシャンシャン待ち時間はだいたいこんな感じだったと思います。
9:30 開園
10:30~12:00頃 240分待ち
12:00~14:00くらい 180分待ち
14:00~15:00くらい 120分待ち
15:00 行列締切
私が行った13日は多少マシで、14時台は90分待ち、15時に「15時30分行列締切」のアナウンスがあり、そこからまた120分待ち、180分待ちに増えていったようです。締切直前にあっちこっちから多数の人が押し寄せ、そこでまた待ち時間が延びます。
土日は上のスケジュールが前倒しになり、15時より前に行列締切になる可能性あり。
17日まで配布の、1日1万5千枚配られるシャンシャン記念カードですが、誕生日当日は14時台になくなったようです。
13日は15時の段階でまだ配っていました。
土日はなくなるのが早まると思いますが、午前中になくなることはさすがにないでしょう。
でも10時から240分並んだら、出てきたときにはカード終了もありえます。
お客さんはまずカードをもらってから行列に突進するようです。
とにかく240分待ちというのがすごいので、さすがにツイッターでも「整理券に戻してほしい」という声がかなり出てきました(前の記事)。
どうして混雑する誕生日の時期に整理券をやめたのか。
スタッフが減っているとか、売店のスタッフまで動員して、と言われているので、やっぱり人件費節約か? 整理券印刷代もばかにならないし、と思ったのですが、もうひとつ、
整理券にすると、シャンシャンお誕生日週間は連日、開園前に1万人くらいの人が並んでしまい、並ぶ場所がない。
ということがあるのではないか?
並ぶ順でも数千人が開園前に並んでいるとのことですから、整理券だったら1万人くらい並ぶかもしれない。
これまででは、入場無料の動物園開園記念日(3月20日)と、GWの3日から6日は抽選でした。
おそらく、これらの日は開園前にあまりにも多くの人が整理券を求めて並ぶので、並ぶ場所がない、という理由だったのでは?
となると、シャンシャンお誕生日週間も抽選にするか、並ぶ順にするかしかなかった?
しかし、お誕生日週間を抽選にするとあまりに多くの人が見ることができない。
ということで、並ぶ順になったのか?
誕生日週間の前の1週間はシミュレーションのためだったと考えられます。
整理券に戻る可能性はわかりません。もう戻す気はないのでは、という見方もあります。
というわけで、足腰が丈夫で体力があり、トイレが近くない人は240分くらい平気で並べると思いますが(?)、240分も並んだ先にあるものは?
☆☆☆☆☆
起きていて、かわいいシャンシャン
☆☆☆☆
寝てるけど、かわいいシャンシャン(バックはお父さんリーリー)。
☆☆☆
起きてるけど、よく見えないシャンシャン。
☆☆
寝ていて、背中しか見えないシャンシャン(左はお母さんシンシン)。
以上はすべて、私が撮った写真ですが、誕生日以前は、寝ていて背中しか見えないのが☆1だと思っていました。
しかし、誕生日週間に入って、衝撃の事実が!
☆
シャンシャンがまったく見えない!(画像なし)
理由(ツイッター情報)
1 ハンモックで寝ていて見えない。
2 シンシンのかげに隠れて見えない。
240分並んでシャンシャンが見えないこともある、ようです。
遊園地のアトラクションなら、並んでもある程度の時間は楽しめるのですが、パンダ観覧は1分ほど、パンダの前を歩くだけです。立ち止まれません。写真撮影は歩きながらになります。
4時間も並んでパンダ見ると、ほかの動物を見る元気が残ってない、あるいは時間がないのではと思いますが、上野動物園は出産ラッシュで、さまざまな赤ちゃんがいます。パンダをあきらめた方はぜひそちらを。
では、Good Luck!
