2021年3月22日月曜日

「ジョーカー」に関する3つの記事

ここ数日、日本中世史学者の呉座勇一のトンデモツイッターが一部で話題騒然になっていて、私はこの呉座勇一という学者をまったく知らなかったのだが、日本史のベストセラーを出していて、来年の大河ドラマの監修もする予定の優秀な学者らしい。

が、この呉座氏、鍵垢ツイッターで人の悪口をさんざん言ったり、ネトウヨのツイートにイイネしたり、あげくは慰安婦に関するトンデモ論文を書いているハーバード大学教授のラムザイヤーを支持するツイートをイイネしていたことが判明。

フェミニズムやリベラルの人々に対する悪口を何年にもわたってツイートしたり、仲間がツイートする悪口にイイネしたり、仲間内でひどい罵詈雑言を言って盛り上がっていただけでなく、近現代の歴史修正主義を支持していた、ということで、衝撃が走ったのだ。

なぜなら、呉座氏は、表舞台では歴史修正主義を批判し、百田尚樹のことも批判していたからだ。

呉座氏はどうも表の顔と裏の顔があり(ジキルとハイドか?)、裏の顔は鍵垢ツイッターでやっていたのだが、鍵垢とはいえフォロワーが何千人もいたのだから、その中にはいつかこいつの悪行を世に出してやろうとスクショしながらその機会を待っていた人が何人もいたに違いない。シェイクスピア学者・北村紗衣に対して何年も陰口を言っていたことが暴露されたのをきっかけに、これでもかというようにヤバイ発言が大量に暴露されたのだ。

呉座氏のツイッターについては、「おぞましい」としか言いようがないので、それを読める複数のサイトは紹介しません。検索すればすぐわかるでしょう。

この「おぞましい」発言の数々を読んで、ほんとに気分悪くなったのだけど、その中に、この発言だけはまともなのでは?と思ったのがあった。

それは、槙野さやかという人物(書評家?)が書いた「ジョーカー」評がひどい、というツイートだった。

その「ジョーカー」評はこれ。

「ほんとうはもっと与えられるべきだった」と無根拠に思いこむ人間の恐ろしさ  映画『ジョーカー』|槙野さやか|note

呉座氏のツイッターが「おぞましい」とすれば、これは「胸糞悪い」という表現がぴったりだ。

大量のおぞましいツイートに続き、今度は胸糞悪い映画評かよ、勘弁してくれ、と思ったが、さすがにこれには反論があった。

「ジョーカー」を見た人なら、こちらの方が正しいとわかるだろう。

■槙野さやかさんの『ジョーカー』評が滅茶苦茶 (hatelabo.jp)

ここにある、「この人は一種のフェミニストで、負け組のくせに身の程知らずの願いを持った男への怒りがある」というのを読んで、フェミニストに粘着する呉座氏がこれを取り上げたのはそのせいかと思ったが、この槙野氏の文章だけでは槙野氏がフェミニストかどうかはわからない。ただ、この無名の論者が言う、槙野氏は頭にあった妄想に映画を当てはめているというのは、実は、映画や文学でフェミニズムをやっている人にありがちなことなのだ。

以前、北村紗衣がキネ旬に書いた「ワンダーウーマン1984」に私がむかついたのも、ネットでたまたま読んだ北村氏の他の映画評がこの種のフェミニズムのひな型に映画を当てはめるタイプだったからで(そうじゃないのもあるのかもしれないけど)、「ワンダーウーマン1984」ではそれができなくてどうしていいかわからないみたいな文章を書いていたからだ。

この種のフェミニズムのひな型を映画や文学に当てはめるというのは1970年代頃から流行っていて、さすがに21世紀だからもうそんなことはないだろうと思っていたら、この手のフェミニズム批評がいまだ健在と知って、驚いたのである。

フェミニズムに関しては、映画や文学以外の分野、社会学などでやっているものには大いに共感するが、映画や文学のフェミニズムには疑問しか感じない。しかも1970年代から全然変わってないとか、学問としてもどうよ。

しかし、北村氏の文章は「むかつく」、槙野氏の文章は「胸糞悪い」、呉座氏のツイッターは「おぞましい」と、レベルの差は相当あるな。

さて、無名氏に映画をちゃんと見ていないと言われた槙野氏の「ジョーカー」評だが、これは「ジョーカー」ではなく別の作品に当てはまると解説した文章がこれ。

「槙野さやか版ジョーカー」が読みたい人は、「DEAD TUBE」12巻を読むといいと思うよ - 頭の上にミカンをのせる (tyoshiki.com)

上の無名氏の反論は正しいのだが、後半、ちょっと悪意を感じる部分もあったので、すっきり読み終えることができなかったが、最後にこの文章に出会えて、とてもすっきりした。

槙野氏の解釈した「ジョーカー」はしょぼすぎる、批判する相手を軽く見てはいけない、と書いてあるが、批判する相手を軽く見てはいけない、というのは座右の銘にしたい。

また、槙野氏の文章の最後、友人についてのところがものすごくイヤミで、これが胸糞悪いを最大級に押し上げたのだが、これについても上のブログ主はよいことを書いている。

「ネタをやるならはっきりそうわかるように、不快感を与えないように」

いやもう、そのとおりです。

世間一般の反応をする友人を馬鹿にする=世間一般の観客を馬鹿にしているわけで、しかも最初に「個人の感想です」とか書いてんだから創作系ですとか言い訳するの無理でしょう。

槙野氏の不快さは呉座氏の不快さにどこか通じるものがあるんだが、ネットって、何かそういう不快さに人を引き付ける魅力があるんですかね?

で、私は「ジョーカー」についてどういう文章を書いたのかな、と思ってブログを見ると、

さーべる倶楽部: 台風前日のMOVIXさいたま (sabreclub4.blogspot.com)

まあ、私も絶賛ではないね。

最近、私の映画評って全然ダメじゃん、と落ち込んでいたのだが、これはちゃんと書けてるのでほっとした。

「ワンダーウーマン1984」は見てからもう3か月近くたってしまったのだが、実は「ジョーカー」とも関連づけて書きたいと思っていたので、やっぱり書こうという気になってきた。