2021年3月6日土曜日

「寄り添う」と「媚びる」どっちもうっせえわ

 昨日は気になるトピックが2つあった。

1つは文科省が緊急事態宣言延長に先立って大学に出した通知に、「大学は学生に寄り添え」と書いてあって、大学教員や職員の一部が反発するツイートを書いていたこと。

「大学は学生に寄り添っていないというのか」「文科省こそ大学に寄り添え」とか言われてますが、要するに、コロナでの対策を十分に行う予算も何もない大学に対し、金も出さずに、対面授業して学生に寄り添えと言う文科省への反発。

でもまあ、大学関係者ってみんなお上品なので、「うっせえわ」くらい強いこと言えばいいのに、言い方はおだやか。

しっかし、私から見ると、「寄り添う」ってものすごく気持ち悪い。なんか、世間では好意的にとらえられている言葉のようですが、私の感じる「寄り添う」ってこんな絵かな。


小学生くらいまでならいいと思うんですが、中学以上になったら、こういうの、うっせえわ、と思いません?

ある程度成長したら必要なソーシャル・ディスタンスがない。

昔はべたべたする大人はうっせえわと若者は感じたと思うのだが、最近はそうでもないというのは実感でわかる。

で、もう1つは、現代ビジネスという講談社のサイトに出たこの記事ですよ。

「うっせぇわ」を聞いた30代以上が犯している、致命的な「勘違い」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

著者の鮎川ぱてという人、どういう人なのか調べたけど、よくわからない。ググってもあまり出てこない。肩書は音楽評論家で、5年前から東大の教養課程で非常勤講師をしていて、東大の研究員にもなっている。大学は東大理1に入ったというから、理学部か教養学部を出て駒場の大学院へ進学したのかもしれない、というのはあくまで推測だけど、この駒場の大学院からマスコミに進出する人がけっこういて、例の古市氏とかそう。

この鮎川氏は10年くらい前に「ユリイカ」に記事を書いたというのがググると出てくるので、年齢的にはもう40歳くらいかもしれない。初音ミクのようなボーカロイドを研究しているらしいが、こっち方面は全然わからないので何も言えない。

東大での授業は人気授業らしく、本人は書籍化をもくろんでいるようなので、現代ビジネスで毎回多数のPVを稼げれば、講談社で書籍化も可能?

今回は話題の歌「うっせえな」を取り上げて、PVはかなり稼いでいそう。

で、記事の内容なんですが、感想は「別に」。

頭にくることもなかったし、感心することもなかったです。本田由紀・東大教授が「意外性はなかった」と切り捨ててますが、20代の院生が書いたのならもっと好意的に紹介したような気がする。おっさんが若者に「寄り添って」書いた文だからね、あれは。

他の感想も「面白かった」というのと、「この文自体がうっせえわ」というのに二分されてますね。昔の若者も感じていたことで、新しくない、という意見も多数。

面白かったのは、この記事のコメント欄の最初にある東大准教授の意見です。


「記事とは直接関係ないですが「日本の10代人口は約1100万人でセクシャルマイノリティと同じくらいのマイノリティである」という議論は興味深いですね.
通常はマジョリティがいてのマイノリティですが,ここでは年代区分である10代だけを取り出し,それ以外と比較しています.このロジックで行くと80代以上も1178万人なのでマイノリティという事になってしますし,各年代区分すべてがマイノリティと言えてしまいます.
さらに,東京都の人口は1350万人なので人口の10%強のマイノリティ,日本のTiktokユーザも7%程度なのでマイノリティ,佐藤さんなんて200万人くらいしかいないので超マイノリティです.
ここでの主張全体が正しいかどうかについては議論しませんが,同じくらいの人数だから「10代はセクシャルマイノリティと同程度のマイノリティ」といって良いかは慎重に考えるべきではないでしょうか.」(鳥海不二夫)


鮎川氏は東大の講義で若者はセクシャル・マイノリティと同じくらいの数だからマイノリティと言っているそうですが、マイノリティは数ではありません。こういう間違った前提で講義をしていることに危惧を覚えます。

若者はある種のマイノリティですが、それは数のためではありません。「うっせえわ」の曲は女が男に対して言っているんだ、という意見がありましたが、歌詞を見ると確かにそうですね。女なら、若くなくても自分のことと思える歌詞がある。

人類の半分は女性ですが、女性は数が多くてもある種のマイノリティです。それは若者がある種のマイノリティであるのと同じ意味で。

鮎川氏が記事で強調する大人世代と若者世代の断絶と、それに対する若者の「うっせえわ」の叫びは、団塊の世代が若者だったときに言っていた「30歳以上の大人を信じるな」というのと本質的には同じです。いつの時代にもあるものですが、ただ、時代によって状況が違うので、その差はある。

今の若者は本音を言わない、抗議しない、というのはそのとおりで、そこが昔の若者と違うところかもしれない(人によるとは思うけど)。

でも、結局、鮎川氏が何を言いたいのかというと、若者はマイノリティだということを強調することで若者の選民意識を鼓舞しているわけです。

これもまた、昔からあるやり方で、しかも対象は若者に限りません。もう、既視感バリバリなんだけど。

自分はまわりとは違うが、選ばれた人なんだ、という考えはいつの時代も若者に受けます。ファンタジーの世界ではchosen oneと言われて、「スター・ウォーズ」とかアーサー王伝説とか枚挙にいとまがない。

鮎川氏が記事でやっているのは、この若者の選民意識をおっさんである氏が若者に付与してあげているってことです。ここ、ちょっとつらくないですか、大人世代として。

若者はいいんです、選民意識で。だって、マイノリティだから、弱い立場だから、そう思わないと生きていけないから。

でもさ、おっさんがそれをああいう文章で若者に保証してあげるって、

うっせえわ!

「寄り添う」って、もしかして「媚びる」ってことですかね?