追記
土曜日は午前中180分待ち、午後120分待ちで、午後3時に行列が締め切られました。
カードは午後3時でも余裕ありそうな感じでした。
追記2
日曜日は午前中240分待ち、午後180分待ちで、午後2時30分に行列締切。
2018年6月14日木曜日
パンダ舎内はカオスか治外法権か
うーん、やっぱり、という反応がツイッターあたりに出ておりますね。
整理券方式に戻してほしいという意見。
https://twitter.com/noriko03512/status/1006858357989257223
やっぱりジコチューな人がかなりいるようだ。
https://twitter.com/8neneko8/status/1006343115492356098
今の方式にしてから、ジコチューな人によって、待ち時間がどんどん長くなり、不公平感が増し、ということは先週から気づいていたし、私は先週に、すでに、上野動物園に、整理券に戻してほしいというメールを送っています。
が、そのメールを送ったあと、なーんとなく、世間は並ぶのが好きなんだ、だから整理券に戻してほしいなんて思わないんだ、パンダ愛好家とか整理券じゃなくなってよかったとか言ってるし、と、すぐにメール送った自分がバカみたいに思えてきたのだった。
上のツイートにもあるように、何と言われようと動かない人が勝ち、みたいなのがあるのだろうと思うし、逆に、私なんか、日曜に行ったときは、一瞬立ち止まっただけでスタッフから「自分勝手なことをしないでください」と怒鳴られた。
一瞬立ち止まるのが自分勝手なんだ、と思い、私は心底、上野動物園が嫌いになった。
あのときは動画を撮影していたので、スタッフの音声もしっかり残っている。
上のツイートに、売店の人まで動員して、整理券配っていた人たちはどこへ行った、と書いているけれど、やっぱり人件費節約が整理券廃止の理由だったのだ、と思う。
水曜日は並ばなかったので、いやな思いもせず、リーリーも見られたし、日曜には非常に感じ悪かった案内所の人も、水曜日は感じのいい人で、印象がかなりよくなったけれど、
あんたたち、ネットでほざいていてもだめなんだよ。
メール送ったり電話かけたりしないとだめなんだよ。
まあ、結局、パンダも並ぶのが好きな人の娯楽なんだ、と思えばそうなんだなと思うけど。
整理券方式に戻してほしいという意見。
https://twitter.com/noriko03512/status/1006858357989257223
やっぱりジコチューな人がかなりいるようだ。
https://twitter.com/8neneko8/status/1006343115492356098
今の方式にしてから、ジコチューな人によって、待ち時間がどんどん長くなり、不公平感が増し、ということは先週から気づいていたし、私は先週に、すでに、上野動物園に、整理券に戻してほしいというメールを送っています。
が、そのメールを送ったあと、なーんとなく、世間は並ぶのが好きなんだ、だから整理券に戻してほしいなんて思わないんだ、パンダ愛好家とか整理券じゃなくなってよかったとか言ってるし、と、すぐにメール送った自分がバカみたいに思えてきたのだった。
上のツイートにもあるように、何と言われようと動かない人が勝ち、みたいなのがあるのだろうと思うし、逆に、私なんか、日曜に行ったときは、一瞬立ち止まっただけでスタッフから「自分勝手なことをしないでください」と怒鳴られた。
一瞬立ち止まるのが自分勝手なんだ、と思い、私は心底、上野動物園が嫌いになった。
あのときは動画を撮影していたので、スタッフの音声もしっかり残っている。
上のツイートに、売店の人まで動員して、整理券配っていた人たちはどこへ行った、と書いているけれど、やっぱり人件費節約が整理券廃止の理由だったのだ、と思う。
水曜日は並ばなかったので、いやな思いもせず、リーリーも見られたし、日曜には非常に感じ悪かった案内所の人も、水曜日は感じのいい人で、印象がかなりよくなったけれど、
あんたたち、ネットでほざいていてもだめなんだよ。
メール送ったり電話かけたりしないとだめなんだよ。
まあ、結局、パンダも並ぶのが好きな人の娯楽なんだ、と思えばそうなんだなと思うけど。
2018年6月13日水曜日
シャンシャンではなく行列を見に
上野の方に用事があったので、動物園を偵察。表門は改装中。この前に立って写真を撮る人が多く、誰もいないほんのわずかなすきに撮影。
仮の表門。上の場所のすぐ右側。
公式ではお昼すぎまで180分待ちでしたが、2時半に着いたら90分待ち。もっとすごい行列を期待していたのですが、これなら並べそう。でも、用事があるので並びません。
シャンシャン記念カードはこの時間帯は余裕でしたが、パンダの保護取り組みの小冊子が東園は品切れ。西園ならあるとのことでしたが、西園へ行く時間はなし。小冊子は誕生日週間のあとも配布するので、またの機会に。
以前はリーリーは並ばずに見れて、シャンシャンが木に登っているときはリーリーの前からシャンシャンが見られましたが、並んだ順になってからはリーリーの前にこのような壁ができてしまいました。でも、このあたりから木の上のシャンシャンが見えるはずで、この木かな、と思ったのですが、どうやら違うよう。(最初、シャンシャンの木と間違えていたので、文章を訂正。)
アメリカバイソンの赤ちゃん。あまりくっきり写っていませんが、舌を出しているみたいなので。
その母親。でかい。
実はリーリーは並ばずに見られました。というのも、リーリーの先が出口で、そこは壁がないので、リーリーのいる場所によっては見られるのです。ちょうど起きて歩き始めたところみたいでしたが、動画で撮って写真を作成。
ゴリラの赤ちゃんと姉を動画で撮っていたら、母親がやってきて、赤ちゃんを背負って去っていきます。姉もあとを追う。背後で寝てるのはお父さんらしい。これも動画から作成した写真。
昨日は3時で並ぶの終了でしたが、今日は3時半までとのアナウンスがあった3時ごろ。さっきの場所の表示が120分に。
用事があるので、来てから40分ほどで動物園を出ます。3時10分すぎ、表門の前を通ったら、待ち時間が90分に減ってました。というか、外は変更してないのでは?
シャンシャンお誕生日の待ち時間
6月12日はシャンシャンの1歳の誕生日、とのことで、当然混むと思ったので行きませんでしたが、ツイッターを見ると、なんと、待ち時間最大4時間だったらしい。
ある人は4時間並んで見て、もう一度並んで次は3時間だったそうな。
午後6時頃まで展示していたようだから、9時半開園から8時間半。そのうち7時間並んでいたのか。すごい。
日曜まで毎日1万5千枚配られる記念カードも2時台でなくなった模様ですが、こちらはダウンロードできるので、行けない人でも大丈夫。
http://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=&link_num=24935
早速ダウンロードしたので、行かなくていいかなあ。園内が混んでるだけでも大変そう。
このカードの写真、舌出しているのですが、前にアップした写真で、「舌を出しているように見えるけれど、何かが写り込んだのではないか」と書きましたが、その後、ネットの写真や動画で舌を出しているのがいくつかあって、けっこう舌を出しているのかもしれません。
4時間待ちの人がツイッターで、120分待ちと書いてあったから並んだら4時間だった、と書いていた。報道では150分以上となってるけど、150分以上なんてほぼ毎日あります。だから誕生日は最長4時間は想定内じゃないのかな。
あの行列、ある程度まで進むと、出たいと思っても出られないので、並んだら並び続けるしかないのでしょう。
しかし、4時間とは、どこまで行列ができていたことやら。
トイレとか行きたくなったら途中で行かせてくれるのかな?
