前回書いた「ワンダーウーマン1984」と、その前に書いた、「「ジョーカー」に関する3つの記事」についての追記です。記事は右サイドを参照。
「ワンダー~」はバーバラがチーターになるまでの話、「ジョーカー」はアーサーがジョーカーになるまでの話で、どちらもある種の弱者が力を得て暴力的な悪役になる物語です。
「「ジョーカー」に関する3つの記事」で、槙野さやか氏の「ジョーカー」評を胸糞悪いと書いたのは、この論は相対的貧困の人に対して、もっと貧しい人がいると言って貧困を無化してしまうことと同根だからです。
何年か前、貧困問題のテレビ番組で、お金がないのでイラストの専門学校へ行けないという女子高校生が登場したところ、1万円以上する画材を持っているとか、アニメ映画「ワンピース」を5回も見ているとか(高校生なので5回見ても5千円)言ってバッシングする人が多数現れましたが、槙野氏の「ジョーカー」評も根本的なところはこれと同じです。
アーサーより貧しい人はたくさんいる、アーサーより重い障害を持つ人はいる、アーサーより大変な介護をしている人はたくさんいる、と言って、アーサーの相対的貧困や困難を無化し、アーサーはこじらせ男子だと言って切り捨てています。
バーバラについても、ある学者・批評家が彼女を「オタク女子のこじらせ」と書いていて、何か同じ根っこを感じます。
確かにバーバラはスミソニアン博物館の研究員という、人も羨む仕事をしています。姿もちょっと工夫すればきれいになれる。彼女よりも恵まれない人はたくさんいます。
見方によっては、アーサーもバーバラも同情に値しない、それで悪人になるのはただの「こじらせ」だ、という意見も出るでしょう。槙野氏はアーサーについて、明らかにそう言っています(もう1人はバーバラについてそれ以上書いていないのでわかりません)。
90年代頃から、非モテだというだけで「こじらせ」、女性の方が優遇されていると考えて「こじらせ」る男性が増えてきて、現在ではそういう男性のこじらせたヘイトが問題になっていますが、アーサーとバーバラはそれ以前の時代の人物で、だからどちらも1980年代に設定されているのです。ただ、現代の観客から見ると「こじらせ弱者」に見えてしまう可能性があるという面は無視してはいけないのかもしれません。
また、酔っ払いをぼこぼこにするバーバラの怒りは、70年代から80年代のフェミニズムを肌で感じていないと理解がむずかしいのかもしれない。「リップスティック」という映画でヒロインが最後にレイプ犯を殺して無罪になり、女性たちが拍手をするのを見て、朝日新聞の男性記者が「女は怖い」などと紙面に堂々と書いた時代です。
当時のアメリカのフェミニズムは男性に対して非常に攻撃的だったので、女性からの反発も強く、ヨーロッパ、特にフランスでは男性と協調するフェミニズムが提唱されていました。それから何十年もたって、MeToo運動が起こったとき、フランスの女性たちがそれを非難し、時代遅れな女性観を語って批判されましたが、その中には明らかに右翼的な女性もいたけれど、カトリーヌ・ドヌーヴのように昔はフェミニズム的だったような人もいて、彼女はレイプ被害者たちにその後謝罪しましたが、このフランスの女性たちの反応は男性と協調するヨーロッパのフェミニズムのなれの果てのように感じました。
最近、「日本のポストフェミニズム」(菊地夏野・著)という本を読み、日本特有のネオリベラリズム、ポストフェミニズムのところが興味深かったです。