13日からは少しはマシになるのか?
それでも誕生日は曇りで気温も低かったので楽だったでしょう。昼間、雷雨予報があったので、雷雨来たら大変だろうと思っていましたが、来なくて幸い。(追記 あとで知ったんですが、上野は土砂降りの雨があったそうで、ご愁傷様。)
シャンシャンは木の上にいるときは外から見えていたのが、整理券やめてからリーリーの前に壁ができてしまい、外からはシャンシャン見れなくなったかと思ったら、見える場所があるようです。
ある人は4時間並んで見て、もう一度並んで次は3時間だったそうな。
午後6時頃まで展示していたようだから、9時半開園から8時間半。そのうち7時間並んでいたのか。すごい。
日曜まで毎日1万5千枚配られる記念カードも2時台でなくなった模様ですが、こちらはダウンロードできるので、行けない人でも大丈夫。
http://www.tokyo-zoo.net/topic/topics_detail?kind=news&inst=&link_num=24935
早速ダウンロードしたので、行かなくていいかなあ。園内が混んでるだけでも大変そう。
このカードの写真、舌出しているのですが、前にアップした写真で、「舌を出しているように見えるけれど、何かが写り込んだのではないか」と書きましたが、その後、ネットの写真や動画で舌を出しているのがいくつかあって、けっこう舌を出しているのかもしれません。
4時間待ちの人がツイッターで、120分待ちと書いてあったから並んだら4時間だった、と書いていた。報道では150分以上となってるけど、150分以上なんてほぼ毎日あります。だから誕生日は最長4時間は想定内じゃないのかな。
あの行列、ある程度まで進むと、出たいと思っても出られないので、並んだら並び続けるしかないのでしょう。
しかし、4時間とは、どこまで行列ができていたことやら。
トイレとか行きたくなったら途中で行かせてくれるのかな?
13日からは少しはマシになるのか?
それでも誕生日は曇りで気温も低かったので楽だったでしょう。昼間、雷雨予報があったので、雷雨来たら大変だろうと思っていましたが、来なくて幸い。(追記 あとで知ったんですが、上野は土砂降りの雨があったそうで、ご愁傷様。)
シャンシャンは木の上にいるときは外から見えていたのが、整理券やめてからリーリーの前に壁ができてしまい、外からはシャンシャン見れなくなったかと思ったら、見える場所があるようです。
2018年6月12日火曜日
HINOMARUの歌詞について
RADWIMPSが「HINOMARU」という歌を発表したせいで私が一番困るのは、「君の名は。」と「空海」をこれまでと同じ気持ちで見られなくなることだ。
「空海」はまだいい。ラスト、楊貴妃に抱かれる黒猫の場面でBGMが途切れたとき、音を消してしまえばいいのだ。しかし、「前前前世」や「スパークル」などの歌がない「君の名は。」は考えられない。いや、BGMも野田洋次郎の作曲なのだからほぼ全編、野田洋次郎なのだ。
あんな歌を先に作っていたら、チェン・カイコーはもちろん、新海誠も彼を起用しなかっただろう。新海はアニメで万葉集を引用するほど日本の古典文学には造詣の深い人だから、あんなひどい「古い日本語」を書くだけで、ハイ、終了、ではないかと思う。
とりあえず、この件に関する興味深いツイッターを紹介してみる。
まずは、最近は離れていたが、RADWIMPSのファンである人の、非常にまっとうな意見。
https://twitter.com/Spinagisa/status/1005358779595046912
ここで書かれている、ラッドらしさに欠ける、洋次郎らしさに欠ける、ということは一部のファンからも指摘されている。
歌詞の中の軍歌的表現が実際の軍歌にどのように使われていたかを検証したツイート。
https://twitter.com/maboroshi840/status/1005082903741513728
国を愛する歌を作ろうと思い、参考にしたのが軍歌だったということ。国を愛する歌=軍歌、という発想で、これが皮肉でもなく、深い思想があるわけでもなく、なんとなくやっちまった感。
もともと、ワールドカップのテレビ放送の主題歌として作られた歌の、昔でいうB面に相当する歌のようだから、サッカーの応援歌の意味もあって戦いの歌にしよう、という意図があったのかもしれないが、本人の釈明にそのようなことはいっさい触れられていない。サッカーの応援歌だから、と言った方が少しは納得してもらえただろうに。
冒頭の部分、日の丸がはためくのを見て感動する、みたいな歌詞は、オリンピックで日の丸が上がると感動するという発想からなんだろう(古から、っていうのは、日の丸は明治以降なんで、全然古からじゃないが)。が、そのあとが全然オリンピックの国旗じゃなくなってくる。
とにかく日本語がひどい、愛国者として許せない、というのはこれ。
https://twitter.com/ray_fyk/status/1005403722921283584
レスの部分が笑えます。あれだと「空海」で空海が卍を書くのは空海がナチスだからになっちまいそう。マジ、卍は「空海」の頃にも言われてたなあ。
これはファンによる擁護のブログ記事ですが、そこに引用されている野田洋次郎の言葉が、また頭抱えてしまう。
http://www.noraneko.tokyo/?p=3668
「日本ってさ、すごくて、もう七十何年間戦争してなくて、それ日本の歴史上でほとんどなかったことなんですよね。」
あの、江戸時代。。。
この人、戦国時代から急に明治維新になったと思ってるとか?
帰国子女とはいっても10歳で帰国、名門私立中学に入り、大学は慶応なので、学校の勉強は一応きちんとやってるのですよね?
国を愛するなら、とりあえず、日本語と日本史と日本の古典文学をやりなおした方がいいと思う。
そういうものを含めての、日本という国なんだが、この人の愛する国って?
あ、歌詞はこちらです。
http://j-lyric.net/artist/a04ac97/l0469f5.html
最初の2行は、好意的に見れば、オリンピックで日の丸が上がったときの気持ち、ね。
次の2行で、いきなり、自分たちの体に流れる死んだ人の魂、が出てくる。
死んだ人って誰? 先の戦争で死んだ人たちでしょうか?
ここでいきなり、戦争で死んだ人々を賛美し、その魂が自分たちの中にある、と言う。
戦争で死んだ人を悼む、のでなく、賛美している。靖国神社キタ。
いざゆかん、は、好意的に見れば、日本代表がんばれ。
その次からが、洋次郎の釈明(あれは謝罪とは言わん)の中の、日本の自然災害に対する言及と、あっちこっちからコピペしてきたコピペ軍歌が合体している。
敵は自然災害、自然災害との戦いを歌った軍歌、って解釈でオケ?(「シン・ゴジラ」で使えますか?)
優しき母、強き父、完全に戦前戦中の家族観。きれいごとで非現実的。
受け継がれし歴史、というのは、上の洋次郎のコメントからすると、70年以上戦争していない日本の歴史=戦後の歴史って好意的に解釈してよね、ってことでしょうか。だったら戦後の日本語を使うべき。戦中の日本語使って歴史っていえば、戦中の歴史となるのは当然。
次からが百田センセーの「永遠の0」になっちゃう。これ、特攻隊以外、何を連想するの?
宮崎駿が怒りまくりそうだが、反応しないで無視が一番。
そのあと読むと、御霊が死んだ人の魂ってことがわかってない感じなんだが、最後の部分も日本代表応援歌として見られないこともないが、特攻隊にたとえられる日本代表(白目)。
この歌詞から感じられること。
野田洋次郎は日本代表応援歌としてこの歌を作った。
同時に、国を愛するとか国旗を愛するとかいう気持ちを堂々と表明する歌を作りたかった。
そこで軍歌を参考にした。
日本語があまりに下手だった。
これからアジアツアーで中韓にも行くようで、中韓のファンも意外に寛大みたいな反応だけど、マスコミはいろいろ突っ込んでくるだろうな。その準備できてるの? あんなテンプレの形だけの「謝罪」(誰に謝ってるのかもわからん)、わけわからん釈明なんか出してるようでは。
国や国旗を愛する気持ちを堂々と表明したかった、というところは、その後の発言を見てもかなりの確信犯のようだ。
洋次郎はこの歌が軍歌と取られることはわかっていたようで、すでに削除されているが、ツイッターで、この歌は鏡だ、ということを書いていたらしい。
この歌を聞いて軍歌と思う人、戦前戦中賛美と思う人が鏡で明らかにされる、ということで、本人はそういう人は特殊な偏った一部の人だと思っていたのだろうが、開けてみたらそういう人が多数だったのでショックを受けた、ということだろうと思う。
しかし、本人は、こういう歌を軍歌と思う、戦中賛美と思う方がおかしい、国や国旗への愛を表明できない方がおかしい、と思っているから、ああいう釈明になったのだろう。
日本が過去に悪いことをしたから、国や国旗を愛してはいけないのか、というツイートを、洋次郎は英語でしている(世界に発信しちゃった)。
ああ、百田センセーは日本でしか読まれないんですが、あなたは。。。
国や国旗を愛してはいけない、なんてことはもちろんないのです。
が、自分たちは昔の人のやった悪いことのせいで国や国旗を愛することが許されないという罰を受けている、自分たちは被害者、という考え方がまずい。
そういう発想だから、なんちゃって軍歌、なんちゃって愛国歌になっている。
そう、あの歌詞は、教育勅語暗唱幼稚園のなんちゃって戦前に似ている。
いろいろ書いてきましたが、歌詞の日本語がひどすぎるのがやっぱり一番いやですね。
そして、野田洋次郎もたまにはひどい歌詞を書くんだ、ですまないところが、ね。
あの歌だけで彼を全否定するつもりはないけれど、釈明での彼の考え方が、ほかのいい歌を聞くときにも思い出されてしまう。余計なこと言わないでくれた方がまだよかった。
あ、あと、釈明にあった、みんながひとつになる、ということ、たぶん、スポーツの国際大会で日本人がひとつになって日本代表を応援するとか、自然災害のときにひとつになって、という意味だろうと思うけど、東日本大震災で絆という言葉が批判されたように、「ひとつになる」というのは非常に危険な言葉。ましてや、軍歌と結びつけば。
鋭い指摘があったので追加
https://twitter.com/logicalplz/status/1006117566480244736
鏡の件、スクショとられてたわ。
金のためじゃないのが本当は怖いんだけどね。
(追記 その後、東京オリンピックのテーマソング作らせてもらおうというアピールじゃないかとか、やっぱり金のためだという意見がいろいろ出てますね。)
あらあら、こんなものまで。
バンドメンバーが誰かわからないし、親族と同じ価値観とも限らないが、どうせならここで正しい古語を教えてもらえばよかったのに。(と思ったら、バンド名つづり間違ってるわ。あと、ネット見ると、すでにネトウヨ界隈で「愛国歌手だった」「愛国心をたぎらせた歌」「「国の防人」の執筆者がメンバーの親族」といった言葉が「朗報」として語られていて、批判者に対してはヘイトスピーチ。応援するのはお騒がせ自民党芸能人議員とか、幸福の科学に入信した芸能人とか。)
「空海」はまだいい。ラスト、楊貴妃に抱かれる黒猫の場面でBGMが途切れたとき、音を消してしまえばいいのだ。しかし、「前前前世」や「スパークル」などの歌がない「君の名は。」は考えられない。いや、BGMも野田洋次郎の作曲なのだからほぼ全編、野田洋次郎なのだ。
あんな歌を先に作っていたら、チェン・カイコーはもちろん、新海誠も彼を起用しなかっただろう。新海はアニメで万葉集を引用するほど日本の古典文学には造詣の深い人だから、あんなひどい「古い日本語」を書くだけで、ハイ、終了、ではないかと思う。
とりあえず、この件に関する興味深いツイッターを紹介してみる。
まずは、最近は離れていたが、RADWIMPSのファンである人の、非常にまっとうな意見。
https://twitter.com/Spinagisa/status/1005358779595046912
ここで書かれている、ラッドらしさに欠ける、洋次郎らしさに欠ける、ということは一部のファンからも指摘されている。
歌詞の中の軍歌的表現が実際の軍歌にどのように使われていたかを検証したツイート。
https://twitter.com/maboroshi840/status/1005082903741513728
国を愛する歌を作ろうと思い、参考にしたのが軍歌だったということ。国を愛する歌=軍歌、という発想で、これが皮肉でもなく、深い思想があるわけでもなく、なんとなくやっちまった感。
もともと、ワールドカップのテレビ放送の主題歌として作られた歌の、昔でいうB面に相当する歌のようだから、サッカーの応援歌の意味もあって戦いの歌にしよう、という意図があったのかもしれないが、本人の釈明にそのようなことはいっさい触れられていない。サッカーの応援歌だから、と言った方が少しは納得してもらえただろうに。
冒頭の部分、日の丸がはためくのを見て感動する、みたいな歌詞は、オリンピックで日の丸が上がると感動するという発想からなんだろう(古から、っていうのは、日の丸は明治以降なんで、全然古からじゃないが)。が、そのあとが全然オリンピックの国旗じゃなくなってくる。
とにかく日本語がひどい、愛国者として許せない、というのはこれ。
https://twitter.com/ray_fyk/status/1005403722921283584
レスの部分が笑えます。あれだと「空海」で空海が卍を書くのは空海がナチスだからになっちまいそう。マジ、卍は「空海」の頃にも言われてたなあ。
これはファンによる擁護のブログ記事ですが、そこに引用されている野田洋次郎の言葉が、また頭抱えてしまう。
http://www.noraneko.tokyo/?p=3668
「日本ってさ、すごくて、もう七十何年間戦争してなくて、それ日本の歴史上でほとんどなかったことなんですよね。」
あの、江戸時代。。。
この人、戦国時代から急に明治維新になったと思ってるとか?
帰国子女とはいっても10歳で帰国、名門私立中学に入り、大学は慶応なので、学校の勉強は一応きちんとやってるのですよね?
国を愛するなら、とりあえず、日本語と日本史と日本の古典文学をやりなおした方がいいと思う。
そういうものを含めての、日本という国なんだが、この人の愛する国って?
あ、歌詞はこちらです。
http://j-lyric.net/artist/a04ac97/l0469f5.html
最初の2行は、好意的に見れば、オリンピックで日の丸が上がったときの気持ち、ね。
次の2行で、いきなり、自分たちの体に流れる死んだ人の魂、が出てくる。
死んだ人って誰? 先の戦争で死んだ人たちでしょうか?
ここでいきなり、戦争で死んだ人々を賛美し、その魂が自分たちの中にある、と言う。
戦争で死んだ人を悼む、のでなく、賛美している。靖国神社キタ。
いざゆかん、は、好意的に見れば、日本代表がんばれ。
その次からが、洋次郎の釈明(あれは謝罪とは言わん)の中の、日本の自然災害に対する言及と、あっちこっちからコピペしてきたコピペ軍歌が合体している。
敵は自然災害、自然災害との戦いを歌った軍歌、って解釈でオケ?(「シン・ゴジラ」で使えますか?)
優しき母、強き父、完全に戦前戦中の家族観。きれいごとで非現実的。
受け継がれし歴史、というのは、上の洋次郎のコメントからすると、70年以上戦争していない日本の歴史=戦後の歴史って好意的に解釈してよね、ってことでしょうか。だったら戦後の日本語を使うべき。戦中の日本語使って歴史っていえば、戦中の歴史となるのは当然。
次からが百田センセーの「永遠の0」になっちゃう。これ、特攻隊以外、何を連想するの?
宮崎駿が怒りまくりそうだが、反応しないで無視が一番。
そのあと読むと、御霊が死んだ人の魂ってことがわかってない感じなんだが、最後の部分も日本代表応援歌として見られないこともないが、特攻隊にたとえられる日本代表(白目)。
この歌詞から感じられること。
野田洋次郎は日本代表応援歌としてこの歌を作った。
同時に、国を愛するとか国旗を愛するとかいう気持ちを堂々と表明する歌を作りたかった。
そこで軍歌を参考にした。
日本語があまりに下手だった。
これからアジアツアーで中韓にも行くようで、中韓のファンも意外に寛大みたいな反応だけど、マスコミはいろいろ突っ込んでくるだろうな。その準備できてるの? あんなテンプレの形だけの「謝罪」(誰に謝ってるのかもわからん)、わけわからん釈明なんか出してるようでは。
国や国旗を愛する気持ちを堂々と表明したかった、というところは、その後の発言を見てもかなりの確信犯のようだ。
洋次郎はこの歌が軍歌と取られることはわかっていたようで、すでに削除されているが、ツイッターで、この歌は鏡だ、ということを書いていたらしい。
この歌を聞いて軍歌と思う人、戦前戦中賛美と思う人が鏡で明らかにされる、ということで、本人はそういう人は特殊な偏った一部の人だと思っていたのだろうが、開けてみたらそういう人が多数だったのでショックを受けた、ということだろうと思う。
しかし、本人は、こういう歌を軍歌と思う、戦中賛美と思う方がおかしい、国や国旗への愛を表明できない方がおかしい、と思っているから、ああいう釈明になったのだろう。
日本が過去に悪いことをしたから、国や国旗を愛してはいけないのか、というツイートを、洋次郎は英語でしている(世界に発信しちゃった)。
ああ、百田センセーは日本でしか読まれないんですが、あなたは。。。
国や国旗を愛してはいけない、なんてことはもちろんないのです。
が、自分たちは昔の人のやった悪いことのせいで国や国旗を愛することが許されないという罰を受けている、自分たちは被害者、という考え方がまずい。
そういう発想だから、なんちゃって軍歌、なんちゃって愛国歌になっている。
そう、あの歌詞は、教育勅語暗唱幼稚園のなんちゃって戦前に似ている。
いろいろ書いてきましたが、歌詞の日本語がひどすぎるのがやっぱり一番いやですね。
そして、野田洋次郎もたまにはひどい歌詞を書くんだ、ですまないところが、ね。
あの歌だけで彼を全否定するつもりはないけれど、釈明での彼の考え方が、ほかのいい歌を聞くときにも思い出されてしまう。余計なこと言わないでくれた方がまだよかった。
あ、あと、釈明にあった、みんながひとつになる、ということ、たぶん、スポーツの国際大会で日本人がひとつになって日本代表を応援するとか、自然災害のときにひとつになって、という意味だろうと思うけど、東日本大震災で絆という言葉が批判されたように、「ひとつになる」というのは非常に危険な言葉。ましてや、軍歌と結びつけば。
鋭い指摘があったので追加
https://twitter.com/logicalplz/status/1006117566480244736
鏡の件、スクショとられてたわ。
金のためじゃないのが本当は怖いんだけどね。
(追記 その後、東京オリンピックのテーマソング作らせてもらおうというアピールじゃないかとか、やっぱり金のためだという意見がいろいろ出てますね。)
あらあら、こんなものまで。
バンドメンバーが誰かわからないし、親族と同じ価値観とも限らないが、どうせならここで正しい古語を教えてもらえばよかったのに。(と思ったら、バンド名つづり間違ってるわ。あと、ネット見ると、すでにネトウヨ界隈で「愛国歌手だった」「愛国心をたぎらせた歌」「「国の防人」の執筆者がメンバーの親族」といった言葉が「朗報」として語られていて、批判者に対してはヘイトスピーチ。応援するのはお騒がせ自民党芸能人議員とか、幸福の科学に入信した芸能人とか。)
2018年6月11日月曜日
「空海」DVD&BD予約特典
9月5日発売の「空海」こと「妖猫傳」DVDとブルーレイ、何か予約特典がつくだろうと思ったら、オムニ7、HMV、楽天などは妖猫ポストカード2枚セット。やったあ。これ、もっと種類があって、映画館で売ればいいのに、と思っていたのだ。
楽天さんからの画像です。
特典はプレミアムボックスでも単品でもつきます。こりゃ、予約せねば。
あと、アマゾンはA3オリジナルポスターとのことですが、これ、日本版のポスターだよね? 中国版だったらほしいけど。
とりあえず、3万円くらいでポータブルのブルーレイプレーヤーを買うか。「君の名は。」の特典ブルーレイもまだ見ていない。
楽天さんからの画像です。
特典はプレミアムボックスでも単品でもつきます。こりゃ、予約せねば。
あと、アマゾンはA3オリジナルポスターとのことですが、これ、日本版のポスターだよね? 中国版だったらほしいけど。
とりあえず、3万円くらいでポータブルのブルーレイプレーヤーを買うか。「君の名は。」の特典ブルーレイもまだ見ていない。
「空海」DVD&BD発売(追記あり)
9月5日発売&レンタル開始、だそうです(「空海」公式のニュース欄)。
上はプレミアム・ボックスで、DVD、ブルーレイ、特典映像(メイキング映像など)、ブックレット入り。
メイキング映像は中国のサイトにたくさんあって、とても面白いのだけど、どのくらい入っているのでしょうか?
バリアフリー字幕&音声も入っているとのこと。この映画は日本語吹替えでも字幕出した方がわかりやすいです。字幕ないと頭の中で漢字変換しようとしてわからん!と嘆くこと多数。
中国語音声も当然入っていて、インターナショナル版上映館が遠くて行けなかった人もこれでやっと見られます。
私の場合、やっぱり大きい画面じゃないと、と思うので、モニター購入を考えるわけですが、電気店へ行くと、値段と映像の美しさがはっきり比例していて、それを見ると安いので妥協がむずかしく、それで買わずに来てしまいました。
「妻よ薔薇のように」で長男が息子に買ってきたおみやげのようなものを買う方がいいのかな?
この映画、映画評論家の多くは狭い試写室で、日本語吹替え版だけを見ているのですよね?
わざわざ中国語版を見に行った人、どのくらいいるのか?
「空海」に関連して残念なのは、主題歌のRADWIMPSが戦前戦中の軍歌のような歌を作ってしまったことです。「ヒノマル」とかいう歌で、野田洋次郎は福島のための歌を毎年作っていた人なのに、どうしたのだろう。「君の名は。」で新海誠に何度もダメ出しされて監督の意に沿う音楽を作り、「空海」でもチェン・カイコーの意向を忖度して作った末、今回はああいう歌を忖度して作ってしまったのか? 有名になったときにその資質が問われるのだと思う。今回は勇み足だったことを祈りたい。
追記
その後、野田洋次郎の歌に関するネット上の記事が2本出た。
まずは野田洋次郎の釈明。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180611-00000009-exmusic-musi
そして、軍歌についての新書を出している辻田真佐憲の論説。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56060
辻田氏の論には、あの歌は明確に愛国歌だが、内容はかなりいいかげんだと書かれている。
野田氏の方は「不快になった方、傷ついた方に謝罪」と言っているが、別に不快に思ったり傷ついたりしたわけではなく、今をときめくグループがこういう歌を世に出して、何か悪い影響がないかと危惧されているのだと思うのだが、本人にはそういう意識はまったくないようだ。
「君の名は。」や「空海」の主題歌は詩がすばらしくて、詩人と言われるのも納得だと思ったのだが、「ヒノマル」の歌詞のせいで一気に詩人としての価値が下がった気がする。
しかも、それについての言説があまりに幼稚で。
百田尚樹も「永遠の0」の映画が大ヒットするまではただの文筆家だったが、あれがヒットして安倍晋三とお友達になったりして、以来、ネトウヨの本性があらわになったというか、前からネトウヨだったのか、ああいうふうに有名になったからそっちに火がついたのかわからないのだが、今では完全に壊れたネトウヨ脳で、よく名誉毀損で訴えられないなあと思うレベルの発言をしている。
百田も大ヒットせず、有名にならなければ、ああはならなかったのだろうか。有名でなければネトウヨを隠していた方が仕事が有利だったかもしれない。
野田洋次郎は今までそういうところが見えなくて、いきなりああいうのが出て、さらに本人が、これはもともと自分が考えていたことです、なんて言うからみんなビックリしたんで、ネトウヨは大喜びで擁護しているが、これでいいんだろうか、RADWIMPS?
正直、「君の名は。」の歌も「空海」の歌も、今までと同じ気持ちでは聞けなくなる。監督の意向に沿った歌だとしても。
2018年6月10日日曜日
台風接近の日曜日の上野動物園
上野動物園はパンダ観覧が整理券から並んだ順になってからかなり混乱している模様です。
最初の2日、火曜と水曜はわりとすいていたようですが、木曜に突然、150分待ちなんて数字が出て、金曜は終日大混雑で並ぶのは3時半で締め切ったとか。
調べてみると、一部の客が逆走したりして、いつまでも中にとどまろうとしていたので、列を1列にしてどんどん押し出す方法に変えたのだけれど、1列なので時間が非常にかかるようになったとのこと。
以前は雨の日は夕方まで整理券が余っていたが、この方式にしてから天気があまり関係なくなっていたけど、台風接近の日曜日の午後、雨の中、偵察に出かけた。
午後3時到着。待ち時間50分。このあと最後まで50分でした。
4時半くらいだとシャンシャン起きているというので、締め切りの4時直前に並ぶことにして、それまで他の動物を見たり、シャンシャン誕生日特集の小冊子「みんなの上野動物園」をもらう。
小冊子は西園のレストランの中のラックにたくさん置いてあって、自由に持って行けます。案内所や出口では「みんなの上野動物園をください」と言わないとだめ。
というわけで、まず西園へ。橋の上から。梅雨らしい風景。
ハシビロコウ。まったく動かない。
3時半すぎに東園に戻り、アビシニアコロブスの赤ちゃんを動画で撮影したあと、4時5分前に行列に並ぶ。そのあと、4時ぎりぎりに多数の人があちこちから現れて列に並び、私の後ろもかなりの人になったのでびっくり。どうも同じ考えの人が多いようだ。
雨の中、並ぶので、100均のレインポンチョを上野駅を出たときから着ていたが、これが正解。並んでいる間も濡れない。リュックを前から肩にかけてポンチョを上からかぶせるので、リュックも濡れない。並ぶ場所はあちこちに水たまりができている。
歩きながら並ぶので、意外に飽きない。歩きスマホ多数。
パンダ舎入口に着いたのは4時50分。待ち時間55分であった。
パンダ舎の中は立ち止まることはできない。1列になって通過するだけ。写真撮影は無理なので、歩きながら動画撮影。動画から写真を切り取っています。
パンダは父リーリーと母シンシンが食事中。シャンシャンは竹で遊んでいる。
まずリーリー。
シンシンとシャンシャン(手前)。
シャンシャン。まだリンゴしか固形物は食べていないとのこと。
整理券のときは30秒ずつ4回立ち止まれるので写真撮影ができたけれど、今度は歩きながらなので動画は当然、揺れてるが、うまく写っているところを写真にできる。
整理券のときに比べるとスタッフが「立ち止まらないでください」と必死で叫んでいたり、パンダ舎以外でも感じの悪いことがあったりと、全体に余裕がなくなっている感じがした。園内も混んでいることだし、しばらくは行くのを遠慮しようかと思う。
12日はシャンシャン1歳の誕生日で、17日まで記念カード配布などのイベントがあるらしいけど、まあ、年間パスポートあるので、カードだけもらいに行ってもいいんだけど、そこまでするほどほしいカードかな、とは思います。小冊子はほしかったので、今日は小冊子が第一目的、パンダは見れたら見る、という気持ちで行きました。
以下、いろいろ思うことを追記。
最初の2日、火曜と水曜はわりとすいていたようですが、木曜に突然、150分待ちなんて数字が出て、金曜は終日大混雑で並ぶのは3時半で締め切ったとか。
調べてみると、一部の客が逆走したりして、いつまでも中にとどまろうとしていたので、列を1列にしてどんどん押し出す方法に変えたのだけれど、1列なので時間が非常にかかるようになったとのこと。
以前は雨の日は夕方まで整理券が余っていたが、この方式にしてから天気があまり関係なくなっていたけど、台風接近の日曜日の午後、雨の中、偵察に出かけた。
午後3時到着。待ち時間50分。このあと最後まで50分でした。
4時半くらいだとシャンシャン起きているというので、締め切りの4時直前に並ぶことにして、それまで他の動物を見たり、シャンシャン誕生日特集の小冊子「みんなの上野動物園」をもらう。
小冊子は西園のレストランの中のラックにたくさん置いてあって、自由に持って行けます。案内所や出口では「みんなの上野動物園をください」と言わないとだめ。
というわけで、まず西園へ。橋の上から。梅雨らしい風景。
ハシビロコウ。まったく動かない。
3時半すぎに東園に戻り、アビシニアコロブスの赤ちゃんを動画で撮影したあと、4時5分前に行列に並ぶ。そのあと、4時ぎりぎりに多数の人があちこちから現れて列に並び、私の後ろもかなりの人になったのでびっくり。どうも同じ考えの人が多いようだ。
雨の中、並ぶので、100均のレインポンチョを上野駅を出たときから着ていたが、これが正解。並んでいる間も濡れない。リュックを前から肩にかけてポンチョを上からかぶせるので、リュックも濡れない。並ぶ場所はあちこちに水たまりができている。
歩きながら並ぶので、意外に飽きない。歩きスマホ多数。
パンダ舎入口に着いたのは4時50分。待ち時間55分であった。
パンダ舎の中は立ち止まることはできない。1列になって通過するだけ。写真撮影は無理なので、歩きながら動画撮影。動画から写真を切り取っています。
パンダは父リーリーと母シンシンが食事中。シャンシャンは竹で遊んでいる。
まずリーリー。
シンシンとシャンシャン(手前)。
シャンシャン。まだリンゴしか固形物は食べていないとのこと。
整理券のときは30秒ずつ4回立ち止まれるので写真撮影ができたけれど、今度は歩きながらなので動画は当然、揺れてるが、うまく写っているところを写真にできる。
整理券のときに比べるとスタッフが「立ち止まらないでください」と必死で叫んでいたり、パンダ舎以外でも感じの悪いことがあったりと、全体に余裕がなくなっている感じがした。園内も混んでいることだし、しばらくは行くのを遠慮しようかと思う。
12日はシャンシャン1歳の誕生日で、17日まで記念カード配布などのイベントがあるらしいけど、まあ、年間パスポートあるので、カードだけもらいに行ってもいいんだけど、そこまでするほどほしいカードかな、とは思います。小冊子はほしかったので、今日は小冊子が第一目的、パンダは見れたら見る、という気持ちで行きました。
以下、いろいろ思うことを追記。
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